データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 種痘施術心得書

[場所] 
[年月日] 1885年5月6日
[出典] 內務省(内務省)
[備考] 
[全文] 

種痘施術心得書

種痘術ヲ施ス者ハ種痘ノ適否接種ノ方法痘苗採收及貯蓄ノ法善感不善感ノ鑑別種痘ノ注意等ヲ詳知セサル可カラス其要左ノ如シ

   第一 種痘ノ適否

第一條 種痘ハ左ニ揭クル者ニハ施サヽルヲ可トス

 一 生後七十日ヲ經サル者

 二 種痘ノ爲ニ一時增進スヘキ病患アル者

 三 丹毒流行ノ土地ニ居住スル者

 四 蔓延性ノ皮膚病アル者

 五 熱性病ニ罹リ居ル者

第二條 種痘ニ適スル時期ハ春(三月四月五月)秋(九月十月十一月)二季ヲ以テ最良トス然レトモ四季共ニ之ヲ施シテ妨ナシ

   第二 接種ノ方法

第三條 種痘ヲ施スハ上膊 三稜筋抵止ノ部位 ニ於テ各々三針乃至五針 受痘者ノ年齡体質等ニ隨フ トシ各針ノ距離曲尺五分以上ニシテ痘疱ノ暈輪互ニ密接セサル樣注意スヘシ

第四條 施行ニ先テ針尖ヲ拭淨シ一時ニ數人ニ接種スルトキハ一人每ニ之ヲ拭淨スヘシ

第五條 良性ナル痘漿ヲ採リテ移種スルヲ確實ノ良法トスレトモ此法ヲ行フヿ能ハサルトキハ貯蓄ノ痘苗ニシテ成ルヘク新鮮ナル者ヲ撰ヒ用フヘシ但痂皮ハ用ヒサルヲ可トス

   第三 痘病採收及貯蓄ノ法

第六條 痘苗ハ左ニ揭クル者ヨリ採收スへカラス

 一 痘疱ノ成形過度及過大ノ者 發暈非常ニ大ナル者 疱緣又ハ暈部ニ水疱ヲ生スル者 痘疱非常ニ隆起シテ澄明ノ漿液ヲ漏出スル者 一種ノ疑フヘキ色例ヘハ紅藍ヲ呈セルカ如キ者 但此等ノ異常痘疱ノ近傍ニ在ル正疱モ亦同シ

 二 痘漿ノ血液ヲ混セル者 疱ノ中央ニ在ル痘漿ノ腐敗ニ向ントスル者 痘疱ノ己ニ化膿ニ傾キシ者 疱掻又ハ摩擦ノ爲ニ痘疱破潰セシ者

 三 梅毒腺病及ヒ皮膚病ニ罹リ居ル者營養不良ノ者

 四 丹毒ヲ併發セル者 經過不整ニシテ不善感ノ疑アル者 第十四條ヲ參觀スヘシ

 五 天然痘ヲ經タル者 再三種ノ者

第七條 痘漿ヲ採ルハ通常接種後第八日 二十四時間ヲ以テ一日ト算ス下皆同シ ヲ以テ佳トスト雖時候ノ寒暖及各人ノ性質ニ随ヒ第七日又ハ第九日ヲ以テ適度トスルヿアリ痘疱ハ善感良性ノ者ニシテ其含包セル所ノ漿液ハ渾濁セス粘稠露滴ノ如クナルヘシ

第八條 痘漿ヲ採ルニハ痘疱ノ中心ヲ避テ疱面ヨリ斜ニ淺刺シ深ク刺シテ出血セシムへカラス

第九條 發痘一顆ナル者ノ痘疱ハ其漿液ヲ採ルへカラス又數顆アルモ其一顆ハ傷クへカラス

第十條 痘苗ヲ貯蓄シテ接種ノ用ニ供セントスルニハ硝子板間ニ貯ヘヲ密封シ又ハ硝子製毛細管ニ吸入セシメテ其兩端ヲ固封シ日光及寒熱ノ劇度ヲ避ケ貯フヘシ(痘病ノ貯蓄法甚宜シキヲ得ルトキハ五箇月間充分ノ効力アリ)

   第四 善感不善感ノ鑑別

第十一條 種痘ノ善感不善感ヲ鑑別スルニハ左ノ各項ヲ以テ要點ト爲ス

 一 接種後第二日以內ニ成形始メシヤ否

 二 痘疱常形ニシテ其大サ及硬サハ皮下皮上共ニ同一ナルヤ否

 三 紅暈ハ常形ナルヤ否

 四 經過整然トシテ其時期ヲ誤ラサルヤ否

 五 第八日ニ至リテ微熱ヲ發スルヤ或ハ然ラサルモ其他ノ徴候ヲ呈スルヤ否

 六 痂皮ハ黯褐色又ハ黑色ニシテ其厚サ及硬サハ常度ナルヤ否

第十二條 種痘善感ノ徴候ハ左ノ經過ニ就キテ知ルヘシ

 接種後第一日第二日ノ間ハ他ノ刺傷ニ異ナルヿ無シ施術針痕ノ周圍ニ淡紅色ノ小暈ヲ發スレトモ暫時ニシテ消失ス(或ハ此暈ヲ見サルヿアリ)第三日ニハ針痕ノ部ニ小ナル紅點ヲ生シ試ニ指頭ヲ以テ之ニ觸ルレハ稍々隆起セルヲ覺ユ(經過緩慢ナル者ハ第四日第五日ニ至リ始テ此紅點ヲ生スルヿ有リ)

 第四日ニハ紅色ニシテ硬ク且ツ隆起セル圓形若シクハ橢圓形ノ小結

節ヲ生ス

 第五日ニハ結節細小ノ水疱ト爲リ其周圍ニ狹キ紅暈ヲ見ル

 第六日ニハ水疱稍々增大シ其邊緣隆起シテ疱ノ中央ニハ陥凹ヲ呈シ疱中ニハ稀薄透明ニシテ稍々帶藍色ナル液ヲ充實シ周圍ノ紅暈稍々增大ス

 第七日ニハ諸症益々增進ス

 第八日ニハ痘疱全ク成形ス其大サハ豆大ニシテ周圍ハ焮腫シ微シク疼痛アリ疱中ノ液ハ倍々充實シ紅暈又著シク增大ス此期ニ當リ(或ハ此期以前)微熱ヲ發シ或ハ全ク熱候ナク顔面ハ蒼白色ヲ呈スルヿアリ又腋下ニ疼痛ヲ覺エ水脈腺種起スルヿ有リ

 第九日ニハ紅暈更ニ增大シ其色澤モ亦加ル

 第十日ニハ疱液化膿シテ白濁或ハ黄色ノ膿稠液ト爲リ疱ノ中央稍々凸隆ス然レトモ其形必ス扁圓ナリ

 第十二日ニ至ルマテハ痘疱其形狀ヲ變スルヿ無ク此日ヨリ收靨ノ始メ疱ノ中央ヨリ邊緣ニ向ヒテ次第ニ乾固シ漸ク褐色ニ變シ周圍ノ紅暈モ亦漸ク消退ス

 爾後黯褐色又ハ黑色ニシテ堅實ナル厚痂ヲ結ヒ初ハ皮膚ニ緊著シテ容易ニ剝離セス結痂後八日乃至十日ニ至リ始テ剝脫ス其剝脫ノ後ニ遺セル瘢痕ハ圓形又ハ橢圓形ニシテ淺キ凹窩ヲ爲シ其窩內ニハ更ニ數多ノ小凹點ヲ呈ス

  但一回種痘セシ者ニ再三種シテ感染スルヿアルモ其疱顆小ニシテ七八日間ニ全ク經過スルヲ常トス

第十三條 種痘不善感ノ諸徴ハ左ノ如シ

 一 接種後第二日以內ニ成形ヲ始メ常形ニ達セスシテ直ニ廣ク蔓延セル炎症ヲ發シ皮下ニ硬キヲ覺ヘスシテ紅暈ハ不整形ナリ痘疱ハ速ニ化膿シ其隆起ノ狀或ハ半球形或ハ圓錐形ト爲リ乾固スレハ黄色ニシテ鬆疎ナル痂皮ヲ結フ(時トシテ第二日後ニ成形ヲ始ムル者アレトモ其經過總テ不整ナルヲ以テ自ラ善感ノ者ト區別スルヲ得ヘシ又不善感ノ者ト雖トモ腋下ニ疼痛ヲ覺エ微熱ヲ發スルヿ無キニ非ス)

 二 接種後第一日ニ大ナル赤色ノ疱ヲ生シ速ニ漿液ヲ充實シ上皮破レテ膿面ヲ呈シ或ハ濕潤セル淡色ノ痂皮ト爲ルヲ見ル

 三 紅暈速ニ增大シテ腫起シ或ハ遂ニ潰瘍ニ陷ル

 四 第八日ニ至リ數疱相合シテ一大潰瘍ト爲リ或ハ一面ノ痂皮ヲ結ヒ其潰瘍又ハ痂皮ノ周圍ニハ廣ク赤色ヲ呈ス

 五 痂皮剝脫ノ後ニ遺セル瘢痕ハ深クシテ不整形ヲ呈シ其底面平滑ナリ

   第五 種痘ノ注意

第十四條 初種ノ不善感ハ痘苗ノ不良ナルカ或ハ其人一時ノ不感性ヲ有セルニ因ル者ナルカ故更ニ三四週ノ後善良ナル痘苗ヲ撰ヒテ再ヒ接種スヘシ

第十五條 種痘ヲ施スニ當リテハ併發症ヲ防キ殊ニ天然痘流行ノ際ニハ接種後第八日ニ至ルマテハ嚴ニ其感染ヲ防禦スヘシ然レトモ受痘者巳ニ暗ニ天然痘ニ感染シ其潜伏期間ニ於テ接種スルヿ間々之アリ

第十六條 天然痘流行シ種痘ヲ猶豫ス可カラサル際ニハ第一條各項ニ揭クル者ト雖熱性病ヲ除クノ外ハ總テ接種スヘシ

第十七條 種痘中ハ寒冷ヲ避ケシメ成ルヘク淸潔ノ空氣中ニ居ラシムヘシ平常慣習セル食物等ハ總テ禁忌スルニ及ハス又別ニ醫藥ヲ要セス