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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 性病予防法施行に関する件

[場所] 
[年月日] 1948年10月27日
[出典] 厚生労働省
[備考] 
[全文] 

(昭和二三年一〇月二七日)

(発予第八五号)

(各都道府県知事あて厚生事務次官通達)

 今次、第二国会を通過した性病予防法は昭和二三年法律第一六七号として公布せられ、九月一日より施行のこととなり、施行に伴う省令は九月二四日公布され政令も近く公布せられる予定である。この法律は、性病が国民の健康な心身を侵し、その子孫にまで害を及ぼすことを防止するため、その徹底的な治療及び予防を図り、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的として広く諸外国の立法例を参考とし、従来の花柳病予防法及び特例を綜合して立案せられた劃期的なものとして、国会においても慎重審議の上、制定を見たもので、その主旨とする処は左の通りである。

 一 性病の徹底的な治療及び予防は、国、地方公共団体及び個人の義務とし、併せて医師の協力を規定したこと。

 二 性病を急性伝染病と略々同様に取り扱い、医師の届出、感染源の追求、患者の治ゆに至る迄の管理、或いは必要に応じて強制治療、入院又は入所を規定したこと。

  三 性病の対象範囲を一般国民とし、従来法律の主たる対象とした業態者の定期の健康診断を廃止したが、売淫常習の疑の著しい者に対して強制健康診断を命じ得ることを規定したこと。

 四 都道府県知事の健康診断命令は濫用されると基本的人権じうりんの虞があるので、之が救済手段を設ける外、人権尊重に意を用いたること。

 五 性病が子孫にまで害を及ぼすことを予防するため、婚姻、妊娠の場合において、健康診断を受けることを規定したこと。

 六 性病予防施設の整備拡充を地方公共団体に義務付けたこと。

以上の法の主旨に則し、之が実施に当たつては、関係方面との接触も多いので、常に連絡を緊密にせられると共に、此の法の主旨は国民を対象とし、国民の性病を撲滅せんとするもので、これは一に国民の性病に対する知識の普及向上により始めて達成せられることを深く認識の上、思想普及に格段の努力を致され、特に左記事項に留意の上、本法の実施に遺憾のないよう配慮されたく、命によつて通知する。

第一 一般事項

 一 都道府県知事は、この法律の実施責任者として、部下職員の指導監督に当たり、関係各機関と連絡をとり、綜合的対策を樹立し性病の徹底的治療並びに予防を図るものとする。

 二 都道府県知事は法律施行に当たり、左記について留意するものとする。

  (一) 管轄保健所の実情に応じて、法第一〇条、第一一条、第一四条及び第一五条第一項の権限を保健所長(保健所法第一条の政令で定める市にありては市長)に委譲するものとする。

  (二) 前号の権限委譲の際は、地方財政法第二八条の規定により、経費の財源については必要な措置を講じなければならない。

  (三) この法律に基いて発する健康診断、治療及び入院又は入所の命令は集団に対するものでなく個人に対するもので、本人の氏名、住所、病院又は診療所の指定その他必要事項を記載した命令書によるものとする。

 三 保健所長は委譲せられたる権限の実施に当たりては、克く部下職員に法について周知徹底をはかり、又その運用に習熟せしめ、管下の思想普及の任に当たると共に医師との連絡、協力に意を用うること。

 四 医師の協力について、本法は特に第四条にその責務を規定しているのは、第六条以下において、医師に公務員に準じたる権限を与えると共に、種々の義務を課しておるからで、この法の運用は医師の積極的協力に依ること多きに鑑みて、都道府県知事は医師会を通じて、本法の周知徹底を図り以つてその協力を求めると共に保健所等の検査施設の整備を行い、医師の利用に便宜を与える等の措置を積極的に講ずること。

 五 この法律の運用は、左に掲げる法規の運用と相俟つて、全きを得るものであるから、之等法規を併せ研究の上、当該機関と常に連絡を行い、法規施行の円滑を期すること。

  (一) 薬事関係

   1 昭和二三年法律第一九七号薬事法は第四一条、第四四条、第五六条において性病の治療薬たるペニシリン、スルフアダイヤジン、スルフアチアソール等で厚生大臣の指定したものが医師の処方箋又は指示なくしては販売出来ぬことを規定してをる。之は性病の徹底的治療及び予防を目的とする本法の趣旨から、危険なる自家療法を防止する為めに必要にして、此の規定の励行されるように薬務関係者と協力し、薬務業者の指導監督に留意すること。

   2 性病予防のための医薬品及び器具の不良なものについては、薬事法第四〇条により、又誇大広告については第三四条の適用を受けるのであるが、特に用具については有害無益なものは勿論、無害無益のものでも公衆衛生上危害を生ずる虞があるものとして薬事法第四一条第六号該当の不良用具として取締に注意され、尚優良品については、適当なる奨励普及の方法を講じ予防の達成に努められたいこと。

  (二) 警察関係

本法の運用は公衆衛生の見地から衛生部において主管すべきもので、警察の協力は衛生部が依頼をしたときに限られるが、この点については、国家警察本部と連絡の上、別途通牒する予定である。

  (三) その他

   1 公衆浴場法第四条においては伝染の虞ある者の入浴の禁止を規定してをるが、性病に関しても公衆浴場における感染も少くないので、外見上性病と分るものについては公衆浴場法第四条の規定に基く措置をとるよう指導し、尚浴場における感染防止についても環境衛生監視員をして十分指導監督せしめるよう留意せられたいこと。

   2 児童福祉法第一九条については、後述第四「健康診断について」第三号参照。

 六 性病の徹底的治療及び予防の思想普及は、此の法律施行の前提条件を為すものであるので、国民の性病に対する認識を左記に留意の上、これが徹底を期せられたいこと。

  (一) 思想普及は性病の正しき知識を主眼とし、早期発見、早期治療、完全治癒を徹底せしめ併せて予防方法をよく確認させること。

  (二) 結婚、妊娠時の健康診断を極力励行させること。

  (三) 性病の思想普及は、やゝもすれば猥せつ{せつに傍点あり}罪を構成する虞があるので本省において先に指導し作製した性病映画(肉体と悪魔)、性教育読本、性科学展覧会を最低基準とせられたい。

  (四) 性教育について特に教育関係者との連絡を密にし、正しい性知識の普及につとめること。

第二 届出について

 一 届出は、この法律運用の根本をなすものであり、従つて医師の届出の励行については、機会を求めて法の内容の説明を医師会に行いその周知徹底に努めること。

 二 法第六条の届出は従来通り無料郵便制によるのであるが、その様式は昭和二三年六月四日発健第五六号「伝染病簡速統計について」に規定されてあるものを採用すること。医師において、患者の居住の場所を管轄する保健所不明なる場合は、最寄りの保健所に提出するも差し支えない。この際保健所長は速やかに患者の居住する場所を管轄する保健所へ送付すること。

 三 法第六条の二四時間以内とは、患者を診断してから二四時間以内に発信することである。

 四 法第七条の規定により、医師が指示に従わない患者又は転帰の届出を為すのは、医師がその事実を知つた時、速やかに行うものであること。但し「患者の治療を受けないとき」とあるは、最後に医師の所へ来てから、無断で治療を受けないで十日を経過した場合において、届け出るものとする。

 五 患者又はその保護者が、医師に対し居住の場所の変更を届け出るのは、文書又は口頭を以つて行うこと。

第三 健康診断について

 一 法第八条から法第一一条までの健康診断術式の細部に関しては、別途通牒する予定である。

 二 法第八条の健康診断については、医師会、青少年団体、婦人団体、学校及び会社工場等に之が励行について普及を図り、結婚の届出の際は、健康診断書の交換の有無について調査し、健康診断を受けていないときは、健康診断をすゝめる等健康診断書を交換すると云う良風を育成し、法文の趣旨達成に努められたいこと。健康診断の方法は通常少くとも梅毒血清反応検査及び尿検査を行うものとする。

 三 法第九条の健康診断は、児童福祉法第一九条の保健指導の際或いは母子手帳交付の際(妊娠四カ月以前を最良とする)梅毒血清反応検査を必ず受けるよう指導し、有毒の場合は、早期の駆梅療法を実施すること。

 四 法第六条の届出による、患者に病毒をうつしたと認められる者及び患者が病毒をうつす虞がある行為をした者は凡て直に検査命令を出すものに非ずして、之等の者に対しては、文書又は調査により健康診断を受けるようすゝめるものとする。これを所謂接触者調査(コンタクトトレーシング)というのであるが、この接触者調査は医師の届出と共に此の法律運用の骨子を為すものであるから、特に取扱を慎重にし、常に関係者を教育し、秘密保持に留意せねばならない。法第一○条の健康診断命令は、接触者調査におけるすゝめに従わず、又は公衆衛生上危害があると考えられた者に対して行うものである。

 五 法第一一条の健康診断命令は、従来の規定により行われた定期の健康診断に代わるものではない。従つて集団に対する命令でなく、個人別とする。

 六 法第一二条のまん延の著しい場合とは、温泉、浴場等を介して突発的に多数患者が発生した場合等を云うこと。

 七 以上の健康診断命令においては、実施の確実及び費用負担の関係より、法第一六条の病院又は診療所を指定して行うを原則とすること。

第四 治療について

 一 治療実施方法については、昨年度の治療対策実施要綱に基き学術的に実施すること。

 二 法第一四条の「性病の治療及び予防上必要があるとき」とは患者が医師の指示に従わず、又は治療を正当の理由なく中絶したる場合等であること。

 三 法第一五条第一項の「必要があるとき」とは、法第一四条の患者の報告に依り治療を受けていない場合又は公衆衛生上支障があると認めるときを云うこと。

 四 法第一五条第二項「特に必要があると認めるとき」とは、他人に伝染の虞がある者に対して個人別に行うものである。単に健康診断を目的として、強制入院入所を行うことは違法である。

「患者の病毒が伝染する虞がなくなるまで」の基準は次の通りである。

  (一) 梅毒においては少くとも砒素剤三回以上及び蒼鉛剤二回以上の注射を終了し、すべての皮膚及び粘膜等における症状が消失したるもの、但し、退院又は退所後も治療を継続することを必要とする。

  (二) りん病{りんに傍点あり}においては、総ての症状が消失し、塗抹標本或いは培養検査が連続三日間三回陰性になる迄。

   (三) 軟性下かん{かんに傍点あり}及びそけいりんぱ{そけいりんぱに傍点あり}肉芽しゆ{しゆに傍点あり}症は創の治ゆ{ゆに傍点あり}する迄。

以上の様に病状に依り相当長期の治療を要するので、売淫常習の疑の著しい者に対しては本人更正の為め治療中の職業指導等に配慮し、退所後も婦人ホーム、婦人団体等と密接な連絡をとり、根本的対策樹立に努力すること。尚売淫初犯者、幼年者に対して強制入院又は入所を命ずる必要がある場合は適当な保護施設を利用し、その施設なき場合は他と病室を区別する措置をとり保護に意を用うること。

 五 第一五条第一項及び第二項の命令においては、実施の確実及び費用負担の関係より、法第一六条の病院又は診療所を指定して行うを原則とする。

第五 施設

 一 法第一六条により都道府県は設置義務がある訳であるが、都道府県においては少くとも病院は一カ所、診療所は、保健所の拡充に依り之を行うものとする。併し乍ら現下の財政状況により適当なる病院或いは病院の一部を代用しても差し支えないこと。

 二 市町村長の設置は任意であるが特に保健所法第一条に基く政令で定める市にありては、前号に準じて設置するを必要とすること。

 三 代用病院又は代用診療所は、法第一六条の病院又は診療所のない所に設置するを原則とし、法の実施に遺憾なきを期すること。尚代用病院又は代用診療所については委託治療費、入院費及び入所の費用のみを補助し、経常費の補助はないのであるから御注意願いたい。

第六 費用

 一 国庫補助は従来通り精算補助であること。

 二 費用の算定基準については、目下大蔵省及び地方財政委員会と交渉中につき決定次第通牒する予定である。

第七 補則

 一 第二二条及び第二三条の当該吏員は衛生部職員、保健所職員にして、その範囲は所属長において限定しおくを必要とすること。

 二 当該吏員が立入調査質問を為すに当たつては、人権じうりん{じうりんに傍点あり}の虞が大なるに鑑み性病にかゝつていると疑うに足りる患者に対してのみ行い慎重に取り扱うこと。

 三 当該吏員に第二五条第三項の趣旨及び秘密漏洩に関する第二九条第二項の規定を周知徹底せしめること。

第八 罰則について

  一 法の適用を罰則を以つて強制することは立法の根本趣旨ではないが、罰則については、一般に周知せしめ、悪意又は証拠が明らかな場合は厳重施行する用意を以つて法の運用に当たり自主的に性病予防を行う様指導せられたいこと。

 二 法第二六条及び法第二八条の罰則は故意犯を対象とするもので、過失犯即ち性病にかかつていることを知らない者は含まないこと。(英文参照)

 三 法第二六条から法第二八条までの適用については適当なる伝染病防止法を講じたる場合は、情状酌量されることも考えられるので、予防方法を慣用する良風を馴致する如く指導せられたいこと。