[文書名] 性病予防法第十一条の運用について
(昭和二五年一一月一四日)
(衛発第八四五号)
(各都道府県知事あて厚生省公衆衛生局長通知)
標記の件に関し解釈上疑義が生じたので当省事務次官より法務府法制意見長官宛別紙1の通り照会した所、今般別紙2の通り回答があつたので御了知の上今後性病予防法第十一条の運用については、特に左記の点に注意し、基本的人権の保護と性病予防の徹底との調和を図るようにせられたい。
記
1 当該吏員が売淫常習の疑の著しい者を発見したときは、先ず自発的に健康診断を受けるべきことを勧奨し、これに同意した者は所定の場所に同行して医師の健康診断を受けさせること。但し、この場合に於ても当局に対する報告には、事務処理の都合上性病予防第十一条による健康診断の中に加えて報告せられたい。
2 前項により勧奨しても一身上の都合等により即時当該吏員と同行することのできない者に対しては、性病予防法第十一条の規定によつて、妥当と思われる時間(概ね二四時間以上)を明記し、その時間内に指定された医師の許に至つて診断を受けることを命ずる旨の命令書を交付すること。この際本人が命令書を受領したことを明らかにする為に受領簿の如きものに住所氏名を記し、且つ捺印又は拇印せしめること。なお、命令書には必ずその違反に対する罰則及び同法第二十五条による訴訟が許される旨を記載しておくこと。
3 指定された時間内に健康診断を受けなかつた者については、その者が正当な理由なくして命令に違反した旨を明らかにして遅滞なく告発の手続をとること。なお、この違反に対する処罰の徹底については、当省からも別紙3の通り法務府検務局及び国家地方警察本部宛依頼しておいたが、売淫常習者の社会的特殊事情にかんがみ、事前に検察当局及び警察当局と十分連絡の上その効果をあげるようにすること。
〔別紙1〕
性病予防法第十一条の解釈について
(昭和二五年五月一二日 厚生省発衛第一〇〇号)
(法務府法制意見長官あて 厚生事務次官通知)
標記の件について左記の点貴官の御意見を承りたい。
記
都道府県知事が、正当な理由により売いん常習の疑の著しい者に対して健康診断を受けるべきことを命じるに当たつて、その命令書を交付する都道府県当該吏員と即時同行すべきことを命じることは、解釈上不当であるか否か。
〔別紙2〕
1 問題
都道府県知事が、性病予防法第十一条の規定に基いて、正当な理由により売いん常習の疑の著しいと認められる者に対して、健康診断を受くべきことを命じるに当たつて、その命令書を交付する吏員と即時同行すべきことを命ずることができるか。
2 意見
お尋ねの場合、本人の同意がないのにかかわらず、当該吏員と即時同行せしめることは、現行性病予防法の下では、できないものと解する。
3 理由
およそ、人の身体の自由は、憲法第三十一条の規定を指摘して論ずるまでもなく、基本的人権の尊重を基調とする憲法の趣旨からいつて、国家権力のいかなる作用に対しても当然保障せられるべきものであつて、公共の福祉の見地からこれを制限するには(憲法第十二条及び第十三条参照)、法律の明文に基くことが必要であり、その明文の規定自体も、公共の福祉に適合する限度をこえて適用されるようにこれらを解釈することは許されない。ところで、性病予防法第十一条の規定は、お尋ねの点に関しては、都道府県知事(以下単に「知事」という。)が正当な理由により売いん常習の疑の著しいと認められる者に、性病にかかつているかどうかについて、医師の健康診断を受くべきことを命ずることができる旨を定めているのみであるから、同条の規定は、健康診断を受くべき旨の命令(以下「健康診断受診命令」という。)を受けた者に対し、その義務の履行を強制するため実力の行使を許したものと解することのできないことはもちろんであるが、同法第三十二条第四号の規定は、健康診断受診命令に違反した者を一定の刑罰に処する旨を定めているのであつて、このことは、その制裁を受けることなしには身体の自由の拘束を免れ得ないという結果--いわゆる間接の強制--をもたらすものであるから、知事が健康診断受診命令を発することができる規定があるからといつて、直ちに、診断を受くべき時期を即刻の時点に指定することが許されるものと解することはできない。けだし現行性病予防法は、性病の予防と、その害毒の及ぼす危険は、憲法の保障する基本的人権のうちで最も貴重なるべき人の身体の自由に対する即刻の制約を義務づけなければならないほど、公衆に対してさし迫つた緊急性をもつものであるとは一般に認められないとの見解の下に、性病にかかつているかどうかについて医師の健康診断を受けさせるには、命令書交付の時から一定の合理的な時間的余裕をおいて診断の時日を明確にし、診断を受ける者をして、指定された時日にみずから医師を尋ね診断を受けさせれば、その目的を達し得るものとしてその規定を設けているものと認めるべきであるからである。
さらに、性病予防法第二十五条の規定に徴して考えると、同条の規定はお尋ねの場合に関しては、知事の健康診断受診命令を受ける者は、その処分が違法であると主張するときは、裁判所にその処分の取消の訴を提起することができるものとし、知事は、右の処分をするときは、その処分を受けた者に対して、その処分の取消の訴を提起することができる旨を告げなければならないものとしているのであるが、もし、即時同行を命ずることができるものとすれば、その命令を受けた者はその処分が違法であると主張して裁判所にその処分の取消の訴を提起するか、又はその処分に服して刑罰の制裁を免れるか、突差の判断を強いられるものというべく、かくては法が知事に対して特に右の告知義務を課した意味が事実上没却されるものといわなければならない。本条の規定は、人権の保障についての配慮に外ならないと考えられるが、この趣旨は健康診断受診命令を受けた者が、その命令で指定された健康診断を受くべき時までに、少くとも、その命令に基いて生じた義務を履行することなく裁判所にその命令の取消の訴を提起するかどうかについて正常な事態において考慮することができる時間的余裕を与えることによつて全うされるものと解されるのである。
従つて、お尋ねのように、健康診断を受くべき旨の命令書を交付する吏員と即時同行すべきことを命ずることは、現行性病予防法の下では、できないものと解する。なお、売いん常習の疑の著しい者が健康診断を受くべきことを命ぜられるに当たつて、自己の任意の意志により、命令書を交付する吏員と同行することは、もとより法の禁ずるところでないことは、いうをまたないところである。
〔別紙3〕
(昭和二五年一一月一四日 衛発第八四五号)
(法務府検務局長・国家地方警察本部次長あて 厚生省公衆衛生局長通知)
別紙1の通り法務府法制意見長官宛照会した所別紙2の通り回答があつたので、その趣旨の徹底を期するため、今般各都道府県知事に対し別紙3の通り通知し、この命令の違反者は積極的に告発せしめることとした。ついては貴方におかれてもこの点御諒解の上何分の御協力を御願いする。
{売いんのいんに傍点あり}