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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] トルドー首相主催晩餐会における大平内閣総理大臣の挨拶

[場所] ヴァンクーヴァー
[年月日] 1980年5月6日
[出典] 大平内閣総理大臣演説集,305ー307頁.
[備考] 
[全文]

 トルドー首相閣下、ご列席の皆さま

 私はまず最初に、首相閣下がわれわれのために催して下さったこの盛大な晩餐に対し、また、心暖まる歓迎のお言葉に対し厚くお礼申し上げます。

 首相閣下、私は、また、ただいま意気盛んなる演説を聞かせていただいたことに感謝いたします。お蔭様でこれから帰国して、慌しい参議院選挙の中に飛び込まなければなりません私として、身の引き締まる思いがいたします。この美しい都市ヴァンクーヴァーと、はるかに広がる太平洋をみておりますと、日加両国が太平洋を越えてのパートナーシップを築くにあたり歩んできた長い道のりが、目のあたりに浮ぶがごとき気がいたします。

 約一世紀前に、長野万蔵という最初の日本人移住者がカナダの地に第一歩を印したのは、このブリティッシュ・コロンビア州でありました。カナダでの新生活にかけてやってきた日本人の若者達にとって、ブリティッシュ・コロンビア州は、まさに彼らが初めてみる希望と幸福の地であったわけであります。

 ほぼ同じ頃、皆さまの祖先は、新たなフロンティアを見出すべく、西方への歩みを進めておられました。一八八〇年には、マクドナルド首相が大陸を横断するカナディアン・パシフィック鉄道の建設を決定されました。今日、日本とブリティッシュ・コロンビア州は、太平洋をはさんだ隣人として、われわれが誇りうる強固な関係を築いております。われわれ日本人にとって、ヴァンクーヴァーは、カナディアン・ロッキーの山脈を越えて広がる美しく豊かなカナダへの玄関であります。カナダの皆さま方にとっては、ヴァンクーヴァーは、太平洋とアジアの隣国に対する門戸であります。

 首相閣下、私は、今夕、かつての日加関係の揺らんの地であり、今日は両国関係を支える重要な一つの柱となっているこの地において、貴首相とお会いしていることを心からの喜びとするものであります。

 われわれは、単に日加両国関係をとり上げるのみでなく、はるかに広がる日加協力の地平線および太平洋へ目を向けているのであります。

 首相閣下、われわれは、オタワおよびここヴァンクーヴァーにおける会談において、太平洋をかこむ諸国間の協力の重要性をあらためて確認いたしました。私は、一九七八年の就任演説において、私の基本的政策方針の一つとして、環太平洋連帯構想を明らかにしました。われわれが二十一世紀に向けて前進するにあたり、日本、カナダおよびその他の環太平洋諸国は、太平洋地域の平和と繁栄を確保するために、おのおの建設的な役割を果たさなければなりません。

 私は、さる一月に豪州とニュー・ジーランドを訪問した際に、両国首脳との会談において、この構想についてともに考え合いました。北米大陸を離れる前夜において、私は、この価値ある試みに対して貴首相が積極的な関心を示されたことについて非常に満足しており、かつ、力づけられました。

 首相閣下、もう一つ喜ぶべきことは、日加両国において、お互いについてもっと学び知りたいとの関心が増大している点であります。このような気運は、育てられ、増進されなければなりません。私としては、日本政府がブリティッシュ・コロンビア大学アジア・センターの日本研究に対し、向こう三年間にわたって五十万ドルを拠出する意向であることをここに発表することを喜びとします。私は、アジア・センターがカナダ、日本およびその他のアジア諸国の間の文化的きずなを強める上で中心的な役割を果たすことを衷心より希望いたします。また、私は、私なりにカナダの歴史について少し調べてみました。これによりますと、一八八五年にカナダ太平洋鉄道が完成した折、ブリティッシュ・コロンビア州内でサー・ドナルド・アレクサンダーによって最後の釘が打ち込まれました。この歴史的な偉業を記念して、その土地は「クリガラキー」と名付けられました。それは、ゴール語で「希望と成功」を意味します。今夜、貴首相とともに、この「クリガラキー」なる言葉を分かち合い、もって将来の太平洋地域の断えざる繁栄を祈念したいと思います。

 私は、貴国滞在中、カナダ人の心に精力的なパイオニア精神がいまなお生き続けていることに印象づけられました。このパイオニア精神の清新さ、純粋さは、ブリティッシュ・コロンビア州でいま咲いている私の大好きな花・水木を想起させてくれます。それでは最後に、トルドー首相閣下のご健康とご繁栄および両国の一層の友好のために乾杯したいと思います。