データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 中共対策要綱案および吉田茂元首相の張群国府総統府秘書長あて書簡

[場所] 
[年月日] 1964年2月26日
[出典] 日本外交主要文書・年表(2),493頁.サンケイ新聞社「蒋介石秘録」第15巻,164−5頁.
[備考] 
[全文]

一,中国大陸六億ノ民衆ガ自由主義諸国ト平和的ニ共存シツツ,此{前2文字これらとルビ}諸国トノ貿易ヲ拡大シテ,世界ノ平和ト繁栄ニ寄与出来ル様ニスル為ニハ,中国大陸民衆ヲ共産主義勢力ノ支配ヨリ解放シ,自由主義陣営内ニ引キ入レルコトガ肝要デアル。

一,右目的ノ為,日本,中華民国両国ハ具体的ニ提携協力シテ,両国ノ平和ト繁栄ヲ実現シ,自由主義体制ノ具体的模範ヲ中国大陸民衆ニ示スコトニ依リ,大陸民衆ガ共産主義政権ヨリ離反シ,共産主義ヲ大陸カラ追放スル様,誘導スルコト。

一,中華民国政府ガ中国大陸内ノ情勢,其他{前2文字そのたとルビ},世界情勢ノ変化ニヨリ,客観的ニ見テ,政治七分軍事三分ノ大陸反攻政策ガ成功スルコト確実ト認ムル時ハ,日本ハ大陸反攻ニ反対セズ,之ニ精神的道義的支持ヲ与フルコト。

一,日本ハ,所謂{前2文字いわゆるとルビ}二ツノ中国ノ構想ニ反対スルコト。

一,日本ト中国大陸トノ貿易ハ民間貿易ニ限リ,日本政府ノ政策トシテ,中国大陸ニ対スル経済的援助ニ支持ヲ与フルガ如キコトハ,厳ニ之ヲ慎シムコト。

吉田茂元首相の張群国府総統府秘書長あて書簡

 岳軍先生(張群の号)。先日お手紙をさし上げましたが,お目通しいただけたでしょうか。

 このほど三月四日付のお手紙とともに,会談記録(吉田−蒋会談。三回分)および中共対策要綱案を拝見しました。第三次会談記録の小生の談話の中で,インドとあるのはインドネシアの誤りですので,ご訂正ください。その他については,おおむね誤りはありません。とくにお手紙をさし上げます。(以下はあいさつのことば)

吉田茂謹啓 四月四日

編注 蒋介石国府総統と吉田茂元首相の会談は,1964年2月24日(総統府−台北),25日,26日(日月潭)に挙行された。26日台北において,張群国府総統府秘書長と北沢直吉衆院議員との間で作成された合意の確認書が「中共対策要綱案」とされる。