[文書名] 日中覚書貿易会談に関する周恩来首相の発言
一,日工展は日本の友好企業の方々の努力によって開かれたものだ。上海会場では展示しないことになった責任は明らかに佐藤政府の側にある。いまの情勢は佐藤(首相)の思うように発展していない。いま多くの日本の友人は,中国の状況をよく知っているが,日本当局はぼんやりしている。その点ではアメリカよりも劣っている。日工展の展示を佐藤(内閣)が許可しなくても,中国の労働者は自分でつくれる。中国でも一部で,あるものは外国から入れなければならないと考えているが,彼らは中国の機械は,労働者の積極性に頼れば,意表をつくようなこともできることを知らない。これは中国で機械はいらないということではない。ある場合,一方の国にはあっても,他の方にはないものがあり,原料,材料,資材,製品,設備も有無相通じ,互恵平等の原則で貿易をやることができる。
覚書貿易も同様である。宇都宮,川瀬先生は愛知外相の発言を読みましたか。今回締結したコミュニケの中にはっきりと名ざしではないが,これに対するけん責が行われたことはうれしく思っている。佐藤政府は,今回のコミュニケについて内政干渉したといっており,日共修正主義も内政干渉だといっている。なにをいっているのか。当り前のことだ。佐藤(内閣)こそ中国の内政を干渉している。見捨てられている蒋介石一味を天まで持上げている。(宇都宮日工展会長の「初めての一九五九年訪中後十年たったのにまだ国交回復できないで恥ずかしい」という発言に対して)かまわない。まだ時間がある。宇都宮先生が松村先生の年ぐらいになるまでにはそれを見ることができる。
二,佐藤(首相)は岸(元首相)の弟であるが,兄より遅れている。経済を彼らの政治に服従させている。彼らの政治は米帝国主義に服従する政治である。日中貿易を,このような政治に服従させることはだめだ。彼はあまりにもおごり高ぶっている。日中間に政治がなくて,どうして往来ができるか。政治がなくて覚書事務所は設定できるか。友好商社の人々は日中友好に努力し,日中戦争状態を終らせ,日中間の国交を打ちたてることに努力し,台湾は中国の内政問題であるとしている。私はこれを歓迎する。そこで北京展が開かれた。上海展での日工展の停止は,佐藤(内閣)が十九品目の売却を許さず,十九品目の展示を許さないという手をわざと使ったことによる。
毛主席は教師には二種類あるといわれた。出品に努力した友好商社は正面の教師である。佐藤(内閣)が許可しなくても中国の学生は,必ずこれをつくる。一九五九年にフルシチョフが原子力協定を破棄し,一九六○年にはすべてのソ連技術者を引揚げさせた。フルシチョフありがとう。そのため中国は一九六四年に自分の力で原子爆弾をつくり上げた。対共産圏輸出統制委員会(ココム)でフランス,西独,ベルギー,イタリアはアメリカのいうことを聞いていない。佐藤(内閣)が一番アメリカのあとにくっついている。北大西洋条約機構(NATO)東南アジア条約機構(SEATO)も変化をみせている。
三,ベトナム戦争で,アメリカ帝国主義は十七万平方キロメートルの土地と千四百万住民しかいない地方に,海軍を除いて五十三万の軍隊を出しても壁にぶつかった。ジョンソンもこれを解決できず,ニクソンもどうしてよいか手のつけられない状態にある。彼ら自身,予想できなかったのである。アメリカ帝国主義はあまりにも手をのばしすぎて,おせっかいをしている。
日本の広範な人民は絶えず目ざめている。米帝がアジアで戦争を進めるとき,日本を戦争にしばりつける。しかし米帝はアジアでは,いつも壁にぶち当っている。第二次世界大戦後,蒋介石の五百万の軍隊に装備を与え,内戦をやらせたが蒋介石一味は中国から追出された。中国の開放一年後,米帝は朝鮮で戦争を始めた。三年間戦争をして壁にぶち当った。ベトナム戦争は十年余になる。米帝の戦争はみな不正義の戦争である。米帝はどこかの国を仕立てて戦争をやらせようとしたが,ついに自分自身,前線に立たざるをえなかった。
四,ソ連の修正主義という名は理解できるでしょう。日本の軍国主義時代,帝政ロシアと戦争をやった。いまソ連が侵略しようとしている。主要な敵は米帝であるがソ連修正主義もいたるところで,他人の国を侵略し,大国排外主義の態度をとっている。われわれはこれを社会帝国主義と呼んでいる。日本の自民党の側にいるみなさんは,第九回党大会開幕に祝意を述べられた。だのにソ連修正主義は第九回党大会開催を不法であるとわめいている。その「法」とはどこから出たか。自分で建設した党の会議を,中国の人々が正しいと思っているのに,ソ連がこれに干渉する権利はどこにあるのか。これは大国排外主義の現われである。修正主義は人民の側に立たず,少数の修正主義集団の利益から出発している。
(宇都宮会長の沖縄,千島が日本領土であることについての質問に対し)琉球は古代では中国の属国として中国の王朝に貢物を納めていた。しかしその後,日本人が居住した。今日米帝に占領されているが,日本人民はこれを取返さなければならない。歯舞(はぼまい)については自分の記憶するところでは,毛主席も日本の人々に日本のものであることを話された。ここに居住しているのは日本人民である。日本側の返還要求には理由がある。
しかし領土問題は話合いにより解決しなければならない。武装力で侵入し,武力による圧力で解決しようとするのはよくない。インドも英帝国主義の中で領土侵犯のあとを受継ぎそれを自分の領土にしようとしたが,結局一九六二年に中国側の反撃により壁にぶち当った。しかし中国側は,そのときまで習慣となっていた線まで引下がり,捕虜を返し,また捕獲した軍事装備も返した。
(川瀬氏の友好貿易についての質問に対して)友好商社が日本の民族独立のために米帝,ソ連修正主義,佐藤政府,日共修正主義に対し,日本人民とともに戦い,互恵平等,有無相通ずる原則に従って努力すれば必ず発展する。
(一九六九・四・九,朝日新聞)