[文書名] 日本の防衛白書に関する人民日報報道
日本軍国主義復活の動かせない証拠
(人民日報 新華社記者報道)
佐藤反動内閣は長期の画策をへて、さる10月20日いわゆる「防衛白書」を発表、つづいてその翌日第4次軍備拡張計画草案の概要を公表した。この二つの反革命的文書は、日本軍国主義が米帝にもりたてられて復活していることを示す動かせない証拠であり、日本軍国主義が対外進出に拍車をかけ侵略戦争の準備をすすめていることを示す危険信号であり、それはまた日本反動派の日本人民とアジア・太平洋地域諸国人民にたいする新たな挑戦である。
白書の重要な特徴の一つは耳ざわりのよいことばをたくさんならべたてて、日本反動派に幾重ものベールをかぶせていることであり、これは日本軍国主義のずるがしこさを十分に物語っている。日本反動派は、往年の日本軍国主義がさんざんな悪名を流しており、現在かれらが軍国主義のふるい道をもう一度あゆもうとすれば、必然的に内外人民のはげしい反対にぶつかり、数かずの困難に出あうであろうことをよく知っている。そのため、かれらは極力平和のベールでその凶暴な正体をおおいかくして、日本軍国主義にたいする人びとの警戒心と用心をとりのぞこうとしているのである。白書は、日本の「目標は平和である」だの、「軍事大国になることはない」だの、日本は「政策として核装備をしない」だの、「海外派兵はおこなわない」などとさかんにのべたてている。これらは、いずれも人をだますためのつくり話である。偉大な指導者毛主席が1937年に指摘したとおり、「日本の外交家の耳ざわりのよいことばは、すべてその戦争準備をおおいかくす煙幕にすぎない」のである。
事実、白書自身が日本軍国主義の平和の偽装をひきはがしている。
白書は冒頭から露骨にも、「1970年代は日本の国力が世界にたいして前例のない重みと影響力を持つ時代となろう。そのことは(日本の)国際的責任が重くなることであり、そしてまた(日本が)国内的にも国際的にも、経済成長にともない生ずる深刻な問題を解決しなければならない時代となろう」と高言している。このことばは、70年代における日本反動支配集団の内外政策の全般的綱領である。このことばは、日本反動支配集団が、かれらのいわゆる「経済大国」の目標はすでに達成されたと思いこみ、現在は海外にたいしていちだんと進出・侵略するため、日本をいわゆる「軍事大国」にしようと急いでいることを示している。白書のいう国内、国際の「深刻な問題」とは、日本国内の日ましに激化する階級矛盾、および日本経済に存在する奇型的発展、悪質な成長と原料の欠乏、市場の狭隘性との先鋭的な矛盾のことである。しかもこれらの矛盾を「解決する」ため、日本反動派は軍備の大拡張をおこない、日本人民の革命闘争を弾圧するとともに、軍事力を後ろだてにして、他国の資源を略奪し、海外市場を強奪しようとしているのである。白書のいう日本の「国際的責任が重くなる」とは、日本反動派がすすんで米帝のアジアの憲兵の役をつとめ、それによって自己の植民地勢力圏を拡張するということである。これで、アジアの再制覇をねらう日米軍国主義の大それた野望がすっかり明るみに出たわけである。
白書は、日本の軍備を「必要かつ相当大きい水準に」保持するとわめいている。第4次軍備拡張計画によって定められた直接軍事費は第3次軍備拡張計画の2倍半に相当し、第1次軍備拡張計画の約11倍にのぼっており、以前の3次にわたる軍備拡張計画の直接軍事費の累計にくらべ更に48億4、000万ドルも多い。この計画は、海空軍を重点的に発展させ、陸軍の火力と機動力を強化し、ミサイル部隊を拡充し、攻撃用兵器を開発することを規定している。これは、日本反動派が軍備拡張・戦争準備を全面的・加速度的におしすすめるうえでの青写真である。
白書は、日本が核兵器をもつのは「憲法上可能である」とか「小型の核兵器が自衛のため必要最小限の実力以内のものであれば、これを保有することは、法理的に可能である」などとのべたてている。実際には、日本反動派はとっくに核武装の準備に拍車をかけている。現在、かれらはまたアメリカと濃縮ウランの生産を共同して経営し、核兵器を簡単に秘密製造できるようにしようとしている。したがって、日本政府の公式文書が、日本は核兵器をもつことができると公言したことは、核兵器の獲得を急ぐ日本軍国主義のはげしい欲望をあますところなく示すものである。
白書には、侵略戦争を準備するために、なん千、なん百万という日本人民をタマよけにしようとする日本反動派の罪悪的陰謀がひそんでいる。佐藤反動内閣は白書を発表するにあたって、「徴兵制度はとらない」という語句を削除した。これで、いったん日本反動派が必要と認めたばあい、かれらはただちに、往年ファッショ的侵略戦争が発動された際の、日本人民を苦難の深淵につきおとした徴兵制を復活しようとしていることが、はっきりと立証されたわけである。
白書はまた、日本軍国主義が植民地的進出をおこない、侵略戦争発動の準備をすすめるのに奉仕するため、一連のまぎれもない帝国主義強盗の理論をデッチあげている。
一にいわく、「海上自衛隊と航空自衛隊」は「日本およびその周辺の海域および空域における制海権、制空権を確保し」なければならない。なにが日本の「周辺」だ。日本の「周辺」をいったいどこで仕切ろうというのか。日本反動派は、マラッカ海峡や全東南アジアは日本の「生命線」だとわめいているではないか。これは、かつて日本軍国主義が「大陸は日本の生命線だ」などとがなりたてていたのと、まったく同じである。日本軍国主義の昔からの論理にしたがえば、かれらが進出しようとするところは、どこでもみなかれらの「周辺」となるのである。このようないわゆる「周辺地域防衛論」は、文字どおり帝国主義侵略者の言い草である。
二にいわく、「侵略を早期に排除する」。これはなにも新しい発明ではない。それは、アメリカ帝国主義の「先制攻撃」「予防戦争」など侵略理論の日本版にすぎない。いわゆる「侵略を早期に排除する」とは、「侵略排除」を口実にして侵略をおこない、「早期排除」を口実にして他国に奇襲をくわえることなのである。
三にいわく、「間接侵略に対処する」。これは、なおさら、日本反動派がその主人アメリカのところから拾ってきたガラクタである。アメリカ帝国主義はずっと民族解放運動と各国人民の革命闘争のことを、「間接侵略」だと中傷してきた。日本反動派がそのしりうまにのって同じ議論をさかんにのべたてているのは、それを口実にして、対内的にはファッショ化を強め、対外的には侵略・進出に拍車をかけようとしているものにほかならない。
佐藤内閣の白書は、一方では、「日米安全保障体制は必要なものである」とか、日米の軍事力は「互いに提携し」「共同で防衛し」なければならないなどと大いにわめきたて、他方では、中国人民、朝鮮人民、ヴィエトナム人民を狂気のように攻撃している。それは、米帝の中国、朝鮮、ヴィエトナムにたいする侵略を、これらの国ぐにの「分裂」といいくるめ、アジア人民の反米闘争を、「国際的衝突の根元」といいくるめている。これはまったく、恥しらずな黒白の転倒である。日本反動派のこのような叫びは、日本軍国主義がひきつづきアメリカ帝国主義に追随し、その侵略のほこ先を直接中国人民、朝鮮人民、ヴィエトナム人民、カンボディア人民、ラオス人民、東南アジアとアジア諸国の人民にむけていることを物語るにすぎない。米帝にもりたてられて復活している日本軍国主義は、すでにアジア諸国人民の共通の敵となっているのである。
日本軍国主義のいわゆる「精神的支柱」を再建するために、佐藤反動内閣は白書のなかで、日本人民にきわめて反動的な「武士道」精神をさかんにそそぎこんでいる。白書は、「開拓精神を保持」しなければならないだの、「自分の生命を犠牲にすることもいとわず、身を挺して自分の祖国を守る」という「愛国心」をもたなければならないなどとわめきたてている。「開拓精神」だの、「愛国心」だのというものは、「武士道」精神の同義語にすぎない。人びとは、まさにこのような「武士道」精神の扇動のもとに、日本軍国主義が30年代と40年代の侵略戦争のなかで、なん千なん百万という日本人の生命を葬り去ったばかりか、アジア人民に大きな災厄をもたらしたことを忘れないであろう。こんにち、日本反動派がこのような「武士道」マニアをふたたびあおっているのは、日本人民をかりたててアメリカ帝国主義とひとにぎりの日本独占資本の利益に命をかけて奉仕させようとするものにほかならない。日本反動派のこのような陰険で悪らつな企みにたいして、偉大な日本人民はかならず高度の警戒心を保持し、けっしてその手にのらないであろう。
日本軍国主義は昔から一貫して、極度にずるがしこい手口をもてあそんで、その侵略、進出と戦争準備をおおいかくしてきた。かれらはつねに「東亜の平和」だの、「共存共栄」だの、「親善」だの、「提携」などという、いかにも堂々とした看板をかかげて、いたるところをかたり歩いてきた。こんにち、日本反動派は軍国主義のふるい道をふたたび歩むにあたって、いっそう隠ぺいした、悪がしこい策略をとっている。だが、日本軍国主義がどんなに装いをこらそうと、日本人民とアジア諸国人民をあざむくことはできない。70年代のこんにち、日本人民の自覚はかつてなく高まり、アジア人民の革命勢力はかつてなく強大になっている。日本軍国主義が昔の夢をもう一度見よう、再起しようとしても、それは絶対にできない相談である。もしも日本軍国主義がそのふるい道をあくまでも歩もうとし、あえて新しい侵略戦争を発動するなら、かれらは以前よりもっと惨めな失敗をなめ、永遠に怒とうさかまく太平洋の底に葬り去られるだけである。