データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 陜西省省長主催歓迎宴における竹下内閣総理大臣の挨拶

[場所] 西安
[年月日] 1988年8月29日
[出典] 竹下内閣総理大臣演説集,202−204頁.
[備考] 
[全文]

 侯宗賓陜西省省長閣下

 並びにご在席の皆様

 今夕,私共一行のためにかくも盛大な,心のこもった宴を催していただきましたことに対し,厚く御礼申し上げます。また,ただいまは省長閣下より友情あふれるご挨拶を賜り,有難うございました。今回の西安市訪問に当たり,陜西省政府,西安市政府並びに関係者の皆様からは周到かつ暖かいおもてなしを賜りました。心から感謝の意を表します。

 本年は両国の間に平和友好関係の重要な礎が樹立されて十年目の意義深い年であります。この時期に中国政府のお招きを受け,貴国を訪問することができましたことは,私共にとって大きな喜びであり,また光栄であります。

 日中両国民の往来と友誼は,貴国の漢,魏両王朝以来二千年の長きにわたり連綿として絶えたことがありません。この悠久の歴史から見れば,日中平和友好条約締結から今日までの十年は,きわめて短い時間にすぎないかもしれません。しかし私は,両国政府と国民が恒久的な平和と友好を希求するという共通の願望から,決意を新たにして共に手を携え歩んできたこの歳月は,日中交流史上画期的な意義と影響を有する十年であるとともに,新たなる二千年の友好関係へ向けて力強い前進を印した意義深い十年であったと考えるものであります。

 ご在席の皆様

 私は総理大臣就任以来,日本として如何に世界の平和と繁栄に貢献していくかということが,今後の日本の将来にとって,最も大切であるという考えから,二十一世紀に向けての重要政策目標として「世界に貢献する日本」の建設ということを掲げ,その実現に努力してまいりました。我が国にとって,世界の平和と繁栄を確保するため,自らの国力に相応しい役割を積極的に果たすことは当然の責任であると信ずるからであります。

 日中関係につきましても,私は広く世界を念頭に置くべき時期にきていると考えます。すなわち私は,日本と中国のそれぞれが今後世界に占める比重を考えるとき両国の責任は極めて大きく,日中関係も単に両国のみならずアジア・太平洋地域ひいては世界の安定と繁栄にとって極めて重要であります。かかる観点から,今回貴国指導者の方々との会談の中で,今後の日中関係のあるべき姿について十分な意見交換を行いえたことは,私の今次訪中における最大の成果であったと確信いたします。

 ご在席の皆様

 私は,今次訪中で,首都北京のみならず,我が国との二千年来の交流の歴史の上で格別に重要な位置を占めている西安及び敦煌の両地を訪問できたことに個人的にも浅からぬ感慨を覚えております。

 本日敦煌訪問を終え,先ほど,ご当地西安に到着するまでの途次,機上から正に「平沙 万里 人煙を立つ」とうたわれた茫漠たる砂と荒地の広がりを眺望しました。私は,その壮大な景観を眼下にしながら,この砂に埋もれている幾多の名も知れぬ先達や行人の足跡に,今日生を受けている我々が多くの恩恵を与えられていることに深く思いをいたしました。

 私共は明日,西周以来金城千里の地として幾多の王朝が都と定めたこの西安で,偉大な文化遺跡の幾つかにご案内いただくことになっております。西安,すなわち,いにしえの長安は,我が国から多くの知識人が貴国に学問と文化を求めて,はるばる千里の海を越えてやってきた憧れの地でもあります。現在においても我が国の有識者で当地を訪ねたいと願うものは多く,文人宰相として知られた大平正芳総理も一九七九年,その逝去の半年前にここを訪問されました。まさに西安は日中文化交流と両国民の友情交歓の原点であると申しても過言ではありません。

 盛唐の詩人王維は,親友阿倍仲麻呂の帰国を送る詩の中で,「別離 方に異城音信 いかにしてか通ぜん」と嘆きました。しかし,交通通信手段が発達した現在,西安と日本各地との往来と通信は格段に容易になりました。友好往来は今後益々発展すると存じます。長安の文化の豊かさと深さは,到底,数日間の滞在では味わい尽くせるものではないでありましょうが,時間の許す限り多くの方々と出会い,当地の文化遺産を拝見させていただきたいと考えております。

 ご在席の友人の皆様

 それではご主人の盃をお借りし,

 日中両国の新たなる二千年の友好のために,

 陜西省と西安市の発展のために,

 侯宗賓{コウソウヒンとルビ}省長閣下並びにご在席の友人の皆様のご健康を祈り,

 乾杯したいと存じます。

 乾杯!