データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] メスメール首相主催晩餐会における田中内閣総理大臣挨拶

[場所] 
[年月日] 1973年9月27日
[出典] 田中内閣総理大臣演説集,280−282頁.
[備考] 
[全文]

 メスメール首相閣下、御列席の皆様

 私はちょうど二十年前、一議員として貴国をはじめ西欧の数カ国を訪問しました。今日再びパリを訪れて、古く典雅な街並みが昔と全く変わりなく残され、世界中の多くの人々の郷愁をかき立てている反面、他に類例を見ない大胆でかつ大規模な開発と再建の事業が随所に進められている模様に接して、深い感銘を覚えております。しかも、古いものと新しいもの、自然と人工とが大きな全体的調和の中に整然として併存していることに、ひとしお感嘆を深くしている次第であります。

 私は、二十年振りに貴国を訪れましたか、その間に、フランスに無関心であった訳ではありません。母国の文物、制度を一所懸命勉強しました。世界の範とすべき貴国の鉄道から下水道、道路舗装率から街路面積など、国土の総合的開発に関するあらゆる貴国のデーターは、私の脳裏に刻みこまれております。パリの公園面積は三千ヘクタールであるのに、東京はその半分以下にすぎないことも承知しております。私は、日本列島改造論のなかで、「バリのルクサンプール公園を散歩すると、緑の木立のなかの人の姿がチラホラ見える程度で、小鳥かさえずるのどかさである。日本の公園のように休日になると人があふれ、べソチは満員で、すわるところもないという風景はまず見あたらない。このことは、公園や、地の果たす役割が外国では十分に認識されていることを物語っている。」とのべております。

 かく申し上げていることは、私の著書を宣伝するためでは毛頭ありません。むしろ、われわれが如何に多くをフランスから学びとっているかを申し上げると共に、日本が直面している多くの問題をご説明したかったからであります。

 一八五八年は、スエズ運河会社が設立された年であります。その年に、わが国が貴国と日仏修好通商条約を締結して以来、学術、文芸の面のみならず、政治、法律の分野においても、貴国は、わが国に大きな影響を及ぼしております。ルッソーの政治思想、ナポレオン法典等は、わが国の近代化に大きく貢献しました。私は馬術愛好者であり、騎兵隊に所属したことがありますが、わが国の馬術はフランスの騎兵学校に学んだのであります。

 私は、郵政大臣であったため関心を持っておりますが、わが国最初の官用通信電信機二台は、一八六九年にフランスから購入したものであります。わが国ではじめて飛行した航空機は、フランスから一九一〇年に輸入したファルマン機であります。また、原子力の分野では、原子力発電所から出てくる使用済燃料を処理するわが国最初の再処理工場は、フランス製のプラントであります。さらに、日本の主なデパートには、フランス香水などの化粧品があふれ、日本婦人が羨望の目で見つめるパリ・ファッションのコーナーがあり、紳士用の高級ネクタイ、ぶどう酒等が数多く並べられております。このように、わが国の市場は、フランスの商品、資本と技術のために解放されているのであります。しかも今後、わが国の経済政策が、福祉優先、輸入重視を指向するにともない、人口一億を有する市場は、疑いもなく、貴国にとって魅力のあるものとなると確信いたします。昨年、わが国から花の都パリを訪れた日本人は四万人以上でありました。これに反し、わが国を訪れた貴国民は一万五千人にとどまったのであります。もし、世界一のフランス料理に固執されるのであれば、わが国一流のホテルには、数多くのフランス人のあるいはフランス仕こみの料理番がいて皆様をお待ちしていることを申し添えたいのであります。

 私は、伝統的に良好な関係にある貴国とは、政治、経済、社会、学術、文化のあらゆる面で血の通った交流が可能であると信じます。かかる交流の積重ねを通じて日仏間に濃密で、間断のない対話がもたらされることを期待してやみません。

 この度メスメール首相以下、フランスの官民が私共一行に与えられましたご歓待に改めて感謝の意を表します。

 フランスの日本におけるプレザンスには既に顕著なものがありますが、私は、皆様の御努力によりこれが一層昂揚されることを期待し、また、日仏協調の輝しい前途を祝福してご挨拶を終わります。

 ご静聴ありがとうございました。