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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] スカルファロ・イタリア大統領歓迎晩餐会における橋本内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1998年4月15日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),494−496頁.
[備考] 
[全文]

スカルファロ大統領、ご列席の皆様

 本日、ここに貴大統領及び令嬢を国賓としてお迎えし、我が国国民及び政府を代表し、心より歓迎の意を表します。イタリアが共和国となってから一貫して国会議員を務められ、政府、国会の要職を歴任された貴大統領を、日本の最も美しい季節にお迎えできることは大きな喜びであります。

 日伊両国の関係は、天正少年使節団がイタリアを訪れた約四百年前までさかのぼりますが、両国の本格的な交流の出発点は、日伊修好通商条約が締結された一八六六年のことであります。

 この条約で両国が結ばれるに至った経緯には興味深いものがあります。当時、欧州では蚕の病気が発生し、絹糸産業が非常な困難に直面しておりました。そこで、イタリアの業者はなんとかして、我が国より丈夫な蚕種を輸入して絹糸産業を救おうとしたのです。この熱意が条約に結実したのであります。

 この絹の「糸」によって始められた両国の絆は、途切れることなく現在にいたっております。一例ですが、プラートと私の故郷の岡山県の間では、繊維産業を軸として交流が行われています。また、私自身、繊維産業の一員として社会人の第一歩を踏み出し、イタリア・ファッションと世界の市場で競いあっておりました。

 イタリアは、ミケランジエロやダヴィンチなど、あまたの天才、巨匠を輩出し、世界の文明の発展に偉大な貢献をしています。マルコ・ポーロが「東方見聞録」で、我が国を黄金の国と紹介したことで、日本はイタリアに格別の親近感を抱いています。

 個人的には、デシーカの名作は私の貴重な青春の一こまでありました。我々の日常生活では、「ジウジアロー」「ピニンファリーナ」は多くの日本人に魔術的な響きを持っています。

 それから、私から言うのも何ですが、世界最高の競争力を持つ日本の企業は、十五世紀イタリア中部の片田舎で生まれたルカ・パチョーリの発明した複式簿記によって、今期いくら儲けたかをはじき出しています。

大統領

 イタリアも日本も、世界のトップ・ファイブに入る経済・技術大国であります。

 さればこそ、私は、日本とイタリアは、世界において協力して責任を果たしていくべきだと考えます。民主主義、人間性の尊重といった普遍的価値のために両国は共に働くべきであります。発展と環境の調和という困難な問題においても、共に働くべきであります。私は既にこの共同作業は始まっていると思います。そして大きな成果を生んでいるのです。

 さらに、国際の平和と安全の維持という極めて重要な問題についても、両国は、大局的な見地に立って協力していくべきです。国連を時代の要請に適合したものとするために、常任理事国の拡大を含む安保理の機能強化は国際社会全体にとっての急務であり、そのための改革が早急に実現できなければ、国連自体が「敗者」となってしまうでありましょう。

 大統領、両国の友好と相互理解の大きな流れは、日に日に強化されています。

 「日伊二十一世紀イニシアティブ」という名の有識者からなる諮問グループは、この大きな流れを一層充実させるものであります。二〇〇一年に予定されている「日本におけるイタリア」では、イタリア・ルネッサンスの傑作美術品が展示されると聞いていますが、それが日本とイタリアの交流の歴史的な一里塚になることは間違いありません。私はここにこのような両国の友好のために尽力されている方々に改めて深い敬意を表するものであります。

 大統領、終わりに臨み、大統領のますますのご健勝をお祈りするとともに、今後とも、貴大統領のご指導の下に、貴国が新しい世紀「テルツォ・ミレニオ」(注 イタリア語で第三の千年、すなわち二千年代という意味)に向けてますます発展し、日伊関係が一層躍進していくことを祈念して、ここに皆様と杯を上げたいと思います。

乾杯!(アッラ・サルーテ)