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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 韓国警備艇による日本漁船および巡視船への銃撃等に対する抗議

[場所] 
[年月日] 1961年3月25日
[出典] 日本外交主要文書・年表(2),338頁.外務省情報文化局「外務省公表集,昭和36年上半期」,55−7頁.
[備考] 要旨
[全文]

 韓国警備艇による第二秋田丸の不法銃撃,だ捕および日本公船に対する不法銃撃事件に対する韓国政府への抗議について

外務省情報文化局発表

 三月二十日,日本漁船第二秋田丸は,済州島東方の公海上において韓国警備艇により不法にも銃撃を受けたうえだ捕され,また,同船の援助に向かつた日本国公船も銃撃を受ける事件が発生した。

 本事件に関し,外務省は,三月二十一日および二十二日の両日にわたり取りあえず口頭をもつて在京韓国代表部に対し,厳重抗議を申し入れておいたが,その後事件に関するわが方の調査がまとまつたので,本二十五日午前,宇山アジア局参事官は,韓国代表部の文哲淳参事官を外務省に招き,口上書をもつて韓国政府に対し,要旨次のとおりの抗議を行なつた。

一,昭和三十六年三月二十日午後四時,日本国漁船第二秋田丸(底曳漁船,トン数は八〇トン,乗組員は中村幸一船長以下十一名)は,済州島東方の公海上において操業中,韓国警備艇一〇五号の追跡を受けたので,南南東に向つて退避したところ,不法にも銃撃を受けたうえ,同日午後八時四十五分,牛島南東約三四マイルの地点において,同警備艇によりだ捕された。

二,緊急連絡を受けて現場に急行した海上保安庁巡視船「くさかき」は,同七時四〇分第二秋田丸を追跡中の韓国警備艇一〇五号を発見し,だ捕を行なわないよう交渉するため同警備艇に接近せんとしたところ,銃撃を受け,ついで現場に到着した水産庁監視船「第二文丸」も約一〇回にわたり同様銃撃をうけた。巡視船「くさかき」は,その後現場に到着した巡視船「いすず」とともに,第二秋田丸がついにだ捕された後も,その釈放方を再三強く要求したが,韓国警備艇はこれに応ぜず,同船を済州島山地港方面に連行し去つた。

三,日本国政府は,三月十五日だ捕された第二進栄丸に関し,日本側より,厳重抗議し,その乗組員および船体の即時釈放を要請した直後に,このたびの第二秋田丸銃撃だ捕事件が敢行されたことを極めて遺憾とするものであり,このような相次ぐ韓国警備艇による不法行為に最も厳重なる抗議を提出せざるをえない。加えるに,日本国政府としては,今回韓国警備艇が日本国漁船及び公船に対し,あえて銃撃を行なつた事実に特別の注意を払わざるをえず,日韓関係正常化のための真摯な交渉が進行中の今日,韓国警備艇がこのような不法かつ非人道的な行為に出たことは,日本政府として絶対に容認しえざるところである。

四,よつて,日本国政府は,大韓民国政府に対し,第二秋田丸の船体および乗組員の即時釈放送還を要求するとともに,大韓民国政府が,本件不法行為につき日本国政府に対し陳謝の意を表し,責任者を厳重に処罰し,本件により日本国関係者の蒙つた一切の損害を賠償し,かつ,この種事件の再発を防止するためあらゆる有効適切な措置を速やかに講ずるよう厳に要求する。