データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] OPEC総会コミュニケ

[場所] ウィーン
[年月日] 1974年12月13日
[出典] 外交青書19号,164−165頁.
[備考] 仮訳
[全文]

 1974年12月12,13日ウィーンにおいて招集されたOPEC第42回総会

 総会は,満場一致で,ヴェネズエラの鉱山・炭化水素大臣であり,同国代表団長DR.VALENTIN HERNANDEZ‐AUCOSTAを総会議長に,ガボンの鉱山大臣で同国代表団長H.E.EDOUARD ALEXIS M’POUY‐DOUTZITを代理議長に選出した。

 総会は,経済委員会の報告を討議し,1974年11月10,11日のアブダビ決議の財政的効果を基礎にした新価格体系を採用することを決定した。

 この決定により,操業中の石油会社からとられる平均政府取り分は,基準原油(MARKERCRUDE)につき,バーレル当り,10.12ドルとなろう。

 この決定は1975年1月1日から75年9月30日まで有効である。

 これに関し,かつ当分の間は,サウディアラビアは,カタール,アラブ首長国連邦と共に,遡及適用され得る新取極を外国石油会社と交渉中であるということが留意されるべきである。

 加盟各国の代表は,石油相・外相合同会議を1975年1月24日,アルジェリアにおいて開催することを,それぞれの政府に対して提案することを決定した。

 総会は,対話を歓迎するという総会の従来の立場を想起し,開発途上国,工業国を含むいろいろな国家グループ間の協議を目指すすべてのイニシアティブを支持し,対決を目的とするすべての行動および術策を非難する。総会は,1975年のOPECの予算を承認した。総会は,クウェイトのOPEC代表MR.ALI KHALIFA AL‐SABAHを1975年の理事会議長に,またリビアのOPEC代表MR.OMAR MUSTAFA MUNTASSERを1975年の理事会の代理議長に任命した。

 総会は,ナイジェリアのCHIEF M.O.FEYIDEを1975年1月1日から2年間,OPECの事務局長に任命した。

 総会で採択された決議は1975年1月13日に公表される。

 ガボン政府の招へいにより,総会は次回定期会合を,1975年6月9日(月)に,ガボンのリーブルビルで開催することを決定した。