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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] アハメッド・オスマン首相(モロッコ王国)の歓迎晩餐会における三木内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1976年2月17日
[出典] 三木内閣総理大臣演説集,166−168頁.
[備考] 
[全文]

 アハメッド・オスマン首相閣下ならびに御列席の皆様

 この度アラブの伝統ある王国であるモロッコ王国より、オスマン首相閣下及び同令夫人ララ・ヌズハ殿下、並びに随行のハッサン・ゼムゥーリイ観光・住宅・都市計画・環境相閣下他御一行をわが国にお迎えし、今夕歓迎の晩餐会を開くことができましたことは私の大きな喜びとし、且つ、光栄とするところであります。私はここに日本国政府及び国民を代表し、心からの感謝と歓迎の意を表するものであります。

 わが国とモロッコとは、東アジアと北アフリカとに遠く離れておりますが、わが国を含む東アジアと貴国との間には古くから種々、文物の交流のあったことが知られております。例えば、十四世紀の有名なモロッコの大旅行家、イブン・バットウータの旅行記にも見られるとおり、その当時からアラブ世界と東アジア各地との間には活発な交易が行われており、一方わが国においても主として中国大陸との交流を通じて、早くから西方アラブ世界については少なからぬ知識と関心がもたれておりました。

 近代に入ってからは、わが国はいち早く一九三〇年代にカサブランカに領事館を設け、これに伴い両国関係は貿易、海運その他多くの分野で顕著な進展を遂げましたが、その結果わが国におけるモロッコに対する関心も急速に高まりました。

 特に第二次世界大戦後のモロッコの独立運動は、わが国においても大きな関心をもって見守られ、一九四七年の先王モヘメッド五世陛下のタンジールにおける有名な独立希求演説には、わが国国民の多くか深い感銘をうけたことが想起されます。

 最近両国関係は、一昨年一月のわが国よりの小坂特使のモロッコ訪問、及び同年八月のモロッコよりのララキ外相の来日等を通じ、政治、経済、文化、その他各分野において緊密の度を加えつつあることは、誠に御同慶の至りであります。今回のオスマン首相閣下の御来日により、この両国関係が一層の増進を遂げることを念願して止みません。

 御承知のとおり、わが国政府及び国民は、中東における公正な平和の確立と経済の発展については、これが世界の平和と繁栄のために不可欠であるとの見地から大きな関心をもつとともに、モロッコを始めとするアラブ諸国民がその実現のために勇気と決意をもって努力を続けていることに深い敬意を表するものであります。

 オスマン首相閣下の今回の御来日は極めて短期間でありますが、わが国各界の指導者との会談等を通じ、わが国の実情について御理解を深められることを念願して止みません。

 ララ・スズハ殿下にはお風邪のため、誠に残念ながら今夕御来臨を得られませんでしたが、速やかにご健康を回復され、日本における残りの日々を健やかにおすごしになることを祈りたいと思います。

 ここにハッサン二世国王陛下の御健康を祝し、オスマン首相閣下の御健康ならびにモロッコ王国のますますの発展と繁栄を祈り、同時にわが国とモロッコ王国の末長き友好を祈って杯を上げたいと思います。