データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] キーティング・オーストラリア首相歓迎晩餐会における村山内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1995年5月26日
[出典] 村山演説集,184−186頁.
[備考] 
[全文]

キーティング首相閣下、令夫人、並びに御列席の皆様

 このたびキーティング首相閣下御夫妻とその御一行をわが国にお迎えし、今夕ここに晩餐を共にする機会を得ましたことは、私にとって大きな喜びであります。

 キーティング首相と親しくお会いするのは、昨年九月の東京、十一月のポゴールに次いで今回で三度目となります。更に本年十一月には、大阪のAPEC非公式首脳会議でお会いすることになっております。このように首相同士が頻繁に会うこと自体が、現在の日豪関係の深さ、緊密さを象徴していると思います。

 今日貴国は日本人が最も訪れたい国の一つであり、昨年は実に七十二万人もの日本人が貴国を訪れています。また、貴国におきましては、今日百人に一人の豪州人が日本語を学習し、これまでジェット計画により千三百名にのぼる豪州人英語教師が日本を訪れています。こうしたそれぞれの文化に対する両国国民の関心の深まりと、姉妹都市提携等を通じた活発な市民交流の進展により、両国国民間の友情の粋は着実に強まっております。先般の阪神・淡路大震災に際し豪州政府及び多数の豪州国民から寄せられた物心両面での支援は、被災地市民のみならず多くの日本人に感銘を与えました。このような両国国民間の心と心の交流は、日豪間の友情の精神を二十一世紀に向けてさらに育む上で、貴重な基盤を提供していると考えます。

 日豪両国は、五十年前不幸な戦争を戦いました。その後日豪両国は和解と友情の確立に向けて国民各層が努力を行い、今日かつてない良好な関係を築き上げるに至りました。私は、貴国を含むアジアの近隣諸国等との関係の歴史を直視することを通じて、相互理解と相互信頼の土台を築くとともに、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、わが国の歩むべき進路であると考えております。私は、戦後五十年を迎えた本年、このような認識を揺るぎないものとして平和への努力を行っていく決意であります。

キーティング首相閣下

 豪州の紋章には、カンガルーとエミューという二匹の動物が描かれております。カンガルーは皆様御存知の通りですが、エミューは、豪州にのみ棲息する、ダチョウに似た翼を持たない鳥であると聞いています。これらの動物は、誠に愛すべき生き物ですが、私は、そこに豪州人魂を理解する「鍵」とも言うべきものが隠されていると思います。それは、彼らが後に退ることがないということ、言い換えれば、前進をこよなく愛する生き物だという点にあります。その姿勢は、豪州という若々しく自由な国、また、進取の気性に溢れた国民の姿に重ねてみることができるのではないでしょうか。貴国の国歌も文字通り「進め美しきオーストラリア」であります。

 貴国は、アジア太平洋地域における国際協力推進のイニシアチブを果敢に発揮してこられました。旧くは一九五〇年のコロンボ計画、近年では一九八九年のアジア太平洋経済協力(APEC)がその例であります。

 貴国がこのように、「ダウンアンダー」と呼ばれて南半球の大陸に引きこもることなく、創造性、積極性を駆使してアジア大平洋地域全体の平和と繁栄のために貢献して来られた姿勢こそ、貴国がこの地域における不可欠のパートナーであることを立証するものです。「論語」には、徳を行っている限り、人は決して孤立するものではなく、必ず良き隣人たる共鳴者が現れるという意味の「徳は弧ならず、必ず隣あり」という言葉がありますが、わが国は、地域的調和への貢献という類い稀な「徳」を誇る貴国の良き隣人として、二十一世紀に向け共に歩んで行きたいと思います。閣下は、昨年の十月のブリスベン演説で、「豪州の将来はアジア太平洋にあり」ということを明言されました。私は、志を同じくする日豪両国が力を合わせることによって、この多様で可能性に満ちた広大な地域の未来を、より確かなものとすることができると確信します。

キーティング首相閣下

 日本と豪州の関係をこれから更に発展させていくことは、今や、時の大きな流れとなっています。本日、私は閣下との間でそうした流れの中に「揺るぎない日豪パートナーシップ」の構築を誓いました。この流れが、二十一世紀という大海原に向けて今後とも滔々と流れ続けることを私は確信します。

 最後にキーティング首相閣下、令夫人、並びに本日御列席の皆様の御健勝と御多幸、そして、日豪関係の益々の発展を祈念して杯を挙げたいと思います。

 乾杯。

 御静聴有り難うございました。