[文書名] ボルジャー首相主催午餐会における橋本内閣総理大臣の挨拶
ボルジャー首相閣下、クラーク労働党党首、ご列席の皆様
今般、日本国の総理大臣としてニュー・ジーランドを訪れることが出来ましたことは、私にとって大きな喜びです。そして昨夜空港までお出迎え下さったボルジャー首相閣下、ご列席の皆様をはじめ、ニュー・ジーランドの皆様よりいただいた温かいおもてなしとご協力に心から感謝の意を表明したいと思います。ことに先日まで続いたペルー事件についていろいろな場所で声をかけて下さいました。事件発生来、笑みが途絶えていました。それまでご支援いただいたことに感謝いたします。
ボルジャー首相閣下、ご列席の皆様
今日ニュー・ジーランドは、大胆な経済改革を実施した国として、世界中で注目を集めております。しかし、これまでも貴国が大胆な改革を生み出してきた歴史を有していることを、私たちはよく承知しております。一八七〇年、時の大蔵大臣ジュリアス・ボーゲルは、大規模な公共事業政策を実施し、ニュー・ジーランドの国家経済の基礎を固めました。これは、ケインズ経済政策の実施であるアメリカのニューディール政策が行われる六十年前のことでした。一八九三年に世界で初めて女性参政権を導入したのも貴国であり、その後もニュー・ジーランドは選挙制度の改革を行い、小選挙区制を採用しましたが、これが良かったことかどうかはわかりません。小選挙区制度の導入として明らかになったことは、私は妻にますます頭が上がらなくなったことです。私が他の人の選挙活動の応援に出かけ、家内が私の選挙活動を行うからです。このように、より良き社会の実現のために常に新たに挑戦を行ってきた友人をアジア太平洋地域に持ち、APECをはじめ、共通の関心事項について意見を交わし、学び合い、ともに働いていくことが出来ることは、私たち日本の国民にとって大変喜ばしいことです。
ボルジャー首相閣下、ご列席の皆様
現在日本とニュー・ジーランドとの間には、一九七三年に、新しい選挙制度の下で私の選挙区となった倉敷市とクライストチャーチ市が姉妹都市関係を提携して以降、三十を越える交流が行われております。ここ首都ウェリントン市も堺市と姉妹都市となり、ボルジャー首相のご子息が堺市でホームステイを行い、ボルジャー首相夫妻のご家族も堺市から子どもたちをホームステイさせていただきました。私はこのような両国民の交流が更に拡大、深化し、相互理解と友情の絆を深めていくことを心より希望しています。そして、第二回のASEM以降早期に、このニュー・ジーランドがアジア側のメンバーとして参加してくれることを期待し、そのお手伝いをしたいと思います。そして私たち夫婦がニュー・ジーランドを訪れたことが、少しでもそのために役に立つことを祈っています。