データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 国後・択捉両島に関する対米照会についての衆議院外務委員会における重光葵外相の説明

[場所] 
[年月日] 1956年3月10日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),735頁.外務省情報文化局「外務省発表集第3号」,8−9頁.
[備考] 
[全文]

 昨年十月米側に対し、日本政府はヤルタ協定についてなんら関知するところなく、また同協定によつてなんらの拘束を受けるものではないが、

(一) ヤルタ会談に参加した連合国首脳は、ヤルタ協定中に「クリール諸島」の語を採用するに際し、直接北海道に近接する国後、択捉両島が多数日本人のみの居住する固有の日本領土であり、かつていかなる外国の支配下にも属したことがなく、また一八七五年の日露間条約においても国後、択捉両島を除いたウルップ島までの十八島のみが「クリール諸島」として定義されているという歴史的事情を承知していたかどうか。

(二) サン・フランシスコ平和条約起草に主たる役割を演じた米国政府は、当時同条約第二条(c)項にいう「クリール諸島」とは国後、択捉両島を含まないものと了解していたかどうか。

ということを質問した。

 右に対し米国側より、

(一) ヤルタにおいては、「クリール諸島」の地理的定義が下されたことはなく、また国後、択捉両島の歴史について論議が行われたこともない。ヤルタ協定は同協定に表明された諸目標を最終的に決定したものではなく、いかなる地域についてもこれに対する権限を移す目的又は効果を有したものでもない。ヤルタ協定の当事国が以前にロシア領でなかつたいずれかの地域をソ連に領有させることを意図したという記録はない。

(二) 「クリール諸島」については、平和条約中にもサン・フランシスコ会議の議事録中にも、なんらの定義が下されなかつた。「クリール諸島」の意義についてのすべての紛争は、平和条約第二十二条の定めるところに従つて国際司法裁判所に付託することができるというのが米国の見解である。

との回答を受け取つた。