データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日ソ交渉第3回会議における重光葵全権陳述

[場所] 
[年月日] 1956年8月6日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),774−777頁.
[備考] 
[全文]

(一)前回の会議において貴大臣は領土問題は既に解決済であり、南樺太、千島、国後、択捉はいずれもソ連邦の領土となつていると言われました。

 しかし領土問題は未解決であるが故に、われわれは平和条約の問題として現在ここに討議を行つているのであります。一九五一年桑港会議にソ連邦を代表して出席されたグロムイコ氏はその演説において「対日平和条約の締結に当つては当然日本との平和処理に関連する幾多の領土問題を決定しなければならない」と言われて、桑港条約が南樺太、千島に対するソ連邦の主権を明白に認めていないことを理由の一つとしてこれの署名を拒否せられました。桑港条約において未決定であると言われた領土問題が、何時いかなる理由で如何にして決定済になつたか、その理由は今日まで少しもソ連邦側より示されておらぬのであります。貴大臣の述べられたことは日本側のみならず、いかなる国も理解し得ないところと思われます。

(二)貴大臣は前回の会議において、幾多の戦時中又は戦後の国際取極を挙げることによつて、あたかも領土問題が決定済であり、日本固有の領土たる国後、択捉の両島までが既にソ連邦の領土であるかのような印象を与えようとされました。しかしながらわれわれは貴大臣の声明を慎重に検討した結果、領土問題は日ソ両国間でこれから協定すべき問題であり、国後、択捉の両島は現在も日本領土であり、日ソ平和条約成立後は当然名実共に日本の領土として確認されるべきものとの確信を益々深くした次第であります。

(三)貴大臣は日露戦争第一次大戦後の極東の混乱等過去のことに言及せられ、日本も又南樺太を奪取したり、ソ連邦領土を占領したことがあるのではないかと云われました。日露戦争が日本の侵略政策から初まつたとすることは歴史的事実ではなく、戦勝者の一方的断定であることは前回述べた通りであります。貴大臣は日本は日露戦争における自からの背信的行為の結果、一八五五年及び一八七五年の条約を援用する権利を失つたと説明されました。私の主張するところは一八○○年代の日露両国間の諸条約においても国後、択捉両島が日本領土たることはロシア側に於ても当然のこととして少しも争は{前1文字ママとルビ}なかつた事実、即ち国後、択捉の両島は前世紀から一貫して日本固有の領土であつた事実を指摘するにあります。ソ連邦側の説くところは歴史上の議論ではなく、戦勝国の力による独断的発言であります。日本は自からの固有の領土は如何なる国に対しても放棄し得ないのであります。

(四)貴大臣は国後、択捉の両島がソ連邦の領土たるべきこの根拠として、先づカイロ宣言を挙げられました。同宣言はポッダム{ママ}宣言第八項により、日ソ両国間の合意をなすに至つたものであることは、御指摘の通りであります。カイロ宣言は「右連合国は自国のために何等の利益をも欲求するものにあらず、又領土拡張の何等の念をも有するものにあらず。右連合国の目的は日本国より一九一四年の第一次大戦の開始以後において日本国が奪取し又は占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、並びに満州、台湾及び膨湖島の如き日本国が支那人より盗取したる一切の地域を支那に返還することにあり、日本国は又暴力と貪欲により日本国の略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」と云つています。国後、択捉の両島は日本が「第一次大戦の開始以後において奪取し、又占領したる」地域ではありません。又この両島は如何に歴史的事実を歪曲して見ても、「日本が暴力と貪欲により略取した地域」であると云うことは出来ません。従つてソ連邦は「領土拡張の何等の念を有せざる。」ことを約したカイロ宣言関係連合国の一つとして日本に対し、国後、択捉の如き日本固有の領土を奪取するの意思なき旨を明瞭にされていたものであります。私はこのカイロ宣言は日ソ平和条約中に付言されなければならないと考えるのであります。

(五)貴大臣は次に降伏文書及びポツダム宣言第八項に言及されました。同宣言第八項は「カイロ宣言の条項は履行せらるべく、又日本の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我等の決定する諸小島に局限せらるべし」といつています。「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」とは、即ち後日平和処理の際に連合国が右の諸小島の範囲を決定する場合においては「日本が略取した島以外の日本固有の島は日本人の手に渡さるべし。」という、同宣言の原則に従つて決めなければならないことを意味します。私は一九四五年九月二日、日本政府及び国民を代表して降伏文書に調印した責任者として、貴大臣に申上げます。日本はポツダム宣言及びそれに含まれるカイロ宣言の条項を忠実に実施してまいりました。又日ソ平和条約の締結に際しても、これに忠実ならんと欲するのであります。これに対応して、ソ連邦を含む連合国側もこれを尊重されなければなりません。従つて国後、択捉の両島は日本固有の諸小島として、日本人の手に返還され得べきでありましょう。

(六)桑港平和条約はカイロ宣言及びポツダム宣言に則つて締結されたものであります。両宣言の原則に則つて日本は桑港条約により千島列島を放棄したのであります。桑港条約が両宣言の原則を踏襲したものである以上、同条約に云う千島列島中に日本固有の領土が含まれていないことは自明の理であります。この自明の理に基づいて桑港条約の調印に際し、日本全権は国後、択捉、歯舞、色丹が、何れもこの日本固有の領土であることを指摘したのであります。ソ連邦はこの条約の調印を拒否されました。従つて私は日ソ平和条約の締結に際しましても、カイロ、ポツダム両宣言に則つた領土問題の解決を要求するのであり、歯舞、色丹のみならず国後、択捉両島の返還を求めるのであります。

(七)前回の会議において貴大臣は更にヤルタ協定に言及され、この協定によつて国後、択捉、歯舞、色丹の諸島がソ連領土となつたと申されました。ヤルタ協定はソ、米、英三国の共同の戦争目的を記した文書たるに止まり、領土の帰属を決定する正式の国際取極めではなく、況んや関係なき日本を拘束することは出来ません。このことはヤルタ協定のソ連邦以外の当事国が等しく明確に認めているところであります。即ちヤルタ協定は英、米、ソ三国首脳が合意した共通目的を掲げたものであつて、そこに掲げられた諸事項を最終的に決定したものではありません。何れにしても日本はヤルタ協定の当事国ではなく、又日本が受諾したポツダム宣言中には同協定が入つていないのであるから、日本は同協定によつて拘束されることはないのであります。

 ポツダム宣言は明らかに日本の領土の決定は同宣言当事国の将来考えるべき問題であつて、ヤルタ協定がポツダム宣言第八項に予想されている連合国の「決定」と見做されるべきではないのであります。これについての当事国の見解はソ連政府においても充分承知されている筈であります。例えば日本がポツダム宣言を受諾した後、一九四五年八月二十五日アメリカのトルーマン大統領は千島の占領問題に関連するスターリン首相宛の電報において、「本大統領はソ連邦の領土について論じているのではありません。講和の際その帰属が決定されなければならないが、現在は日本の領土たる千島について論じているのであります。」と述べています。

 いずれにするも、ヤルタ協定は領土の帰属を決定したものでなく、ましてや如何なる意味においても日本を拘束するものではありません。

(八)貴大臣は次いで大西洋憲章に言及され、この憲章は日本の参戦前につくられたものであること、及びその後において連合国はヤルタ協定、カイロ宣言、桑港条約等に署名した事実を挙げられ、あたかも同憲章が日本との関係においては全く適用されない文書であるかの如き説明をされました。しかしながら大西洋憲章にソ連が参加された一九四二年一月には、日本は既に連合国と戦争関係にあつたのであり、連合国は同憲章を対日戦争の指針ともしてきたのであります。又、大西洋憲章の後でヤルタ協定、カイロ宣言、桑港条約等がつくられた事実を指摘されましたが、これらの文書が大西洋憲章の後でつくられた事実は決してそれ以前にできた大西洋憲章を無効にするものではありません。従つて大西洋憲章の原則が日本に対する講和の際は一切適用されないかの如くいわれることは、全く了解し能わざるものであります。

 なおまたソ連邦を含む連合諸国は戦争が終結するまで一再となく大西洋憲章を引用せられ、更にこの精神は国際連合の精神となつていることを指摘しておきます。

(九)以上述べた通り日ソ両国間における領土問題は、これから平和条約において解決しなければならないものであります。又国後、択捉が当然日本領土たるべきは前回貴大臣が言及されました諸国際取極に徴しても明らかであります。

 日本はその固有の領土は如何なる国に対しても放棄し得ないのであります。若しソ連邦が日本固有の領土たる国後、択捉の両島を「占領」と言う事実の上に占有し続けるというならば、それは全く理論の外であつて我々の理解出来ないところであります。貴大臣はソ連邦側の考え方については本年五月ブルガーニン首相から河野農林大臣に充分説明済みであるといわれ、恰かもこの説明によつて日本がソ連邦の立場を諒承したのではないかと取られるような発言をされました。私は河野大臣から会談に関する報告は受けています。又右会談におけるソ連側の説明は同大臣において何等諒承したものでないとの報告も受けており、もとより日本政府として諒承したものでないことは前に述べた通りであります。昨年九月フルシチョフ氏は訪ソ日本議員団に対して、「我々の提案は如何なる場合においても、日本国民と日本国の主権を侵害するものではなく、如何なる物質的利益を追及するものでもありません。」といわれ、又同じ機会にブルガーニン首相は「我々には日本国民と平和裡に友好的に暮らし、ソ連邦国民にも相互に利益のある条件で交渉を行うことを望んでいると日本国民にお伝えください」と申されました。こうしたソ連邦最高首脳部のお言葉としてではなく、現実に領土条項の問題としてもこれを具現して戴きたいのであります。

 私はソ連邦が日ソ両国間の恒久的な平和と友好関係のため、国後、択捉の両島を、その固有の所有者たる日本国民の手に返還され、交渉を妥協に導びくことを熱望する次第であります。