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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日ソ漁業委員会共同コミュニケ(北西太平洋における漁業に関する日ソ委員会の共同コミュニケ)

[場所] 
[年月日] 1957年4月6日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),797頁.外務省情報文化局「外務省発表集」第5号,54ー55頁.
[備考] 
[全文]

 北西太平洋における漁業に関する日ソ委員会は、合理的な基礎における漁業の発展にたいする両締約国の共通の関心ならびに魚類およびその他の海棲動物資源の状態にたいする相互の責任を考慮し、かつ、一九五六年五月十四日調印されたソヴィェト連邦ならびに日本国間の漁業条約に規定された北西太平洋における漁業の最大の持続的生産性の維持を目標とする両締約国の学術的調査を拡大し、調整することを望ましいと認め、一九五七年二月十五日より四月六日までの間東京において第一回会議を行い、北西太平洋における漁業に関連する多くの問題を審議した。

 本委員会は、その第一回会議において、二十六回の総会および十六回の科学技術、運営財政ならびに起草各小委員会会議を催した。本委員会の総会および小委員会会議は、すべて、相互の理解と親善の雰囲気のなかに行われた。

 一九五七年四月六日本委員会は第一回会議の仕事を成功裡に終了した。

 詳細な審議と相互の意見交換の結果次の如く決定した。

 (一)委員会が「豊漁年」と見做した一九五七年の規制区域におけるさけの年間総漁獲量は十二万メトリック・トンとすること、(二)委員会は一九五七年において、オホーツク海公海におけるさけ漁獲は一万三千メトリック・トンを超えず、かつ、二船団によつて行われること、(三)べにざけ資源の保護のために北緯五二度以北、東経一七〇度二五分以西のカムチャツカ半島の東方区域におけるさけ漁業を一九五七年において七月二十日以降停止すること、(四)小にしんの混獲は一漁船一航海につき(尾数にして)全漁獲量の一〇%を超えない限度において許容されること、(五)めすがにおよび子がにの混獲は揚網一反当り平均一尾(オリュートル区域では〇・五尾)を超えない限度において許容されることを決定した。(六)北緯四十八度以南の一部条約区域における移動漁具による漁業の禁止区域は距岸二十海里とせられ、これ以外の区域については距岸四十海里とされたが、この問題の再検討は科学的資料に基いて一九五八年の会期において行われること、(七)委員会は科学的調査研究の調整の基本方針および (八)両締約国は一九五七年以降統計及びその他の資料を交換することを決定した。

 委員会が採択したこれらの諸決定は両締約国により実施されるが、北西太平洋の原料資源の合理的利用に寄与するであろう。委員会は第一回会期における議長として平塚常次郎氏を副議長としてぺ・ア・モイセーエフ氏を選出し、第二回会議を一九五八年一月十三日モスクワ市において開催することを決定した。