データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 1954年11月7日の北海道上空における米機撃墜事件に関する対ソ米国書簡中日本の北方領土問題に触れた部分の全訳

[場所] 
[年月日] 1957年5月23日
[出典] 内閣府
[備考] 
[全文]

(I-III省略)

  IV

 ソ連政府はこの事件に関する書簡において歯舞群島及び隣接する海・空域に対する自国の領土権の主張に言及している。それは暗にかかる主張の範囲に関する問題を提起しているわけである。周知の如く米国政府はこれら諸島に対するソ連政府の領土権の主張を争っているけれども、米国政府は問題の地域の上空飛行、特に1954年11月7日の事件の際の様な状況の下での上空飛行や、あるいは平和的な外交交渉並びに司法的解決の方法以外の方法でこれを争うこととしたことはない。それゆえ、米国政府はこの機会を利用して、次の如き宣言を行うものである。

A 歯舞群島に対する主権に関するソ連の主張について

1. 1954年11月17日の書簡において米国政府は、歯舞群島はソ連政府が不法に占領を続けている日本国領土の不可分の一部であるとの日本政府の主張を米国が支持するものであると述べた。この申立てについてコメントしたソ連政府の1954年12月11日の書簡は、これが「千島列島に関するヤルタ協定の諸条項と明らかに矛盾する」ものであると述べている。米国政府はこの点に関する自国の立場のよりくわしい陳述として1952年10月7日の同様な事件のためソ連政府に対し訴訟手続を提起した際の米国政府の訴状の附属書として国際司法裁判所の記録に収録されている1954年9月25日の書簡に言及し、1945年2月11日の日本に関するヤルタ協定はいかなる日本領土における法的権原をもソ連邦に移譲する効力を持つ様には意図されたものではなかったし、又そうした効力をもってもいなかったということ、特に、日本に関するヤルタ協定も1951年9月8日サンフランシスコで調印された対日平和条約も歯舞群島におけるいかなる権原をもソ連邦へ移譲しなかったしこれら諸島における日本の権原を縮少せしめたものではなく、且つ、これらの文書における「千島列島」という字句は、従来常に日本本土の一部であったものであり従って正義上日本の主権下にあるものと認められるべき歯舞群島、色丹島又は国後島、択捉島を含んでもいなければ含む様に意図されもしなかったということを繰り返し言明する。これらの諸島を専有し、これらに対し主権を行使することを企図しているソ連政府の行動は、従って、現在においても不当且つ不法であり、1954年11月7日においても不当且つ不法であった。米国政府は、ソ連政府がこの点に関する自国の主張の正当性を、国際紛争の平和的解決及び国際法と秩序の維持のため、確立された司法手続による審査に付託することを一貫して行っておらずこれを拒否しているということを再び指摘するものである。(以下略)