データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日ロ首脳共同記者会見

[場所] 
[年月日] 1997年11月2日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),556−558頁.
[備考] 
[全文]

一、冒頭発言

○エリツィン大統領 この二日にわたって我々が何を話し、どういう合意をしたかすべてお話しする。我々は、四十三項目について討議した。我々の行った仕事の量はこのように大きなものであったし、まさに強力な突破口を開いたし、強力な文書もできた。雰囲気も柔らかなものであった。四十三項目にわたる討議は双方に大きなものをもたらした。最も興味深いのは、橋本・エリツィンの行動プランである。このプランの中ではいくつかの重要な案件が明記されており、このプランは、計画の中に含まれている五つや十くらいの案件が全体となって一つの機能を果たすものとなっている。

○橋本総理 今回、このクラスノヤルスクの地で、エリツィン大統領と一緒に、昨日のエニセイ川船上での会談に始まり、先程の散歩に至るまで大変楽しい時間を過ごしました。我々にとり、エリツィン大統領は、偉大で強力なリーダーであり、それにもまして本当に暖かい人柄にふれられたことを嬉しく思っている。

 もちろん我々は仕事もしました。先程大統領が言及された橋本・エリツィン・プランについても、両国の経済関係を着実に発展させる観点から、今回、「同プラン」を進めていくことで一致しました。平和条約の締結という難しい問題についても、二人とも真剣に話し合いました。その結果、私とエリツィン大統領は、東京宣言に基づき、二〇〇〇年までに平和条約を締結するようお互いに全力を尽くすことに合意しました。

 エリツィン大統領もおそらく賛同してくださると思いますが、我々は今回、二十一世紀に向けて非常に良好なスタートを切ったと思います。また、今回と同じような「ネクタイなしの会談」を明年春ごろに日本で行い、その際にはお孫さんも含め、ご家族でご一緒に来ていただきたいと申し上げ、エリツィン大統領は私のこの申し出を受けてくれました。そしてこのような会談を明年四月中旬に日本において行うことで合意しました。

 最後に、私を温かく迎えてくれたエリツィン大統領に対し、また今次会談の成功のために多大の努力を払われた、ズーボフ知事を始めとするクラスノヤルスク地方の関係者及びすべてのその他の関係者の皆様に、心からお礼を申し上げたいと思います。

○エリツィン大統領 いくつか小さなことであるが付言したい。第一に我々は友人になったということである。そして、「トゥイ」(君、僕)で呼び合うことに合意し、また、ボリスとリュウの名前で呼ぶことにした。

二、質疑応答

○ロシア側記者 日本についてどう考えるのか。

○エリツィン大統領 日本人をとても尊敬している。我々は、日本人をより良く理解し、また学ばなければならない。これまで我々の目は西の方に向きがちであったが、日ロの交流がより友好的なものとなるためには、もっと日本国民を理解し、日本国民の勤勉さを学ばなければならない。

○日本側記者 「二〇〇〇年までに平和条約を締結するよう合意した」とあるが、このことは領土問題解決の方向性を定めたものと考えてよいか。

○橋本総理 東京宣言を見て頂きたい。この文書は、自分より何年か前の総理とボリスがサインしたものであるが、我々は、両国の関係においてこれ以上不正常な状態が長びくことは良くないと考えており、この不正常を早く取り除いて正常な状態になるよう皆さんにもお願いしたい。もちろん、その際の土台となるのは東京宣言である。

○日本側記者 九三年の東京宣言を前進させるということは領土問題を解決することも含んでいるが、大統領の今後三年の任期中に具体的にどのような形で前進させることを考えているか。

○エリツィン大統領 我々は、これまでもずっと同じ所に立ち止まっていたわけではない。一九九三年の宣言の五項目は、徐々に前進してきている。今回は、その問題についての具体的な時期を付すことができた。これからは、両国が共同行動をとりつつ、四十三項目の問題や平和条約の問題が二〇〇〇年までに解決するよう一緒に努力しなければならない。

 今回の我々の仕事には、我々両首脳以外のネムツォフ他の同僚が徹夜して働いてくれ、その結果としての文書が作られたわけであるが、この文書について我々に対する批判があるかもしれないし、また、この結果はすべての者を満足させるものでないかもしれない。できあがった文書について発表するかどうかはこの後で決めたい。ただ、プレスの皆さんにお願いしたいのは、今回我々は「橋本・エリツィンプラン」という非常に重要な行動計画に合意したということを世界中に報道してもらいたいということである。