データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ガンジー首相主催晩餐会におけるスピーチ,相対主義と共存の哲学(中曽根内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1984年5月4日
[出典] 中曽根演説集,172−175頁.
[備考] 
[全文]

ガンジー首相閣下並びに御列席の皆様

本夕は、私共一行のため、かくも盛大にして心暖まる晩餐会を御開催いただき、心から感謝申し上げます。また昨日ボンベイに到着して以来、貴国官民より私共一行に示されたおもてなしと御配慮に対し、この機会をお借りして、厚くお礼申し上げたいと存じます。

 首相閣下

 私は、一九五七年五月に岸総理に随行して貴国を訪問いたしました。その際お目にかかった御尊父故ネルー首相が、独立インドの揺るぎない指導者として、世界平和への祈念と人類愛に満ちた高邁な理想を諄々と説かれたことを、今深い感懐をもって思い出します。

 爾来、四半世紀余りの時が過ぎ、我々を取り巻く国際情勢は大きく変化しました。インドもそして日本も大きく変わりました。私は、昨日以来、過去四半世紀の間に遂げられた貴国の目覚ましい発展を目のあたりにして、強い感銘を受けております。これは、貴首相はじめ貴国指導者の堅実かつ積極的な国政運営の成果に他ならぬものと信じます。私は本日午後、首相閣下と会談いたしましたが、閣下の思索に●れる{さんずいに隘のつくり}言葉、毅然たる態度、そして国民を思われる優しい心情に強く打たれるとともに、七億の国民の幸福を願われて、日夜心を砕いておられる御様子に、心からの尊敬を覚えました。インドは多様性の中の統一を目指し幾多の困難を克服し、今日、「世界最大の民主主義」国家として国際社会において確固たる地位を確立されております。私がこのたび垣間見た貴国民の旺盛な活力と自由濶達な雰囲気は、インドが秘める底力を示すものであり、この底力が、首相閣下はじめ貴国指導者のすぐれた指導力とあいまつとき、インドの前途は洋々たるものがあると、誠に心強く感じた次第であります。

 首相閣下

 現在、人類は二つの「核」の脅威に直面しています。すなわち、外にあっては原子核、中にあってはDNAであります。

 外なる核の問題とは、もし、これを使って米ソ間で戦争が起これば、地球は壊滅的な打撃を受け、人類自体の運命も満足に保証しえないということであります。内なる核の問題とは、生命科学の進歩により、遺伝子の組み換えが自由になりつつあることであります。生命の根源に近づけば近づくほど、生命の尊厳が傷つけられる可能性が生じており、心ある人間は大きな疑問の中に頭をかかえております。

 外なる世界の平和は、今や辛うじて東西間の核兵器による恐怖のバランスにより維持されています。また内なる人間の尊厳は、人間の生命の根源に対する畏敬と擁護によって、すなわち、存在するものに対する限りなき崇高さの認識によって護持されています。

 この二つの「核」の問題に対し、私は、昨年のウィリアムズバーグにおける先進国首脳会議において、核戦争防止については、米ソ両国の対話の促進、そのための構成国間の協力と連帯を主張しました。同時に、遺伝子の組み換えによる人間の尊厳の冒とく{とく=さんずいに續のつくり}を防ぐため、サミット構成国の生命科学者、宗教家、哲学者による「生命科学と人間」と題する国際会議の開催を提唱いたしましたが、幸いに各国首脳の賛同を得て、この会議は去る三月、日本に於いて開催され、有益な討論がなされました。討論の関係資料は、いずれ、世界の関心ある向きに配布される筈であります。

 今や人類は科学の傲慢さから解脱し、共通平等の尊厳と、そして無限の創造的可能性を秘めた人類的共感に復帰しなければならないと私は思います。

 他方、たとえば中近東に目を転じると、歴史上この地域には、戦火が絶え間なかったことに気づきます。そのある局面は、キリスト教文明と回教文明の相剋を、又ある局面は、資本主義と非資本主義の相剋をあらわしているかもしれません。

 人類は対立(confrontation)と相剋に疲れ果て、救いを求めています。

 首相閣下

 私は、戦後間もない頃、スイスのコーにおけるMRAの会議に出席した際、貴国の出席者である労働大臣が演説の中で語った次の言葉を忘れることができません。

 「西と東があろうか。何となれば地球は丸いから」

 (Is there any East and West、 because the globe is round.)

 これは、対立ではなくして融合と共存の思想であります。それは、人間が根源的に多元的な存在であるという人間観です。またこれは、多様性と、寛容と、相対主義をもって、いかなる人間の尊重をも認める哲学の露顕ではないでしょうか。インドに生まれ、中国に、そして、日本に渡来した東洋の思想ではないでしょうか。

 インドが外交面でいち早く非同盟中立主義を打ち出し、今日、その議長国としては世界の協調と発展のために貢献を続けておられる姿を見るとき、私は、貴国が、このような人間の尊厳と相対主義と共存の哲学の基礎の上に立って行動しておられるものとして敬意を表したいと存じます。

 我が国の外交政策は、国家の地政学的位置、あるいは、また、資源がなく貿易で生きてゆくという海洋国家の特性等から、必ずしもインドのそれと同じではありません。しかし、戦争放棄を謳った独自の平和憲法をもち、軍事大国にならず、専守防衛の国家として国是をたて、非核三原則を保持している我が国の政策には、インド外交の基本方針と一脈相通ずるものがあると私は確信いたします。

 インドは、エジプト、バビロニア、中国と並ぶ古代文明の発祥地であります。貴国に発生したこの古代文明の恩恵は中国に渡り、日本にも及びました。私は、インドの詩聖タゴールが今世紀初めに我が国を訪れ、アジアの覚醒を告げられたことに深い感銘をおぼえます。

 今こそ、両国が固く提携し、我々が共に祖先から承けついだ平和と寛容と人道主義の精神をもって、地上の永遠の平和と繁栄を、人種と地の境を越えてもたらすべく努力しなければならぬ時か{前一文字ママ}来たと信じます。

 首相閣下

 友情こそは日印関係の礎であります。私は昨日ボンベイを訪問した際、過去三十年間日印間の相互理解と親善促進のため活発な活動を続けられてきたボンベイ印日協会に対し、日本関係図書を寄贈いたしました。これは、ガンジー首相閣下が一九六九年国賓として我が国を訪問された際、閣下より我が国の日印協会に対しインドに関する図書を寄贈され、我が国民への友情を示されたことに対するささやかなお礼であると同時に、私のインド国民の皆様に対する友情の証しであります。日印相互理解の一層の推進のために役立てていただければ幸いと存じます。

 終わりに臨み、私は、御列席の皆様と共に、ガンジー首相閣下の御健康と御多幸、インド国民の一層の発展と繁栄、そして日印関係の輝かしい将来を祈念して杯をあげたいと存じます。