[文書名] 衆参両院合同会議におけるラジーブ・ガンジー=インド首相の演説
木村参議院議長,坂田衆議院議長,ならびに国会議員の皆さま。
1.世界で最も偉大な議会の1つであるこの国会でお話する機会を得ましたことは,私にとって誠に光栄とするところであります。ここに皆さまにインド議会からのご挨拶をお届けするとともに,国会の皆さまを通じて日本国民に対し,インド国民の温かい心からの善意をお伝えいたします。
2.美しい国,日本を訪れたのはこれが最初でありますが,今回の訪問は「友情の旅」であります。この機会に,インドの現状について若干お話したいと思います。ただ,それにもまして私は,日本とその有能な国民について知識を得たいと思っております。日本国民は,歴史の栄誉ある殿堂の中に,自らの力で特に際立った地位を築いてこられたからです。
3.日本の偉大な作家,夏目漱石は明治17年,大学に入って建築家になりたいと思ったとき,こう言われたそうです。「日本みたいな貧乏国で建築家になっても出世できない。セントポール寺院のような後世に残る建築物を作る機会に恵まれることは絶対にあるまい」と。
4.今日から見れば全く考えられない話です。日本はいまや一流の工業国になり,世界のGNP(国民総生産)の10分の1を占めています。また日本で最高の建築家の1人,槇文彦氏は,現にインディラ・ガンジー・アート・センターの設計の決定に協力しておられます。
5.日本とインドは,古くから互いに知り合っています。日印の友好関係は,ひ弱な若木ではなく,丈夫な大木であります。それが根を下ろしたのは1400年の昔,仏教が日本に伝来したときのことで,以来,両国には学者や巡礼者の往来が絶えたことがありません。これらの人々は,その深く崇高な学識と明察で両国民の心と魂を結びつけ,偉大な日印芸術を築き上げました。それは−
「私たちの心に,憩いと安らぎを与え,俗心の影を払い,妄念を静める」といわれる芸術です。
6.仏教では「己に克つ」ことを最上の徳としております。昔から多くの時代を通じて,日本でもインドでも,無数の人々がこの教えに従って生きようと努めてきました。その道を照らしてくれたのが「ダルマ」と言われる仏教の真理です。
7.日本とインドは,20世紀に入ってようやくお互いを再発見するようになりました。インドは日本の復興に拍手を送りました。また精神的なもの,静かなもの,美しいものを尊ぶ伝統を断固として守り抜いている日本の姿にも,私達は感服しました。日本はこうした大切な価値観を犠牲にすることなく,近代技術をマスターしたのです。そして宇宙の森羅万象,自然界のあらゆる事象,人間のあらゆる営みを「妙なる芸術品」として接してきました。
8.日本の進歩発展をみて,他のアジア諸国の国民は,誇らかな気持ちで一杯です。自然に自信がわいてきます。日本の経済がこれほどの急成長を成しとげたのは人造りに励み,創意工夫の心を育んできたからに他なりません。さらに日本は「個人の所有欲を前提としなくても進歩向上が可能」なことを示してくれました。つまりそれは協力し合い,いたわり合い,分かち合う精神を学びとること,私利私欲より共通の目標を重んじることが大切であるということです。マハトマ・ガンジーは,「権利と義務は表裏一体」と言っております。しかし,その真理を現実に体現しているのが近代日本です。
10.「一は多なり,多は一なり」という思想が,インド人の生活の知恵の中核をなしてきました。いにしえの賢人は「真理は一つながら,賢人はさまざまな形でそれをみる」と申しましたが,インド人はお互いの相違点を受け入れ,尊重します。寛容こそ,インド人の物の味方の特徴をなすものです。仏陀の悲願,アショカ王,アクバル皇帝,ガンジー,ネールといった人々の生涯を懸けた大事業によって培われたのも,実はこの寛容の精神の伝統です。
11.この伝統が一つの大きな力となって,インドは膨大な異質的要素を抱えながら近代国家として存立を続けることができたのです。インドの古くからの文化的一体性が,いまや形を変えて政治的統一国家を生み出しました。
12.近代史をひもといてみると,非暴力闘争から生まれた国家はほとんどありません。マハトマ・ガンジーに率いられた非暴力主義は,インドの自由運動の旗印となりました。カガンジーのような人物は,数百年に一度しかあらわれません。この聖者,開放者を先頭に結集したインド国民は,世界史上最大の大衆運動を展開しました。
13.政治的開放を第一歩として,社会的,経済的自由を求める長い旅が始まりました。インドは独自に開発の道を見出す必要に迫られましたが,それは決して容易なことではありませんでした。インド経済は,200年にわたる植民地時代の搾取により,ひからびた状態にありました。インドの資源はさらに第二次世界大戦のため収奪され,インド国民にとって必要なものはないがしろにされました。1943年のベンガル飢饉では,数百万のインド人が餓死したくらいです。帝国主義の台頭により,インドの経済,社会,文化はすべて荒廃しました。
14.このような状況のもとで,インドは自力で生きる近代国家の建設に乗り出したのです。これはどこの国も同じですが,その過程でインドは,自国の歴史的経験と早くから近代に突入した他国の経験との間のバランスをどのようにするか,という問題に直面しました。しかもこの過渡期を通過するのに,他国では数百年要したところを,インドは数十年で駆け抜けなければなりませんでした。
15.国民の強い願望を表明したものが,インド憲法です。独立後のインドは民主国家として,社会的にも経済的にも国もための正義を追求することを国是としました。すでに8回におよぶ総選挙は,共和国の国づくりに参加した人々のこの信念を裏付けています。
16.インドが自ら決意した課題を遂行できたのは,計画的に開発を実施したからに他なりません。つまり国内資源を慎重に管理運営し,優先部門に正しく充当していったからです。それには安易な道の選択を避け,たとえ苦しくても,自力成長に役立つ方法を進んで受け入れる覚悟が必要でした。
17.その結果は,事実が証明するところです。
18.独立当時,インドは3億5,000万の国民を養うため,食糧を輸入せざるをえませんでした。しかし今日では,7億5,000億万の人口に対する食糧は,自給状態にあります。
19.また独立した昭和22年当時のインドは,旋盤さえ満足に製造できない有様でしたが,いまでは国産の高速増殖炉を建設し,自力で人工衛星を打ち上げています。
20.インドに自由が訪れたとき,就学自動の数は僅か2,400万人でしたが,現在ではそれが1億2,800万に達しています。
21.40年前,インドの大学では理工系の卒業生は4,400人にすぎませんでした。しかし今年は,73,000人が卒業する予定です。
22.経済開発の計画化に乗り出した頃のインド国民の貯蓄率は,僅か10パーセントでした。しかし今日では,それが23パーセントに伸びています。
23.議員の皆さま,世界の総人口の7分の1を占めるインドは,こうした変革を民主主義の枠内で達成しました。強制を武器として,変革を強行したのではありません。総意に基づく開発が実現可能なことをインドは証明しました。社会変革も経済改革も,その遂行に国民が進んで協力してはじめて推進できることを,インドは実証したのです。
24.ジャワハルラル・ネールには,総理閣下も昭和32年にお目にかかっておられますが,ネールこそ近代インドの設計者でした。「現代を変える革命的な力は科学技術である」と考えたネールは,それを武器として飢餓と貧困に立ち向かいました。科学技術のインフラストラクチャーを築き上げたのは,ネールです。次いで,インディラ・ガンジーの下にインドは急速な進歩を遂げ,建国初期の期待を大幅に実現しました。インドでは,科学は平和のためにのみあります。インドの原子力計画も,純粋に平和を目的としております。
25.今日のインドは,開発途上にあって新しい転換点にさしかかっています。いろいろな戦略,政策,実施計画のおかげで,成長にはずみがついてきたからです。農業革命も普及しつつあります。これは貧困の軽減と工業製品需要の大幅拡大に一役買うことでしょう。またインドの工業政策は,能率向上と品質確保に戦略の重点が置かれています。工業の近代化は急速に進められつつあり,新技術がインドの生産方式に取り入れられることになるでしょう。さらに自由競争が,コスト削減努力に拍車をかけています。こうした成長の新しいパターンはこれまでのさまざまな対策の成功から自然に生まれてきたもので,それによりインド経済は質的にさらに高い段階に移行し,貧困を根絶することも可能になるでしょう。インドのたどってきた道は,いまや躍動的な局面を迎えました。インドは自信と大いなる希望をもって前進しております。
26.インドの開発努力に対する日本の援助には,心から感謝いたしております。総理閣下が昨年インド会議で演説された際指摘された通り,日本が初めて円借款を提供した相手はインドでした。インドが次の開発段階を迎えれば,両国間の経済協力,技術協力の規模はさらに拡大するでしょう。このたび,科学技術協力について合意に達したことは,喜びに耐えません。これは,日印両国間の交流の増大傾向に沿ったものです。インドには拡大する市場があり,政治体制が安定し,企業基盤が広く,成長指向の政策がとられているため,実りある協力に有利な条件が充分整っています。その意味でも,今後しっかり手を結んで,永続的な相互協力関係を築いてゆきたいと思っております。
27.日印両国間の相互再発見は,経済の世界だけに限るべきではありません。両国民の心と魂の面でも,お互いに再発見すべきだと思います。そうすれば両国間の古い精神的,文化的結びつきを新たにし,発展させることになるでしょう。日印両国はさらに,学者,芸術家,運動選手,青少年同士の極めてレベルの高い交流を進める必要があります。
28.両国が協力を必要とする理由は,単に相互利益のためではありません。広く人類全体のためでもあります。人類は常に恐怖からの自由,欠乏からの自由をもとめ続けてきました。
29.インドも日本と同じく「核の大虐殺から世界を救わなければならない」と固く信じております。私たちは広島と長崎の悲劇を,決して忘れてはなりません。人類の魂が受けた深い傷跡は,核兵器の廃絶によってのみ癒されるものです。
30.私たちは,米ソ両国が核軍備の削減に向かって積極的,具体的な措置の検討に努力していることを評価するものです。最近行われたレーガン・ゴルバチョフ会談は,人類の直面する危機について真剣な対話を復活させるのに役立ちました。しかし前進はさらに続けられなければなりません。その間にも,軍備競争はますますエスカレートし,宇宙空間が戦争の道具に用いられつつあるからです。
31.日本とインドは,ともに仏陀の説く平和思想を実践してきました。日本の外交政策は,インドとは方向性を異にしていますが,だからといって平和と生活と人類の未来のための世界的運動で手を結べないわけではありません。どこの国の人々にも,平和を妨げる壁を打破したいと望んでいるからです。各国政府は,この強力な運動を無視することはできません。人類の理性と利益が目指す方向はただ一つ,恐るべき核戦争の道具を解体することです。
32.インドは非同盟の立場にあり,世界平和のため一貫して努力してきました。平和と軍縮の大義に徹する姿勢は,その世界観にも表れています。インドの考えでは,各国はそれぞれ自由に,自ら進むべき道を決めるべきです。しかしいかなる国といえども,自国の体制を他国に押しつけるべきではありません。インドは、軍事ブロック間の対立や紛争に巻き込まれることを拒否します。国際問題については,独自の立場で判断したいからです。しかし非同盟とは,単にブロック間の紛争から身を引くことではありません。それは基本的に,国際協力の考え方を意味します。平和と実現するための協力,貧富の格差を少なくするための協力,人類の文明を質的に高めるための協力−−をれが非同盟の本質です。
33.人権の侵害は,私たちすべての関心事であります。人種差別や植民地主義の遺物は,自由と正義に対する侮辱であり,インドは非同盟運動の仲間とともに声を大にして,南アフリカのアパルトヘイトやナミビアの奴隷化の即時撤廃を求めてきました。
34.インドは従来から常に,あらゆる近隣諸国との友好,協力に努めています。各国民の福祉のため,親善と永続的な友情を築き上げることが,私たちの心からの願いです。そのためインドは,二国間関係の改善を目指して,いくつかの主導的措置をとりました。同時に,南アジアでさらに幅広い協力の枠組建設にも取り組んでいます。これから数日後に,7カ国の元首と政府代表がダッカに集まり,「南アジア地域協力機構」を発足させる予定ですが,そのため農業,通信,気象,運輸,美術,スポーツ,文化,計画立案,保健などの分野で地域協力を行うための具体的な活動計画を策定しました。これにより私たちは南アジアで,平等と信頼と互恵に基づく新しい形の関係を築く方向へ大きく一歩前進することになるでしょう。
35.現代の特に大きな題の一つは,公正かつ公平な国際経済秩序をどのようにして作りあげるかです。第二次大戦後,世界の様相は大きく代わりました。植民地主義は忘却のかなたへ後退を余儀なくされ,国連はこうした基本的な戦後の国際政治関係の現実を反映しています。しかし戦前の経済関係,資本関係は本質的に変ったわけではなく,新しい政治の現実に対応していません。1960年代,70年代のわずかな進歩向上でさえ,いまやなし崩しにされつつあります。開発援助は流行遅れになり,資本の流れも細くなっています。先進工業諸国で保護主義が台頭する一方,一部の国では累積する対外債務のため,成長の見通しが極めて不透明になっております。開発途上国はおおむね極度の窮迫に陥り,空腹や飢餓と戦わねばならない国もあります。
36.これは,私たちが抱えている問題の一面にすぎません。その一方では,先進諸国が絶え間ない危機に見舞われてもいます。景気後退と短命な回復期が交互に訪れるパターンが,依然続いております。失業問題については,従来の政策による処方では効き目のないことがわかってきました。ある意味では,方向感覚を失ったような状況にあるともいえます。
37.こうした問題は,一国や一部の国家グループの力だけで解決できるものではありません。その性格と影響の範囲からして世界的な問題である以上,途上国,先進国を問わず,全世界の国々が集まり知恵を結集して新しい枠組みを探し求めない限り,解決することはできません。私たちはみな,世界の繁栄に対して共通の利害をもっています。長い目でみて,対立関係はだれの得にもなりません。逆に協力は,あらゆる国の利益につながります。かたくなな態度や強硬姿勢では、なんの成果も得られません。この際,思い切って先入観を捨て,どうすれば新しいコンセンサスを生み出せるか,現実的に検討する必要があります。
38.ここで新ラウンドの貿易交渉の提案について,インドの基本的な立場をご説明しましょう。世界貿易の危機を解消し,あらゆる国が成長の恵みを受けられるようにしなければならないことは,もとより当然であります。その意味でインドは,新ラウンドに対して,教条主義的に反対するものではありません。しかだからといって,東京ラウンドでの合意事項を無視してかまわない,ということにはならないでしょう。東京ラウンドの作業を不完全のまま放置しておいてよういのでしょうか。また新しい分野への取り組みに熱心なあまり,保護貿易主義の高まりから開発途上諸国が現実に直面している窮状に目をつぶってもいいのでしょうか。誠意をもって臨めば,私たちはすべてに公正で正当な交渉への道を開くことができるはずです。威嚇からは協力は生まれません。
39.科学技術の変革により,従来の方式による人間関係の秩序立ては,すでに時代遅れになっています。科学は私たちの手に,飢えと貧困を追放する手段を与えてくれました。しかし,私たちの制度が不十分なため,これらの手段をうまく利用して人類の苦しみを緩和することができません。困窮状態を解消する手段として,慈善行為は合意的取り決めの代用にはならないのです。相互依存の世界のなかで,飢餓は無神経な贅沢と共存できません。また,切実でまことにはずべき貧困が存在する一方で,人類を一瞬のうちにせん滅させるようなものに資源を浪費することは許されません。となると,いま私たちに残された道は,心の壁を取りはらい,人類を一つの家族として平和と繁栄のうちに結びつけるための崇高なビジョンを持つことではないでしょうか。仏陀が教えた「慈悲」の心こそ,人類が現代に生き残るための必要条件です。
40.最後に,日本国会の皆さまにお話しする機会を与えられましたことに,心から感謝いたします。中曽根総理その他関係者の方々との会談も,きわめて有益で価値のあるものでした。また日本文化の活力と技術面での成果も,この目で直接見ることができました。今後,日本とインドの間に友好関係の新時代が開かれることを,私は期待しております。日印両国は,共に力を合わせなければなりません。アジアの利益,そして人類の利益が私たちにその義務を課しているからです。