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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ブットー・パキスタン首相歓迎晩餐会における橋本内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1996年1月18日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),436−438頁.
[備考] 
[全文]

ベナジール・ブットー首相閣下

一行随員の皆様

ご列席の皆様

 本日、我が国の友邦であるパキスタンからブットー首相ご一行をお迎えし、ここに歓迎の晩餐会を催すことが出来ますことは私の大きな喜びであります。貴首相の今次訪問が有意義で思い出深い旅となることを望むとともに、これを一つの大きな契機として、日本とパキスタンの関係がより一層強固なものに発展していくことを念願するものです。

 昨年一月、私は我が国の通商産業大臣としては初めて、貴国を訪問する機会を得ました。その一年後、今度は貴首相が、私が総理大臣として迎える初めての外国からの賓客として訪日されました。美しい首都イスラマバードのたたずまいや、生活感あふれるラワルピンディーのラージャ・バザール、そして貴首相はじめ貴国の皆様から頂戴した暖かいおもてなしの数々は、今も私の脳裏に焼きついています。困ったことが一つだけありました。カメラ好きの私は随分写真を撮りましたが、美しい被写体が豊富な貴国では、フイルム代が大層かさんでしまいました。後日その出費を許可してくれた妻に感謝しなければなりません。

 日本とパキスタンは、広大なアジアの東と西に遠く離れていますが、その交流の歴史は長く、我が国の文化遺産の中には、貴国の影響を色濃く反映したものも少なくありません。紀元一世紀のガンダーラで開花したギリシア美術と仏教美術の融合は、仏教の伝播とともに中国を経由して日本にももたらされ、七世紀の我が国飛鳥文化の仏像彫刻に大きな影響を与えました。時間や空間を越えた文化の生命力は驚くべきもので、我が国の伝統的な文学形態である俳句が、近年貴国文学の一部にしっかりと根付き、多くの人々に愛好されているともうかがっています。また、今晩ここにお招きしたのは、いずれもそれぞれの分野で両国の架け橋として立派な仕事をしておられる方々ばかりですが、今日貴国が広く日本人に身近な存在であるのは、こうした人間と人間の交流があればこそなのです。私は、交流が培った基礎の上に未来に向けた新しい関係を築いていくという我々指導者に課された責務を自覚し、真摯に努力する決意です。

 本日の首脳会談で貴首相と私は、幅広く共通の関心事項や二国間の懸案について意見交換を行いましたが、その過程で将来の両国関係が目指すべき姿も明らかになってきたように思います。また、貴首相からは活況著しい東アジア地域との関係強化に強い関心が表明されました。私はかかる期待を真剣に受け止め、国際社会における相互依存の深化の中で両国関係が一層拡大・進展することを希望しており、貴首相と共に尽力する所存です。

 そのようにして築かれたより強固な関係は、両国民に恩恵となるばかりでなく、広く我々を取り巻く国際社会にとっても意義を持つことになるでしょう。今日の世界には、国際社会が一致協力して取り組むべき地球規模の問題が山積しています。我が国はこうした問題の解決に向け、積極的に貢献したいと考えておりますが、貴国もまた国連PKOへの多数の要員派遣を始め、国際社会に特筆すべき貢献をなしている国の一つであります。国際的な関心を集める問題への対応にあたっても協力できる、また協力すべき場面もあることと思います。日本国民は、平和の大切さ、ありがたさを心底理解する国民として、恒久の平和が全世界の諸国民にもたらされることを強く念願し、またそのために可能な限りの貢献をしたいと決意しています。平和と協力の二十一世紀を築くため、互いに努力しようではありませんか。

 歴史が我々に投げかける挑戦に正面から取り組み、これに応答していくことは、何よりもまず大きな勇気と忍耐を必要とします。貴首相は、この二つを兼ね備えた指導者であると思います。貴首相の半生を振り返ると、それはパキスタンが歩んできた政治の歴史であり、貴国における民主主義の定着の過程であります。今日、貴国は、民主主義に立脚した穏健なイスラム国として国際社会に確固たる地歩を築かれていますが、不屈の信念で幾多の艱難を乗り越え、常に民主化運動の先頭に立ってきた貴首相は、まさにパキスタンの歴史が必要とした「運命の娘」(Daughter of Destiny)であります。貴首相のますますのご活躍と貴国のさらなるご繁栄、さらに日パ関係の一層の発展を祈念して杯をあげたいと思います。