[文書名] 『日本の防衛‐防衛白書‐』
第1部 現代社会における防衛の意義
1 新しい日本の進路
明治政府が成立した当時は、欧米の列強諸国が産業革命を経て近代的大工業を確立し、工業生産物の販路と原料・資源を求めて世界のいたるところに進出し、必要とあれば後進諸国を植民地または半植民地にしようとしている時代であつた。このような情勢の中にあつて、日本はアジアにおける数少ない独立国としての道を歩みはじめた。明治の新政権は一刻も早く強力な中央集権の近代国家を建設する必要に迫られていた。そのため、わが国が大目標として追求しようとしたものは、近代国家としての基礎を確立し、欧米先進諸国の文明水準に到達することであつた。この方針のもとにまず選択した道は、文明開化と富国強兵による国力の向上であつた。日本はその後日清・日露の両戦役に勝利をおさめ、独立開放を熱望するアジアの国々にはもちろん欧米諸国にも高く評価されて、国際的地位は飛躍的に向上し、第1次世界大戦においては連合国側に参加し、戦勝国となつて世界の列強の仲間入りをした。しかし、満州事変、日華事変のころになると、軍の力が著しく強大となり、ついに昭和16年12月第2次世界大戦に突入した。
欧米の文明水準に追いつこうとする願望は、敗戦によつて一時は完全に打ち砕かれたが、経済復興を当面の至上の目標として、国民の総力を結集した努力が実を結び、驚異的な経済の高度成長を遂げ、1969年度における国民総生産は、自由世界で米国に次いで第2位を占めるに至り、1970年代においても、なお伸長しつづけて行くことが予想されている。
しかし、その反面国民1人当たりの所得は、まだ先進諸国の水準より低く、生活環境、公共施設、社会保障等の施策において、欧米諸国に比して立ちおくれた地位にあることは否定できない。
し細に検討すればいろいろ問題はあろう。しかし、今日の繁栄と豊かさは、一面国民の努力、勤勉のたまものであるが、祖先の深い思慮とその苦難および危険を踏破してきた民族の志を継ぐものでなければできないことである。われわれの祖先は戦乱、災害、飢きんそして貧困と戦つてきたのであり、しかも苦難に屈せず、困窮の中につねに道理を求め、進取の気性を重んじ、危機に臨んでは郷土を守り、独立を維持したことをわが国の戦後の成長の中であらためて想起する必要があるのではなかろうか。
1970年代は、日本の国力が世界に対して前例のない重みと影響力を持つ時代となろう。そのことは国際的責任が重くなることであり、そしてまた国内的にも国際的にも、経済成長に伴い生ずる深刻な問題を解決しなければならない時代となろう。したがつて、今や追随や模倣をすて、みずからの手でみずからの目標を設定し進んで行かなければならない。
佐藤内閣総理大臣は、昭和45年2月14日、第63特別国会で行なつた施政方針演説で、1970年代にわが国が目指すべき政治指針として、次の2点を指摘している。
第1は、内面の充実をはかることである。すなわち、世界のどの国にも先がけて、経済繁栄の中で発生する人間的、社会的諸問題に取り組み、これをみごとに解決して、物心ともに豊かな国民生活の基礎を築くことである。
第2は、内における繁栄と外に対する責務との調和をはかることである。すなわち、われわれは国際信義を重んじ、独自の平和努力によつて、世界政治の矛盾克服のため、国際連合の場を中心として重要な役割を果たすべきであり、さらに、伸びゆく経済力を世界の民生安定のため、進んで用いる用意がなければならない。
これは人間を尊重し、豊かに繁栄する国と、平和と国際協力のために世界で独自の役割を果たす日本の新しい像を、強く描き出しているのである。日本は経済大国にはなるが軍事大国にはならない。今までの歴史の先例を打ち破り社会福祉と世界平和を中心とする国家の新しいあり方をめざして歴史的ちよう戦をしようとしているのである。
2 平和の希求と世界の現実
あらゆる国の国民は、平和で自由な世界を望み、経済の発展、文化の向上、幸福な生活を求めている。今世紀において2度にわたる言語に絶する悲惨な大戦争を経験した人類は、世球上{世はママ}から侵略と戦争をなくし、恒久平和を維持して、このような惨禍を起こさないようにと願つている。
最近における交通手段の驚異的な発達、通信その他の情報伝達手段の革命的な進歩、各国間の経済交流や貿易量の著しい増大等は、世界の国々と人々の接触を促し、世界の距離を縮めた。その結果国際政治の多くの面で相互依存の度合いが高まつてきて、各国とも他国との関係なしには存在しえないような事態に進んできていると考えられる。確かに、20世紀後半における科学技術の進歩は、地球全体を一つの社会に組織化するための技術的条件を整えたといえるかもしれないが、現実の国際社会の政治情勢をながめるとき、そのような方向とは逆に、国家間の協力や社会的連帯に背を向ける傾向もまた根強く存在している事実を否定することはできない。
現在の国際社会においては、国家がその構成単位である。すなわち、国家は、独自の力を持つた組織体として独自の価値観をもつて、独自の目的を追求する。そして国際社会には、その構成員である国家を完全に統制できる制度は存在しない。それゆえ、国際社会においては、武力紛争の発生などさまざまな混乱が続発している。こころみに第2次世界大戦後の武力紛争の歴史をふりかえつてみると、この20余年の間に大小合わせて40回をこえる武力紛争が発生している。アジアにおいても国共紛争、朝鮮戦争、中印国境紛争、中ソ国境紛争、ベトナム戦争等が起こつている。
他方恒久的な平和を希求する人類は、この慢性的な戦争状態を断ち切るため、「武器なき平和」を求める完全軍縮の方策とか、「世界連邦の形成」による世界平和の実現等いろいろの工夫、努力を重ねてきたが、いまだに成功するに至つていない。現在われわれが持ち得た最善の成果は、国際連合であるが、創設当初の大きな理想にもかかわらず、現実は平和の維持に関してまだ十分な機能を果たしているとはいえない状況にあり、国際社会における力の支配をいまだ遺憾ながら認めないわけにはゆかないのである。
3 安全保障のための人類の努力
(1)国際連合の理想と現実
第1次世界大戦が終了した後、1920年1月10日、「国際協カヲ促進シ且各国間ノ平和安寧ヲ完成」するため、国際連盟が発足した。その主たる目的は平和の確保という政治的なものであつたが、経済的、社会的、文化的方面でも重要な活動をした。
国際連盟は、その設立後約10年間は、世界の平和維持にかなりの成果をあげたのは事実であるが、その後は必ずしも、有効な対策を講ずることができず、いろいろ困難な事態が続いているうちに、l939年、第2次世界大戦が発生し、その機能は事実上停止してしまつた。
第2次世界大戦後、1945年に、新たに世界の平和維持機構として結成された国際連合は、人類の普遍的な平和の願望を今度こそ地上に実現しようとしたものである。
国際連合憲章の前文には、人類の理想としての平和を切望する参加国の気持が、次のように述べられている。
「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、
一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除くの外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によつて確保し、
すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いること」
国際連合は、「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること」を目的とし、国際連盟の失敗を反省して、特に集団安全保障に関する機構を整備し、戦争防止の措置をいつそう強化した。
国際連合は、創設25周年を迎え、加盟国も120箇国をこえ、種種の国際紛争の解決に努力し、武力紛争の拡大を防止するうえでも大きな力を発揮し、世界の平和と安全に寄与した役割と成果を否定することはできない。
また、国際連合の正式な決議はなされなくても、国際連合で討議された事項は、国際世論を反映して、国際の緊張の緩和に役だつていることも無視できない事実であろう。
しかし、現在、国際連合の平和維持機能は、大国間の対立によつて憲章の精神が予期したとおり発揮されず、きわめて限定されたものになつている。
その理由の第1は、安全保障理事会において大国間の意見が一致する場合はきわめて少なく、いわゆる拒否権の行使によつて、所要の決定が行なえない揚合が多いことである。
このことは平和維持機構として使用上大きな障害となつているため、この障害を補う目的で、1950年「平和のための結集」決議が国際連合の総会で採択された。これは安全保障理事会が常任理事国間の意見の不一致のためにその機能を発揮できない場合に、総会が武力行使を含む措置について、加盟国に対して勧告ができるというものである。しかし、そのとりうる措置は、安全保障理事会に認められているような強制措置ではなく、加盟国に対する勧告にとどまるものであつて、その活動にはおのずから限界がある。
第2の理由は、国際連合が軍事的措置をとることを決定した場合には、それを実行するために国際連合軍が派遣されることになつているが、意見の不一致のためいまだにその軍隊は編成されておらず、軍事的措置をとることは事実上できないことである。
憲章に定められている国際連合軍は、安全保障理事会の決定に基づいて加盟国の軍隊で編成されるものであり、あらかじめ安全保障理事会が、加盟国との間に特別協定を結んで、兵力の種類、量、配置状況について合意し、加盟国は自国軍隊の一部をさいて、国際連合の強制行動のために提供しなければならないことになつている。しかし、この特別協定も意見の対立により未成立のため、国際連合は、集団的安全保障措置として軍事的措置をとる手段をもつていない。これも国際連合の活動の限界を示すものである。これまで、いくつかの国際連合軍(たとえば、朝鮮戦争の際の国際連合軍)が編成され、軍事監視団(たとえば、レバノン国際連合監視団)がつくられたことはあるが、これらは、いずれも臨時的なもので、その任務もきわめて限定されており、憲章にいう国際連合軍とは異なるものである。
第3の理由は、今回、世界の大多数の国々が国際連合に加盟しているとはいえ、戦後イデオロギーの対立によつて分裂の不幸を招いた国々の多くは、なお加盟しておらず、しかもその中にはドイツ(西)や中共のような有力な国が含まれていることである。
ことにわが国周辺のように、中共はじめ北朝鮮、韓国と国際連合に加盟していない国が多く存在する地域では、国際連合の平和維持機能の及ぶ範囲も限定されるとみなければならない。
以上のように、国際連合の現実は、設立当初の理想にもかかわらず、それを構成する各国の足並みが必ずしもそろわず、国際社会の組織化、完全軍縮による平和の道は、まだ遠いというべきであろう。
(2)集団安全保障体制と中立および非同盟
ア 集団安全保障体制
安全保障のあり方としては、国際連合による集団安全保障が確立され、これによつて世界の平和と安全が維持されることが望ましいことではあるが、現在国際連合の平和維持機能には限界があるため、国際連合の活動にのみ依存して国家の安全を守ることは期待できない情勢にある。したがつて、国際連合憲章の第51条では個別的または集団的自衛権の発動を認めて、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と規定している。
世界の国々はこうした現実をふまえて、それぞれの国が選択した自衛の努力を続けているが、東西両陣営の対立が続き、核兵器とその運搬手段の異常な発達の結果、今日の国際社会においては1国が単独で自国を完全に防衛することは困難になつてきている。また他に比して隔絶した力を持つた核大国米ソが出現し、全世界的な影響力を持つようになつたため、世界のいずれの国も米ソの力を無視して、自国の安全をはかることは困難となつた。そこで世界の多くの国々は、あるかじめ国家としての基本的立場を同じくし、利害関係が共通している諸国家が協力して、米ソとの関連を保ちつつ、多数国または2国間で条約を結び、集団安全保障体制をつくり、外国からの武力攻撃に対しては、個別的または集団的自衛権を発動して、自国の安全を守ろうとしている。現在行なわれている集団安全保障体制の主要なものは、自由主義諸国間のもの、共産主義諸国間のもの(これら共産主義諸国間のもののなかには、中ソ同盟条約のように国際連合憲章第53条に定める旧敵国に対する取極もある。)についてみれば、それぞれ別表第1のとおりである。
イ 中立および非同盟
集団安全保障体制は、今日、世界のすう勢といえるが、その中にあつてはいずれの陣営の体制にも加わらず、中立または非同盟の立場をとつている国がある。
中立には、スイスのように国際条約によつて保障されている永世中立国や、オーストリアのように国内法で宣言して国際的に承認されて中立国となつた国や、政策として中立の立場をとつているスウエーデン、フインランドのような国がある。また、東西両陣営の対立に対して、その双方に軍事的な結びつきを持たない非同盟という立場をとつているインド、インドネシアなどの諸国がある。非同盟は、東西両陣営のいずれにもくみせず、国際政治において第三勢力を形成しようとして相互連帯性の強化をはかることを眼目としているもので、スイス、スウエーデン等の中立とは異なるものである。
第1次世界大戦と第2次世界大戦において、ベルギー、ルクセンブルグ、アルバニアは中立を侵され、オランダ、デンマーク、ノルウエーも第2次世界大戦でドイツに攻略された。この経験からこれらの諸国は、第2次世界大戦後は再び中立政策をとらずに、それぞれ集団安全保障条約の当事国となつている。
スイスやスウエーデンは、国家の安全の維持のために、中立が最も良い方策と考えてその立場をとつているが、中立の維持のために、いずれも積極的な防衛政策をとつている。
スイスは、国民皆兵による武装中立政策をとり、国民総生産の2.2%を国防費にあて、人口約630万人の国であるが、非常時には急速に約58万人の兵力を動員できる体制をとつている。
また、スウエーデンは、国民総生産の4.0%を国防費にあて、人口約800万人の国であるが、約60万人を動員できる義務兵役制をとつている。(この資料は、英国戦略研究所ミリタリー・バランス(1970〜1971)による。)
これらの諸国は、もし中立を侵す目的で武力攻撃が加えられた場合、その抵抗によつて侵攻勢力が払わなければならない犠牲が侵略によつて得られる利益を上回ると判断されるほどの防衛力をつねに独力で維持しなければならないとしている。
(3)軍事技術の進歩と各国の防衛努力
ア 軍事技術の進歩
第2次世界大戦後、軍事技術は目ざましい発達を遂げた。特に核兵器とその運搬手段の進歩は、電子技術の進歩と相まつて、戦略、戦術に大きな変革をもたらした。また、宇宙開発の分野における最近の急速な進歩が軍事面においても偵察、通信等の分野で大きく寄与しつつあることも見のがしえない。
核兵器は、米ソにおいては、大威力の戦略用のものから小型の野戦用のものまで、各種のものが開発され、あるいは装備されている。最近では1基のミサイルから数個の目標に誘導される複数弾頭(MIRV)なども開発され、また、ソ連では人工衛星の軌道を一部利用する部分軌道兵器(FOBS)が開発されつつある。
電子技術の進歩は、相手の大陸間弾道弾(ICBM)を早期に発見し、これを瞬時に識別して迎撃する手段(ABMシステム)をもたらした。このABMシステムは、米ソともに開発が完了し、一部配置を行なつている。
米ソに続いて英国、フランス、中共もまた核兵器を開発し装備化していることは周知のとおりである。
原子力を推進力に利用する方法の完成により、原子力艦艇が生まれた。これにより特に潜水艦の能力が画期的に向上し、これに戦略核ミサイルの技術が加わつて、ポラリス、ポセイドンなどの戦略核ミサイルとう載の原子力潜水艦となり、強力な核報復力の主体をなすに至つている。
その他技術の進歩は、通常兵器の近代化の面でも著しい。陸戦兵器、防空兵器、航空機または艦艇とう載兵器の分野にミサイルが進出し、火力も大幅に増強されつつある。また、ヘリコプターを含む航空機、車両の進歩は機動力を向上させ、電子技術の進歩は情報機能または指揮連絡の能力を著しく高めている。
大口径砲をとう載する艦艇は姿を消し、ミサイルおよび対潜兵器を装備するものが主用されるようになり、航空機はすでに音速の3倍を出すものさえ出現しようとしている。垂直離着陸機(VTOL)、大型輸送機やヘリコプターが開発されて部隊や重量物の戦略輸送や戦場機動が可能となつた。
以上のような技術、兵器の進歩が現在の戦略、戦術の基礎となつており、国際情勢を動かす一つの因子となつていることは見のがすことのできないことである。
イ 軍備のあり方
核兵器が出現し、高度の発達をみた結果、防衛努力または軍備の重点は戦争抑止に置かれるようになつた。核兵器の出現および進歩は、兵器の破壊力を一挙に数千倍から数百万倍にも増加し、これに対して今のところ、ABMシステムをもつても有効に防御することは因難であり、核戦争の開始が相互に壊滅的打撃をもたらすことは明らかである。そこで核戦争抑止のためあらゆる努力がはらわれている。米ソ両国は相手の国を徹底的に破壊するに足る核戦力を準備することにより、相手方からの核攻撃を未然に防止するための核抑止力としている。すなわち、相手からの第1撃を受けても、なお生き残り、残存の核戦力で相手に決定的打撃を与えうるよう、ICBM、戦略核ミサイルとう載原子力潜水艦、核兵器とう載の戦略爆撃機を配置するとともに、さらにミサイル基地の分散、地下移行、ABMによる防護措置等を行ない核抑止力を弱化させないようにつとめている。
さらに、核兵器は、戦術核兵器のような小型のものであつても、いつたん使用されると逐次大型の核兵器の使用へと拡大され、ついに世界的規模の大量破壊の核戦争に発展するおそれがあり、また、通常兵器を使用する戦争であつても、それが拡大すれば核戦争へ転化しないという保障はない。そこで各国は、核兵器を使用する戦争はもちろん、通常兵器を使用する直接、間接の侵略をも含めてすべての戦争の生起を抑制し、また、戦争が起こつた場合には、それが拡大しないうちに消し止めることを防衛と軍備の方針としている。
通常兵器を使用する戦争を抑止するには通常兵器によることが常態であろう。これが核兵器が発達した後においても、通常兵器が重視されるゆえんであり、米ソのように核兵器を大量に保有する国々においても、通常兵器の整備に大きな力をさいている。
次に、現代戦における作戦速度の向上と打撃力の増大は、戦争の開姶と同時に被侵略国に致命的な打撃を与えることを可能とした。このような特徴をもつ現代戦においては、従来のような緩慢な対応は許されず、攻撃に対して直ちに対応できる防衛体制をつねに整備しておかなければならない。そこで核の奇襲攻撃に対し直ちにこれに対応して報復攻撃を加えることができるよう戦略ミサイルの配備、戦略爆撃機の常時警戒待機等を行ない、通常兵力の軍備においても常時対空警戒、機動力の強化、実戦的に訓練された部隊の配置等により有事即応体制をとり、戦争の抑止または限定化に努めている。
一方このような軍備の整備とともに、部分的核兵器実験禁止条約の成立(1963年)、宇宙天体条約の成立(1967年)、核兵器不拡散条約の調印(1968年)等核兵器に関する軍備管理措置がとられ、さらに、海底の軍事利用制限、地下核兵器実験禁止その他米ソ間の核ミサイル制限交渉等いわゆる軍縮への努力がなされていることは、注目すべきであろう。
ウ 各国の防衛努力
各国は安全保障政策として、それぞれその国の歴史的伝統、国際環境等の特殊性に応じて、集団安全保障体制、中立または非同盟政策を選択しているのが現状であるが、国の防衛のためには、みずからの防衛力を保持することの必要性を認める点においては共通しており、それぞれの国が国情に応じて防衛力の充実に努めている。また、軍備による防衛と並んで民間防衛活動のための組織の整備にも努力を払つている。
(ア)各国の軍備の概要
a 各国の軍備
各国の軍備は、公刊された諸資料によれば、おおむね別表第2のとおりである。一応の目安としてこれをみると、米、ソの軍備が全体として群を抜き、そのほかでは、中共の陸軍兵力、英国の海軍兵力が顕著である。
なお、各国は装備の近代化等軍備の内容の向上にも努力している。
b 戦略核兵器保有状況
戦略核兵器の保有状況は、公刊された資料によれは、おおむね別表第3のとおりである。
(イ)各国の国防費
国防費は、その国の防衛努力を表わす一つの指標となるものであるが、その国がおかれている国際環境その他によつてそれぞれ特色を持つている。日本は、国民1人当たり国防費、国民総生産に対する国防費の割合では、世界各国の中でも最も少ない国の一つである。
各国の国防費は、公刊された諸資料によれば、おおむね別表第4のとおりである。
(ウ)兵役制度
自由圏諸国では、英連邦諸国の多くが志願制をたてまえとしている以外は、いずれも徴兵制を採用している。共産圏諸国はいずれも徴兵制をとり、インド、スイス、スウエーデン、インドネシア等の中立または非同盟諸国では、インドが志願制をとつているほかは、徴兵制を採用している。また、各国は志願制をとると徴兵制をとるとを問わず、戦時等に動員され戦力化される予備兵力を保有している。
(エ)民間防衛
民間防衛の機能は国によつて異なるが、空襲に対する民間の防護活動に重点が置かれ、最近では、特に対核防護が重視されている。現在核保有国である米、ソ、英、仏はもちろん、非核保有国であるドイツ(西)、スイス、スウエーデン、ノルウエー、デンマーク等の諸国においても、対核防護用の警報ステーシヨンや放射能退避壕が全国的な規模で設備されつつあり、ことにスウエーデンは、大規模な完備した施設を整えていることが知られている。
4 国を守る心
われわれは正義の支配する恒久平和を望んでいる。そしてわれわれは、今後も平和のうちに今日のような発展と繁栄がつづくことを切望するものである。しかし、国際社会には数多くの武力紛争が後を絶たずに起こつている。わが国の周辺には、侵略の意図のあるなしは別として、優勢な軍事力をもつ国が存在している。それによつて直ちに、わが国に対する侵略の危険性があると判断するものではないが、わが国の独立と平和がいささかでも侵されるようなことがあつてはならない。
わが国の独立はなにものにも替え難いたいせつなものであり、独立に対する侵略にはいかなる犠牲を払つても守り抜かなければならない。国の独立は、国の政治、経済、社会等に関する体制をその国がみずから決定し、外国の干渉を許さないことである。国に独立がなければ国民の生活は隷属のそれとなり、文化も興らず、繁栄もなく、理想はもとより人生に対する励みの起こることもなく、活動の自主性は全く奪われて、あんたんたる毎日を送るほかはないであろう。
また、わが国の防衛とは、われわれの国土の安泰と、民族の文化、自由と民主主義および国民共同の生活体の安定と繁栄を守ることである。この国土はわれわれの祖先の住んだところであり、またわれわれの子孫の住むところである。われわれは、長い歴史、独特の文化と伝統を誇つているが、さらに育成されて栄えて行かなければならない未来の土地でもある。喜びと悲しみ、希望と失望の交差してきた過去を持ち、しかも正義と人道がいよいよ興らなければならない土地でもある。しかもこの土地の民族は一つであり、この社会および国家は分割のない一つのものであつて、この独立と統一を長い間続けてきたである。わが国のような、一民族、一国家、一言語、一億人口の個性を持つ国は他にない。しかし、かかる国家の特色もその独立と平和が確保されているがゆえに続けることができるのであつて、このような個性の獲得が、またその維持がいかに多くの血と努力を要するものなのかは、歴史の物語るところであり、今日の世界の現実が示している。
わが民族は、わが国土はもちろん、言語風俗、生活体系、歴史伝統、信仰、文芸、思想等を遠い昔から受け継いできた。これは過去からの長い歴史を通じて培われたわが民族の蓄積であり、その創造物であり、共同の世襲財産である。自然や物質的要因の上に人の心によつてつくられた精神的文化財である。その価値は国民の努力によつて積み上げられた成果であり、また将来のこの努力は続けられるであろう。
これらのものが時代から時代へ、過去から現在へ、現在から未来へ、心から心へ受け継がれ、継がれるごとにその深さを増したものである。過去の人の持つた心であり、また未来の人の持つ心である。
いうまでもなく、この共同の財産たる国民の心の蓄積、この創造物はただに過去現在のみならず、この将来に託する希望のいつさいを含むもので、この安泰と繁栄を願い、独立と平和のうちにこの恒久の生命の流れの続くことを祈り、国民がこぞつて守らなければならないものである。
われわれは、わが民族の共同生活体や国土の安泰と繁栄を願い、独立と平和の維持されることを祈つてやまない。現在の世界情勢は、必ずしもこの安泰と繁栄、独立と平和を無条件で保証してくれるものではない。現実の国際社会には戦争や不正な侵略がある。これは歴史が示す悲しい事実である。われわれは、不正な侵略に屈服することはできない。われわれ国民は、不正な侵略からわれわれの国民共同生活体や国土を守るため、国をあげて最善の抵抗を尽さなければならない。これは国民のひとりひとりの務めであり、また祖先に対し、子孫に対する務めであり、その務めを果たさなければならない。その務めを果たそうとする自覚が防衛の意欲であり、国を思う心であり、愛国心の発露である。愛国心は郷土への愛着であり、国が栄えよとの人間自然の情であり、誰しもが持つている心情である。たいせつなことはそれぞれをどういうときにどのように発揮するかである。真の愛国心は、単に平和を愛し、国を愛するということだけではない。国家の危急に際し身を挺して国を守るという熱意でなければならない。
戦後の風潮は、戦前の行き過ぎた国家主義に対する反動から、国を愛するという自然で人間的な感情をあえて否定するかのごとき傾向が強かつたが、われわれは戦後25年にしてみずから反省すべき時期に到着したと考えられる。そうして、国を愛するという自然にして健全な感情をわれわれ国民の心の中にはぐくんで行く必要があると信ずるものである。
第2部 日本防衛のあり方
1 極東における軍事情勢と予想される武力紛争
(1)極東における軍事情勢
現在の国際社会は、米ソ両国の核による相互抑止を前提とする東西両陣営の対立と共存関係を基本としているといつてよいであろう。米ソ両国は、いわゆる平和共存の立場から交渉による問題解決の態度を続け、国際緊張緩和のための話し合いや、核兵器不拡散条約、核ミサイルの相互制限などの軍備管理問題等現実的な共通利害に係る問題の処理に当たつては、協調的な方向を維持するよう努めている。しかしながら、米ソをそれぞれの頂点とする東西両陣営対立という基本的な態勢には変化なく、国際緊張の要因は依然として存続しており、軍事的には米ソの強大な軍事力を中心とした集団防衛体制をそれぞれ維持し、各国の軍備の相対的充実に努めているのが現状である。
さらに、このような情勢を基調としながら、一方においては、各国の国益重視または自主性を強調する気運が強まつてきており、国際政治はいわゆる多極化の傾向を増しつつある。すなわち、世界情勢は米ソを中心とする軍事的双極化と各国の自主性を基調とする政治的多極化の道を歩んでいる。また特にアジアにおいては中共の動向等をめぐり、情勢はますます複雑の度合を強め、流動的に推移しているといえよう。
国際緊張についていえば、もとより米ソ両国の強大な核戦力を中心とする相互抑止関係下においては、いかなる国といえども大規模な武力行使による現状変更を決意することはきわめて困難な情勢にあり全面戦争または全面戦争に発展するおそれのある大規模な戦争は強く抑制されているが、いわゆる民族開放闘争や国家利益の対立等による局地的な武力紛争は、依然としてあとを絶つていない。
アジア地域の国際政治情勢は欧州とは異なつた事情にある。欧州の集団安全保障体制は、北大西洋条約機構(NATO)やワルシヤワ条約機構に示されるように数箇国の大きなグループが中核となつているが、アジアにおいては、東南アジア集団防衛条約(SEATO)は別として、日本、韓国、国府が米国と、中共、北朝鮮、モンゴルがソ連と、北朝鮮が中共とそれぞれ個別に条約を結んでいるというように2国間の集団安全保障体制が主となつている。また、アジアには、朝鮮半島とインドシナに、および台湾海峡をはさんで三つの分裂国家があり、多数の開発途上国が存在している。さらに、国際連合に加盟しない韓国、北朝鮮、中共等の国々がある。これらの事情は、アジアの国際関係を複雑化する要因となる可能性をはらんでいる。現に、米国、ソ連、中共の間の複雑な関係を背景に、東南アジア、朝鮮半島等の情勢をめぐつて、不安定な状態が続いており、国際緊張の焦点と目されている。特に中共および北朝鮮は引き続き硬直した対外姿勢を堅持しているが、アジアにおいて核兵器を開発している唯一の国である中共の動向や、さらに英国軍のアジアからの大幅な撤退とソ連海軍の進出、ベトナム問題の処理のきすう、米国軍の動向等は、アジア地域における今後の紛争正起の可能性に大きな影響を与えるものとみられている。
わが国周辺における東西両陣営の兵力配備の状況を公刊された諸資料によつて概観すると、全般的には共産陣営の側の方が勢力が量的には大きいが、自由陣営内極東諸国は、米国の強力な戦略報復力と機動支援兵力を背景に質的に充実されている。
これらを各国別にみると別表第5のとおりである。
なお、日本周辺の海空域において、国籍不明の航空機または艦船の行動が認められるが、その状況は別表第6のとおりである。
(2)予想される武力紛争
明日国際社会にいかなる緊張が生まれ、それをめぐつていかなる武力紛争が生起するかを予見することはきわめてむずかしいことであるが、今後起こるかも知れない武力紛争を予想するためには、第2次世界大戦後、現実に生起した武力紛争を検討しておくことは意義のあることであろう。戦後の紛争史の特徴をあげると次のように要約することができるであろう。
第1に、核兵器を使用する戦争や大国間の戦争または第2次世界大戦のような大規模な戦争が起こらなかつたことであり、局地的な制限戦争は起こつても、第2次世界大戦のような大規模な戦争に拡大しなかつたことである。これはいうまでもなく、戦略核兵器体系の発達が大規模の戦争を抑制したものであるが、同時に世界的な集団安全保障体制の存在がその発生を抑止していることをも見のがすことはできないであろう。
第2に、核兵器を使用する戦争および核戦争に発展するおそれのある大規模の戦争は抑制されたが、通常兵器を使用する制限戦争やゲリラ戦等局地的な武力戦争は抑制されずに起こつていることである。そしてこれらの武力紛争は単に一国対一国で戦われるというものであるよりは、利害関係国が、陰に陽にからみ合つて複雑な様相を呈するものが多かつたことである。
第3に、以上の武力紛争の原因または動機として、民族主義、反植民地主義、領域紛争、宗教的人種的対立のほかイデオロギーの対立に基づくものが多かつたことである。
以上の諸特徴から次のようなことがいえると思われる。すなわち、核時代における戦争ないし武力紛争は、制限戦争の形でぼつ発している。戦争の目的、使用兵器、戦争の地域をお互いに暗黙のうちに制限しあいながら戦う現代の戦争は、きわめて政治色の強いものということができ、この部分については、「戦争とは他の手段をもつてする政治の延長である」という言葉は今日なお真実であろう。そして直接侵略という公然たる武力侵略が抑止される結果、間接侵略という潜行的な侵略の形で行なわれる可能性が増大しているということができる。たとえば民族開放闘争支援に仮託した侵略のように、間接侵略が主体となり、直接の武力行使は、間接侵略の補助的または仕上げのための手段として用いられるなど、その目的、地域、手段、期間等が限定される事態が多いであろう。しかし公然と国境を越えて侵略する直接侵略の可能性も全くないと判断することは危険である。もつとも、この場合の直接侵略についても第2次世界大戦のような大規模なものは抑止され、局地的な制限戦争の可能性が多いであろう。
2 国防の基本
わが国の国防の基本をきめるものは、日本国憲法とそれに基づいて定められる国防に関する諸法令および諸政策である。わが国は、自由と民主主義による平和国家、文化国家および福祉国家の建設を大きな目標としている。わが国の国防の政策はこの目標の中で考えられなければならない。そして、さらに現代の国防が軍事面と非軍事面との適切な調和の上に成り立つものである以上、防衛政策は国家の他の政策の中で正しい位置づけをされなければならない。
(1)憲法と日本の防衛
自衛権は、国が独立国である以上、当然に持つている固有の権利であり、これを行使することができるのは当然である。
わが国の憲法は、「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」と定めているが、外部からの武力攻撃を受けた場合、自衛のためこれを排除するために行なう武力の行使は放棄していない。他国から武力攻撃を受けた場合、武力攻撃を阻止することは防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違うものである。自国に対する武力攻撃が加えられた場合に、わが国を防衛する手段として武力を行使することを憲法は禁止していない。他国からの武力攻撃を受けた場合、自衛権を行使してこれを排除することは独立国として当然のことである。
わが国の固有の権利である自衛権を行使するための防衛力を保有しうることも当然である。
わが国の防衛力は自衛のためのものであるから、その規模は、自衛のため必要かつ相当のものでなければならない。このような防衛力は憲法が保持することを禁止している戦力にはならない。
昭和34年12月16日に行なわれた最高裁判所のいわゆる砂川判決では、憲法の理念について「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。……わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」と述べて、武力攻撃に対抗するため自衛の措置をとりうることを認めている。
(2)国家施策の中における防衛
国の安全を保障するためには、軍事的政策と非軍事的政策、特に政治と軍事、外交と軍事との関係が正しく規律され、その両方から調和のとれた適切な施策が行なわれなければならない。
国の安全保障上、まず考えなければならないことは、いかにしてわが国に対する外国の脅威や侵略を未然に防止するかということである。このため、まず、たいせつなことは、国の外交的努力である。複雑化し、連帯性の飛躍的に増大した国際社会において、その平和維持能力を向上させ、平和を増進させて、平穏で安定した国際環境をつくるための努力をしなければならない。積極的平和外交、国際連合の強化、軍縮や軍備管理もこれに関連する問題である。
さらに、国の安全保障を全うするためには、このような外交施策と同時に経済力の増進、社会保障の推進、教育の向上、愛国心の高揚など国内基盤を確立するための政治、経済、社会に関する施策を講ずる必要がある。また、防衛に関する国民的合意が防衛の基本であり、この合意がくずれて防衛は成立しない。この合意確立の基礎条件は、健全な社会の維持である。特に間接侵略が重要性を増してきた今日にあつては、社会の健全性の必要はますます増大する。この意味においても、今日の安全保障においては、軍事面の努力もさることながら非軍事面における努力がきわめて重要な条件となつている。
しかし、以上のような平和外交の推進や国内施策の実施等は、いずれも安全保障上欠くことのできないものであるが、これらの手段だけでは、わが国の独立と安全を維持するには十分でない。相手国が、わが国を侵略しうる能力をもち、侵略しようとする意図をもつた場合にはいかに適切な非軍事的手段を施したとしてもこれらの手段だけではその武力攻撃や侵略を排除することができないからである。したがつて、わが国が外国の侵略を受ける可能性が全くないといえない限り、これらの侵略に備えて、あらかじめ、自衛手段としての防衛力を準備しておかなければならない。侵略は尋常正規の形で行なわれるとは限らず、不測の時に不測の形で迫るものであり、また防衛力は外国の侵略が迫つているからといつて一朝一夕にできないものであり、万一の事態に備える常日頃の準備を怠つてはならない。そして、重要なことは国家として、このような準備がないときは、招かずにすむ外国の侵略を招くという危険性があることであり、これに反し、準備された適切な防衛力をもち、国民全体が防衛意欲に燃えて、いかなる犠牲を払つても、自分の国土を守り抜くという気概をもつている国に対しては侵略の意図をもつ国も、その意図を未然に抑えるであろうということである。
(3)国防の基本方針
政府は、昭和32年、国防の基本方針を制定し、わが国の国防の目的を明らかにし、この目的を明らかにし、この目的を達成するための基本方針を明示した。国防の基本方針は、次のとおりである。
「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行なわれるときはこれを排除し、もつて民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。
ア 国際連合の活動を支持し、国際間の強調をはかり、世界平和の実現の期する。
イ 民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
ウ 国力国情に応じて自衛のため必要な限度において、効果的な防衛力を漸進的に整備する。
エ 外部からの侵略に対しては、将来、国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。」
なお、国防の基本方針は、以上のとおりであるが、政府が、政策として非核3原則を明示している。
そしてこれらの基本的事項を憲法のもとで正しく具現するための保障として、軍事に対する政治の優先すなわち文民統制が最も重要視されなければならない。
3 日本の防衛力
(1)自主防衛と日米安全保障体制
佐藤内閣総理大臣は、先般の国会において「自主防衛とは、国民のひとりひとりが自主独立の気概をもち、国の防衛は、第1次的にはみずからの力で行なうというものであります。」と説明している。それは、国防は第1に国民の心構えの問題であることを述べたのである。国防は国民的課題であり、国民全体で行なうことであり、全国民の力を結集しなければできないことである。そして最もたいせつなことは、わが国の平和と独立を守り抜こうとする防衛意欲であり、ことばをかえていえば愛国心である。そのような国民の精神的基盤なしには、国の防衛は成り立たないといつても過言ではない。
国家の独立と平和をみずからの手で守ることは、独立国として当然のことであり、各国ともこのために努力している。わが国も経済力の充実、国際的地位の向上に対応して、自主的な防衛努力を行なつている。すなわち第1次的には自力で侵略に対処することを根本方針とし、専守防衛を有効になし得る態勢をつくることを目標として努力を続けている。
しかし、核時代の今日いかなる国も自力だけで防衛を全うすることは事実上困難となつており、多くの国が集団安全保障体制を採用しているように、わが国の場合も、政治、経済その他の関係で共通の利害関係をもつている米国との安全保障体制によつて外部からの侵略を抑止し、かつ、これに対処することとしている。これはわが国の防衛力と日米安全保障体制に基づく米国の軍事力とによつて、日本防衛の万全を期するという体制である。われわれは、核兵器と攻撃的兵器を持たない以上、日本の安全保障上、国際情勢に大きな変更のない限り、日米安全保障体制は必要であると考えている。
集団安全保障体制というのは、国の自主性をふまえた上での共同防衛であつて、自主防衛と矛盾するものではない。現代社会においては、自主防衛は必ずしも単独防衛ではない。自主性を確保して国益を守るために相互に提携するなら、集団安全保障体制も自主防衛の一形態である。共同防衛において注意すべきことは、相手方に対するばく然とした期待や他力本願的な依存であつてはならないということである。そのような期待や依存は国民の{前1文字ママ}国防に対する無責任な感情をうえつけ国民精神を堕落させるおそれがあるばかりでなく、相手方のわが国に対する信頼度を低め、日本防衛および相互の協力による安全保障体制の弱化をきたすおそれがあるからである。みずからの国はみずから守るという自主防衛体制の確立をはかり国民的合意の中に実効のある相互協力の道を開拓して行く必要がある。
(2)防衛力の建設
韓国から米駐留軍が引き揚げた後の昭和25年6月25日、朝鮮戦争がぼつ発し、わが国に駐留していた米軍主力は、国際連合軍として朝鮮に出動した。同年7月8日、連合国最高司令官は、内閣総理大臣に日本警察力の増強に関する書簡を送つた。その中で「法の正当な手続を覆えし、平和と公共の福祉に反するような攻撃の機会を狙う不法な少数者から挑戦されることなく、……好ましい状態を安全に維持するためには今や警察制度をその組織の面においてもまた訓練の面においても効果的ならしめるため」警察力を増強する必要性をのべ75,000人の国家警察予備隊の設立と海上保安庁の8,000人の増員を認めた。これによつて8月10日、警察予備隊が公布、施行された。警察予備隊の任務は、「わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補う」ものであり、「治安維持のため特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命を受けて行動する」ものと定められた。一方昭和27年4月26日、「海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため緊急の必要がある場合において、海上で必要な行動をする」任務をもつ海上警備隊が海上保安庁に設置された。
昭和26年9月8日、対日平和条約と日米安全保障条約が調印され、両条約は翌年4月28日発効し、日本は独立を回復した。政府は、わが国の自主独立体制に即した行政機構として、警察予備隊と海上警備隊を統合し、陸海両面にわたる警備力の一体的運営をはかることとした。そして昭和27年8月1日、保安庁が設置され、その結果、警察予備隊は保安隊に、海上警備隊は警備隊に、それぞれ改称され、「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する」ことを任務とした。従前の警察予備隊、海上警備隊の任務と本質的な変更はなかつた。
平和条約の締結により、独立した後の日本は、着実に国力を回復し、国際的地位を向上させた。また、自由、共産両陣営の対立という国際情勢さらには駐留米軍の漸減等の当時の諸情勢のなかで、国土防衛の重要性がいつそう高まつた。
昭和27年9月27日、吉田内閣総理大臣と重光改進党総裁の会談で「自衛力を増強する方針を明確にすること、駐留軍の漸減に即応しかつ国力に応じた長期の防衛計画を樹立すること、保安隊を自衛隊に改め、直接侵略に対する防衛をその任務に附加すること」で両者の意見が一致した。一方、米国の対日援助に関し、相互防衛援助協定が昭和29年3月8日に調印され、5月1日発効した。この協定に引き続き、5月14日、日本国に対する合衆国艦艇の貸与に関する協定が調印された。
このような情勢の中で防衛庁設置法、自衛隊法が昭和29年7月1日から施行された。これによつて保安庁が防衛庁に、保安隊が陸上自衛隊に、警備隊が海上自衛隊に改編され、新たに航空自衛隊が創設された。
自衛隊は「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当る」ものと定められた。保安隊、警備隊が秩序維持を目的としていたのに対し、自衛隊は外部からの武力攻撃に対する防衛力としての性格を持つに至つたのである。
防衛庁設置法の制定時に、国防に関する重要事項を審議するため、内閣総理大臣の諮問機関として国防会議が設けられたが、その構成員については、昭和31年7月2日施行の国防会議の構成等に関する法律によつて定められた。
日米安全保障条約は、昭和35年、新しい条約に改定され、日米対等の関係に立つ安全保障体制に移行し、その後10年の固定期間を過ぎて、昭和45年6月いわゆる自動継続の時期にはいつた。
わが国は、1960年代を通じて、国力の伸長にめざましいものがあり、それに応じて国民の自覚と自信が高まり、自主防衛の気運も高まり、防衛力の整備についても相当の進展をみるに至つた。
われわれは、国際政治のきびしい現実を正しく認識し、わが国の国力、国情に調和した防衛努力を進めてゆかなければならない。
(3)防衛力の整備
政府は警察予備隊の創設以来、逐次、防衛力の整備に努力してきた。そして昭和33年度以来今日まで3回にわたり防衛力整備計画を策定し、現在昭和47年度から始まる新防衛力整備計画を検討中である。
第1次防衛力整備計画(昭和33年度〜同35年度)は、当時急速に撤退しつつあつた米国の地上軍の縮少に伴い、わが国の陸上防衛力を整備するとともに、海上および航空防衛力についても、ともかく一応の体制をつくりあげるという骨幹防衛力の整備を主眼としたものであつた。
第2次防衛力整備計画(昭和37年度〜同41年度)において、はじめて防衛力整備の目標とする事態を通常兵器による局地戦以下の侵略に対処することと定め、これに対して有効に対処しうる防衛力をもつものであることを明確にした。そして防衛体制の基盤を確立するため、前計画の骨幹防衛力の内容充実とともに精鋭な部隊建設のための基盤を培い、陸海空自衛隊の総合防衛力の向上をはかることを方針した。
次の第3次防衛力整備計画(昭和42年度〜同46年度)は、現行の計画であり、本年度はその4年目に当たる。この計画では、わが国のおかれている内外の情勢、国力の伸長、国際的地位の向上等を勘案しつつ、陸海空自衛隊の内容の充実、強化をはかるとともに、隊員の志気を高揚し、精鋭な部隊の建設に努めること、技術研究開発を推進すること、装備の近代化、国内技術水準の向上に寄与するとともに装備の適切な国産を行ない、防衛基盤の培養に資すること等を主眼とした。
第1次および第2次防衛力整備計画の達成状況、第3次防衛力整備計画の目標および現段階における達成状況は別表第7のとおりである。
以上のように、防衛力整備の努力を重ねた結果、自衛隊はその量質ともにかなりの進展をしたが、新防衛力整備計画によつて専守防衛への態勢をさらに一歩前進させる必要があり、現在これを検討している。
今後の防衛力整備上の問題としては、自衛官の処遇の改善、機能統合の強化、陸上自衛隊の充実、海空自衛隊の増強、情報機能の強化、装備の自主開発等は考えられる。
(4)専守防衛の防衛力
わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする。
専守防衛の防衛力は、わが国に対する侵略があつた場合に、国の固有の権利である自衛権の発動により、戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである。したがつて防衛力の大きさおよびいかなる兵器で装備するかという防衛力の質、侵略に対処する場合いかなる行動をするかという行動の態様等すべて自衛の範囲に限られている。すなわち、専守防衛は、憲法を守り、国土防衛に徹するという考え方である。
以上の前提のもとに、わが国は制限戦争に有効に対処することができる通常兵器による防衛力を整備することを目標にしている。
現代の国際社会において起こることが予想される武力紛争の多くは、制限戦争であるか、それ以下の規模のものであろう。このことは第2次世界大戦後に各地で起こつた武力紛争が如実に物語つている。通常兵器を使用する武力紛争の生起を抑制し、またはこれらの紛争に対処するためには通常兵器によることが常態であり、これが核兵器が発達した後においても通常兵器が重視される理由である。
戦略核兵器はもちろん戦術核兵器といえどもその使用に対する国際的反応への考慮と、第2次世界大戦のような大規模な戦争に発展するおそれなしとしないとの理由で、その使用は抑制されている。
(5)防衛力の限界
ア 憲法上の限界
(ア)わが国の防衛力は、自衛のためのものであるから、その規模は、自衛のため必要かつ相当のものでなければならない。それが具体的にいかなる程度の自衛力を意味するかは、そのときの諸般の情勢、科学技術の発達等の諸条件によつて一概にいえないが、いずれにしても他国に侵略的な脅威を与えるようなもの、たとえば、B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦、ICBM等は保持することはできない。
(イ)またわが国の防衛力は自衛のためのものであるから、自衛の範囲を越えて行動することはできない。すなわち、自衛隊が出動を命ぜられるのは、わが国に対する直接または間接の侵略に際してであり、したがつて、いわゆる海外派兵は行なわない。
イ 政策上の限界
(ア)核兵器に対しては、非核3原則をとつている。小型の核兵器が、自衛のため必要最小限度の実力以内のものであつて、他国に侵略的脅威を与えないようなものであれば、これを保有することは法理的に可能ということができるが、政府はたとえ憲法上可能なものであつても、政策として核装備をしない方針をとつている。
(イ)わが国の防衛力は、国力国情に応じ、自衛のため必要な限度において、社会保障、教育その他の諸施策との間に、適切な調和を保ちつつ、効率的な防衛力を漸進的に整備する。したがつて、防衛力整備のための国家資源の配分についても、単に経済力の増大に比例し、国民総生産や国家予算との比率によりきめることは、必ずしも適切ではない。
わが国の防衛力は、以上のような考え方を基本とし、その規模内容および整備のテンポがきめられるものであり、わが国独特のきびしい限界を持つている。
(6)侵略の抑止と排除
わが国の軍事戦略の基本は、まず直接または間接の侵略を未然に防止することである。そのため、みずから有効な専守防衛の防衛力を保持するとともに、米国との緊密な連係によつてわが国に対する侵略が起こるような隙を生じないように配慮して侵略を未然に防止することである。すなわち、核兵器を使用する戦争や大規模な武力紛争の脅威に対しては日米安全保障体制による米軍の抑止力に期待する。
その他の武力紛争の脅威に対しては、つとめてみずからの力で防衛体制を確立して、わが国に対する侵略事態が発生することを防止する。
以上の侵略の未然防止の努力にもかかわらず、万一、侵略事態が発生した場合にはこれに対処しなければならない。すなわち、間接侵略に対しては早期にこれに対応して、事態の拡大を防ぎ、その収拾に努める。
直接侵略が起こつた場合には、防衛に必要な限度においてわが国およびその周辺の海域や空域における航空優勢、制海の確保に努め、その事態から生ずる被害の局限化をはかり、侵略を早期に排除することをはかる。
4 日米安全保障体制
(1)日米安全保障体制の推移
わが国は、昭和26年9月、対日平和条約とともに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧条約)を締結した。
この条約により、米国は、我が国の安全のために、わが国の希望に基づいて、その軍隊をわが国内に駐留させ、わが国はこれに対し基地を提供することを約束した。
旧条約においては、米軍のわが国における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびにわが国内における大規模な内乱および騒じようの鎮圧、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するためにしようすることができることとなつていた。
これらの点を是正するため、わが国は旧条約の改定を提議し、昭和35年1月、新たに日本国とアメリカ画集国との間の相互協力及び安全保障条約を締結した。この改定においては、(1)米軍の内乱出動条項を削除し、(2)有効期間について10年の後は1年の予告をもつていずれの当事国も条約を廃棄することができることを規定した。また米軍の配置および装備の変更ならびに戦闘作戦行動のための基地使用については、別に交換公文をもつて日本政府との事前協議にかけることにした。また、いわゆる在日米軍の地位に関する行政協定も同時に現行の地位協定に改定された。さらにこれらの改定のほかに、日米間の政治、経済上の関係も明らかにされ、日米両国が「平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する」とともに「両国の間の経済的協力を促進する」として政治および経済面での協力をいつそう発展させようとの考えを明らかにした。
なお、この条約においては、日米両国は国際連合憲章の目的および原則に従つて行動すること、国際連合の強化に努力することを明らかにしており、国際連合が本来の機能を果たすことができるようになつたときには、この条約は効力を失うことを規定している。
この条約を防衛面から見れば、その中心となるのは、わが国への武力攻撃があつた場合、日米両国は、これを共通の危険として対処することであり、わが国の安全と極東の平和と安全を維持するため、わが国の施設および区域を提供することを定めたことである。
日米安全保障条約は、昭和45年6月22日の満了をもつて、10年間の固定期間が切れ、いわゆる自動継続の時期にはいり、今後は日米いずれかの政府からの申し出により1年の予告期間をもつて、条約を廃棄することができるようになつた。このことは、大局的にみて国益上共通点の多い日米両国の協力をさらに緊密に維持してゆくことに日米ともいつそうの努力を要請される。
昭和40年1月13日の佐藤内閣総理大臣とジョンソン大統領との共同声明において、日本側が日米安全保障体制を今後とも堅持することが日本の基本的政策である旨を述べ、これに対し米側は外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという日米安全保障条約の義務を遵守する決意であることを再確認しており、また昭和45年9月14日ワシントンで行なわれた中曽根防衛庁長官とレアード国防長官との会談に際しても、米側は、日米安全保障条約の義務に従い、日本防衛のためあらゆるタイプの平気を使用する旨述べており、わが国への外部からの武力攻撃に対しては、日米安全保障条約に基づいて日米間の共通の危険として対処することを日米首脳間における話し合いを通じて確認されている。
(2)日米安全保障条約に基づく日本の防衛
条約第5条で、日米両国は「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が時刻の平和及び安全を危うくするものであることを認め」て共通の危険に対処することを定めている。
米国は日本防衛の義務を負っているが、わが国は、米国の領土やわが国の領域以外の場所にいる米軍が攻撃されてもこれを防衛する義務を負つてはいない。この点は米韓相互防衛援助条約や米華相互防衛条約等においては、韓国または国府は太平洋または西太平洋の地域におけるいずれか一方に対する武力攻撃について米国と相互に防衛し合うのをたてまえとしているのに比べて異なつた形をとつている。
わが国の防衛は、前述のように専守防衛を本旨とし、その足らない部分は米軍に依存することにしている。日本防衛上米国に依存する度合いは、わが国に対する武力攻撃または侵略の様相、規模の大小、対処期間の長短等により、また、わが国の防衛力整備の程度により異なることはいうまでもないが、概していえば核兵器を使用する戦争や大規模な武力紛争の脅威に対する抑止、直接侵略に際してわが国の領土外への戦略攻撃等である。いずれにしてもわが国に対する武力攻撃が行なわれた場合、日米で最も有効に対処しなければならないので、平素から両者の間で相互に密接な連絡をとり、意志の疎通をはかり、緊密な関係の維持につとめる必要がある。
(3)施設および区域の提供
条約大6条では、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」米国はその陸、海、空軍が日本において施設および区域を使用することを認められている。これは、日米安全保障体制において米軍の行なう日本防衛を実効のあがるようにするために必要であり、また米軍がわが国に存在することが紛争の発生を抑止するという判断に基づくものである。
また、極東の安全と日本の安全は、きわめて密接な関係にある。日米両国は極東の平和および安全の維持に共通の関心を有している。米軍がわが国の施設および区域を使つて極東の安全を維持する体制にあることは極東における武力紛争の発生を抑止する効果をもち、そのことが同時にわが国の安全に貢献することになるわけである。
外国の軍隊の駐留を認めているのはわが国ばかりでなく韓国、国府、フィリピン、英国、ドイツ(西)、イタリア等多くの国が相互安全保障に基づき米軍の駐留を認めている。
{第3部 自衛隊の現状と諸問題および附表(別表)は省略}
{(1)は原文ではマル1}