データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 防衛力整備の考え方(KB個人論文)

[場所] 
[年月日] 1971年2月20日
[出典] 
[備考] KBは久保卓也の略と思われる
[全文]

はしがき

 新防衛力整備計画を策定し世に問うためには,防衛力整備に関する基本的な考え方を固めておくことが適当であろう。本稿はそのための一つの試論であつて,今後関係者の検討をまつてコンセンサスを得たい。

 本稿では有事所要兵力を想定した上で,情勢に変化のない場合の常備兵力の構想をうち出している。後者については,常時において維持すべき防衛力の水準として具体的な検討が行わねばならないが,本稿ではその考え方の大筋を示すに止まつている。

 簡略な記述でその意を尽くしていないが,大方の批判によつて是正していきたい。

1 情勢判断

(1)全般的情勢

 ア 米ソ間は緩和,米中間はほぼ凍結,中ソ間は,今後も国境における緊張は継続しても本格的な戦争状態には入り得ない。核戦力を背景とするこの三大国のてい立によつて,三大国の介入の予想されるような地域での大規模な戦争はまず起こるまい。

 イ 欧州では,ワルシャワ条約軍とNATO軍との間に力と力との対決があり,軍事力はピークの状態で維持することが要請されている。

 しかし英,米についてみても,全般的な軍事力の整備強化には不備な面が現れている。(英国については経済的理由により,また,米国についてはベトナム戦争の影響により,また,米国についてはベトナム戦争の影響により。)反面,ソ連についてみれば,全般的軍事力の増強がなお進んでいるとみられる。

 ウ アジアおいては,両ブロック間で力の対決が行われているというような緊張ではなく,幾つかの国における国内の不安定要因が紛争を生み,米軍の顕在的,また共産側の顕在的ないし潜在的介入を招き,複雑な様相を呈している。このうちにあつて,朝鮮半島及び台湾については,欧州のような力の対決があるが,特に前者については,アジア型の紛争要因も内在している。

 昨年うち出されたニクソン・ドクトリンにより,アジアにおける米軍の削減が促進されようが,それは中共の進出を招く可能性が多分にあり,特に東南アジアおいては,中共の影響が将来強化されてこよう。ただこの傾向は,朝鮮,台湾にまでは及ぶまい。

(2)日本をめぐる脅威

 日本をめぐる軍事的紛争の要因は差当たつてない。敢えて考えるならば,周辺地域における紛争の波及,大陸棚や沖縄をめぐる紛争程度であろうか。従つて,プロバブルな脅威はないが,ポシブルな脅威は存在するといえる。

 またポシブルな脅威を考える場合,日本について今日具体的紛争要因がなくても,第二次大戦後世界各地で起こつた各種の戦争や紛争の様相が,将来にわたつて日本についてのみは全く起り得ないと判断することはできない。とくに周辺諸国の軍事力の整備が進んでいることは,わが国に対し不断の脅威の素因をなすものである。そうすると,ポシブルな事態は,地域,期間,手段,を限つて行われるような戦争,いわゆる限定戦争であり,それは,今までと同じく今後も世界のいずれかの地域で,何等かの理由で起りうる。

 今日,米中ソ三大国が本格的に介入するような大規模な戦争は強く抑止されようから,日本についても,無制限な全面戦的な事態は考慮外におき,限定戦争事態をポシブルな脅威と考えてよい。

2 防衛力整備の根拠

 わが防衛力は,以上のようなポシブルな脅威(潜在的脅威といつてもよい)に備えるものである。今わが国を侵略しようとしている国はない(従つて仮想敵国はない)。しかし侵略は相手国の意思にかかわるものであり,その意思がどう動くかはわが方の判断のらち外にあり,わが善意(平和的意図等)のみによつて規制しうるものではない(それは多くの歴史的事実が証明する)。従つてわが国としては,いずれの国も意図的にか,誤まつてか,そのような意図を将来にわたつて持つことのないよう,予め規制する手段を講じておくことが賢明である。

 その手段は一つではない。外交的努力の推進(国連の強化,平和的な国際世論の喚起,国際友好関係の推進,平和国家たることの顕示,周辺地域における紛争から遠ざかつていること等),国内の安定と発展等はその重要なものであろう。しかしそれらも絶対的なものではなく,最終的な歯止めとして実力として防衛力及び日米安保体制を必要としよう。そしてそれとともに,国民の国防意識の堅持,国内の国防基盤の確立が併せて行わなければならない。

3 日米安保体制の意義

(1)わが国は,核抑止力ないし戦略的攻撃力は勿論,相手国領土の基地を攻撃するような兵力も持たないこととしている。従つて,わが国防衛上この分野の作戦機能が必要となつた場合は,米国の力に依存せざるを得ない。わが国憲法上での制約からしても,国際緊張が続く限り,何等かの形での日米安保体制が必要であることになる。そして現実にアジア海域における米第7艦隊の存在は,日本を含む米国のアジア同盟国に対する公約履行のあかしとなつているものである。

 しかしながらニクソン・ドクトリンの結果,70年代を通じてみた場合,米陸軍,空軍,の第一線兵力については,アジアから大巾な縮小ないし完全な撤退という事態も予想されないではない。かくして1億の人口を擁し,大きな経済力を有するわが国が,憲法上の制約を除き,なし得る防衛努力については,米国に依存することは将来困難となろう。従つてこのような分野については,わが国が自ら整備をしていかなければならない。具体的にいえば,核抑止力,相手国領土の基地攻撃力,わが国周辺以外の海域における制海機能を除いては,わが国が防衛の責任を十全にもつようにしなければならない。

(1)以上にかかわらず,次の事情があるため米国の第一線兵力の一部が日本の領土(例えば沖縄)に顕在することが望ましいこととなつた場合,日本は,将来NATO諸国の如く,米国より防衛費の分担を要求されることのありうべきことも考慮しておく必要があろう。

ア わが国防衛力未整備のため

イ 有事即応の防衛力をもたず,後述する常態における防衛力をもつことからくる不安があるため

ウ わが国の安全が極東の安全に依存しているとしてその極東の安全のため

(2)一般的にいつて,ニクソン・ドクトリンにより,各国の自主的防衛努力の向上が要請されるとともに,米軍のアジアからの撤退は,今後一層促進されよう防衛力整備能力を持つわが国については,一層然りである。この場合,米国はアジアの同盟諸国に対する公約履行を確言している。しかしその履行の仕方が問題である。その最低限の場合は,平時における核抑止力の提供,侵略に際して相手国への抗議,声明,国際場裡でのバックアップ等の政治的支援,軍事力(第7艦隊)による誇示,威嚇に止まる場合もあるかも知れない。兵力を派遣する場合であつても,適時必要量の支援でないこともあり得よう。いずれにせよ,われわれは,米軍の支援について各種のヴァリエイションを考えておく必要があろう。

(3)少なくとも日本に米軍の第一線兵力がいない場合,米軍の来援を制約する可能性のある要因としては,次のものが考えられる。

ア 人質がないので事実上米軍が自動的に介入することにならない。(むしろ自動介入を避けることが,今回のニクソン・ドクトリンの狙いであるかも知れない。)

イ 軍事力による直接介入を嫌う米国の国民世論や議会の動向

ウ 米軍事力の存在しなかつた地域に兵力を派遣することに伴う国際間の緊張増大に対する米政府の懸念と警戒

エ 軍事的な戦略集中能力上の制約

(4)このような制約要因を顕在化させず,日米安保体制の下に米軍の来援をより確実ならしめる手段として,次のような要素を考えることができる。

ア 日米間の全般的な信頼,友好関係の維持

イ 日本の生産力,人的資源,他国への影響力の増大等日本が自由主義諸国にとつても,社会主義諸国にとつても極めて魅力のある存在であること。(米国は日本を自由陣営にとつておきたいし,社会主義陣営に渡したくない。)

ウ 日本の原子力開発能力の向上

日本の原子力の平和利用能力が高まり,何時でも相当な核装備ができるという体制が進めば(現にそうであろうが),核拡散による国際関係の不安定性の激化を恐れて,米国は核保障による日米安保体制の保持を希望するであろう。

エ 日本国内の団結と安定

米国民は,援助による効果を期待しうるとの安心感をもちうる。

オ 日本の自助努力の推進

ニクソン・ドクトリンはもとより,米国が結んでいる各種の安全保障条約は,もともと関係各国の自助の努力がその前提になつている(バンデンバーグ決議)。日本の自助努力がなされないのに,米国民は自分の生命と資源を他国のためになげうつ気にはなり難いであろう。この意味において,いわゆる自主防衛の推進は,米国の支援をより確実ならしめるので,日米安保体制を強化することになるといえよう。また,アジア諸国の自助の推進は,それだけ米国の負担を軽減し,いざという場合に,特定国への米国の支援をより集中させうるものである。

カ 軍事的協力関係の強化

 在日米軍基地の有事即応のための整備,米軍の指揮通信機能の存置,日米連絡協力関係の緊密化,日米共同軍事演習の実施,米軍の支援訓練

(5)このように考えると,70年代における日米安保体制の基盤は,軍事的なものよりもむしろ政治的性格を有するものとみるべきであり,このような政治的基盤に基づいて軍事的支援が行なわれるものと考えるべきであろう。政治的基盤なくして単に安保条約があるが故をもつて有効な米軍の支援が行なわれるものと安易に期待すべきではない。この意味においていずれ将来は,日米安保条約を政治的な日米相互友好条約とし,その必然的結果として米国の軍事的支援が行なわれるよう,条約の性格を変えるべしとの意見も生じよう。その方が現在の条約よりもより強固な日米安保体制を確立しうることになるともいえよう。

4 防衛構想

(1)わが国に対するポシブルな脅威に関しては,上述したように第二次大戦以前の長期にわたる全面戦的な事態を対象とせず,限定戦争を対象として考える。この場合は,地域的,期間的,手段的に限られた戦争とみてよい。従つて地域的には,主たる戦闘地域は地理的観点からは北方及び西方であり,従たるものが全国土及び周辺海域について考えられる。また期間的には,当初1〜2ヵ月間が最も激しい戦闘期間であり,米国の本格的な支援,国連ないし国際世論の積極的な介入によつて戦争は逐次鎮静するものと考える。更に戦争手段として核兵器の使用は,大規模な戦争ないし本格的な核戦争にエスカレートする恐れが多分にあるので,使用されないものと考えてよい。

 このような限定戦争であつても,想定としては,予測期間の殆どない,しかしながら比較的小規模な奇襲攻撃的事態と予側{前1文字ママ}期間のある比較的大規模な侵攻事態の双方を考え,かつそれに備えなければならない。

(2)このような事態に対して,わが国は少なくとも戦闘初期の間は独力で防衛に当たり,逐次投入される米国の支援によつて防衛を全うする。しかしその場合も,陸上防衛及び防空の第一線兵力については,米国の支援を期待することは難しい。米国に主として期待しうるのは,第7艦隊及び空軍による侵攻兵力及び侵攻基地の攻撃,撃破であり,更に第7艦隊による対潜哨戒であろう。従つてこのじ余の分野については,わが国の力によつて防衛に当たらなければならない。

(3)わが国は戦略攻撃兵力や侵攻国の侵攻基地を攻撃する兵力は持たない。相手国軍が侵攻してくればそのつど追い落し,ついには相手国に侵攻を諦めさせるような防衛力をもつものであり,この間に相手国の基地を撃破する必要があれば,それは米軍に依存する。このようなわが国の防衛力のあり方は,戦略守勢ないし専守防衛というべきであろう。

 また,わが国が経済力も低く,防衛力も微弱であつた時期においては,わが国は相応の防衛努力を払い,その足らざる所は,如何なる分野,如何なる量であれ,すべて米国に依存するという防衛構想をとらざるを得なかつた。しかし今日経済力は大巾に向上し,防衛力も漸次整備しつつあり,しかも米国のニクソン・ドクトリンの方向もあるので,これからの70年代においては,限定的な事態に対してではあるが,わが国の防衛に当たつて,米国の支援の範囲を特定し,じ余の分野については,わが国が自らの当然の責任に基づいて防衛努力をしなければならない。それがわが国の自主防衛の推進である。

5 防衛力の整備目標

(1)防衛力整備の枠組み

 第1に憲法上の限界がある。それは徴兵制を探らないこと,海外派兵をしないこと,自衛の範囲を越える戦略的な攻撃力(戦略核兵器も含む)をもたないことである。

 第2の枠組みとして,前述の理由によつて,わが国防衛力は通常型ではあつても全面戦争に備えるものではなくて,限定戦争に備えるもので足りる。ただし,この場合であつても,国際情勢の変化に応じるようある程度の弾力性をもたせることが望ましい。

 第3に日本周辺諸国の領域関係は,現状で固定されているものと前提する。

 第4に今日の国内,国際情勢の見通しからは,防衛費の枠は,GNPのほぼ1%程度でおさえることがおおむね妥当と考える。

(2)防衛力の整備目標

 ア わが国周辺諸国の将来の軍事的能力を脅威と考え,それに対応するため日米安保体制を背景として必要な防衛力を有事所要兵力と考える。

 イ しかしながら,わか国内外の情勢は,欧州,中東,朝鮮,台湾の如く,双方が力によつて対決し,プロバブルな事態の予想される諸国とは異なるので,今日予想される将来の脅威(軍事的能力)に十分応じうる防衛力又はそれに近いものを整備の目標とはしない。前項で述べた諸条件の下に,領空侵犯措置等防衛出動以外の諸行動,小規模の奇襲攻撃等不測の事態等に関しては,即応の所要防衛力を保持しつつ,常態における防衛力(常備兵力)として整備の目標を考える。

 ウ この場合における最大の問題は,情勢の推移に応ずる常備兵力から有事所要兵力への転移である。適時,円滑にこの転移を行うためには,情勢の推移を判断しうる能力と,その判断に基づいて防衛力の急速整備をはかる政治力とそれをなしうる適当な期間とが必要である。この期間が短かければそれだけ危険性が大きく,そのギャップを日米安保体制に依存するとしても,米国の支援の程度について不確実さがあればそれだけ危険性が残る。平時から十分な防衛力を維持するものでない以上,適確な情勢判断と敏速な政治的決断と緊密な日米関係によつて,このマイナス面をカバーすることとするほかない。如何なる防衛力も常にある種の賭けはあるものであつて,防衛費にGNPのほぼ1%程度を充当することとした場合は,以上のような防衛のあり方が国民の選択であるというべきであろう。

エ 常態における防衛力の整備に当たつて配慮すべき事項は次の通り。(常備兵力の規模については別紙参照)

(ア)防衛力の基盤となるものの概成

 一応の防衛は行いうるような体制にしておく。また装備の質に関しては,世界のすう勢に伍しうるよう努める。

(イ)拡充基盤の保有

 プロバブルな事態の成起が予想されるようになれば防衛力を拡充することになろうから,その場合に備えて基盤ないし骨幹となる兵力を保有し,運用研究,訓練を行つておく。

(ウ)監視,哨戒,情報等の体制の重点的整備常態における重点事項として高度の整備を行なう。

(エ)防衛力の抗堪性の強化

防衛力の抗堪性は兵力量の増大に相当程度代替しうるものであるし,大きな兵力量は装備の近代化更新の障碍となるのに反し,抗堪性の強化は,それほど近代化更新によるある種の無駄を必要としない。従つて抗堪性付与に要する期間を考慮しながら整備を行なう。

(オ)教育訓練部門の強化

常態における重点事項とする。有事所要兵力に対する配慮を行なう。

(カ)後方補給体制の整備

(キ)在日米軍基地の引継ぎと維持

  在日米軍基地とくに沖縄における基地は,今後更に縮小される可能性があるが,その場合,相当程度の基地については自衛隊が肩代りし,維持していく必要が生ずる。

(ク)研究開発の推進

  先見性をもつて世界一流の装備の研究開発を行なう。この場合,研究開発の結果の民需への寄与についても配慮しながら項目を選ぶ。

(3)常備兵力を防衛力整備目標とする理由

ア 基本的には,わが国についてプロバブルな脅威が考え難い。

イ この情勢判断によつて,防衛費については今後もおおよその枠(GNPのほぼ1%程度)が設定されるであろう。

ウ わが国周辺諸国の将来におけるその時々の脅威(軍事的能力)に対応する防衛力(有事所要兵力)またはそれに近いものは,前記防衛費をある程度ふやした程度では常に達成することができない。つまり常態においてポシブルな脅威(軍事的能力)に対し必要にして十分な防衛力をもつことは殆んど不可能に近い。

エ 有事所要兵力またはそれに近いものを維持するに足る人員,土地(飛行場,SAM配置場所等)が現実に得られそうにない。

オ 仮に防衛費を増大し,有事所要兵力を保持することができても,国民の防衛意識と協力度合いの低調,関係諸法令その他の国防基盤(必需物資の備蓄,民防衛等)が不備のままであれば,折角のピーク時の防衛力も効果が大巾に滅殺され,国防体制としてのバランスがとれていな{い}ことになる。

カ 有事所要兵力(正面兵力)を整備しうるとしても,それが十分な戦力となりうるためには,抗堪性の付与,後方補給体制の整備,弾薬,機雷等の整備等が併行して行なわれねばならないが,それが所望の程度に行なわれる現実性に乏しいので,正面兵力ばかりが大きくなつても,それは直ちにそれ相応の戦力につながらない。

キ 正面兵力が大きくなれば,その近代化更新に難渋し,事実上新旧装備の混在が顕著となる。今後の近代的装備がより著しく高度かつ高価になるにつれて,旧式装備を多く抱えることになり,正面兵力が見せかけのものになりかねない。

(4)わが防衛力の保有すべき特性

ア わが国防衛の第一線兵力は,強じんな防空能力,上着陸侵攻に対する阻止,撃退能力,対潜水艦能力に重点がおかれねばならない。ついで哨戒,監視,警備,輸送等の補助的機能を整備する必要がある。

イ わが国の防衛に当たつては,当面限られた防衛力で対処し,時を稼ぎつつ米国の支援,国連や国際世論による事態の制約を期待するものであるので,わが防衛力は残存性の強いことが要請される。逆にいえばわが国を侵略しようとする国は,米国や国連,国際世論が関与する前に侵攻の成果を挙げ既成事実を作ることを企図するものであろうから,わが防衛力は一応強そうであつてももろいというようなものであつてはならない。

 この意味においては,わが防衛力は抗堪性が必要であり,被害分散の点から編成装備の方向としては大型少数よりも小型多数の方が望ましく,各種部隊にできるだけ独立性を与える必要がある。

ウ わが防衛力は,正面兵力は大きくても抗堪性や後方補給能力に欠け,有効な総合戦力たり得ないものであつてはならない。有事に対する拡充の基盤(兵力,訓練面等)をもちつつ,正面兵力をある程度規制しても,総合戦力の向上となり得るものであることが望ましい。

エ 有事所要兵力であつてもわが防衛力は大であるといえるものではないので,部隊の転用が自由であるよう機動性,弾力性に富むと同時に,わが方は要撃の立場で地形を利して防衛に当たりうるのであるから,装備等も徒に大なるを求めず,相手に対し有効である限り小まわりがきき,小人数で操作できることが望ましい。また,旧式の装備でも場合によつては質的に高度なものより実戦的であることに留意する必要がある。

6 核装備問題

(1)憲法上の問題は別にして,わが国は戦争抑止力として戦略核兵器をもつべきであるとの論がある。わが国は大国としての威信保持のために核装備するという意思はなかろう。抑止力という場合は,それを使う意思がなければ抑止力たり得ない。ところがわが国が仮に小ないし中規模程度の戦略核兵器をもつても現在の核大国に致命的な打撃を与えることができない反面,核攻撃された場合のわが国は事実上抹殺されるに等しい。このような状態の下において,わが国としては戦略核兵器をもつても,それを使う意思をもち得るはずがない。相手国も合理的にこのように判断すれば,わが国の場合,戦略核兵器は抑止力たり得ない。かといつて核大国に致命的打撃を与えるだけの質量を整備することは現実的な問題ではない。

(2)戦術核兵器保有論は,核保障国をもたないスエーデン,スイス,イスラエル,アラブ,インド等においてとり上げられている。しかしこれらの国にあつては,抗争の場所であつて,人口稀薄な戦術核兵器の使用に適する地域がある。

     これに反し,わが国の場合,人口が国土に充満し,戦術核兵器を使う適地が殆んどない。僅かに海上を来攻する艦船群に使用する程度であろう。しかしわが方が核を使用することは,相手方にも核使用の口実を与えることになり,この場合は,彼我の核戦力の大きな差と受ける国土の被害の大きな差とによつて,わが国としてはむしろ失うことの方が遥かに多くなる。いわば,battleに勝つことはあつても,warを失う結果になる。わが国は戦術核兵器であつても,それを保有する軍事的合理性はないといえる。

(3)以上にみるようにわが国が核装備すべき理由はない。従つてわが国としては,米国の核の傘に依存せざるを得ない。しかし米国が他国のために自国民を犠牲にできるかというガロア的な批判もある。また,ソ連や中共の核戦力の増大に応じて,米国の核優位が失われ,米国の核の傘の信頼性が損われるのではないかとの意見もある。

     キューバ事件の時,米政府首脳は核戦争の危機を身近かに感じている。欧州では戦術核兵器の使用が戦略戦術の前提となつている。前にも触れたように,核は使用する意思がなければ抑止力たり得ない。いわば核は,使われる可能性があるから,現実には使われる可能性が殆んどないといつた矛盾した形で抑止力として存在しているものである。従つて,米国の核保障を信頼するかしないかは,当事者の心の問題である。米国が核戦力をますます強固にし,かつ与国に対する公約を明確にすることによつて,与国はそれを信頼するほかないし,またそのような関係が,現に今日両陣営間で核中和の状態をもたらしているといえよう。

 ソ連の核戦力の増強と米国核戦力の相対的低下による危機が一部で指摘されている。米ソ共核の第二撃能力がなくなれば核の抑止力はなくなる。しかし戦略核兵器については,その量的大小よりも相手国を半身不随に陥いれうる十分性の有無が問題である。米国としてソ連の増強は熟知のことであるから,現に核戦力の充実に努めているし,saltの推移をもにらんで,核戦力の十分性の保持に努力しないはずがないから,この面からの懸念は●{木へんに巳}憂であろう。

 また中共の核装備の進展に伴い,米国の核保障の信頼性が云々されている。しかしこれは極めて心理的なものであつて,中共は,70年代はもとより80年代に至つてもABM網を伴つた米国の第二撃能力を壊滅しうるものは整備できまいから,客観的には余り現実的な問題ではない。

7 わが国防衛力の今日的意義

 既にみて来たように,わが国は,全面戦争に備えて独力で自衛を全うしうるような十全な防衛力をもとうとするものではない。わが国は,限定戦争事態を想定し,限られた期間,自力で防衛に当たり,早い時期に米国の支援を得て協力して防衛に当たり,その力とともに国連や国際世論の圧力及び介入によつて事態を鎮静させるように期待している。

 このような性格をもつ防衛力は,国連憲章及びわが国憲法の精神に正に適うものであるといえる。憲章第51条にいう。「この憲章のいかなる規定も,国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には,安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間,個別的又は集団的自衛の国有の権利を害するものではない。」

 逆にいえば,わが国に対する武力攻撃が発生した場合,わが国は個別的自衛権を行使し,同時にわが国は米国の集団的自衛権の下にその協力を得る。そのうちに国連の安保理事会が平和と安全の維持に必要な措置をとることを期待する。このような防衛のありようこそ,わが憲法前文にいう「日本国民は,…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」精神に正に沿うものであろう。

 自衛力をもち得なかつた憲法制定当時の被占領時代,わが国の防衛はあげて米国及び国連に依存することとしたのも,憲法の当時の一の運用のあり方として,しかるべきものであつたろう。しかし国内条件と国際環境の変化に伴つて,わが国が一定の制約の下に防衛力を保持しつつも,十全な防衛のためには,なお米国及び国連や国際世論の協力に信頼しようとする姿勢は,また憲法の今日的な解釈と運用であるといえよう。