データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] わが国の防衛を考える(防衛を考える会事務局編)

[場所] 
[年月日] 1975年9月30日
[出典] 防衛を考える会事務局,朝雲新聞社,1-55頁.
[備考] 
[全文]

序文

 私は、防衛庁長官に就任してから、できるだけ機会を設けて、多くの人々の意見を聴いた。また、つとめて自衛隊の演習・訓練の実体に触れ、隊員とも語り合うことにした。

 私は、現在わが国の防衛について、こう考えている。一つは、日本の国は日本人自らの手で守るということ、侵略があったら徹底的に抵抗する意思をもつこと、国を守る気概を国民の一人ひとりがもつということである。二つには、憲法の制約のもとで、必要最少限の自衛力を常に保持することである。そして、それは他国に脅威を与えるものでなく、また民生を著しく圧迫するものであってはならないということである。三つには、核の脅威、大規模の外敵の攻撃には、日米安保条約が不可欠であるということである。この三つのうち、どの一つを欠いても、わが国の平和と独立は得られない。

 それから、どんなに士気おうせいで、優れた装備をもった精強な自衛隊であっても、国民の理解と支持と協力がなかったら、その防衛力は真の力となり得ない、と私は思った。

 こういう考え方から、自衛隊の内容を充実するために、四次防以後の長期計画を作成する際、「わが国に必要な自衛力は何か」という原点に立ち返って検討してみるつもりでいる。

 日米安保条約の防衛協力については、今までの制服間の研究事項に過ぎなかった有事の際の協力関係を、政治の指導のもとに調整する必要があると考えて、シュレジンジャー米国防長官との会談において意見を交換し、日米協力を円滑に運用できるようにするための協議、研究の場の設置と、原則として年一回、大臣レベルの日米会談を持つことに合意した。

 さらに、国民のコンセンサスを得るための一つの試みとして「防衛を考える会」に十一人の有識者の参加を要請し、国民の良識の声に耳を傾けた。

 総理府が実施した世論調査の結果をみると、約七三パーセントの国民が自衛隊の存在を肯定している。それにもかかわらず、一般に国民は防衛問題にあまり関心を示さないばかりでなく、時には自衛隊に反対する意見すら聞かれる。

 その原因の一つに、防衛庁が国民の意見を積極的に聴く努力をしないまま、防衛政策を立案し、実行に移してきたきらいがなかっとはいえない。

 ちょうど、四次防以降の計画に着手する時期でもあるので、この際、良識ある国民の意見を聴いて、その意見にそう努力をすれば、防衛問題が国民に定着するようになるだろうと、「防衛を考える会」に大きな期待を寄せた。

 結果は、私が期待した以上だった。参加してくださった委員の方たちの終始変わらない熱心な討議には、私をはじめ防衛庁の幹部のものも深い感銘を受けただけでなく、その内容は極めて有意義だったと思う。

 提案された様々な意見は、できるだけ今後の防衛政策に反映するつもりであるが、これをきっかけにして、わが国の防衛が国民的課題として、真剣に検討されることを期待している。

 御多忙の中を防衛庁、自衛隊のために、多くの時間をさいて国民の立場で意見を述べてくださった委員の方たちに、すべての自衛隊員とともに心からの感謝を捧げたい。

  昭和五十年九月

    防衛庁長官 坂田道太


   目次

序文     防衛庁長官 坂田道太

「防衛を考える会」について・・・九

第一部 討議のまとめ

 一 わが国をめぐる国際情勢・・・一九

  (一) デタントをどう見るか・・・一九

  (二) ベトナム後のアジア情勢・・・二〇

  (三) アジアをめぐる米中ソの動き・・・二二

  (四) わが国をめぐる国際紛争の要因・・・二四

 二 防衛の前提となる国内条件・・・二七

  (一) 国民の防衛についての意識・・・二七

  (二) 防衛問題に対する政治の責任・・・三一

  (三) 憲法と自衛・・・三三

  (四) 防衛費・・・三四

  (五) 科学技術力・・・三六

 三 防衛の基本についての考え方・・・三八

  (一) 平和の理想と防衛の現実・・・三八

  (二) 防衛力の役割・・・四一

  (三) 核問題・・・四四

 四 日米安保体制・・・四六

 五 保持すべき防衛力・・・四九

  (一) 防衛の構想・・・四九

  (二) 防衛力の質と量・・・五一

  (三) 情報・・・五二

  (四) 士気・・・五三

  (五) 教育・・・五四

  (六) 防衛計画の再検討・・・五五

第二部 防衛に関する個別所感

 防衛に関する若干の所感 荒井勇・・・五九

 私の防衛随想 荒垣秀雄・・・七二

 日本の防衛について 牛場信彦・・・九八

 感想 緒方研二・・・一〇五

 防衛問題の経済的側面 金森久雄・・・一〇九

 わが国の防衛力の目的 高坂正堯・・・一一五

 防衛雑感 河野義克・・・一二八

 防衛を考える(防衛雑感) 佐伯喜一・・・一三三

 防衛問題について 角田房子・・・一四九

 四つの注文 平沢和重・・・一五六

 新しい防衛哲学を求めて 村野賢哉・・・一五九

座談会「討議のまとめ」をよんで・・・一七三

  出席者 堂場肇・おおば比呂司

      猪木正道・伊藤圭一


「防衛を考える会」について

  発足までのいきさつ‐坂田長官の考え方

 坂田防衛庁長官は、かねてから、わが国の行政官庁の意思決定のあり方について疑問をもっていた。

 役所はその担当する行政に関して、それなりに最善をつくして政策を立案する。そして、それが外部に漏れないよう注意しながら閣議決定などの措置を経て、政府の政策として決定され、あるいは法律案として打ち出され、その段階ではじめて公表され、国会の審議を受ける。しかし、そこに至るまでの過程において、国民との間にコンセンサスを得ていない場合が多いので、立案の真意が十分理解されないまま、世論のきびしい批判を浴びることが少なくない。

このような事態を避けるため、坂田長官は、これからの防衛政策の検討に当たっては、防衛庁部内の意見を十分反映させることは当然として、国民各界各層の良識をあらかじめ汲み上げる必要があると考えた。

 そのためには、従来の役所の政策決定方式では十分とはいえなかった。

 「防衛を考える会」は、このような坂田長官の考え方をもとに、防衛庁が四次防以後の防衛政策を検討するに当たって、国民の良識の声を聴くために設けられたものである。

  参加メンバーの人選

 メンバーの人選は、会の成否を左右する重要なポイントである。そのため、慎重に考慮し、最大の努力を払った結果、次の十一氏(五十音順)が参加することになった。

   荒井勇氏  中小企業金融公庫副総裁

   荒垣秀雄氏  評論家

   牛場信彦氏  外務省顧問

   緒方研二氏  日本電信電話公社総務理事

   金森久雄氏  日本経済研究センター理事長

   高坂正堯氏  京都大学教授

   河野義克氏  東京市政調査会理事長

   佐伯喜一氏  野村総合研究所所長

   角田房子氏  評論家

   平沢和重氏  評論家・NHK解説委員

   村野賢哉氏  ケン・リサーチ社長

 この十一氏に参加を求めた事情は、次のとおりであった。

 ニュースメディアを介して、常に国民の動向に関心を寄せているジャーナリストの参加は、是非実現したかった。戦後十七年にわたって、朝日新聞の「天声人語」欄を担当した荒垣秀雄氏の承諾を得ることができた。

 女性の意見を防衛政策に反映させる必要があると考えた。本間雅晴中将の伝記などの著者として、旧軍の知識も豊富な角田房子氏の参加は重要な意味をもっている。

 防衛を議論する場合、国際問題を避けてとおることはできない。外交評論家として国際情勢に精通している平沢和重氏と、駐米大使として、戦後の日米外交を推進した牛場信彦氏の参加を重視した。

 防衛問題には経済が深いかかわりをもっている。金森久雄氏には経済面からのアプローチに期待した。

 防衛力は科学技術を離れては存在し得ない。NHKの科学担当の解説委員だった村野賢哉氏、電電公社で長年通信技術の開発に携わってきた緒方研二氏からは、防衛力を支える将来の技術問題に対する意見を期待した。

 防衛論争は、長い間国会で論議されてきた。野党の質問と政府の答弁の間で交わされる論戦からみた防衛問題は、参議院事務総長だった河野義克氏、また政府の見解については、内閣法制局第三部長を経験した荒井勇氏の参加によって明らかにされるだろうと考えた。

 「防衛を考える会」には、安全保障問題の専門家の参加を欠くことはできない。その意味で佐伯喜一氏と高坂正堯氏の参加が、この会を成り立たせる条件だった。

  会の運営と討議の経過

 「防衛を考える会」は、法律によって設置されたものではないから、会として正式の答申や報告を求められるわけではない。

 したがって、会の運営などについて、規約その他のかた苦しい取りきめはなく、参加メンバーの全く自由な意見交換の場となることが何よりも重視された。

 会の運営は長期間にわたることを避け、できるだけ短期間に討議を集中することにし、四月七日の第一回会合から六月二十日の締めくくりの会まで、三か月間に合計六回の会議が開かれた。第一回会合から六回に及ぶ討議の経過は、概ね次のとおりである。

   第一回会議(四月七日)

 最初の会議であり、特定の議題を設けず、白紙の立場で、かつ国民の一人として日ごろ考えていることを述べ、自由に討議したいというメンバーの意向に従って、それぞれ意見が出された。

 その内容は、「防衛問題については国民の関心は薄いが、それに対する責任の重いこと」や「わが国の防衛は平和時にどのような役割があるか、きちんとする必要がある」とか、「一般に防衛や自衛隊を知るための資料が乏しく、それが国民の関心を呼ばない原因である」といったことなど多岐にわたっていた。

 今後の会の運営については、代表者を決めたりせず、司会者を選んで討議を進めることとなった。

   第二回会議(四月二十八日)

 自衛隊の現状について説明を受けたいというメンバーの意向があったので、統合幕僚会議議長から、「防衛力運用の構想と問題点」について説明し、続いて防衛局長から「防衛力整備の現状と問題点」の実態を紹介したあと、これらの説明に対する質疑を中心に討議が進められた。

 その中で、「緊張緩和時の防衛力の意味や、その防衛力がもつ機能などを国民に知らせる努力が必要ではないか」とか、それらに関連して、「与党や政府の接点にいる長官や政務次官の職にある政治家の責任の重要なこと」などが議題になった。

   第三回会議(五月十二日)

 これまでの会議で討議された内容は、極めて広範囲にわたっていたが、メンバーの意見を整理すると、ばく然とではあるが、大方の関心事がつかめたので、それをもとに議題案を作成し、第三回会議以降は議題に基づいて会議を進めることになった。

 第三回会議では、「わが国の防衛をめぐる内外情勢」に(傍点始まり)焦点(傍点終わり)を当てて討議され、その中で「朝鮮半島の情勢がどのようになるのか」とか、「わが国の防衛力整備には、前提としなければならない制約や国内事情があるが、防衛費については、GNPの一パーセント程度がいつの間にか国民のコンセンサスを得ていること」などが述べられた。また、核問題については、「わが国の核武装は、軍事的にみても効果が疑わしいので、アメリカの核抑止に依存するのが賢明な方法である」という意見が大勢を占めた。

   第四回(五月二十七日)

 アジアの情勢と日米安保体制が討議の中心となった。ある委員が欧米を旅行した直後だったので、初めに訪問国の情勢を聴いた。欧米諸国とも、緊張緩和時の防衛政策にはそれぞれに悩みをかかえていることや、ベトナム後のアジア情勢に深い関心を寄せている状況が報告された。それに関連して、国際情勢の分析が行われた。その後、日米安保体制がわが国の防衛に大きな役目を果たしている事実について、様々な角度から討議された。

   第五回会議(六月十日)

 防衛政策の骨幹をなすわが国の防衛力のあり方について、今までの討議の結果を踏まえて意見が述べられた。

 「わが国の安全保障政策上、防衛力が果たしている役割や、最少限の自衛力を保持しなければならない理由」などが討議された。そして、「四次防以降の防衛政策を考える際には、従来の計画の延長ではなく、わが国の条件に最も適した防衛力は何か、という問題を再検討する必要がある」と指摘された。

   第六回会議(六月二十日)

 最終回は、前回までの討議内容の整理の仕方について検討が行われたあと、今までの討議を振り返って総ざらい的に各参加者から補足意見が出された。今回も、防衛計画の再検討ということが強調された。

 六回に及ぶ討議はすこぶる充実した内容で、防衛庁としても啓発されるところが多く、今後の防衛政策を考えるに当たって多くの示唆が得られた。

 討議の内容については「防衛を考える会」の事務局が、できるだけ客観的に整理し、第一部「討議のまとめ」とした。

 また、坂田長官のたっての依頼によって、参加メンバーの全員から討議終了後、防衛問題についての所感を寄せていただいたので、これをまとめて、第二部「防衛に関する個別所感」とした。


第一部 討議のまとめ

 一 わが国をめぐる国際情勢

  (一) デタントをどう見るか

 最近の国際関係は、一般にデタント(緊張緩和)といわれているが、一体それは本ものなのだろうか。人びとが抱いているイメージとその実態の間に、ずれはないのだろうか。

 冷戦時代といわれた東西間の緊張状態は、確かに一九六〇年代の初めごろからの緩和の方向に少しずつ動き出してきた。だから、基本的には、その動きの中に“デタント”の底流があるとみてよいだろう。けれども、各国の指導者たちは、それがすべてではないという認識をもっているようだ。キッシンジャー国務長官が、「デタントに対して米国は警戒心を緩めてよいとは考えていない」と語っているのも、デタントを進めるには、アメリカが強力な軍事力をもつだけでなく、友好国との同盟関係を強化しなければならないことを述べたものだろう。

 同じように、警戒の念を棄てていない国も少なくないが、これはデタントが政治的な努力目標であっても、その背後では依然として軍事力強化の努力が続けられている実態を物語っている。だから、デタントは巨大な軍事力をもっている超大国間の軍事的バランスによって支えられている現象だといえるだろう。

 もう一つ忘れてならない側面がある。今日、米ソ関係を軸に“大国間のデタント(セントラル)”は比較的安定しているし、それに歩調をあわせて“局地的なデタント(ローカル)”が生まれている地域もある。ヨーロッパや日本にその傾向がみられる。

 けれども、大国間の意思とは無関係に独自の道を歩いている国もあって、それが局地的緊張を高める場合もある。中東、朝鮮半島、東南アジアなどにその兆しがみられる。中でも、中東と朝鮮半島は、大国間の利害に直接結びつくだけに、とくに重要な意味をもっている。

 デタントは、世界的規模でみると、大国を軸にして一応安定する方向に進んでいるが、局地的には、まだ不安な要因を残しているのが実態ではないだろうか。

  (二) ベトナム後のアジア情勢

 今年になって、インドシナ半島は劇的な展開をみせた。カンボジアでも、ベトナムでも、解放軍が一気に政府軍を圧倒し、共産勢力が支配する地域になった。今度は、タイが影響を受けるだろうと常識的には考えられる。だが、タイは長い歴史の中で、自主性を保って生き抜いてきた実績をもっている。だから、ベトナムに隣接している国だからという理由だけで、簡単にタイに“ドミノ現象”が起きるとは思えない。

 将来の問題としては、インドシナ半島全体が徐々に共産化されるかも知れないが、他地域にまで“ドミノ現象”が波及することはないと考えてよいだろう。

 中ソの対立状態は依然厳しいので、中国の南進はそれほど活発にはならないだろうが、もし、ソ連がインドシナ地域やASEAN諸国に積極的に勢力を伸ばすような動きをみせると、中国も手をこまねいているわけにもいかなくなるから、緊張が高まってくるかも知れない。ASEAN諸国は、一様にこんどのインドシナ情勢の急変を深刻に受け止めている。そして、南を統一して強大になると予想される北ベトナムのこれからの出方をみながら、一方で中国との関係を改善し、他方、アメリカや日本との友好関係を維持する努力も、今までどおり続けるだろう。

 おそらく、米中、日中関係が良好な状態であることが、ASEAN諸国には心理的な救いになり、それが安定につながることになるのではないだろうか。

 いずれにしても、東南アジアは、まだ複雑に揺れ動く可能性が残っている地域であることは否定できない。

 ベトナム後、世界の関心が朝鮮半島に集まっている。サイゴン陥落直前に中国を訪れた金日成主席が、はじめは武力統一も辞さないような決意を表明したり、これに対して、韓国も国をあげて防衛体制の強化を急いだため、三十八度線を境に分裂している南北両朝鮮の緊張が、一挙に高まったような印象を与えたからだろう。けれども、米中ソいずれの国にとっても、朝鮮半島は、アジア政策上重要な地域だから、紛争は好まないだろう。アメリカは、在韓米軍を撤退させる様子はないし、中ソもアメリカとの友好関係を続ける努力をする一方、お互いにけん制しながら、北朝鮮の動きを抑えているようにみえる。だから、この緊張が紛争に発展する危険は、南北両朝鮮いずれかの国が情勢の判断を誤った場合に限られると思うが、それ以外には、まず大きな武力衝突は起きないとみてよいのではないだろうか。

 仮に、国連軍が解体するような場面でも、米軍が留まっていれば、格別情勢が変化するわけでもないので、現状は維持されるだろうが、やはり、今後の韓国の国内事情とアジアに対する米国のコミットメントの推移には、注目しなければなるまい。朝鮮半島には複雑な問題があるし、米中ソの動きによっては、情勢を急変させる要因をはらんでいるからだ。

  (三) アジアをめぐる米中ソの動き

 アメリカは、ベトナムで十六年もの間、多大の犠牲を払って戦いながら遂に撤退を余儀なくされた。この苦悩にみちた体験が、今後のアジア政策をどう変えていくのだろうか。

 五月十二日、セントルイスで、キッシンジャー国務長官が、「アメリカは、自己の利益と能力以上のコミットメントはすべきではない。しかし、現存する責任を回避すれば、必ず世界平和の構造に、何らかの緊張が生まれることになろう」と語っているように、基本的には大きく変わることはないだろう。だが、長い目でみれば、アジアに対するコミットメントは、もっと選択的になると思う。

 アメリカはベトナム後、アジアにおける日本の重要性について、外交政策の中で何度も言及している。西欧諸国の間でも、アメリカは今後、韓国、日本及び台湾を含む地域を重視するとみているし、韓国に対するコミットメントも、実は日本を考慮したものだという見方も多い。

 最近の米中ソ三国のアジア政策は、いわゆる“覇権問題”に対する考え方に、その姿勢が出ているようだ。

 覇権主義に反対するという意思は、一九七二年に米中間の「上海コミュニケ」(二月)、米ソ間の「基本的諸原則」(五月)、そして日中間の「共同声明」(九月)で表明されたが、これは当事国だけでなく、他のいかなる国の覇権主義にも反対するという趣旨で、もともと、アジア太平洋地域で一国だけがあまり強大になると、核戦争を抑止できなくなる危険があるというアメリカのバランス・オブ・パワーの考え方が背景にある。それが、お互いにけん制するような形で、中ソ間では使われているようだ。米中間の「上海コミュニケ」の場合には、日本に対する警戒心もいくらかは含まれているように思う。

 おそらくソ連は、全欧安保協力会議の成果に自信を得て、今後、プレジネフ書記長が提唱している“アジア集団安保構想”を強く打ち出してくるだろう。

 今までアジア諸国がこの構想に冷淡だった理由の一つは、分裂国家が多かったからだと思うが、ベトナムが統一され、南北両朝鮮の国連同時加盟が実現するような情勢になると、その機会にソ連は積極的に働きかけてくるかも知れない。

 いずれにしても、ソ連の狙いは、日本を中国から引き離して、中国を孤立化することだろうし、中国はソ連に対抗して、米中、日中の友好関係を保ちながら有利な情勢をつくるように努力するのではないだろうか。

  (四) わが国をめぐる国際紛争の要因

 地理的に考えて、わが国の平和と安全に影響があると思われる要因は、アジア大陸、周辺諸島、海洋の三つに分けられる。

 大陸には朝鮮半島の問題がある。歴史的にみても、朝鮮半島に治乱興亡があるときは、いつもわが国は影響を受けている。もし朝鮮半島で紛争が起きるようなことがあると、難民などの問題から日本も逃れられないことになる。それに朝鮮半島の武力衝突には、大国が直接介入することになるだろうから、規模の大きい紛争になる可能性が強いとみなければなるまい。

 そのため、わが国が無関係でいることはできないと思うので、万一の事態に備えて、今から対応策を検討しておかなくてはならない。そうでないと対処の仕方を誤って、回避できる問題も回避できなくなるおそれがある。

 だが、それにもまして大事なことは、そんな事態にならないように、最善の努力をすることだ。それには政府が、国民の理解を得て、朝鮮半島の安定に役立つ施策を適切に進めなければならない。

 中ソ関係はこれからも厳しさを増すだろうから、わが国もいろいろ影響は受けるだろうが、アメリカとの関係を深めて、アジアの平和と安定のために役立つ方向を見定める努力が必要になる。

 日本の周辺諸島の中に台湾がある。今後米中接近が進むと、今までのような米台関係は維持できなくなるかも知れないが、今のところ、台湾情勢の変化が日本に影響することは、ほとんどないとみてよいように思う。

 海洋に注目すると、ソ連海軍の増強がアジアでも確実に進んでいる。それに、海洋法会議の結果、国際間のルールが変わることにでもなると、海洋国家のわが国は影響を受けることになるだろう。

 さまざまな問題がわが国周辺にもあるが、今のところわが国には差し迫った軍事的脅威はないように思われる。けれども、アジアには現に不安定な要因を内在している地域もあるし、米中ソの関係も複雑にからんでいるので、一度紛争が起きると、大国を巻き込んで拡大していく危険性がある。そのことをよく認識したうえで、わが国の平和と安全を考えなくてはならない。


 二 防衛の前提となる国内条件

  (一) 国民の防衛についての意識

   ア 中途半端な防衛の見方

 防衛の努力なしには、国の独立と平和は守れないという国際社会の常識が外国にはある。けれども、わが国では、防衛問題を議論する場合、「何のために防衛が必要か」、「何から何を守るのか」といった基本的なことが問題になる。個人の価値観があまりにも多様化したためかも知れないが、それよりも、戦後一般に国家意識が薄れたのが原因ではないだろうか。

 国の防衛は、国民の理解と支持がなければ達成できないが、わが国では、国民の多くは防衛問題に無関心だし、たとえ関心があっても、議論となると、観念的・末梢的論争に走り、現実的・本質的な問題は避けて通ることが多い。それに、いまだに、ある種のアレルギーが残っているし、考え方も何となく中途半端で迷いがある。わが国に対する侵略は絶対にないと信じているわけでもなく、国土や国民を侵略から守る政府の重い責任も認めている。憲法の前文にある平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する姿勢には賛成だが、それだけでは不安で、現実的でないと考えてもいる。だが、そのために何をしなければならないかという点になると、バラバラでコンセンサスは得にくい。

   イ 島国ののんきさ

 わが国の歴史には、外国から侵略された悲惨な経験はほとんどない。だから、外国に対してわが国から挑戦さえしなければ侵略される脅威などあるはずがない、といった単純な安心感やのんきさがある。

 プノンペン、サイゴンの相次ぐ崩壊の悲劇をみて、何となく不安を感じた人もあったようだが、戦火が収まり、身近な生活が脅かされる危険もないと分かると、たちまち防衛に対する関心もなくなってしまう。

 永世中立国スイスが一つの理想的な平和国家だとみている人は多いが、そのスイスが針ねずみのように武装し、国民皆兵制のもとで、不断の努力を続けている事実をあまり知らない。それに、世界の多くの国が、集団安全保障体制のもとで、お互いに自らの責任を果たしながら、世界の平和を維持している現実も評価しようとしない。こんな態度が、海外から、経済力の大きな国でありながら一向に自助の努力もしない身勝手な国であると見られる原因であろう。

   ウ 核兵器に対する無力感

 核兵器の恐怖を身をもって体験した国民は、日本人以外にはない。それが多くの国民の心の中に、核兵器に対する無力感を植え付けている。その上、わが国は核攻撃にはぜい弱な体質をもっているから、この無力感が増大することになる。

 けれども、世界には百パーセントの安全を確保できる国はない。島国の日本に比べると、核兵器、通常兵器を問わず、他国からの攻撃に対して、はるかに不利なヨーロッパ諸国でさえも、お互いに協力し合って防衛体制を整え、強い抵抗の意思を示している。わが国と同じ敗戦の経験をもつ西ドイツの国民は、東欧の共産国が攻撃してきたら全力を尽くして戦う覚悟をもっている。いかなる国民も、何らの抵抗もせずに降伏する気持ちはないと思う。恐怖心や無力感のゆえに抵抗する意思をもっていない国民が、独立国家を維持していけるだろうか。

   エ 敗戦と戦後の環境

 第二次世界大戦の交戦国の中で、日本ほどすべての国力をあげて戦った国はないだろう。力尽き果てて敗戦の日を迎えたのだ。すべての日本人は悲惨な運命を覚悟したが、アメリカの占領政策が巧みだったので、われわれは一種の解放感さえ感じた。占領中に、価値観も一変するほど大きな変革を経験したが、再び独立したとき、日常生活に直接の変化がなかったためか、国民一般は、当時独立したという実感を抱かなかったように思われる。独立を意識しない国民に、国の防衛という観念は生まれてこない。戦後の歴史は、防衛への関心を呼ぶ必要もないままに、めまぐるしく流れていった。警察予備隊創設に際して、国民は自主的判断の機会をもち得なかった。憲法の解釈は、自衛力の存在に混迷をもたらしている。そのためか、自衛隊を見る国民の目には、軍国主義下の旧軍のイメージが今もつきまとっているようだ。それに、米軍の駐留が占領の延長という印象を長く残した。教育の改革による価値観の転機も大きかった。このようなことが、防衛に対する国民の意識に大きく影響していることは否定できない。

   オ 国民と自衛隊

 戦後の混乱の中から不死鳥のように立ち上がった日本は、経済の復興を最大の目標に営々と努力してきた。国力が向上し、国民生活が豊かになるにつれて、防衛力の存在を否定する空気もかなり薄れてきた。防衛問題については、依然として無関心だが、少なくとも拒否反応を示す様子はほとんどない。

 けれども、不幸なことに、国民の一部に自衛隊員に対して差別待遇をする動きがある。自衛隊員であるため大学への入学が妨げられ、住民登録が拒否されるような事態は、憲法が保障する基本的人権を犯すことになる。こんな不平等で非情な行為を放置しながら、国家の防衛責任を果たさせようとするのは、いかにも問題である。これは、国民が防衛問題について必ずしも真剣に考えていないところに、最大の原因があると思われる。防衛は国民生活を支える条件だから、男女を問わず、全国民が関心を寄せなければならない問題だ。そのためには、国民は、まず防衛について具体的な知識をもたなければならない。だが、そのための材料は今までのところ余りに少ない。政府や防衛庁の国民に対するサービスの不足は、時に秘密主義の疑いさえ抱かせる。今後は、国民に防衛を考えてもらうため、まず防衛について知らせる努力が大切だろう。自衛隊はいたずらに低姿勢をとらず、自信をもって国民に接してもらいたい。

  (二) 防衛問題に対する政治の責任

 政治は軍事をコントロールする責任がある。だから、シビリアン・コントロールを確立するためには、政治家の姿勢が最も重要である。

 だが国会には、いまだに防衛問題を専門に討議する委員会も設置されていない。予算委員会や内閣委員会で討議されてはいるが、これらの委員会だけでは論議が尽くされないように思う。

 与野党の勢力の差が、今までになく小さくなっている政治情勢の中で、防衛政策が「水と油」のように違っている状態では、防衛問題を混迷させることになる。外国では、与野党の外交、防衛の基本方針に大きな差はない。将来に目を向け、与野党間で政権の交代があっても、秩序ある移行ができるような素地をつくっておく必要がある。そのための責任が与野党ともにあるのではないだろうか。国会に(又は、安全保障)委員会の設置が望まれる。

 現在のようなデタントの時代に、防衛力を維持する必要性を国民に理解してもらうのはむずかしい問題で、諸外国、特に民主主義体制下の先進諸国でも苦慮しているようだ。しかし、アメリカやヨーロッパ諸国では、少なくとも政府の内部では、防衛政策が十分理解されていて、それを国民に説得するのに苦労しているのが実情だ。わが国では、政府の内部においてさえ、平和時に防衛力を保持する意義や役割が十分理解されているとはいえず、防衛問題を国民的課題とする意欲に欠けている様子さえみえる。まず、政府内部で意思を固め、国民に対して理解と協力を求める努力をする必要がある。

  (三) 憲法と自衛

 戦争放棄を内容とする憲法第九条には、一つの歴史的背景があった。第二次世界大戦が終了したころ、アメリカには、世界の平和を維持するために、世界の警察官としてアメリカを中心とする連合国だけが軍事力をもっておれば十分で、他の国の軍備は不用になる時代がくるだろうという期待感があった。その後、冷戦の激化、朝鮮戦争など、むしろ各国が独立と平和を守るためには、軍事力を強化しなければならないような情勢が生まれた。

 だから、独立を契機に、わが国が憲法の認める範囲内で自衛力を建設する決意を固めたのは、自然の成り行きでもあった。

 もともと、国家には固有の自衛権があって、それは国連憲章の中にも、個別的又は集団的自衛権として明示されている。

 このように、国には自衛権があるので、必要最少限の自衛力をもつことは、憲法も認めていると解釈するのが妥当だろう。

 それに、憲法第十三条では「国民の生命、自由及び幸福追求に対する権利は、国政上最大の尊重を必要とする」という趣旨のことが書いてある。だから、仮に、わが国が武力で侵略されたときに政府が何の手も尽くさず、そのために国民の生命、自由が奪われるようなことになると、政府は憲法に違反することにもなりかねない。このような理由からも、自衛のため必要最少限の防衛力をもたなければならない。

  (四)防衛費

   ア 各国共通の悩み

 戦後、わが国の経済は急速な成長を遂げ、今や国際的バランスを左右するほどの影響力をもつようになった。これは、GNPのうちで、防衛費の占める比率が、際だって低かったのも一つの理由といえるだろう。

 石油危機で経済成長にかげりがみえてきた。そのため防衛費も思うように伸びないが、これは世界的現象で、各国とも防衛力の維持にさまざまな問題を抱えている。

 わが国の今後の経済成長がどのようになるかは、意見の分かれるところだが、財政事情が悪化すれば、今後の防衛計画は一層の困難に直面することになる。たとえば、従来のGNPや予算に占める割合が維持されても、人件費の増大や物価の上昇などで、防衛費は実質的に低下することにもなるだろう。

   イ 大切なバランスの感覚

 個人の家庭でも、費用が生み出す利益の価値をそれぞれ判断しないと、生活設計をたてることはできない。同じように、国家全体の計画の中で、予算を投じて得られる利益を総合的に価値判断をする必要がある。防衛に対する国民の受け取り方は、個人の主観で大きく左右される点にむずかしさがある。生命さえ守ればよいのであれば、費用はかなり少なくて済むが、自由とか独立を守るためには、それなりに費用も高くつく。よく、「福祉か防衛か」という議論が行われるが、防衛は福祉を保証するための手段で、お互いに矛盾するような関係ではないだろう。安全が保障されてこそ、福祉も成り立つことになる。大切なのは、福祉と防衛のバランスをとって、国民の幸福を保障する共同体をつくり上げることだ。

   ウ 防衛費の物差し‐GNPの一パーセント以内

 自衛隊の人たちが、その責任を果たすために、防衛力を強化したいと望む気持ちは理解できるが、あらゆる事態に対応できる防衛力を平素から保持しようとすると、歯止めがなくなるおそれがある。わが国の防衛力は、そのような軍事的要請だけで判断するのは妥当とはいえない。

 防衛費として、国民の支持が得られる限度は、GNPの一パーセント以内が適当ではないだろうか。現在のように、経済成長が鈍化しているときはもちろんのこと、順調なときでも一パーセントを超えるとなると、国民の共感を得るのはむずかしい。この数字には理論的な根拠はなく、事実上こうなったのかも知れないが、何となく、防衛費の適否をはかる物差しのような役割を果たしている。

 経済情勢がもっと悪化すると、この程度の防衛費も負担になるかも知れないが、国内事情だけで防衛費を削減することには問題がある。現代の国際環境は、各国のかかわりあいが深まってきているので、先進国の間では、平和維持のために公平に負担すべきだという考え方が支配的になっている。だから、予算に現われる防衛負担が足りないとみられると、いろいろな場面で差別されるようになるかも知れない。今や、一国だけが他国を無視して利益を追求することは許されない状態になっている。

  (五) 科学技術力

 科学技術の驚くべき進歩は、国際的な協力関係の必要性を一層高めている。アポロ計画以後の大型プロジェクトをみても、核融合炉の例にみられるように、非常に膨大な費用がかかるので、たとえ、技術的には可能でも、一国の国力だけではとても開発できないものが出てきている。軍事技術の分野でも、一国だけで有力な兵器を開発し、軍事的に優位を保つようなことはむずかしくなりつつある。それに、精密な軍事技術でさえも、一般の技術水準を高めておけば、情報を集めることによって、多少時間はかかるが大抵のものは開発できるようになった。したがって、全体的に技術能力を向上させることが大事で、そうしておけば、最先端の軍事技術も必要なときには開発できるだろう。

 もっとも、軍事技術には独特の要求もあるから、専門家の養成も必要だし、レベルの向上に日ごろから務めていなければならない。

 この点で、わが国には問題がある。戦前は軍事力に関心が強かったので、軍事技術の専門家も多かったが、戦後はその人たちの後継者が育っていない。これを解決するのはむずかしいことだが、いろいろ工夫して、軍事技術の急速な進歩に追いついていくようにしなければならない。


 三 防衛の基本についての考え方

  (一) 平和の理想と防衛の現実

 「コペルニクス的転換」という言葉があるが、一九六九年のアポロ宇宙船の月着陸は、人類に発想をかえるきっかけを与え、われわれの住む世界を“宇宙船地球号”として客観的に眺める新しい世界観を与えてくれた。それは、世界の多くの人々に、かけがえのない地球は人類共有の運命共同体で、国家という小さい枠にとらわれていては、もはや永遠の平和を確立することはできないという意識を芽生えさせた。

 過去の例でも分かるように、世界の国々が自分の国の体制を守ることや利益を追うことだけを考えて軍事力を強化していくと、大戦争につながる危険がある。どうしても諸国民が世界的視野に立って、平和を実現する努力を続けなければならないだろう。

 人類の究極の目標はすべての国が一切の軍備を捨てて、国際紛争を武力で解決できない状態をつくりあげることだろうが、この理想は、現状ではまだ幻想に近いかもしれない。しかし、理想に近づく努力がないわけではない。

 その一つが国際連合の設立だった。国連憲章では、国際社会から戦争をなくすために、軍事行動を起こした国に対しては、加盟国が力を合わせて戦争を中止させる強制措置をとる建前になっている。だから、世界的規模の安全保障体制が一応は整っているともいえるが、一方に、大国の基本的対立や安全保障理事会における拒否権制度などもあって、十分に機能してはいない。このような欠陥を補う意味で、地域的にいろいろな形で集団安全保障体制がつくられている。

 けれども、国際社会の基礎にあるものは、やはり個々の主権国家だから、各国は、それぞれ、自国の意思に反して他国の意思を押しつけられないようにし、国内の秩序を保つために独自に実力を保持している。

 この事実は、国家固有の権利として、国連憲章で認められている各国の自衛権を守る手段でもあるだろうし、むしろ当然の政策といえるのではないだろうか。

 それに、世界の平和は、基本的には、独立国家相互間に維持されているある種のバランスの上に成り立っていて、防衛力の保持もこのバランスを支える重要な要素だというのが、国際的な常識になっている。わが国の防衛力も、国際社会の中でその役割を果たしているし、殊に極東の安定に寄与している点を評価してよいだろう。もっとも、他国に脅威を与えるような過度の防衛力だったら、かえって国際的安定を崩す原因ともなりかねない。

 けれども、今日、一国の力だけでは、どんなに防衛力を強化しても、それだけでは国家の独立と平和を守るのはむずかしくなっている。そのため、多くの国が、利害の一致する同志で、それぞれ条約を結び、集団安全保障体制を形づくっている。

 わが国は、日米安保体制を結び、日米協力を外交、防衛の基調にしているが、この選択によってわが国の安全が保障されているだけでなく、それがアジアの安定にも寄与しているとみてよいだろう。

 わが国の防衛の最高の目標は、侵略を未然に防止することである。そのためには適切な政策を進めなければならないが、何より大切なのは、国民一人ひとりの国を守る気概である。

 このような国民の意思と自衛隊が固く結ばれることが、わが国の防衛を成り立たせる基本的な要件といってよいだろう。

  (二) 防衛力の役割

 わが国の防衛力は、憲法上の制約をはじめ特殊な国内条件のもとにおかれているが、その役割は、どのようなものだろうか。もともと、防衛力の目的は武力侵略から国土と国民の安全を守ることだが、今日の防衛力は、平和時に果たしている役割の大きさが、以前には考えられなかったほど重要になっている。

   ア 平和維持

 わが国が、防衛力を保持していることは、国際バランスを保つ役割を果たしていて、それは平和を維持するのに役立っている。わが国のように、重要資源のほとんどを海外に依存している国は、世界のどこかで紛争が起きると、直ちに影響を受け、安全が脅かされる。それに、わが国は経済力などの面で、国際的に大きな影響力をもっている。だから、ある種のバランスの上に成り立っている国際間の平和の維持は、わが国にとって極めて大切だ。

 なまじっか、防衛力をもっていると、むしろ危険だという議論もあるが、わが国が完全に非武装の状態になると、たとえ、ある国が、自らわが国を支配下に置こうとする意思はなくとも、どこか他の国が侵略するのではないかと恐れるために、かえって国際社会に不安と混乱を起こすことになりかねない。

 このような要因をつくらないためにも、必要最少限の防衛力を保持して、国際的な平和維持の責任を果たさなければならないと思う。

   イ 侵略の防止

 防衛力は、またわが国に対して、軍事力を急速に用いるのを許さない役割を果たしている。

 最近の国際政治上の用話では、「拒否能力」(デナイアル・アクセス)といっているが、「防止力」と呼んだ方がわかりやすいかも知れない。

 一般に、戦争を抑止する軍事力の機能を“抑止力”と呼んでいるが、もともと、“抑止力”という概念は、核兵器が中心になっいる軍事力で、相手に恐怖を与えることによって、行動を思い留まらせる力を意味している。わが国は、この“抑止力”を日米安保体制に依存している。したがって「防止力」は、そんな強大なものでなくてもよい。わが国に必要な「防止力」は、わが国に対する侵略がかなりの犠牲をしいられ、コストの高いものになることを相手に認識させて、その軍事力を容易に使用させない効果をもっていればよいだろう。それは、わが国を防衛するという国家の意思を表明することにもなる。けれども、「防止力」としての効果を発揮するには、万一の事態に有効に機能するものでなければならない。

 この「防止力」こそ、わが国の防衛力の骨幹と考えるべきだろう。

   ウ 災害救助(民生協力)

 わが国には自然の脅威がもたらす災害が多い。その上、近ごろでは、石油コンビナートや工場地帯などに発生する大事故のような特殊な災害も少なくない。このような大規模災害の中で国民の生命や財産を守るには、自衛隊の組織と装備と行動力は、他の機関にはない能力を発揮する。

 これを戦闘機能としてとらえると、「損害限定能力」といってもよいものだろう。この能力は、万一わが国に対して軍事力が行使されたときにも重要だが、平素、地震や大規模の災害があったとき、政治、経済などの諸活動を麻痺させないためにも欠くことのできないものだ。それに、自衛隊に対する国民の理解と支持を得るのにも役立つだろう。

 だから、自衛隊は民生協力活動を副業的分野と考えてはならず、防衛任務と同じくらいに重視しなければならない。

   エ 国連協力

 国防の基本方針の中に、国連の活動を支持することが示されているから、これを自衛隊の具体的な役割として打ち出すことを考えてはどうだろうか。自衛隊の海外派兵は禁止されているが、国連の平和活動に協力するのならば、区別して考えてもよいだろうし、これは世界的にも期待されていると思う。もっとも、国連協力といっても、自衛隊は戦闘行為には一切参加しないで、輸送、医療、通信などの分野が主になるだろう。

  (三) 核問題

 核拡散防止条約については、反対論や慎重論もあるが、やはり批准すべきだろう。非核三原則の中の「持ち込ませず」を修正して、アメリカの核の持ち込みを認めた方がよいという議論もあるが、日本に核が持ち込まれると、その核基地が相手の攻撃目標になって、かえって危険が多くなることもあろう。

 「核の傘に依存しながら、核の持ち込みを認めないのは筋が通らない」という理屈も分かるが、非核三原則を堅持する方が賢明な政策といえる。

 もっとも、アメリカの立場からすれば、「政治家はともかく、軍人たちは、いざというときに有利に戦うために、いつでも核兵器を使えるという選択の余地を残しておきたい」と考えるだろうが、核兵器を日本に持ち込む必要性は、それほどないと思う。

 わが国の核武装については、かねてから、「能力はあるが、その意思はもっていない」と説明されているが、技術的、経済的能力はともかく、政治的にも社会的にも問題があるし、軍事的にみても、「意味のある核武装」をすることは不可能だ。

 わが国の核武装論の根拠となっているのは、「アメリカの核の傘に依存していたのでは安心できない」という点である。しかし、その不安は、日本が核武装をしても解決できる問題ではない。つまり、アメリカの核の傘に依存することも、日本が核武装することも、百パーセント日本の安全を保障するわけではない。その場合の選択として、どちらがよいかということだ。もし、日本が核武装することによって百パーセントの安全が確保できるなら、核武装も考えられよう。

 けれども、現実の問題としては、日本の核武装は、アメリカの核の傘ほどの効果はないばかりか、もっと大きな危険を作り出すことになりかねない。


 四 日米安保体制

 わが国の防衛力は、日米安保体制がなければ、有効に機能するとは思えないが、どうも一般の国民は、日米安保体制の意義や役割の重要性を切実に感じていないようだ。

 この条約は、世界の平和をめざした国連憲章に基づいて作られていて、よくできている。

 よく、「基地提供」(第六条)が問題になるが、一番大事なのは、「アメリカの日本防衛の義務」(第五条)を明示してあることだろう。この義務をアメリカが負う代わりに基地使用の権利を与えているのだから、それに反対すると、この条約そのものが成り立たないことになる。

 日米安保体制の役割としては、第一に、強大なアメリカの軍事力がわが国の背景にあるから、わが国への侵略が抑止される。第二に、アメリカの軍事力によって、アジアの戦略的バランスが保たれている。第三に、仮にどこかの国がわが国を侵略するにしても、アメリカの軍事力と対決するのを避けようとするから、いきおい使用する軍事力の上限は低く押さえられることになる。第四に、万一の場合には、侵略を排除するためアメリカの協力が得られる。

 この四つの役割の中で、基礎になるものは、何といっても第四の有事の際の協力だが、そのためには、平素から相互の信頼関係を高める努力をしなければならない。

 よくいわれることだが、「アメリカの保障が信頼できるか」という問題がある。けれども、日本からみて完全には信頼できないとしても、侵略を企図する国が日米間の協力関係を認めている限りは、日米安保体制の有効性は損なわれないだろう。もっとも、ベトナム後のアメリカは、自助の意思と能力のある国にだけ、条約上のコミットメントを守るという姿勢を強めているから、それなりの努力は大事なことだ。

 日米双方の間で、日米安保条約についての解釈やお互いの期待にくいちがいがあるのも問題で、そのため、アメリカの一部には、いつになっても日本はただ乗りをしているというフィーリングが残っている。それに、わが国には、基地問題などもあって、アメリカに対して、過剰な貢献をしているような気持も少なからずある。だから、日米間で、協力関係を相当突っ込んで話し合っておくことが必要である。

 多分、アメリカが、一番日本に期待しているのは、「日本政府は、アメリカ政府に言っているのと同じことを国民に対しても言って欲しい」ということだろう。

 歴代の首相や外相は、アメリカにくると、いつも、「日米安保条約は堅持する。これは日本外交の基本である」とはっきり明言するのに、国会で追及されたりすると、アメリカ側からみて何となくあいまいな態度に思えることがあるらしい。だから「どうして同じことを言ってもらえないのか」という焦燥感のようなものが、特にペンタゴンにはあるようだ。

 いずれにしても、常に意思を疎通して、信頼関係を維持する不断の努力が、日米関係の将来とわが国の防衛にとって何よりも大切だといえる。


 五 保持すべき防衛力

  (一) 防衛の構想

 防衛力の内容を検討するためには、防衛構想を前提にしなければならないが、「万一の事態をどのように予測し、それにどのように対処するのか」、「そのための能力をどの程度にすればよいか」などの判断は極めてむずかしい。とはいえ、現実には、いろいろな条件を考えた上で、わが国が平時に保持する防衛力の上限を見極め、それ以上の事態にどう対処するかは、リスクとして政治の指導に委ねる以外に方法はないだろう。

 わが国は島国だから、侵略軍はどうしても海を越えてこなければならない。そのため、兵力量や戦闘の期間や形態は、ある程度限定されるとみてよいだろう。それに、日米安保条約があるから、これが有効に維持されている限りは、どんな国も対米戦争を覚悟しなければならないので、わが国に対する核兵器の使用や大規模な侵略は行えないだろう。

だから、わが国の防衛は、小規模の侵略に対して、できるだけ水際で防ぐようにし、領土占有などの既成事実を簡単につくらせないようにすることを、基本的な考え方にすればよいのではないだろうか。

 この考え方に対しては、「太平洋戦争のとき、わが国はアメリカの空襲の威力に敗れたではないか。他国がわが国を侵略する場合には、海を渡ってくるより、飛行機でコンビナートなどを爆撃し、一挙に降伏を迫ってくるだろうから、水際で守るという構想は意味がない」という反対意見もあろう。

 しかし、太平洋戦争では、日本は孤立していて、まわりの国はすべて敵という異常な状態だった。そのため、あのような経過をたどったが、現在は環境が全く違っている。友好国も多いし、大規模な攻撃をかけてくる事態も考えにくいから、水際で防ぎながら終結をはかる方が賢明だろう。

  (二) 防衛力の質と量

 わが国は、国際的に大きな影響力をもっているし、周辺には軍事大国もあるので、防衛力が極めて小さくてよいというわけにはいかない。これを具体的な数量で表わすことはむずかしいが、GNPの一パーセント以内で国際間の軍事的バランスを崩さないようにしながら、今後の情勢に適応させていくことが大切である。

 防衛力の質と量は、どちらか一方にかたよると、その有効性が低下する。わが国の現状では、今後、質の向上に重点をおいて、“小粒でもピリッと辛い”防衛力にするように、思い切って方針を転換する必要があるようだ。限られた防衛費の中で、人件費がこれ以上増加すると、装備の近代化などが実現できなくなって、整備計画が成り立たなくなるおそれがある。だから、あまり増員をしないで、優秀な人材を教育訓練し、優れた技術をもった精鋭な自衛隊にしなければならない。それと同時に、自衛隊の退職者を消防官や警察官に積極的に採用する方法なども考えて、予備勢力を強化するとよい。そうすれば、平時には少数精鋭部隊をもっていて、情勢に応じてこれを有事に必要な防衛力に拡充することもできるだろう。

 装備などの面で、わが国の防衛力は、耐久力(自衛隊では「坑堪力」と呼んでいる。)が不足しているように思う。これからは、価格が安くて、防止効果のある武器に換えていくことも大事だが、防護施設とか、整備能力とか、補給態勢など、耐久力を向上させないと有効な防衛力とはなり得ない。

 第四次中東戦争で、イスラエルやアラブ諸国が、米ソなどから手に入れたミサイルなどを短期間に使いこなしていた事実に注目する必要がある。今まで、兵器は、性能が高くなればなるほど取扱いもむずかしくなるのが常識になっていて、いきおい、習熟するまでの教育訓練期間が長くなる傾向があった。けれども、これからは、誰でも簡単に使いこなせる兵器に変わってゆくだろうから、研究開発も、その点に十分留意しなければならない。それに、これは、予備自衛官の活用範囲を拡大することにもなる。

  (三)情報

 情報は、どこの国でも防衛上不可欠な機能として重視されているが、特に、わが国のような必要最少限の自衛力しかもっていない国では“うさぎの耳”にたとえられるように、極めて重要である。したがって、できるかぎりの手段を使って正確な情報を早く入手し、分析、評価する能力を高めるだけでなく、それを伝達する組織なども改善する努力が必要だろう。それに、防衛駐在官をふやすのは、単に情報能力を高めるだけでなく、外交上多くの国々との友好関係を深めるのにも役立つので、もっと重視してよいだろう。

 いずれにしても、日本をとりまく情勢の変化を、早く、正確にキャッチできるようになれば、平和時の防衛力は、かなり小さくてもよいのではないだろうか。もし、そうならば、あらゆる情報収集能力を総合して、どの程度まで情勢の変化に対応できるかは、真剣に検討する価値があると思う。

  (四)士気

 平和が続いている中で、自衛隊員の士気を維持するのは、むずかしい問題である。自衛隊は、平時は教育訓練に精励し、万一の事態に役立つように備えていなければならないが、わが国としては、防衛力を使わないで済むようにするのが、何よりも大切な目標といえる。だから、防衛力が有効に働いて平和な状態が続けば、自衛隊が使われるようなこともないので、国民も、自衛隊の存在やその教育訓練の意味を理解しにくいし、それはまた、自衛隊員自身にも、ある空しさを感じさせることもあるだろう。このような問題は、各国の軍隊もかかえていると聞くが、現在のような社会情勢の中で自衛隊員の士気を維持するには、一人ひとりに、この国、この国民のために貢献しているという自覚をもたせるような工夫が必要になる。

 だから、身近な問題として、災害救助活動などは、国民に最も頼りにされているし、自衛隊員たちも、任務に充実感をもつようになると思われるので、もっと重視しなければならない。

それと同時に、待遇の改善や社会的地位を高める努力が必要なのはいうまでもない。

  (五)教育

 自衛官の一人ひとりが、“常識豊かな、よい市民”になることは、自衛隊が国民から信頼され、支持されるための大事な要素だろう。自衛官としての教育はもとより重要で、精強な自衛隊をつくる基礎だが、市民としてふさわしい教養と一般に通用する技術は、社会教育の立場からも重視しなければならない。殊に技術教育は、若い人たちに対して具体的な目標を与える意味で、生きがいや働きがいにもなる。それに除隊後、技術をもったプロとして生きていける自信にもなるので、大切な教育である。

 自衛隊で精神的、肉体的に鍛錬され、その上すぐれた技術をもって社会に出ることになれば、除隊後の自衛官は“引く手あまた”ということになろうし、そのような人たちが、国民の中にとけ込むことによって、防衛に対する国民の意識が広がっていくだろう。そういう意味では、たとえば、防衛大学生の数をもっとふやして、彼らを直接社会に送り出すようなことも考えてみてよいのではないか。

  (六)防衛計画の再検討

 わが国の防衛力は、警察予備隊ができたときに、アメリカから援助を受けた兵器を基礎にして、過去二十数年間建設されてきた。その間、一次防から四次防まで、一貫して自衛力漸増の努力を続けてきたが、最近の国内事情などを考えると、今までどおりの方針を踏襲するのは、非常にむずかしくなっているように思う。

 それは、「わが国がもつ防衛力は、どのようなものが最もふさわしいのか」という原点に立ち返って、陸・海・空自衛隊の編成、装備などの基本事項についても、真剣に再検討する必要のあることを意味している。単なる他国との比較や過去のイメージにとらわれず、わが国の特殊な条件を前提として大いに創造性を発揮し、必要なものから着実に実行する決意が大切だ。そうなると、四次防以後の計画では、名称も“五次防”と呼ばないような配慮も必要だろう。五次防、六次防と続けるようなことになると、いつまでも同じ方針で長期計画をつくっているような印象を与えて、防衛政策に対する理解も求めにくい。

 四次防以後の計画では、四次防で完成できなかったものの取り扱いも含めて抜本的に検討し、新しい防衛力整備の再出発をするくらいの覚悟が必要だろう。