[文書名] 総合安全保障研究グループ報告書
総合安全保障研究グループ
報告書
昭和55年7月2日
政策研究会
総合安全保障研究グループ
昭和55年7月2日
内閣総理大臣臨時代理・国務大臣 伊東正義殿
総合安全保障研究グループは、昭和54年4月2日に大平内閣総理大臣の委嘱を受けて発足して以来、総合安全保障をめぐる諸問題について検討を行ってきました。このたび報告をとりまとめましたので、謹んで故大平総理の御冥福をお祈りしつつ、ここに報告書を提出いたします。
本報告は、研究グループ会合における討議を基礎として、幹事の高坂教授が中心となってとりまとめたものです。
政策研究会・総合安全保障研究グループ
議長
(財)平和・安全保障研究所理事長 猪木正道
政策研究員・幹事
名古屋大学教授 飯田経夫
京都大学教授 高坂正堯
政策研究員
東京大学助教授 飽戸弘
東京工業大学教授 江藤淳
大蔵省国際金融局国際機構課長 大須敏生
東京電力(株)省エネルギ一センター副所長 加納時男
通商産業省大臣官房秘書課長 木下博生
北海道大学教授 木村汎
自治省大臣官房審議官 久世公堯
建築家 黒川紀章
農林水産省大臣官房企画室長 鴻巣健治
防衛大学校教授 佐瀬昌盛
防衛庁人事教育局長 佐々淳行
東京大学教授 佐藤誠三郎
作家 曾野綾子
運輸省大臣官房審議官 棚橋泰
日本貿易振興会パリ・ジャパン・トレード・センター所長 豊島格
東京外国語大学教授 中嶋嶺雄
外務省大臣官房参事官 渡辺幸治
上智大学教授 渡部昇一
政策研究員・書記
大蔵省大臣官房調査企画課課長補佐 岡田康彦
外務省アジア局北東アジア課課長補佐 齋藤泰雄
アドバイザー
東京大学助教授 平野健一郎
法政大学教授 山本満
当研究グループは、総合安全保障に関する検討を進めるに当たって、奥宮正武先生をはじめ、多くの方々の貴重な御意見を参考にさせていただきました。
また、防衛庁統合幕僚会議、陸・海・空の三幕僚監部の方々をはじめ、各省庁や内閣総理大臣補佐官室などの多くの方々から、資料、情報の提供など多大の御協力をいただいたことを、申し添えます。
報告書要約
I 安全保障政策の総合的性格
安全保障とは、国民生活をさまざまな脅威から守ることである。
そのための努力は、脅威そのものをなくするための、国際環境を全体的に好ましいものにする努力、脅威に対処する自助努力、及び、その中間として、理念や利益を同じくする国々と連帯して安全を守り、国際環境を部分的に好ましいものにする努力、の三つのレベルから構成される。
このことは、狭義の安全保障についても、経済的安全保障についても、妥当する。
この三つの努力は、相互に補完すると同時に、矛盾もするので、そのバランスを保つことが重要である。
安全保障問題は、以上の意味のみならず、対象領域と手段の多様性という意味でも、総合的性格を持つものである。
II 状況と課題
(1) 日本の安全保障問題を考えるに当たって、1970年代に生じた最も基本的な国際情勢の変化は、アメリカの明白な優越が、軍事面でも、経済面でも、終了したということである。
軍事面では、1960年代半ば以降、アメリカが軍備増強を手控えていたのに対し、ソ連が軍備拡張を続けたことにより、米ソ間の軍事バランスはグローバルにも、地域的にも、変化した。この結果、アメリカの軍事力は、その同盟国・友好国に対して、かつてのように十分に近い安全保障を与え得なくなった。
このため、同盟国・友好国としては、特に通常兵力の分野での自助努力の強化が必要となり、アメリカの「核のカサ」の信頼性も、アメリカに対する協力がなければ、保持され得なくなった。
経済面では、アメリカ経済の力は、絶対的にも、また、西欧諸国と日本の経済発展によって相対的にも、低下した。この結果、国際通貨体制や自由貿易体制の維持を従来と同じようにアメリカに大きく依存することはできなくなった。
(2) 国際情勢におけるもう一つの大きな変化は、新しい南の勢力の台頭という事実である。南の要求が現状変更から現状否定へと進むことになれば、それは国際政治・経済システムヘの大きな脅威となろう。
南北関係の安定した発展は、特に日本にとって重要である。日本は、その総合安全保障努力の一環として、開発途上国の経済発展と南北間の秩序形成に大きな役割を果たさなければならない。
(3) 今や、アメリカがほぼ単独でシステムを維持していた「アメリカによる平和」の時代は終わり、各国が協力してシステムの維持・運営を行う「責任分担による平和」の時代に変わった。日本がシステムの中で自国の経済的利益のみを追求することは、できなくなったのである。
(4) 今日、日本は、国民の営々たる努力により、かつてない自由と経済的豊かさを亨受している。今後とも日本の政治・経済体制が他国からの侵略に脅かされることのないよう、これを守っていくためには、日本は、国際システムの維持・強化に貢献するとともに、自助努力を強化することが必要である。
III いくつかの具体的考察
1.日米関係
(1) 日米間の緊密な協力関係の維持が日本の総合安全保障にとって最優先の課題である基本的な理由は、日本がアメリカとともに、自由で開かれた国際秩序を志向していることにある。
(2) 1980年代においては、日米両国の均衡関係が、軍事、経済、文化などの領域によって甚しい不整合を生じていることから、両国関係は大きな試練を迎えるであろう。
(3) この中で日本は、防衛努力の強化を含む軍事的協力についてはより具体的な、全体としてはより総合的な、日米同盟関係を構築していく必要がある。特に、その自主的判断によりアメリカの支持を必要と考えたときは、積極的かつ強力に支持することが肝要である。
(4) 今や世界全体のGNPの1割を占めるに至った日本は、それにふさわしい国際的責任を果たし、自由な政治・経済・社会体制の擁護に努めることが、極めて重要である。
2.自衛力の強化
(1) 日本の防衛政策は、日米安保体制を基軸として、核抑止力及び大規模侵攻についてはアメリカに依存し、通常兵力による小規模・限定的な侵攻に対しては、日本自らの力で抵抗し、簡単に既成事実が作られることを拒否するという考え方に立っている。この、日本は「拒否力」としての防衛力を保有する、という考えは基本的に正しい。
(2) 問題は、現在の日本の自衛隊が最低限の必要である拒否力を十分備えていないことである。
自衛隊は、三軍を統合的に指揮・統制するシステムを持っていないなど、有事に有効に作動するために必要なソフト・ウェアの面で多くの欠陥がある。また、戦闘能力の面でも、専守防衛を有効に行うための工夫、抗たん性の確保、後方整備などが疎かにされてきた。これまでこうした努力が見られなかったことは問題である。
更に、防衛費全体が少なすぎるためもあって、その中での人件・糧食費の比率が高く、兵器・装備は量質ともに絶対的に劣っている。
(3) 日本の防衛費の中で、装備購入費の比率は現在20%に過ぎない。したがって、必要とされる装備を確保するため、この比率を30%にまで高めても、防衛費全体の伸びは小さく、その対GNP比率は1.0%から1.1%の枠内に収まる。
自衛隊は、ソフト・ウェアの面での改善、専守防衛のための新しい兵器体系の検討、冗費の節約を真剣に行いつつ、防衛費を現状から20%前後増額することで、かなりの拒否力を具備し、有意義なものとなり得る。
3.対中・対ソ関係
(1) 近年の日中関係の顕著な進展に対し、ソ連は逆効果的反応を示し、その結果、日ソ関係は悪化した。これをそのまま放置することは、日本の安全保障上極めて好ましくない。ソ連は日本に対して脅威を与え得る、少なくとも当面唯一の存在だからである。
(2) 対ソ関係を友好的にすることは、多くの国にとって困難な課題である。その大きな理由は、ソ連独特の力の哲学に求められよう。特にソ連のアフガニスタン介入後、対ソ交流の増大は一層難しくなった。しかし、おそらく数年を経ずして、対ソ交流の増大は可能かつ必要となるであろう。
(3) 対ソ関係の要諦は、ソ連から弱小と侮られることも、脅威を与える存在と見られることも、避けなければならないということである。すなわち、堂々として、しかも敵対的でなくつき合うという二つの要請を、現実にどう調和させるかということである。
4.エネルギー安全保障
(1) 安価で豊富な石油を前提とした時代は終わり、再生可能エネルギーの本格的利用は21世紀になると予想されることから、中・長期的なエネルギー危機の現実性はかなり高い。
これに備えるためには、まず、世界全体のエネルギー供給の確保に努力する必要がある。このため、基本的には、国際協力による省エネルギー、代替エネルギーの開発・利用、新エネルギー技術開発の推進が必要である。また当面の努力として、石油取引の円滑化、産油国の工業化への協力、オイル・ダラーの還流の促進を図るため、先進工業国間協力や産油国・消費国間対話の促進が重要である。
更に、日本にとって重要な産油国、産炭国、ウラン生産国との経済関係の緊密化の努力、日本自身による周辺大陸棚での石油探鉱・開発、原子力、石炭の開発・利用の促進のための努力も必要である。
(2) 短期的エネルギー危機は、戦争、内乱などの政治的理由、油田事故、タンカー衝突などの物理的理由、売買契約の不調などの経済的理由によって発生すると見られる。
その対策としては、IEA緊急融通システムの実効性確保、石油の海上輸送ルートの確保などの努力のほか、石油、石炭、ウランの備蓄の一層の拡充、危機の的確な予知と緊急時の需給調整を適切に行い得る体制の準備、といった自助努力が重要である。
5.食糧安全保障
(1) 食糧安全保障が脅かされるケースとしては、海上輸送ルートの途絶、主要輸出国の不作、主要輸出国との外交関係の悪化、世界の人口と食糧生産との不均衡といった短期的、中・長期的なものが考えられる。
こうした可能性は、目下のところ少なく、起こっても短期的、限定的と見られるが、万一の場合、食糧不足の及ぼす影響は大きい。
(2) 食糧安全保障のために食糧自給度を引き上げるべしという議論も、農業についても自由貿易主義を徹底させるべしという議論も、ともに非現実的である。自由貿易主義は、適切な農業政策との組合せにより、日本農業の一層の後退を招くことなく、進展させ得る。
(3) このことは、食糧確保についても国際協力と自助努力の双方が必要であることを意味する。
国際協力としては、中・長期的には、世界的な食糧増産への貢献、特に、開発途上国に対する農業協力が重要である。短期的対策として、国際的緩衝在庫の設置も必要である。
自助努力としては、緊急時の食糧増産が可能となるよう、高い潜在生産力の維持のほか、国から消費者レベルまでの備蓄の拡充、緊急時の流通システムの検討が必要である。
6.大規模地震対策 −危機管理体制−
(1) 大規模地震対策のためには、第一に、地震予知能力の向上、第二に、地震被害の主な原因を調べたマイクー・ゾーニング・マップと災害の態様についての被害想定シナリオの作成がまず必要である。
(2) 大規模地震対策は、この上に立って、都市・地域政策、交通・運輸政策、通信政策など、あらゆる政策について防災的視点を導入し、総合的に推進されなければならない。
(3) 緊急事態に際しての国・地方自治体の危機管理能力を強化するため、抗たん性を備えた指揮室の設置、多重無線通信網の整備など、適切な指揮・命令と情報伝達を確保することが、特に重要である。
また、各家庭、学校、企業が、食糧、飲料水、医薬品などを備蓄するなど、自主防災能力の向上を図り、「生き残りのノウハウ」を身につけることが必要である。
結語
われわれは、この報告の問題提起をきっかけとして、広く国民の間で活発な総合安全保障に関する議論が起こり、実り豊かな成果を生むことを期待する。
また、各省庁がその施策を進めるに当たって、総合安全保障の見地にも十分配慮することを要望する。
更に、安全保障政策を総合的、有機的に推進するための機構として、「国家総合安全保障会議」の設立を提案する。
われわれは、この報告で述べた提言の早期実現を強く希望する。
報告書
目次
I 安全保障政策の総合的性格・・・21頁
II 状況と課題・・・29
III いくつかの具体的考察・・・45
1.日米関係・・・45
2.自衛力の強化・・・50
3.対中・対ソ関係・・・60
4.エネルギー安全保障・・・65
5.食糧安全保障・・・72
6.大規模地震対策 −危機管理体制−・・・79
結語・・・85
I 安全保障政策の総合的性格
安全保障政策は、その性質上、総合的なものである。
それは、第一に、いくつかの異なるレベルでの努力から構成されなくてはならない、という意味で、元来、総合的なものであった。安全保障政策は、〔1〕自助の努力のみならず、〔2〕国際環境を全体的に好ましいものにする努力、若しくは、〔3〕それを部分的に好ましいものにする努力、という三つのレベルの努力から構成されるべきものである。これら三つのレベルの努力は、補完的であると同時に、相矛盾することもあるので、その相関関係を正しくとらえることが必要である。
安全保障とは、抽象的には、自国の国民生活をさまざまな脅威から守ることと定義できる。そこから、直ちに二つの努力が出てくる。その一つは、脅威そのものをなくする努力、すなわち環境に関する努力である。他の一つは脅威に対処する努力、すなわち自助努力である。やや具体的に言えば、平和な世界の造出こそが真の安全保障政策である、という発言は前者に言及したものであり、自らの国は自分の手で守る気概なしには国は存立し得ない、というのは後者の努力を強調したものである。
これらの発言は極めて明快である。しかし、例外的な場合(注1)を除いて、安全保障努力は、上述の二つの努力のいずれにも単純化されるものではない。まず、自助努力が部分的な回答にしかならないことは明白であろう。国際社会の多く、あるいはほとんどすべての国々を敵に回すような行動をとりながら、国富の多くを用いて強大な軍備を持っても、まず安全は得られない。戦前の日本の失敗はそこにあった。
これに対して、紛争がなく、戦争の危険のない世界は、確かに安全な世界である。事実、アメリカの指導の下に、国際経済秩序が第二次大戦後確立していたときには、「経済的安全保障」は問題にならなかった。しかし、平和な世界の造出を安全保障政策とすることについては、二つの点が指摘され得る。
まず、現在の世界はそうした世界ではないし、また予見し得る将来、そうした世界になる可能性はない。更に言えば、対立、紛争がある不完全な世界であるからこそ、安全保障努力が必要となるのてある。
二つ目の点は、そうした平和な世界を作り得るとしても、あるいはその方向に進むのがよいとしても、だれがその努力を行うかが問題である。他のすべての国々を圧倒する力を持つ国ならば、そうした世界を作ることは可能であるが、それは自己の理念に従って世界を作り変えるという強引な政策を意味する。逆に、そうした力なしに平和な世界について語り、それに期待するのは、結局、他者に依存することでしかない。第二次大戦後の日本には、その嫌いがあった。
もちろん、国際体系を構成する国々が、共同で平和な世界を作るべく努力することはできる。しかし、国際社会の分権的性格から、各国はその基本的利益と安全とを国際体系に託してまで、平和な国際体系の造出に協力することはない。結果として現れる国際体系は、不完全で、それ故自助の必要を残すものであるばかりでなく、体系そのものが各国の自助を構成要因として含むものなのである。
安全保障努力が、環境に関する努力と自助の努力のいずれにも単純化され得ないとき、これらの中間に位置する努力が、現実問題として重要となってくる。国際体系に賭けることが現実的でなく、自助努力の効果に限界があるため、理念や利益を同じくする国々の連携によって、安全を守ろうとする方法がそれである。
かくて、安全保障政策は三つのレベルの努力から構成されることになる。狭義の安全保障と経済的安全保障について、やや具体的に見るならば、次のようなことになる。
狭義の安全保障政策
第一のレベルの努力:より平和な国際体系の造出
−国際協力
−敵となり得る国との協力、すなわち、軍備管理や信頼醸成措置(注2)
第二のレベルの努力:中間的方策
−同盟、ないし政治理念や利益を同じくする国々との連携
第三のレベルの努力:自助努力
−拒否能力、すなわち、既成事実が簡単に作られるのを防止する能力の整備、及びその基盤として、国家社会全体の拒否能力、すなわち、ときには犠牲を払っても国家の独自の立場を守ろうとする気概の涵養など
経済的安全保障政策
第一のレベルの努力:相互依存の体系の運営、維持
−自由貿易体制の維持
−南北問題の解決
第二のレベルの努力:中間的方策
−その国の経済にとって重要ないくつかの国々との関係を友好的なものとすること
第三のレベルの努力:自助努力
−備蓄
−ある程度の自給力
−基本的には、その国の経済力を維持すること、すなわち、生産性や輸出競争力の維持など
これら三つのレベルでの努力は、相互補完的な性格を持っている。しかし、これらは相矛盾し得る。特に、自助の努力と中間的方策は、その排他的性格故に、より平和な国際体系の造出のための努力と矛盾するところがある。自衛努力も過剰になれば他国に脅威を感じさせるし、同盟も同じである。また、自助の努力と中間的方策との間にも矛盾するものがある。同盟の運営の難しさは、そのことに起因するものが少なくない。
以上のような意味で、三つのレベルでの努力の間にバランスを保つことが、安全保障政策の要諦となる。これは決して容易ではない。その上、これらの努力の間の最適のバランスは定まったものではない。その国の国力、その置かれた立場、国際社会の一般的状況といったものによって、力点の置き方は変化する。また、軍事的安全、経済的安全など、目標とする安全の内容によっても、やはり力点の置き方は変化する。
第二に、安全保障問題は、われわらが関心を持つべき対象領域が多様であり、また、われわれがとり得る手段も多様である、という意味で総合的である。
このうち、対象領域の増大は、特に石油危機以後明白になってきた。それ以前は、安全保障問題として議論されるものは大体のところ、軍事的脅威への対処についてであり、それ以外には、天災、すなわち、自然に対する安全保障が問題にされたにとどまった。しかし、石油危機は、そうしたもの以外にも、われわれの国民生活を脅かすものがあり得ることを示した。更に、中・長期的には、食糧不足の可能性も指摘されている。このように、軍事的側面以外にも重大な脅威があるので、それらを含めた総合的な対処策が必要なのである。
このように、われわれが関心をもつべき対象領域が広がったことは、まず、われわれが安全保障のために割く「資源」の増大を図らなくてはならないことを意味する。それとともに重要なことは、いくつかの対象領域でのわれわれの対策が、補完的であると同時に、相矛盾することもある、という事実である。例えば、経済的安全保障のための先進国間の協調体制の構築は、軍事的安全保障にも貢献する。しかし、イラン問題が示しているように、アメリカとの協調の必要は、石油の確保という必要と矛盾することもあり得る。こうして、安全保障問題が総合的になってきたということは、ときとして、いくつかの政策手段がトレード・オフの関係に立ち、したがって、われわれに苦しい選択を迫るものとなったことを意味する。
次に、安全保障は、それが用いる手段に関して総合的である。この点は、以前から部分的な形ではあるが、指摘されてきた。すなわち、軍事的脅威への対処を中心とした安全保障論議に際して、平和外交によって対立を緩和し、解消するとか、あるいは経済協力によって紛争の原因を除去するなどの非軍事手段が忘れられるべきではない、という指摘がそれである。その指摘は正しい点を含むが、しかし、十分に正しいものではない。なぜなら、国際関係は、軍事的手段と非軍事的手段との総合的な組合せによって動かされるものであり、軍事的安全保障の課題に対しては、どの国も軍事的手段を、当然重要な手段の一つとしているからである。このことは、昔も今も同じである。ただ、軍事的手段が、過去におけるほど表面に現れなくなったということに過ぎない。軍事力は、各国の外交政策を動かす大きな要因なのである。
しかも、安全保障問題の領域が広がったことは、上述の総合性を一層重要なものとした。軍事的な安全保障のための手段が、軍事的なものに尽きることなく、総合的なものであるのと同様、非軍事的な安全保障のための手段も、非軍事的なものに限られることなく、総合的なものである。もちろん、油田の保障占領など、直接に軍事力を行使して経済的安全保障を図ることは、まず不可能である。しかし、その可能性は皆無ではなく、軍事的手段は考慮されるべき要因である。
こうして、いわゆるリンケージが外交の重要な手法として現れる。経済的資源の劣勢を軍事的資源の優越によって埋め合わせるとか、あるいはその逆といったことである。
以上のことから、安全保障政策は、多様な手段の組合せによる総合的効果に立脚しなくてはならないことが判る。
(注1) 地震などの大規模な天災から国民の生命及び財産を守るという、自然に対する安全保障については、脅威をなくするという意味でのシステムへの働きかけが不可能であるので、天災がある程度の被害を与えることを前提として、その際の損害を限定することだけが課題となる。
(注2) 信頼醸成措置
1975年採択された欧州安全保障会議(CSCE)ヘルシンキ最終文書に初めて公式に用いられた言葉であり、同文書では、CSCE参加の東西35か国の間で相互に信頼を強化し、ヨーロッパにおける安全の増大を図るため、主要な軍事演習の事前通告とそれへのオブザーバーの受入れ、軍隊移動の事前通告などを行う措置を指している。ここでは、より広い意味で使っている.
II 状況と課題
安全保障が、Iで述べたように、総合的なものであるということは、われわれの考察の焦点を絞り難くするものである。安全保障の対象領域と手段がともに多様であることだけを考えても、安全保障政策がかなり巨大なマトリックスになることは明らかであろう。しかも、安全保障努力のレベルが複雑であり、それぞれの間に補完及びトレード・オフの関係がある。
それ故、日本の安全保障問題を検討するためには、まず何が重要な課題であるかの焦点を定める作業から始めなくてはならない。このため、1970年代に現れ、今後も持続するであろうと思われる国際政治・経済状況を日本の安全保障との関連において、考察することにしよう。そこから、いくつかの重要な課題が浮かび上ってくるであろう。
1970年代の国際情勢の変化の中で最も基本的な事実は、なんと言っても、アメリカの明白な優越が、軍事面においても、経済面においても、終了したことである。アメリカは、1960年代の終わり頃まで「世界の警察官」であり、同時に、世界の大半を覆うIMF・GATT体制の主柱として「世界の銀行家」でもあったが、今やそのいずれでもなくなった。
(軍事・政治情勢)
まず、軍事・政治的側面から見るならば、アメリカの変化は物心両面にわたるものであった。
米ソ間の軍事バランスは、1960年代半ば以降のソ連の軍備拡張によって変化した。アメリカの軍事費が対GNP比9%から5%に低下したのに対し、ソ連は、11%〜14%という軍事費を使い続けてきたので、近年では軍事費の絶対額においてアメリカを上回るようになった。その結果、三つの変化が起こった。
第一に、戦略核兵器(注1)について、ソ連は十数年前の劣勢を克服し、アメリカとほぼ「均等」の力を備えるようになった。
第二に、ソ連は海軍を増強するとともに、長距離を飛ぶ輸送機を持つようになった結果、遠隔地にその軍事力を及ぼす能力を持つようになった。それは、1970年代半ば、アンゴラに対する軍需物資の輸送及びキューバ兵の空輸において如実に示され、その後エチオピアにおいても繰り返された。
第三に、戦域バランスが変化した。ソ連は元来、陸上兵力においては優越していた。しかも、この十数年の間にソ連は通常兵力を量的にも質的にも増強し続けた。この事実と、上に指摘した二つの事実との総合的帰結として、戦域バランスが変化したのである。
例えば、ヨーロッパのようにソ連の中心部に近いところでは、ソ連の陸上兵力の優越に対し、西側は、戦略核兵器と戦域核兵器(注1)の両分野で優越を保つほか、航空機における明白な優位、戦車と誘導弾における質的優位によって、量的劣勢を補おうとしてきた。その結果、西ヨーロッパでは、通常兵力をもってかなりの抵抗力を示し、それを戦域核兵器と戦略核兵器で補うという具合に、密度が高く、信頼性のある安全保障が与えられてきた。その他の地域については、アメリカの迅速な遠距離介入能力が安全保障を与え、それが戦略核兵器における優越で裏打ちされていた。
しかし、今やソ連も遠距離介入能力を保有するようになったし、もともと、ユーラシア大陸の中央部に位置するソ連は、かなり広い範囲の場所について、アメリカと比べて、より近いという地理的特性を持っている。また、ソ連は、ヨーロッパでは、SS20中距離ミサイルとバックファイア爆撃機の配備によって、戦域核兵器で、西側に比してむしろ優位に立ったと考えられるようになったし、劣っていた通常兵力の質についても、その格差を縮め、ある分野では勝るようになった。
こうした変化の結果、アメリカは過去のように、単独で、広い範囲にわたって、かつすべてのレベルで、安全を与えることはできなくなったのである。アメリカが2・1/2戦略から1・1/2(注2)戦略への切換えを行ったのも、国際情勢の変化がそれを可能にしたこともあるが、米ソ間の相対的な力関係の変化を反映した結果でもある。しかも、アメリカは、その軍事力を必要度の高いところに配置し得る体制をとらなければならないため、1・1/2の1はヨーロッパ正面を、また1/2は最近の国際情勢にかんがみ従来以上に中東地域を、それぞれ念頭において展開せざるを得なくなった。
更に、アメリカの同盟国・友好国は、かつてはアメリカの軍事力で十分に近い安全保障が与えられていたのに、今やそうではなくなったことから、特に通常兵力の分野で自助の努力を増強しつつ、アメリカ及び同盟国相互間の協力を強化しなくてはならないようになった。このことは、例えば「核のカサ」について明らかである。かつてアメリカが戦略核兵器について対ソ優位を誇っていたとき、その信頼性は高かったが、今や、米ソ間の「均等」が達成されたため、アメリカとの密接な関係を持たない同盟国・友好国に対しては、「核のカサ」の信頼性は保持され得ないのである。
それとの関連で、アメリカの意思が変化したことも重要である。ベトナム戦争における失敗の結果、アメリカ国民は介入に対して懐疑的となったのであり、それは、アンゴラやエチオピアに対するソ連の間接的介入を黙って見過ごしたことに現れている。
ニクソン・ドクトリンに述べられているように、「アメリカは同盟国や友好国の防衛や発展には参加するが、そのためのすべての{前4文字、太字}計画を発案したり、すべての{前4文字、太字}プログラムを作成したり、すべての{前4文字、太字}決定を実行したり、また世界の自由諸国の防衛を全部{前2文字、太字}引き受けたりすることはできないし、またそうする意思もない」のである。アメリカは「実際にそうすれば効果があり、またそれがアメリカの利益になると考えられる場合にのみ援助するであろう」というのがアメリカの新しい立場である。この言葉は、同盟国や友好国に自助の能力が相当あり、しかも対米協力が行われている場合に、アメリカはその国の防衛や発展に参加するが、そうでなければ関与しないことを示したものと言わなくてはならない。
以上の変化は、日本にとっての軍事的安全保障の課題を増加させた。かつて、アメリカが核戦力において優越し、ソ連の海軍が無力であったときは、日米両国の関係が良好でありさえすれば、日本はほとんど安全であった。日本の安全保障論議が、ほぼ日米安全保障条約に関するものに尽きていたことは、故なしとしない。今や状況は変わった。もちろん、日本はアメリカにとって極めて重要な同盟国であり、アメリカは日本の安全に貢献し続けるであろう。また、アメリカの「核のカサ」は、狭義に解釈すれば、すなわち他の国の核の使用を防止するという意味に解釈すれば、変わることなく存在している。しかし、既に述べたように、アメリカはかつてのように密度の濃い安全保障を与え得なくなったのであり、局地的バランスについては、その地域の国々の軍事力が重要となった。また、「核のカサ」の信頼性については、アメリカに対する同盟国の協力が重要となってきた。
こうして、日本は、戦後初めて自助の努力について真剣に考えなければならなくなったし、日米間の全般的な友好関係だけでなく、軍事的な関係が現実によく機能し得るよう準備しなくてはならなくなったのである。
軍事面におけるアメリカの明白な優越の終了は、より広範な外交的意味を持っている。アメリカの対中国政策の変更は、中国を無視するという、これまでの政策が不当であることをアメリカが悟ったからであると同時に、中ソ対立を利用して、ソ連の力の増強に対処しようという政策的考慮が要請したものであった。それ故、米中関係の正常化は二重の意味を持っている。一方では、それはアジア・太平洋地域の政治体系を正常化し、それ故安定させた。しかし他方では、それはソ連を牽制する方策でもあり、したがって、ソ連はそれによって刺激されるところがある。アメリカの行っているこの外交ゲームは極めて微妙であり、中国とある種の「協商関係(アンタント)」(注3)に入り得る可能性を作ることによって、米ソ関係の打開を図るものである。その微妙なバランスを保つのに失敗し、例えば米中関係が現実に「協商」的性格を持つとき、ソ連は激しく反発し、国際体系に対し撹乱作用を持つ政策をとるであろう。
日本はこのゲームに相当程度かかわる存在である。したがって、対ソ・対中関係をいかにバランスさせるかは、日本の安全保障政策上重要な課題となったのである。日本にとって、かつて対ソ・対中関係は戦後処理の問題であり、そして、敵対ブロックの国として、できる限り摩擦を減らし、その関係の友好性を増すことを考えていさえすればよかった。しかし今や、中国又はソ連との友好性を増すこと自体が、権力政治的な意味を持っているのである。
アジア・大平洋地域の安定と平和が脅かされる可能性は、他にいくつかある。まず、ベトナム、カンボジア、タイなどの間の伝統的な抗争関係に、上述の中ソ対立が加わって、インドシナ半島は激しい抗争の場となったし、それは、難民問題などの形で、東南アジア全域に影響を及ぼしている。次に、朝鮮半島では、南北朝鮮の間の関係は依然として緊張しており、意味のある対話も交流もほとんど見られない。そして、朝鮮半島で戦争が起こったり、インドシナ半島の戦闘が東南アジア全域での緊張の激化を招くならば、日本が影響を受けることは避けられない。したがって、これら地域の安定のために政治的役割を果たすことは、日本の責務と言わなくてはならない。幸いに、朝鮮半島では、対話の努力は完全に放棄されたわけではないし、ASEANは東南アジアの安定に寄与している。日本がそうした安定への傾向を助長する側面的援助を行うことは有意義であろう。
アジア・太平洋地域における日本の外交努力は、日本が意味のある貢献を行い得る第一のレベルでの努力、すなわち、より平和な国際体系の造出のための努力の根幹をなすものである。今後日本がこの地域でイニシアティブをとり得る分野は、環太平洋連帯構想に示された諸方策と並んで、軍備管理にかかわる分野と思われる。これまで、アジア・太平洋地域における軍備管理は、ヨーロッパにおけるそれよりも、必要度が少なかったこともあって、余り行われてこなかった。しかし、地域的な軍備管理の意義は、最近、一般的に強調されるようになってきたし、特にアジア・太平洋地域については、その意義が増大しつつあることが注目されなくてはならない。
(注1) 戦略核兵器と戦域核兵器
戦略核兵器とは、米ソがそれぞれの本国から相手国を攻撃し得る射程の長い大陸間弾道弾(ICBM)や長距離爆撃機又は潜水艦発射の核兵器(SLBM)などであるのに対し、戦域核兵器とは、より射程が短く、例えばヨーロッパのように特定の地域に限定して使用することが考えられるような核兵器(例えば、アメリカのパーシング・ミサイルや、ソ連のSS20中距離ミサイル、バックファイア爆撃機)である。
(注2) 2・1/2戦略と1・1/2戦略
2・1/2戦略とは、二つの大規模な紛争と一つの小規模な紛争に同時に対処し得る能力を持つように通常兵力上の軍備計画を進める戦略であるのに対し、1・1/2戦略とは、一つの大規模な紛争と一つの小規模な紛争に備える戦略である。
(注3) 「協商関係(アンタント)」
2か国又は数か国の間で、特定の事項に関して見解と利害の一致があり、これを諒解し合っている関係を指す。それは、「同盟」と「友好関係」の中間に位置する。
(経済情勢)
経済的側面におけるアメリカの明白な優越の終了も、やはり二重の意味での現象である。
まず、アメリカの地位は、西欧諸国と日本の経済復興と成長によって、相対的に低下した。それは、第二次大戦後アメリカが中心となって運営してきた自由貿易体制の成功を意味するものではある。しかし、逆に、そのような成功自体により、自由貿易体制の維持が日本を含む多くの国々にとって、現実の課題となってきた。と言うのは、自由貿易体制は、一国が圧倒的に強い経済力を持つときに最も行われやすいことを、過去の歴史が示しているからである。
しかも、1970年代の後半からのアメリカ経済には、それ自身として失調と見られるところがある。生産性の上昇率は極めて低くなり、物価は上昇を続けている。それは、政府のとった経済政策の失敗の結果という以上に、深い根を持っているように思われる。もちろん、アメリカには優れた技術開発力や恵まれた資源などがあり、その経済は根強い力を持っている。しかし、アメリカの国際競争力が低下したことは否定し得ず、それは、アメリカの石油輸入の大幅な増大と相まって、その国際収支の悪化をもたらし、米ドルの価値の低下を招くことになった。その結果、米ドルを基軸通貨とする国際通貨体制は揺らぐことになった。
IMF・GATT体制が強固であったときには、日本は国際経済システムの安定化に特別の努力を払うことなく、自国の経済的利益を追求することができたが、今ではそのように安易にシステムに頼ることは不可能なのである。
こうして、軍事的な安全保障についても、政治・外交面においても、また、経済面においても、アメリカがほぼ単独で維持するシステムに依存していればよかった時代は終わり、日本は自由陣営の有力な一員として、システムの維持・運営に貢献しなくてはならなくなったのである。すなわち、状況は「アメリカによる平和(パックス・アメリカーナ)」から「責任分担による平和」へと変わったと言ってよい。
ところが、日本では、この事実を十分に認識しないか、あるいは、経済の面で責任を果たせばよいという議論に逃避する傾向が強い。確かに、日本の体質からして、日本の役割の中心は経済的なものとなるが、日本は、それ以外にかなりの政治的役割を果たし、グローバルな安全保障問題への関心を持たなくてはならない。これまでその点が不十分であったことは、日本が「政治サミット」(注)から除外されていることに反映している。そして、政治と経済が密接にリンクされるようになった状況で、「政治サミット」から除外されるようでは、日本の国益を十分には守り得ない。しかも、その「経済的役割」たるや、現実の行動ではなく単なる言葉に過ぎないのである。そのことは、日本の経済協力・援助に端的に示されている。
(注)「政治サミット」
いわゆる「サミット」(主要国首脳会議)が、これまで主として経済問題に焦点を当てて行われてきたのに対し、「政治サミット」とは、1978年グァドループでアメリカ、フランス、西ドイツ、イギリスの4か国首脳が、欧米諸国が共通の関心を有する安全保障上の諸問題について会談した例に示されるような、政治問題に焦点を当てた首脳会議のこと。
(南北問題と経済協力)
ここでわれわれは、現在の世界がアメリカの優越の終了だけでなく、新しい勢力の台頭によって特徴づけられることを想起すべきであろう。そのことは、国際経済秩序について考えるとき、特に明らかである。すなわち、1970年代に入って、開発途上国の要求が強まった。これまでも、豊かな先進工業国と貧しい開発途上国とに世界が分かれていることは問題とされてきたし、その是正には先進工業国の行為が必要であるという指摘がされ、いくらかの努力が行われてきた。しかし、その成果は明らかに不十分なものにとどまってきたし、その間に、ナショナリズムの高まりを背景に、開発途上国の政治力は目覚ましく上昇した。その結果、開発途上国は国際経済システムの改変を要求するようになったのである。
かくして、先進工業国が開発途上国の要求にこたえることに失敗するならば、その要求は現状変更から現状否定へと進むかもしれない。そして、これら開発途上国との貿易・経済関係が円滑に行かなくなるとか、排外主義的暴動が起こるといった形で、日本をはじめ先進工業国の経済的利益は具体的に損なわれるであろう。そればかりか、その結果生じる国際政治・経済システムの混乱は、開発途上国自身を含むすべての国の存立にとって、大きな脅威となることが憂慮される。アメリカとイランとの紛争が、その前兆でなければ幸いである。
紛争の少ない、平和な国際体系の造出という、Iで述べた第一のレベルの努力に関連して、南北問題が今後どのように展開するかということは、まさに重大な関心事となる。日本を含む先進工業国としては、経済協力・援助の推進によって南の諸国の国内開発に貢献し、それを通じて、それら諸国との友好的・互恵的な関係を維持・強化することは、極めて重要な課題であろう。
特に、日本は平和国家である。そのことが、防衛に関する自助努力をなおざりにする口実となってはならないことは、この報告が最も強調するところである。しかし他方、われわれが必要と考える限度いっぱいまで防衛に関する自助努力を行った場合でも、GNPに対する防衛費の比率は、主要国と比べて、なお明白に低いものにとどまる。その分だけ日本は、他の先進国にも増して、経済・技術協力に積極的でなければならない。更に、日本は、他の諸国と比べて、今後とも相対的に高い成長率を維持することが期待され、経済・技術協力に資源を割くゆとりも比較的大きいであろう。しかも、資源・エネルギーなどに関して日本経済の対外依存度は極めて高く、殊に開発途上国に対してそうである。
更に、経済協力は、第二のレベルの努力、すなわち、日本にとって政治的、経済的に重要ないくつかの国々との関係を友好的なものとする努力を進める上でも、中心的な方策である。経済協力は、短期的には確実に成果を生むものではないかもしれないが、長期的に見れば友好関係を生み出す蓋然性が高いからである。そして、日本の軍事力は厳格に自衛のためのものであるから、軍事力によって他国に影響を与えたり、他国の軍事的安全保障に寄与することで友好関係を作るわけにはいかない。経済協力は、日本が国際関係において持つ唯一の積極的手段なのである。
ただ、この目的を果たすためには、経済的考慮のみならず、政治的考慮を混じえて、総合的に判断する必要がある。また、日本の経済関係が世界のほとんどすべての国々と幅広く展開されていることから考えて、日本としては、中進国や先進工業国との関係でも、現在開発途上国に対して行っている経済協力に準じた形での経済協力をも行うべきである。そのために、現在の経済協力のフレーム・ワークを広げる必要があろう。更に、第一のレベルの努力としての経済協力と、第二のレベルの努力としてのそれとは必ずしも調和しないから、その間の均衡がよく考えられなくてはならない。
総合安全保障の一環として、特に日本が経済協力に積極的でなければならない理由は、このように数多い。また、日本はその近代化を、文化的にも人種的にも西欧とは全く異なった土壌の上に、わずか百年足らずで成し遂げた。このことは、開発途上国に対して大きな励ましとなっているとともに、開発途上国が特に日本の経験から学びたいという関心を寄せる根拠ともなっている。また日本には、種々の理由から、政治的な野心とは無縁の、安心して頼りにできる経済大国として、協力への期待が寄せられている。南北間の秩序形成の上に大きな役割を果たすことは、日本の世界史的使命であると言ってよい。
日本の政府開発援助がGNPの0.26%(1979年実績)であるという状況は、極めて望ましくない。その増額とともに、先に述べたような経済協力のフレーム・ワークの拡大の必要性は明白である。日本の経済協力、特に政府開発援助の拡充の必要性については、これまで多くの指摘がなされているので、この報告では大きなスペースを割いてはいないが、それは、われわれが、その重要性を軽視しているということを決して意味するものではない。
(資源問題)
最後に、近年、最も具体的な脅威として起こってきた資源問題、特にエネルギー問題に触れたい。1973年の石油危機は、エネルギー問題を劇的な形で示し、経済的安全保障を考える必要をわれわれに教えた。もっとも、今のところ、われわれが直面しているエネルギー問題は、石油の絶対的不足ではない。それは、石油の不足が将来に予測されること、需給関係が逼迫あるいは地域的に偏ったこと、更に、既に述べた国際経済秩序の動揺と開発途上国の自己主張の強まりが原因となって、政治と経済とが結びつけられたことを示しているように思われる。しかし、いかなる意味にせよ、石油問題、あるいはエネルギー問題が存在することは間違いない。しかも、こうした状況から見て、他の資源の確保、少なくとも国民生活上最も基本的な食糧の確保も、安全保障政策の課題となってきたと言えるであろう。
(日本の安全保障の課題)
全体として、現在は、「アメリカによる平和」が終了しつつあり、それに代わる秩序のない時代である。その現実が、安全保障問題を部分的なものから総合的なものとし、かつ切実なものにしたのである。秩序が動揺しているとき、危険は大きい。システムの健全な機能に頼っていればよかった過去に対し、今ではシステムを何とかして維持する努力をしながら、その不完全性故に必要な自助の努力を行わなくてはならないのである。
ところが、これまでの日本の安全保障努力は全く寒心に耐えないものである。日本は、戦後30余年の間に自由と民主主義を基本とする政治制度を十分に確立し、また国民経済の発展にも大きな成果を収めてきた。このように、日本の社会が活力をもつて発展していること自体が、日本の安全保障にとって大きな力となっていることは疑いない。しかし、活力ある日本社会は、日本の安全保障の手段である以上に、その対象そのものであることも忘れてはならない。
日本人は、大きな犠牲を払いながらも、明治維新以降の国家目標であった近代化、産業化をようやく達成した。特に第二次大戦後の瓦礫の中から、国民の血のにじむような努力により、今日の経済的豊かさと自由な体制とを実現したのである。現在の国民の日常生活に対する満足度には、多くの世論調査結果が示すように、極めて高いものがある。もし日本に対し野望を抱く国が出現した場合、その野望に屈服し、この自由と豊かさを捨ててしまうことを、国民は糾得するであろうか。
日本国民が自らの国家・社会をかけがいのないものとして認識し、守っていかなければならないものであるとの明確な意識を持つことによって、初めて、安全保障問題が国民的課題となり得るのてある。最近の世論調査などにも見られるとおり、このような国民の認識は着実に深まりつつあるが、自衛隊に対する評価の低さ、防衛意識の欠如など、なお改善すべき点は多い。
これに関連して、日本として最も問題なのは、国家(政府)自体が安全保障問題に取り組む体制をほとんど有していないことである。それは、論理的に最も明快な、自然に対する安全保障を考えてみれば明らかである。その論議はなされているし、散発的な対策も計画され、一部は実行されている。しかし、緊急事態に対処するという姿勢と体制が存在しないのである。日本は、危機管理という国家の最も基本的な任務を無視してきたと言えるであろう。そして、対外的な危機管理はアメリカに、対内的なそれは社会に、ほとんど委任してきた。
そこで、この報告では、上述の状況の検討で示している五つの課題を扱う。五つの課題とは、
〔1〕 軍事的協力についてはより具体的な、しかも全体としてはより総合的な、日米関係
〔2〕 自衛力の強化
〔3〕 対中・対ソ関係の賢明な運営
〔4〕 エネルギーに関する安全保障
〔5〕 食糧に関する安全保障
そして、最後に、大規模地震を例にとって、これに備える危機管理体制の問題を考えよう。
しかし、以上のような危機感を持って具体的課題と取り組む際に、われわれは新たな秩序への芽があることにも留意しなくてはならない。国際体系が二極構造ではなく、多極的なものになってきたことは、複雑微妙なパワー・ゲームを引き起こしているが、しかし、新しいシステムが作られる可能性もある。開発途上国の要求の強まりは、正しく対応すれば、より公平な国際システムを作る契機である。そして、アメリカの優越の終了は、主要国首脳会議を頂点とし、蔵相会議、同盟国間の協議機構、OECDなどの経済機構、それに非公式のさまざまなチャネルに至る協調体制の重要性をクローズ・アップした。責任分担による秩序の維持への試みが行われているのである。
そうした可能性への感覚を持ちながら、目前の具体的な課題と取り組むことが、われわれの基本的態度でなくてはならない。
III いくつかの具体的考察
1.日米関係
(1) 日米両国間の緊密な協力関係は、日本の総合的安全保障政策の主柱であり続けてきたし、今後もそうであろう。ここで、われわれはまずその重要性を確認するとともに、その意義を広くとらえなくてはならない。
アメリカは、普通、日本に対し、いわゆる「核のカサ」を提供し、大規模な軍事力の行使を抑止するものとして、日本の安全保障にとって重要であると意義づけられている。しかし、それは重要な意義ではあっても、最も重要なものではない。日米関係が重要である最も基本的な理由は、日本とアメリカが基本的な政治的志向を共にしているという事実である。日本は、国内的にも国際的にも、自由で開放的な秩序を志向しており、それ故に、いわゆる「自由陣営」に属してきた。そのような秩序はアメリカの志向するところでもあり、かつアメリカは「自由陣営」における最も強力な存在であることから、その国と協力し、自由で開放的な秩序の維持、発展を求めることが、当然、日本の基本的政策となるのである。
経済の面についても同様のことが妥当する。日本経済の繁栄は、自由で開放的な国際経済秩序と不可分に結びついているから、アメリカ及び他の諸国と協力して、それを維持、発展させることが日本の基本的政策である。その上、アメリカは巨大な市場の提供者及び技術の提供者として、更に食糧の最大の供給者としても、日本にとって重要である。
また、日米関係は日本外交の基盤としても重要である。日本は、中ソ両国が対立し、その他にも紛争の原因が多いアジアに位置している。もし、日米両国間の友好という基盤がなければ、日本は中ソ対立の渦の中で外交の安定性を失うおそれもある。日米両国の友好関係は、アジアの国際関係における日本の立場を安定させ、それによってアジアの国際関係そのものをも安定させているのである。日米関係が確固たるものでない場合、日本の対中・対ソ外交は極めて困難なものとなるであろう。もちろん、同盟には他国を刺激するという消極的作用もあるが、アジア・太平洋地域の現実を考えるとき、日米同盟関係は、そういった消極面よりも、日本の外交的立場の安定という積極的作用の方がはるかに大きい、と言わなくてはならない。
(2) しかし、その日米関係は、1980年代に大きな試練のときを迎えるように思われる。その基本的な理由は、日米両国の立場が変化していることである。特に、両国の均衡関係が、軍事、経済、文化などの領域によって甚しい不整合を生じていることが、種々の摩擦をもたらすと考えられる。
まず、経済について、既に日本のGNPは、OECD加盟国全体の15〜16%に達し、社会主義圏を含めた世界全体の中でも1割を占めるに至ったものと見られる。今後の見通しとしても、アメリカの経済はここ当分の間停滞を続けるであろうし、日本の経済は、第二次石油危機によって打撃は被るものの、南北経済が安定的に推移すれぱ、アメリカを上回る成長を遂げるであろう。その結果、1980年代のある時点で、日本の1人当たりのGNPはアメリカのそれを追い越す可能性が強い。その背景になっているものは両国の生産性の伸びの差である。それ故、工業製品について、日本製品の国際競争力は概してアメリカのそれに勝るので、日本の輸出はアメリカの輸出の伸びを上回り続けるであろう。こうした意味で、日米両国の経済的地位は逆転しつつあり、それ自体が困難な心理的問題を生み出すものである。
しかも、アメリカは依然として超大国であり、軍事的、政治的に見て、日本とは桁外れの力を持っている。アメリカは、超大国として多くの責任を負担し続けなくてはならない。アメリカの対外政策は、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件の後遺症で、一時消極化したが、そうした状況は続き得ないし、また現実に、アメリカはその対外政策を積極化しつつある。その際、アメリカは、失敗、挫折、欲求不満を経験するだろう。核時代においては、超大国はかつて例のないほど、その力の行使が抑制されており、その影響力が限られているからである。そこでアメリカ国民は、一方では日本の負担の軽さを非難するとともに、他方、軍事的、政治的な力に欠ける日本を低く評価する気持ちが潜在するという、複雑な心理を持つであろう。
アメリカ国内においても、「権力の拡散」が起こっていて、多くの利害、主張がぶつかり合い、政治的状況は混沌として、行政府がリーダーシップをとり、問題を積極的に解決することが難しくなっている。そのため、例えば、省エネルギー政策は不徹底なものに終わってきた。
以上の事情から、アメリカの対外政策が再び積極化するとき、それが偏狭さを伴うナショナリズムになるおそれがある。残念ながら、省エネルギーに本格的に努力するより、アフガニスタン問題を契機に対ソ強硬姿勢をとる方が容易であり、生産性を上げ、あるいは産業構造を変えるために努力するよりも、日本商品の「乱入」を非難する方が容易だからである。
にもかかわらず、アメリカがベトナム戦争の教訓を正しくとらえ、成熟したリーダーシップを発揮する可能性も存在する。すなわち、同盟国の意見と利害を尊重し、国際的協力によって国際秩序の維持、運営を図るという方向への発展である。そして、アメリカがどちらの方向に向かうかについては、同盟国の態度が及ぼす影響が小さくない。同盟国が、負担をアメリカに押しつけつつ、批判だけはするという態度であれば、アメリカでは偏狭なナショナリズムが強まるであろうし、より積極的に協力するという姿勢をとれば、アメリカは成熟したリーダーシップに向かうであろう。
(3) こうして、1980年代の前半は、同盟国がその役割を増大させることで、アメリカを中心とする同盟体制が再編制される重要な時期であり、それ故、日米関係は、日本の総合安全保障政策上、最優先の重要性を与えられるべきものである。その際、日米経済摩擦を避けるといった具体的な課題はもちろん重要であるが、それ以上に、今や強力となった日本がそれにふさわしい責任を果たすことが基本的な課題である。良好な日米関係とよりよい国際秩序を作るための努力は、密接に関連している。西ヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等の西側諸国との関係の緊密化も、同様な意味で、極めて重要である。
よりよい国際秩序を作るために、日本が経済の分野での努力を重視するとしても、それは、他の分野での努力を怠る理由とされてはならない。日本が「経済大国=政治小国」といった跛行的な存在であり続けることは、国際関係の安定にとって好ましいことではない。朝鮮半島の安定や東南アジアの安定、更には中東地域についてさえ、日本は、その経済力を基礎にして、政治的に貢献することができる。問題は、政治的意思であり、政治姿勢である。政治的意思があって初めて、日本が、例えば、アジア・太平洋地域での軍備管理についてイニシアティブをとったり、中東地域での国連平和維持軍へ参加したりすることも可能となってこよう。
日米関係について言えば、日本はこれまで、アメリカの行動をほとんどいつも、しかし微温的に、支持してきた。それは、一方では対米追随の批判を招くとともに、他方ではアメリカに対し、頼りがいのない同盟国という印象を与えるものであった。日本としては、この姿勢を改め、主張すべき利益は主張し、批判すべきことは批判するが、アメリカを支持すべきときは、積極的かつ強力に支持するようにしなくてはならない。
最後に、日本の防衛努力の強化もまた必要である。日本がほとんどすべての点でアメリカにその安全を依存し続けることは、他者依存的・無責任的というイメージを与えることで、マイナスが大きい。それに、アメリカは前述のように、ソ連の軍事力増強に対し、同盟国との共同の努力によって対処しようとしているので、それを怠ることへの非難は一層強いものとなるであろう。
2.自衛力の強化
(1) 自衛努力は安全保障政策のすべてではない。しかし、今日では、極めて重要な努力目標であると言わなくてはならない。
その理由は、既に述べたように、米ソ間の軍事バランスが変化したことである。今や、グローバルにも地域的にも米ソ軍事バランスは、1960年代におけるようにアメリカにとって有利なものでなくなり、その結果、アメリカはその同盟国に対して、かつてのような密度の濃い安全保障を与えることができなくなった。もちろん、アメリカは、この軍事力のバランスの変化を意識しており、対策を講じようとしている。しかし、アメリカは、もはや自国だけでそのための負担をしようとせず、同盟国にその分担を要求している。それは、ある程度まではアメリカの国力の限界によるものであるが、ある程度までは責任分担による国際秩序の維持という方法の方が望ましいとする考え方への変化によるものである。国力の相対的な変遷を考えると、アメリカの新しい考え方は妥当なものである。
そして、西側として対ソ軍事バランスを大きく崩さないことが必要であるのは、歴史の示すところである。過去においてソ連は、フィンランド、ユーゴスラビアなど、自衛の意思とそのためのある程度の能力を持つ国に対しては、その自主性を尊重してきた。これに対し、チェコスロバキアのように、短期間のうちに軍事作戦が実効をあげると判断したところには、ためらうことなく軍事力を行使してきたのである。
(2) もっとも、以上のことは、日本がその保有する軍事力の性格を変更する程度にまで軍事力の増強を図るべきことを意味するものではない。
これまで日本の防衛政策は、「抑止力」(注1)については日米安保条約によりアメリカに依存し、日本が国力・国情に応じた必要最小限度の自衛力を「拒否力」として保有するという方針を貫いてきた。すなわち、核抑止力については全面的にアメリカに依存し、更に通常兵力による侵攻に対しても、あらゆる侵攻を撃退するものではなく、小規模・限定的な侵攻に対して抵抗し、その侵攻のコストを高くし、簡単に既成事実が作られることがないような「拒否力」としての防衛力を保有し、大規模な侵攻についてはアメリカ軍の来援を待つ、という考えに基づいて作られてきた。そして副次的に、情勢の変化に対応する努力の基盤を作ることが目指されてきた。
日本の防衛の基本政策を定めた「防衛計画の大綱」(昭和51年閣議決定)によれば、日本の防衛力は「平時において十分な警戒態勢をとり得るとともに、限定的かつ小規模な侵略までの事態に有効に対処し得るものを目標とする」ものであり、また、「情勢に重要な変化が生じ、新たな防衛力の態勢が必要とされるに至ったときには、円滑にこれに移行し得るよう配慮された基盤的なもの」とされている。
日本は拒否力としての自衛力を保有すればよいとの考え方は、原則として正しい。なぜなら、核時代における軍事力の行使には上限があり、しかもそれはかなり低い。核戦争になるおそれがあるような軍事行動は、どの国も避けるであろうからである。少なくとも、超大国の一方と同盟、あるいはそれに近い関係にある国に対する軍事行動については、そうである。日本の場合には、日米安保体制によって、そうした大規模な武力紛争は強く回避されている。日本の自衛力は、日米安保体制を前提にし、その上で拒否力を保有すればよいのである。
いわゆる「自主防衛」は、相当巨額の出費を必要とし、しかも、他国の反発を招くことを通じて、日本の自衛能力を超える脅威を出現させる可能性を増加させるという意味で、かえって日本の安全性を低下させるので、とるべきではない。
以上のように、拒否力を保有することは文字通り最低限の必要である。そうした能力を持たない同盟国に安全保障を与えることは、超大国によっても困難であり、ときとして不可能である。それは、大規模な軍事力の行使が不可能に近く、したがって、その脅かしも−「大量報復戦略」(注2)の無力さが示すように−有効ではない、ということの逆の面である。超大国は、他の国が大規模な軍事力の行使によって同盟国を脅かすことを抑止し得るが、敗勢にある同盟国を自らの大規模な軍事力の行使によって救うことは難しい。特に、アメリカが前面に展開する兵力を削減し、それ故に、かつてほど密度の濃い安全保障を与え得なくなったという事実を考えると、拒否力の保有は明らかに最低限の必要である。
(3) ところが、日米安保体制の堅持、拒否力の保持、基盤力の整備のいずれについても、「大綱」に定められたことは実行されていない。それが問題なのである。
まず第一に、日米安保体制の堅持については、アメリカの軍事力を日本の防衛のために有効に利用するための計画も、準備も、皆無に近い。ようやく、1975年に日米共同の防衛協力委員会が発足し、1978年に日米防衛協力指針(ガイドライン)が作られただけである。日米間の合同演習はほとんどなく、1960年代末から1978年までの10年間、航空自衛隊の米側との合同演習は皆無であった。もっとも、この面では最近ようやく改善の跡が見られる。
更に、米軍の来援のために必要な海上交通路の安全確保のための方途がほとんど考えられていない。この状況が改善されないならば、空輸による以外の来援は容易には得られないであろう。来援部隊への後方支援の方法も定められておらず、また、その法的地位もはっきりしないという問題もある。
第二に、自衛隊が有事に際して有効に作動するために必要な、いわばソフト・ウェアの面でも、多くの欠落がある。最近まで、有事を想定し、それに対処するための研究もなされてこなかった。危機に有効に対処するには、情報を早く、正確に入手することが必要であるが、その能力は未開発のままである。特に、政治・軍事情報の収集能力が乏しい。更に、危機が現実に起こった場合の意思決定のシステムが具体的に定められていないほか、多くの点で法制の整備がなされていない。いわゆる「有事立法」の必要は、その一つを指摘したものであるが、それ以外にも未整備のものが多い。例えば、防衛出動命令が出されるまでの中間的措置として、陣地構築のための土地の収用や軍需用の物資の調達を行うとか、予備自衛官の召集を行うとかの警戒態勢を整え、自衛隊の即応性を高めることができないという問題がある。
第三に、戦闘能力の面を見ると、まず航空機力については、航空機の数だけを見れば、他国に容易に制空権を渡さない程度のものはある。しかし、航空基地には防空能力、損害修理能力など抗たん性(注3)がなく、レーダー・サイトには抗たん性も、妨害電波に対処する電子戦能力(注4)も欠けている。したがって、敵の攻撃を受けた場合、基地とレーダーが使えなくなるので、航空機自体よりも先にシステムが破壊されて、航空機はあっても戦力にあらずといった状態に、短時日のうちになってしまう。
陸上兵力は、要するに戦力不足であり、状況は15年前よりも悪化している。その主要な原因は、予算上の制約から、予算が人件・糧食費に消費され、予算に占める装備購入費、施設整備費、維持費などの比率が、1960年代後半から、減り始め、1970年代後半には誠に顕著なものになったことである。それは装備更新状況に反映し、最近では1年に5%ずつしか更新できない。すなわち、装備の全部を更新するのに20年もかかるのであり、それは装備のうち約半分が二世代も前の兵器で占められていることを意味する。近代戦において、二世代も前の兵器というものは、およそ戦力となり得ないのである。特に1970年代には兵器の技術革新が進んだため、日本の陸上兵力は相対的に弱くなった。更に、弾薬の備蓄は、しばしば指摘されてきたように明白に不足している。
海上兵力については艦艇の電子戦能力及び対空・対艦ミサイル戦能力が著しく弱いことが欠点である。したがって、艦艇の大部分は、空からの攻撃に対して身を守る能力がなく、相手側の艦船を攻撃する能力がないので、着・上陸阻止能力に欠ける。新しく作られる艦艇はこうした能力を備えつつあるものの、そのコストが高いこともあって、近代化を行えば数が減少するおそれがある。更に、魚雷、機雷は保有されているものの、その多くは著しく旧式であり、かつ、有事の際にそれらをすばやく使用する即応性がない。
最後に、自衛隊は三軍を総合的に指揮・統制するシステムを持っていない。兵力が少なければ少ないほど、その統合的な運用が必要であるのに、自衛隊の三軍には機構上の統一性がなく、今の統合幕僚会議にはほとんどその機能を期待することができない。また、中央指揮所さえない。
こうした欠陥から、日本の自衛隊が兵力、装備等の図表によって形式的に保有しているとされる防衛力は、有事に発揮し得る実力としては半減してしまうと言っても過言ではない。
なお、基盤力の整備として極めて重要な研究開発に至っては、無視されているに近い。それは、先進工業国では防衛費中に10%程度を占めている研究開発費(注5)が、日本の場合にはわずか1.0%(昭和55年度)という、およそ信ずべからざる低率であることに端的に現れている。日本の防衛費そのものが少ないことを考えあわせるとき、日本の防衛のための研究開発費は全く低額であることが理解されるであろう。
(4) 以上の欠陥を埋めることは、高い優先順位を与えられるべき課題である。それは「大綱」の実施に過ぎない。実際、自らが定めたものをこれまで実施してこなかったのは、政府の怠慢といわなくてはならないのであり、政府は、最低限の必要である拒否力も現状では確保されていないことを国民に明らかにして、「大綱」の早期実施を図る責任がある。
しかも、それは、防衛費はGNPの1%に相当する額を超えないことをめどとするという、昭和51年の閣議決定の枠を大きく越えることなく、達成が可能である。すなわち、研究開発費を飛躍的に増大して、防衛予算内の比率を5%とし、施設整備費を倍増して5%にし、装備購入費を現行の20%から30%に増大したとしても、後述するような冗費の節減を伴えば、全防衛費はGNPの1.0%から1.1%の枠内に収まるのである。
日本の防衛費は全体が少なすぎるため、その中で占める人件・糧食費の比率が高く、これに本来防衛費とは言えない基地対策費を加えると、防衛費全体の6割を越すことになっている。逆に、装備購入費、研究開発費、施設整備費、維持費は4割に満たない。したがって、装備購入費等について先にあげた比率の増額を行っても、それが防衛費の対GNP比率に与える影響は比較的小さく、その増加実額は昭和55年度予算ベースで約4、000億円にとどまるのである(注6)。
以上のことは、現状の日本の防衛費は、日本の防衛力が意義あるものとなる、最低限の額を下回っていることを示している。しかし、自衛隊が拒否力としての意義を持つに至っていないのは、予算不足のため兵器の量が有意義になる程度に達していないことによると同時に、すべての戦力をシステムとして機能させていないことにもよるのである。指揮・統制システムの建設、航空基地及びレーダー・サイトの強化は比較的少ない費用で大きな効果をあげ得る。
まず、三自衛隊の統合的運用が図られていないことは、防衛庁の怠慢である。特に、三自衛隊がそれぞれ方面総監部、地方総監部などのばらばらの機構を有し、そこに必要以上と思われる多くの幹部を位置せしめていることは、総合的で機能的な運用を妨げるとともに、予算の無駄使いにもなっている。中央指揮所の建設と中央集権化された指揮・統制システムの建設は、こうした冗費を省くことで十分可能である。
次に、自衛隊の兵器体系については、正面装備を一通り揃えるといったところがあり、専守防衛を最も有効に行うにはどうしたらよいかという工夫が見られないし、抗たん性、後方整備も疎かにされてきた。
例えば、陸上兵力についてはミサイルを主要装備とし、それにふさわしい部隊編成にすれば、同じ予算でより有効な防衛力ができるであろう。NATOは、防衛力を強化する立場を徹底して、対戦車ミサイルを大量装備している。また、海上兵力についても、小型高速のミサイル艇は専守防衛に高い効果を持つであろう。日本の軍事力は自衛のためにしか使われないものであり、したがって、一部の海上兵力を除いて、日本周辺でしか展開されないものであるから、新しい形での兵器体系を考え得るはずである。日本の防衛における抗たん性の軽視の著しい例として、先に航空基地及びレーダー・サイトの抗たん性の欠如をあげたが、特に前者については、抗たん性を与えることで、日本の航空自衛隊の実力は目立って強化されると判断される。
以上のような努力がこれまで行われてこなかったことは、防衛予算の少なさを克服する努力がなされていなかったことの現れとして、憂慮すべきである。今後、こうした工夫と努力を行っていけば、防衛費を現状から20%前後増額することで、日本の自衛隊はかなりの拒否力を具備し、有意義なものとなり得るのである。
(5) なお、この報告では、「防衛計画の大綱」が基本的に正しいものであることを前提として、検討を進めてきた。もちろん、「大綱」自身も国際情勢の変化に応じて、修正されるべき性質のものである。しかし、日本の軍事力が厳密に自衛のためのものであることを前提にすれば、日米関係が緊密である限り、必要とする軍事力には上限があり、その上限は軽々には動かすべきではない。問題は、絶えず国際情勢の変化をとらえ、分析し、評価し、それが防衛政策に意味するところを討議する公式の体制が欠如していることであろう。
(注1) 「抑止力」
敵が攻撃した場合、その攻撃による利益よりも反撃から招来する被害の方が大きいことを、敵に理解させることよって、その攻撃を抑止する力。
(注2) 「大量報復戦略」
1950年代後期のアメリカの戦略で、攻撃を受けた場合、核兵器の使用も含め、即座に巨大な報復力をもって反撃する用意があることを示すことにより、紛争を抑止する戦略。
(注3) 抗たん性
敵の攻撃を受けた場合、どの程度その攻撃からの被害を局限し、復旧し、及び代替機能を確保することができるかという、能力の程度を抗たん性と言う。
(注4) 電子戦能力
現在では、通信、警戒監視、ミサイルの目標への誘導などあらゆる分野に電子技術が利用されているが、電磁波は、外部からの電波妨害などを受けやすい弱点を持つ。通常、相手の電磁波を探知し、これを逆用し、使用効果を低下させ、又は無効にするとともに、自己の利用を確保する活動を電子戦と言う。
(注5) 主要国における防衛費に占める研究開発費の比率
{表は省略}
(注6) この報告が提言する防衛予算の比率
{表は省略}
3.対中・対ソ関係
(1) 1970年代に、日中関係は目立って進展した。1972年には日中間の国交正常化が行われ、その後、多少の迂余曲折を経て、1978年に日中友好平和条約が結ばれた。日中間の経済交流も進展し、1970年代の終わりには、いくつかの大型プロジェクトが合意された。それに反して、日ソ関係には変化がなかった。そのことをソ連は日ソ関係の悪化と見なしている。そして、ソ連は北方三島にかなりの軍事力を置くという措置をとった。
ソ連が日中関係の進展に対して懸念を抱く第一の理由は、日中間の経済交流が、中国の近代化に貢献することによって、中国を強化する効果を持つ、ということである。特に、中国の軍事力の強化につながる経済交流について、ソ連は神経質である。それ以上に、ソ連は、国際政治の文脈の中で日中関係の進展に権力政治的意味をも与えているように思われる。すなわち、日米安保条約の存在に加えて、日中条約が締結され、米中間の国交が樹立されたことをもって、米・中・日三国は同盟の方向に向かっているのではないかとする見方であり、更には、それにNATOを加えて反ソ包囲網が形成されつつあるとする見方である。
(2) ソ連のそうした反応は過剰反応であるけれども、全く理由がないわけでもない。まず、中国の近代化については、それが成功するのは遠い将来のことであり、しかも、他の諸国がそれに寄与できる程度は限られていることを指摘できるであろう。しかし、中国の人口の大きさと、ソ連が中国に対して抱く非合理的な懸念を考えると、ソ連が中国の近代化を複雑な目で見ることは理解できる。また、米・中・日三国の関係が同盟の方向に発展することも、常識では考えられない。日本にはそうした意思はないし、アメリカも中国もそこまで行くことは考えていないであろう。しかし、日中間の友好関係の進展は、日本の意図にかかわらず、権力政治的な意味を持っている。なぜなら、まず中ソ対立は激しく続いている。そして、米ソ間にも、デタントの試みにもかかわらず、基本的な対立があり、それは、1970年代の後半、次第に強まり、アフガニスタン介入以降極めて激しいものとなった。こうした状況の中で、アメリカも中国もともに、両国の指導者の発言が示すように、米中関係を対ソ牽制の一方策と考えている。
(3) 日中関係が進展し、日ソ関係が進展しないという上述の傾向は、今後も続くであろう。その理由として、次の諸点が考えられる。
まず、日ソ間では「北方領土問題」が現実の争点となっているが、日中関係はそのような状況にない。その背景の一つには、中国の政治家が日本人の感性を理解して柔軟な姿勢を見せているのに対し、ソ連は無感覚なところがあるという事実を指摘し得よう。
それは恐らく、政治的・行政的に、ソ連が対日政策に対して与えている優先順位よりも、中国が与えているそれの方が高いことにもよるであろう。
他方、日本側には、国民感情として、中国に親近感を感じ、ソ連には警戒心を抱く傾向があることは否定し得ず、それもあって、日本の政治家は、対中関係の改善に対するほど対ソ関係の改善には熱心ではない。
また、実際的な理由として、中国の中心部がソ連の中心部よりもはるかに日本に近く、したがって交流が容易であることも忘れられてはならない。
(4) 以上のように、日中関係と日ソ関係とを調和させることには困難を伴うが、特に近年の展開の中には、日中関係の進展と日ソ関係の悪化との間に悪循環が成立するおそれが見られることに注意しなくてはならない。すなわち、日中関係の進展へのソ連の対応が逆効果的なものとなっていることである。
ソ連は、一方では北方領土の基地化など軍事的に力の姿勢を強化しつつ、他方では経済交流も呼びかけるという硬軟両策を併用しているが、前者が目立っている。特に(3)にあげた諸要因を考えると、日本から見て、経済交流の呼びかけは現実的魅力に乏しく、軍事力の強化の方がクローズ・アップされることになる。また、ソ連の軍事力増強は、日本にとって現実に脅威を増大させている。
しかも、ソ連の対外関係が全般に軍事色を濃厚にしてきていることは、否定し難い事実である。アフガニスタンヘの介入は、そのイメージを決定的なものにした。ソ連外交には力の哲学が強く作用している。
(5) こうして、日中関係の進展とソ連の逆効果的対応との間に成立している悪循環を放置して、日ソ関係の悪化を甚しいものにすることは、日本の安全保障上極めて好ましくないことである。なぜなら、ソ連は日本に対して脅威を与え得る、少なくとも当面唯一の存在だからである。また、最も友好的になり難い国との関係を、できる限り友好的なものにするよう努力すべきであるという外交の原則からも、日ソ関係の悪化は放置できない。かくて、上述の悪循環をいかにして破るか、少なくとも阻止するかが、日本の安全保障政策上の重要な課題である。
しかし、ソ連との関係を友好的にすることは決して容易なことではない。それは、日本に限らず、多くの国にとって困難な課題であった。その理由は、恐らく、ソ連の国際政治観、特にその独特の力の哲学に求められよう。ソ連は、一方では自国が世界から脅かされているという脅威感を持ち、安全保障のために強大な軍事力を持つ必要があると考える傾向を持つと同時に、他方では、一旦自国が優越した立場に立ったとき、その優越をかなり露骨に利用する傾向がある。それ故、ソ連から弱小と見られることも、ソ連に孤立感を与えたり、脅威を与える存在と見られることも、ともに避けなくてはならない。すなわち、堂々として、しかも敵対的でなくつき合う術が要請されるのであり、その二つの要請を現実に調和させることが困難なのである。
しかし、日本が拒否力を持つ程度にまで防衛力を整備することは、どう考えてもソ連に脅威を与えるものでなく、したがって、日ソ関係の阻害要因とはならない。それは、日本が組みしやすい国だと思わせないためにも、必要であると言えよう。問題は、ソ連との交流をいかにして増大させ、両国間の紐帯を強化させるかということである。それは元来容易なことではなかったし、ソ連のアフガニスタン侵攻後の現時点では、一層難しくなった。世界的にも、目下の課題は、ソ連の軍事力強化が果実を生まないことを示すことであろう。しかし、おそらく、数年を経ずして、ソ連との交流増大が再び可能ともなり、必要ともなるであろう。今後、事態の展開によって力点は変化するとしても、堂々と、かつ敵対的でなくつき合うという対ソ関係の基本課題は、変わることなく存在する。
4.エネルギー安全保障
(1) エネルギー安全保障の努力は、Iで述べたように、まず、何よりも総合的なものでなければならない。特に日本の場合には、国内のエネルギー資源が絶対的に不足しているのであるから、国際環境を全体的あるいは部分的に好ましいものにするという第一と第二のレベルの努力が重要となる。
石油、天然ガス、石炭、ウランなどは、いずれも国際商品であり、一国だけが十分な量を安い価格で入手することは難しいので、世界全体としての供給を十分に確保するという全体的なレベルの努力を、まず考えなければならない。その上で、日本にとって重要な産油国、産炭国、ウラン生産国等との関係を友好的に維持する努力を払う必要がある。
もちろん備蓄、国内資源の維持・確保、非常時における需給管理などの自助の努力も必要である。しかし、世界全体の10分の1の規模にまで拡大した日本経済がエネルギー分野の自助努力だけで長期間生き延びることは至難の業であることを認識しておくべきである。
(2) エネルギー安全保障の総合的性格にはもう一つの意味がある。それは、エネルギー安全保障政策が、軍事、国際貿易、国際通貨、国内経済などのさまざまな分野における各種の政策と総合的な調整を図りながら進められなければならない、ということである。
石油の安定的な供給を確保するためには、中東、特に湾岸地域における安全の確保が大前提となっていることは、今更論をまたない。また、インド洋、マラッカ海峡、南シナ海を通る長距離輸送ルートの安全をいかにして守るかということも重要である。日本が自らの軍事力でこれらの安全を確保することはあり得ないが、それに代わる方策、あるいは負担については、常に十分な配慮が必要である。更に、原子力開発と核拡散防止とが両立しにくいことはよく知られている。後者を厳しく押し進めるとエネルギー需給にギャップを生じる。
1973年来のエネルギー危機は、量の問題であると同時に、価格の問題でもある。価格の高騰は、エネルギーの場合、資源が偏在するだけに、国家間、企業間で所得の配分に急激な変化をもたらす。消費国においては、所得の実質減となるから、国内経済政策、とりわけ物価政策を進めるに当たって、政治的に大きな困難を生じる。産油国には莫大なオイル・ダラーが蓄積され、アメリカの石油輸入増による貿易収支の大幅赤字と相まって、国際通貨制度動揺の原因となっている。オイル・ダラーの蓄積は、一方では、非産油開発途上国の赤字累積と国際的な資金循環の停滞をもたらすとともに、他方、産油国の資源温存、生産縮小の傾向を助長し、需給逼迫により石油価格を更に上昇させるという悪循環を招来するのである。
(3) エネルギー安全保障を考えるに際しては、中・長期的な危機と、突如襲ってくる短期的なものとを区別することから始めなくてはならない。まず、われわれは、中・長期的な危機が遠い将来のことではなく、かなりの現実性を持っていることを認識すべきである。第一次石油危機の後しばらくして現れた楽観論は、イラン革命後の事態によって、完全に裏切られた。第二次石油危機では、1年余りの間に石油価格は2倍以上に上がり、値上げ額は、前回の危機の時を遙かに上回った。その影響の深刻さは全世界に次第に現れ、経済の停滞、物価上昇、国際収支赤字の増大などが顕著になりつつある。われわれは、ここではっきりと、安価で豊富な石油を基礎とした時代が終わりつつあることを自覚しなければならない。
現時点での石油の需給は、高値による消費の減退もあって、ほぼ均衡している。しかし、中・長期的に見た場合、エネルギー危機は、次の理由から更に深刻なものとなるであろう。
まず、エネルギー需要は、ペースは落ちても増大し続けるであろう。先進工業国の省エネルギーの成果は必ずしも確実ではなく、たとえそれに成功したとしても、開発途上国は、今後経済成長とともに、エネルギーの消費を増すであろう。
次に、石油生産の増加は困難になってきている。OPEC諸国のほとんどは資源温存政策を強めているし、サウジアラビアなどの増産能力にも限界が見られる。ソ連の増産にも黄信号が出ており、それ以外の諸国の油田の開発テンポは必ずしも満足できるものではない。また、石油は今や高度に政治商品化しており、その供給が物理的、経済的事情以外の原因によって制限される懸念も十分にある。いわば、「金で買えない危機」の到来である。
更に、代替エネルギーへの転換は遅れている。量の面から、その主役となると期待される原子力、石炭は、安全面、環境面、コスト面などに問題を残しており、これらへの転換計画は大幅に遅延している。オイル・シェール、タール・サンドは、まだ見込みが立たない。再生可能エネルギーについては、太陽エネルギー、バイオマスなどの可能性は大きいが、その本格的利用は21世紀になるものと想定され、風力、地熱などは、それにより利用できる量が限られている。
全体として1980年代は、従来の石油を中心とした「化石エネルギー時代」から、21世紀の「再生可能エネルギー時代」への過渡期である。この時期には、新しい時代への適応プログラムを強力かつ計画的に実行するとともに、安価で豊富な石油を前提としたこれまでの秩序や価値観を根本的に見直すことが不可欠である。短期的危機が発生するごとに、その後一時的に現れる需給緩和の中で、このような視点が見失われがちなことが問題なのである。エネルギー対策は長いリード・タイムを要するだけに、過渡期の政策の遅れは致命的な危機をもたらしかねない。
(4) 中・長期的な危機とともに、今後起こる懸念が強いのは、突如襲ってくる短期的な危機である。それには、以下のものが考えられる。
まず、産油国における内乱や中東地域における国家間戦争などの政治的理由による短期的危機がある。中東地域では、近代化、工業化に伴う摩擦が増大しており、革命あるいは内乱の可能性は少なくない。しかも、アラブ・イスラエル紛争は未解決であり、ソ連が南進の構えを示しているなど、この地域には国家間紛争の原因も少なくない。このような事態が現実化した場合、ある程度の期間にわたって、石油供給の停止あるいは削減、または禁輸が行われる可能性がある。
次に、短期的危機は、油田事故、タンカー衝突、原子力発電所の事故など物理的な理由によっても起こる。この場合、供給が止まる量は少ないであろうが、タンカー衝突は場所によっては影響が大きいし、原子力発電所の事故や故障は、それに代わる火力発電所用の石油需要を増やす。
最後に、売買契約交渉の不調による一時的な供給不足もあり得る。
(5) 以上述べた危機の態様から、日本がまず中・長期的にとるべき対策は、次のようなものになるであろう。
〔1〕 省エネルギー、代替エネルギーの開発利用、新エネルギーの技術開発については、費用対効果、実現時期、量的効果などを勘案した上、明確な優先順位を付して進めるべきであり、日本としては他の先進工業国と資金面、技術面で、最大限の協力を行うこと。また、いわゆるソフト・エネルギー・パス(注)は、自然エネルギーの密度の低さもあって、直ちに従来からのハード・エネルギー・パスに代替し得るものではないが、地域的には十分なエネルギーを供給し得ることもあるから、その経済効率性を十分勘案した上で、活用を図ること。
〔2〕 石油の取引経路が、従来の国際石油会社経由から、いわゆるD=D(直接)取引、G=G(政府間)取引を主体とするものへと変化しつつある傾向を踏まえ、石油取引の混乱を防止するための先進工業国間の協力を進めること。
〔3〕 産油国と消費国との対話を促進し、産油国を含む開発途上国の工業化への先進工業国の協力、産油国の保有するオイル・ダラーの円滑な還流などの方策を話し合うこと。
〔4〕 産油国やオーストラリア、カナダ、アメリカ等の産炭国、ウラン生産国との経済関係を緊密化させ、これら諸国への技術協力などを推進すること。
〔5〕 アメリカ、ソ連、サウジアラビアなど、中・長期的なエネルギー・シナリオに決定的な影響を及ぼす国との協力関係は、国際協調に配慮しつつ、日本の実情に適した独自の方策をもって、進めること。
〔6〕 日本自らも、周辺大陸での石油の探鉱・開発及び原子力、石炭の開発・利用に努力すること。
(6) 緊急時に対処する短期対策として、日本が特に配慮しておくべきことは、次のようなものであろう。
〔1〕 IEAの緊急融通システムをより実効あるものとし、それに参加すること。
〔2〕 石油、石炭、ウランの備蓄を更に充実すること。
〔3〕 マラッカ海峡、ロンボク海峡等既存の海上輸送ルートに支障が生ずる場合に備え、代替ルート等の検討を行っておくこと。また、一定量の船腹を常時保有しておくこと。
〔4〕 情報システムの整備・改善して、早く的確に危機を予知するとともに、実効性のある緊急時のエネルギーその他の重要物資の需要調整計画(配給切符や非常時割当方式を含む。)とそのための体制を準備しておくこと。
(7) 政府としては、以上の中・長期及び短期の安全保障政策の必要性につき、国民の理解を求め、場合によっては国民生活の忍耐と犠牲を伴うものであることを明らかにする必要がある。国民の支持と信頼の基盤があって初めて、総合的なエネルギーの安全保障政策は、有効に展開され得るのである。
(注) ソフト・エネルギー・パスとハード・エネルギー・パス
エイモリー・ロビンズが、今後の石油供給縮小の見通しの中で、提唱したことをきっかけとして論議されているエネルギー確保のための二つの方法であって、ソフト・エネルギー・パスとは、需要の規模と質と地理的分布に適した再生可能な自然エネルギー(太陽、風力、水力、波力等)を利用する方法を言い、ハード・エネルギー・パスとは、石炭、原子力の開発など、巨大投資を行ってエネルギーを確保する方法を言う。
5.食糧安全保障
(1) 日本は食糧の多くの部分を海外に依存している。より正確に言うと、日本の食糧供給は、言わば二重構造になっている。一方には、米、野菜、果実、水産物といった完全自給か、相当自給率の高い食糧がある。他方、ここ20年ばかりの間に食生活が革命的と言うほどに向上し、パン、めん、畜産物、油脂の消費が増えたため、その原料となる小麦、大豆、トウモロコシなどの食糧はほとんど輸入に依存している。
以上の状況を統一的にとらえるため、オリジナル・カロリーで計算すると、日本の食糧の自給率は極めて低くなる。すなわち、肉、牛乳、鶏卵などをそのもとになる飼料のカロリーに直し、日本人のとる食糧の全体をカロリーに換算して自給率を見ると、5割を割る。この自給率は、1980年代を通じ、この程度の水準で横ばいのまま推移すると見込まれる。
こうした状況は、日本人の食生活が海外に多くを依存しており、万一その供給が断たれた場合、国民生活にとって大きな打撃となることを意味する。日本の脆弱性は大きい。しかし、そのことから直ちに自給度の向上を説くのは早計である。それは現実的ではなく、また必ずしも必要ではない。われわれは、どういう場合に海外からの食糧供給が停止又は減少するか、その可能性はどのくらいか、そしてそれがもたらす影響はどのようなものかを考察し、食糧安全保障政策を決めなくてはならない。
(2) 海外からの供給が、短期的に、あるいは中・長期的に、脅かされる危機としては、理論的には次のようなケースが考えられる。
〔1〕 輸出国の港湾荷役のスト、輸送途上の交通途絶や国際紛争のあおりで、日本への海上輸送が麻痺する場合。
〔2〕 主要輸出国に不作が生じ、供給削減を受ける場合。これからは特に、主要輸出国と主要輸入国とが同時に凶作となるケースが心配である。
〔3〕 主要輸出国との外交関係が悪化し、日本への食糧供給が政策的に制限される場合。
〔4〕 世界の人口と食糧生産との間に長期的に見て不均衡が生じ、海外からの食糧入手が困難になる場合。
ところが、以上のうちケース〔1〕では、供給の停止又は縮小は相当な程度にのぼるが、短期的なものにとどまるであろう。ケース〔2〕では、供給の停止又は縮小は、ケース〔1〕よりもやや長期に及ぶが、その程度は限られている。特に、現在及び近い将来において、主要輸出国はアメリカ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンなど日本の同盟国又は友好国であり、最も大きな輸入国はソ連であるから、主要輸出国が日本の犠牲において、ソ連に食糧を供給することはまず考えられない。ケース〔3〕についても、日本がアメリカ、カナダ、オーストラリアなどとの関係を著しく悪化させ、敵性国家化するというような場合しか起こり得ない。そうした場合は、日本外交の全体的な失敗であり、日本がよほどの愚行を犯さない限り、起こり得ないことである。そうしたことになれば、食糧安全保障が脅かされるばかりでなく、日本の存立自体が問題となるのである。ケース〔4〕、すなわち世界の人口と食糧生産の不均衡が起こる可能性は、目下のところ考えられない。しかし、長期的にはその可能性はないとは言えず、万一そうしたことが起こった場合の影響は甚大である。ただし、この種の危機は突然訪れるものではなく、かなり事前に予知できる。
こうして、食糧の供給停止あるいは供給困難の起こる可能性は目下のところ少なく、起こっても限定的で短期的なものと考えられる。とは言え、食糧は国民生活の安全保障にとって基礎的な物資である。したがって、いざという危機が起こる確率が低くても、それが万一起これば、その及ぼす影響は、広くかつ深い。
しかも、食糧は、第一次産品の中では、石油に次ぐ国際商品として貿易額は大きいものの、工業製品と違って、自国民の胃を満たした後の余剰分のみが海外に輸出されるという性格のものである。
その上、これからは、いわゆるオイル・ダラーが、国際流動性を一層過剰化させ、農産物の世界的な凶作の際に穀物市場に流入して、その国際価格を単なる豊凶差による振れ以上に変動させるおそれも強い。
更に、10年後には全般的な需給関係がやや逼迫し、その結果、例えばケース〔2〕の危機が必ずしも限定的とは言えないものになる可能性も否定できない。
(3) 食糧の安全保障政策は、以上のような前提に立って考察されなくてはならない。その際、まず明らかなことは、食糧自給度を上げよという議論も、自給度は問題でないという議論も、共に単純で、非現実的であるということであろう。自給度を引き上げよという主張は、耕地面積の拡大を意味するが、それには多大のコストが伴う(注1)。また、物理的にも、耕地面積をどこまで増やし得るかは問題である。更に、自給度を引き上げるためには、農業の一層の保護が必要であり、消費者の負担は高くなるし、国際的にも非難を浴び、日本の自由貿易主義への懐疑を招くであろう。
他方、食糧は安ければ安いほどよく、海外から安い食糧はふんだんに輸入できるのだから、農業についても自由貿易主義を徹底させ、その結果、たとえ日本農業が後退してもよいのではないか、という主張がある。しかし、それはケース〔4〕を無視した議論である。自由貿易主義は、適切な農業政策との組合せにより、日本農業の一層の後退を招くことなく、進展させ得るものであるし、またそうすべきである。それに、短期的な危機においても、それが一定の規模になれば、国民の食生活を急落させ、社会的不安定を惹起するので、自給度を完全に無視することは妥当ではない。
こうして、食糧生産の持つ特質、国際需給の見通しなどを冷静に見つめて、中庸を得た自給度について、国民の合意を得ておくことが必要である。日本のような、一億人を越える稠密な人口を抱える高密度工業化社会において、高所得の国民の多様なニーズに応え、しかもその食糧安全保障の最低条件を満たすためには、自給と輸入とを適度に組み合わす以外にない。
(4) 以上に述べたことは、食糧安全保障政策も、国際協力と自助努力の組合せでなくてはならないことを意味する。
すなわち、食糧安全保障の一方の支柱は、食糧生産を世界的に増やすのに貢献することである。特に、長期的な需給の不均衡から来る食糧危機への対策として、それは重要である。そのためには、食糧生産技術の低い国、すなわち開発途上国に対する食糧生産の援助が中心的な役割を果たすであろう。日本の食糧生産技術は高く、開発途上国の農業発展に広く活用し得るものである。次に、食糧生産を増やすためには、増産のインセンティブが必要であることが忘れられてはならない。その点で、安定した需要を造出するための国際的な努力が行われるべきである。国際穀物市場の不安定性は食糧供給国にとっても大きな問題であることが、忘れられてはならない。
しかし、世界的な需給関係にすべてを託することはできない。世界的に食糧の需給関係が悪化しても、われわれは生き続けなくてはならないからである。そうした危機への対処について、われわれは、それがかなり前から予測できるものであると同時に、農業は短期間に供給力を高めることはできない性格の産業であることを前提としなくてはならない。
したがって、ここで問題となるのは、通常の状態における自給度ではなく、いざというときにどこまで生産を高めて、国民生活を守ることができるかということである。すなわち、食糧安全保障のもう一つの支柱として、潜在生産力をなるべく高めに維持しておくことが大切である。その意味で、平素から農業生産の担い手、種子、農用地面積を確保しておき、いざというときは、米、麦、いもなどを中心に農業生産を高められるようにしておくことが必要である。
(5) 短期的な供給不足への対策において、備蓄は中心的なものである。現在、米約7か月分、小麦約3か月分、食用大豆、飼料穀物それぞれ約1か月分が、国費をかけて備蓄されている。備蓄の積増しは、デッド・ストックの増量となるとして民間は好まないが、公的主体が保管・管理する形のものが考えられる。政府としては、食管制度が現在抱えている古米処理問題を片付けた後には、緊急時に必要な備蓄として一定量の米を確保し、先入れ先出しの原則に従って、余剰分は工業用、飼料用などに払い下げていく仕組みを、検討すべきであろう。
備蓄はあっても、それを生かす制度がなければ何にもならない。それ故、天災時や海外からの供給削減時に、国民生活を守るために、米は、流通ルートを特定し、必要量を公的に管理しておくことが肝要である。そしていざというときは、切符制や流通規制などを機動的に発動するシステムを考えておかなければならない。
また、国、地方自治体のみならず、農業団体、食品産業、消費者世帯も、自ら備蓄を持つことが必要であり、その仕組みを検討しておくことが望ましい。こうした備蓄は、大規模地震などの災害の備えにも役立つからである。
短期的危機に際しても、こうした自助努力とともに、国際協力が必要である。特に、今後は、豊凶の変動が著しい価格の変動につながるおそれがあるから、それを防止する緩衝在庫を国際的に作ることが必要である。
(6) 最後に、情報収集能力の問題がある。日本は、世界でも屈指の食糧輸入国であるのに、国際需給などについての政府の情報収集能力は、アメリカの農務省などに比べて、極めて貧弱である。それは強化されなくてはならない。
(注) 例えば、飼料穀物の国内生産を増大させることによって、穀物自給率を1%引き上げようとすれば、その場合に必要な耕地面積は15万ヘクタール、そのための造成コストは9、000億円ないし1兆3、000億円にのぼるとの試算がある。
6.大規模地震対策 −危機管理体制−
(1) 日本に起こり得る大規模災害の中で、予想される被害がとりわけ大きく、かつ発生頻度が相対的に高いのは、人口密集地域における大規模地震である。日本は世界有数の地震国であり、マグニチュード7前後の大地震はほぼ毎年1回の割合で発生している。日本社会は都市化の度合が高く、政治・経済・文化の各方面にわたる機能の大都市圏への集中が著しい。しかも大都市圏の多くは軟弱地盤上に存在し、その都市構造は大地震及びそれに起因する火災等の第二次災害に対して極めて弱い。
もしこの大都市圏に大規模地震が発生し、第二次災害の拡大が有効に阻止されなかった場合、その被害は測り知れないほど大きいであろう。被災による生産力の低下、物資供給難、物価上昇、信用不安等は、全国に波及し、ひいては、日本の国際競争力を弱め、国際社会における日本の存立基盤に打撃を与えることにさえなりかねない。大規模地震への対策が、日本の総合安全保障政策の一環を構成するべき理由はここにある。
(2) 地震の発生を事前に予知することができれば、大規模地震による被害を大幅にくいとめることができる。第二次災害(地震による被害は、地震そのものによる建造物の倒壊などよりは、火災等の第二次災害によるものの方が一般に大きい。)については特にそうである。したがって、地震予知能力の向上が、まず、大規模地震対策の第一の前提となる。日本では、現在、気象庁、各大学、国土地理院等が協力して、地震予知の努力を進めている。特に大規模地震対策特別措置法に基づいて地震防災強化地域に指定された東海地域では、地震予知のための観測が集中的に行われている。しかし、地震予知は、目下のところ海洋型巨大地震(マグニチュード8前後)については高い確度で可能であるが、地域特性によっては震度が6(烈震)ないし7(激震)に達するおそれのあるマグニチュード7程度の地震(特に内陸型地震)については容易ではない。このような地震予知技術の限界を破る必要性は大きい。
地震による被害は、マグニチュード、すなわち地震エネルギーの大きさのみでは決まらない。地盤の特性のほか、とりわけ大都市においては、オープン・スペースや建築物の状況、ガソリンスタンドなどの危険物施設の立地状況、更には道路や交通機関による人の流れ等さまざまな要因が、地震による被害(とりわけ第二次災害)の大きさとその態様に大きく影響する。
したがって、大規模地震対策の第二の前提は、大都市において地震の被害を規定する主要な要因を各地域ごとに精査したマイクロ・ゾーニング・マップ、及びそれを前提とした災害の態様についてのシナリオ(被害想定)の作成である。このようなマップ及びシナリオは、国や地方自治体による防災対策の策定・推進に不可欠であるばかりでなく、企業や家庭における防災努力にとっても極めて有用である。したがって、マイクロ・ゾーニング・マップ及び災害シナリオは、その影響を慎重に勘案しつつ、住民に公開されるべきであろう。
(3) 大規模地震による災害にはさまざまな要因が関連しており、したがって、それに対する防災対策は、すぐれて総合的なものでなくてはならない。すなわち、大都市圏をはじめとする国土全体の安全水準を高めるためには、防災対策という限られた目的を持った政策体系を志向するのではなく、都市政策を含めた地域政策、交通・運輸政策、通信政策、環境政策等あらゆる政策について、防災的視点を導入し、しかもそれらを有機的に関連づけることが必要である。このような防災対策の総合化を実現するために、中央・地方の防災会議の機能の拡充が図られるべきであろう。
(4) 地震予知後の混乱及び地震発生後の被害を最小限にとどめ、迅速な復旧を成し遂げるためには、緊急時において国及び地方自治体が適切に指導・対処し得る能力を備えていなければならない。特に、現在の災害対策基本法では、住民への避難命令、警戒区域の設定、消防機関への出動命令などは、市町村長が行うこととなっている。このように、日本の防災体制の特徴は「現場」を重視する発想に立っているが、これと、国レベルにおける迅速かつ有効な意思決定とが有機的に連結されることが重要である。
このような危機管理能力を整備するためには、少なくとも次の諸措置を講ずる必要がある。
〔1〕 大地震の衝撃と火災等の第二次災害に堪え得る抗たん性を備えた指揮室の設置。
〔2〕 指揮室と防災関係諸機関及び被災「現場」との間の多重的無線通信網の整備。
〔3〕 災害緊急事態において国民に伝達する政府、地方自治体の指示及び災害情報のマニュアル化。
(5) 国及び地方自治体の危機管理能力がいかに強化されても、大都市圏における大規模地震によって生ずる災害と混乱とに対し、行政機関のみで十分に対応することは不可能である。同時多発する複雑多様な災害に対処するためには、各家庭、企業、学校等の自主的努力が不可欠なのである。各家庭及び企業は、自らの防災能力を高めるよう努めると同時に、地域的に連帯して、自主的なコミュニティ防災組織を結成することが望まれる。国や地方自治体は、コミュニティ防災センターの整備等、自主防災活動の基礎づくりに努めるべきである。
宮城沖地震の際に示されたように、大規模地震が発生すると、電気、ガス、水道等の公共的サービスの供給は一時的に中断されざるを得ない。大都市の場合、食糧、医薬品等の生活必需物資の供給も大幅に制限されてしまうであろう。したがって、各家庭、学校及び企業は災害時における存続能力を向上させる必要がある。具体的には、一定量の食糧・飲料水、燃料、医薬品、衣料等を備蓄し、応急手当、看護などの「生き残りのノウハウ」を身につけ、更には地下室等の避難施設を整備することが望まれるのである。
(6) 大規模地震に備える以上のような努力は、他の自然災害やコンビナート災害等に対しても、また、軍事的・経済的な非常事態に対しても、当然有用である。大規模地震対策の整備は、国・地方自治体・コミュニティの各レベルを通じて、現在甚しく遅れている危機管理能力を強化するのに、大きく貢献し得るであろう。
結語
われわれは、過去1年余りにわたり、総合安全保障をめぐる諸問題について、いろいろな角度から検討を行ってきた。
われわれは、この報告の問題提起をきっかけとして、広く国民の間で活発な議論が起こり、それが実り豊かな成果を生むことを期待している。幅広い論議を通ずる国民的合意の形成こそが、日本の安全保障のための国民的努力の結集につながるものだからである。
従来の日本における安全保障に関する論議を顧みるとき、われわれは、一方における自主防衛を目指した軍備増強論と、他方における「平和主義」に基づく軍備廃止論の二つの極論の間にあって、この問題を現実的に考える国民的環境が育ってこなかったことを、認めざるを得ない。
とりわけ、国会など最も重要な政治の場における論議が、実質を欠いた形式的な法律論や、あるいは単なるイデオロギー論争に終始してきたこと、政府の説明もともすれば過去のいきさつとの辻つま合わせや、その場逃れのものに終始してきたことについて、われわれは、強く反省を促したい。われわれは、安全保障問題に関する政府の率直な見解の表明と、国会に新設された安全保障委員会における実質的討議の展開を、強く要望するものである。
また、学界をはじめ広く各界の有識者により、安全保障問題を本格的に研究し得る体制を整備することも、緊要の課題であろう。
日本の安全保障の確保が多くの分野における多くのレベルでの努力を総合したものでなくてはならない以上、それは単に防衛庁のみが検討することで済まされるべき課題ではない。それは、外交政策を担当する外務省や財政政策を担当する大蔵省はもとより、農林水産省、通商産業省、国土庁など多くの省庁が関係しているものである。各省庁は、今後その施策を進めるに当たって、総合安全保障の見地にも十分に配慮していくことが必要である。
また、われわれは、現在の形骸化している「国防会議」に代え、安全保障政策を総合的、有機的に推進していくための機構として、「国家総合安全保障会議」を設立することを提案する。このような機構の設立によって、「防衛計画の大綱」が述べている「国際情勢に重要な変化が生じ、新たな防衛力の態勢が必要とされるに至っている」かどうかの判断を含め、総合安全保障のあり方を随時見直す体制を確立することが必要である。
更に、日本の総合安全保障についての最高の責任者である内閣総理大臣に対し、常時情報が伝達されるとともに、その有効な指揮・監督が行われる体制を確立することも必要である。
われわれは、この報告で述べた具体的提言が、これからの政府の施策に積極的に反映され、早期に実現されることを強く希望して、この報告を結ぶこととしたい。
{〔1〕は本文中ではマル1}
{本文中、1・1/2、2・1/2とある部分の中グロはわかりやすくするため原文にはないが挿入した}