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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書

[場所] 
[年月日] 2008年6月24日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

目 次

はしがき・・・1

第1部 我が国をめぐる安全保障環境と法的基盤再構築の必要性

1. 安全保障環境と法的基盤・・・3

2. 21世紀の安全保障環境・・・4

3. 安全保障に関する政府の憲法解釈・・・6

4. 憲法解釈の変更を促す要因・・・7

第2部 4類型の安全保障問題のそれぞれに関する懇談会の意見

1. 公海における米艦の防護・・・9

2. 米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃・・・11

3. 国際的な平和活動における武器使用・・・12

4. 同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援・・・14

第3部 憲法第9条に関する懇談会の基本認識

1. 4類型に関する意見とその前提・・・17

2. 憲法第9条の解釈・・・17

3. 集団的自衛権の行使及び国連集団安全保障への参加・・・18

4. 自衛権の発動要件・・・20

5. 集団的自衛権の保有と行使、国際紛争の概念・・・20

6. 第3部の概括・・・21

第4部 4類型の安全保障問題及び関連事項に関する提言

1. 4類型に関する提言・・・22

2. 新たな安全保障政策に課すべき制約(いわゆる「歯止め」)・・・24

3. 新たな安全保障政策構築の方法・・・25

4. 結語・・・26

要約・・・27


(参考資料)

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の開催について」

(平成19年4月17日内閣総理大臣決裁)・・・33

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会構成員」

(平成20年6月24日現在)・・・34

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」開催状況・・・35

「総理の問題意識」(平成19年5月18日会合における安倍晋三総理(当時)の冒頭発言の概要)・・・36


はしがき


 第2次世界大戦後、我が国は、国際平和を乱すことなく、ひたすら戦後復興と経済成長に励んできた。我が国が外国を侵略せず、軍国主義に走らないという意味での平和主義は、戦後しっかりと根付いたし、今後ともこれを堅持していかねばならない。しかしながら、自国の平和を志向するだけで国の安全と世界の平和を守ることができないことは明らかである。我が国が戦後平和の内に生き続けることができたのは、外交によって平和な国際環境を構築するとともに、自衛の努力とこれを補う日米同盟によって有効な抑止力を維持してきた結果である。

 第2次世界大戦後、長きにわたって国会の内外でいわゆる安保論議が盛んに行われてきた。保守、革新両陣営の間における論議の大部分は、自衛隊が合憲か違憲か、日米安保条約に賛成か反対かといった、多分にイデオロギー的な論争であった。また、安保条約の運用や関連事項をめぐる具体的な問題もこのようなイデオロギーを背景とすることが多かった。そこでは、冷厳な国際関係の中にあって我が国国民の生命・財産、国土、そして基本的人権、民主主義の原則等の基本的価値を守るにはどうすれば良いかという安全保障の基本が論じられることは少なかった。

 このような状況に若干の変化をもたらしたのは、平成2、3年(1990、1991年)の湾岸危機であった。我が国では、湾岸危機への対応、さらにその後国連PKOへの参加の是非をめぐり、戦後初めて憲法第9条の解釈が自衛権の問題にとどまらず、集団安全保障の観点からも、国会の内外で広く論議された。このような論議を経て、我が国としても、単に国際平和を乱さないというだけでなく、より積極的に国際平和に協力する必要性が認識され、遅ればせながら国連PKO等の平和活動に参加するようになった。しかしながら、憲法第9条については、基本的に従来の解釈の範囲内にとどまっているため、我が国の活動は、なお多くの制約の下に置かれている。

 冷戦終結後、安全保障環境は、更に激変した。テロの深刻化と大量破壊兵器の拡散という新たな脅威が外国からの侵略という古くからある脅威に加わった。特に、近隣の北朝鮮の核兵器とミサイルの開発は、我が国にとって直接かつ新たな脅威として出現した。我が国は、今や多様な脅威に緊急に対応することを迫られている。

 日本国憲法が施行された第2次世界大戦直後の時期、冷戦時代、冷戦終結直後、さらにその後今日までの時期において、我が国をめぐる安全保障環境が激変したことについては、この報告書に詳述しているとおりである。このような安全保障環境の激変の中にあって、かけがえのない我が国国民の生命・財産、国土及び基本的人権の尊重、民主主義の堅持等の基本的価値を守るにはどうすれば良いかという安全保障の基本を初心に立ち帰って真剣に考えかつ行動することが急務である。それと同時に、我が国の国際社会における役割の重要性にかんがみ、国際平和への協力も、重視しなければならない。憲法第9条の解釈についても、平和の意義と安全保障の本来の目的を見失うことなく、また、先例墨守や思考停止の弊害に陥ることなく、憲法の規定を虚心坦懐に見つめ直す必要がある。そして、冷厳な国際安全保障環境を直視し、世界の平和と我が国の安全を確保するため、最善の安全保障政策を見出さなくてはならない。この報告書が安全保障の法的基盤の再構築に資することを切に望むものである。


安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会

座長 柳井俊二


第1部 我が国をめぐる安全保障環境と法的基盤再構築の必要性

1.安全保障環境と法的基盤

 安全保障環境は日々変化する。21世紀の我が国を取り囲む安全保障環境は、20世紀と同じではない。第2次世界大戦直後のアジアの安全保障環境と冷戦時代とは違ったし、冷戦時代の安全保障環境と冷戦が終わったときの安全保障環境は大きく異なるものであった。さらに冷戦終結直後の状況から、現在の安全保障環境は、更に変化している。こうした客観情勢の変化だけでなく、我が国の主体的条件も大きく変容を遂げてきており、我が国の国際社会における地位は向上し、それに伴う責任は増大している。我が国の安全保障政策は、このような変化に適切に対応したものでなければならない。

 他方、国の安全保障政策は、法治国家として当然であるが、明確な法律に基づいて実施されなければならない。すべての法律の基礎には憲法があり、憲法を基盤として、これの適切な解釈の下に様々な法律が組み立てられる。このような法的基盤の上に安全保障政策も実施しなければならない。

 しかし、このような法的基盤もまた、常に安全保障環境の変化という現実によって、不断に再検討しなければならない。現行の法的基盤は、日本国憲法に基づいて形成されてきたものであるが、その形成過程は、その時々の安全保障環境や政治状況によって規定された歴史的なものである。したがって、現在の法的基盤のある部分が、現在の安全保障環境の下で、最適であるか否かについては、常に再検討が必要である。

 もちろん、安全保障環境がそれほど大きく変化していないのであれば、現存する憲法解釈や法律からなる法的基盤を変更させる必要はないかもしれない。しかし、21世紀の安全保障環境は、日本国憲法が制定された20世紀中葉から大きく変化し、また、集団的自衛権等に関する様々な政府解釈が打ち出されてきた冷戦期からも大きく変化している。更に言えば、冷戦終結直後の状況とも異なる様相を呈しているのが、21世紀の安全保障環境なのである。憲法解釈も含め法的基盤に関する不断の検討が必要な所以である。

 いうまでもなく、法に関する解釈は、単に現実に合わせるだけの便宜的なものであってはならない。しかし、これまで維持されてきた解釈のみが、法的に見て唯一可能で合理的なものであるというわけではない。歴史的に成立してきた様々な政府解釈は、法的な体系として見た場合に、かえって、過度に複雑であったり、不適切な概念を導入している可能性もあり、また、国際法との整合性に欠ける場合もある。安全保障環境への適合性と並んで、このような法解釈の一貫性・合理性という観点からも、法的基盤を見直す必要が存在している。

 安倍前総理は、このような安全保障環境の変化や法解釈の適切性に留意し、以下の四つの事例を問題意識として提示され、本懇談会で検討するよう指示された。

 [1] 共同訓練などで公海上において、我が国自衛隊の艦船が米軍の艦船と近くで行動している場合に、米軍の艦船が攻撃されても我が国 自衛隊の艦船は何もできないという状況が生じてよいのか。

 [2] 同盟国である米国が弾道ミサイルによって甚大な被害を被るようなことがあれば、我が国自身の防衛に深刻な影響を及ぼすことも間違いない。それにもかかわらず、技術的な問題は別として、仮に米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉した場合でも、我が国は迎撃できないという状況が生じてよいのか。

 [3] 国際的な平和活動における武器使用の問題である。例えば、同じPKO等の活動に従事している他国の部隊又は隊員が攻撃を受けている場合に、その部隊又は隊員を救援するため、その場所まで駆け付けて、要すれば武器を使用して仲間を助けることは当然可能とされている。我が国の要員だけそれはできないという状況が生じてよいのか。

 [4] 同じPKO等に参加している他国の活動を支援するためのいわゆる「後方支援」の問題がある。補給、輸送、医療等、それ自体は武力の行使に当たらない活動については、「武力の行使と一体化」しないという条件が課されてきた。このような「後方支援」のあり方についてもこれまでどおりでよいのか。

 以上の問題意識には、このような事例において我が国が適切な対応をすることができなければ、我が国の安全保障が脅かされるとの認識があったと思われる。それぞれについて、これまでの政府の見解を踏まえた上で、政府見解の修正や法律改正も含めて、どのように法的基盤を整備していくかが、本懇談会に問われた内容であると認識する。基本的に、[1]と[2]は自衛権に関する問題であり、[3]と[4]は国際的な平和活動に関する問題であって、両者は明確に区別して考察されなければならない。

 四つの事例に関する本懇談会での検討については第2部で詳述し、この検討を通じて得られた憲法第9条に関する本懇談会の基本認識を第3部で述べ、本懇談会としての提言は第4部で行う。以下では、その前提としての、現在の安全保障環境の特徴、これまでの安全保障に関する政府の憲法解釈の概略を提示することにする。


2.21世紀の安全保障環境

 21世紀の安全保障環境は、これまでの安全保障環境とどこが異なっているのであろうか。第一に挙げるべきは、安全保障上の脅威の多様化である。冷戦の終結によって、大国間戦争の可能性は低下したが、その可能性がゼロになったわけではない。また、幾つかの国々の安全保障政策がもたらす脅威は継続している。核兵器等の大量破壊兵器や弾道ミサイルを保持し、周辺諸国との間で、武力の行使を辞さない姿勢を示したりする国家が存在する。

 また、ナショナリズム等に起因する対立が解決されず、場合によっては大規模な武力紛争に発展しかねない紛争が世界各地に存在している。世界の様々な地域では、民族や部族の対立を解決して国家を統合することができずに内戦や内戦状況を継続させている例が見られる。さらに、大規模暴力の形態としてのテロリズムの問題が大きく浮上してきたのも21世紀の特徴である。2001年の9・11テロはその典型例であるが、これにとどまらず、世界各地でテロの脅威が続いている。テロリストの国際的ネットワークは、内戦等によって国内統治の十分でない国々に拠点をおく傾向があり、テロの脅威と内戦の継続は密接に関連するようになっている。また、国際社会に脅威を与え得る特殊な国がテロリスト等と連携する可能性も否定できない。大量破壊兵器や弾道ミサイルがテロリストの手に渡る危険も無視し得ない。

 このような脅威の多様化の背景には、様々な要因があるが、技術の役割も見過ごすことはできない。技術進歩は、テロリストや危険な国家のもたらす脅威を更に深刻なものにする可能性もあるが、それらに対抗する手段を生み出す面もある。弾道ミサイルの脅威と弾道ミサイル防衛の可能性は、まさにそのような技術進歩による安全保障環境の変化を物語っている。

 安全保障環境をめぐる変化の第二の側面は、安全保障問題に対する国際社会としての共同対処の動きが強まってきていることである。多くの国際紛争の解決に当たって、国連安保理による判断が重視されるようになってきている。各地の内戦においても、そしてテロとの戦いにおいても、国連決議等によって設立された国際的な平和活動が展開されるようになってきた。各国が大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散を阻止するための共同作戦を実施するようにもなってきている。この間、国際社会では、国際司法裁判所の判決・意見等を通して、集団的自衛権についての考え方や、集団安全保障の考え方等についての概念的整理も進んできた。

 つまり、安全保障上の脅威が多様化する中で、国際社会としての共同の取り組みが重視されるようになってきているのが、現在の安全保障環境の特徴である。我が国にとっても、自国の安全保障のために自らの防衛体制を実効的なものとして維持していく必要性はいささかも低下していないが、これに加えて、日米同盟を更に実効性の高いものとして維持し、国際社会全体との協力をするための努力が求められている。我が国の安全保障政策に関する法的基盤も、また、このような観点から見直してみる必要がある。


3.安全保障に関する政府の憲法解釈

 我が国の安全保障政策に関する法的基盤の根幹は、日本国憲法であり、とりわけ憲法第9条である。そして、憲法第9条をめぐっては、制定当時から、その解釈をめぐって様々な考え方が存在してきたし、政治的にも種々の論争を引き起こしてきたことは周知のとおりである。この解釈に関する論争に決着をつけるために憲法改正を求める声もある。以下では、安全保障に関連して政府が提示してきた典型的な見解をまとめておく。

 第一に、政府は、従来、我が国は自衛権を保有しており、自衛隊は憲法違反ではないとの解釈をとってきている。例えば、自衛権の存在については、「憲法は自衛権を否定していない。自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。したがって、現行憲法の下で、我が国が自衛権を持っていることはきわめて明白である」とし、この解釈を受けて、「自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつ、その目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、なんら憲法に違反するものではない」(昭和29年12月22日大村防衛庁長官答弁)としたのである。

 第二に、政府は、自衛権の行使については制約があるとの解釈をとっている。例えば、昭和60年9月27日政府答弁書にあるように、「憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については」、「[1]我が国に対する急迫不正の侵害があること、[2]これを排除するために他に適当な手段がないこと、[3]必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という3要件が必要であるとしてきた。

 第三に、「集団的自衛権」に関しては、昭和47年10月14日の政府見解で示され、これとほぼ同趣旨の昭和56年5月29日政府答弁書に見られるように「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」との見解を示してきた。

 第四に、国連等が行う国際的な平和活動においても、武力の行使につながる可能性のある行為は、憲法第9条違反のおそれがあるとされてきた。たとえば、平成10年5月14日の秋山内閣法制局第一部長答弁では、「もとより集団的安全保障あるいはPKOにかかわりますいろいろな行動のうち、憲法第9条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為につきましては、我が国としてこれを行うことが許されない」とされている。

 第五に、国連等の活動であれ、同盟国の行う活動であれ、他国の行う武力の行使と「一体化」するとみなされる行為は、それ自体が武力の行使でなくとも憲法違反であるとの解釈がなされるようになってきている。


4.憲法解釈の変更を促す要因

 我が国をめぐる今日の安全保障環境は、上述のように、冷戦時代及び冷戦終結直後の状況とは大きく異なってきている。大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、あるいはテロの深刻化により安全保障上の脅威が多様化する一方で国家からの脅威も依然として存続しており、また、国際社会として共同で対処すべき多数の国際紛争が生じている。

 このような安全保障環境の現実に直面する我が国の安全保障戦略の基本は、第一に、我が国に対する直接の脅威を抑止し、もし現実に脅威が及ぶ場合にはその損害を最小限にとどめるため、自助努力によって効果的な防衛力を保持することである。第二に、今日如何なる国も一国のみでは自国の安全保障を全うすることができず、特に我が国の場合には一層そうした事情が顕著である以上、日米安全保障条約を基礎とする日米同盟を維持し、継続的にこれを整備することが必要である。この点について、米国は、我が国が武力攻撃を受けた場合に、日米安全保障条約に基づいて我が国を防衛する義務を負い、また、極東の平和と安全に寄与するため我が国と協力する唯一の同盟国であることを忘れてはならない。このため、日米協力体制の信頼性向上が不可欠である。特に近年、北朝鮮ミサイルを追尾する日米イージス艦の共同行動が行われているが、その際、我が国の海空自衛隊がこれを掩護できないこととなれば問題である。さらに、我が国のイージス艦がミサイル迎撃能力を得たにもかかわらず、必要な日米共同作戦を行えないということになれば、日米同盟の維持強化にとって大きな障害となり得ることを認識すべきである。第三に、世界各地で生ずる紛争を解決し、国際の平和と安全を維持・回復するための国際社会の共同の努力に貢献することは、国際社会の責任ある一員としての我が国の責務であるのみならず、安全保障環境を改善することは、我が国自身の安全を確保する上でも必要であることを十分認識し、このような国際社会の共同の努力に積極的に寄与する必要がある。

 そうであるとすると、今日の複雑かつ不安定な安全保障環境の下で、以上のような戦略に基づく我が国の安全保障政策を実施するための法的基盤、なかんずく憲法第9条の政府解釈は、適切にして十分なものであろうか。憲法第9条の下で我が国は個別的自衛権を有し、我が国に対する急迫不正の侵害があること等の3要件に合致すれば、その行使として武力を行使することはできるが、集団的自衛権を行使することは、我が国を防衛するための必要最小限を超えるものであって、憲法上許されないという解釈、すなわち、我が国は、主権国家として国際法上集団的自衛権を有するものの、憲法上これを行使することが許されないという解釈は、現在の安全保障環境の下で日米同盟を効果的に維持することに適合し得るものであろうか。また、従来の政府見解では、国連PKO等の国際的な平和活動への我が国の参加に当たっても、武力の行使につながる可能性のある武器使用は、憲法第9条に違反するおそれがあるとしてきた。さらに、この政府見解では、我が国の行う後方支援のようにそれ自体が武力の行使でなくとも、他国の武力の行使と一体化する場合には憲法第9条に違反するとされてきた。このような解釈から生み出される法制度は、我が国が効果的に国際的な平和活動に従事することを可能にするであろうか。

 まさに前述の四つの類型こそは、日米同盟の有効性を今後とも維持するとともに、国際的な平和活動に我が国が積極的な関与をしていくに当たっての具体的問題を示している。第2部から第4部にかけて詳述するように、本懇談会は、この四つの類型に関して、我が国が適切な行動がとれないとすれば、それは我が国の安全を著しく脅かす可能性があるものであると判断し、しかも、憲法解釈を変更することによって、この4類型に適切な対処をすることが十分可能であると判断した。

 いうまでもなく、本懇談会は、4類型に対処するという現実の必要性のみから法的に合理的でない解釈変更を提示しようとするものではない。ここで提起する憲法解釈は、法的に見ても一貫した論理に基づき国際的にも適切な解釈と考えるものである。現行の政府解釈に固執することこそ、かえって、法的に合理的でない解釈の連鎖を生み出しかねないのである。安全保障環境の変化にも適合し、国際法的にも整合した新しい解釈をとるべきであろう。


第2部 4類型の安全保障問題のそれぞれに関する懇談会の意見


 本懇談会は、第1部で述べた基本認識に基づき4類型の安全保障問題を検討した。以下においては、4類型のそれぞれについて、現在の安全保障環境の下において我が国が対処を迫られている具体的かつ現実的な安全保障問題を特定するとともに、このような問題に有効に対処するためには何をなすべきかという政策課題に関する認識を述べ、さらに、現在の法的基盤、換言すれば、これまでの政府の憲法解釈を含む法解釈でかかる政策が実行できるか否か、如何なる制約があるか、また、その課題を解決して我が国の安全を確保するには如何なる方策があり得るかという問題について本懇談会の意見を記述することとする。以下、各類型について、(1)現実の状況、(2)問題に対する政策目標、(3)現行の法的基盤の制約及び(4)法的制約に関する問題解決の選択肢に分けて論点を整理することとする。なお、これら以外の論点に関する意見がある場合には、(5)関連事項として示すものとする。


1.公海における米艦の防護

(1)現実の状況

 共同訓練等で公海上において、我が国自衛隊の艦船が米軍の艦船と近くで行動している場合に、米軍の艦船が攻撃されても我が国自衛隊の艦船は何もできないという状況が生じてもよいのかというのが提示された問題意識である。日米の艦船が互いに近くで行動している場合として一般に想像されるのは、例えば、日米の艦船が併走して給油活動をしているような場合であろうが、共同行動といっても、広大な公海上で日米の艦船が互いに数百キロ離れていることがあるのが実態であって、至近距離で給油活動をしているような場合は、稀である。

 さらに、この問題を検討するに当たっては、ミサイル攻撃の実態も踏まえる必要がある。第一に、米艦が我が国に対するミサイル攻撃を警戒・監視する活動に従事している場合、すなわち米艦の活動が我が国の安全保障と密接に関連している場合で、米艦がミサイルの飛来する方向にレーダーを集中しているときは、自艦の防護能力が下がるので、近くにいる自衛隊の艦艇及び航空機が米艦を防護する必要性が大きくなる。

 第二に、洋上で日米の艦船が共同活動をしている場合、遠距離から撃たれる対艦ミサイルについては、自衛艦があくまでも自己や武器等の防護のために武器を使用する場合にその「反射的効果」として米艦を防護する場合があるとの従来の考え方では、自衛艦自身に対する攻撃が未だ行われていない段階で米艦防護を行うための法的根拠が曖昧であり、現実的に対処が困難である。

(2)問題に対する政策目標

 厳しさを増す安全保障環境の下で、我が国の国民の生命・財産を守るためには、日米同盟を効果的に機能させることが一層重要であり、米艦防護の問題も、同盟国相互の信頼関係の視点から考えることが基本的に重要である。したがって、前記(1)のような現実の状況において、我が国の安全保障のために自衛隊の艦船と共同で活動している米艦が攻撃に晒されたような場合に米艦を防護することは、同盟国相互の信頼関係維持のために当然なすべきことであり、また、我が国自身の安全保障に資することである。

(3)現行の法的基盤の制約

 我が国は国際法上集団的自衛権を有するが、これを行使することは憲法上禁止されているというこれまでの政府の解釈によれば、設問のような場合に自衛艦が米艦を防護することは、集団的自衛権の行使に当たるので、原則的にできないこととなる。従来の憲法解釈及び現行法の規定によれば、我が国に対する「組織的・計画的」な武力攻撃と認められる我が国有事の場合に、個別的自衛権を行使するか又は自衛艦が米艦に併走して給油をしているような場合に限り、自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により、結果的に反射的効果として米艦の防護が可能な場合があるという国会答弁がある。しかしながら、前記(1)のような現実の状況から見てもこのような状況は稀であり、また、このような反射的効果による防護では、離れた海域で共同活動をしている米艦から掩護を求められた場合には、対処できない。

(4)法的制約に関する問題解決の選択肢

 前記(2)の政策目標と法的制約との間の間隙を埋める方法としては、従来の憲法解釈の延長線上で個別的自衛権の適用を拡大して、離れた海域にある米艦も防護するという考え方と、個別的自衛権しか行使し得ないという憲法解釈を変更し、集団的自衛権も行使し得ることとするという考え方があり得よう。しかしながら、自衛艦が攻撃されていないにもかかわらず、個別的自衛権の適用を拡大して米艦を防護するということについては、国際法に適合した説明が困難であり、また、政策目標の達成も中途半端なものとなる。これに対し、集団的自衛権の行使によって米艦を防護するという方法は、米艦を防護するという政策目標が達成できるとともに、我が国が主権国家として有する集団的自衛権を行使するのであるから、国際法上も問題ない。


2.米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃

(1)現実の状況

 弾道ミサイル、特に大量破壊兵器を搭載したミサイルは、軍事目標のみならず一般市民にも甚大な被害を及ぼすものであり、人道上の観点から看過し得ないものである。また、ミサイルへの対処は、分秒の間に判断する必要があり、さらに、複数のミサイルが日米双方に向かう場合に、我が国に向かうものは撃ち落せるが、米国に向かうものは撃ち落せないということになれば、撃墜の可否を即座に判断することは困難なものとなる。したがって、ミサイル攻撃への対応は、単純・明快かつ迅速にとり得るものでなくてはならない。

(2)問題に対する政策目標

設問にもあるとおり、同盟国である米国が弾道ミサイル攻撃によって甚大な被害を被るようになれば、我が国自身の防衛に深刻な影響を及ぼすこととなり、また、我が国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになる。

 弾道ミサイル防衛は、日米共同で成り立ち、かつ、情報、核抑止力等の面で我が国が米国に大幅に依存しており、従来以上に日米の緊密な連携関係を前提としている。したがって、このような連携関係を離れて我が国のミサイル防衛だけを考えることはできない。

 さらに、我が国に飛来する弾道ミサイルは個別的自衛権で撃ち落せるが、米国に向かうミサイルを撃ち落すことは集団的自衛権の行使に当たるのでできないとの立場、あるいは、いずれの場合か判断できないため対応が遅れるという状況は、弾道ミサイルに対する抑止力を阻害する。

 以上にかんがみ、米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを我が国が撃ち落す能力を有するにもかかわらず撃ち落さないという選択はあり得ない。

(3)現行の法的基盤の制約

 我が国は、国際法上集団的自衛権を有するが、憲法上これを行使することはできないとのこれまでの政府見解を維持する限り、同盟国たる米国に向かうミサイルを撃ち落すことができず、前記(2)に述べた政策目標を達成することはできない。

 また、これまでの考え方は、我が国に向けてミサイルが発射されてもそれが武力攻撃に該当するか否かが必ずしも明確ではないので、まずは自衛隊法第82条の2に基づく警察権で対応するというものである。この措置は、国際法的には緊急避難としての対応を意味する。そのミサイル攻撃が我が国に対する武力攻撃であると認められれば、安全保障会議、閣議決定、国会承認という手続を経て個別的自衛権で対応するという二段構えの非常に慎重な仕組みをとっているのである。しかし、このような体制では米国に向かうミサイルに対応することができるかは現実問題として疑問である。

 なお、前述の政府の考え方のようにミサイルに対しても警察権の行使により対応できるという見方もあるが、国際法上は、国家の主権が及ばない宇宙空間では、原則として警察権は行使できない。

(4)法的制約に関する問題解決の選択肢

 前記(2)で述べたように、米国に向かう弾道ミサイルを我が国が撃ち落せる場合には撃ち落すべきであるということが我が国の政策目標である以上、この目標達成を法制的に可能にする方法としては、集団的自衛権の行使を認める以外にないと思われる。

(5)関連事項

 ミサイル防衛に関して最も重要なことは、極めて迅速に決断し、遅滞なく実施し得る体制と手続を平時より整備しておくことである。


3.国際的な平和活動における武器使用

(1)現実の状況

 国際的な平和活動には、国連の関与するものだけをとっても、安保理が多国籍軍に許可を与えてイラク軍への反撃をさせた湾岸戦争の例に見られるように、強制力を伴うようなものから、停戦合意を前提として強制力を伴わないものまで、種々の段階の活動がある。これまで我が国が参加してきた活動は、停戦合意を前提とする伝統的な国連PKOであるが、現在、我が国のPKO派遣要員数は、主要国の中で最下位にある。その一因は、国連PKOに参加する自衛隊員の武器使用が国際基準より厳しく制限されていることにある。

 紛争当事者間の停戦合意を前提とする国連の伝統的なPKOにおいても、国連は、要員を防護するための武器使用(いわゆるAタイプ)とともに、国連PKOの任務遂行に対する妨害を排除するための武器使用(いわゆるBタイプ)を認めている。しかるに、我が国の国際平和協力法では、Aタイプの武器使用のうちでも自己や現場に所在する他の自衛隊員等と自己の管理下にある者の防護のためにしか「武器の使用」を認めておらず、同じ国連PKOに参加している他国の部隊又は隊員が攻撃された場合に駆け付けて仲間を警護するため必要な場合には武器を使用することが許されていない。さらに、妨害排除のための武器使用(Bタイプ)も認められていない。

 このように、武器使用の程度が最も低い伝統的な国連PKOの場合でさえ、我が国の武器使用基準は国際基準とは著しく異なっており、自衛隊は同じ国連PKOに参加し、共同行動をしている他国の部隊とは別の基準で行動せざるを得ない。このような状態では、国連PKOへの積極的な参加は困難である。

(2)問題に対する政策目標

 第1部で述べたように、国際の平和と安全を維持・回復するための国際社会の共同の努力に貢献することは、我が国の責務であるのみならず、安全保障環境の改善を通じて我が国自身の安全を確保する上でも必要であり、我が国としては国際的な平和活動に一層積極的に関与していくべきである。

 確かに、自衛隊が戦闘行動を主たる任務として国際的な平和活動に参加することは、現状からの極めて大きな変更であり、基本的な政治決定が必要であろう。しかしながら、それ以外の場合については、積極的に参加することを検討すべきである。その際、国連PKO等が国際社会の共同活動である以上、これに参加する自衛隊にも武器使用に関する国際基準を適用し、他国の部隊や隊員とともに共同の活動を行えるようにすべきである。具体的には、国際基準に従い、第一に、同じ国連PKO等に従事している他国の部隊又は隊員が攻撃を受けている場合に、その部隊又は隊員を救援するため、その場所まで駆け付けて、要すれば武器を使用して仲間を助けること(いわゆる駆け付け警護)を自衛隊にも認めることである。第二に、国連PKOの基準で認められた妨害排除のための武器使用(Bタイプ)を自衛隊にも認めることである。第一の点については、同じ国連PKO等で共同任務を行う他国の部隊や要員が危険に晒され、自衛隊に救援を求めているにもかかわらず我が国独自の基準により武器使用が認められていないために他国の部隊や要員を救援しないことは常識に反しており、国際社会の非難の対象になり得る。第二の点については、例えば、PKF本体業務への参加等においては必要不可欠である。

(3)現行の法的基盤の制約

 これまでの政府見解によれば、憲法第9条の下では、自衛権の3要件に合致する限り我が国は、個別的自衛権を行使することができるが、これ以外の武力の行使は、憲法上認められないということになる。従来の政府見解では、国連PKO等において自衛官が攻撃を受けた場合に武器を使用して防御することは、「自己保存のための自然権的権利」であるので、憲法上も認められるが、いわゆる駆け付け警護や妨害排除のために武器を使用することは、相手方が国又は国に準ずる組織である場合には、憲法で禁じられた武力の行使に当たるおそれがあるので、認められないというものであった。

(4)法的制約に関する問題解決の選択肢

 憲法第9条が禁じているのは、個別国家としての我が国による「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」であって、国連等が国際平和の回復・維持のために行う集団安全保障や国連PKOとは次元を異にするものであり、これへの参加は憲法で禁止されていないと考えるべきである。もとより、国連憲章が本来予定した、国連軍の創設を含む形での集団安全保障体制が実現しておらず、また、安保理決議に基づく平和活動にも種々の段階があり、それらが単なる個別国家の活動でないとしても、国連の関与の度合いに差があることも事実であるので、このような平和活動への参加については、個々の場合について政策的に慎重な検討が必要である。しかしながら、少なくとも、国連PKOの国際基準で認められた武器使用が国連憲章で禁止された「武力の行使」に当たると解釈している国はどこにもなく、したがって、自衛隊が国連PKOの一員として、駆け付け警護や妨害排除のために国際基準に従って行う武器使用は、憲法第9条の禁ずる武力の行使に当らないと解すべきである。

(5)関連事項

 アジア・太平洋地域においては、最近、ソロモン地域支援ミッション、ミンダナオ国際監視団、アチェ監視ミッション等の活動が行われるようになってきている。これらの活動は、いずれも、諸般の事情から、国連決議に基づいていないが、関係諸国の了解の下で行われる平和活動であり、戦闘行動を伴うものではない。アジア・太平洋における地域紛争を解決し、地域の平和と安全を維持・回復することについて、この地域の諸国、ひいては国際社会は、我が国のより積極的な貢献を期待しており、また、我が国自身の安全保障の観点からも、貢献することが望ましい。よって、このような場合に、国連決議に基づかない平和活動への我が国の参加が要請されたときは、我が国として積極的に参加できるようにすべきである。


4.同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援

(1)現実の状況

 同じ国連PKO等に参加している他国の部隊に自衛隊が補給、輸送、医療等、それ自体は武力の行使に当たらない後方支援をする場合であっても、支援を受けた他国の部隊が武力を行使するときは、自衛隊の後方支援も、その密接性等から、他国の武力の行使と一体化して、我が国による武力の行使として評価され、憲法に違反するというのがこれまでの政府見解である。「武力の行使との一体化」というのは、我が国特有の概念であり、現実の問題としても、他国の武力の行使とどの程度密接に後方支援が行われたら武力の行使と一体化するのかといった基準が明確でないこと、刻々と変化する事態の中で一体化の有無を判断するのが非現実的である等の困難を提起してきた。これまで「一体化」する場合が広く解されてきたこともあり、国連PKO等の平和活動において、我が国の得意とする後方支援活動を不当に制限してきたきらいがある。

(2)問題に対する政策目標

 国連PKO等国際社会が協力して行う共同活動に我が国が貢献する方法は種々あるが、補給、輸送、医療、建設、通信等の後方支援は、技術、装備、組織力等に優れた自衛隊が行い得る最も重要な貢献分野であり、我が国は今後一層この分野で貢献を強化すべきである。国際社会からも、この分野における我が国への期待は極めて大きい。

(3)現行の法的基盤の制約

 既に述べたとおり、いわゆる「一体化」論は、本来は武力の行使に当たらない我が国の補給、輸送、医療等の後方支援であっても、その支援を受ける他国の部隊が武力を行使し、我が国の後方支援と当該他国の武力の行使とが密接である等の場合には、我が国の後方支援も憲法上禁止された武力の行使として評価されるというものである。しかも、他国の武力の行使との密接性は、ことの性質上客観的な基準をもって判断し得ないものであるから、実際の運用上我が国の後方支援活動に不当な制約を課してきた。このため、前記(2)の政策目標を達成する上での制約要因となっている。

 元来「一体化」論は、日米安保条約の下で、米軍に対する我が国の後方支援が米軍の武力の行使と一体化する場合には、我が国の後方支援も憲法の禁止する集団的自衛権に該当するという文脈で議論されたものである。しかし、この考え方を日米安保条約の脈略で論理的に突き詰める場合には、極東有事の際に同条約第6条の下で米軍が我が国の基地を戦闘作戦行動に使用すれば、我が国による基地の提供とその使用許可は、米軍の「武力の行使と一体化」することになるので、安保条約そのものが違憲であるというような不合理な結果になりかねない。

 また、周辺事態において我が国が米軍の活動に後方支援を供与することは、抑止力を高めることとなり、我が国の安全保障上望ましいものであるが、「一体化」論は、この面でも制約を課すこととなる。

(4)法的制約に関する問題解決の選択肢

 この問題の解決方法としては、次のような選択肢が考えられる。

 第一に、仮に「一体化」論を認めるとしても、憲法が明文で禁止している「国際紛争を解決する手段としての武力の行使」との一体化に限る。

 第二に、「一体化」論を廃止し、他国の平和活動に対して我が国が後方支援を行うか否か、行うとしてどの程度実施するかという問題は、政策的妥当性の問題として判断する。

 第三に、集団安全保障又はそれに準ずる国際的な平和活動は憲法第9条の下で禁止されている活動ではないこと、かつ、そうした国際任務における武器使用は憲法第9条が禁止している「武力の行使」ではないという解釈をとる。

 そもそも問題の根源は、これまでの政府見解において、集団安全保障又はそれに準ずる国際的な平和活動への参加の場合も、我が国の行為であることに変わりはないので、憲法第9条で禁止されている「武力の行使」となるおそれがあるという憲法解釈が示されている点である。国際的な平和活動の文脈で援用される「一体化」論は、その活動に参加している外国部隊の武器使用を個別国家による「武力の行使」と混同している点、及びそうした外国部隊との連携があたかも違法なこととみなしている点で二重に問題である。

 上記第三の選択肢をとれば、自衛隊が前述のような国際的な平和活動に参加して国際基準に従って武器を使用しても、それは憲法第9条が禁止している「武力の行使」には当たらず、まして自衛隊による後方支援が外国部隊の「武力の行使と一体化」して憲法第9条に抵触するなどという問題が生ずる余地がなくなるので、PKO等に対する後方支援に関する「一体化」の問題は、根本的に解決する。なお、根本的な解決に至る以前の段階においても、第二の選択肢により政策的妥当性の問題として解決することもできよう。


第3部 憲法第9条に関する懇談会の基本認識


1.4類型に関する意見とその前提

 本懇談会は、安倍前総理の示された4類型の問題、すなわち、[1]公海における米艦の防護、[2]米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、[3]国際的な平和活動における武器使用及び[4]同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する「後方支援」に関し、これまでの政府の憲法解釈及び法制度によって我が国の安全を確保し、また、我が国の安全にとって不可欠な国際の平和と安全の維持に十分な貢献ができるか否かを検討した。検討の過程において本懇談会で共有された主要な意見は、第2部で詳述したとおりであるが、本懇談会としては、第1部で述べたとおり、21世紀の安全保障環境は、日本国憲法が制定された第2次世界大戦直後と大きく異なることはもとより、これまでの様々な政府解釈が打ち出された冷戦期からも大きく変化しており、さらに、冷戦終結直後の安全保障環境とも異なっているとの基本認識を確認した。その上で、本懇談会は、前記の4類型については、これまでの政府解釈をそのまま踏襲することでは、今日の安全保障環境の下で生起する重要な問題に適切に対処することはできないとの結論に達した。したがって、我が国をめぐる今日の安全保障環境と国際常識に適合するよう憲法解釈にも必要最小限の変更をもたらさなければならないが、これには、次の二つの大前提がある。その第一は、日本国憲法の根幹にある「平和主義」及び「国際協調主義」の基本原則を維持するということである。その第二は、新たな安全保障政策の下における集団的自衛権の行使についても、また、国連等による集団安全保障への我が国の参加についても、無制限ではなく、第4部の具体的提言で示すように一定の制約を課すことを明確にすることである。


2.憲法第9条の解釈

 本懇談会における議論の多くは、憲法第9条の解釈をめぐるものであったが、ここで具体的な提言に入る前に、同条の解釈に関する本懇談会の基本認識を要約しておくことも有益であろう。これまでの政府の解釈は、我が国は国際法上個別的自衛権を有するとともに、憲法上も一定の要件の下でこれを行使することができるが、集団的自衛権については、国際法上保有していても、憲法上その行使が禁止されており、また、国連憲章に基づく集団安全保障体制における各種の活動についても、研究の余地はあるものの、憲法第9条によって禁じられている武力の行使又は武力による威嚇に当たる行為を行うことは許されないというものである。政府の国会答弁、質問主意書に対する答弁書等によれば、このような解釈の基礎に次のような基本見解が看取される。

 すなわち、「憲法第9条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第13条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している。」(平成16年6月18日政府答弁書)とされている。この基本見解に基づき、集団的自衛権や集団安全保障体制の下での武力の行使は、「必要最小限度の範囲」を超えるので、憲法上許されないというのがこれまでの一貫した政府の解釈である。つまり、憲法第9条は、文理上は我が国として「国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見える」が、憲法前文や第13条に照らせば、個別的自衛権の行使までも禁ずるものではないというものである。

 憲法を含め、およそ成文法の解釈においては、まずそれぞれの規定の文理を解釈すべきことは当然であるが、それに加えて、法全体の文脈、法の制定経緯、国の基本戦略、各時代の社会・経済等の要請その他関連の諸事情も考慮する必要がある。さらに、特定の規定が国際関係に関するものである場合には、その規定に含まれる概念又は用語が国際法上持つ意味、各時代における国際関係の動態等も考慮に入れるべきであることはいうまでもない。国の基本法である憲法については、このような総合的な解釈の姿勢が極めて重要である。特に憲法第9条の対象となっている戦争、武力の行使、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障等は、本来国際法上の概念であり、国際法及び国際関係の十分な理解なしには適切な解釈は行い得ないものである。

 憲法第9条が国民を守るための必要最小限の実力行使、すなわち個別的自衛権しか認めていないというこれまでの政府の解釈は、日本国憲法が制定された終戦直後の時代及び冷戦時代の国際関係、そしてこれらの時代における我が国国内の状況を反映するものであったと考えられる。このような憲法解釈は、特に、乏しい資源を軍事に割くことなく、敗戦の荒廃から必死に立ち直ろうとしていた我が国の時代背景を良く反映したものであったことは容易に理解できるところである。しかしながら、このような考え方は、第1部及び第2部で既に述べたように、激変した国際情勢及び我が国の国際的地位に照らせばもはや妥当しなくなってきている。


3.集団的自衛権の行使及び国連集団安全保障への参加

 ひるがえって、政府がこれまで一貫して保持してきた憲法第9条の文理解釈については、次のことを指摘しておく必要があろう。前述の如く、政府の解釈は、「憲法第9条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見える」という文理解釈を出発点としている。念のため憲法第9条の文言は、次のとおりである。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」特に、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という文言は、「我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように」は見えず、この規定の意味するところは、むしろ、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を「国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」ものであって、個別的自衛権はもとより、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加を禁ずるものではないと読むのが素直な文理解釈であろう。憲法第9条第1項の「戦争放棄」は、1946年に日本国憲法で突然出てきたものではなく、国際連盟規約、1928年のパリ不戦条約、国連憲章等の国際法発展の長い歴史の中で進化してきたものである。この歴史を通じて、個別的・集団的自衛権や集団安全保障を排除する考え方は、一度も出てきたことがない。むしろ、「戦争放棄」の考え方は、国際紛争を国際連盟や国際連合が国際社会の協力を通じて平和的手段により又は集団安全保障体制によって強制的に解決することを前提に、個別国家が武力によって紛争を解決することを禁ずるという体制の一環として出てきたものである。このような背景からすれば、我が国が一方で自国の紛争を武力で解決しないことを約束しながら、他方で国際的な平和の維持・回復に積極的に参加しないという立場はとれないはずである。ちなみに、1928年のパリ不戦条約の規定は、次のとおりであり、憲法第9条の規定の淵源となっている。すなわち「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且ソノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス」と規定している。

 前述のように、憲法第9条第1項が、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ものであって、個別的・集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加を禁ずるものでないとすれば、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という第2項は、第1項の禁じていない個別的・集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加のための軍事力を保持することまでも禁じたものではないと読むべきであろう。なお、第2項末尾の「国の交戦権は、これを認めない。」の意味については、かつては国際法上認められていた「戦争をする権利」を認めず、また、戦争の開始、終了等に関する国際法上の権利を認めないものと解すべきであろう。このことは、第1項で「国権の発動たる戦争」を放棄している以上当然ではあるが、これを確認的に規定したものと考えられる。他方、この規定にいう「交戦権」が認められないということは、1949年ジュネーヴ諸条約及び同追加議定書等の国際人道法上の権利・義務に影響するものでないことは明らかである。


4.自衛権の発動要件

 第1部で触れたように、政府は従来、憲法第9条の下に認められる自衛権発動の3要件として、[1]我が国に対する急迫不正の侵害があること、[2]これを排除するために他の適当な手段がないこと、[3]必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、としてきた(昭和60年9月27日政府答弁書)。しかるに、[1]の要件は、「我が国に対する・・・侵害」とあるように、明らかに、個別的自衛権のみを想定している。しかし、集団的自衛権の行使を認めるということになれば、この部分については変更する必要がある。また、[1]の「急迫不正の侵害」という概念は、明らかに国連憲章の規定する自衛権発動の要件からは乖離している。国連憲章第51条では、第2次世界大戦以前の世界において、「急迫不正」という曖昧な要件の下に自衛権が濫用された歴史を反省し、その要件を「武力攻撃」に限定したのである。何らかの理由で国連憲章が適用されないような場合には、一般国際法の下で「急迫不正の侵害」ないし「武力攻撃に至らない武力の行使」等に対して自衛権が発動される場合がないわけではなく、国際判例でもそのことは認められている。しかし、それが極めて限定的な状況に限られるということは確認しておかなければならない。この問題について、我が国では「マイナー自衛権」という用語で議論されることもあるが、この用語も曖昧であり、国際的理解が十分には得られていない。こうした概念が援用される背景としては、我が国における自衛権の発動は、防衛出動の発令が前提であるが、自衛隊の防衛出動には、安全保障会議を経て閣議決定、さらに国会の事前承認という極めて「重い手続」が課せられており、防衛出動発令以前における緊急事態に適切に対応できないということが指摘されよう。こうした手続では、弾道ミサイルやテロリズム等の新しい脅威に対して実効的に対応し得ないと考えられ、これらに対しては即時かつ実効的な対応が可能となるよう、法制を考慮すべきであろう。


5.集団的自衛権の保有と行使、国際紛争の概念

 集団的自衛権については、昭和35年3月31日の政府答弁では、その「本体」部分、すなわち外国に出かけて行ってその国を防衛するという意味の集団的自衛権は、我が国の憲法上認めていないとしているが、その他の部分については、学説上も一致していないとして明確な答弁が行われないままとなっていた。集団的自衛権に関する現行の政府見解は、昭和47年の国会審議で示された。そこでは、集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」とし、「我が国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。ところで、・・・我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界を超えるものであって許されない」としている(昭和47年10月14日政府見解)。これとほぼ同趣旨であるが、昭和56年5月29日政府答弁書は、集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する」権利として定義し、「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどめるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」としたのである。この点について、権利の「保有」とその「行使」との関係をいかに捉えるべきか、個別的自衛権が認められていながら集団的自衛権の行使が何ゆえ「憲法上」認められないのか等の点について、政府は明確な根拠を示してこなかったため、国民の理解を十分に得られていないと思われる。

 また、憲法第9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」武力による威嚇又は武力の行使を放棄するという文言についても、そこでの「国際紛争」は我が国が当事者となっている国際紛争の解決のために我が国が個別国家として武力に訴えることは放棄するという趣旨であって、我が国が国連等の枠組みの下での国際的な平和活動を通じて、第三国間の国際紛争の解決に協力することは、むしろ憲法前文(「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・」)からも期待されている分野と言わなければならない。


6.第3部の概括

 こうした点が未整理なままであったため、安全保障をめぐる幾つかの問題について、政府は、国際法的にも国内法上も、不自然・不合理とも思われる綱渡りの解釈で対応してきたことの問題性が指摘される。すなわち、集団的自衛権の行使が許容されていないことから、個別的自衛権の「拡張」によって、あるいは、自衛隊法第95条の「武器等防護」の規定を援用することによって、必要な対応を図ろうとしてきたこと等である。集団的自衛権の対象となるべき事項を個別的自衛権の適用範囲を拡張して説明しようとすることは、国際法では認められない。また、自衛隊法第95条は、米軍との共同海上作戦や国際的な平和活動において適用することを想定した条文ではないためにその根拠として援用することは極めて不適切と言わざるを得ない。


第4部 4類型の安全保障問題及び関連事項に関する提言

 本懇談会は、以上の諸考察を踏まえ、4類型の安全保障問題のそれぞれ及び関連する事項に関して、以下のとおり提言する。


1.4類型に関する提言

(1)公海における米艦の防護

 第2部で示した本懇談会での議論からも明らかなとおり、厳しさを増す21世紀の安全保障環境の中で、我が国の国民の生命・財産を守るためには、日米同盟の効果的機能が一層重要であり、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合にこれを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権及び自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により結果的に反射的効果として米艦の防護が可能な場合があるというこれまでの憲法解釈及び現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対処することができない。よって、この場合には、集団的自衛権の行使を認める必要がある。このような集団的自衛権の行使は、我が国の安全保障と密接に関係する場合の限定的なものである。

(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃

 この問題については、従来の自衛権概念や国内手続を前提としていては十分に実効的な対応ができない。ミサイル防衛システムは、これまで以上に日米間の緊密な連携関係を前提として成り立っており、そこから我が国の防衛だけを切り取ることは、事実上不可能である。米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを我が国が撃ち落す能力を有するにもかかわらず撃ち落さないことは、我が国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになるので、絶対に避けなければならない。この問題は、第2部で詳述したように、個別的自衛権や警察権によるという従来の考え方では解決し得ない。よって、この場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない。また、この場合の集団的自衛権の行使による弾道ミサイル防衛は、基本的に公海上又はそれより我が国に近い方で行われるので、積極的に外国の領域で武力を行使することとは自ずから異なる。

 また、ミサイル防衛システムを発動するか否かの判断は、分秒の単位で行わねばならないので、従来の意思決定過程を前提としていては実効性のあるシステムになり得ない。したがって、ミサイル攻撃への対応が単純・明快かつ迅速にとり得るよう手続を整備する必要がある。

(3)国際的な平和活動における武器使用

 第1部で述べたように、安全保障をめぐる国際社会の取り組みは、今日ますます共同的なものになりつつあり、我が国が国連PKO等の国際的な平和活動に積極的に参加することは、国際社会への貢献にとどまらず、国際平和を必要とする我が国の安全保障にとっても不可欠になってきている。現在は、武器使用の程度が最も低い伝統的な国連PKOの場合でさえ、自衛隊は、自己の防護や武器等の防護のためのみに「武器の使用」を認められており、同じ国連PKOに参加している他国の部隊や要員が攻撃された場合に駆け付けて警護するため及び国連のPKO任務に対する妨害を排除するための武器使用を認める国際基準と異なる基準で参加している。共同任務を遂行する他国の部隊や要員が危険に晒され、自衛隊に救援を求めているにもかかわらず、我が国独自の基準により武器使用が認められていないために他国の部隊や要員を救援しないことは、常識に反し、国際社会の非難の対象になり得る。憲法第9条が禁じている武力の行使は、個別国家としての我が国による「国際紛争を解決する手段としての」武力の行使であり、国連等による集団安全保障やPKOとは次元の違うものであるので、基本的には、集団安全保障への参加は憲法第9条で禁止されないと整理すべきであり、このような立場を早急にとるようにすべきである。少なくとも、国連等によるPKOは、個別国家の活動ではなく、国際社会による共同の平和活動であるから、いわゆる駆け付け警護の場合を含め、自衛隊の武器使用は、国際基準に従うようにすべきである。国連の集団安全保障への我が国の参加を認める場合にも、もとより、我が国としてすべての活動に参加する必要はなく、参加の可否は、国益に照らして政策的に決定すれば良い。また、集団安全保障に基づく国際的な平和活動についても、自衛隊の部隊は戦闘行動を主たる任務としてこのような活動に参加することはない旨を明らかにしておくことも良いであろう。

 なお、集団安全保障への自衛隊の参加を一般的に認める段階に至るまでの当面の現実的な対応を講ずることも一考に値しよう。政府は、これまで、武器使用がすべて憲法第9条の禁ずる「武力の行使」とはいえないとしつつ、武器使用の相手方が「国又は国に準ずる組織」である場合には、憲法が禁ずる「武力の行使」に当たるおそれがあるとの見解を示してきた。他方、相手方が「国又は国に準ずる組織」である場合であっても、[1]国際平和協力法第24条等に規定する「いわば自己保存のための自然権的権利ともいうべき武器の使用」及び[2]自衛隊法第95条に規定する「武器等の防護のための武器の使用」については、憲法の禁ずる「武力の行使」には当らない「武器の使用」であるとの見解も示してきた。以上にかんがみ、これまでの政府見解との整合性という観点からも、今後種々の国際的な平和活動を対象とする一般法の制定を検討する過程で、このような「第3の類型」ともいうべき「武器の使用」の概念について検討を深めることは有益であろう。

(4)同じPKO等に参加している他国の活動に対する後方支援

 第2部で述べたように、後方支援でも「武力の行使と一体化」する場合には憲法第9条の禁ずる武力の行使とみなされるという考え方は、元来日米安保条約の脈略で議論されたものであるが、このような考え方を論理的に突き詰める場合には、極東有事の際安保条約第6条の下で米軍が戦闘作戦行動のために我が国国内の基地を使用すれば、我が国の基地使用許可は、米軍の「武力の行使と一体化」するので、安保条約そのものが違憲であるというような不合理な結果になりかねない。このほか、国連平和協力法案(廃案)、国際平和協力法案、周辺事態法案、テロ特措法案及びイラク特措法案の国会審議の際にしばしば問題になったように、「一体化」論は、後方支援が如何なる場合に他国による武力の行使と一体化するとみなすのか、「戦闘地域」「非戦闘地域」の区分は何か等、事態が刻々と変わる活動の現場に適用することが極めて困難な概念である。この問題は、日米安保条約の運用及び国際的な平和活動への参加の双方にまたがる問題であるところ、集団的自衛権の行使及び集団安全保障への参加が憲法上禁じられていないとの立場をとれば根本的に解決するが、その段階に至る以前においても、補給、輸送、医療等の本来武力の行使であり得ない後方支援と支援の対象になる他国の武力の行使との関係については、憲法上の評価を問うこれまでの「一体化」論をやめ、他国の活動を後方支援するか否か、どの程度するかという問題は、政策的妥当性の問題として、対象となる他国の活動が我が国の国民に受け入れられるものかどうか、メリット・デメリットを総合的に検討して政策決定するようにすべきである。


2.新たな安全保障政策に課すべき制約(いわゆる「歯止め」)

 以上のとおり、本懇談会は、我が国が21世紀の安全保障環境の中で、我が国の安全を確保し、国際の平和と安全の維持により積極的に貢献するには何をなすべきかについて検討し、諮問に付された4類型の問題について提言をまとめた。提言には、我が国による集団的自衛権の行使及び国連の集団安全保障への参加を認めるよう、憲法解釈を変更することが含まれている。集団的自衛権を認める場合には、同盟国たる米国が当事国になっている紛争の多くに我が国が参加させられるのではないか、あるいは、集団安全保障措置に基づくすべての国際的な平和活動に参加しなくてはならなくなるのではないかという不安が国民の間に生ずることが予想され、そのような不安も理解できるところである。前記1.で記述した各類型についての提言の中で、それぞれの措置に伴う制約についても言及したところであるが、我が国が新たな安全保障政策の下で何を行わないのかということについての明確な制約を以下に提言することとしたい。


(1)法律

 米艦防護及び弾道ミサイル防衛に関して、集団的自衛権に基づいてとり得る措置については、それぞれの関係法律において、その具体的措置の範囲と手続を規定する。また、国連PKO等の国際的な平和活動への参加については、活動の態様に応じて、自衛隊に与えられる任務と武器使用の手続及び限度を国際平和協力に関する一般法等で定める。ただし、これらの手続を定めるに当たっては、安全保障上真に必要な集団的自衛権の行使や国際平和の維持・回復のための正当な武器使用を阻害することのないよう留意すべきである。

(2)自衛隊の部隊の海外派遣に当たっての国会承認

 現行の国際平和協力法の下でも、国際平和維持隊(いわゆるPKF本体業務)として自衛隊の部隊を海外派遣する場合には、国会の承認が必要とされているが、将来これ以外の国際的な平和活動に参加する場合であって、武器使用の蓋然性の高いものについては、同様に自衛隊の部隊の海外派遣を国会承認にかからしめることとする。

(3)基本的安全保障政策の確定

 集団的自衛権に基づいて同盟国たる米国に協力する場合は、日米同盟の信頼性を維持・増進する上で必要不可欠であり、我が国の安全確保に資するものに限ること等の基本方針を閣議決定等の手続を経て確定し、これを国民の前に明らかにする。また、集団安全保障に基づく国際的な平和活動への参加についても、例えば国連安保理の決議に基づくものであればすべてに参加するということではなく、我が国の国益、能力、メリット・デメリット、国民の理解の程度等を踏まえて慎重に検討した上で参加の可否を決定するとの基本方針を同様の手続で確定し、明らかにする。その際、例えば、自衛隊の部隊は戦闘行動を主たる任務としてこのような活動に参加することはないとの方針を含めることも考えられる。


3.新たな安全保障政策構築の方法

 我が国による集団的自衛権の行使及び国連の集団安全保障への参加を認めることについては、憲法第9条の下で認められるのは個別的自衛権の行使のみであって、それを超える武力の行使は憲法に違反するというこれまでの政府解釈を変更することになる。このような憲法解釈は、長年にわたって確立したものであって憲法改正によらなければ変更できないという意見もある。しかしながら、次の理由により、このような変更は、解釈によって可能である。第一に、憲法第9条が禁じているのは、「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」であり、国際法上我が国が固有の権利として有する集団的自衛権の行使及び国連憲章に基づく集団安全保障措置への参加を明文上禁ずるものではない。第二に、個別的自衛権しか行使できないという従来の解釈は、過去その時々の安全保障環境や政治状況に照らしつつ、個々具体的な問題に直面して、政府が主として国会答弁で表明してきたものである。第三に、これまでの解釈が過去の安全保障環境や政治情勢を反映した歴史的なものである以上、その解釈はこのような環境や情勢が激変した前世紀末から21世紀にかけての時代に適合せず、その変更が迫られているものと考えられる。よって、解釈の変更は必要であり、かつ、変更は政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正や立法措置を必要とするものではない。

4.結語

 いうまでもなく、国家存立の基礎は、安全の確保である。安全保障がなければ、経済政策も、社会政策その他の政策も成り立たない。本報告書の第1部で述べたように、我が国を取り巻く21世紀の安全保障環境は、日本国憲法が制定された前世紀中葉とは大きく異なり、また、集団的自衛権等に関する様々な政府解釈が打ち出された冷戦期とも違ってきており、さらには冷戦終結直後の状況とも異なっている。他方、国の安全保障政策は、憲法を頂点とする法的基盤の上に構築され、実施されなくてはならない。しかし、このような法的基盤も、また、安全保障環境という冷厳な現実に照らして常に再検討されていかねばならない。本懇談会は、このような基本的認識に基づいて、諮問に付された4類型の問題を検討し、日本国憲法第9条の解釈を変更することについて以上の諸提言を行うものである。本懇談会としては、これらの提言のいずれも、激変する21世紀の安全保障環境の中で我が国の存立を確保する上で緊急に実現することが必要であり、かつ、可能であるものと考える。

 第1部において述べたように、我が国の安全保障戦略の基本は、第一に、自助努力によって効果的な防衛力を保持すること、第二に、日米安全保障条約を基礎とする日米同盟を維持・整備すること、そして第三に、国際社会に対する責務として、また、我が国自身の安全保障環境を改善するため、世界各地の紛争を解決し、国際の平和と安全のための国際社会の共同努力に貢献することである。本報告書で示した提言は、このような意味で、何よりも我が国の安全保障に資するものであり、これによって我が国の負担が増えるものではないことを付言しておく。

 なお、国際的な平和活動に関する武器使用と後方支援に関する提言については、目下政府与党において検討されている一般法制定の過程で実現されることを期待するものである。



「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」

報告書

(要約)


 安倍前総理は、本懇談会に対し、我が国をめぐる安全保障環境の変化を踏まえて、その法的基盤を再検討するよう指示され、その際、次の4つの事例を問題意識として提示された。すなわち、[1] 公海における米艦防護、[2] 弾道ミサイル防衛、[3]PKO活動等における自衛隊の武器使用、[4]PKO活動等における他国への後方支援、である。基本的に、[1]、[2]は自衛権に関する問題であり、[3]、[4]は国際的な平和活動に関する問題である。

 本懇談会は、これら4類型についての具体的検討を通じて、憲法解釈を含む以下の提言を行うものである。


   我が国をめぐる安全保障環境と憲法第9条に関する本懇談会の基本認識


 まず前提として、上記4類型の検討を通じて、我が国をめぐる安全保障環境と憲法第9条に関し、本懇談会で共有された基本認識を明らかにしておく。

 我が国をめぐる21世紀の安全保障環境は、日本国憲法が制定された第2次世界大戦直後と大きく異なることはいうまでもない。また、これまで政府によりさまざまな憲法解釈が打ち出された冷戦期からも大きく変化しており、さらに、冷戦終結後の安全保障環境とも異なっている。また、こうした客観情勢の変化とともに、我が国の主体的条件も大きく変容をとげてきており、我が国の国際社会における地位は向上し、それに伴う責任も増大している。憲法解釈を含む安全保障の法的基盤は、こうした変化に応じて不断に再検討されなければならない。

 21世紀における安全保障環境の特徴として指摘されることは、第一に、核兵器等の大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、あるいは国際テロリズムの拡大など、安全保障上の脅威が多様化してきたことである。また、第二には、安全保障問題に対する国際社会としての共同対処の動きが強まり、国連安保理の判断が重視されるようになって、国連決議等により設立された国際的な平和活動が広汎に展開されるようになってきたことである。そのような観点から、今日、我が国の安全保障政策とその法的基盤を見直す必要があるものと考えられる。

 我が国にとって、自国の安全保障のために自助努力を継続していく必要性はいささかも低下していないが、同時にこれに加えて、日米同盟をさらに実効性の高いものとして維持することが求められている。特に近年、北朝鮮ミサイルを追尾する日米イージス艦の共同行動が行われていること等を念頭に置かなければならない。また、国連を中心とした国際社会全体との協力体制を強化していく努力が求められているのである。

 このような状況において、前記4類型について、これまでの政府解釈をそのまま踏襲することでは、今日の安全保障環境の下で生起する重要な問題に適切に対処することは困難となってきている。現行解釈に固執することは、かえって、法的に合理的でない解釈の連鎖を生み出しかねない。したがって、我が国としては、安全保障環境の変化に適合し、かつ、法的に見ても一貫した論理に基づき国際的にも適切と考えられる新しい解釈を採用することが必要である。

 憲法を含め、およそ成文法の解釈においては、まずそれぞれの規定の文理を解釈すべきことは言うまでもないが、同時に、文脈、制定経緯、国の基本戦略、各時代の社会・経済等の要請その他関連の諸事情も考慮する必要がある。国の基本法である憲法については、このような総合的な解釈の姿勢が極めて重要である。特に憲法第9条の対象となっている戦争、武力の行使、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障等は、本来国際法上の概念であり、国際法及び国際関係の十分な理解なしには適切な解釈は行い得ないものである。

 憲法第9条が国民を守るための必要最小限度の実力行使、すなわち個別的自衛権しか認められていないというこれまでの政府の解釈は、日本国憲法が制定された終戦直後の時代及び冷戦時代の国際関係及び我が国国内の状況を反映するものであったと考えられる。しかし、このような考え方は、激変した国際情勢及び我が国の国際的地位に照らせばもはや妥当しなくなってきており、むしろ、憲法第9条は、個別的自衛権はもとより、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加を禁ずるものではないと解釈すべきものと考えられる。

 特に集団的自衛権に関しては、昭和35年の政府答弁では、その「本体」部分、すなわち外国に出かけて行ってその国を防衛するという意味の集団的自衛権は我が国の憲法上認めていないとしているが、その他の部分については明確な答弁が行われないままとなっていた。昭和47年に、我が国が国際法上、集団的自衛の権利を「保有」していることは主権国家として当然であるが、これを「行使」することは憲法上許されないという政府見解が示され、昭和56年の政府答弁書もこれとほぼ同趣旨である。しかるに、権利の保有とその行使との関係を如何に捉えるべきか、個別的自衛権が認められていながら集団的自衛権の行使が何ゆえ憲法上認められないのか等の点について、政府は明確な根拠を示してこなかったため、国民の理解を十分に得られていないと思われる。

 また、憲法第9条は武力の行使を、国際紛争を解決する手段としては、禁止しているが、その趣旨は、我が国が当事国となっている国際紛争の解決のために我が国が個別国家として武力に訴えることは放棄するというものであって、我が国が国連等の枠組みの下での国際的な平和活動を通じて、第三国間の国際紛争の解決に協力することは、むしろ憲法前文(「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・」)からも期待されている分野といわなければならない。

 こうした点が未整理なままであったため、安全保障をめぐる幾つかの問題について、政府は、国際法的にも国内法上も、不自然・不合理とも思われる綱渡りの解釈で対応してきたことの問題性が指摘される。すなわち、集団的自衛権の行使が許容されていないことから、個別的自衛権の「拡張」によって、あるいは、自衛隊法第95条の「武器等防護」の規定を援用することによって、必要な対応を図ろうとしてきたこと等である。集団的自衛権の対象となるべき事項を個別的自衛権の適用範囲を拡張して説明しようとすることは、国際法では認められない。


   4類型に関する本懇談会の提言


 以上のような考察を踏まえ、本懇談会は、前記4類型の各問題について、次のように提言する。


[1]公海における米艦防護については、厳しさを増す現代の安全保障環境の中で、我が国の国民の生命・財産を守るためには、日米同盟の効果的機能が一層重要であり、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合これを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権及び自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により反射的効果として米艦の防護が可能であるというこれまでの憲法解釈及び現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対処することができない。よって、この場合には、集団的自衛権の行使を認める必要がある。このような集団的自衛権の行使は、我が国の安全保障と密接に関係する場合の限定的なものである。

[2]米国に向うかもしれない弾道ミサイルの迎撃については、従来の自衛権概念や国内手続を前提としていては十分に実効的な対応ができない。ミサイル防衛システムは、従来以上に日米間の緊密な連携関係を前提として成り立っており、そこから我が国の防衛だけを切り取ることは、事実上不可能である。米国に向かう弾道ミサイルを我が国が撃ち落す能力を有するにもかかわらず撃ち落さないことは、我が国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになるので、絶対に避けなければならない。この問題は、個別的自衛権や警察権によって対応するという従来の考え方では解決し得ない。よって、この場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない。また、この場合の集団的自衛権の行使による弾道ミサイル防衛は、基本的に公海上又はそれより我が国に近い方で行われるので、積極的に外国の領域で武力を行使することとは自ずから異なる。

[3]国際的な平和活動における武器使用について、国連PKO活動等のために派遣される自衛隊に認められているのは、自己の防護や武器等の防護のためのみとされる。従来の憲法解釈及び現行法の規定では、国連PKO活動等においても、自衛隊による武器使用は、相手方が国又は国に準ずる組織である場合には、憲法で禁止された武力の行使に当たるおそれがあるので、認められないとされてきたため、自衛隊は、同じ国連PKOに参加している他国の部隊や要員へのいわゆる駆け付け警護及び国連のPKO任務に対する妨害を排除するための武器使用を認める国際基準と異なる基準で参加している。こうした現状は、常識に反し、国際社会の非難の対象になり得る。国連PKO等の国際的な平和活動への参加は、憲法第9条で禁止されないと整理すべきであり、自己防護に加えて、同じ活動に参加している他国の部隊や要員への駆け付け警護及び任務遂行のための武器使用を認めることとすべきである。ただし、このことは、自衛隊の部隊が、戦闘行動を主たる任務としてこのような活動に参加することを意味するものではない。

[4]同じPKO活動等に参加している他国の活動に対する後方支援について、従来、「他国の武力行使と一体化」する場合には、これも憲法第9条で禁止される武力の行使に当たるおそれがあるとされてきた。しかし、後方支援がいかなる場合に他国による武力行使と一体化するとみなすのか、「戦闘地域」「非戦闘地域」の区分は何か等、事態が刻々と変わる活動の現場において、「一体化」論はこれを適用することが極めて困難な概念である。集団安全保障への参加が憲法上禁じられていないとの立場をとればこの問題も根本的に解決するが、その段階に至る以前においても、補給、輸送、医療等の本来武力行使ではあり得ない後方支援と支援の対象となる他国の武力行使との関係については、憲法上の評価を問うこれまでの「一体化」論を止め、他国の活動を後方支援するか否か、どの程度するかという問題は、政策的妥当性の問題として、対象となる他国の活動が我が国の国民に受け容れられるものかどうか、メリット・デメリットを総合的に検討して政策決定するようにすべきである。


   新たな安全保障政策とその法的基盤


 以上の提言には、我が国による集団的自衛権の行使及び国連の集団安全保障への参加を認めるよう、憲法解釈を変更することが含まれている。これらの解釈の変更は、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正を必要とするものではない。他方、こうした方向性については、国民の間に不安が生じかねないことも理解しうるところである。すでに各類型に即して、それぞれの措置に伴う制約については言及したところであるが、我が国が新たな安全保障政策の下で何を行わないかということについての明確な制約を提示しておく。

 第一に、法律による制約である。米艦防護及び弾道ミサイル防衛に関して、集団的自衛権に基づいてとり得る措置については、それぞれの関係法律において、その範囲及び手続を規定する。我が国の国際平和活動への参加については、自衛隊に与えられる任務と武器使用の手続及び限度を国際平和協力に関する一般法等で定める。

 第二に、現行の国際平和協力法の下でも、国際平和維持隊(いわゆるPKF本隊業務)としての自衛隊部隊の海外派遣に当たっては国会の承認が必要とされているが、将来これ以外の国際的な平和活動に参加する場合であって、武器使用の蓋然性の高いものについては、同様に自衛隊部隊の海外派遣を国会承認にかからしめることとする。

 第三に、基本的安全保障政策の確定である。そこでは、集団的自衛権に基づいて同盟国たる米国に協力する場合は、それが日米同盟の信頼性を維持・増進する上で必要不可欠であり、我が国の安全保障に資するものに限ること等の基本方針を閣議決定等の手続きを経て確定し、これを国民の前に明らかにする。また、集団安全保障に基づく国際的な平和活動への参加についても、例えば国連安保理の決議に基づくものであればすべてに参加するということではなく、我が国の国益、能力、メリット・デメリット、国民の理解の程度等を踏まえて慎重に検討した上で参加の可否を決定するとの基本方針を同様の手続で確定し、明らかにする。その際、例えば、自衛隊の部隊は戦闘行動を主たる任務としてこのような活動に参加することはないとの方針を含めることも考えられる。

 我が国の安全保障戦略の基本は、第一に、自助努力によって効果的な防衛力を保持すること、第二に、日米安全保障条約を基礎とする日米同盟を維持・整備すること、そして第三に、国際社会に対する責務として、また、我が国自身の安全保障環境を改善するため、世界各地の紛争を解決し、国際の平和と安全のための国際社会の共同努力に貢献することである。本報告書で示した提言は、このような意味で、何よりも我が国の安全保障に資するものであり、これによって我が国の負担が増えるものではないことを付言しておく。

 なお、国際的な平和活動に関する武器使用と後方支援に関する提言については、目下政府与党において検討されている一般法制定の過程で実現されることを期待するものである。


{文中の[1]はマル1、[2]はマル2、[3]はマル3、[4]はマル4}


参考資料


安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の開催について

平成19年 4月17日

内閣総理大臣決裁


1.趣旨

 我が国を巡る安全保障環境が大きく変化する中、時代状況に適合した実効性のある安全保障の法的基盤を再構築する必要があるとの問題意識の下、個別具体的な類型に即し、集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理につき研究を行うため、内閣総理大臣の下に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下、「懇談会」という。)を開催する。


2.構成等

(1)懇談会は、別紙に掲げる有識者により構成し、内閣総理大臣が開催する。

(2)内閣総理大臣は、別紙に掲げる有識者の中から、懇談会の座長を依頼する。

(3)懇談会は、必要に応じ、関係者の出席を求めることができる。

(4)懇談会の事務は、内閣官房長官が掌理し、内閣官房副長官(事務)がこれを助け、内閣官房において処理する。

 注:(別紙)省略


「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会構成員」(平成20年6月24日現在)

岩間陽子    政策研究大学院大学准教授

岡崎久彦    NPO法人 岡崎研究所理事長・所長

葛西敬之    東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長

北岡伸一    東京大学教授

坂元一哉    大阪大学教授

佐瀬昌盛    防衛大学校名誉教授

佐藤 謙    財団法人 世界平和研究所副会長

田中明彦    東京大学教授

中西 寛    京都大学教授

西 修     駒澤大学教授

西元徹也    元防衛庁統合幕僚会議議長

村瀬信也    上智大学教授

柳井俊二    国際海洋法裁判所判事


「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」開催状況

第1回会合  平成19年5月18日

議事:(1)内閣総理大臣発言 (2)懇談会の運営について (3)委員発言

第2回会合  平成19年6月11日

議事:「米軍の艦船が公海上で攻撃された場合の我が国自衛隊の艦船の対応」

(1)政府側からの説明 (2)意見交換

第3回会合  平成19年6月29日

議事:「我が国の同盟国である米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉した場合の自衛隊の対応」

(1)政府側からの説明 (2)意見交換

第4回会合  平成19年8月10日

議事:「国際的な平和活動における武器使用」

(1)政府側からの説明 (2)意見交換

第5回会合  平成19年8月30日

議事:「国際的な平和活動におけるいわゆる『後方支援』」

(1)政府側からの説明 (2)意見交換

意見交換会  平成20年4月11日

議事:(1)これまでの議論の整理 (2)報告書草案について

意見交換会  平成20年6月23日

議事:報告書案について

報告書の提出  平成20年6月24日

平成19年5月18日第1回会合における安倍晋三総理(当時)の冒頭発言の概要

総理の問題意識

○冷戦は終了したが、北朝鮮の核開発や弾道ミサイルの問題、国際的なテロの問題、世界各地で頻発する地域紛争等により、我が国を取り巻く安全環境はむしろ格段に厳しさを増しており、私は総理大臣としてこのような事態に対処できるよう、より実効的な安全保障体制を構築する責務を負っている。

 また、世界の平和と安定なくして日本の平和と安定はないのであり、PKO等の国際的な平和活動に我が国が一層積極的に関与していく必要性についても多言を要しないところである。


○まず、国民の生命、財産を守るために、日米同盟がより効果的に機能するようにすることがこれまでにも増して重要である。同盟国相互の強固な信頼関係なしに同盟関係は成り立たない。私は、この関係では、かねてから申し上げているように、例えば、次の問題意識を有している。

  ・第一に、共同訓練などで公海上において、我が国自衛隊の艦船が米軍の艦船と近くで行動している場合に、米軍の艦船が攻撃されても我が国自衛隊の艦船は何もできないという状況が生じてよいのか。

  ・第二に、同盟国である米国が弾道ミサイルによって甚大な被害を被るようなことがあれば、我が国自身の防衛に深刻な影響を及ぼすことも間違いない。それにもかかわらず、技術的な能力の問題は別として、仮に米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉した場合でも、我が国は迎撃できないという状況が生じてよいのか。


○次に、PKOを始めとする国際的な平和活動に我が国が一層積極的に関与していくこととの関係でも、現状には問題がある。日本の要員が同一の国際的な平和活動に参加している他の諸国の要員と同じチームの一員として、共通の基準を踏まえて活動し、緊密に助け合っていかなければ各国の信頼を得ることはできないし、効果的な活動を行うこともできない。私は、このような観点から、次の問題意識を有している。

  ・第一に、国際的な平和活動における武器使用の問題である。例えば、同じPKO等の活動に従事している他国の部隊又は隊員が攻撃を受けている場合に、その部隊又は隊員を救援するため、その場所まで駆けつけて要すれば武器を使用して仲間を助けることは当然可能とされている。我が国の要員だけそれはできないという状況が生じてよいのか。

  ・第二に、同じPKO等の活動に参加している他国の活動を支援するためのいわゆる「後方支援」の問題がある。補給、輸送、医療等、それ自体は武力行使に当たらない活動については、「武力行使と一体化」しないという条件が課されてきた。このような「後方支援」のあり方についてもこれまでどおりでよいのか。


○また、この懇談会において検討される際には、冒頭申し上げたとおり、新たな時代状況を踏まえた新たな安全保障政策を構築するに当たって、新しい時代の日本が何を行い、そして何を行わないのか、明確な「歯止め」を国民の皆様にお示しすることが重要だと考える。また、これまでの政府の見解についても念頭に置いていただきたい。


○この懇談会においては有識者の皆様方の間で、以上の点を念頭に置きつつも、忌憚のない議論を行って頂き、冒頭申し上げたとおり、国民の安全を守っていくために最良と思われる方向性につき提言していただくことを期待している。


以上