[文書名] 防衛省改革会議 報告書 ‐ 不祥事の分析と改革の方向性 ‐
目次
(頁)
報告にあたって・・・1
Ⅰ はじめに・・・3
本会議の任務 ‐ 問題事案への対処・・・3
ネガとポジ・・・3
新たな国際環境と自衛隊の多機能化・・・4
戦後日本の文民統制・・・4
官邸と防衛省 ‐ 二つの焦点・・・5
幕僚監部と部隊・・・6
Ⅱ 不祥事案 ‐ 問題の所在・・・7
1 給油量取違え事案 ‐ 報告義務不履行・・・7
(1)不規則な展開・・・7
(2)問題点・・・8
2 情報流出事案 ‐ 通信情報革命と情報保全・・・9
3 イージス情報流出 ‐ 先端技術の学習と情報保全・・・11
(1)特別防衛秘密の拡散・・・11
(2)問題点・・・13
4 「あたご」衝突事案 ‐ 基本動作のゆるみ・・・14
(1)「方位落ち、危険なし」・・・14
(2)破局への道 ‐ 錯誤の連鎖・・・16
(3)問題点・・・19
5 前事務次官の背信・・・20
6 諸事案の総合検討・・・22
Ⅲ 改革提言(1) ‐ 隊員の意識と組織文化の改革・・・29
1 改革の原則・・・29
2 規則遵守の徹底・・・30
(1)幹部職員の規則遵守の徹底・・・31
(2)規則遵守についての職場教育・・・31
(3)機密保持に関する規則の徹底的遵守・・・31
(4)防衛調達における透明性及び競争性の確保並びに責任の所在の明確化・・・32
(5)監査・監察の強化・・・32
(6)規則の見直し・改善・・・33
3 プロフェッショナリズム(職業意識)の確立・・・33
(1)幹部教育の充実・・・33
(2)基礎的な隊員教育の充実・・・34
(3)情報伝達・保全におけるプロ意識の醸成・・・34
4 全体最適をめざした任務遂行優先型の業務運営の確立・・・36
(1)文官と自衛官の一体感と陸・海・空の一体感の醸成・・・36
(2)PDCA(Plan Do Check Act:計画・実施・評価・改善)サイクルの確立・・・37
(3)機能する基本組織単位(部隊など)・・・37
(4)部局間の垣根を越えたチームによる課題への対処・・・38
(5)防衛調達におけるIPTの推進・・・38
(6)統合運用体制の促進・・・39
(7)組織として整合性のとれた広報・・・39
ア)平時における広報の在り方・・・39
イ)緊急事態等における広報の在り方・・・39
Ⅳ 改革提言(2) ‐ 現代的文民統制のための組織改革・・・40
1 組織改革の必要性・・・40
2 戦略レベル ‐ 官邸の司令塔機能の強化・・・41
(1)安全保障戦略の策定・・・42
(2)三大臣会合(内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣など)の活用・・・42
(3)防衛力整備に関する政府方針策定のための仕組み・・・42
(4)内閣総理大臣の補佐体制強化・・・43
3 防衛省における司令塔機能強化のための組織改革・・・43
(1)防衛大臣を中心とする政策決定機構の充実・・・44
(2)政策面での施策 ‐ 防衛政策局の機能強化・・・45
(3)運用分野における施策 ‐ 統合幕僚監部の機能強化・・・45
(4)整備分野における施策 ‐ 整備部門の一元化・・・46
(5)その他の重要分野における施策・・・47
[1]管理部門・・・47
[2]人事、教育・訓練・・・47
Ⅴ 結びにかえて・・・47
防衛省改革会議の開催について・・・50
防衛省改革会議の開催実績・・・52
防衛省改革会議勉強会等の開催実績・・・54
図表1・・・58
図表2・・・59
防衛省改革会議「報告書」の概要・・・60
別添参照資料
報告にあたって
『防衛省改革会議』は、昨年12月に、前防衛事務次官の不祥事、報告義務の不履行、情報の流出などがきっかけとなって発足しました。当初は3ヶ月程度で中間報告をまとめる予定でいましたが、議論の深まりを受け、11回の本会議、15回の勉強会、専門家へのヒアリング、陸・海・空各自衛隊の現場の視察や自衛官との意見交換など半年以上の議論の積み重ねを経て、ここに改革の原則と指針を答申するに至りました。
議論で力点をおいたことが2つあります。一つは、それぞれの不祥事案(とりわけ前事務次官の不祥事は語る言葉も見当たりませんが)について、個別事象への対策に留めるのではなく、その背景や根本にある原因にできるだけ接近しようと努めたことです。もう一つは、近年の安全保障環境の大きな変化を認識しつつ、それに即した防衛省・自衛隊の在り方に敷衍したことです。
「防衛省・自衛隊の不祥事はなぜこのように繰り返すのか」と、初回の本会議冒頭から多くの委員が疑問を呈されました。事務方から、不祥事案が発生する度に積み重ねてきたこれまでの対策をお聞きしながら、それでも続発するのはなぜかを、会議は問わずにはおれませんでした。そのため、会議は、この報告書にかなり詳細に採録した不祥事案等の分析・評価に加え、防衛省・自衛隊の組織管理状況や気風等にまで立ち入って議論を重ねました。
我が国の自衛隊は、戦前の痛烈な経験から、警察予備隊として創設以来58年間「抑止力として存在することに意義がある」、「自衛隊の暴走を抑止する」との認識の下での文民統制(シビリアン・コントロール)が貫徹されてきました。これからの自衛隊の役割への期待の大きさを考えますと、文民統制は、更に強化・充実させる必要があります。他方、これまでの文民統制は、防衛省・自衛隊の「逸脱」を厳しくチェックする国会やマスコミの存在を背景に、内部部局の文官がその役目を代行してきた感がありました。文官と自衛官、内部部局と各幕僚監部に判然と分れて相互の人事交流も乏しく、ともすれば全体の目標に向かって相互のコミュニケーションに不足や齟齬をきたし、更には自衛官の主体的・自律的な責任意識の希薄化をもたらすなど、不祥事が続発する一因になったのではないかとも考えました。全ての民主主義国に不可欠なシビリアン・コントロールを我が国も大事に守りつつ、内部部局と各幕僚監部が共に政治を支えて、我が国の安全保障を全うすることが必要と思います。
また、半世紀以上が経ち、我が国自衛隊は、海外派遣任務や国際平和協力活動など活動範囲が拡がり、安全保障の概念が従来の「国対国」だけでなく「対テロ」も加え多面的になってきているなど、今日の自衛隊を取り巻く環境の変化や求められる役割の重要性に鑑みれば、文民統制を確保しつつ、人材を有効に活用して自衛隊をより積極的・効率的に機能させることができるように、防衛省・自衛隊の組織を改革することが必要な時期に来ているとの結論を得ました。
報告書には「改革の三つの原則」と「現代的文民統制のための組織改革」の指針を示しましたが、今後、これらに血肉をつける具体的な検討は、内閣官房と防衛省・自衛隊に委ねます。特に、我が国の平和と独立を守るという崇高な任務を与えられた防衛省・自衛隊の諸君が、本報告書の本旨を汲み取って、自らの変革に自発的に挑戦していくことを切に期待しています。また、自衛隊の活動に対する政府と国民との相互理解が益々重要になってきていますので、多くの国民が文民統制の最終権限者として、今後の改革に関心と叱咤激励を寄せられることを強くお願いするものです。
今回、検討し切れなかった諸課題もありますが、福田内閣総理大臣に本報告書を答申するに当たり、町村内閣官房長官、石破防衛大臣、多忙な中を精力的に議論に参画し、報告書の執筆に当たられた委員の方々、事務方として会議を支えてくれた内閣官房、そして防衛省の皆さんのご尽力と協力に深く感謝します。
平成20年7月
防衛省改革会議
座長 南 直哉
Ⅰ はじめに
本会議の任務
昨平成19年12月に、防衛省改革会議が官邸に設置されたのは、防衛省・自衛隊にあるまじき事件・事故が頻発したのを受けてのことであった。
当然ながら、本会議の第一の任務は、そうした諸事案について何が起こったのか、そしてその原因は何かをレヴューし、再発防止のためにどんな対処が必要かを検討することにあった。もとより本会議は、捜査や調査を自ら行えるわけではなく、また司直の手により解明中で結果が未だ公表されていない事案も存在する。そうした中、本会議はとりあえず防衛省などに資料提供を求め、関係者・有識者へのヒアリングを行って、検討と評価を試みてきた。個々の事案を問うとともに、不祥事を許容した組織の問題をも問わねばならない。防衛省・自衛隊に何が起こっているのか。その解明を基に対処と改革の方向を示すことが、本会議の第一義的任務である。
ネガとポジ
ただ本会議は、不祥事への対処をもって任務完了とは考えていない。なぜならミスやエラーを犯さないことは必要条件であって十分条件ではないからである。スポーツを例にとれば、エラーを連発するチームが優勝することはありえないが、エラーを犯さないことを至上目標とするチームが優勝することも難しいであろう。選手がミスを恐れてダイビングキャッチも試みないチームは強くなれない。より重要なことは、チーム全体が高い志と目的意識を共有し、結束して試練に立ち向かう気風である。その息吹の中で各プレイヤーが積極的に高度な技術をめざして訓練を重ね、ミスやエラーの可能性を極小化していくのが強いチームの姿であろう。国家と国民が危殆に瀕するとき、その安全のために働くべき最後の手段である自衛隊も、同じことが求められるのではなかろうか。
ミスをしない、不祥事を起こさないと否定形で語られることは、全て必要であり重要である。そのためにあらゆる措置がとられねばならない。しかし人間と人間組織は否定形の山の中でよい仕事を長期に続けることはできない。管理強化の山によって不祥事から逃れることができると考えるのは、人間性への洞察を欠いた暗い統制主義である。ポジ(肯定形)が組み合わされなければならない。ほとばしる流水は腐らない。健全で積極的な前進目標を主軸とし、それに向う組織全体の息吹の中で、否定的な逸脱が強力に抑制されねばならない。エラーを極小化するためにも、組織のミッションが明確に提示され、それに沿って実効的な活動が行えるよう組織構成と意思決定システムができ上がっていることが必要なのである。
新たな国際環境と自衛隊の多機能化
今日、積極的な側面はとりわけ強調されねばならない。なぜなら冷戦終結後の国際秩序が流動化する中で、自衛隊にはこれまでよりも実際に働き、役に立たねばならない局面が増加しているからである。世界的に民族紛争や地域紛争が多発し、21世紀の開幕とともに9.11の無差別大量虐殺テロまで勃発した。その結果、非在来型の脅威にも備えねばならなくなった。貿易によって生計を立てる日本にとって世界の平和維持が存立の基盤であり、PKOをはじめとする国際平和協力活動は自衛隊の本来任務となった。我が国周辺における近年の国際環境の変化も顕著であり、核とミサイル、拉致と不審船などにより、我が国が脅かされる事態を招いた。日本はミサイル防衛に着手し、また自然災害の多発を受けて自衛隊が内外の救援活動に赴くことも増えた。「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書が示したように、我が国の安全を全うするため、自衛隊が多機能・弾力的・実効的に行動しなければならない時代を迎えている。すなわち現在は、防衛省・自衛隊が、多様な事態に対し迅速かつ的確に対処できるよう組織と意思決定システムを再検討しておくべき時期なのである。
戦後日本の文民統制
機能する自衛隊という21世紀の課題は、全ての政府が例外なく直面している政軍関係及びシビリアン・コントロールという普遍的難問とあいまみえることを我々に迫るであろう。あの戦争と敗戦から学んだ戦後日本は、「下克上」や「独断専行」、クーデターや軍部支配を二度と起こさないことに注意を集中し、「軍事実力組織からの安全」を最重視してきた。
戦後日本において、民主主義とシビリアン・コントロールを重視する社会意識は定着し、防衛省・自衛隊もそれを共有している。吉田茂首相は「下克上のない幹部」を育成するために防衛大学校の前身である保安大学校を創設したが、槇智雄初代学校長は、幹部自衛官が民主主義社会において確立すべき徳目を防大生に説き、シビリアン・コントロールを自らの自発性において内面化するよう求めた。他の多くの民主主義社会と同じく、今日の日本にクーデターの挙はありえないであろう。
ただ、人の世にあって、油断とゆるみ、慢心や驕りが容易に人と組織を転落させうることは、近年の不祥事の多発を含む歴史の示すところである。例えば情報の隠蔽や操作による不服従はあらゆる官僚組織に稀ではないが、究極的な実力組織機関がそれを行うとき、格別な政治社会的意味を帯びるであろう。自衛隊がシビリアン・コントロールをほぼ内面化したことを評価しつつも、その制度的担保を消失させない考慮を残すべきである。全ての民主主義社会はシビリアン・コントロールの制度を内蔵していなければならないのである。
ここで、戦後日本における文民統制(シビリアン・コントロール)の在り方が独特であったことを想起しておかねばならない。戦後の政党政治がなお未成熟であり、社会が安全保障問題に理解を欠いていたことを想えばやむを得ない面もあるが、防衛庁内部部局が自衛隊組織の細部に至るまで介入することが、文民統制の中心的要素とされてきたのである。国民→国会→首相→防衛庁長官→自衛隊という議院内閣制民主主義の本旨に沿った文民統制のラインの確立よりも、いわゆる「文官統制」ともいうべき状態をもって文民統制とした戦後日本であった。
戦後日本のこうした文民統制の問題点を承知しつつも、本会議はそれを全壊させるのではなく、内部部局の文官と自衛官の双方によって補佐される政治という基本骨格を鮮明にすることが、21世紀に安全保障上の任務を達成する上で最も適切と考える。
官邸と防衛省 ‐ 二つの焦点
安全保障と防衛の分野については、首相官邸と防衛省の二つが焦点であり、両者の連携において政策展開がなされる。双方の健全な機能強化が求められる。
国会によって選出された内閣総理大臣が、安全保障政策と文民統制の根幹たる主体である。内政・外交にまたがる全体性の中で安全保障戦略を策定し、主要な防衛政策と重大事態への対処を決定できるのは首相官邸のみである。それを完遂するため、首相官邸の安全保障機能は強化されねばならない。
他方、防衛省の任務は、防衛をめぐる政策と人材を用意し、かつ精強にして規律正しい部隊を整備し、加えて政治の決定を実施することにある。
防衛省中央組織の再編については、現行の内部部局と四幕僚監部(統合・陸・海・空)の組織を基本的に存続しつつも、必要な改革を大胆に行うものとする。その際の基本的観点として、文民統制を守りつつ安全保障を効果的に遂行しうることの他、セクショナル・インタレストに立つ部分最適化を克服し、全体最適化を求めること、多くの組織に同種の機能が重複的に存在する場合、できる限り統合化・重点化することにより、無駄をなくし、人材を有効活用し、かつ決定の迅速化を期すこと、を本会議は重視している。
政治行政的観点に立つ文官と、軍事専門家である自衛官とが完全に一体化することはありえないが、相互補完的な協働が求められる。内部部局と幕僚監部の双方において、文官と自衛官を混在化させる人事配置を積極的に推進し、互いの視野拡大と相互理解、双方の活性化と力量向上を期する。
防衛会議を政治家、文官、自衛官の三者構成とし、公式化する。大臣を文官と自衛官によって補佐する文民統制の中心的機関として、全ての重要問題を審議する。
幕僚監部と部隊
幾多の不祥事を検討する中で、士気と規律、装備と能力を含めて自衛隊がどの程度の水準にあるのか気にかかるところであった。従来、専守防衛を旨とする自衛隊の能力は自制的であっても、装備の近代化は進んでおり、実戦経験はなくとも、日米共同訓練などで高い練度を示してきたとされる。また世界的に地域紛争が増え、平和構築や災害救援、社会再建などのため、軍隊の非戦闘活動の拡大が注目されているが、その点、自衛隊は戦後期を通じ日本国内で行ってきた住民への協力活動を、カンボジア、東ティモール、サマーワなどにおける国際平和協力活動でも行い、高い評価を受けてきた。不祥事の頻発は、そうした自衛隊の崩壊を意味するのであろうか。
豊かな先進社会における一般国民の気風と、軍隊が求める高い規律との間のギャップを考えれば、精強にして規律正しい部隊を築き維持するのは容易ではないであろう。けれども事例分析においても見るように、不祥事に対する改善努力が成果をあげている例もないではない。要は、任務に向っての全組織的な結束と前進姿勢を如何につくり上げ、その中でミスやエラーを如何に極小化するかであろう。それができなければ、近年の不祥事は自衛隊の崩壊の始まりであったと後に位置づけられることであろう。逆に取り組みに成功すれば、この時代の不祥事に反省し、それをバネに、かえって立派な防衛省・自衛隊を築いたと評価されよう。後者のコースを辿るための幕僚監部と部隊でなければならない。
陸・海・空の幕僚長は、隊務(人事、教育・訓練、補給等)に関し防衛大臣を補佐し、精強にして規律正しい部隊を教育・訓練、整備し、それを防衛大臣と統合幕僚長の下での、統合運用に供する。三自衛隊が統合運用に移行した近年の実績を評価し、今後も21世紀の安全保障環境に適合的な統合化を進めるものとする。
Ⅱ 不祥事案 ‐ 問題の所在
近年、相継いで発生した防衛省(庁)・自衛隊によるあるまじき事案のいくつかを検討しておきたい。何故にそれが起ったか、どこに問題があったのか。それを起こした個人の問題として済ますことができるだろうか。国の安全保障を担う機関が格別に高い規律と職業意識を求められるのは当然である。ある不祥事について、組織構造がそれを必然化もしくは助長していないにせよ、それを許容し看過するならば、やはり組織の体質が問われねばならないであろう。
社会に小さくない衝撃を与えた諸事案のうち、給油量取違え、自衛隊情報流出、イージス情報流出、「あたご」衝突、前事務次官の供応・収賄の5つのケースをまず簡潔に振り返り、点検しておきたい。その上で、その他の諸事案とあわせて問題点の究明に努めたい。
1 給油量取違え事案 ‐ 報告義務不履行
平成15年(2003年)5月6日、米空母キティーホークを率いるM.G.モフィット司令官が、海上自衛隊より間接的に約80万ガロンの給油を受けた、日本政府に感謝する、旨の発言を横須賀基地内の記者会見で行った。
日米同盟の深まりを象徴する情景であった。
(1)不規則な展開
2日後の5月8日、統合幕僚会議議長は記者の質問に対し、去る2月25日に海上自衛艦「ときわ」が米補給艦「ペコス」に約20万ガロンの給油を行い、その後、キティーホークはペコスから80万ガロン受給した、と説明した。
統合幕僚会議議長の説明は、海上幕僚監部防衛部の防衛課長(1等海佐)が用意し、直接持参した資料に基づいていたが、それは誤った情報であった。
実際には、「ときわ」は2月25日、「ペコス」に約80万ガロン、駆逐艦「ポールハミルトン」に約20万ガロン給油した。ところが、海上幕僚監部運用課のオペレーション・ルームにおいて給油量の集計表を作成する際に、担当者が誤って両者を逆に入力してしまった。それに基づいて、防衛課長は「ペコスに20万ガロン」という誤った数字の報告を統合幕僚会議議長に言ったのである。
海上幕僚監部の防衛課長が、間を飛び越して直接、統合幕僚会議議長に情報と方策を持ち込むのは、官僚機構のプロセスとして普通ではない。もちろん緊急を要する事態であれば課長の行動は異とするに足りないであろう。ただ、この件は緊急重大という程の事態でなく、同じ海上自衛隊の先輩への好意的配慮からの情報提供と推されるが、不幸にもそれは誤った情報だったのである。
ところで、統合幕僚会議議長が記者発表した翌9日、海上幕僚監部需品課の燃料班長(2等海佐)がこの誤りに気付き、海上幕僚監部防衛課に指摘した。
防衛課長は、課員らとこの件につき検討した上、前日に統合幕僚会議議長が会見で表明した数字がそのまま社会的に受け止められており、在京米大使館より、海上自衛隊より提供された燃料をテロ特措法の目的に反して使用されたことはないとの回答をすでに受けてもいた。給油量が80万ガロンであっても、それが例えばイラク作戦に使われた可能性はないと防衛課長は考えた。事務的な数字の誤りは重大な実質にかかわるものではないので、あえて訂正するには及ばないと判断した。平穏化しつつある事態を、さして意味のない数字の正確さにこだわって紛糾させる必要はないとの趣旨である。
しかし自らが誤った情報を、組織内の通常プロセスを飛び越して高官に提供し、かつその誤りに気付きながら、訂正と陳謝を行わないのは、許されることであろうか。こうした無責任な対応が、このアクティブな課長に例外的なのか、組織内で普通のことなのかが気にかかるところである。
この小さな虚偽のレールに乗って日本政府全体が動き、やがて日本政府は困難に陥る。9日に福田内閣官房長官、15日に石破防衛庁長官が同じ誤情報に基づいて発言を行った。
(2)問題点
もし防衛課長が別のオプションをとり、速やかに訂正措置をとっていれば、高官からのお叱りに加えて、メディアによる批判が巻き起こったかもしれない。
しかし、4年後の平成19年(2007年)9月に、米国の情報公開法に基づいて米艦関係の資料を入手した市民団体の指摘を受けて、インド洋における海上自衛隊の給油活動そのものを揺るがす政治問題となることはなかったであろう。誤りそれ自体は訂正・陳謝すればそれ程大きな傷にはならないが、それを隠蔽することがしばしば致命傷となるのである。
課長の情報に基づいて内部部局が答弁資料を作成し、政府高官が公的に発言しなければならないとすれば、本件はすでに微妙な判断を必要とする政治案件なのである。これについて、課長が自ら最終決定を行い、上司への報告すらしなかったのは驚くべきである。日本の官僚機構にあって課長は政策起案の実質的中心であるのが普通である。しかし自らの誤りによって作り出した政治判断を要する案件について、上司の決裁を求めず、放置するのは、秩序と責任を重んずる如何なる組織にあっても許されるものではない。防衛庁長官・内閣官房長官そして国会を誤った認識に巻き込みつつ、それへの正しい情報提供を履行しなかったことは、本人の動機が何であれ、客観的に文民統制への背反である。
本件の場合、個性が強く行動力に富む課長個人の要因が主要であるが、次いで組織の在り方も問われなければならないであろう。海上幕僚監部内では取違えに気付いた者がいたにも拘らず、4年後に外部から問題提起されるまで、格別の対処はなされなかった。海上幕僚監部運用課オペレーション・ルームの集計表には誤入力されていたのに対し、海上幕僚監部装備課は正しい給油量を記した実施報告書を作成し、これを事件となる以前の3月10日に内部部局へ送付していた。同文書は管理局装備企画課にファイルされていたが、問題が生じた後、参照され問題提起されることはなかった。モフィット司令官の発言以来、内部部局もこの問題を重視し、事実を確かめて対処すべきであったろう。誤りを正すべき責任を持つ部署が省内で明確でないという組織上の問題も正されなければならないであろう。
民主主義は国民に選ばれた政府が、文武の官僚の補佐を受けて統治するシステムである。政治の優位が文民統制の本旨であり、文官も自衛官もそれに服しつつ、専門家としての技量を駆使して任務を達成する職業意識(プロフェッショナリズム)が求められる。本件は自衛官の中枢にある幕僚に文民統制への認識が不十分であるとともに、国会に対する説明をはじめ対外説明責任の重要性が今日の民主主義社会において高まっていることへの認識が備わっていなかったことを示している。
また海上自衛隊がインド洋での国際活動を展開する状況を迎えて、不都合な事実を内部に伏せておくことが、国際的文脈からも困難となったことをも本件は示している。透明性について新たな水準の認識が求められていると言えよう。
2 情報流出事案 ‐ 通信情報革命と情報保全
二種類の問題が連動して、自衛隊からの情報流出事案が頻発した。一つは急速な通信情報革命に防衛庁と自衛隊員の認識がついて行けなかったことである。いま一つは、自衛隊内において秘密情報についての保全意識が不十分であり、不徹底であったことである。両要因の連動によって情報流出する事案が平成18年(2006年)までたて続けに起こった。
例えば、平成15年2月輸送艦「おおすみ」の3等海曹が、通信に関する秘密情報を、「秘」であるとの自覚なしに艦内で私有ノートパソコンにとり込み、後にそれを自宅に持ち帰った。自宅の別のパソコンに保存したところ、それがコンピューターウイルスに感染し、業務用データが部外に流出した。流出は平成17年12月確認された。
また隊員が業務用データを可搬記憶媒体に落として持ち出し、自宅のパソコンでウィニーなどファイル共有ソフトを使用してコンピューターウイルスに感染し、情報流出を招くケースが、佐世保造修補給所(平成15年10月より、平成16年10月頃までの間に、1等海尉が無許可で持ち出し、平成18年2月流出を確認)、自衛隊病院(平成16年6月より平成17年6月までの間に、3等空佐が無許可で持ち出し、平成17年9月流出を確認)、第4化学防護隊(平成17年7月より8月頃までの間に、2等陸曹が無許可で持ち出し、平成18年2月流出を確認)、第7航空団(平成16年7月に、2等空尉が無許可で持ち出し、平成18年2月流出を確認)などで起こった。
護衛艦「あさゆき」海曹長も、平成17年1月頃から海上自衛隊の訓練・通信に関する秘密情報を同じように自宅のパソコンに持ち出し、平成18年2月に流出が確認された。
この「あさゆき」事案に、防衛庁は衝撃を受け、全庁的レベルで対応を検討し、平成18年4月にいわゆる「抜本的対策」(正確には、「秘密電子計算機情報流出等再発防止に係る抜本的対策の具体的措置」と不必要に長々しい表題の文書)を取りまとめた。これにより業務用パソコンが隊内に十分配備され、私有パソコンによって業務用データを取り扱うことが明確に禁止された。業務用データの外部持ち出しに対するチェックが行われず、また予算の制約等により業務専用のパソコンが十分に配備されなかったため、個人用パソコンの業務利用の誘発を免れなかった「あさゆき」以前と、それ以後では情報に対する自衛隊内の扱いが異なる。
にも拘らず、それ以後も同じタイプの情報流出は根絶されなかった。第14旅団の3等陸曹及び第83航空隊の2等空尉が、禁じられた私有パソコンによる業務用データの取り扱いを継続し、それぞれ平成18年8月と11月に、流出が確認された。これらはパソコン技術に熟達していると自信過剰の隊員が自分は大丈夫と、「あさゆき」以後も改めずにいて、陥ったケースと見られる。
自衛隊における業務用データへの保全意識の不徹底と、コンピューターという新しい技術のメカニズムへの理解不足が重なって、流出事案がたて続けに起こったのである。
3 イージス情報流出 ‐ 先端技術の学習と情報保全
イージスシステムに関する情報管理の問題は、以上のいくつもの情報流出事案と同じ理由による不始末である面と、いささか趣を異にする面とがある。異なる点は、情報拡散が個人的・散発的ではなく、海上自衛隊がこなすべき最高軍事技術を積極的に学習教育しようとの意図を持って、高位の責任者の許可はなかったものの、中堅幕僚クラスの教官の保有するイージス知識をかなり広域に共有したことにある。そして何よりも重いのは、「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」に規定する「特別防衛秘密」がそこに含まれていたことである。
一言で「秘密」と言っても、防衛省においては三種類の秘密が取り扱われている。外部に出してはならない通常の「省秘」(これを犯した場合、自衛隊法により1年以下の刑)、大臣が我が国の防衛上特に秘匿を要するものとして指定した「防衛秘密」(同5年以下の刑)、そして米国から供与された装備品等の性能等に関する「特別防衛秘密」(上記秘密保護法により、10年以下の刑)である。イージスシステムの性能に関する情報がこれに当たることは言うまでもない。
最高レベルの秘密を厳しく管理保全しなければならないとの意思と、最先端技術を深く広く理解し、有能に使いこなして日米同盟の実をあげたいという意思の双方が、二律背反的に海上自衛隊内に存在するであろう。何人かの中堅幕僚が、後者の意思に主軸を置き、前者を甘く扱ったのが本事案である。
(1)特別防衛秘密の拡散
海上自衛隊においてイージスシステムを取り扱っていたのは、横須賀のプログラム業務隊であった。平成9年(1997年)から平成12年(2000年)頃にかけて、同隊の新着任者への教育のため、3人の3等海佐が「イージス概要」と題するパワーポイント教材を作成した。それは米国留学中に得たイージスシステムについての知識などを基にしていたが、上記「特別防衛秘密」に該当する情報も含まれていた。部内教育用であるから柔軟に扱ってよいと考えたのか、特別防衛秘密としての登録は行われなかった。
平成14年(2002年)3月の組織改編により、プログラム業務隊は廃され、同じく横須賀の艦艇開発隊がイージスシステムを担当することになった。上記3人のうち引き続き艦艇開発隊でイージス教育に当たっていた3等海佐Iは、同年5月から米国の「イージスシステム幹部課程」へ留学することになった3等海佐Bに対し、先の「イージス概要」を用いて教育を行った。
米国から帰国後、江田島の第1術科学校の教官として、「イージスシステムの概要」という教科を担当することになった3等海佐Cは、留学仲間である3等海佐Bに参考となる資料の提供を求めた。3等海佐Bは、上司であり、「イージス概要」の作成者の1人であった3等海佐Iの了解を得て、それを含むイージス資料をCDにコピーし、江田島の3等海佐Cに送付した。その際、特別防衛秘密を送付するために必要な手続きはとられなかった。同秘密が含まれているとの認識がなかったわけではないが、米国に留学しイージスシステムに通じた専門家仲間が、部内教育のために用いる限り、杓子定規に手続きを踏まなくてもよいと考えたのであろうか。
それ以後、海上自衛隊内のイージスシステム教材の中に含まれた特別防衛秘密は、受講した学生たちの間に広く拡散することになる。最高軍事技術であり、重要な秘密が含まれるとの認識は、教える側にも教えられる側にも存在したようである。教官が席を外した間に学生がイージス資料を自分のPCにコピーしたりしたことは、その認識を前提とするであろう。しかし教官側にも、学生が情報の重要性を認識し、厳重に注意してイージス資料を保管し利用するなら所持させてよい、との判断があったと推される。席を外してコピーの機会を与えたり、時にはコピーを許したり与えたりしたと思われる。
イージスの情報流出は、以上の経路が全てではない。それと類似の型を踏むものであったが、江田島の第1術科学校自体で開発された教材が別に存在した。平成11年(1999年)9月に米国「イージスシステム幹部課程」へ留学した2等海佐Jは、帰国後の平成12年8月頃、その知識を利用して「誘導武器システム」と題するパワーポイント教材を作成した。これにも特別防衛秘密に該当する内容が含まれていたが、それとしての登録は行われなかった。この教材はMO(光磁気ディスク)に記録され、当人の転出後も歴代教官に引き継がれ、前記イージス資料とともに、平成15年(2003年)から平成18年(2006年)までの8つの課程(幹部中級一般課程、幹部任務射撃課程、幹部中級射撃課程、海曹射管課程、海士射管課程、幹部中級船務課程など)において教材として用いられた。受講者のうち特に関心を持って希望した者に、この教材を所持・保管することを許したこともあった。
また、第1術科学校の諸課程とは別に、イージス艦の職場でも有用な参考資料として上記教材が個人的なチャンネルを通じて複製利用された。(図表1参照58頁)
イージス資料で教育を受けた多数がイージス資料をCDに保存したまま、様々な職場に動いた。その後、平成18年2月に「あさゆき」事案が、前記のように大きな問題となるに及んで、かなりの者がCDや私有PCからイージス資料を削除した。
イージス資料を入手した者の1人である護衛艦「しらね」の乗組員2等海曹Aの妻は外国人であり、出入国管理及び難民認定法違反の容疑で、平成19年1月神奈川県警により家宅捜索を受けた。その際に特別防衛秘密を含んだ外付けHDが発見され、事件が発覚することとなった。
(2)問題点
以上のように、特別防衛秘密に該当するイージス情報が、海上自衛隊の佐官、尉官、曹士クラスに広く共有された。この尋常でない拡散は、前述のように世界の最先端技術への好奇心と学習意欲、それを米国留学等を通じてマスターしたことに誇りを持つエリートが、本場米国に劣らない高水準の授業を行って海上自衛隊のイージス理解と運用能力を高め、この分野で日米同盟を担う人材インフラの育成を望んだがゆえと解される。それ自体は悪いことではなく、明治以降の日本が非西洋社会の中で真先に近代化に成功したのは、外部文明の優れた点に心ひかれ、それを学んでわがものとするとともに、仲間や後進にそれを分ち合おうとしたからこそであった。日本人の特質、未だ失われずの想いを一面において抱かせる。こうした気風は、海上自衛隊がイージスシステムを迅速に使いこなすことに資したと推される。
もとより、そのことは重大な秘密情報の流出をいささかも正当化するものではない。不用意な最高秘密情報の取り扱いは、海上自衛隊内専門家以外への流出の危険を高め、そのことは米国の同盟国日本への信頼を失墜させ、日米同盟そのものを揺るがすであろう。それゆえ、学習と教育は、情報保全のための万全の防護措置を伴って展開されねばならなかったのである。
まず、プログラム業務隊と艦艇開発隊が、イージスシステムという特別防衛秘密を扱う責任部署であるにも拘らず、定められた登録手続を踏むことなく、秘密情報を含む教材を作成し、規則の枠外で最高秘密を流通させる道を開いたことは、根本的な誤りであり、その責任は重い。規則に定められた手続きを略した上、上位責任者の判断を仰ぐことなく、指導的な教官たちが、教育の向上や勤務の参考のために、特別防衛秘密を含む教材を作成し使用しただけでなく、個人ベースで複製し提供する柔軟な慣行を作ったことが、上流における決定的な誤りであった。受講生や同僚・後輩から教材のコピーを求められたときには、厳格な資格審査と手続きを踏んだ上でなければ渡さないというルールを励行すべきであった。
それを怠った帰結が、規律を欠いたイージス資料の拡散であり、別件で家宅捜索を受けた2等海曹の所持品から特別防衛秘密の流出が発覚するという不名誉な事態である。海上自衛隊の部外へ流出しなかったことを、天に感謝すべきであろう。
4「あたご」衝突事案 ‐ 基本動作のゆるみ
イージス型護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」が平成20年(2008年)2月19日午前4時7分、房総半島野島崎の南南西約40キロの海上で衝突した。
本件につき、6月27日に横浜地方海難審判理事所は、横浜地方海難審判庁に対して海難審判開始の申立てを行った。その申立て書は、双方の記録を吟味して事故の経緯と原因を判定せんとするものであり、従来の諸情報よりも詳細にして総合的である。以下の記述もそれに負うところが多い。
(1)「方位落ち、危険なし」
舞鶴を母港とする第3護衛隊群所属の「あたご」(7,750トン)は、ハワイでの性能確認試験を終えての帰国途上であり、横須賀へ入港するため、速力10.6ノット、針路北北西(328度、海潮流のため、実航針路は324度)、自動操舵で浦賀水道に向って航行していた。他方、房総勝浦漁港を午前0時55分に出港した「清徳丸」(7.3トン)は、マグロはえなわ漁のため、三宅島方面の漁場へと南西(215度)に針路をとり、速力15.2ノットで航行していた。当時、天候は晴、視界良好(約20キロメートル)、日の出2時間15分前の夜ながら、月齢11.8の月が沈む1時間前であった。
「あたご」に即して見るならば、問題は衝突1分以内の午前4時6分まで「清徳丸」を認識できなかったことにつきる。それは誠に不思議な事態である。なぜそんなことが起こったのか。
「あたご」艦橋において航行の責任を負うのは当直士官であり、当時は通常航海の方式で、2時間または2時間半で5組の当直が輪番する5直体制をとっていた。
艦長は前日の夕18時頃に艦橋から降り、夕食後は艦長室で入港・通関等の準備作業を行った。0時30分頃より休み4時頃に目を覚まして、艦橋に上がろうかと思っていたところであった。
艦橋では、航海長が午前2時から4時前まで当直士官として指揮をとり、12名が配置についていた。見張りは艦橋の左右ウィングに各1名いたが、当直士官は2時10分に2人を艦橋内に入れ、窓越しの見張りを行わせていた。その理由について、防衛省の記録は「通り雨があったので」としており、上記申立て書は「北上して外気温が低下したことと、周囲に接近するおそれのある他船を認めなかったこと」をあげている。いずれにせよ、他船が接近する海域に入れば、寒い2月であってもウィングへ出して見張らせねばならなかった筈である。
3時30分頃、右舷側の見張りが、右30度水平線付近に白灯1個とその左右に白色の光芒を双眼鏡で視認し、40分頃にそれが3個の実光に変わった。これらを電話で当直士官に報告した。
当直士官は自らも視認した上レーダーで確認し、3時40分、右30度から50度にある「これら3隻の映像の捕捉操作を行ってシンボルを付け」た。レーダー上でマークして動きを確かめるというなすべき注意を払ったのである。ところが「間もなく、この3隻の速力表示が約1ノット」と読まれた。15ノットで走る漁船群を1ノットとする誤りがなぜ生じたのか不明である。当直士官は、これにより3隻が操業中の漂泊漁船であろうと判断し、接近はないと見て、45分頃レーダー上で3隻につけたシンボルを消去した。この早過ぎた見切りによって、漁船群はノーマークとなった。「あたご」は接近する漁船群への回避措置をとらず、自動操舵のまま航行を続けた。
4時の交代時間を前に、3時55分、当直士官は航海長から水雷長に交代し、新たに11名が配置についた。前直は漁船群に対する持続的な動静監視を行わず、そのために生じた誤認を申し継いだ。船首の右に点在する灯を指差して、「右艦首の漁船群は、方位落ちるので危険性なし」と告げたのである。(距離は5〜6海里、1万メートル程度と見られた。)
「方位落ちる」とは、この場合、右舷に見える目標の方位が右に変化していく状態であり、自艦が他船より前に進んでおり、衝突の危険がないことを意味する。
「方位落ちる」共同幻想に、なぜ「あたご」は陥ったのか。交代した新チームは、10分程度の短い時間で、幻想から現実に立ち返ることができるだろうか。
艦橋内左舷で見張りについた信号員は、3時56分頃双眼鏡により、右30から50度にかけて「白・紅2灯を表示した4隻を視認した」。しかし、いずれも申し継がれた漁船と判断し、「一見して方位が右方に変化しているように見えたことから」当直士官に「右の漁船方位落ちる」と報告した。幻想に支配され、幻想を補強したのである。
船舶はマスト上に白灯をつけることになっており、遠くから最初に見えるのはこれである(船長50メートルを超える大船は、前後に2つの白灯をつけるのがルールである)。そして右舷に緑灯、左舷に紅灯をつけており、それにより船のどちら側が見えているのか分る。この場合、左舷の紅灯まで見えたことは、ある程度接近したことを意味し、警戒すべきである。が、漁船群の動きはスローであり、「方位落ちる」との申し継がれた誤認を「一見して」受け入れ、再検証しなかったのである。
当直士官は、「危険性なし」との申し継ぎを受けはしたが、「念のため16海里レンジとしたレーダーで確認したところ、右舷艦首に4ないし6個の映像を認め捕捉操作を行い、その映像にシンボルを付けた」。しかし「見張り員やCICに対し、漁船群の動静監視を行うよう指示しなかった。」
レーダーにより一応チェックする準備を行ったが、チーム全体で注視する態勢を命じなかったのである。そうであれば、当直士官自身が、レーダー上でシンボルを付けた漁船の映像をどう読み取るかが問題であった。ただレーダーにも映像の錯誤がありうるので、過度に依存してはならないとされている。レーダーを参照しつつも、自ら視認し艦橋の中央にあるジャイロコンパスレピーターなどを用いて確認する必要があった。
(2)破局への道 ‐ 錯誤の連鎖
この時期、漁船群はどう動いていたのか。上記申立て書によれば、午前3時58分少し前、「あたご」の艦首の右「41度3.0海里に清徳丸、同29度3.1海里に幸運丸、同38度4.6海里に金平丸、及び同50度5.7海里に第18康栄丸」の4隻がいた。
清徳丸は、出港後約2時間の午前3時、「針路を215度に定め15.2ノットの速力で自動操舵により」航行した。清徳丸の右前方には幸運丸が先行し、右後方には金平丸と第18康栄丸が続き、ほぼ同じ針路と速力で進んでいた。(図表2参照59頁)
当直士官はこの4隻の「白・紅2灯を視認し、また、レーダーで各船の映像を探知」した。申立て書は、この時点で当直士官が二つのことをなさねばならなかったと示唆している。一つは「航行指針に従って艦長に報告した上で避航措置について指示を受け」ること、いま一つは「大きく右転するなり、大幅に減速又は停止するなど」清徳丸を避ける操船である。
しかしながら、「あたご」はなお「動静監視を十分に行っていなかったので、清徳丸と衝突のおそれがあることに気付かなかった。3時59分少し前に、当直士官が各紅灯の方位を確認して「右20度の漁船のCPA(最接近距離)が近い」と言ったので、信号員が8海里レンジのレーダー画面をチェックした。右4海里あたりに3隻のシンボルを認め、そのうち「あたご」の航路に近いシンボルを「針路260度及び速力3ノット」と読み取った。そこで著しく遅い「これら3隻はいずれも艦尾方を通過するものと予測した。」この期に及んで、なお「方位落ちる」幻想を脱することができなかったのである。人間の幻想に機械までが同調するのであろうか。15ノットで走る漁船を先には「1ノット」、この衝突8分前の時点で「3ノット」と示すレーダーをどう理解すればよいのだろうか。
4時3分、幸運丸が右16度1.3海里に上っているのに信号員が気付き、当直士官に「右の漁船、増速、方位上る」と報告した。当直士官はこれをレピーターで確かめ、更に「8海里レンジとしたレーダーで幸運丸が艦首方を通過することを確認した。」これまで足が遅く、「あたご」の後方へと「方位落ちる」と想定していた4隻が、依然右前方にあり、そのうちの1隻が「あたご」の後方ではなく、前方を横切ることが明らかとなった。それでも、それを1隻のみの「増速」とみて、他の3隻については双眼鏡を使用して目視しただけで、特に注意を払わなかった。
この時点で、清徳丸は約1海里(1852m)に接近していた。レーダーの中でシンボルを付けられていた清徳丸の映像は、「レーダー画面中心部の海面反射を抑制する不感帯に入って」表示されなくなった。清徳丸のシンボルは、後方の金平丸に乗り移ったが、そのことに気付かなかった。
15ノットを1ノットや3ノットとしたり、1海里以内に入ると消えたり、表示が近所の船に乗り移ったり、一般人には想像もつかない話であるが、それだけレーダーのみに頼らず、海のプロたる人間がしっかり認識し操船せねばならないということであろうか。
しかし、人間の錯誤が続く。レーダー上で金平丸に乗り移った清徳丸のシンボルは、「あたご」前方を通過するものと判断された。4時4分、これを複数のレーダーで監視しているCIC(戦闘情報センター)が「5度、5000ヤード(2.5海里)に映像を探知」した。「5度」とは、真方位(北に対して)「5度」の意味である。CICは艦橋の見張り員に対し「5度、5000、何か視認できないか」と質した。見張り員は、「5度」を「あたご」艦首に対するものと誤解し、その方向に、前方を横切る直前の幸運丸を見出して報告した。
錯誤の中で、その時が来た。4時6分、艦橋の左にいた信号員が、艦尾を通過すると予測していた漁船の灯火を確認しようと右舷側を見たところ、至近に清徳丸の紅灯を視認、「漁船増速、面舵」と当直士官に告げた。
当直士官は艦首を通過したばかりの幸運丸のことと思い、前方を見ていたところ、信号員が「近い、近い、近い」と連呼しながら右舷ウィングに出て行こうとした。
4時6分少し過ぎ、当直士官は、身を乗り出して窓に近づき、海面を覗き込んで清徳丸の紅灯を視認、「両舷停止、自動操舵止め」を命じた。距離は100メートル以内に迫っていた。
4時6分半わずか前、当直士官は艦首に向っている清徳丸の船影を月明かりで視認し、直ちに汽笛で単音の連吹を行い、「後進一杯」を令した。右舷ウィングへ出た信号員は、探照灯を清徳丸の船尾付近に照射した。
100メートル以内に迫ってから、7,750トンの護衛艦が何をしても、ほとんど航行に変化を起せない。申立て書は言う。「原針路及びほぼ原速力のまま、その艦首部と清徳丸の左舷中央部が衝突した。」
申立て書によれば、「あたご」「清徳丸」の双方とも、自動操舵で衝突軌道を直進していたことになる。「清徳丸」がどの時点で「あたご」の接近に気付いたか明らかではない。「あたご」側は100メートルに迫ってから、ようやく「清徳丸」に気付き、「清徳丸」が増速しつつ右に舵を切って「あたご」の前方を横切ろうとしたと見た。ただ、「増速」の前提は、遅くて方位の落ちていく漁船という誤認である。
申立て書は言う。「清徳丸は、あたごが避航動作をとらないまま間近に接近したが、大幅に減速又は停止するなどして、「あたご」との衝突を避けるための最善の協力動作をとることなく、大きく右転し、279度に向首して進行中、原速力で前記のとおり衝突した。」
しかし、「清徳丸」側の「最善の協力動作」の不在が、「あたご」の責任を免ずるものでないことは言うまでもない。
(3)問題点
まず、「清徳丸」は「あたご」の右側から接近した。航海のルールはこの場合、「あたご」に避航の義務を課してる。「あたご」は全くそれを行っていない。小回りの利く小船の方が避けることが多いという海面におけるならわしは、「あたご」の過失をいささかも正当化するものではない。
より根本的に深刻な問題は、艦橋に立つ2組の当直チームが、1分前まで「清徳丸」を認識できなかった点である。11〜12名が艦橋に林立して監視しながら、誰一人最も危険な目標を見出せなかったことを、どう理解すればよいのだろうか。基本的な事態認識ができないことほど、安全保障と防衛を担う者にとって耐え難いことはないであろう。
海技訓練のはじめに、入門者がABCとして教えられることの一つは、自船から見て方位の変わらない船こそ、自船への衝突軌道に乗っている恐るべき存在だということであるという。先に見たように、右舷にあって方位が右へ落ちて行く目標に衝突の危険はない。逆に方位が左へ上る目標は自艦の進行前方をうかがっているのであり、距離と速度との関係で要注意である。それよりも危険なのが、艦橋から見て同一方位にあり続ける目標である。夜であれば、左右いずれにも動かない灯である。
「あたご」艦橋の海の男たちにとって、もちろんそんなことは常識であろう。ならば、なぜそのような存在であった「清徳丸」を認知できなかったのか。不運もあった。レーダーが漁船の動きにつき「1ノット」や「3ノット」と示した。前直も現直も、時に間違いを起こすレーダー表示のみで「方位落ち、危険なし」と見切りをつけることなく、しばし継続監視を行い、ジャイロコンパスレピーターを用いて方位と動きを測定し、漁船群の中で一番近く、方位の動かない「清徳丸」を見出さねばならなかった。
当直士官は、現場責任者として自ら以上の判断をなすべきであるが、同時にチームを統率し、機能を分担する当直員を有効活用する責を負う。その点で、左右ウィングの見張り員を、やさしさから艦橋内に招き入れ、漁船群が視認されるようになった後も、外へ出てしっかり見張るよう指示しなかったことは誤りであった。もし、外へ出て右ウィングの見張りに漁船群を注視するよう指示していれば、「清徳丸」を妥当に認識した可能性は高かったと思われる。「右舷のウィングに出て行こうとした」とか、「窓に近づき、身を乗り出した」といった行動は、艦橋内で見る限界を外の見張りが補う意味を持つことを示唆するであろう。
艦橋で当直の任にあった個々人の責を問えば済むのであろうか。前記申立て書によれば、艦長は「護衛艦あたご航行指針」を定めていたが、それは徹底されていなかったと指摘している。例えば、他船とのCPA(最接近距離)が2,000ヤード(約1海里)以内と予測される場合は、5海里に接近するまでに当直士官は艦長に報告すべきと定めていたが、艦長は何の連絡も受けなかった。
艦橋とCICのレーダー電測員との連絡に齟齬が多かった。3時40分に艦橋が漁船群を視認した際の報告をCICは聞き逃した。3時58分段階で、CICは漁船4隻を捕捉(この時は、「清徳丸」は2.9海里の距離)したが、艦橋と連絡をとっている電測員に伝えなかったため、当直士官には報告されなかった。艦首に対する5度と真方位の5度を取違えて理解しあった。
ハワイでの性能確認試験での緊張を、太平洋の帰途はゆるめたのであろうか。ゆとりある5直体制をとり、艦長は当直士官に基本的に任せ、各人の自覚ある行動をまち、航行指針にもとる行動を一々とがめたりしない方針であったように見える。もし艦長が早くに昇橋していれば、艦橋内の緊張と士気は高まったであろう。他の船跡も稀な太平洋ひとりぼっち状況から、日本近海に近づき、もう一度厳しい緊迫感をとり戻すべきときに、一瞬早く危険な事態を迎え、重大な認識の誤りを犯した「あたご」であったと言えよう。
なお、「あたご」事案については、事故発生後、防衛大臣や総理大臣に報告がなされるまで約2時間を要したことから、幕僚監部と内部部局における緊急時の情報伝達システムの問題が改めて浮き彫りにされた。
5 前事務次官の背信
守屋武昌前防衛事務次官は、昭和63年に防衛局運用課長となって以来、20年近くにわたり、防衛庁(省)内部部局の中枢を進んできた。有力者らしく毀誉褒貶ともに多い人であったが、その退任後に公務の裏側が明らかになるとともに、社会も防衛省関係者も唖然とするばかりであった。様々な報道と記事があったが、まだ裁判が始まったばかりであり、事実関係が確定されたわけではない。ここでは、去る4月21日の東京地方裁判所における検察側冒頭陳述を参照しつつ事案の輪郭を探り、最終的な判断を留保しつつも、あるべき対処の方向を考えたい。
守屋前事務次官は装備局航空機課長であった平成2〜4年頃から、株式会社山田洋行の宮崎元伸専務取締役と、次期支援戦闘機のエンジンをめぐって話し合う間柄になり、防衛政策課長となった平成6年頃からゴルフの接待を定期的に受けるようになった。接待・供応については、守屋前事務次官自身が国会の証人としてすでに認めたところである。平成19年8月に事務次官を退任するまで約13年にわたって、月3〜4回の日帰りゴルフ、年1〜5回のゴルフ旅行の接待を受け、金品の供与も様々な機会に受けたとされる。
全自衛隊員に綱紀粛正を呼びかけ、公務員倫理規程の励行を求める最高幹部が、自らについては全く正反対の行為を恣にしていたことは、省内と社会に衝撃を与えた。また、これほど遊興に時間を割いて、国家安全保障を担当する省の最高幹部が務まるのかとの疑念と憤りをも招いた。
より一層重大な問題は、接待や金品供与を受け前事務次官が職務を通じて便宜を供与したか否であり、収賄罪をめぐって裁判は争われる。本人は全面的には容疑を認めていない様子であるが、検察側の陳述は、次のようにかなりの多くの調達につき、宮崎らの利益に沿って職権や影響力の行使を試みたとしている。
・化学防護車にドイツのヘンセル社製FOXを推す(平成11年、日本の道路事情に不適合で、実現せず。官房長時代)。
・山田洋行がBAEシステム社の見積書を改ざんしたことが発覚した際、自発的減額変更申請で済ます穏便な処理へ誘導(平成14年、防衛局長時代)。
・掃海・輸送ヘリMCH-101用エンジンにロールスロイス社製を採択することを抑え、GE製の検討を要求(平成14年、防衛局長時代)。
・生物偵察機材にスミス社製を、随意契約により選定するよう指導(平成16年、実現。以下、全て事務次官時代)。
・ロッキード・マーチン社の長距離大型地対地ミサイルATACMSの購入を提案(平成15年 ‐ 平成17年、実現せず)。
・次期輸送機C-X用エンジンにGE社の販売代理店である日本ミライズを推す(平成19年、実現)。
・新型護衛艦19DD用エンジンにロールスロイス社だけでなくGE社製を併用するよう指導(平成19年、実現に傾いたが、事務次官退任後再変更により実現せず)。
・早期警戒機E-2Cのアップグレードを促進(平成19年、実現)。
かなりの年月を要するであろう最終判決まで、決めつけることには慎重でなければならないが、一定の根拠を持ってこれだけの立件がなされたことを厳粛に受け止めねばならないであろう。
ここに列記されていることは、公務員として、高級官僚として最もしてはならない背信行為である。ルールを知り、その遵守を全隊員に求めつつ、自らは長期にわたり踏みにじってきただけではない。調達に当たってはセクショナルな部分最適化ではなく、国家的必要に沿った全体最適化を求めねばならないところ、もしここに書かれたことが事実であれば、個人最適化のゲームを密かに演じていたことになる。国民の納めた税を無駄なく有効に用いるのは全ての官僚に課せられた任務であるが、税による調達に際して私的利益へのキックバックを動機の一つとすることは、最も忌まわしい背信行為である。内部部局官僚が誇るべき職務意識(プロフェッショナリズム)から最も遠いと言わねばならない。
前事務次官は、省移行をはじめとする懸案実現に手腕を示し、省内に大きな力を振った。大臣による文民統制に服するよりも、自らを組織意思の体現者と自負していたように感じられる。前事務次官は、大臣から退任を求められた際、次の事務次官の選定を問題にし、防衛省生え抜きの者でなければならないとの反論をなしたとされている。そのことは、大臣(文民)ではなく、事務次官(文官)中心の省という思想を前提にしてないだろうか。政治による大局判断を補佐しつつ服し、その実現のために専門技術を駆使して支えるという職業意識を文武の官僚は求められる。
本会議にとって重要な関心は、前事務次官が防衛省組織の中で誰からもチェックされることなく、頻度高く業者から接待を受け続け、また調達について個人的利益のために職権に基づく影響力を行使したと疑われることである。有力な高官による恣意的な行為が放置される防衛省を改めねばならない。
6 諸事案の総合検討
ここでは、すでに論じた4事案を含め、以下の9事案を総合的に検討することとする。これらの事案は、(1)武器管理、(2)文書・情報管理、(3)事故、(4)前事務次官の背信、の4分野に区分されよう。
(1)武器管理をめぐる事案
[1]東富士演習場の射場における違法射撃 H6('94).11.16
[2]舞鶴港での護衛艦「はるな」20ミリ機関砲不時発射 H11.('99)2.18
(2)文書・情報管理をめぐる事案
[3]「とわだ」航泊日誌誤破棄H19('07).7
[4]業務用データの部外流出「あさゆき」 (H18('06).2)ほか
[5]イージス情報の部内流出 H19('07).1まで
[6]インド洋での給油量取違え H15('03).2発生、H19('07).10問題化
(3)事故
[7]「しらね」火災 H19('07).12
[8]「あたご」衝突 H20('08).2
(4)前事務次官の背信
[9]前事務次官の供応・収賄容疑 H19('07).8まで
自衛隊は、国家安全保障のための最終機関であり、日本における究極の実力組織である。憲法と国策により「専守防衛」の制約が設けられているが、もちろん国内における実力組織として保有する武器・装備は、他の機関と比較できない強大さである。
それだけに、武器の管理は、自衛隊の重大な職責である。もし管理されざる武器使用が行われるならば、国民は大きな不安を覚え、改めて「軍事実力組織からの安全」を求めねばならないと感じるであろう。国際的にも日本国家の信用が揺らぐであろう。つまり自衛隊がその保有する武器を自律的に間違いなく管理していることが、文民統制を進んで受け入れている民主主義社会の軍隊であることの証なのである。些細な武器の不正使用にも厳しい目が注がれる所以である。
はじめに[1]東富士演習場の射場における違法射撃事案に注目したい。
平成6年(1994年)11月16日、東富士演習場内の小火器戦闘射場での射撃訓練には、3名の部外者が招かれていた。そこで二種類の不正射撃が行われた。
一つは、部外者の携行した猟銃を、演習指揮官であった第1空挺団普通科群長が借りて、自ら試射した。二つは、群長が部外者に射場での小銃及び機関銃射撃を体験させたのである。群長は市民・支持者との友好関係増進のため、望ましいと思ったのであろうか。官民の違法な射撃交流となった。
本事案それ自体以上に、陸上自衛隊内における取り扱いが、新たなより大きな事案を作り出した。
事実を知った第1空挺団長らは、安全管理の徹底した射場内でのことであり、社会に迷惑は及ばないので、軽く扱いたいと考えた。服務を担当する陸上幕僚監部の人事計画課長は、管理された自衛隊の射場内で自衛官が猟銃を撃ったことだけが報告の対象となったため、人に危害を与えたわけでもないので、公にしない処理が望ましいと考え、内部部局にも報告せず、猟銃試射のみを内々軽微に処置する方針をとった。
ところが、5年を経た、平成12年(2000年)1月になって、この処置につき、報道関係者から疑問が提起され、防衛庁長官は徹底的な調査を命じた。その結果、二種の不正射撃が明らかとなり、群長は銃刀法違反容疑で逮捕され、懲戒免職、陸上幕僚監部人事部長及び人事計画課長が停職20日の処分を受けることとなった。
この事案が陸上自衛隊全般に与えた影響は大きい。不祥事が起こったとき、社会的非難を恐れて表沙汰にするのを避け、当人たちの地位と組織の体面を守ろうとする傾向が、自衛隊組織には(のみならず、全ての組織に)、根深く存在する。15万人を擁する陸上自衛隊全体が一朝にして変わることは不可能であるが、少なくともこの事案を契機に、陸上自衛隊幹部は考え方を変えたように思われる。不祥事を隠蔽しようとすることこそが破滅的な結果を招く。問題が生じたら、直ちに上部機関に報告し、社会に公表して全力で対処に当たる方針を示して陳謝する。それ以外にない、という対応が陸上自衛隊内で優勢となったように思われる。いわば政治社会の文民統制に服する姿勢である。
その点で気にかかるのが、平成19年(2007年)2月14日の中部方面総監部(兵庫県伊丹市)におけるUSB紛失事案である。
今では、海上自衛隊や航空自衛隊だけでなく陸上自衛隊も日米共同訓練を行っている。YS訓練と呼ばれるコンピューター画面を日米で結んでの模擬演習である。日本側は各方面総監部持ち回りで主催しており、平成19年(2007年)は2月8日から16日まで中部方面総監部がホストした。
共同訓練が幕を閉じようとしていた14日、調査部資料課において課員が、共同演習に使用するシステムの概要や利用案内などを記した可搬記憶媒体(USBメモリ)を机の上に残したまま帰宅し、翌日それが課員の机の中の2千数百円などとともに紛失していた。
警務隊の捜査により、4月11日、同課の1等陸尉が犯行を自供した。USBメモリはゴミ捨て場に投棄したという。
この事案について、方面総監部もしくは陸上自衛隊内で情報の隠蔽があったのではないか、との疑いが一部に持たれた。
そうだとすれば、陸上自衛隊が先の違法射撃事件を扱った際の隠蔽体質は、何ら変わっていないことになろう。
事実は、紛失したUSBメモリには秘密情報は含まれておらず、「注意」扱いの文書であった。また方面総監部は3月2日、陸上幕僚監部に対し本件を報告し、陸上幕僚監部は内部部局の人事教育局へ3月上旬報告した。内部部局は秘密情報が含まれていないので、規定に従い、これを防衛大臣に報告せず、米国にも伝えなかった。とりたてて問題はないように思われる。
にも拘わらず隠蔽を疑われたのは、一つには、陸上自衛隊には違法射撃事件のような「前科」があり、同種の事案と感じさせたからであろう。二つには、方面総監部がUSBメモリ紛失については公表せず、犯人の1等陸尉の処分発表の際も金銭の件を理由とし、メモリの件は伏せたからであろう。それを平成20年6月に至って記者が知るに及び隠蔽を疑って報道したのである。防衛省はメモリ紛失を伏せた理由を、それを公表すれば未回収の紛失データ探しを社会的に助長するなどの弊をあげている。未回収捜査中のときはともかく、処分を行う5月下旬段階で、なお伏せねばならない十分な理由があったか否かについては、情報事案をめぐる広報方針全般にかかわる検証が必要であろう。
ある事案を重大に受け止めて、組織的な対処方針が根本的に変わり、それが組織全体に浸透して、その種の不祥事が大きく抑制されるに至ることが時に起きる。その種の組織変革として、前述の情報管理をめぐる、平成18年2月の「あさゆき」事案後の全庁的な「抜本的対策」をあげることができよう。業務用データの持ち出しに関するチェックが全省的に行われ、入念を極めた。翌年には、業務用データの暗号化の措置もとられた。技術革新は速く、攻防が止むことはあるまいが、とりあえず情報流出防止措置は徹底されたと見てよいのではないかと思われる。
[2]舞鶴港での護衛艦「はるな」20ミリ機関砲不時発射は、理解困難な事件である。平成11年(1999年)2月18日、舞鶴港における護衛艦「はるな」の高性能20ミリ機関砲(CIWS)の発砲回路試験中、混入されていた実弾2発が不時発射された。その原因はCIWSを管理する員長が、計画弾数と発射弾数が一致することが技能の高さを示すものであると誤って認識し、そうであるように見せかけようと、残った実弾2発を砲の中に隠した。それがテスト中に発射されたのである。
機関砲の責任者が、技量評価について誤った思い込みをし、それが正されなかった。その誤認に基づいて、実弾を隠すという偽装工作まで行うとは、どういう精神状態であろうか。ルールを守り、正直であるという基本的モラルを見失った者が、高性能砲を扱う員長でなぜありえたのか、理解に苦しむところである。
そして、この件についても事故の取り扱いが問題を拡大した。「はるな」艦長から順次上に報告されたが、護衛艦隊司令官が、民間への被害がないので自らの職責で対処しうると考え、上級司令部等へ報告しなかった。そのことが違法射撃事案と同じく、不祥事の組織的隠蔽として糾弾されることとなった。
現代世界の軍事組織にあって、文書・情報の管理は武器管理と同様に重要である。情報と認識をめぐる競争が、武器をとっての戦いに劣らず事態を左右しうる。
すでに見たように、[4]業務用データの部外流出の頻発は隊員の情報保全意識の欠如と、急速な通信情報分野の技術革新に自衛隊がついて行けなかったことに起因していた。
[5]イージス情報の部内流出は、最先端技術への学習教育意欲が情報保全意識の欠如と結びついて生じたものであった。
双方の事案とも、情報保全をめぐるルールを厳格に励行するとともに、省全体として現代の技術水準における情報保全システムをたえず再構築する努力を要求するものであろう。
それに対し、[3]「とわだ」航泊日誌誤破棄事案は、素朴きわまるルール誤認によるものであった。航泊日誌についての文書管理ルールは、1年間艦内で保存し、その後、更に3年間は地方総監部において保存することを定めていた。平成19年(2007年)7月、「とわだ」航泊日誌の整理・処分に当たった3等海曹Aは保存期間を2年と誤解しており、2等海曹Bに対し、その理解で正しいか確認を求めた。Bは「2年でなく3年である」と、これまた誤った認識を持って答えた。
1年プラス3年で4年間は保存すべきところ、3年保存すればよいと2人は誤解し、平成15年分の航泊日誌を裁断・破棄してしまったのである。インド洋派遣中の航泊日誌が翌月求められる事態となり、この誤った処置が明らかとなった。この件を受けて、防衛省が調査を行ったところ、同様の誤破棄が3隻の護衛艦その他でも行われていたことが判明した。
隊員のルールへの無知・誤解が問題であるが、それに劣らず文書の破棄処分に際して、責任ある幹部の決裁を得るルールが確立していないのは驚くべきである。航泊日誌の文書管理は、隊員が勝手に破棄してよい程に軽く認識されていたのであろうか。
そのことを、誤りを犯した個々人のみの問題に留めてはならない。ルールを明確にし、それを隊内に徹底するのは組織全体の問題であり、リーダーシップの責任である。
同じことは[7]「しらね」火災事故についても言える。平成19年(2007年)12月14日、横須賀停泊中の「しらね」のCIC(戦闘情報センター)から出火し、CICを全焼し、約7時間を経てようやく鎮火した。火災の原因としては、冷蔵庫の上に置かれた缶コーヒー等を保温するための冷温庫が疑われている。家電製品を艦内に持ち込む際の申請手続が定められていたが、冷温庫についてその手続きが踏まれていなかった。また、冷蔵庫と冷温庫はAC100Vの電圧用のものであったが、艦内の電圧はAC115Vであり、用いるべき変圧器を用いていなかった。誠に些細なことから、海上自衛隊の誇る護衛艦の中枢部を大きく痛める結果となった。ルールを適当に扱い、細心の注意を欠いた行動が原因であり、規律のゆるみが広がっているのではないかと気にかかるところである。
[8]「あたご」衝突事案もすでに見たとおり、ルールを厳しく励行して任務を立派に完遂しようとの艦内の息吹が感じられない。規律のゆるみと航海技量を疑わせる事態を招いた。気のゆるみ、ちょっとしたルール無視の組織的蔓延がどれほど恐るべき結果を招くかを教える事案である。
同じく文書・情報管理をめぐる事案であっても、いささか趣を異にするのが[6]インド洋での給油量取違え事案である。技術的な入力ミスに基づく誤情報を、海上幕僚監部防衛課長が統合幕僚会議議長に提供したこと以上に、それが翌日に誤った情報であることを認識しながら、訂正しなかった不作為の作為がより重大な問題である。そこには違法射撃の事実を公にしないよう画策し、内部部局にも報告しなかった[1][2]の事案と通じる情報操作による不服従の要因が感じられよう。
これら中堅幕僚や幕僚監部による事実の隠蔽と情報操作は、単純なルール無知・誤認や規律のゆるみというレベルを越えて文民統制への不遜な不服従を含意しているのではないだろうか。陸上幕僚監部が違法射撃の件を機に21世紀を迎える年に示した変化が、徹底されることを望みたい。
本会議は、限られた情報を基に事案の究明・分析・対処を試みてきたが、それは不完全で仮説的であっても、建設的な方向性へと導くことの重要性を感じたからである。
近年における諸事案を再検討する中で、興味深い事実に行きあたった。航空自衛隊において、航空事故件数が著しい減少傾向を示している事実である。航空自衛隊では、航空事故を大中小に区分しているが、ここでは死亡又は機体破壊に至った大事故のみを見ておこう。
昭和31年(1956)〜昭和42年(1967)年10〜20件
昭和43年(1968)〜昭和53年(1978)5〜10件'71年雫石事故
昭和54年(1979)〜平成12年(2000)1〜4件
平成13年(2001)〜平成19年(2007)ほぼ0件'05年の1件のみ
これほど、顕著な改善がなぜ可能となったのか。機体自体の性能向上もあろう。日本の整備は国際的に高い水準を誇るが、この間一層の熟達を遂げたことであろう。しかし多くの事故は人的要因や偶然的要因がからむ。それをどう管理・抑制するかが、組織の問題である。
かつて昭和46年(1971年)に自衛隊機が全日空機と雫石で衝突して大きな犠牲を出したとき、自衛隊の中でも航空自衛隊が社会的非難の対象であった。この悪夢の後、航空自衛隊は再発防止に全力をあげたが、それでもほぼ1970年代を通じて、5〜10件の大事故が毎年のように起こった。ようやく80年代には、年5件を越えることはなくなった。昭和57年(1982年)には航空安全管理隊を創設した。20年にわたる努力で、次第に年1件程度に抑制されるに至ったかと見えたが、世紀末の3年 間(平成10年(1998年)〜平成12年(2000年))に8件の大事故が連発した。航空自衛隊は改めて組織をあげて考えられるあらゆることをやることを決断した。監査・監察の制度を最高レベルから部隊レベルまで拡げるとともに、指揮官・隊員の技量と意識の向上に力を注いだ。興味深いのは、人間と人間の組織が必ず誤りを犯すものと前提(エラートレラント)し、それが事故につながるのを阻むための方途を制度化する努力である。21世紀に入って、7年間で大事故は1件のみである。しかし、中事故は5件も起こっているから油断はできないと航空自衛隊の安全担当者は言う。1つの決め手があるわけでなく、事故原因は多様で複合的であり、安全対策も多様で総合的である必要があろう。それを全組織あげて完遂しようとする上層部の強い意思が、気風として隊内に浸透するとき、事故がゼロに近づくこともありうると、このケースは告げているであろう。気をゆるめることなく、更なる前進を遂げることを望みたい。
今日の社会にあって、国民の欲する自由と快適さの水準は高い。豊かさと少子化の結果、子供たちの多くは個室を与えられ不自由なく育てられる。自衛隊員も概してそのような普通の家庭に育った若者たちである。それゆえ、彼らは自衛隊に入っての訓練、規律、団体生活の厳しさに、大きなカルチャーギャップを覚える。
自衛隊は、国家と国民が安全を脅かされる事態において対応すべき組織であり、任務を遂行できる隊員となるために、高い水準の鍛錬が不可欠である。多くの隊員はそのことを理解してギャップを超える努力を重ねる。とはいえ、ギャップの拡大は、隊員募集と教育・訓練の困難を増す。妥協なく高い基準を若い隊員に求めるとき、「では辞めます」との反応にあえば、上官はたじろぐ。とりわけ長期の艦艇勤務を要する海上要員にとってギャップを埋めることは容易でない。
自衛隊はこうした困難に屈することなく、全組織的な対応によって規律正しく有能な部隊を養わねばならない。ここで扱った不祥事を決定的に過去のものとする再出発の時を迎えねばならない。その意味から、海上自衛隊が、「海上自衛隊抜本的改革委員会」を設けて検討を開始したことに注目したい。そこでの自身の手による本格的な検討と対処が、根深い変革をもたらすことを期待するものである。
Ⅲ 改革提言(1) ‐ 隊員の意識と組織文化の改革
1 改革の原則
前章において詳述したように、本会議は、最近防衛省で起こった様々な不祥事を詳細に分析・検討してきた。その結果、本会議は、このままではいけない、どうしても抜本的な改革が必要であるとの認識に達した。最近の不祥事は、個別に観察すれば、それ自体として日本の安全保障を脅かすとは言えない事案も多いが、全体として観察したとき、我々に小さくない不安を与えるものであった。最高幹部が規則違反を行い、現場部隊では初歩的なルールさえ守られない。現代社会における自衛官としての責任ある意識を欠いた隊員の行動がある。高度な秘密の保持についての明確な心構えの欠如も見られた。圧倒的多数の自衛隊員がまじめに任務を遂行していることは事実である。しかし、このままで、日本の安全保障の根幹を担う防衛省・自衛隊が、緊急事態において真に有効に機能するのであろうか。脅威が多様化し、過去の先例のみに従っていては対処できないような複雑な事態の発生が想定され、しかも実効的で確実な対処が必要な現代の安全保障環境の下で、適時・適切な対処ができるのであろうか。近年の国際平和協力活動などで諸外国から高く評価されてきた自衛隊だけに、最近の不祥事に見られる規律面・行動面・組織面での弛緩現象は、憂慮の念を禁じえないものであった。
このような不祥事の検討・分析を踏まえ、本会議は、如何なる改革がなされなければならないかを検討した。その結果、以下の三つにまとめられる原則が実施されなければならないとの結論に達した。更に、現代的な安全保障環境の下で、このような原則の実施を担保し、しかも、平時から有事にかけて、日本の安全保障政策が有効に機能するためには、文官と自衛官とが協働して任務遂行を可能とすることを含む、大胆な組織改革が必要であるとの結論に達した。
三つの原則とは、
[1]規則遵守の徹底
[2]プロフェッショナリズムの確立
[3]全体最適をめざした任務遂行優先型の業務運営の確立
である。以下に、この三つの原則のそれぞれに関連する具体的措置を提言する。防衛省・自衛隊が、減点主義に劣らず加点主義を重視する能動的で積極的な組織となっていくためには、このような原則の具体化が必要である。更にこれを担保する必要な組織改革については、章を改めて次章で詳述する。
2 規則遵守の徹底
防衛省・自衛隊に対する国民からの信頼を回復するためには、何よりもまず、幹部職員をはじめとして、法令など様々な規則の遵守という基本に戻らなければならない。圧倒的多数の自衛隊員にとって、今更言うまでもないことであろう。しかし、自らには規則を適用されないと考えた人物が、防衛省・自衛隊の事務方のトップたる事務次官を務め、自衛隊員の倫理保持の実務上の責任者である倫理監督官たる地位を有していたということは事実であった。更にルールを自らのものとして真剣に考えこれを遵守するという態度が徹底していれば、例えば、補給艦「とわだ」航泊日誌誤破棄事案や護衛艦「しらね」の火災、情報の流出、調達に関わる業者との癒着といった不祥事案は起きなかったであろう。
隊員一人ひとりに自発的な規則遵守意識が浸透し、組織風土として定着するよう、適切な施策を講じていくことが必要である。同時に、不祥事案の度に積み重ねられ、繁文縟礼になっている規則類を、基本に立ち返って見直し、不要なものを整理して、本当に遵守しなければならない規則となるよう改善する必要もある。
(1)幹部職員の規則遵守の徹底
防衛省の最高幹部であった前事務次官自らが規則を守っていなかったことは、国民の自衛隊に対する信用を失墜させたのみならず、規則を遵守し日々まじめに任務を遂行している圧倒的多数の自衛隊員に大きな衝撃を与えた。幹部自らが規則を守らない組織で、いくら部下に規則遵守を語っても、その効果はない。規則遵守は、幹部職員が率先垂範するという姿勢から始まらなければならない。
(2)規則遵守についての職場教育
隊員一人ひとりに自発的な規則遵守意識が浸透し、組織風土として定着するためには、職場教育などの施策を講じていくことが必要である。隊員の自発的な規則遵守を促す最大の要因は、隊員の高い任務意識である。いたずらに規則遵守の形式を求めるのではなく、規則の制定目的や趣旨を十分に理解させた上で、自衛隊の任務遂行を担保するための規則遵守という視点で指導、教育を行うべきである。
(3)機密保持に関する規則の徹底的遵守
自衛隊の扱う情報の中には、国の安全に直結する重大な情報が存在する。情報保全のための規則こそ、数ある規則の中でも、特に厳重に遵守されなければならないものである。情報保全に対する規則を、それが制定された意味合いを含めて更に徹底的に周知するとともに、違反者に対しては厳正な処分を行い、その上司に対しては監督責任を問わなければならない。
具体的な措置として、情報保全機能強化のためにすることは、各自衛隊の情報保全隊を統合して新設が予定されている自衛隊情報保全隊(仮称)を育成・強化し、部内の犯罪捜査や規律違反防止などの保安職務を任務とする警務隊が、現在、陸・海・空自衛隊にそれぞれ設置されているものを統合することにより、その能力を格段に強化しなければならない。そのため、陸・海・空自衛隊が組織横断的に連携し、情報の共有を推進するとともに、警察等の捜査機関からのノウハウの吸収により、情報保全に対する自律的チェック体制を強化する。
(4)防衛調達における透明性及び競争性の確保並びに責任の所在の明確化
防衛調達の意思決定過程から特定業者との癒着など不適切な要因を排除せねばならない。そのためには、意思決定過程の初期の段階から、その可視化を図り、透明性と競争性を確保するとともに、責任の所在を明確化することが必要である。このような視点に立ち、輸入調達に係る監査・監察機能の強化、過大請求事案に対する制裁措置の強化、外国メーカーとの直接契約の推進、調達職員の人材育成等の強化など「総合取得改革推進プロジェクトチーム」の報告書で掲げられた施策を、着実に推進していくことが必要である。更に、個別の装備品の選定のための意思決定を行う過程において、会議等の記録を作成することを義務づけ、その要点の公表を行う。また、会議録全文も、一定の期間後には情報公開の対象とすべきである。
また、文官、自衛官を問わず、幹部隊員と特定の防衛関連企業との過度の結びつきが疑われることは、防衛調達全体の公正性について疑念を生じさせることになる。こうした疑念を生じさせないようにするため、幹部隊員の再就職については、単に形式的なチェックのみならず、新たな職務の内容などに関し従来に増して厳格なチェックを行うとともに、特に、60歳定年の幹部隊員の退職後の再就職については、一般国家公務員の再就職見直しにあわせて、その在り方を見直していく必要がある。
(5)監査・監察の強化
防衛監察本部は、職員の職務執行における法令の遵守を始め、職務執行の適正を確保するため、高い独立性を有した防衛大臣直轄の組織として、平成19年9月に新設された。防衛省は、同本部が実施する監察を積極的に活用することにより、防衛大臣からの指示等が徹底しているか、各種規則等は遵守されているか、隊員が実力組織に相応しいより強固なプロフェッショナリズムを持っているか、規律が維持されているかなど、部隊の状況をつぶさに確認することが必要である。この結果を受けて、改善に向けた措置を講じていかねばならない。
そのため、防衛監察本部の体制を強化するとともに、いわゆる「抜き打ち監察」をその対象を限定せず実施するなど、監察の厳格性、実効性を確保するよう配慮すべきである。
また、調達に関する規律維持のため、あわせて、会計監査機能を充実させることが必要である。
(6)規則の見直し・改善
隊員が守るに値し、自ら必要なものとして規則をとらえるようになるためには、そのような規則の中に任務に合致した合理性があることが認識できなければならない。様々な規則のうち、不必要かつ形式的なものが残っていないかどうか徹底的に検討すべきである。
特に、情報保全に関しては、安易な秘密の指定が、かえって秘密に対する保全意識を弱める危険性を注視しなければならない。秘密指定の理由を明確化し、一定期間を経過した後に原則として情報公開の対象とするルールを確立する必要がある。この場合、秘密指定が適切に行われていることを確認するため、部内の専門家による委員会を置くことも有効である。
3 プロフェッショナリズム(職業意識)の確立
規則遵守は、しかしながら、規則だけを考えていて実現するものではない。また、規則が遵守されるだけで、組織が高度な機能を発揮することもない。第Ⅰ章で指摘したように、規則遵守のみでは「ネガ」(否定形)を減らすことだけに終始してしまう可能性がある。「ポジ」を実現するためには、この規則に則って組織の構成員が、自らの仕事に誇りを持ち、その組織全体の中での自らの仕事の意味を理解し、しかも、仕事の内容について高度の知識と技能を保持しつつ積極的・能動的な行動をとらねばならない。防衛に関するプロフェッショナルである自衛隊員は、文官であると自衛官であると問わず、自らの任務に関する知識と技能を常に向上させるための研鑽を怠らず、自らの任務が省内、更には日本社会の中に占める意味を理解し、より高次の倫理観、使命感、責任感を持って仕事に当たらなければならない。規則の遵守は、このようなプロフェッショナルに担われてこそ、組織全体を強固にしていく。このようなプロ意識に裏打ちされた上司・上官・指揮官が統率してこそ、組織・部隊全体に同様な意識が共有されるのである。自衛隊が全体として高い士気を維持するためには、幹部職員がまずもって、自らのプロフェッショナリズムの質を日々高める努力を行っていかなければならない。
(1)幹部教育の充実
プロとしての防衛省・自衛隊の再確立もまた、幹部職員から始まらなければならない。文官であると自衛官であると問わず、「長」の任務に当たる者は、日々、任務の内容、部下の統率につき研鑽を続けなければならない。このような人材を養成するためには、幹部要員の教育プログラムや経歴管理の在り方を見直すとともに、各自衛隊の幹部学校の見直しや高級幹部に対する教育課程の統合化を推進していくことも必要である。文官については、日々の業務に追われ、まとまった教育を受ける機会が十分に与えられていないことが問題である。また、自衛官についても、米国軍人などに比べて修士号や博士号の学位や法曹などの資格を有する者が極めて少ないのが現状である。このため、国内外の大学院への留学など、軍事はもとより他の分野についても幅広い視野を養う機会を積極的に与えていくことが必要である。
また、様々な行政経験の機会を与えることにより、旧来の仕来りにとらわれない人材を養成していくことが必要である。このため、特に、文官や自衛官に対して内閣官房や外務省を始めとした他府省に出向する機会を計画的に与えていくべきである。更に、防衛省・自衛隊にとって、地域社会との良好な関係を築くことも重要な任務である。地方自治体や基地周辺の住民の考えを十分に理解することができる人材を養成していかなければならない。
(2)基礎的な隊員教育の充実
護衛艦「あたご」の衝突など様々な事案が発生した背景として、自衛隊の各部署における業務量と人員の配置がバランスを欠き、現場部隊等に日常的に過度の負担が課される結果、隊員の基礎的な教育が行き届いていなかったという問題があったと考えられる。このような状況を改善するためには、幕僚監部、司令部、部隊等の各レベルにおける業務量と人員配置を見直すことが必要である。特に、日常業務についての必要性・緊急性を見直し、またその優先順位を厳しく精査して業務の効率化・簡素化を図ることにより、今、最も必要とされる隊員の基礎的な職場教育の充実を図るものとする。
また、隊員の自衛隊の学校における教育に当たっては、隊員個々に求められるべきプロフェッショナリズムに重点を置いて、教育体系の見直しを行う。基礎的な教育の充実強化を図りつつ、陸・海・空自衛隊の統合運用を支える統合教育の充実強化を図る。
(3)情報伝達・保全におけるプロ意識の醸成
現代の安全保障において、情報を如何に正確に伝え、しかも必要な秘密を保全するかは、決定的な意味を持っている。正確な情報伝達と情報保全の分野ほど、単なる規則の遵守を超えてプロ意識が必要な分野はない。伝達した情報に誤りを見出したときに、これを直ちに修正することは、情報伝達の基本である。また、国の安全に関わる秘密情報は、何があっても守り抜かなければならない。給油量の取違えの事案にしても、その他情報流出にしても、この面でのプロフ
ェッショナリズムが未だに十分確立していないことを物語っている。
また、秘密情報に限らず、未だ意思決定に至っていない情報などを正当な理由なく部外に漏らすことは、中央組織であると、現場の部隊であると問わず、自衛隊に対する国民の信頼を損なうおそれがあるのみならず、政府が行う必要な政策決定を妨害する可能性すらある。国民に開かれた自衛隊が、マスコミとの関係を重視するのは当然のことであり、必要な情報は適時にマスコミに提供すべきである。しかし、情報発信が無分別であってはならないことは言うまでもない。
たしかに、防衛省は、平成12年の幹部自衛官による秘密漏えい事件を始めとした過去の情報流出事案を受け、情報保全体制の見直し等を行い、他府省よりも先進的な情報保全体制を構築してきた。それにもかかわらず、秘密情報の流出事案が繰り返されてきた事実を厳粛に受け止めなければならない。情報伝達及び情報保全についての教育の見直しは不可欠である。文官、自衛官を問わず、幹部も含めて、全ての隊員と部隊を対象とした情報関連教育のプログラムを作らなければならない。
また、安全保障に関する情報に関しては、単に保全するという心構えだけでなく、我が国の秘密情報を取得しようとする意図的な試みに対して、カウンターインテリジェンスの仕組みを整えていかなければならない。防衛省においてこれまで実施されてきたカウンターインテリジェンス機能の強化対策を徹底するとともに、内閣官房に置かれているカウンターインテリジェンス・センターを活用する必要があろう。同センターは、防衛省を含む各府省に対し、カウンターインテリジェンスに関する政府統一基準の達成状況を評価し、改善の助言を行うなど、官邸を交えた全政府的な重層的チェック体制を構築することが必要となる。
更に、ITの重要性が増す中で、情報セキュリティ対策をより一層強化することが必要である。そのため、内閣官房の情報セキュリティセンターが行っている政府横断的・統一的な情報セキュリティ対策を着実に進めるとともに、各府省に対する対策実施状況の検査・評価を厳格に実施せねばならない。情報セキュリティに関する重層的な評価と対処が必要である。
4 全体最適をめざした任務遂行優先型の業務運営の確立
現代の安全保障環境に適合し、不祥事を防ぐためには、規則遵守の徹底、プロフェッショナリズムの確立という、主として個々の隊員の行動を念頭に置いた改革に加えて、組織の運営の仕方についても改革を進める必要がある。個々の隊員への教育や研鑽を支え、更にプロフェッショナリズムを生かしていくためには、組織文化とも言うべき領域における改革も必要である。
その際、打破しなければならない組織文化とは、第1に、全体最適よりも部分最適を重視する組織文化であり、第2に、任務に着目してこれの実現のために日々改善を遂げようとする意欲に乏しい消極的・受動的組織文化である。すなわち、必要な改革は、まず、組織における基本的な考え方であり行動基準である。防衛政策の実現に当たっては、防衛省・自衛隊全体として何が最適になるのかを常に考える文化を定着させることであり、新たな環境の下で次から次へと生じる新しい任務を、よりよく積極的・能動的に実現しようとする文化である。全体最適をめざした任務遂行型の業務運営のためには、以下の方策が必要であ
る。
(1)文官と自衛官の一体感と陸・海・空の一体感の醸成
今後の安全保障政策の遂行に当たって、文官と自衛官の区別がなくなることはないし、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の区別がなくなることもない。政府を構成する1つの省としての防衛省が、国全体の中で整合的に運営されるためには、政策企画文書作成、法令案作成、人事管理、国会対策などに関して専門的知識と経験を有する文官が必要である。また、軍事実力組織としての自衛隊を実効的に整備・運用していくために、国内外情勢を踏まえた戦略眼を持ち、企画立案能力や人事管理能力の優れた人材を、自衛官の中にも数多く養成していかなければならない。そして、陸・海・空のそれぞれの任務への誇りとアイデンティティを持ち、それぞれの術科に通じた精強にして規律正しい部隊が必要である。
しかし、文官と自衛官の区別、そして、陸・海・空の区別は、現代の安全保障環境の中では、かつてほど截然と分けられるものではなくなってきている。文官もまた軍事専門的知識を保持しなければならないし、自衛官もまた国際環境や国内社会の在り方に高度の見識を持たなければならない。いずれにしても、文官と自衛官で別々の防衛省や自衛隊があるのではなく、一つの防衛省と自衛隊があるのである。文官と自衛官は、防衛省・自衛隊という全体最適のために協力しなければならない。また、陸・海・空という各自衛隊のアイデンティティや伝統は異なるにしても、それぞれが別の国を守っているわけではない。一つの日本を守っているのである。あらゆる局面で、文官と自衛官が協働し、陸・海・空が協働するとの精神が徹底しなければならない。そのために、次節で詳述するように、組織的にいって、内部部局においても統合幕僚監部においても、整備部門においても、文官と自衛官、そして陸・海・空の自衛官を混在させるなど、緊密に協働する体制を作らなければならない。
(2)PDCA(PlanDoCheckAct:計画・実施・評価・改善)サイクルの確立
全ての任務において、体系的な遂行体制が実現しなければならない。具体的には、企業経営の分野などで強調されるPDCAサイクルの考え方を防衛省・自衛隊の各部門でも常に意識してていかなければならない。PDCAサイクルとは、プロジェクトの実行に際し、計画を立て(Plan)、実行(Do)し、その評価(Check)に基づき改善(Act)すると言う過程を継続的に繰り返す仕組みのことをいう。各自衛隊においても、隊員がその任務意識を共有し、適正な任務遂行ができていることを検証するため、自律的なPDCAサイクルを確立していくことが望まれる。そのため、指揮官が、自らの部隊等における任務遂行、規則遵守や規律維持の向上について、具体的な行動計画を策定し、それに基づいて指導、評価を行い、計画に沿っていない点を検証し、改善に向けた措置を講ずる仕組みを作る必要がある。前述の「監査・監察の強化(Ⅲ-2-(5))」は、このための貴重なデータを提供するであろう。
(3)機能する基本組織単位(部隊など)
様々な形の全体最適を実現するといっても、軍事実力組織としての自衛隊の基本単位は部隊であり、部隊が適切に機能しなければ、全体最適どころか部分最適さえ実現しない。様々な不祥事において、この基本単位に機能不全が起きていたこと、チームワークが機能していなかったことが確認されている。基本単位を統率する指揮官と部下との間に、規律正しく、活き活きとした任務遂行関係を生み出さなければならい。そのためにも、上述のPDCA手法によって、業務の課題を常に可視化(目に見えるものと)し、これを隊員一体となって実現・検証していることがなされなければならない。防衛省・自衛隊は、かかる指揮官の努力を支援し、評価して不足点の改善を促すための一貫した方針を持ち、全組織的なチェック体制を確立しなければならない。
その際、民間企業などで行われているいわゆるカイゼン方式などを参考にするのは有益であろう。中央は、各部隊が業務改善を進めるに当たってのガイドラインを策定し、一方、各部隊は、それを参考にしながら自律的な業務改善を進めるとともに、改善内容を幕僚監部に報告し、それがガイドラインに反映される仕組みを確立することによって、一部隊の優れた改善提案を組織全体に波及させる必要がある。
(4)部局間の垣根を越えたチームによる課題への対処
政策課題に対し、各局、各幕僚監部の立場を離れた全省的な観点から検討を行うことができるよう、政策課題毎の組織横断的なプロジェクトチーム(政策形成過程におけるIPT※手法の導入)を作り、機動的に対応していくことも重要である。
このような、個々の人材の役割を固定しないプロジェクトチームにおいて文官と自衛官が一緒に仕事をすることにより、相互の研鑽が図られるとともに、両者の一体感の醸成が期待できる。
※IPTの概要については、次の「(5)防衛調達におけるIPTの推進」の記述を参照のこと。
(5)防衛調達におけるIPTの推進
特別な技術に依存し、数多くの業者が供給力を保持するという条件の整わない防衛調達に関しては、民間企業や他国の防衛部門で実施されつつあるIPT(IntegratedProjectTeam)による調達方式を本格的に導入すべきである。装備品などの構想、開発、量産、運用から廃棄に至るライフサイクルについて、明確な責任体制の下、関係する部門や利害関係者を一堂に集め、情報共有と意見調整を図る組織横断型チームをIPTというが、この手法は、トヨタなど競争力のある民間企業で発達したものであり、各国の防衛部門でも実施されつつある。コスト管理においても、品質管理についても、全体最適を達成する試みとしてすべきである。目標と情報を共有するこのチームが機能すれば、調達への不当な介入や不祥事が発生する余地を極小化することができよう。次章で提言するように、このIPT手法が機能するために必要な組織改革も実施しなければならない。
(6)統合運用体制の促進
(1)で強調した全体最適をめざした「陸・海・空」の協働を具体的に促進するため、統合幕僚監部を中心とする統合運用体制を更に実効あるものとしていく努力を重ねなければならない。特に緊急時・重大事における情報の伝達などに関して、セクショナリズムや他の部門への責任転嫁の対応が起こらないような、体制を整備していく必要がある。
(7)組織として整合性のとれた広報
民主的文民統制の重要な柱の一つは、主権者である国民に対する説明責任を、政府・防衛省が適切に果たすことである。「正しい情報を」「より早く」伝えることは極めて重要であり、そのための体制を平時・有事を問わず整備しておくべきである。
ア) 平時における広報の在り方
同一事項に関して防衛省内の各組織が独自に整合性のとれていない形で情報を発信すれば、国民に対して大きな誤解を与え、ひいては、防衛省・自衛隊に対する国民からの信頼を損なうことにもなりかねない。広報分野においても、基本的な考え方において整合性のとれた全体最適をめざした広報体制を構築していく必要がある。このため、省幹部の記者会見や防衛省・各自衛隊の情報発信について、内部部局に置かれている報道官の下で一元的に把握し、整合性のとれたものとする体制を構築する必要がある。
また、部隊にあっては、マスコミの取材を通じて国民に実態を理解してもらうことが重要である一方、中央の方針と一致しない見解を述べることによって組織全体への信頼感を損なうおそれもないとは言えない。このため、中央における各機関のマスコミ対応だけでなく、部隊等におけるマスコミ対応のルール化を図ることが必要である。あわせて国民との直接対話、広聴の機会も一層充実させることも重要である。
イ) 緊急事態等における広報の在り方
更に取組むべき課題として、護衛艦「あたご」の衝突事件において明らかとなった、自衛隊の報道対応における混乱の問題をあげなければならない。これにより、結果として国民の重大な不審を招くとともに、危機管理組織としての防衛省・自衛隊の鼎の軽重が問われることとなった。緊急事態における広報について、基本的なルールや意思統一の方法を確立する必要がある。
Ⅳ改革提言(2) ‐ 現代的文民統制のための組織改革
1 組織改革の必要性
様々な不祥事の再発防止の措置を検討するとともに、現代の安全保障環境の中で、防衛省・自衛隊をどのようにして実効的な組織として機能させるかというのが、本会議に与えられた課題である。この課題に答えるため、すでに、規則遵守の徹底、プロフェッショナリズムの確立、全体最適をめざした任務遂行型の業務運営の確立の三つの分野について、現在の組織の在り方を前提として、数多くの提言を行ってきた。しかし、本会議は、現代の安全保障環境の下で、防衛省・自衛隊が、不祥事を起こさないだけでなく、日本の安全と独立を確保していくためには、また、上記三つの分野の改革をより確実にかつ効果的に実行するためにも、どうしても組織面での改革が必要であるとの認識に達した。
本報告書冒頭で述べたように、かつて文民統制と言えば、「軍事実力組織からの安全」を担保するための仕組みであると考えられてきた。軍が国を敗戦に導いた過去を持つ我が国にとって、とりわけ重い課題である。戦後の自衛隊の運営において、この意味での文民統制が必要であるとされてきたのには十分理由がある。しかし、自衛隊誕生以来の実績を見れば、自衛隊が民主的政治の意向を無視して行動する可能性がほとんどないことは明白である。このようないわゆる消極的な文民統制という考え方に対して、いまや、軍事実力組織を如何に効果的に使って安全保障を高めるかという積極的な観点の文民統制の考え方も十分考慮にいれなければならない。軍事実力組織の暴走は防がなければならないが、軍事実力組織が、必要とされるとき機能しないのでは、国の安全保障は保てないからである。
しかも、不祥事の検討・分析から明らかになってきたことの一つは、部隊・現場のレベルにおける、消極的で退嬰的な姿勢、失敗さえしなければよしとする減点主義の傾向であった。徹底的に自衛隊を統制しておかなければならないとの組織の在り方が、このような消極的な姿勢を助長した側面がある。減点主義からより積極的な任務遂行体制へ移行し、その中で不祥事を極小化するためにも、自衛隊を国と国民の安全のため十全に活用するための組織改革が必要とされている。いまや、昭和29年(1954年)以来形成されてきた防衛省の組織についても、「軍事実力組織からの安全」という機能は堅持しつつ、「軍事実力組織を活用した安全」という機能を更に高度に発揮させるための見直しが必要になってきたのである。
不祥事の再発を防ぐという側面を超えて、現代的安全保障環境の中で適切に自衛隊を活用しようとすれば、国全体の安全保障政策の最高責任者たる内閣総理大臣の下における官邸の体制も整備していかなければならない。如何なる意味であれ、文民統制の根幹たる主体は、国会で選出される内閣総理大臣だからである。従って、以下では、まず官邸における安全保障政策のための組織改革を論じ、その後、防衛省における組織改革を提示していきたい。防衛省内部における組織改革を詳述する前提として、官邸における戦略レベルの司令塔機能について、まず提言する。
2 戦略レベル ‐ 官邸の司令塔機能の強化
内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊に対する最高の指揮監督権を有しており、我が国の安全保障政策について行政面における最終的な意思決定主体である。本来、安全保障政策とは国の総力をあげて行う総合的なものであって、内閣総理大臣が統合的な戦略の下で、防衛省のみならず、政府全ての機関を指揮し実施していくものである。防衛省・自衛隊が担う防衛政策もまた、内閣総理大臣が主宰する国全体の安全保障政策の一要素として位置づけられることによって、文民統制の根幹が規定されるとともに、現代的な安全保障環境により適合したものとなる。
しかし、内閣全体としての安全保障戦略は、これまで、ほとんど意識的かつ体系的には示されてこなかった。これまで、内閣には国防会議、これを引き継いだ安全保障会議が設置されてきたが、危機における決定のための機関としてはともかく、戦略作成に関しては、やや形式的な機関となってきている。防衛省・自衛隊を根本的な意味で適切な文民統制の下に置くためには、内閣総理大臣を中心とした官邸が、実質的な我が国の安全保障戦略の策定機関とならなければならない。
また、近年、官邸における危機管理機能の強化(例:内閣危機管理監の設置)や事態対処法制の制定等を契機として、官邸の安全保障に関する役割は増大している。また、我が国を取り巻く安全保障環境が変化する中で、イラク人道復興支援特措法に基づく航空自衛隊の輸送活動や、補給支援特措法に基づくインド洋における海上自衛隊の補給活動など、自衛隊の国際平和協力活動において、官邸・内閣官房の果たす役割も大きくなっている。今後、新たな脅威や多様な事態に対する迅速かつ適切な対応が一層求められていくことを考えれば、緊急事態への対処とともに安全保障に関する戦略的判断を迅速・的確に行うため、官邸の司令塔機能の強化を図ることが必要である。
従来、安全保障会議は、防衛力整備計画や毎年度の防衛予算の審議を通じて、文民統制の大枠を設定する機能を果たしてきた。しかしながら、我が国の安全保障環境が大きく変化した今日、官邸は、安全保障会議やその他関係閣僚会議なども活用し、安全保障に関する重要事項について幅広く積極的に議論し、我が国としての安全保障戦略を策定し、各省に指示を与えていかなければならない。
そのため、内閣総理大臣は、安全保障会議やその他関係閣僚会議などを活用しつつ、以下の施策を行っていくべきである。(現行の安全保障会議設置法第2条の規定する諮問事項については、本格的な見直しが望ましいと思われるが、同法を改正しないとすれば、安全保障会議に関わる、以下の提案は、同法第2条第1項第8号にいう「その他内閣総理大臣が必要と認める国防に関する重要事項」として実施されるべきである。)
(1)安全保障戦略の策定
世界情勢の変化、新たな脅威や多様な事態を考慮した上で、我が国全体として、安全保障の目標と手段を明示し、今後の方策の優先順位を示した戦略を策定する。この戦略の下で、防衛計画の大綱が改訂され、自衛隊の海外任務の在り方や、有事・緊急事態における自衛隊の運用をめぐる基本的な方針が策定されねばならない。
(2)三大臣会合(内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣など)の活用
流動する国際情勢の下で、安全保障上の課題に適切に対応するためには、我が国を取り巻く安全保障環境についての基本的な情勢認識を分析・共有するとともに、安全保障に関する諸課題につき戦略的観点から日常的、機動的に議論する場が必要である。このため、「三大臣会合」と近年呼ばれている、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣など関係閣僚による協議を積極的に活用し、内閣総理大臣を補佐するとともに、安全保障会議の機能を補完する。
(3)防衛力整備に関する政府方針策定のための仕組み
防衛力整備に関する重要事項について、政府レベルで議論する場として、安全保障会議をより一層活用していくとともに、防衛政策を柱とした産業・技術基盤に関する方針を策定し、装備体系や主要な装備品の選定等について議論するための関係閣僚会合を設置する。同時に、このような機能を支えるために、安全保障会議の下に、事態対処専門委員会(安全保障会議設置法第8条)に加え、政府レベルでの防衛力整備の在り方を検討するための常設の検討機関(局長級の実務レベルの委員会)を設置する。
かかる常設の検討機関においては、防衛計画の大綱、中期防衛力整備に基づく施策の進捗状況、毎年度の防衛力整備の改善点等について議論するとともに、防衛省で行われている総合取得改革に基づく契約制度の改善の進捗状況の検証などを行う。
(4)内閣総理大臣の補佐体制強化
安全保障政策に関わる内閣総理大臣の補佐体制を充実強化するため、内閣総理大臣に直結し、機動的に内閣総理大臣を補佐する安全保障政策に関して高度の知見を持つアドバイザーを置く。また、内閣官房の外交・安全保障に関するスタッフの体制強化を図るとともに、専門的知識を有する人材や軍事専門家である自衛官の更なる活用を図る。
3 防衛省における司令塔機能強化のための組織改革
国民が防衛政策を統制するという文民統制の根本は、国会が内閣総理大臣を指名し、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮権を持つとともに、防衛大臣を任命することによって具現化されている。更に、この仕組みは、防衛省内においては防衛大臣が防衛省・自衛隊全てを適切に指揮監督することによって貫徹されることになる。防衛省における近年の不祥事を分析・検討して見ると、この防衛大臣による適切な指揮監督が十分貫徹しない組織の実態があったことがわかる。単なる法令違反や規律のゆるみにとどまらない組織としての問題がひそんでいるのではないかと思われた。
更に、このような不祥事の連鎖は、平成16年(2004年)に決定された「防衛計画の大綱」にいう「多機能で弾力的な実効性のある」防衛力が発揮できるのかに懸念を抱かせるものであった。おそらく、平成19年(2007年)1月の防衛省の省移行時に、本来であれば、これまでの組織について全面的な見直しが行われるべきであったろう。現実には、省移行は、それまでの組織についての変更なしに行われた。不祥事の検討と、現代の安全保障環境とを全面的に考察した結果、本会議は、この際、防衛省において、現行の内部部局と統合幕僚監部、陸・海・空幕僚監部の組織を基本的には存続させつつも、大胆な改革を行い、更にその機能や責務の割り振りを組み替えることによって、不祥事の発生を防ぎつつ、文民統制を機能させ、より実効的な防衛政策が実施できる体制を作るべきであると提言する。
(1)防衛大臣を中心とする政策決定機構の充実
防衛省の機能を大きく分類すれば、防衛政策の企画・立案・発信、自衛隊の運用、防衛力の整備、その他管理機能と分けることができるが、このいずれについても、最終的には防衛大臣が、全てを適切に指揮監督できる体制がなければならない。そのためには、以下の改革が必要である。
[1] 形骸化している防衛参事官制度を廃止し、防衛大臣補佐官を設置すべきである。防衛大臣補佐官は、防衛政策に関して見識ある者の中から、防衛大臣が自ら選任し、政治任用として採用するものとする。
[2] 現在、防衛省では、訓令に基づき防衛会議が置かれているが、これを法律で明確に位置づけ、より実効的に防衛省の最高審議機関として活用していくべきである。防衛会議においては、副大臣、政務官及び防衛大臣補佐官など政治任用者と、事務次官、主要な局長などの文官、統合幕僚長及び陸・海・空幕僚長など自衛官の三者が、防衛省・自衛隊に関する万般の政策に関して審議し、大臣の政策決定及び緊急事態対応を補佐するものとする。防衛政策の企画立案、自衛隊の運用の方針、防衛力整備の方針などは、全て防衛会議での審議と大臣の決裁を経て、首相官邸での審議に供されるものとする。防衛会議は文官と自衛官が政治を補佐しつつ服するという、文民統制の在り方を具現するものでなければならない。
とりわけ重要なことは、新しい体制の下の防衛会議を決して形骸化させてはならないことである。会議は、できる限り頻繁に開催し、防衛省の最高幹部の意思疎通を良好なものに、相互のチェック体制を確立しなければならない。こうしたチェック体制は、前事務次官の不祥事に見られたような有力な幹部による恣意的な行為を排除する機能を持つことを意味する。
なお、防衛会議は議事録を作成し、国家安全保障に重大な影響をおよぼす事項以外については、一定期間後に公開するものとする。
[3] 官邸の情報集約・危機管理センターに倣い、防衛省において、護衛艦「あたご」の衝突事案のような緊急事案が起こった際に、情報集約や幹部への適時適切な報告が行いうるよう、内部部局と幕僚監部が一体となった情報集約や危機管理への対応を行うセンターを設置すべきである。
[4] 緊急事態の際の報告手順等も含め、各種事態における対処要領を確立するとともに、随時の訓練によって不断の組織的検証を行う。
(2)政策面での施策 ‐ 防衛政策局の機能強化
[1]内閣の制定する安全保障戦略の一環として、防衛政策の企画・立案・発信機能を向上させるため、防衛政策局を拡充しなければならない。
[2]文官を局長とし、次長クラス以下に自衛官を組み入れるべきである。統合幕僚監部と陸・海・空幕僚監部からの人材補給により、運用面での実情も踏まえた活気ある政策面での中枢機能を強化する。
[3]国際的な自衛隊の活用は益々必要となると想定される。国際的平和活動、国際的災害援助活動、その他国際的活動の企画立案、そのための情報分析能力の向上は、とりわけ防衛政策局が取り組まなければならない課題である。
(3)運用分野における施策 ‐ 統合幕僚監部の機能強化
[1] 実態としての業務の重複を合理化するため、運用企画局は廃止し、作戦運用の実行は、大臣の命を受けて統合幕僚長の下で行うものとする。
[2] 現代社会においては、国内外の様々な政治情勢を考慮しつつ、自衛隊の運用をしていかなければならない。そのため、文官を統合幕僚監部の副長クラス以下に組み入れるべきである。
[3] 部隊出動等の決定やその作戦計画の承認などは、防衛政策局を通じ、防衛会議の議を経て、防衛大臣の決裁を仰ぐものとする。
[4] 自衛隊は、現場部隊と中央組織との間に存在する多くの中間司令部の在り方について見直しを行い、情報伝達を迅速かつ正確にし、また、現場の部隊により有能な人材を配置するため、全体として組織のフラット化を図るべきである。
(4)整備分野における施策整備部門の一元化
[1] 防衛力整備の全体最適化を図るため、内部部局、陸・海・空幕僚監部の防衛力整備部門を整理・再編して、整備事業等を一元的に取り扱う新たな整備部門を創設することとし、その具体的在り方については、更に検討するものとする。
その際、統合幕僚監部は、防衛力整備部門に対して、運用上の全体最適の観点から、各自衛隊の装備体系の優先順位などについて、意見を述べるものとする。
他方、陸・海・空幕僚監部は、人事、教育・訓練、補給等の観点から、現場部隊の声が各自衛隊の防衛力整備に適切に反映されるよう、防衛力整備部門に対して意見を述べるものとする。
[2] 重要整備事項については、内閣として策定される防衛力整備の方針に基づき、防衛省の整備部門が選択肢を作成し、内部部局を通じ、防衛会議の議を経て、防衛大臣の決裁を仰ぎ、かつ、内閣レベルでの審議・決定を仰ぐものとする。その他の整備・調達案件は、整備部門において精査し、内部部局を通じ、防衛会議の議を経て、防衛大臣の決裁を仰ぐものとする。
[3] 整備部門の一元化に当たっては、組織構造はできる限り柔軟なものとし、IPT方式の調達を本格的に実施できる体制にすべきである。
[4] 地方調達については全面的見直しを行い、陸・海・空自衛隊の調達に関するデータの一元化を推進するとともに、できる限り中央調達に移行させるべきである。
[5] 調達の透明性を更に確保し、不正を防ぐ観点から、防衛省において、防衛調達に関する規則、及び防衛調達の実施に関する計画について調査審議すべきである。必要に応じ、防衛大臣に対して意見を述べることを業務とする防衛調達審議会を強化するなど、独立性の高い第三者チェック体制を確立すべきである。
(5)その他の重要分野における施策
[1] 管理部門
防衛省・自衛隊の基盤を支える予算、調達、渉外広報、その他の管理部門については、行政的事務が主体であるが、内部部局の組織的充実・活性化を図るため、部隊の実情に精通した自衛官を積極的にスタッフとして登用することが必要である。
また、これらの分野は各機関の重複を避け、防衛省として統合的に遂行すべき分野であることから、極力統合化を図るべきである。その際、これらの分野における重要な事項は、内部部局を通じ、防衛会議の議を経て、防衛大臣の決裁を仰ぐものとする。
[2] 人事、教育・訓練
自衛官の人事、教育・訓練については、規律を維持しつつ精強な部隊を建設するという意味で、陸・海・空幕僚長の下で幕僚監部が主たる責任を負うべき分野である。同時に、内部部局も制度や政策面から統一的に防衛大臣を補佐する必要がある。
Ⅴ 結びにかえて
昨年12月3日に発足して以来、本会議は、防衛省・自衛隊で発生した様々な不祥事について詳細に検討するとともに、防衛省・自衛隊の現場の視察、省内外の関係者との意見交換を数多く行い、防衛省改革にとって何が必要であるかについて議論を重ねてきた。我が国の平和と安全を守り、国際平和活動や災害救援に、日夜献身的な役割を果たしてきた自衛隊員に対して敬意と感謝の念を抱いてきた本会議メンバーの全てにとって、防衛省・自衛隊で最近起きてきた不祥事を分析・検討することはつらい作業であった。圧倒的多数の自衛隊員がまじめに任務についているのに、どうしてこのような不祥事が発生するのか。我々が何か錯覚しているのか。このように思ったこともある。
しかし、不祥事の実態を検討すればするほど、やはり改革は必要だと確信するようになった。前事務次官の規則無視から始まって、初歩的ルールについての無知、基本的作業が遂行されない部隊、情報革命への対応の遅れ、正確な情報伝達に関する心構えの欠落、秘密保全意識の甘さ、組織としての一体感の欠落など、個々の事例を検討すればするほど、この際抜本的な見直しが必要であるとの認識が深まった。
本報告書では、隊員個々人に自らの行動を振り返ってもらうために、「規則遵守の徹底」と「プロフェッショナリズムの確立」という原則を提示し、組織としての行動を変えるために、「全体最適をめざした任務遂行優先型の業務運営の確立」という原則を提示した。自衛隊員各位におかれては、この三つの原則の意味するところを深く認識することを求めたい。
更に、本会議は、これらの原則を空文とさせず、現代の安全保障環境に実効的に対応するための組織改革を提言した。有効で機能する安全保障政策を実施するため、防衛省の範囲を超え、官邸における安全保障政策形成の仕組みについても、提言した。本報告書冒頭で述べたように、本会議は、不祥事さえなければよい組織であるとか、ミスさえなければよいのだ、というような考え方をとらない。我が国の安全保障の根幹である防衛省・自衛隊は、規律正しく積極的に任務遂行に当たる組織でなければならない。
提言の内容については、本文で詳述してあるので繰り返さないが、是非、防衛省そして内閣として、真剣に検討し、改革を推し進めていっていただきたい。改革の実施に当たっては、更に詳細な実務的な実施計画が必要となる。防衛省には、規則遵守、プロフェッショナリズムの確立、業務の改善、更には組織改革に至る実施計画をできるだけ早急にまとめ、官邸に報告し、実施に移すことを求めたい。本報告書で提示した業務配分の見直しや組織改革は全て実行可能なものであると判断するが、真に機能する改革とするため、事前に多面的なシミュレーションを行うことによって、不必要な混乱を招かぬよう、円滑な実施を期すことを求めたい。国の安全保障の根幹を担う組織が、改革のためとはいえ、混乱や停滞をきたしてはならないからである。
今回の検討を通して、防衛省改革については、必要な原則の確認や組織改革は提示できたと思う。しかし、今後検討すべき課題もいくつかある。
防衛省として今後検討すべきテーマとしては、退職した自衛官を如何に活用できるか、処遇するかという課題がある。例えば、多くの退職した幹部自衛官の予備自衛官への採用など、退職した自衛官を国の防衛にどう活用するか、国としてどう処遇するかということについても考えるべきであろう。
国全体として安全保障政策を考えたとき、二つの課題を指摘したい。第1は、防衛省と他省庁とりわけ警察・海上保安庁との関係である。安全保障上の脅威が多様化しつつある現在、防衛省・自衛隊と警察、海上保安庁との関係は、運用面を重視し、更に緊密なものとしていかなければならない。同時に、国全体として必要な機能をどう果たしていくかとの観点から、その役割分担についても検討がなされるべきである。
国全体として考えるべき第2の課題は、国会における秘密会制度の確立という問題である。言うまでもなく憲法は国会が秘密会を開催することを想定している。国会が、安全保障の問題を適切に議論し判断することこそが、文民統制の根幹である。しかし、安全保障問題の特性からして、全てを公開で議論できないことはありうる。だからこそ、他の民主主義国の議会において秘密会が開催されるのであり、日本国憲法もこれを想定しているのである。我が国としても国会における秘密会の在り方について議論することが必要なのではないか。国会に対して意見を述べることは本会議の任務ではないが、国民として、この問題について国会が真剣に取り組んでほしいと希望するものである。
繰り返しになるが、本会議は、防衛省・自衛隊に対して、ミスを防ぐためのみを目的とする些末な規則の網の目をかけようとしているのではない。国際平和活動や災害救援活動で、高い評価を得ている世界の自衛隊である。不祥事を契機として縮こまるのではなく、誇りを持ったプロフェッショナルの集団として再生しなければならない。日本の安全保障の根幹は、まさにこの改革にかかっている。
そして、不祥事の抑制と改革の実現のためには国と社会の理解と励ましが必要である。これら不祥事を犯した防衛省・自衛隊の過去を厳しくとがめるとともに、国の平和と独立を守るという本来の任務を立派に果たそうとする防衛省・自衛隊の今後を、社会は見守り支えねばならないのである。
防衛省改革会議の開催について
平成19年11月16日
内閣官房長官決裁
1.設置の趣旨
今般の補給支援特措法案の審議等を通じて、我が国の防衛・安全保障を担う防衛省の業務遂行について様々な指摘を受けたことを踏まえ、現在、防衛省が抱える問題について、基本に立ち返り、国民の目線に立った検討を行う場として、有識者の参加を得つつ、「防衛省改革会議」(以下「会議」という。)を開催する。
2.検討事項
(1)文民統制の徹底
(2)厳格な情報保全体制の確立
(3)防衛調達の透明性
3.構成
(1)会議は、内閣官房長官及び防衛大臣並びに別紙に掲げる有識者により構成し、内閣官房長官が開催する。
(2)内閣官房長官は、別紙に掲げる有識者の中から、会議の座長を依頼する。
(3)会議は、必要に応じ、構成員以外の関係者の出席を求めることができる。
4.その他
会議の庶務は、防衛省の協力を得て、内閣官房において処理する。
「防衛省改革会議」の委員
五百籏頭 眞 防衛大学校学校長
小 島 明 社団法人日本経済研究センター特別顧問
佐 藤 謙 財団法人世界平和研究所副会長(元防衛事務次官)
竹河内 捷次 株式会社日本航空インターナショナル常勤顧問(元統合幕僚会議議長)
田 中 明彦 東京大学大学院情報学環教授
御 厨 貴 東京大学先端科学技術研究センター教授
◎南 直 哉 東京電力株式会社顧問
上記の他、町村内閣官房長官及び石破防衛大臣が委員である。
注)◎は座長
役職については、平成20年7月現在
防衛省改革会議の開催実績
第1回会議 (平成19年12月3日(月))
議題:防衛省・自衛隊をめぐる諸課題について全般的な意見交換
第2回会議 (平成19年12月17日(月))
議題:文民統制の徹底について
第3回会議 (平成20年1月9日(水))
議題:厳格な情報保全体制の確立について
第4回会議 (平成20年2月1日(金))
議題:防衛調達の透明性について
識者:及川耕造独立行政法人経済産業研究所理事長
西口敏宏一橋大学イノベーション研究センター教授
第5回会議 (平成20年2月13日(水))
議題:文民統制の徹底について
第6回会議 (平成20年3月3日(月))
議題:[1]イージス艦「あたご」の事案について、情報の連絡体制などに関する問題点等
[2]これまでの議論の論点
第7回会議 (平成20年4月7日(月))
議題:総合取得改革推進プロジェクトチーム報告書について(防衛省報告)
第8回会議 (平成20年5月8日(木))
議題:これまでの議論の論点
第9回会議 (平成20年5月21日(水))
議題:防衛省における組織等の在り方に関する検討状況等について(防衛省報告)
第10回会議 (平成20年6月19日(木))
議題:これまでの議論の論点についての全般的な整理
第11回会議 (平成20年7月15日(火))
議題:「報告書」の取りまとめ
防衛省改革会議勉強会等の開催実績
○防衛省改革会議勉強会
第1回勉強会 (平成19年12月11日(火))
議題:文民統制の徹底について
第2回勉強会 (平成19年12月27日(木))
議題:[1]秘密保全に関する政府全体の取り組みについて
[2]厳格な情報保全体制の確立について
第3回勉強会 (平成20年1月28日(月))
議題:防衛調達の透明性について
第4回勉強会 (平成20年2月12日(火))
議題:文民統制の徹底について
第5回勉強会 (平成20年2月28日(木))
議題:イージス艦「あたご」の事案について、情報の連絡体制などに関する問題点等
第6回勉強会 (平成20年4月4日(金))
議題:[1]国家公務員制度改革について
[2]総合取得改革推進プロジェクトチーム報告書について
第7回勉強会 (平成20年5月2日(金))
議題:これまでの議論の論点
第8回勉強会 (平成20年5月16日(金))
議題:防衛省における組織等の在り方に関する検討状況等について
第9回勉強会 (平成20年6月4日(水))
議題:これまでの議論の論点整理
第10回勉強会 (平成20年6月6日(金))
議題:これまでの議論の論点整理
第11回勉強会 (平成20年6月16日(月))
議題:これまでの議論の論点整理
第12回勉強会 (平成20年6月24日(火))
議題:「報告書」の取りまとめ
第13回勉強会 (平成20年6月26日(木))
議題:「報告書」の取りまとめ
第14回勉強会 (平成20年6月30日(月))
議題:「報告書」の取りまとめ
第15回勉強会 (平成20年7月9日(水))
議題:「報告書」の取りまとめ
○防衛調達勉強会
第1回防衛調達勉強会 (平成20年1月17日(木))
第2回防衛調達勉強会 (平成20年1月22日(火))
第3回防衛調達勉強会 (平成20年1月28日(月))
第4回防衛調達勉強会 (平成20年4月18日(金))
識者:江畑謙介 軍事評論家、防衛調達審議会委員
及川耕造 独立行政法人経済産業研究所理事長
小林信雄 トヨタ自動車株式会社常務役員
坂井一郎 弁護士、防衛調達審議会会長
佐藤達夫 三菱商事株式会社顧問
清水俊行 公認会計士、防衛調達審議会委員
庄野凱夫 財団法人ディフェンスリサーチセンター専務理事
西口敏宏 一橋大学イノベーション研究センター教授
日手間公敬 全日本空輸株式会社専務取締役
(五十音順)
○ 部隊等視察及び意見交換
視察 (平成20年2月26日(火))
訪問先:航空自衛隊百里基地、陸上自衛隊習志野駐屯地
意見交換 (平成20年2月26日(火))
議 題:防衛省改革について
相手方:防衛事務次官、陸上幕僚長、航空幕僚長、海上幕僚監部防衛部長
意見交換 (平成20年3月13日(木))
議 題:イージス艦「あたご事案」を踏まえ、海上自衛隊の組織の問題等について
相手方:海上自衛隊幹部(海上幕僚副長、護衛艦隊司令官ほか)
視察 (平成20年3月17日(月))
訪問先:海上自衛隊横須賀地区、統合幕僚監部統合幕僚学校
意見交換 (平成20年3月17日(月))
議題:自衛隊の部隊等の現状について
相手方:統合幕僚学校統合高級課程学生
意見交換 (平成20年3月24日(月))
議題:防衛省改革に関して
相手方:防衛事務次官、統合幕僚長、陸・海・空幕僚長、全防衛参事官
意見交換 (平成20年4月10日(木))
議題:海上自衛隊抜本的改革委員会の検討状況について
相手方:海上自衛隊幹部(海上幕僚副長、海上自衛隊幹部学校副校長ほか)
意見交換 (平成20年4月23日(木))
議題:防衛省改革に関して
相手方:防衛事務次官、統合幕僚長
(図表1)削除
(図表2)削除
防衛省改革会議「報告書」の概要
平成20年7月15日
防衛省改革会議
Ⅰ はじめに
1 平成19年12月、防衛省・自衛隊の不祥事の頻発を受け防衛省改革会議を官邸に設置。
2 個々の事案とそれを許容した組織の問題を解明し、再発防止の方策と改革の方向を示すための検討を重ねる。改革の原則を機能させ、また、組織の任務に沿った実効的な活動が行えるよう、防衛省・自衛隊の組織と意思決定システムの再構築が必要。
3 自衛隊は、多機能・弾力的・実効的に行動すべき時代を迎えている。戦後強調された「軍事実力組織からの安全」の更なる充実強化とともに、今後は「軍事実力組織による安全」という観点との組み合わせが必要。
4 文民統制を確保しつつ、安全保障機能を効果的に果たしうるシステムの改革をここに提案。
Ⅱ 不祥事案 ‐ 問題の所在
1 給油量取違え事案(報告義務不履行):米海軍艦船への給油量について、海幕防衛課長が報告した誤った数値によって統幕議長の記者会見や、防衛庁長官及び官房長官の発言が行われた。誤りを認識した後も訂正をしなかった報告義務不履行は、プロフェッショナリズム(職業意識)の欠如と文民統制への背反。誤りを正す責任が明確でない組織上の問題も正されるべき。
2 情報流出事案(通信情報革命と情報保全):秘密情報を含む業務用データを私有パソコンに取り込んだファイル共有ソフトを介して部外に流出するなどの事案が平成18年まで立て続けに発生。急速な通信情報革命に自衛隊の認識がついていけなかったこと、秘密情報についての保全意識が不徹底であったことが原因。
3 イージス情報流出事案(先端技術の学習と情報保全):特別防衛秘密に該当するイージス情報が正規の手続きを経ることなく教材として利用され、海上自衛隊内に拡散した事案。最先端技術への学習意欲が情報保全意識の欠如と結びついて生じたもの。
4 「あたご」衝突事案(基本動作のゆるみ):海自護衛艦「あたご」が漁船と衝突。基本的な規律のゆるみやルール無視の組織的蔓延、航海技量の欠如がどれほど恐るべき結果を招くかを教える事案。また、事故発生後の幕僚監部と内部部局における緊急時の情報伝達の問題が浮き彫りに。
5 前事務次官の背信:前事務次官が接待や金品供与を受け、防衛装備品の調達に当たって影響力を行使したとされている事案。調達に際して私的利益を動機にすることは、内部部局官僚が誇るべきプロフェッショナリズムから最も遠く、忌まわしい背信行為。最高幹部による重大な逸脱が放置された組織的な背景にも問題。
6 諸事案の総合検討
不祥事の抑制のためには全組織をあげて目標と任務意識を鮮明化しつつミスを極小化する継続的な取組みが不可避。
Ⅲ 改革提言(1)‐ 隊員の意識と組織文化の改革
1 改革の原則
不祥事案の検討・分析を踏まえ、[1]規則遵守の徹底、[2]プロフェッショナリズムの確率、[3]全体最適をめざした任務遂行優先型業務運営の確立、の改革の原則を提唱。
2 規則遵の徹底
自発的な規則遵守意識が組織風土として定着することが必要。また、守るべき事項を明確にするための規則の整理が必要。
(1)幹部職員自身が規則の必要性を理解し、率先垂範すること。
(2)形式よりも必要性に着目した規則遵守についての職場教育。
(3)機密保持に関する規則の徹底と違反行為の厳正な処分。
(4)防衛調達における透明性確保のための責任の所在の明確化、会議録の作成・公開。
(5)抜き打ち監察など監査・監察の強化。
(6)規則の必要性の検討及び見直し。
3 プロフェッショナリズム(職業意識)の確立
プロ意識に徹した上官の統率によって組織全体に高い倫理観、使命感を与えるべき。
(1)幅広い視野を持った幹部要員を養成するため、教育プログラムや行政経験の在り方を見直し。
(2)自衛隊の各部署における業務量と人員配置のバランスを見直し、現場の過度な負担を軽減しつつ、基礎的な職場教育の充実を図る。
(3)現代の安全保障に決定的な意味を持つ情報伝達・保全におけるプロ意識の醸成。
4 全体最適をめざした任務遂行優先型の業務運営の確立
個々の隊員、部隊等の意識改革に加え、任務遂行を中心に全体最適をめざす組織文化を創出することが必要。
(1)文官と自衛官の一体感と陸・海・空自衛隊の一体感醸成による協働体制の確立。
(2)自律的なPDCA(PlanDoCheckAct:計画・実施・評価・改善)サイクルの確立。
(3)民間のベスト・プラクティスを参考にしつつ、自衛隊の基本単位である部隊を統率する指揮官と部下との共通の改善努力。
(4)組織横断的プロジェクトチーム(IPT(IntegratedProjectTeam))方式による政策立案を通じた政策課題への機動的対応。
(5)防衛調達におけるIPT方式の本格的導入。
(6)統合幕僚監部を中心とする統合運用体制の更なる促進。
(7)国民が不信を抱かぬよう、各種会見や中央と部隊の間で整合性の取れた広報の実施。
Ⅳ 改革の提言(2) ‐ 現代的文民統制のための組織改革
1 組織改革の必要性
防衛省・自衛隊が、上記の改革の三原則をより確実・効果的に実行するため、組織面での改革が必要。
2 戦略レベル ‐ 官邸の司令塔機能の強化
防衛省のみならず官邸の司令塔機能強化が必要。
(1)防衛政策の前提となる国全体としての安全保障戦略を明示。
(2)官房長官、外相、防衛相などの閣僚により、安全保障に関わる重要課題を日常的・機動的に議論する会合の充実。
(3)防衛力整備に関する政府の方針等を議論するための関係閣僚会合の設置。あわせてこれを補佐する常設の機関の設置。
(4)安全保障に関わる内閣総理大臣の補佐体制を充実強化するため、内閣官房のスタッフの強化。
3 防衛省における司令塔機能強化のための組織改革
(1)防衛大臣を中心とする政策決定機構の充実
[1]防衛参事官制度を廃止し、防衛大臣補佐官の設置。
[2]防衛会議を法律で明確に位置づけ、副大臣、事務次官、統幕長などの政治家、文官、自衛官の三者による審議を通じ防衛大臣の政策決定・緊急事態対応を補佐。
[3]省としての情報集約や危機管理の対応を行うセンターの設置。
(2)防衛政策局の機能強化
防衛政策の企画・立案・発信機能の向上を図る。また、自衛官を登用して運用面での実情を踏まえた機能強化を図る。とりわけ、国際平和活動等の企画立案や、情報分析能力の向上に取り組む。
(3)統合幕僚監部の機能強化
運用企画局を廃止し、作戦運用の実行は、大臣の命を受けて統合幕僚長の下で実施。また、部隊出動等や作戦計画等の重要事項については、防衛政策局を通じ、防衛会議の議を経て、防衛大臣の決裁を仰ぐ。なお、文官を登用して機能強化を図る。
(4)防衛力整備部門の一元化
[1]防衛力整備の全体最適化を図るため、内部部局、陸・海・空三幕の防衛力整備部門を整理・再編して、整備事業等を一元的に取扱う整備部門を創設することとし、その具体的在り方を更に検討。IPT方式の調達を本格実施できる体制とする。
[2]地方調達については、できる限り中央調達に移行させる見直しを実施。また、独立性の高い第三者チェック体制を強化。
(5)その他の重要分野における施策
[1]管理部門については、部隊の実情に精通した自衛官を積極的に登用すると共に極力統合化を図る。
[2]自衛官の人事、教育・訓練は、陸・海・空三幕が責任を負うが、内部部局も制度や政策面から防衛大臣を補佐。
Ⅴ 結びにかえて
本提言の改革の実施計画を早急にとりまとめ、実施に移すべき。また、組織改革に当たっては、事前に多面的なシミュレーションを行うべき。
防衛省・自衛隊と警察、海上保安庁との関係を更に緊密にするとともに国全体としての機能をどう果たしていくか、というような今後検討すべき課題を提起。
防衛省・自衛隊が誇りを持ったプロフェッショナル集団として再生することを期待。
{文中の[1]はマル1、[2]はマル2、[3]はマル3、[4]はマル4、[5]はマル5、[6]はマル6、[7]はマル7、[8]はマル8、[9]はマル9}