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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書

[場所] 
[年月日] 2014年5月15日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

目次

はじめに・・・1

I.憲法解釈の現状と問題点・・・4

1.憲法解釈の変遷と根本原則・・・4

(1)憲法解釈の変遷・・・4

(2)憲法第9条の解釈に係る憲法の根本原則・・・8

2.我が国を取り巻く安全保障環境の変化・・・10

3.我が国として採るべき具体的行動の事例・・・13

II.あるべき憲法解釈・・・17

1.憲法第9条第1項及び第2項・・・17

2.憲法上認められる自衛権・・・22

3.軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加・・・24

4.いわゆる「武力の行使との一体化」論・・・25

5.国連PKO等への協力と武器使用・・・27

6.在外自国民の保護・救出等・・・29

7.国際治安協力・・・31

8.武力攻撃に至らない侵害への対応・・・32

III.国内法制の在り方・・・・34

IV.おわりに・・・・36



(参考資料)

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の開催について」

(平成25年2月7日内閣総理大臣決裁/平成25年9月17日一部改正)・・・40

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」構成員

(平成26年5月15日現在)・・・41

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」開催状況・・・42



はじめに

 2007年5月、安倍晋三内閣総理大臣は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置した。これまで、政府は、我が国は国際連合憲章第51条及び日米安全保障条約に明確に規定されている集団的自衛権を権利として有しているにもかかわらず、行使することはできないなどとしてきた。安倍総理が当時の懇談会に対し提示した「4つの類型」は、特に憲法解釈上大きな制約が存在し、適切な対応ができなければ、我が国の安全の維持、日米同盟の信頼性、国際の平和と安定のための我が国の積極的な貢献を阻害し得るようなものであり、我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえ、従来の政府の憲法解釈が引き続き適切か否かを検討し、我が国が行使できない集団的自衛権等によって対応すべき事態が生じた場合に、我が国として効果的に対応するために採るべき措置とは何かという問題意識を投げかけるものであった。これら「4つの類型」は、(1)公海における米艦の防護、(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、(3)国際的な平和活動における武器使用、(4)同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援についてであった。

 これを受け、当時の懇談会では、我が国を巡る安全保障環境の下において、このような事態に有効に対処するためには我が国は何をなすべきか、これまでの政府の憲法解釈を含む法解釈でかかる政策が実行できるか否か、いかなる制約があるか、またその法的問題を解決して我が国の安全を確保するにはいかなる方策があり得るか等について真摯に議論を行い、2008年6月に報告書を提出した。報告書では、「4つの類型」に関する具体的な問題を取り上げ、これまでの政府の解釈をそのまま踏襲することでは、今日の安全保障環境の下で生起する重要な問題に適切に対処することは困難となってきており、自衛隊法等の現行法上認められている個別的自衛権や警察権の行使等では対処し得ない場合があり、集団的自衛権の行使及び集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更すべきであるなどの結論に至った。具体的には、4類型の各問題について以下のように提言を行った。

 (1)公海における米艦の防護については、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合これを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権及び自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により反射的効果として米艦の防護が可能であるというこれまでの憲法解釈及び現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対処することができない。よって、このような場合に備えて、集団的自衛権の行使を認めておく必要がある。

 (2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃についても、従来の自衛権概念や国内手続を前提としていては十分に実効的な対応ができない。米国に向かう弾道ミサイルを我が国が撃ち落す能力を有するにもかかわらず撃ち落さないことは、我が国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになるので、絶対に避けなければならない。この問題は、個別的自衛権や警察権によって対応するという従来の考え方では解決し得ない。よって、この場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない。

 (3)国際連合(国連)平和維持活動(PKO)等の国際的な平和活動への参加は、憲法第9条で禁止されないと整理すべきであり、自己防護に加えて、同じ活動に参加している他国の部隊や要員への駆け付け警護及び任務遂行のための武器使用を認めることとすべきである。

 (4)同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援については、これまでの「武力の行使との一体化論」をやめ、政策的妥当性の問題として検討すべきである。

 以上の提言には、我が国による集団的自衛権の行使及び国連の集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更することが含まれていたが、これらの解釈の変更は、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正を必要とするものではないとした。

 我が国を取り巻く安全保障環境は、前回の報告書提出以降わずか数年の間に一層大きく変化した。北朝鮮におけるミサイル及び核開発や拡散の動きは止まらず、さらに、特筆すべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、我が国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化してきていることである。このような中で、国際社会における平和の維持と構築における我が国の安全保障政策の在り方をますます真剣に考えなくてはならない状況となっている。また、アジア太平洋地域の安定と繁栄の要である日米同盟の責任も、更に重みを増している。

 このような情勢の変化を踏まえて、安倍総理は、2013年2月、本懇談会を再開し、我が国の平和と安全を維持するために、日米安全保障体制の最も効果的な運用を含めて、我が国は何をなすべきか、過去4年半の変化を念頭に置き、また将来見通し得る安全保障環境の変化にも留意して、安全保障の法的基盤について再度検討するよう指示した。

 その際、2008年の報告書の4類型に限られることなく、上記以外の行為についても、新たな環境の下で我が国が対応する必要性が生じることを確認しつつ、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために採るべき具体的行動、あるべき憲法解釈の背景となる考え方、あるべき憲法解釈の内容、国内法制の在り方についても検討を行うこ

ととなった。

 以上を踏まえ、本報告書においては、以下、I.において、まず政府の憲法解釈の変遷を概観した後、憲法第9条の解釈に係る日本国憲法の根本原則は何であるかを明確にし、我が国を取り巻く安全保障環境にどのような変化があったのかを検討し、従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができないと考えられる具体的な事例を示す。その上で、II.において、我が国の平和と安全を維持し地域及び国際社会の平和と安定を実現していく上であるべき憲法解釈を提示する。さらに、III.においてこれを踏まえた国内法の整備等を進めるに当たって考えるべき主な要素について提言することとする。



I.憲法解釈の現状と問題点

1.憲法解釈の変遷と根本原則

 (1)憲法解釈の変遷

 あるべき憲法解釈について論じる前に、まず、憲法第9条を巡る憲法解釈は、国際情勢の変化の中で、戦後一貫していたわけではないということを見ていく必要がある。

 1946年6月、当時の吉田茂内閣総理大臣は、新憲法を審議し制定した旧憲法下の帝国議会において、「自衛権ニ付テノ御尋ネデアリマス、戦争抛棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ抛棄シタモノデアリマス」と述べた*(注1)*(衆議院本会議(1946年6月26日))。また、同年吉田総理は、「國際聯合に日本が獨立國として加入致しました場合に於ては、一應此の憲章に依つて保護せられる」と述べており*(注2)*、このような帝国議会における議論を見れば、日本国憲法が制定された当時、少なくとも観念的には我が国の安全を1年前の1945年に成立したばかりの国連の集団安全保障体制に委ねることを想定していたと考えられる。

 しかし、その後、このような考え方は大きく変化した。すなわち、冷戦の進行が始まり、国連は想定されたようには機能せず、1950年6月には朝鮮戦争が勃発し、1952年4月に我が国が主権を回復し、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧・日米安全保障条約)を締結し、1954年7月に自衛隊が創設されたが、1954年12月、大村清一防衛庁長官は、「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。」と答弁し、憲法解釈を大きく変えた(衆議院予算委員会(1954年12月22日))。

 また、最高裁判所は、1959年12月のいわゆる砂川事件大法廷判決において、「同条(引用注:憲法第9条)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」という法律判断を示したことは特筆すべきである*(注3)*。この砂川事件大法廷判決は、憲法第9条によって自衛権は否定されておらず、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を採り得ることは国家固有の権利の行使として当然であるとの判断を、司法府が初めて示したものとして大きな意義を持つものである。さらに、同判決が、我が国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべきである。

 一方、集団的自衛権の議論が出始めたのは、1960年の日米安全保障条約改定当時からである。当初は、同年3月の参議院予算委員会で当時の岸信介内閣総理大臣が、「特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない」、「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのであります。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えております。」と答弁しているように、海外派兵の禁止という文脈で議論されていた*(注4)*。それがやがて集団的自衛権一般の禁止へと進んでいった。

 政府は、憲法前文及び同第13条の双方に言及しつつ、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることができることを明らかにする一方、そのような措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示すに至った。すなわち、1972年10月に参議院決算委員会に提出した資料*(注5)*において、「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」とした。続けて、同資料は、「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」とし、さらに、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」として、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示した。

 同様に、政府は、1981年5月、質問主意書に対する答弁書において、「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。」との見解を示した*(注6)*。加えて、同答弁書は、「集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない。」とした。集団的自衛権の行使は憲法上一切許されないという政府の憲法解釈は、今日に至るまで変更されていない。

 そもそも、いかなる組織も、その基本的な使命達成のために、自らのアイデンティティを失うことのない範囲で、外界の変化に応じて自己変容を遂げていかなければならない。そうできない組織は、衰退せざるを得ないし、やがて滅亡に至るかもしれない。国家においても、それは同様である。国家の使命の最大のものは、国民の安全を守ることである。その目的のために、外界の変化に対応して、基本ルールの範囲の中で、自己変容を遂げなければならない。更に言えば、ある時点の特定の状況の下で示された憲法論が固定化され、安全保障環境の大きな変化にかかわらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直化するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない。それは主権者たる国民を守るために国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹に対する背理である。

 軍事技術が急速に進歩し、また、周辺に強大な軍事力が存在する中、我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増している中で、将来にわたる国際環境や軍事技術の変化を見通した上で、我が国が本当に必要最小限度の範囲として個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか、という点についての論証はなされてこなかった点に留意が必要である。また、個別的自衛権と集団的自衛権を明確に切り分け、個別的自衛権のみが憲法上許容されるという文理解釈上の根拠は何も示されていない。この点については、「II.あるべき憲法解釈」の章で再び取り上げる。

 また、国連等が行う国際的な平和活動への参加については、1960年代には、内閣法制局は、我が国が正規の国連軍に対して武力行使を含む部隊を提供することは憲法上問題ないと判断していたが*(注7)*、その後、たとえば稲葉誠一衆議院議員提出質問主意書に対する答弁書(1980年10月28日)において、「・・・いわゆる「国連軍」(引用注:国連がその「平和維持活動」として編成したいわゆる「国連軍」)は、個々の事例によりその目的・任務が異なるので、それへの参加の可否を一律に論ずることはできないが、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと考えている」とされ、また、1988年5月14日の衆議院安全保障委員会において秋山收内閣法制局第一部長が「もとより集団的安全保障あるいはPKOにかかわりますいろいろな行動のうち、憲法第9条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為につきましては、我が国としてこれを行うことが許されない」と答弁しているとおり、政府は、武力の行使につながる可能性のある行為は憲法第9条違反であるとしてきた*(注8)*。一方で、いわゆる「正規の国連軍」参加の合憲性についてはこれを憲法第9条違反とは判断せず「研究中」(衆議院予算委員会(1990年10月19日)における工藤敦夫内閣法制局長官答弁)、「特別協定が決まらなければ、そ

のあたりの確定的な評価ができない」(衆議院予算委員会(1998年3月18日)における大森政輔内閣法制局長官答弁)としている*(注9)*。

(2)憲法第9条の解釈に係る憲法の根本原則

 次に、上記(1)で述べたこれまでの憲法解釈の変遷の経緯を認識した上で、下記2.で述べる我が国を取り巻く安全保障環境の変化を想起しつつ、憲法第9条の解釈を考えるに当たって、最も重要な拠り所とすべき憲法の根本原則を確認する。

(ア)基本的人権の根幹としての平和的生存権及び生命・自由・幸福追求権

 上述の1972年の政府の見解にあるように、日本国憲法前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」として平和的生存権を確認し、また、同第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」として国民の生命、自由及び幸福追求の権利について定めている。これらは他の基本的人権の根幹と言うべき権利である。これらを守るためには、我が国が侵略されず独立を維持していることが前提条件であり、外からの攻撃や脅迫を排除する適切な自衛力の保持と行使が不可欠である。つまり、自衛力の保持と行使は、憲法に内在する論理の帰結でもある。

(イ)国民主権

 また、日本国憲法前文は国民主権を「人類普遍の原理」とし「これに反する一切の憲法・・・を排除する」と規定している。「国民主権原理」は、「基本的人権」と同様、いかなる手段によっても否定できないいわば根本原則として理解されている。「国民主権原理」の実現には主権者たる国民の生存の確保が前提である。そのためには、我が国の平和と安全が維持されその存立が確保されていなければならない。平和は国民の希求するところである。同時に、主権者である国民の生存、国家の存立を危機に陥れることはそのような憲法上の観点からしてもあってはならない。国権の行使を行う政府の憲法解釈が国民と国家の安全を危機に陥れるようなことがあってはならない。

(ウ)国際協調主義

 さらに、日本国憲法は、前文で「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」と謳{うたとルビあり}い、国際協調主義を掲げている。なお、憲法第98条は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と述べて国際法規の誠実な遵守を定めている。このような憲法の国際協調主義の精神から、国際的な活動への参加は、我が国が最も積極的に取り組むべき分野と言わねばならない。

(エ)平和主義

 平和主義は日本国憲法の根本原則の一つであり、今後ともこれを堅持していかなければならない。後述するとおり、日本国憲法の平和主義は、沿革的に、侵略戦争を違法化した戰爭抛棄に關する條約(不戦条約)(1928年)や国際連合憲章(1945年)等、20世紀前半以降の国際法思潮と密接な関係がある。憲法前文の「日本国民は、(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」という文言に体現されているとおり、我が国自身の不戦の誓いを原点とする憲法の平和主義は、侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄することを定めた憲法第9条の規定によって具体化されている。他方、憲法前文が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と定めるとともに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と定め、国際協調主義を謳っていることからも、我が国の平和主義は、同じく日本国憲法の根本原則である国際協調主義を前提として解されるべきである。すなわち、日本国憲法の平和主義は、自国本位の立場ではなく、国際的次元に立って解釈すべきであり、それは、自ら平和を乱さないという消極的なものではなく、平和を実現するために積極的行動を採るべきことを要請しているものと言える。政府は、2013年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」において、我が国が、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していくことを掲げているが、日本国憲法の平和主義は、この「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の基礎にあるものであると言える。

2.我が国を取り巻く安全保障環境の変化

 我が国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増している。このような傾向は、2008年の報告書の時に比べ、一層顕著となっている。

 第1は、技術の進歩と脅威やリスクの性質の変化である。今日では、技術の進歩やグローバリゼーションの進展により、大量破壊兵器及びその運搬手段は拡散・高度化・小型化しており、また、国境を越える脅威が増大し、国際テロの広がりが懸念されている。例えば北朝鮮は、度重なる国連安全保障理事会による非難・制裁決議を無視して、既に日本全土を覆う弾道ミサイルを配備し、米国に到達する弾道ミサイルを開発中である。北朝鮮は、また、核実験を三度実施しており、核弾頭の小型化に努めているほか、生物・化学兵器を保有していると見られる。また現在、様々な主体によるサイバー攻撃が社会全体にとって大きな脅威・リスクとなっている。その対象は国家、企業、個人を超えて重層化・融合化が進み、国際社会の一致した迅速な対応が求められる。すなわち、世界のどの地域で発生する事象であっても、直ちに我が国の平和と安全に影響を及ぼし得るのである。したがって、従来のように国境の内側と外側を明確に区別することは難しくなっている。また、宇宙についても、その利用が民生・軍事双方に広がっていることから、その安定的利用を図るためには、平素からの監視とルール設定を含め、米国との協力を始めとする国際協力の一層の強化が求められている。

 第2は、国家間のパワーバランスの変化である。このパワーバランスの変化の担い手は、中国、インド、冷戦後復活したロシア等国力が増大している国であり、国際政治の力学にも大きな影響を与えている。特にアジア太平洋地域においては緊張が高まっており、領土等を巡る不安定要素も存在する。中国の影響力の増大は明らかであり、公表国防費の名目上の規模は、過去10年間で約4倍、過去26年間で約40倍の規模となっており、国防費の高い伸びを背景に、近代的戦闘機や新型弾道ミサイルを含む最新兵器の導入とその量的拡大が顕著である。中国の国防費に関しては引き続き不透明な部分が多いが、2014年度公式発表予算額でも12兆円以上であり、我が国の3倍近くに達している。この趨勢が続けば、一層強大な中国軍が登場する。また、領有権に関する独自の主張に基づく力による一方的な現状変更の試みも看取されている。以上のような状況を踏まえれば、これに伴うリスクの増大が見られ、地域の平和と安定を確保するために我が国がより大きな役割を果たすことが必要となっている。

 第3の変化は、日米関係の深化と拡大である。1990年代以降は、弾道ミサイルや国際テロを始めとした多様な事態に対処するための運用面での協力が一層重要になってきており、これまでの安全保障・防衛協力関係は大幅に拡大している。その具体的な表れとして、装備や情報を含めた様々なリソースの共有が進んでおり、今後ともその傾向が進むことが予想される。2013年10月に開催された日米安全保障協議委員会(「2+2」)において、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しを行うことで合意され、日米間の具体的な防衛協力における役割分担を含めた安全保障・防衛協力の強化について議論していくこととなっている。日米同盟なくして、我が国が単独で上記第1及び第2のような状況の変化に対応してその安全を全うし得ないことは自明であるとともに、同時に半世紀以上前の終戦直後とは異なり、我が国が一方的に米国の庇護を期待するのではなく、日米両国や関係国が協力して地域の平和と安全に貢献しなければならない時代になっている。同盟の活力を維持し、更に深化させるためには、より公平な負担を実現すべく不断の努力を続けていくことが必要になっているのである。このように、安全保障の全ての面での日米同盟の強化が不可欠であるが、これに加え、地域の平和と安定を確保するために重要な役割を果たすアジア太平洋地域内外のパートナーとの信頼・協力関係も必要となっている。

 第4の変化は、地域における多国間安全保障協力等の枠組みの動きである。1967年に設立されたASEAN(東南アジア諸国連合)に加え、冷戦の終結や共通の安全保障課題の拡大に伴い、経済分野におけるAPEC(アジア太平洋経済協力、1989年)や外交分野におけるARF(ASEAN地域フォーラム、1994年)にとどまらず、EAS(東アジア首脳会議、2005年)の成立・拡大やADMMプラス(拡大ASEAN国防相会議、2010年)の創設など、政治・安全保障・防衛分野においても様々な協力の枠組みが重層的に発展してきている。我が国としては、こうした状況を踏まえ、より積極的に各種協力活動に幅広く参加し、指導的な役割を果たすことができるような制度的・財政的・人的基盤を整備することが求められる。

 第5の変化は、アフガニスタンやイラクの復興支援、南スーダンの国づくり、また、シーレーンを脅かすアデン湾における海賊対処のように、国際社会全体が対応しなければならないような深刻な事案の発生が増えていることである。また、国連PKOを例にとれば、停戦監視といった任務が中心であったいわゆる伝統型から、より多様な任務を持つように変化するなど、近年、軍事力が求められる運用場面がより多様化し、復興支援、人道支援、海賊対処等に広がるとともに、世界のどの地域で発生する事象であっても、より迅速かつ切れ目なく総合的な視点からのアプローチが必要となっている。こうした国連を中心とした紛争対処、平和構築や復興支援の重要性はますます増大しており、国際社会の協力が一層求められている。

 最後に、第6の変化は、自衛隊の国際社会における活動である。1991年のペルシャ湾における機雷掃海以降今日まで、自衛隊は直近の現在活動中の南スーダンにおける活動を含めて33件の国際的な活動に参加し、実績を積んできた。その中には、1992年のカンボジアにおける国連PKO、1993年のモザンビークにおける国連PKO、1994年のザイール共和国(当時)東部におけるルワンダ難民救援のための人道的な国際救援活動、2001年の米国同時多発テロ事件後の「不朽の自由作戦」に従事する艦船に対するインド洋における補給支援活動、2003年から2009年に至るイラク人道復興支援活動等が含まれる。海外における大規模災害に際しても、近年、自衛隊は、その機能や能力を活かした国際緊急援助活動を積極的に行ってきており、最近の例を挙げれば、2013年11月にフィリピンを横断した台風により同国で発生した被害に関し、1,200人規模の自衛隊員が、被災民の診療、ワクチン接種、防疫活動、物資の空輸、被災民の空輸等の活動を実施した。2007年には国際緊急援助活動を含む国際平和協力活動が自衛隊の「本来任務」と位置付けられた。自衛隊の実績と能力は、国内外から高く評価されており、復興支援、人道支援、教育、能力構築、計画策定等様々な分野で、今後一層の役割を担うことが必要である。

 以上をまとめれば、我が国の外交・安全保障・防衛を巡る状況は大きく変化しており、最近の戦略環境の変化はその規模と速度において過去と比べても顕著なものがあり、予測が困難な事態も増えている。これまでは、少なからぬ分野において、いわば事態の発生に応じて、憲法解釈の整理や新たな個別政策の展開を逐次図ってきたことは事実であるが、変化の規模と速度に鑑みれば、我が国の平和と安全を維持し、地域及び国際社会の平和と安定を実現していく上では、従来の憲法解釈では十分に対応することができない状況に立ち至っている。

3.我が国として採るべき具体的行動の事例

 2008年の報告書では、4類型(<1>公海における米艦の防護、<2>米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、<3>国際的な平和活動における武器使用、<4>同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援)のそれぞれに関し、懇談会の提言を提示した。本懇談会では、これに加え、上述のような我が国を取り巻く安全保障環境の変化に鑑みれば、例えば以下のような事例において我が国が対応を迫られる場合があり得るが、従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができず、こうした事例に際して我が国が具体的な行動を採ることを可能とするあるべき憲法解釈や法制度を考える必要があるという問題意識が共有された。なお、以下の事例は上述の4類型と同様に飽くまで次ページ以下で述べる憲法解釈や法制度の整理の必要性を明らかにするための具体例として挙げたものであり、これらの事例のみを合憲・可能とすべきとの趣旨ではない。

<1>事例1:我が国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦等への攻撃排除等

‐‐我が国の近隣で、ある国に対する武力攻撃が発生し、米国が集団的自衛権を行使してこの国を支援している状況で、海上自衛隊護衛艦の近傍を攻撃国に対し重要な武器を供給するために航行している船舶がある場合、たとえ被攻撃国及び米国から要請があろうとも、我が国は、我が国への武力攻撃が発生しない限り、この船舶に対して強制的な停船・立入検査や必要な場合の我が国への回航を実施できない。現行の憲法解釈ではこれらの活動が「武力の行使」に当たり得るとされるためである。しかし、このような事案が放置されれば、紛争が拡大し、やがては我が国自身に火の粉が降りかかり、我が国の安全に影響を与えかつ国民の生命・財産が直接脅かされることになる。

‐‐また、被攻撃国を支援する米国その他の国々の艦船等が攻撃されているときには、これを排除するよう我が国が協力する必要がある。この点に関連して、現行の「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」(周辺事態安全確保法)では、自衛隊による後方地域支援又は後方地域捜索救助活動は、後方地域、すなわち「我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範囲」でしか実施できず*(注10)*、また、弾薬を含む武器の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油及び整備については当時は米軍からのニーズがなかったとして含まれていない等、米国に対する支援も限定的であり、また、そもそも米国以外の国に対する支援は規定されておらず、不可能である。

‐‐そもそも「抑止」を十分に機能させ、我が国有事の可能性を可能な限り低くするためには、法的基盤をしかるべく整備する必要がある。

<2>事例2:米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援

‐‐米国も外部からの侵害に無傷ではあり得ない。例えば、2001年の米国同時多発テロ事件では、民間航空機がハイジャックされ、米国の経済、軍事を象徴する建物に相次いで突入する自爆テロが行われ、日本人を含む約三千人の犠牲者が出た*(注11)*。仮に米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受け、その後、攻撃国に対して他の同盟国と共に自衛権を行使している状況において、現行の憲法解釈では、我が国が直接攻撃されたわけではないので我が国ができることに大きな制約がある。

‐‐我が国を攻撃しようと考える国は、米国が日米安全保障条約上の義務に基づき反撃する可能性が高いと考えるからこそ思いとどまる面が大きい。その米国が攻撃を受けているのに、必要な場合にも我が国が十分に対応できないということであれば、米国の同盟国、日本に対する信頼は失われ、日米同盟に甚大な影響が及ぶおそれがある。日米同盟が揺らげば我が国の存立自体に影響を与えることになる。

‐‐我が国は、我が国近傍の国家から米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受けた場合、米国防衛のための米軍の軍事行動に自衛隊が参加することはおろか、例えば、事例1で述べたように、攻撃国に武器を供給するために航行している船舶の強制的な停船・立入検査や必要な場合の我が国への回航でさえも、現行の憲法解釈では「武力の行使」に当たり得るとして実施できない。船舶の検査等は、陸上の戦闘のような活動とは明らかに異なる一方で、攻撃国への武器の移転を阻む洋上における重要な活動であり、こうしたことを実施できるようにすべきである。また、場合によっては米国以外の国々とも連携する必要があり、こうした国々をも支援することができるようにすべきである。

<3>事例3:我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去

‐‐湾岸戦争に際してイラクは、ペルシャ湾に多数の機雷を敷設し、当該機雷は世界の原油の主要な輸送経路の一つである同湾における我が国のタンカーを含む船舶の航行の重大な障害となった。今後、我が国が輸入する原油の大部分が通過する重要な海峡等で武力攻撃が発生し、攻撃国が敷設した機雷で海上交通路が封鎖されれば、我が国への原油供給の大部分が止まる。これが放置されれば、我が国の経済及び国民生活に死活的な影響があり、我が国の存立に影響を与えることになる。

‐‐武力紛争の状況に応じて各国が共同して掃海活動を行うことになるであろうが、現行の憲法解釈では、我が国は停戦協定が正式に署名される等により機雷が「遺棄機雷」と評価されるようになるまで掃海活動に参加できない。そのような現状は改める必要がある。

<4>事例4:イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加

‐‐イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生し、国際正義が蹂躙{じゅうりんとルビあり}され国際秩序が不安定になれば、我が国の平和と安全に無関係ではあり得ない。例えばテロが蔓延{蔓にまんとルビあり}し、我が国を含む国際社会全体へ無差別な攻撃が行われるおそれがあり、我が国の安全、国民の生命・財産に甚大な被害を与えることになる。

‐‐我が国は、国連安全保障理事会常任理事国が一国も拒否権を行使せず、軍事的措置を容認する国連安全保障理事会決議が採択された場合ですら、現行の憲法解釈では、支援国の海軍艦船の防護といった措置が採れないし、また、支援活動についても、後方地域における、しかも限られた範囲のものしかできない。加えて、現状では国内法の担保もないので、その都度特別措置法等のような立法も必要である。

‐‐国際の平和と安全の維持・回復のための国連安全保障理事会の措置に協力することは、国際連合憲章に明記された国連加盟国の責務である。国際社会全体の秩序を守るために必要な貢献をしなければ、それは、自らのよって立つ安全の土台を掘り崩すことになる。

<5>事例5:我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊を継続する場合の対応

‐‐2004年11月に、先島群島周辺の我が国領海内を潜没航行している中国原子力潜水艦を海上自衛隊のP-3Cが確認した。また、2013年5月には、領海への侵入はなかったものの、接続水域内を航行する潜没潜水艦を海上自衛隊のP-3Cが相次いで確認した。現行法上、我が国に対する「武力攻撃」(=一般に組織的・計画的な武力の行使)がなければ、防衛出動に伴う武力の行使はできない。潜没航行する外国潜水艦が我が国領海に侵入してきた場合、自衛隊は警察権に基づく海上警備行動等によって退去要求等を行うことができる(2004年のケース)が、その潜水艦が執拗に徘徊を継続するような場合に、その事態が「武力攻撃事態」と認定されなければ、現行の海上警備行動等の権限では自衛隊が実力を行使してその潜水艦を強制的に退去させることは認められていない。このような現状を放置してはならない。

<6>事例6:海上保安庁等が速やかに対処することが困難な海域や離島等において、船舶や民間人に対し武装集団が不法行為を行う場合の対応

‐‐このような場合、海上における事案については、当該事案が自衛隊法第82条にいう「海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が命令することによって、自衛隊部隊が海上警備行動を採ることができる。また、陸上における事案については、当該事案が自衛隊法第78条にいう「一般の警察力をもつては、治安を維持することができないと認められる場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣が命令することによって、自衛隊部隊が治安出動することができる。さらに、防衛大臣は、事態が緊迫し、防衛出動命令が予想される場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊等にあらかじめ展開させることが見込まれる地域内において防御施設を構築する措置を命ずることができる。

‐‐しかし、このような海上警備行動や治安出動、防御施設構築の措置等の発令手続を経る間に、仮にも対応の時機を逸するようなことが生じるのは避けなければならないが、部隊が適時に展開する上での手続的な敷居が高いため、より迅速な対応を可能とするための手当てが必要である。

‐‐事例5及び6のような場合を含め、武力攻撃に至らない侵害を含む各種の事態に応じた対応を可能とすべく、どのような実力の行使が可能か、国際法の基準に照らし検討する必要がある。

‐‐現在の法制度では、防衛出動との間に権限の隙間が生じ得ることから、結果として相手を抑止できなくなるおそれがある。

II.あるべき憲法解釈

 上記I.で述べた認識を踏まえ、本懇談会は、あるべき憲法解釈として、以下を提言する。

1.憲法第9条第1項及び第2項

(1)憲法第9条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定しており、自衛権や集団安全保障については何ら言及していない。しかしながら、我が国が主権を回復した1952年4月に発効した日本国との平和条約(サン・フランシスコ平和条約)においても、我が国が個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することや集団安全保障措置への参加は認められており*(注12)*、また、我が国が1956年9月に国連に加盟した際も、国際連合憲章に規定される国連の集団安全保障措置や、加盟国に個別的又は集団的自衛の固有の権利を認める規定(第51条*(注13)*)について何ら留保は付さなかった。

 憲法第9条第1項が我が国による武力による威嚇又は武力の行使を例外なく禁止していると解釈するのは、不戦条約や国際連合憲章(1945年)等の国際法の歴史的発展及び憲法制定の経緯から見ても、適切ではない。1946年に公布された日本国憲法は、20世紀前半の平和主義、戦争違法化に関する国際法思潮から大きな影響を受けている。我が国憲法第9条の規定は、20世紀に確固たる潮流となった国際平和主義の影響を深く受けているのであり、国際社会の思潮と孤絶しているわけではない。不戦条約は、「国際紛争解決ノ為」に戦争に訴えることを非とし、「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」を放棄することを規定することで、締約国間の侵略戦争の放棄を約束した。この戦争違法化の流れを汲んで作成された国際連合憲章は、日本国憲法公布の1年前に採択されたものである。国際連合憲章は、加盟国の国際関係における「武力の行使」を原則として禁止したが、国連の集団安全保障措置としての軍事的措置及び個別的又は集団的自衛の固有の権利(第51条)の行使としての「武力の行使」を実施することは例外的に許可している。また、日本国憲法の起草経緯を見れば、憲法第9条の起点となったマッカーサー三原則(1946年2月3日)の第二原則*(注14)*は、日本は自らの紛争を解決するための手段としての戦争を放棄する(Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes)となっている。政府も1946年の時点で既に吉田総理が新憲法草案に関し、先述のとおり「戦争抛棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌ(略)」と述べていた(衆議院本会議(1946年6月26日))のであり、また、自衛隊創設時の国会答弁においては「戦争と武力の威嚇・武力の行使が放棄されるのは『国際紛争を解決する手段としては』ということである。」「他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。」と述べていたのである(前掲の大村清一防衛庁長官答弁)。

 これらの経緯を踏まえれば、憲法第9条第1項の規定(「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」)は、我が国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇又は武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、また国連PKO等や集団安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである。

 なお、国連PKO等における武器使用を、第9条第1項を理由に制限することは、国連の活動への参加に制約を課している点と、下記5.で述べるとおり「武器の使用」を「武力の行使」と混同している点で、二重に適切でない解釈であることを指摘しておきたい。

(2)憲法第9条第2項は、第1項において、武力による威嚇や武力の行使を「国際紛争を解決する手段」として放棄すると定めたことを受け、「前項の目的を達するため」に戦力を保持しないと定めたものである。したがって、我が国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使に用いる戦力の保持は禁止されているが、それ以外の、すなわち、個別的又は集団的を問わず自衛のための実力の保持やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである。これら(1)及び(2)と同様の考え方は前回2008年6月の報告書でもとられていた。

(3)上述の前回報告書の立場、特に(2)で述べた個別的又は集団的を問わず自衛のための実力の保持や、いわゆる国際貢献のための実力の保持は合憲であるという考え方は、憲法第9条の起草過程において、第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が後から挿入された(いわゆる「芦田修正」*(注15)*)との経緯に着目した解釈であるが、政府はこれまでこのような解釈をとってこなかった。再度政府の解釈を振り返れば、前述のとおり、政府は、1946年の制憲議会の際に吉田総理答弁において自衛戦争も放棄したと明言していたにもかかわらず、1954年以来、国家・国民を守るために必要最小限度の自衛力の保持は主権国家の固有の権利であるという解釈を打ち出した。この解釈は最高裁判所でも否定されていない。しかし、その後の国会答弁において、政府は憲法上認められる必要最小限度の自衛権の中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を打ち出し、今もってこれに縛られている。集団的自衛権の概念が固まっていなかった当初の国会論議の中で、その概念の中核とされた海外派兵の自制という文脈で打ち出された集団的自衛権不行使の議論は、やがて集団的自衛権一般の不行使の議論として固まっていくが、その際どうして我が国の国家及び国民の安全を守るために必要最小限の自衛権の行使は個別的自衛権の行使に限られるのか、逆に言えばなぜ個別的自衛権だけで我が国の国家及び国民の安全を確保できるのかという死活的に重要な論点についての論証は、上記I.1.(1)の憲法解釈の変遷で述べたとおり、ほとんどなされてこなかった。すなわち、政府は「外国の武力攻撃によって国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」(1972年10月に参議院決算委員会に提出した政府の見解)として、集団的自衛権の不行使には何の不都合もないと断じ、集団的自衛権を行使できなくても独力で我が国の国家及び国民の安全を本当に確保できるのか、ということについて詳細な論証を怠ってきた。

 国家は他の信頼できる国家と連携し、助け合うことによって、よりよく安全を守り得るのである。集団的自衛権の行使を可能とすることは、他の信頼できる国家との関係を強固にし、抑止力を高めることによって紛争の可能性を未然に減らすものである。また、仮に一国が個別的自衛権だけで安全を守ろうとすれば、巨大な軍事力を持たざるを得ず、大規模な軍拡競争を招来する可能性がある。したがって、集団的自衛権は全体として軍備のレベルを低く抑えることを可能とするものである。一国のみで自国を守ろうとすることは、国際社会の現実に鑑みればむしろ危険な孤立主義にほかならない。

 そもそも国際連合憲章中の集団的自衛権の規定は、1945年の国際連合憲章起草の際に国連安全保障理事会の議決手続に拒否権が導入されることになった結果、国連安全保障理事会の機能に危惧が抱かれるようになり、そのため個別的自衛権のみでは生存を全うできないと考えた中南米のチャプルテペック協定参加国が提唱して認められたものであるという起草経緯を改めて想起する必要がある。

 国際連合憲章では、第2条4により国際関係における武力の行使が禁じられているが、第51条に従って個別的又は集団的自衛のために武力を行使する権利は妨げられない。これは、同条に明記されているとおり、自衛権が国家が当然に有している固有の権利(「自然権」(droit naturel))であるからである*(注16)*。また、今日、集団的自衛権は慣習国際法上の権利であるとされており、この点については国際司法裁判所もその判決中で明確に示している(1986年6月「ニカラグア軍事・準軍事活動事件〔本案〕」国際司法裁判所判決*(注17)*)。国際社会における諸国間の国力差及び国連安全保障理事会における拒否権の存在やその機能・手法を考えれば、国連の集団安全保障体制が十分に機能するまでの間、中小国は自己に対する攻撃を独力で排除することだけを念頭に置いていたら自衛は全うできないのであって、自国が攻撃された場合のみならず、他国が攻撃された場合にも同様にあたかも自国が攻撃されているとみなして、集団で自衛権が行使できることになっているのである。今日の安全保障環境を考えるとき、集団的自衛権の方が当然に個別的自衛権より危険だという見方は、抑止という安全保障上の基本観念を無視し、また、国際連合憲章の起草過程を無視したものと言わざるを得ないのである。以上を踏まえれば、上述した政府のこれまでの見解である、「(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき」という解釈に立ったとしても、その「必要最小限度」の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、「必要最小限度」について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではない。事実として、今日の日本の安全が個別的自衛権の行使だけで確保されるとは考え難い。したがって、「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈して、集団的自衛権の行使を認めるべきである。

(4)なお、上記(3)のような解釈を採る場合には、憲法第9条第2項にいう「戦力」及び「交戦権」については、次のように考えるべきである。

 「戦力」については、自衛権行使を合憲と踏み切った主権回復直後の自衛隊創設後に至る憲法解釈変遷の際に「近代戦争遂行能力」*(注18)*と定義されたこともあったが、その後は、自衛のための必要最小限度の実力を超えるものとされ、1972年11月、吉國一郎内閣法制局長官は、「昭和29年12月以来は、憲法第9条第2項の戦力といたしまして、(略)近代戦争遂行能力という言い方をやめております。」と明言した。現在では「自衛のための必要最小限度の実力」の具体的な限度は防衛力整備を巡る国会論議の中で国民の支持を得つつ考査されるべきものとされている*(注19)*。客観的な国際情勢に照らして、憲法が許容する武力の行使に必要な実力の保持が許容されるという考え方は、今後も踏襲されるべきものと考える。

 「交戦権」については、自衛のための武力の行使は憲法の禁ずる交戦権とは「別の観念のもの」であるとの答弁がなされてきた*(注20)*。国策遂行手段としての戦争が国際連合憲章によりjus ad bellum(戦争に訴えること自体を規律する規範)の問題として一般的に禁止されている状況の中で、個別的及び集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障措置等のように国際連合憲章を含む国際法に合致し、かつ、憲法の許容する武力の行使は、憲法第9条の禁止する交戦権の行使とは「別の観念のもの」と引き続き観念すべきものである。ただし、合法な武力行使であってもjus in bello(戦時における戦闘の手段・方法を規律する規範)の問題として国際人道法規上の規制を受けることは当然である。

2.憲法上認められる自衛権

(1)個別的自衛権の行使に関する見解として、政府は、従来、憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、<1>我が国に対する急迫不正の侵害があること、<2>これを排除するために他の適当な手段がないこと、<3>必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という3要件に該当する場合に限られるとしている。このように、この3要件を満たす限り行使に制限はないが、その実際の行使に当たっては、その必要性と均衡性を慎重かつ迅速に判断して、決定しなければならない(武力攻撃に至らない侵害への対応については後述する。)。

(2)集団的自衛権とは、国際法上、一般に、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていない場合にも、実力をもって阻止する権利と解されている。また、集団的自衛権の行使は、武力攻撃の発生(注:着手も含まれる*(注21)*。)、被攻撃国の要請又は同意という要件が満たされている場合に、必要性、均衡性という要件を満たしつつ行うことが求められる。

 我が国においては、この集団的自衛権について、我が国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、我が国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和及び安全の維持・回復に貢献することができることとすべきである。そのような場合に該当するかについては、我が国への直接攻撃に結びつく蓋然性が高いか、日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか、国民の生命や権利が著しく害されるか、その他我が国へ深刻な影響が及び得るかといった諸点を政府が総合的に勘案しつつ責任を持って判断すべきである。また、我が国が集団的自衛権を行使するに当たり第三国の領域を通過する場合には、我が国の方針として、その国の同意を得るものとすべきである。さらに、集団的自衛権を行使するに当たっては、個別的自衛権を行使する場合と同様に、事前又は事後に国会の承認を得る必要があるものとすべきである。

 集団的自衛権は権利であって、義務ではないので、行使し得る場合であっても、我が国が行使することにどれだけ意味があるのか等を総合的に判断して、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然である。我が国による集団的自衛権の行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要がある。なお、集団的自衛権の行使を認めれば、果てしなく米国の戦争に巻き込まれるという議論が一部にあるが、そもそも集団的自衛権の行使は義務ではなく権利であるので、その行使は飽くまでも我が国が主体的に判断すべき問題である。この関連で、個別的又は集団的自衛権を行使する自衛隊部隊の活動の場所について、憲法解釈上、地理的な限定を設けることは適切でない。「地球の裏側」まで行くのか云々という議論があるが、不毛な抽象論にすぎず、ある事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるか、かつ我が国の行動にどれだけの効果があるかといった点を総合的に勘案し、個別具体的な事例に則して主体的に判断すべきである。なお、繰り返しになるが、集団的自衛権は権利であって義務ではなく、先に述べたような政策的判断の結果として、行使しないことももちろんある点に留意が必要である。

(3)本来は集団的自衛権の行使の対象となるべき事例について、個別的自衛権や警察権を我が国独自の考え方で「拡張」して説明することは、国際法違反のおそれがある。例えば、公海上で日米の艦船が共同行動をしている際に、自衛艦が攻撃されていないにもかかわらず個別的自衛権の行使として米艦を防護した場合には、国際連合憲章第51条に基づき我が国がとった措置につき国連安全保障理事会に報告する義務が生じるが、「我が国に対して武力攻撃が発生した」という事実がないにもかかわらず個別的自衛権の行使として報告すれば、国際連合憲章違反との批判を受けるおそれがある。また、各国が独自に個別的自衛権の「拡張」を主張すれば、国際法に基づかない各国独自の「正義」が横行することとなり、これは実質的にも危険な考えである。

(4)情報通信技術の発展に伴い、今やサイバー空間は人々の生活に必要不可欠なものとなっている。サイバー空間は、インターネットの発達により形成された仮想空間であり、安全保障上も陸・海・空・宇宙に続く新しい領域であると言えるが、その法的側面については議論が続いているところである。ひとたびサイバー攻撃が行われれば、政府機関から企業に至る社会の隅々にまで深刻な影響を及ぼすこととなり、この問題の重要性が認識されるに至っている。現実にも、近年、諸国の政府機関や軍隊などに対するサイバー攻撃が多発しており、各国政府による取組や国際的な議論が行われているところである。

 日進月歩の技術進歩を背景とするサイバー攻撃は、攻撃の予測や攻撃者の特定が困難であったり、攻撃の手法が多様であるといった特徴を有しており、従来の典型的な武力攻撃と異なる点も少なくない。そのため、サイバー攻撃の法的位置付けについて一概に述べるのは困難である。これまでのところ、サイバー攻撃が「武力攻撃」に該当しないと位置付けられている事例が多いように見受けられる。他方、一定の場合には、サイバー攻撃が、「我が国に対する急迫不正の侵害があること」という要件を含め、自衛権発動の三要件を満たす場合もあると考えられる。いずれにしても、どのような場合がそれに該当するかという点や、外部からのサイバー攻撃に対処するための制度的な枠組みの必要性等について、国際社会における議論にも留意しつつ、引き続き、検討が必要である。

3.軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加

 軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加については、上記I.で述べたとおり、これまでの政府の憲法解釈では、正規の国連軍については研究中としながらも(前掲脚注7及び9参照)、いわゆる国連多国籍軍の場合は、武力の行使につながる可能性のある行為として、憲法第9条違反のおそれがあるとされてきた。しかしながら、上記II.1.(1)で述べたとおり、憲法第9条が国連の集団安全保障措置への我が国の参加までも禁じていると解釈することは適当ではなく、国連の集団安全保障措置は、我が国が当事国である国際紛争を解決する手段としての武力の行使に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。国連安全保障理事会決議等による集団安全保障措置への参加は、国際社会における責務*(注22)*でもあり、憲法が国際協調主義を根本原則とし、憲法第98条が国際法規の誠実な遵守を定めていることからも、我が国として主体的な判断を行うことを前提に、積極的に貢献すべきである。近年我が国は、武力の行使以外の後方支援等の領域においては、国際社会の秩序を維持するための活動への貢献の幅を着実に広げてきている。先に述べたとおり、2001年9月に米国で同時多発テロ事件が発生したことを受け、同年11月には「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」(テロ対策特別措置法)を制定して、インド洋に自衛艦を派遣し補給支援活動を行った。また、2003年には、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(イラク人道復興支援特別措置法)により、戦後初めて多国籍軍が占領行政を行っている他国領域の陸上において自衛隊が人道復興支援活動に従事した。

 国際連合憲章第7章が定める国連の集団安全保障措置には、軍事的措置と非軍事的措置があるが、非軍事的措置を規定した国際連合憲章第41条に基づく経済制裁への参加については、我が国はこれまでも、関連の国連安全保障理事会決議に基づく北朝鮮の核関連、その他の大量破壊兵器関連及び弾道ミサイル関連計画に関与する者に対して資産凍結等の措置を講ずる等、積極的に協力を行ってきている。憲法前文で国際協調主義を掲げ、国連への協力を安全保障政策の柱の一つとしてきた我が国が、同じ国際社会の秩序を守るための国連安全保障理事会決議等に基づく国連の集団安全保障措置であるにもかかわらず、軍事力を用いた強制措置を伴う場合については一切の協力を行うことができないという現状は改める必要がある。

 このように国連等が行う国際的な平和活動については憲法上制約がないとするとしても、国際連合憲章が本来予定した、国連軍の創設を含む形での集団安全保障体制が実現しておらず、また、国連安全保障理事会決議に基づく平和活動にも種々の段階があり、その原因、国連の参加の態様も個々の事例に応じて多様であるので、平和活動への参加に関しては、個々の場合について、政策上我が国が参加することにどれだけ意味があるのか等を総合的に検討して、慎重に判断すべきことは当然である。

 なお、言うまでもなく、軍事力を用いた強制措置を伴う国連の集団安全保障措置に参加するに当たっては、事前又は事後に国会の承認を得るものとすべきである。

4.いわゆる「武力の行使との一体化」論

 2008年の報告書でも言及したとおり、「武力の行使との一体化」というのは我が国特

有の概念である。特に90年代、湾岸戦争のころから、にわかに声高に議論され、精緻化が進んだ。それ以前に「武力の行使との一体化」の問題が国会で答弁されたことはあまりない*(注23)*。しかし、この議論は、国際法上も国内法上も実定法上に明文の根拠を持たず、最高裁判所による司法判断が行われたこともなく、国会の議論に応じて範囲が拡張され、安全保障上の実務に大きな支障を来たしてきた。

 それ自体は武力の行使に当たらない我が国の補給、輸送、医療等の後方支援でも「他国の武力の行使と一体化」する場合には憲法第9条の禁ずる武力の行使とみなされるという考え方は、元来日米安全保障条約の脈絡で議論されたものである(前掲脚注23<1>の林修三内閣法制局長官答弁参照)。このような考え方を論理的に突き詰める場合には、例えば政府は現在行われている日米同盟下の米軍に対する施設・区域の提供は米国の武力行使と一体化しないとしているが、現実に極東有事の際日米安全保障条約第6条の下で米軍が戦闘作戦行動のために我が国国内の基地を使用し始めれば、我が国の基地使用許可は、米軍の「武力の行使と一体化」するので、日米安全保障条約そのものが違憲であるというような不合理な結論になりかねない。

 このほか、国際連合平和協力法案(廃案)、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法)案、周辺事態安全確保法案、テロ対策特別措置法案及びイラク人道復興支援特別措置法案の国会審議の際にもしばしば問題になったように、「武力の行使との一体化」論は、後方支援がいかなる場合に他国による武力の行使と一体化するとみなすのか、その判断を誰が行うのか、「戦闘地域」と「非戦闘地域」の区分は何か等、そもそも事態が刻々と変わる活動の現場において、観念的には一見精緻に見える議論をもって「武力の行使との一体化」論を適用すること自体、非現実的であり極めて困難である。例えば、ミサイル等軍事技術が急速に発達した現下の状況では、どこが「非戦闘地域」かを定性的に定義することは現実的でなくなっている。

 「武力の行使との一体化」の論理のゆえに、例えば、日米間で想定した事態の検討にも支障があり得るとすれば、我が国の安全を確保していくための備えが十分とは言えない。この問題は、日米安全保障条約の運用のみならず国際的な平和活動への参加の双方にまたがる問題である。「武力の行使との一体化」論は、憲法上の制約を意識して、新たな活動について慎重を期すために厳しく考えたことから出てきた議論である。したがって、国際平和協力活動の経験を積んだ今日においては、いわゆる「武力の行使との一体化」論はその役割を終えたものであり、このような考えはもはやとらず、政策的妥当性の問題として位置付けるべきである。実際にどのような状況下でどのような後方支援を行うかは、内閣として慎重に検討して意思決定すべきものであることは言うまでもない。

5.国連PKO等への協力と武器使用

(1)我が国は、1992年6月のPKO法制定以来、PKO法に基づき、延べ約一万人(2014年3月末時点)の要員を国連PKO等*(注24)*に派遣し、着実に実績と経験を積み上げ、国民の支持と国際社会からの高い評価を得てきている。国連PKO等への協力は、我が国が国際社会の平和と安定に責任を果たすための最も有効な手段の一つであり、今後も国連PKO等への要員派遣を積極的に実施していくべきである。

 他方、これまで、我が国の国連PKO等に対する協力は、当事者間の停戦合意を支える平和維持活動を中心とするPKO法制定当時の国連PKO等の実態を踏まえつつ、当時の国内世論にも配慮して抑制的に構築された制度に従って、いわゆるPKO参加5原則の下、運用上も慎重に行われてきた*(注25)*。国連は「主たる紛争当事者」の同意を基本原則として国連PKOミッションを設立しているのに対し、現行PKO法の下では、「全ての」紛争当事者の受入れ同意が必要だとして運用してきた。また、停戦合意についても、国連では、停戦合意がない場合でも事実上の停戦状態を前提として国連PKOミッションを設立しているが、我が国では、紛争当事者間の停戦合意を要件としている。このような状況は、全ての「紛争当事者」の特定が容易であり、紛争当事者間の明確な停戦合意の確認が容易であった国家間紛争から、「紛争当事者」を特定することが困難な場合もある内戦型又は複合型へと紛争が質的に変化し、国連PKO等の役割・態様も多様化し、国際連合憲章第7章下の一定の強制力を付与された「強化されたPKO」も増えてきている今日の実態にそぐわない。

 このような国連PKOの実態との相違並びに国連PKOの任務及び活動主体の多様化を踏まえた上で、我が国のより積極的な国際平和協力を可能とするためには何が必要かとの観点から、いわゆるPKO参加5原則についても見直しを視野に入れ、検討する必要がある。

(2)国連PKOの活動の性格は、「武力の行使」のような強制措置ではないが、紛争当事者間の停戦の合意を維持し、また、領域国の新しい国づくりを助けるため、国連の権威の下で各国が協力する活動である。このような活動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用は、そもそも「武力の行使」に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。

 一方、政府は、これまで、国連PKO等におけるいわゆる駆け付け警護や妨害排除のための武器の使用に関しては、いわば自己保存のための自然権的権利に当たるものとは言えず、現行の憲法解釈の下では、相手方が「国家又は国家に準ずる組織」である場合には、憲法で禁じられた「武力の行使」に当たるおそれがあるので認められないとしてきた*(注26)*。たとえば2003年5月15日の参議院外交防衛委員会において宮﨑礼壹内閣法制局第一部長が「自衛隊の部隊の所在地からかなり離れた場所に所在します他国の部隊なり隊員さんの下に駆け付けて武器使用するという場合は、我が国の自衛官自身の生命又は身体の危険が存在しない場合の武器使用だという前提だというお尋ねだと思います。(略)このような場合に駆け付けて武器を使用するということは、言わば自己保存のための自然権的権利というべきものだという説明はできないわけでございます。(略)その駆け付けて応援しようとした対象の事態、あるいはお尋ねの攻撃をしているその主体というものが国又は国に準ずる者である場合もあり得るわけでございまして、そうでありますと、(略)それは国際紛争を解決する手段としての武力の行使ということに及ぶことが、及びかねないということになるわけでございまして、そうでありますと、憲法九条の禁じます武力の行使に当たるおそれがあるというふうに考えてきたわけでございます。」と答弁している。

 しかしながら、2008年の報告書でも指摘したとおり、そもそもPKOは武力紛争の終了を前提に行う活動(あるいは武力紛争の開始・再発前にこれを予防するための活動)であり、国連PKOの国際基準で認められた武器使用が国際連合憲章で禁止された国際関係における「武力の行使」に当たると解釈している国はどこにもなく、自衛隊が国連PKO等の一員として、駆け付け警護や妨害排除のために国際基準に従って行う武器使用は、相手方が単なる犯罪集団であるか「国家又は国家に準ずる組織」であるかどうかにかかわらず、憲法第9条の禁ずる武力の行使には当たらないと解すべきである。さらに、近年の複合型国連PKO等においては、国内紛争や脆弱国家への対応として、治安維持や文民の保護等の業務が重要となっており、具体的検討に当たっては、駆け付け警護や妨害排除のための武器使用を可能にするとともに、法制度上、こうした業務も実施できるようにすべきである。

 重要なことは、このような武器使用は、国連においては明確に国際連合憲章第2条4により禁止されている国際関係における「武力の行使」とは異なる概念であると観念されていることである。国連PKOは、不偏性を持ち、主たる紛争当事者の同意を得て行われる活動であり、その任務は武力の行使が発生するのを防ぐための予防的活動か、武力行使が収まった後の平和維持や人道・復興支援である。その意味で、国連PKOは国際連合憲章が加盟国に対して禁じている国際関係における「武力の行使」を行う活動ではない。国連PKOは国連決議の下に組織されるいわゆる多国籍軍のような大規模な軍事活動を伴い得る平和執行とは峻別されるものである。また、国際連合憲章第7章下の一定の強制力を付与された「強化されたPKO」も、その実態は国連PKOの範疇{ちゅうとルビあり}を出ず、平和執行とは峻別されているものである*(注27)*。

6.在外自国民の保護・救出等

 2013年1月の在アルジェリア邦人に対するテロ事件を受けて、政府は、同年11月、外国における様々な緊急事態に際してより適切に対応できるよう、自衛隊による在外邦人等輸送(自衛隊法第84条の3)について、輸送対象者を拡大し、車両による輸送を可能とすること等を内容とする自衛隊法の改正を行った。しかし、この職務に従事する自衛官の武器使用の権限については、いわゆる自己保存型28のままとし、救出活動や妨害排除のための武器使用を認めるには至らなかった。現状の解釈のままでは、必要な武器使用権限が確保されないため、現場に自国民救出のために自衛隊が駆け付けることはできない。

 国際法上、在外自国民の保護・救出は、領域国の同意がある場合には、領域国の同意に基づく活動として許容される。在外自国民の保護・救出の一環としての救出活動や妨害排除に際しての武器使用についても、領域国の同意がある場合には、そもそも「武力の行使」に当たらず、当該領域国の治安活動を補完・代替するものにすぎないものであって、憲法上の制約はないと解釈すべきである。

 なお、領域国の同意がない場合にも、在外自国民の保護・救出は、国際法上、所在地国が外国人に対する侵害を排除する意思又は能力を持たず、かつ当該外国人の身体、生命に対する重大かつ急迫な侵害があり、ほかに救済の手段がない場合には、自衛権の行使として許容される場合がある*(注29)*。憲法上認められる自衛権の発動としての「武力の行使」を巡る国会の議論においては、在外自国民の保護・救出のための自衛権の行使が否定されているように見受けられる*(注30)*が、多くの日本人が海外で活躍し、2013年1月のアルジェリアでのテロ事件のような事態が生じる可能性がある中で、憲法が在外自国民の生命、身体、財産等の保護を制限していると解することは適切でなく、国際法上許容される範囲の在外自国民の保護・救出を可能とすべきである。国民の生命・身体を保護することは国家の責務でもある*(注31)*。

7.国際治安協力

 在外自国民の保護・救出以外の活動であっても、領域国の同意に基づいて、同国の警察当局等の機関がその任務の一環として行うべき治安の回復及び維持のための活動の一部を補完的に行っているものと観念される活動や、普遍的な管轄権に基づいて海賊等に対処する活動、すなわち国際的な治安協力については、国際法上は、国連の集団安全保障措置ではなく、国際連合憲章第2条4で禁止されている国際関係における「武力の行使」にも当たらない。このような活動についても、そもそも「武力の行使」に当たらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。そのような事例は、国連決議によって求められることもあれば、領域国の同意や要請の下で行われることもあれば、公海上のような国際公域における自発的な秩序維持の場合もある。端的な例として、アデン湾の海賊対処をこの観点から位置付けることも可能である。これには「アタランタ」作戦を開始したEU諸国、NATO諸国のほか、日本、中国、イラン、韓国等が参加している。国連は安全保障理事会決議第1816号等によって加盟国の協力を要請している。日本は2009年から自衛隊と海上保安庁が協力して参加している。

 このような治安協力は、国際連合憲章第2条4の禁ずる国際関係における「武力の行使」ではなく、武器の使用を伴う治安活動であるので、基本的に憲法問題は生じず、活動根拠の付与は法律レベルにより行うことができる。政府も国会において、「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」案の審議の中で、自衛隊を派遣するに際し、「国や国に準ずる者と申しますか、国等が国等の行為として行われるものは、その定義上海賊行為からは除外されております。したがいまして、御懸念のような、憲法第九条によって禁じられた『武力の行使』に及ぶということはないものと考えております。」と答弁している(2009年6月4日参議院外交防衛委員会における横畠裕介内閣法制局第2部長答弁)。

8.武力攻撃に至らない侵害への対応

 一般国際法上、自衛権を行使するための要件は、国家又は国民に対する「急迫不正の侵害」があること等とされているが、我が国の国会答弁においては、「我が国に対する急迫不正の侵害」があった場合は、「武力攻撃」、すなわち、「一般に、我が国に対する組織的計画的な武力の行使」があった場合として極めて限定的に説明されている。また、自衛隊法等の現行国内法上、自衛権の発動としての武力を行使できる「防衛出動」は、「武力攻撃」、すなわち我が国に対する組織的計画的な武力の行使を前提としている。このことから、「武力攻撃」に至らない侵害への対応は、自衛権の行使ではなく、警察比例の原則に従う「警察権」の行使にとどまることとなる。しかし、事態発生に際し「組織的計画的な武力の行使」かどうか判別がつかない場合において、突発的な状況が生起したり、急激に事態が推移することも否定できない。「組織的計画的な武力の行使」かどうか判別がつかない侵害であっても、そのような侵害を排除する自衛隊の必要最小限度の行動は憲法上容認されるべきである。かかる自衛隊の行動は、その事態、態様により、国際法上は、自衛権に包含される活動として区分される場合もあれば、国際法の許容する法執行活動等として区分されることもあり得るが、いずれにせよ、国際法上合法な行為である限り許容されるべきである*(注32)*。

 警察権の行使である自衛隊の行動類型としては、治安出動、警護出動、海上警備行動などがあり、また武器等防護という武器使用権限もあるが、治安出動のほか、警察権の行使としての自衛隊の行動による対処に当たり、事態認定や命令を出すための手続を経る間に、状況によっては対処に事実上の間隙が生じ得る可能性があり、結果として事態の収拾が困難となったり、相手を抑止できなくなったりするおそれがある。また、対処に先立って自衛隊部隊を行動させるためには、治安出動下令前の情報収集(自衛隊法第79条の2)や防御施設構築措置(同法第77条の2)等の規定によるが、それぞれ「治安出動命令が発せられること及び不法行為が行われることの予測」と「防衛出動命令が発せられることの予測」を下令要件とし、実際の下令までの手続面で高い敷居が存在する。したがって、現行の自衛隊法の規定では、平素の段階からそれぞれの行動や防衛出動に至る間において権限上の、あるいは時間的な隙間が生じ得る可能性があり、結果として事態収拾が困難となるおそれがある。自衛隊法に切れ目のない対応を講ずるための包括的な措置を講ずる必要がある。

 問題となる事例としては次のようなものがある。例えば、我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊を継続する場合への対応に際しては、一義的には海上警備行動による対応となるが、現行の国内法上は「武力攻撃事態」と認定されない段階では、「武力の行使」はもとより、それに至らない武器の使用による当該潜水艦の強制退去は困難である。したがって、軍艦又は政府公船である外国船舶を停止させるための武器使用がどの程度認められるかについて、国際法の基準に照らし、警察官職務執行法の範囲にとらわれず、国内法における検討を進めていく必要がある。

 また、国境の離島等に対して特殊部隊等の不意急襲的な上陸があった場合、仮に警察権の行使により対応する場合においても、自衛隊には平素からの同権限が認められているわけではなく、ましてや「武力攻撃事態」と認定されない段階では、防衛出動下での対応はできない。一旦離島が攻撃を受ければ、その攻撃の排除には相当の規模の部隊と期間が必要となる。同様に、原子力発電所等の重要施設の防護を例にとってみても、テロリスト・武装工作員等による警察力を超える襲撃・破壊行動が生起した場合は、治安出動の下令を待って初めて自衛隊が対応することにならざるを得ない。警察力を超える襲撃・破壊行動による我が方の犠牲を最小限に抑えるためには、早い段階から速やかに自衛隊に十分な活動をさせることが有効だが、治安出動の発令手続を経る間に、仮にも対応の時機を失するようなこととなれば、テロ、サボタージュ行為が拡大するなどして、その影響は甚大なものとなる可能性がある。

 上記の例にもみられるように、武力攻撃に至らない侵害への対応について、現代の国際社会では、その必要性が高まってきており、各種の事態に応じた均衡のとれた実力の行使も含む切れ目のない対応を可能とする法制度について、国際法上許容される範囲で、その中で充実させていく必要がある。また、法整備にとどまらず、それに基づく自衛隊の運用や訓練も整備していかなければならない。

なお、武力攻撃に至らない侵害に対して措置を採る権利を「マイナー自衛権」と呼ぶ向きもあるが、この言葉は国際法上必ずしも確立したものではなく、また、国際連合憲章第51条の自衛権の観念を拡張させているとの批判を内外から招きかねないので、使用しないことが望ましい。

III.国内法制の在り方

 以上述べたような新たな考え方が実際に意味を持つためには、それに応じた国内法の整備等を行うことが不可欠になる。ここではその際に考えるべき主な要素につき述べたい。

 国内法の整備に当たっては、まず、集団的自衛権の行使、軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加、一層積極的な国連PKOへの貢献を憲法に従って可能とするように整備しなければならない。また、いかなる事態においても切れ目のない対応が確保されることと合わせ、文民統制の確保を含めた手続面での適正さが十分に確保されると同時に、事態の態様に応じ手続に軽重を設け、特に行動を迅速に命令すべき事態にも十分に対応できるようにする必要がある。

 このため、自衛隊の行動を定めている自衛隊法や事態対処に係る基本事項を定めた「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(武力攻撃事態対処法)及び関連の法制である周辺事態安全確保法、「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律」(船舶検査活動法)、「武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律」(捕虜取扱法)、PKO法等について、自衛隊の活動等に係る各種特別措置法の規定振りや、現在の安全保障環境の実態、国連における標準に倣った所要に合わせ、広く検討しなければならない。

 自衛隊法については、任務や行動、権限等の整備が考えられる。自衛隊法は、安全保障環境の変化に伴う様々な事態に対応するため、そのたびに制度の見直しが図られてきたところではあるが、手続面での適正さを確保しつつ、これまで以上により迅速かつ十分な対応を可能とするための制度的な余地がないか再検討する必要がある。また、行動が命ぜられていない時点でも、現場の自衛官がどのような対応をすることが認められるかという観点からの検討も必要である。国連PKO等への参加に際して新たにどのような任務が付与されるべきかとともに、これを安全かつ確実に遂行するため、従来の「いわば自己保存のための自然権的権利」等としての武器使用権限をどのように見直すかについても、先進民主国家の軍や国連PKOミッション等において一般に行われているようなケースを踏まえて、他国のROE(rules of engagement)に相当する「部隊行動基準」の整備により、文民統制の確保を図りつつ、国際法上許容される「部隊防護(unitself-defense)*(注33)*」や任務遂行のための武器使用に係る権限を包括的に付与することができないか、検討を行う必要がある。

PKO法も「主たる」紛争当事者間の合意に基づく活動の実施、停戦合意要件の見直し、国連PKOの武器使用基準に基づく武器の使用といった国連における標準に倣った所要の改正を行うべきである。周辺事態安全確保法についても、周辺事態に際して米軍はもとより米軍以外の他国軍も対処することが十分に考えられることから、後方地域における対米軍支援に限定することなく、このような他国軍をも対象として、より広い地域において必要な支援を提供できるよう検討する必要がある。また、米国と豪州としか締結していないACSA(物品役務相互提供協定)をその他の国とも締結するなど、必要な国際約束の締結についても併せて検討の対象とすべきである。



IV.おわりに

 日本国憲法は、前文で「平和的生存権」を確認し、第13条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を定めているが、これらの権利は他の基本的人権の根幹と言うべきものであり、これらを守るためには、主権者である国民の生存の確保、そして主権者である国民を守る国家の存立が前提条件である。また、憲法は、国際協調主義を掲げている。平和は国民の希求するところであり、国際協調主義を前提とした日本国憲法の平和主義は、今後ともこれを堅持していくべきである。その際、主権者である国民の生存、国家の存立を危機に陥れることは、そのような憲法上の観点からしてもあってはならない。

 我が国を取り巻く安全保障環境は、技術の進歩や国境を超える脅威の拡大、国家間のパワーバランスの変化等によって、より一層厳しさを増している。また、日米同盟の深化や地域の安全保障協力枠組みの広がり、国際社会全体による対応が必要な事例の増大により、我が国が幅広い分野で一層の役割を担うことが必要となっている。このように、安全保障環境が顕著な規模と速度で変化している中で、我が国は、我が国の平和と安全を維持し、地域・国際社会の平和と安定を実現していく上で、従来の憲法解釈では十分対応できない状況に立ち至っている。

 憲法第9条の解釈は長年にわたる議論の積み重ねによって確立したものであって、その変更は許されず、変更する必要があるならば、憲法改正による必要があるという意見もある。しかし、本懇談会による憲法解釈の整理は、憲法の規定の文理解釈として導き出されるものである。すなわち、憲法第9条は、第1項で、我が国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇又は武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、国際法上合法な活動への憲法上の制約はないと解すべきである。同条第2項は、「前項の目的を達成するため」戦力を保持しないと定めたものと解すべきであり、自衛やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである。「(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき」であるというこれまでの政府の憲法解釈に立ったとしても、「必要最小限度」の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、「必要最小限度」について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではなく、「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使も含まれると解すべきである。

 個別的自衛権の行使に関する見解としては、自衛権発動の3要件を満たす限り行使に制限はないが、その実際の行使に当たっては、その必要性と均衡性を慎重かつ迅速に判断して、決定しなければならない。集団的自衛権については、我が国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、我が国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和及び安全の維持・回復に貢献することができることとすべきである。そのような場合に該当するかについては、我が国への直接攻撃に結びつく蓋然性が高いか、日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか、国民の生命や権利が著しく害されるか、その他我が国への深刻な影響が及び得るかといった諸点を政府が総合的に勘案しつつ、責任を持って判断すべきである。実際の行使に当たって第三国の領域を通過する場合には、我が国の方針としてその国の同意を得るものとすべきである。集団的自衛権を実際に行使するには、事前又は事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然である。

 軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加については、我が国が当事国である国際紛争を解決する手段としての「武力の行使」には当たらず、憲法上の制約はないと解すべきである。参加に関しては、個々の場合について総合的に検討して、慎重に判断すべきことは当然であり、軍事力を用いた強制措置を伴う国連の集団安全保障措置への参加に当たっては、事前又は事後に国会の承認を得るものとすべきである。

 いわゆる「武力の行使との一体化」論は、安全保障上の実務に大きな支障となってきており、このような考えはもはやとらず、政策的妥当性の問題と位置付けるべきである。国連PKO等や在外自国民の保護・救出、国際的な治安協力については、憲法第9条の禁ずる「武力の行使」には当たらず、このような活動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用に憲法上の制約はないと解すべきである。

 このほか、武力攻撃に至らない侵害への対応については、「組織的計画的な武力の行使」かどうか判別がつかない侵害であっても、そのような侵害を排除する自衛隊の必要最小限度の国際法上合法な行動は憲法上容認されるべきである。また、自衛隊の行動については、平素の段階からそれぞれの行動や防衛出動に至る間において、権限上の、あるいは時間的な隙間が生じ得る可能性があることから、切れ目のない対応を講ずるための包括的な措置を講ずる必要がある。以上述べたような考え方が実際に意味を持つためには、それに応じた国内法の整備等を行うことが不可欠である。

 遡ってみれば、そもそも憲法には個別的自衛権や集団的自衛権についての明文の規定はなく、個別的自衛権の行使についても、我が国政府は憲法改正ではなく憲法解釈を整理することによって、認められるとした経緯がある。

 こうした経緯に鑑みれば、必要最小限度の範囲の自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められるという判断も、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない。また、国連の集団安全保障措置等への我が国の参加についても同様に、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能である。

 以上が、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」としての提言である。政府が安全保障の法的基盤の再構築に関して、この提言をどのように踏まえ、どのような具体的な措置を採るのか、それは政府の判断に委ねられるのは言うまでもないが、懇談会としては、政府が本報告書を真剣に検討し、しかるべき立法措置に進まれることを強く期待するものである。



参考資料

安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の開催について

平成25年2月7日

内閣総理大臣決裁

平成25年9月17日

一部改正

1.趣旨

 我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増す中、それにふさわしい対応を可能とするよう安全保障の法的基盤を再構築する必要があるとの問題意識の下、集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理につき研究を行うため、内閣総理大臣の下に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下「懇談会」という。)を開催する。

2.構成

(1)懇談会は、別紙に掲げる有識者により構成し、内閣総理大臣が開催する。

(2)内閣総理大臣は、別紙に掲げる有識者の中から、懇談会の座長を依頼する。

(3)懇談会は、必要に応じ、関係者の出席を求めることができる。

(4)懇談会の事務は、内閣官房において処理する。

注:(別紙)省略



「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」構成員(平成26年5月15日現在)

岩間陽子  政策研究大学院大学教授

岡崎久彦  特定非営利活動法人岡崎研究所所長・理事長

葛西敬之  東海旅客鉄道株式会社代表取締役名誉会長

北岡伸一  国際大学学長・政策研究大学院大学教授

坂元一哉  大阪大学大学院教授

佐瀬昌盛  防衛大学校名誉教授

佐藤謙   公益財団法人世界平和研究所理事長(元防衛事務次官)

田中明彦  独立行政法人国際協力機構理事長

中西寛   京都大学大学院教授

西修    駒澤大学名誉教授

西元徹也  公益社団法人隊友会会長(元統合幕僚会議議長)

細谷雄一  慶應義塾大学教授

村瀬信也  上智大学名誉教授

柳井俊二  国際海洋法裁判所長(元外務事務次官)



「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」開催状況

第1回会合平成25年2月8日

議事:

(1)内閣総理大臣挨拶

(2)平成20年6月報告書の柳井座長による内閣総理大臣への提出

(3)柳井座長挨拶

(4)出席者による意見交換

(5)内閣官房長官(国家安全保障強化担当大臣)挨拶

(6)内閣総理大臣挨拶


第2回会合平成25年9月17日

議事:

(1)内閣総理大臣挨拶

(2)北岡座長代理挨拶

(3)出席者による意見交換

(4)内閣総理大臣挨拶


第3回会合平成25年10月16日

議事:

(1)内閣総理大臣挨拶

(2)北岡座長代理挨拶

(3)出席者による意見交換


第4回会合平成25年11月13日

議事:

(1)内閣総理大臣挨拶

(2)北岡座長代理挨拶

(3)出席者による意見交換


第5回会合平成25年12月17日

議事:

(1)内閣総理大臣挨拶

(2)柳井座長挨拶

(3)北岡座長代理挨拶

(4)出席者による意見交換


第6回会合平成26年2月4日

議事:

(1)柳井座長挨拶

(2)北岡座長代理挨拶

(3)出席者による意見交換

(4)内閣総理大臣挨拶

(5)引き続き出席者による意見交換


第7回会合平成26年5月15日

議事:

(1)柳井座長挨拶

(2)北岡座長代理挨拶

(3)内閣総理大臣挨拶

(4)出席者による意見交換


報告書の提出  平成26年5月15日



<注>

(注1) なお、1954年5月6日の衆議院内閣委員会において、当該答弁で述べた考え方を今でも持っているのか、変えたのかとの質問に対し、吉田総理は、「御指摘になつた当時の私の言い表わし方はよく覚えておりませんが、趣意はいかにしても自衛の名において再軍備はしない、戦力を持つ軍隊は持たないということであるのであります。また自衛の名において国際紛争の具に戦力を使うということはないというのが、私の趣意であつたのであります。その趣意は今でもごうもかわつておりません。すなわち再軍備はいたさないということを言うゆえんはそこにあるのであります。再軍備をいたして国際紛争の具に供しない、あるいはまた戦力に至る再軍備はいたさないという趣旨は、いまなおかわつておりません。」と答弁している。

(注2) 衆議院帝国憲法改正案委員会(1946年7月4日)における吉田内閣総理大臣答弁

「・・・又御尋ねの講和條約が出來、日本が獨立を囘復した場合に、日本の獨立なるものを完全な状態に復せしめた場合に於て、武力なくして侵略國に向つて如何に之を日本自ら自己國家を防衞するか、此の御質問は洵に御尤もでありますが、併しながら國際平和國體が樹立せられて、さうして樹立後に於ては、所謂U・N・Oの目的が達せられた場合にはU・N・O加盟國は國際聯合憲章の規定の第四十三條に依りますれば、兵力を提供する義務を持ち、U・N・O自身が兵力を持つて世界の平和を害する侵略國に對しては、世界を擧げて此の侵略國を壓伏する抑壓すると云ふことになつて居ります、理想だけ申せば、或は是は理想に止まり、或は空文に屬するかも知れませぬが、兎に角國際平和を維持する目的を以て樹立せられたU・N・Oとしては、其の憲法とも云ふべき條章に於て、斯くの如く特別の兵力を持ち、特に其の國體が特殊の兵力を持ち、世界の平和を妨害する者、或は世界の平和を脅かす國に對しては制裁を加へることになつて居ります、此の憲章に依り、又國際聯合に日本が獨立國として加入致しました場合に於ては、一應此の憲章に依つて保護せられるもの、斯う私は解釋して居ります。」

(注3) 田中耕太郎最高裁判所長官は、砂川事件大法廷判決の補足意見において、「今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従つて自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。およそ国内的問題として、各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛することは、いわゆる「権利のための戦い」であり正義の要請といい得られる。これは法秩序全体を守ることを意味する。このことは国際関係においても同様である。(略)我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立つて、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義であつて、真の平和主義に忠実なものとはいえない。」と述べている。

(注4) 参議院予算委員会(1960年3月31日)における岸信介内閣総理大臣答弁

(注5) 「集団的自衛権と憲法との関係」(参議院決算委員会要求資料)(1972年10月14日)

(注6) 稲葉誠一衆議院議員提出質問主意書に対する答弁書(1981年5月29日)

(注7) 内閣法制局が1965年に作成した文書「いわゆる国連軍とわが憲法(昭和40年9月3日、法制局)」(注:1968年に外務省が作成した「国連協力法案関係文書」に収録された内閣法制局の考え方。その後秘密指定解除。)では、「いわゆる国連軍に部隊を供出することが憲法上容認されるためには、いわゆる国連軍の武力行動が、国連という超国家的政治組織による超国家的作用として、国連社会内部の国際の平和及び安全の維持のためになされる武力の行使であるのでなければならない。したがって、個々の具体的事案につきこの点を明らかにするには、次の3点に照らして審査する必要がある。(1)当該いわゆる国連軍による武力の行使が国連自体の意志に基づいて遂行されるものであるか。武力の行使が国連自体の意志により遂行されるためには、当然その機関である総会又は安保理事会の決議が必要とされるが、これらの機関の決議がみずから武力の行使を遂行するというのではなく、加盟国に対しそれぞれその意志により武力を行使すべきことを勧奨するという内容のものであるならば、そのような勧奨に応じてなされる武力の行使は、当該加盟国自体の武力の行使であって、国連のそれであるとはいえない。(2)武力の行使が国連みずからがするものであることの実をそなえているか。この点について積極に解されるためには、いわゆる国連軍が、国連又はその機関に任命され、かつ、その指揮下にある指揮官によって指揮され、その経費が、直接には、国連の負担である場合のように、国連の統制の下に置かれているのでなければならない。(3)当該いわゆる国連軍による武力の行使は、国連加盟国の間又は国連加盟国内部に生じた事態が国連社会の平和と安全に対する障害となる場合において、その障害を除去することを目的としているものであるか。以上の3点について積極に解される場合には、そのいわゆる国連軍の一部を構成するものとして部隊を保持し、供出することは、その供出自体が任意のものであるとしても、政策上の当否の問題は別として、憲法9条を含むわが憲法の否認するところではないといってよい。」として、内閣法制局は、我が国が正規の国連軍に対して武力行使を伴う部隊を提供することは憲法上問題ないと判断していた。

(注8) 衆議院安全保障委員会(1988年5月14日)における秋山收内閣法制局第一部長答弁

「ただいまのお尋ねは、国連憲章第七章、あるいは国連憲章に基づきまして実際上発達してきたPKO活動などにつきまして、我が国が参加する場合の憲法九条の問題はいかがかという御質問でございますけれども、国際法上、集団的安全保障と申しますのは、これは国連憲章上の措置でございまして、武力の行使を一般的に禁止する一方、紛争を平和的に解決すべきことを定めまして、これに反して、平和に対する脅威とか平和の破壊あるいは侵略行為が発生したような場合、国際社会が一致協力してこの行為を行った者に対し適切な措置をとることにより平和を回復しようという概念でございます。それで、我が国は、憲法の平和主義、国際協調主義の理念を踏まえまして国連に加盟し、国連憲章にはこのような集団的安全保障の枠組み、あるいは実態上確立されてまいりましたPKOの活動が行われているところでございます。したがいまして、我が国としまして、最高法規であります憲法に反しない範囲で、憲法九十八条第二項に従いまして国連憲章上の責務を果たしていくということになりますが、その場合、もとより集団的安全保障あるいはPKOにかかわりますいろいろな行動のうち、憲法九条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為につきましては、我が国としてこれを行うことが許されないというふうに考えているわけでございます。」

(注9) <1>衆議院予算委員会(1990年10月19日)における工藤敦夫内閣法制局長官答弁

「国連憲章に基づきます、いわゆる正規のと俗称言われておりますが、そういう国連軍へ我が国がどのように関与するか、その仕方あるいは参加の態様といったものにつきましては、現在まだ研究中でございまして、結果を明確に申し上げるわけにはまだ参っておらない、かような段階にございます。」

<2>衆議院予算委員会(1998年3月18日)における大森政輔内閣法制局長官答弁

「現在の国連憲章第四十二条、四十三条に規定されております国連軍につきましては、従前から私どもが申し上げておりますように、憲法九条の解釈、運用の積み重ねから推論いたしますと、我が国がこれに参加することには憲法上の疑義があるというふうに考えているわけでございます。(略)要するに、国連軍への参加というのは、我が国の主権行為が基点になることは間違いございません。ただ、その上で、その参加をした我が国の組織が国連軍の中でどう位置づけられ、それに対する指揮の形態がどうなるのか、あるいは撤収の要件あるいは手続がどう定められるのかということが、その参加した我が国の組織の行動がなお我が国の武力の行使に当たるかどうかという評価にやはり決定的な影響を及ぼす。したがいまして、特別協定が決まらなければ、そのあたりの確定的な評価ができない、こういうことでございます。」

(注10) 周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(平成十一年五月二十八日法律第六十号)

「第三条この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。

一 後方地域支援周辺事態に際して日米安保条約の目的の達成に寄与する活動を行っているアメリカ合衆国の軍隊

(以下「合衆国軍隊」という。)に対する物品及び役務の提供、便宜の供与その他の支援措置であって、後方地域において我が国が実施するものをいう。

二 後方地域捜索救助活動周辺事態において行われた戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)によって遭難した戦闘参加者について、その捜索又は救助を行う活動(救助した者の輸送を含む。)であって、後方地域において我が国が実施するものをいう。

三 後方地域我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。以下同じ。)及びその上空の範囲をいう。」

(注11) 2001年の米国同時多発テロ事件を受けて、英国、カナダ、ドイツ、オランダ、豪州、ニュージーランド、フランス及びポーランドが、個別的及び集団的自衛権に基づく措置を採る旨の書簡を国連安保理に対して送付した。また、北大西洋条約機構は、創設後初めて、加盟国が武力攻撃を受けた時に発動される「5条事態」を発動した。他方で、学説上は、米国同時多発テロ事件は国家による攻撃ではなかったため、同事件は基本的には米国内で完結した刑事事件にとどまり、これに対する各国の措置は自衛権の行使ではなく法執行活動であったとする見方もある。

(注12) 日本国との平和条約(1951年9月8日サン・フランシスコ市で署名。1952年4月28日発効。)第五条(c)連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

また、例えば「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」(1956年10月19日モスクワで署名。1956年12月12日発効。)、旧・日米安全保障条約(1951年9月8日サン・フランシスコ市で署名。1952年4月28日発効。)、日米安全保障条約(1960年1月19日ワシントンで署名。1960年6月23日発効。)にも集団的自衛権について同趣旨の言及がある。

(注13) 国際連合憲章(1945年6月26日サン・フランシスコ市で署名。1945年10月24日発効。)

第五十一条この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当つて加盟国がとつた措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

(注14) 「国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争及び自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。(War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerancy will ever be conferred upon any Japanese force.)」。なお、2月13日の総司令部案では、「自己の安全を保持するための手段としての」戦争についても放棄するという文言が削除された。

(注15) 同案は1946年7月に帝国憲法改正案委員小委員会に提出された。同案を提出した芦田均帝国憲法改正案委員小委員会委員長は、1957年12月、憲法調査会において、「『前項の目的を達するため』という辞句を挿入することによつて原案では無条件に戦力を保有しないとあつたものが一定の条件の下に武力を持たないことになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないことは明白であります。(略)そうするとこの修正によつて原案は本質的に影響されるのであつて、したがつて、この修正があつても第九条の内容に変化がないという議論は明らかに誤りであります。」と述べた。

(注16) 我が国が憲法上の手続に従って批准し、我が国について1956年12月18日に効力発生した国際連合憲章第51条(注13)の仏語正文は、<>と言っている。英語では「inherent right」であり、それを日本語では「固有の権利」と訳したが、国家、人類がもともと有する権利を意味する「固有の権利」と自然権(droitnaturel)とは同義語であることは、仏文の正文と対照すれば明白である。中国語正文は「自然権利」である。

(注17) 1986年6月「ニカラグア軍事・準軍事活動事件〔本案〕」国際司法裁判所判決パラ193

「本裁判所は、自衛権、特に集団的自衛権の内容に関する見解を表明しなければならない。第一に、この権利の存在に関しては、本裁判所は、国際連合憲章第51条の文言において、武力攻撃が発生した場合には、いずれの国家もが有する固有の権利(又は『自然権』)は集団的自衛及び個別的自衛の双方に及ぶものであることを認める。こうして、憲章自体が慣習国際法の中での集団的自衛権の存在を証明している。」

(注18) 衆議院外務委員会(1952年1月30日)における木村篤太郎国務大臣答弁

「戦力と申しまするのは、いわゆる戦争を遂行し得る有力なる兵力、こう解すべきだと思います。」

(注19) 伊藤英成衆議院議員提出質問主意書に対する答弁書(2003年7月15日)

「憲法第九条の下で保持することが許容される「自衛のための必要最小限度の実力」の具体的な限度については、本来、そのときどきの国際情勢や科学技術等の諸条件によって左右される相対的な面を有することは否定し得えず、結局は、毎年度の予算等の審議を通じて、国民の代表である国会において判断されるほかないと考える。」

(注20) 森清衆議院議員提出質問主意書に対する答弁書(1985年9月27日)

「我が国は、国際法上自衛権を有しており、我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することが当然に認められているのであつて、その行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うことは、交戦権の行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うこととは別の観念のものである」

(注21) <1>自衛隊法

「(防衛出動)第七十六条内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。」

<2>参議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会(2003年5月28日)における宮﨑礼壹法制局長官答弁

「政府は従来から、我が国が自衛権を行使する場合の要件であります我が国に対する武力攻撃が発生したときといいますのは、他国が我が国に対して武力攻撃に着手したときをもって足り、我が国における被害が現実に生ずるということを要するものではないというふうに解しております。他国から発射されました弾道ミサイルが我が国を標的として飛来すると判断されます場合に当該弾道ミサイルを迎撃するということは、個別的自衛権の行使として許されるものと考えております。」

(注22) 国際連合憲章第2条5

「すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従つてとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となつているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。」

(注23) <1>参議院予算委員会(1959年3月19日)における林修三内閣法制局長官答弁

「・・・今安保条約の改定の交渉をやっております場合において、日本の態度は、いわゆる日本の負うべき義務は、日本の憲法の範囲内においてやるということでございますから、日本の憲法上負い得ないものをこの条約の中に盛り込むはずはないわけであります。ただいま仰せられました補給業務ということの内容は、先ほど総理が仰せられた通り実ははっきりしないのでございますが、経済的に燃料を売るとか、貸すとか、あるいは病院を提供するとかということは軍事行動とは認められませんし、そういうものは朝鮮事変の際にも日本はやっておるわけであります。こういうことは日本の憲法上禁止されないということは当然だと思います。しかし極東の平和と安全のために出動する米軍と一体をなすような行動をして補給業務をすることは、これは憲法上違法ではないかと思います。そういうところは条約上もちろんはっきりさしていくべきだと思います。」

<2>参議院外務委員会(1982年4月20日)における角田礼次郎内閣法制局長官答弁

「…武力行使以外でも憲法上できないものがあるかどうかという直接の御質問に対しては、これはいまの段階で武力行使というものをもう少し具体的になってきた場合に詰めなければならない問題じゃないかと私は思っております。」

「一体をなすような行動をして補給業務をやるというふうに書いてありますが、これはその補給という観念の方から見るのじゃなくて、それ自体が武力行使の内容をなすような直接それにくっついていると、そういうようなものはむしろ武力行使としてとらえられる、そして憲法に反するというような意味で林元長官が言われたのだと、そういう意味では私が先ほど来申し上げていることと基本的には違いはないように思います。」

<3>衆議院国際連合平和協力に関する特別委員会(1990年10月29日)における柳井俊二外務省条約局長答弁

「実際に生起いたします武力紛争というのは大変千差万別であると思います。したがいまして、この問題は結局その具体的な紛争に即してケース・バイ・ケースに判断せざるを得ない問題であると思います。非常に典型的な例として従来挙げられておりますのは、例えば地上で戦闘が行われておりまして、それに空挺部隊から弾薬を補給するというようなものにつきましては、その空挺部隊から弾薬を落とすというような活動それ自体は補給かもしれませんが、しかし、そのような場合には武力行使と一体となるとみなされるのではないかというふうに考えておりますが、ただ、初めに申し上げましたように、実際の武力紛争というのは大変千差万別で、いろいろな状況があると思います。したがいまして、そのような状況に即してケース・バイ・ケースに判断する必要があるというふうに考えております。」

<4>衆議院国際連合平和協力に関する特別委員会(1990年10月29日)における工藤敦夫内閣法制局長官答弁

「・・・例えば現に戦闘が行われているというふうなところでそういう前線へ武器弾薬を供給するようなこと、輸送するようなこと、あるいはそういった現に戦闘が行われているような医療部隊のところにいわば組み込まれるような形でと申しますか、そういうふうな形でまさに医療活動をするような場合、こういうふうなのは・・・問題があろうということでございますし、逆にそういう戦闘行為のところから一線を画されるようなところで、そういうところまで医薬品や食料品を輸送するようなこと、こういうふうなことは当然今のような憲法九条の判断基準からして問題はなかろう、こういうことでございます。したがいまして、両端はある程度申し上げられる、こういうことだと思います。」

(注24) PKO法に基づき、国連等による国連平和維持活動、人道的な国際救援活動、国際的な選挙監視活動の3つの活動に対する協力を実施。

(注25) 国連では、当事者の同意(注:主たる紛争当事者)、不偏性、自衛及び任務の防衛以外の実力の不行使の3つがPKOの基本原則とされている(「国連平和維持活動原則と指針(キャップストーン・ドクトリン)」(2008年1月18日)。これに対し、我が国のPKO参加には、現行PKO法上、いわゆるPKO参加5原則(<1>停戦合意が存在すること、<2>受入国を含む紛争当事者の受入れ同意が存在すること、<3>中立性が保たれていること、<4>上記要件が満たされなくなった場合には派遣の撤収ができること、<5>武器の使用は必要最小限度とすること)が法的要件とされている。

(注26) いわゆる駆け付け警護や妨害排除のための武器の使用は、相手方が単なる犯罪集団であることが明白な場合等、これに対する武器使用が国際紛争を解決する手段としての「武力の行使」に当たるおそれがないということを前提にすることが可能な場合には、憲法上当該武器使用が許容される余地がないとは言えないとされている(参議院外交防衛委員会(2003年5月15日)における宮﨑礼壹内閣法制局第一部長答弁)。

(注27) 「国連平和維持活動原則と指針(キャップストーン・ドクトリン)」(2008年1月18日)によれば、「現場では時に似ているように見えることもあるが、強力な平和維持(robustpeacekeeping)は、憲章第7章の下で規定されている平和執行と混同されるべきではない。強力な平和維持は、安全保障理事会の許可及び受入国及び(又は)主たる紛争当事者の同意を得て、戦術レベルでの実力の行使を伴う。これに対し、平和執行は主たる当事者の同意を必要とせず、かつ安全保障理事会の許可がない限り憲章第2条4によって通常は加盟国に禁じられている戦略又は国際レベルでの軍事力の行使を伴い得る。」とされている。

(注28) 輸送の職務に従事する自衛官は、その職務を行うに際し、「自己若しくは自己と共に当該輸送の職務に従事する隊員又は輸送対象者その他その職務を行うに伴い自己の管理下に入つた者の生命又は身体の防護のためにやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。」とされている。

(注29) 衆議院安全保障特別委員会(1991年3月13日)における小松一郎外務省条約局法規課長答弁

「自国領域内におります外国人を保護するということは所在地国の国際法上の義務でございます。しかし、その所在地国が外国人に対する侵害を排除する意思または能力を持たず、かつ当該外国人の身体、生命に対する重大かつ急迫な侵害があり、ほかに救済の手段がない場合には、当該外国人を保護、救出するためにその本国が必要最小限度の武力を行使することも、国際法上の議論に限って申し上げれば自衛権の行使として認められる場合がございます。しかしその際にも、自国民に対する侵害が所在地国の領土、主権の侵害をも正当化し得るほどの真に重大な場合に限られ、また自国民の保護、救出の目的に沿った必要最小限度の武力行使でなければならない、これが従来申し上げているところでございます。」

(注30) 衆議院安全保障特別委員会(1991年3月13日)における大森政輔内閣法制局第一部長答弁

「お尋ねの場合、すなわち外国において日本人の生命、身体、財産または日本政府の機関が危殆に瀕しているという場合に、ただいま申し上げました三つの要件を果たして満たすのであろうか、特に第一要件である我が国に対する急迫不正の侵害があることという要件を満たすのであろうかということを考えてみますと、これも断定的なお答えをすることができない場合ではあろうと思いますが、一般的には直ちにこれらの要件に該当するとは考えられないのではなかろうか、したがって該当しない限りは自衛隊を外国に派遣するということは憲法上認められないという結論になるということでございます。」

(注31) なお、各国憲法には、国家が在外国民を保護する義務を負うことや、国外に滞在している期間、国民は国家により保護を受ける権利を有することを定めている憲法もある(大韓民国憲法(1987年)第2条第2項「国家は、法律の定めるところにより、在外国民を保護する義務を負う」、ポーランド憲法(1997年)第36条「ポーランド市民は、国外に滞在している期間、ポーランド国家による保護を受ける権利を有する」)。

(注32) <1>なお、個々の侵害行為が単独では「武力攻撃」に当たらない場合でも、そうした侵害が「集積」している場合は、これを「武力攻撃」とみなすことができ、自衛権を行使することが国際法上可能であるとの考え方も否定はされない。

<2>衆議院安全保障特別委員会(1986年5月19日)における小和田外務省条約局長答弁

 「一般国際法上の理論として申し上げれば、そういう緊迫した、急迫した不正な侵害があるかどうかということの中には、事態が継続して同じようなことがどんどん次から次へと起こっておる、そういう状態がまだやんでおらない、そういう中においてその措置をとめるためにどうしてもやらなければならないということで自衛権を行使することが正当化されるということは、一般論としてはあり得るということは国際法上確立していることであるというふうに言ってよろしいと思います。

 ただ、今度の場合につきまして、(略)そういう一連の状況が続発している中において急迫した危険がアメリカに迫っておって、それを妨げるために直ちに措置をとらなければならないという状況があったのかどうかというような判断になってまいりますと、我が国はこの事件の直接の当事者ではございませんから、そういう状況の一々の詳細について承知しているわけではない。したがって、我が国としては確定的な判断をすることは差し控える、こういうことを申し上げているわけでございます。」

(注33) 部隊司令官の判断で、部隊等への外部からの侵害に対し防衛のための措置をとることが世界で広く認められている。

{文中の<1>はマル1、<2>はマル2、<3>はマル3、<4>はマル4、<5>はマル5、<6>はマル6}