[文書名] 東南アジア開発閣僚会議における三木武夫外相ステートメント
東南アジアの友邦の開発問題を担当しておられる有力な指導者が一堂に会し、ここに第二回目の開発閣僚会議が開催されるに至りましたことは慶賀にたえません。また、この機会に国の建設に多忙な毎日を送つておられる諸国の代表各位にお会いできたことは私の最も欣快とするところであります。私はまず、今回の会議を主催され、われわれに対して心からの厚遇を与えられたフィリピン共和国政府に対し、特に、御多忙の中に、本日わざわざ臨席せられ懇篤なる御挨拶を賜わりましたマルコス大統領に対し、深い感謝の意を表明いたしたいと存じます。
顧みますれば、東南アジアの開発をさらに促進することを目的として東京で第一回の開発閣僚会議が開催されましてから、早や一年の月日がすぎました。東京会議には、私も日本代表団の一員として列席し、討議に加わりました。第一回会議以来、東南アジアの連帯を強固にし、その開発に寄与する重要な事柄が相ついで起つております。例えば、その一つは、アジア開発銀行の発足であり、さらには東南アジア農業開発会議およびアジア極東経済委員会の二十周年記念総会の開催であります。
このような一連の動きのなかで東南アジア開発閣僚会議が再びここに開催されたわけでありますが、このような会議は叡智と精力を結集しつつ、辛抱強く活動を継続すべきものであると信じます。私は、この機会に日頃考えておりますことを率直に述べてみたいと存じます。
今日お互い共通の課題は、如何にしてアジアの開発を着実に効果的に達成してゆくかということであります。このことは、単にアジアの幸福を追求するというばかりでなく、世界平和の要請でもあり、世界人道の要請でもあると信じます。
しかし、それには一、各国それぞれの努力、二、地域協力、三、より広汎な国際援助の三要素の結合が必要であると思います。その一つが欠けてもうまくゆくものではありません。
アジア各国とも偉大なる能力と豊富な資源、恵まれた気候条件を持つています。要はその開発であります。
雨期の水を乾期にも利用出来る工夫のための灌漑、多目的ダムの建設も必要であり併行して化学肥料工場の建設も必要であります。灌漑用ポンプも必要であれば、それをつくる工場も必要でありましよう。要するに総合的漸進的「産業化」が必要であります。
日本も近代化に乗り出したのは近々一世紀前のことでありました。それまでの日本は多くの前近代的制度や因習にしばりつけられ、一人当りの国民所得水準も当時の価値で約四十ドル前後に停滞していました。日本は幸いにして西欧の制度、技術を迎えるのに、心理的抵抗がなく、オープン・マインドにそれらをとりいれ、勇敢に因習を打破しました。
また、経済開発の基盤をなす農業に優先的に力をいれ、灌漑施設の整備、土地改良や品種改良を精力的に行ない、食糧の増産に意を用いました。併せて中小規模工業の育成につとめ、その過程を経て、事業の経営と近代技術を身につけることができました。
さらに教育を立国の基本の一つと考え、教育の普及に努め、文盲をなくすることに成功しました。それが日本の産業発展に大きく物をいつています。
しかし一国の発展にのみ心を奪われてしまつた日本はやがて大きな誤ちを犯し、アジア諸国に大へん迷惑をかけてしまいました。日本は敗戦、荒廃という大きな懲罰をうけました。
このにがい経験を経て、新しく生まれ出た戦後の「新日本」は再び誤ちを犯すことなく「新しいアジア」とともに歩み、新しいアジアとともに繁栄し、新しいアジアとともに平和でありたいと心から念願しています。
出来ることなら日本はアジア唯一の工業国として、もつともつと東南アジアの援助をしたいと思つています。しかし、日本には日本の問題もあります。東京の銀座通りの華かさは日本全体の姿ではありません。国民総生産では世界第五位といつても、一人当りの国民所得ではまだ世界二十一番目の日本であります。日本自身の貧困対策の問題もあり、日本国内での格差是正の問題もあります。
しかし、それにもかかわらず私は、日本の国民を説得して、日本として出来得る限りの援助を実行したいと考えています。
現在、日本の海外援助は一九六五年の数字で四億八、五九〇万ドル、国民総所得の〇・七三%に当りますが、これをできる限り早く国民総所得の一%を海外援助に−主として東南アジアに−向けようというのが、日本政府の方針であります。
東南アジアに対する国際援助の一人当りの額はアフリカやラテン・アメリカのそれに比し半分であります。この地域の人口が多く、しかも年々急激に増加していつていることにも原因がありますが、少ないことは事実であります。
私は世界に向かい特に太平洋圏の先進国に向かい、東南アジア経済開発のために、現在の援助を倍加してもらいたいと願うものであります。
そのためには、これ等諸国の人々に、太平洋の繁栄と安全が、アジアのそれと「同じボート」にのつていることを知つてもらい、アジアの情勢についても深く正しい認識を持ってもらうことが先決であると思います。
私が声を大きくして「アジア太平洋地域協力」を唱えていますのも、先ずもつてこの共通認識によつて、アジア太平洋地域の共通基盤をつくろうというのが当面の目標であります。
太平洋という海は、諸国を引き離す海ではなく、諸国をつなげる海でなければなりません。
日本の岡倉天心は、今世紀のはじめに「Asia is One」という有名な言葉をはきましたが、アジアの諸国は、伝統・文化・人種・宗教・政治的立場いずれも異なつていて決して「一つ」ではありません。
しかし、停滞から早く脱出したいという願いは一つであり、繁栄と安定を求める願いも一つであります。開発された暁の未来への期待も一つであります。
われわれは、地理的に隣接し、かつ、共通の課題を持つとはいいながら、今まで相互の接触、理解、協力の面では、いささか、不足するところがありました。
しかし、喜ばしいことは、昨年頃から急速に高まつて来たのが、いわゆる「アジアの新風」とよばれる地域協力の高まりであります。
その新風を象徴するものの一つが、ここマニラに本部をおく「アジア開発銀行」の発足でありました。そのマニラで第二回の東南アジア開発閣僚会議が開かれたことは誠に意義深いものがあります。この東南アジア開発閣僚会議は幾多の成果を生みつつあります。その一つは、農業開発基金設置でありますが、これに対しわが国は応分の寄与をする決心でありますが、多額な資金を要しますので、他の多くの先進諸国にも広く呼びかけ、アジア開発銀行の特別基金として一日も早い発足を希望するものであります。
東南アジア漁業開発センターの設立も作業部会での検討を終り、実現に向かつたことは地域協力の現われとして心から歓迎するものであります。
東南アジア諸国の工業化の問題、域内の運輸、通信の整備等もこの会議を通じて検討され成果が生まれることを期待いたします。アジアの指導者は、立場が違つても、お互に、もっと接触し、もつと知り合わねばなりません。そしてお互に手を握つて繁栄と安定の共通のゴールに向かつて協力しようではありませんか。
すでに数千年前われわれアジア人の祖先は偉大な文化の華を咲かせ、その遺産は人類に深い影響を与えつづけました。
アジアに再び人類史上脚光を浴びる日が来るに違いありません。アジアに再び偉大なる文明が築かれる日が来るに違いありません。われわれは開発の潜在的能力をもつているのでありますから、お互に自らもやろうという意欲と、お互の協力によつて次の偉大なる時代を築こうではありませんか。私は、この会議の成功を祈り演説を終ります。