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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 南北ヴィエトナム政治協議会共同コミュニケ

[場所] ホーチミン
[年月日] 1975年11月21日
[出典] 外交青書20号,161−164頁.
[備考] 仮訳
[全文]

 1975年11月15日から11月21日までホーチミン市で,北の代表団と南の代表団は国家水準でのヴィエトナムの再統一を討議するため政治協議会を開いた。

 北ヴィエトナム代表団はチュオン・チン・ヴィエトナム労働党中央委政治局員・ヴィエトナム民主共和国国会常任委議長を団長とし,ホアン・バン・ホアン・ヴィエトナム労働党中央委政治局員・ヴィエトナム民主共和国国会常任委副議長とチャン・フー・ドク・ヴィエトナム労働党中央委員・ヴィエトナム民主共和国政府副首相を副団長とする25名の団員から成り,南ヴィエトナム代表団はファン・フン・ヴィエトナム労働党中央委政治局員・ヴィエトナム労働党南ヴィエトナム委書記・南ヴィエトナム解放民族戦線内党代表を団長とする25名の団員から成つた。副団長は南ヴィエトナム解放民族戦線中央委幹部会議長・南ヴィエトナム共和国臨時革命政府諮問評議会議長グェン・フー・ト弁護士と南ヴィエトナム共和国臨時革命政府首相・南ヴィエトナム解放民族戦線中央委幹部会副議長兼書記長フィン・タン・ファト建築技師,ヴィエトナム民族民主平和勢力連合議長・南ヴィエトナム共和国臨時革命政府諮問評議会副議長チン・デイン・タオ弁護士である。

 会議は高度の熱意の雰囲気の中で,北と南の血で結ばれた兄弟愛の精神で進行した。

 解放民族戦線議長・南ヴィエトナム共和国臨時革命政府諮問評議会議長グエン・フー・ト弁護士が会議を厳粛に開会した。

 チュオン・チン北ヴィエトナム代表団団長とファン・フン南ヴィエトナム代表団団長が2つの重要な政治報告を行つた。

 深い感動をもつて,会議は祖国の独立と再統一並びに人民の自由と幸福のための闘争に全生涯を奉げたホー・チ・ミン主席の無限の奉仕を回顧した。

 会議は民族の強固な不屈の闘争の伝統を堅持して母国のために生命を奉げた戦士と人民に深い感謝を表明した。

 会議は熱気にあふれた,活発な,民主的討議を行い,議事日程の諸問題について深い分析を行つた。

 会議は国家水準での民族再統一を達成するためにとられるべき政策,方法,措置に関するあらゆる問題について完全な意見の一致に到達し,こうしてわが人民の鉄の意志と最大の熱望を例証した。

 会議はヴィエトナム並びにヴィエトナム民族がもともと1つであつたことを確認した。国の創設者フン王の時代から光栄あるホー・チ・ミン時代に至るまで,ヴィエトナム民族は母国の独立,自由,統一を守るため輝かしい闘争の時期を通過してきた。

 ホー・チ・ミン時代に,わが人民は前のインドシナ共産党−現在のヴィエトナム労働党−の指導の下で,8月革命を成功裡に実行し,帝国主義的封建的奴隷状態を粉砕した。1945年9月2日,ホー・チ・ミン主席は全ヴィエトナム人民と世界人民全体の前で歴史的な独立宣言を読み上げ,ヴィエトナム民主共和国の誕生を宣言した。これは全国にとつての1つの国会,1つの中央政府,北から南までの種々の水準での各地方政権を持つ,東南アジアで最初の人民民主国家である。

 8月革命に続いて,フランス植民地主義者はいま一度ヴィエトナムを侵略するためにまいもどつてきた。全ヴィエトナム民族はホー・チ・ミン主席の神聖なアピールにこたえて,ほぼ9年続いた抵抗戦争を行うために立ち上がり,ついにディエンビエンフーで偉大な勝利を記録し,フランス植民地主義者に対して1954年ジュネーヴ協定に調印し,ヴィエトナムの独立,主権,統一,領土保全を承認することをよぎなくさせた。

 しかしながら,米帝国主義者はインドシナでの干渉の陰謀を放棄することを頑固に拒否してフランス植民地主義者にとつてかわり,わが国の分割を永続化し,南ヴィエトナムを米国の新型植民地と軍事基地にかえ,ヴィエトナム民主共和国を攻撃するための飛び込み台として南ヴィエトナムを使用し,社会主義が東南アジアに発展するのを阻止し,当時インドシナでわきあがつていた民族解放運動を破壊しようとする企てをもつて,侵略の道に深く踏み込んだ。

 全国のわが同胞は米国のこの邪悪な陰謀に対して勇敢に戦つた。解放後,北は社会主義革命を遂行し,社会主義を建設するため前進し,全国における革命の確固たる強力な基地になつた。ヴィエトナム労働党の明敏な指導の下で,またラオスとカンボディア両人民と固く団結して,わが人民は過去20年にわたり抗米救国の抵抗戦争を行つた。兄弟の社会主義諸国の献身的な援助と米国の進歩的人民を含む全世界の人民の全面的支持を享受して,われわれは次々に勝利をかち取り,米帝国主義者に対して,1973年のパリ協定に調印し,ヴィエトナム人民の基本的な諸権利を尊重することを公約し,南ヴィエトナムから米国とその衛星国の軍隊を引き上げることを余儀なくさせた。

 しかしながら,協定が調印されるや否や,米帝国主義者とその従僕はヴィエトナムに関するパリ協定を著しく破り始めた。この理由のため,わが人民はたたかいを継続し,敵をますます弱くさせ一層敗北する立場に追い込んだ。歴史的なホーチミン戦役をもつて終了した1975年春のわが人民と戦士の総攻撃と蜂起は敵に致命的な打撃を与え,輝かしい勝利をかち取り,こうして南ヴィエトナムにおける米国の新植民地主義体制を粉々に粉砕した。1975年4月30日以来,わが国は完全に独立し,事実上,北と南は多くの面で再統一された。現在民族再統一を完了する問題はわが民族の運命とわが母国の将来ににとつてさし迫つた,極度に重要なものになつた。

 政治協議会はヴィエトナム革命が新しい段階,すなわち全国が社会主義革命と社会主義建設に従事する段階に移つたと一致して主張する。民族独立と社会主義を基礎として民族再統一を完了することが必要である。これは最も完全な最も確固たる再統一である。

 独立,統一,社会主義は緊密に関連している。社会主義はヴィエトナム社会の前進方向,必然的な傾向であり,民族独立と統一を永遠に守り,現代的工業と農業,強力な国防,先進的な文化と科学を持つ強力な繁栄した国を建設し,今日のわれわれと今後の数千の世代に幸せな生活を保証するための唯一の道である。

 会議は民族再統一完成の全過程で,現在重要な点は国家水準での民族再統一を実現することであると一致して主張する。

 これはわが人民の主人公の権利を絶えず高め,わが国の両地帯の現実に合致したわれわれの経済と文化の計画的発展を約束し,全国で新しい社会と新しいタイプの人間を建設する目的で,わが国を早く,力強く,確固として社会主義に導くための基本的な条件である。

 会議は全国に共通の国会を選出するため,ヴィエトナム全領土で早期に総選挙を実施することが必要であると一致して確認する。完全な独立と社会主義ヴィエトナムの最高の権力機関として,この国会は国家の政治的制度を定め,国家指導機関を選出し,統一ヴィエトナムの新憲法を作成するだろう。

 総選挙は普通,平等,直接,秘密の投票の民主的諸原則の厳格な順守の下で,1976年前半に実施される。

 国会の議員数は人口に比例して決定される。約10万の住民につき1人の議員が存在する。

 全国での選挙を担当するのは両地帯からの同数の代表をもつ全国選挙評議会である。全国選挙評議会は全国での投票を監督し,選挙作業を集計し,選挙の結果を発表し,当選者に証明書を発行し,国会に選挙の結果を報告する任務をもつ。選挙担当の機関はそれぞれの地帯に設立される。北で選挙を主宰する機関はヴィエトナム民主共和国国会常任委員会であり,南においてはそれは臨時革命政府諮問評議会である。

 会期の議長団選出前の共通の国会の召集と国会第一会期の議長はヴィエトナム民主共和国国会常任委員会議長と南ヴィエトナム共和国臨時革命政府諮問評議会議長によつて引き受けられる。

 政治協議会によつてすでに決定された主要な問題とは別に,それぞれの地帯における選挙についての具体的問題はそれぞれの地帯の責任ある機関によつて決定される。

 1週間にわたる会議の後,民族再統一に関する政治協議会はすばらしい成功を収めた。これはわが全人民の重要な政治的成功である。会議は「ヴィエトナムは一つであり,ヴィエトナム民族は一つである。川は干上がり,山は崩れるかもしれないが,この真理は決して変わらないだろう」という偉大なホー・チ・ミン主席の教えを実行する決意を固めた。

 政治協議会が開会していた時,北と南ヴィエトナムの人民ならびに海外のヴィエトナム人は会議を歓呼するためメッセージを送り,あるいは集会と熱烈なデモを組織し,会議を記念して全面的な成果を記録するため最善をつくすことを誓つた。

 民族再統一に関する政治協議会の結果を全面的に発揮するため,ランソンからカマウに至るすべてのわが幹部と人民は愛国主義と社会主義の旗を高く掲げ,1人の人間のように団結し,会議の成功を全面的に発展させ,労働生産の競争を促進し,節約を守り,仕事を改善し,厳格に現実を守り,大衆の利益に気を配り,人民の集団的主人公の権利を尊重し,全国の人民にとつて実際に偉大な祭日となるに違いない来るべき総選挙にとつて最良の成功を保証するためあらゆる努力を払おう。

 フランス帝国主義者の旧植民地主義と米帝国主義者の新植民地主義を打ち破つたわが人民は平和,独立,統一,社会主義のヴィエトナムを建設する事業で必ず成功し,こうして平和,民族独立,民主主義,社会主義のための世界人民の闘争に積極的に貢献するだろう。

1975年11月21日 ホーチミン市で

北ヴィエトナム代表団首席代表

チュオン・チン

南ヴィエトナム代表団首席代表

ファン・フン