[文書名] マレイシア・フセイン首相主催晩餐会における福田内閣総理大臣のスピーチ
フセイン首相閣下、令夫人並びに御列席の皆様
今夕、ここに斯くも盛大なる晩餐の宴を賜わり、また、唯今首相閣下よりご懇篤なお言葉を賜わりましたことは、私の最も光栄かつ喜びとするところであります。
私は、一九七四年蔵相であった時代に当地を訪れ、この緑の美しい首都に深い感銘を受けました。当時は、スバン空港からは、左右に良く整備されたゴム林を通りすぎて、道路の両側の家並みを真近に見ながらクアラ・ルンプールの町中に入ったやに記憶しております。今般は、貴首相のご招待により、総理大臣として再度当地を訪れた訳ですが、この度の空港からの車窓の景色は、美しいゴム林こそ変わっていませんが、立体交差も多く、また周囲の建築物にも新しい高いものが増えたように思われます。七十四年の当地訪問以来三年の歳月の間に、貴国が如何に発展したかを新たに認識している次第であります。
ASEANは、昨八日をもって満十歳を迎えました。このASEANの発展のために諸般の面でオピニオン・リーダーとして、貴国が果たして来られた役割は、極めて大きなものがあります。ラーマン首相は、ASEANの先駆である東南アジア連合(ASA)を設立されました。また故ラザク首相は、ASEANの生みの親の一人であるとともに、東南アジア中立地帯構想の発案者であることはよく知られたところであります。この意味におきまして、今回のASEAN首脳会議及びわが国を含む近隣諸国とASEAN諸国との首脳会議を、貴首相の卓越したチェアマン・シップのもとで開催されましたことは極めて意義深いものがあったと考えます。
ASEANは、満十歳ですが、マレイシアは今年で満二十歳の誕生日を迎えられたわけであります。わが国におきましては、人が二十歳という年齢に達しますと、成人式を行い盛大なお祝いが催されます。これは二十歳が人生の転換期であると意義づけられているからであります。この二十年間に貴国が、貴首相を初め優れた指導者の下に、民族の調和と統一を求めて、安定した経済発展と政治的進歩を遂げられ、東南アジア、ひいてはアジア全体の安定と発展に大きく寄与されました。
私の生まれた年、一九〇五年は日本式に言えば明治三十八年です。したがって、日本の国内におきましては、私は明治三十八歳ということで、若さを自負しております。先般の参議院選挙においても、この若さをもって陣頭指揮をとったのであります。したがって、マレイシアが二十歳という若さ、そのバイタリティーをもって、輝かしい国造りを進めておられることに深い感動を覚えるものであります。と同時に貴国が三十八歳になられた時の発展振りは如何ばかりかと大きな期待を抱くものであります。
私は、若さを共有するからというにとどまらず、同じアジア人として貴国に深い親近感を覚えるものであります。わが国の国民は、一説によれば、大古の時代にこの地域から海をわたって日本に来たともいわれております。例えば、わが国にも、九州、すなわち文字通りマレイシア語に訳すればネグリ・スンビランと呼ばれる地方があります。更にその地方に太古の昔、南方より到来した人々が、大きな火山から噴き出る「煙」を見て、アサップ(ASAP)と言ったところから、九州一の活火山阿蘇山の名がついたとの説があるようです。
このような古来からの深い関係を背景として、日本・マレイシア関係は着実に発展し、極めて友好裡に推移してきております。両国間貿易は、拡大の一途を辿り、わが国政府による経済、技術等各般の協力の他、民間相互の間の協力も盛んになりつつあります。今般両国の関係者の努力によって近く正式に発足の運びとなった「日・マ経済委員会」もその一つのあらわれでありましょう。
私は今回の訪問によりすでに両国間に存在している緊密な友好関係を更に深めることができたものと確信いたします。
今後とも貴首相ともども両国の友好関係を一層堅固なものとすべく努力して参りたいと思います。
終わりにのぞみ私は、あらためて貴国滞在中に、私の妻並びに随員一同が受けた数々のおもてなしに対し、深い感謝の意を表したいと思います。いずれ九月には貴首相ご夫妻を日本にお迎えするわけでありますが、すでに、私どもの方ではそのための諸般の準備を進めております。再び東京でお目にかかれるのを妻ともどもたのしみにいたしております。
ご挨拶を終えるに当たり、ここで私はご列席の皆様と共に杯を挙げ、国王陛下、フセイン首相閣下、令夫人のご健康とマレイシアの繁栄、日・マの両国の友好、そしてアジアと世界の平和のために乾杯したいと思います。
乾杯!