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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] マルコス大統領夫妻主催晩餐会における鈴木内閣総理大臣の挨拶

[場所] マニラ
[年月日] 1981年1月8日
[出典] 鈴木演説集,170−172頁.
[備考] 
[全文]

 マルコス大統領閣下、令夫人並びに御列席の皆様

 今夕は私共のために、このように盛大な宴を催して戴き感謝に堪えません。

 私が総理就任後最初の外国訪問地として、この美しいマニラに足跡を記すことができましたことは、私にとりまして格別の意味があります。

 御記憶の方もあろうかと思いますが、私は、七年前に、特使として貴国を訪問致しましたが、訪問中閣下並びに皆様から戴きました暖かい御配慮と御親切の数々に深く感動し、私にとり忘れ得ぬ思い出となりました。

 また、私が国民に託された、日本国民の貴国民に対するささやかな感謝の気持ちを、マルコス大統領閣下の御理解と各方面の御協力を戴き、比日友好基金として残すことが出来、これが今日日比両国民の友好促進のために役立っていることを知り、心から嬉しく思った次第であります。そしてその際に、私は、マルコス大統領の卓越した指導力、優れた見識、困難な問題に対処するに当たって見せられる冷静かつ果断な判断力に心から敬服致しました。

 今回、閣下並びにイメルダ夫人に再びお目に掛かれ、大統領御夫妻の永遠の若々しさに接し、心から嬉しく思った次第であります。

 マルコス大統領閣下

 私が総理大臣に就任して最初に発効した条約が、日本とフィリピンとの間の新しい友好通商航海条約でありました。この条約の発効こそ、八〇年代の日比関係の幕明けをかざるにふさわしい重要な出来事として、長く歴史にとどめられることになると私は信じます。この条約が今日の姿をとるまでには、実に長い道のりと、幾多の山河を乗り越えなくてはならなかったということを私は知っております。そして、私は、困難な局面に直面する都度、貴大統領閣下が、法律家としての知識と、将来を見通す政治家の叡智と、日比関係に新章を記そうとする外交家としての熱情をもって、その克服に当たられたと聞いております。

 このような努力の結果、今日、日比関係はかつてない広がりと発展をみております。我々は、ともすると、日比両国が大洋によって隔てられているかのごとき思いにとらわれがちでありますが、よく地図をみてみますと、日比両国はたった三百キロ余しか離れておりません。海洋国家である両国は、この恵み多き海によってまさにしっかりと結びつけられているのであり、両国関係が今日の発展をとげたことは自然のなり行きであります。

 勿論、我々は現状に満足し、前進を忘れてはなりません。日比両国政府は、経済のみならず、一層活発な文化交流、人物交流を含む、均整のとれた関係を構築すべく各般の努力を払ってまいりましたが、今後とも協力しつつ常に前進する必要があります。また、両国政府のみならず、民間を含めた互恵的な交流の輪を広げて行くことも必要であります。

 このような観点から、最近日本・アセアン双方の民間部門が、「日本・アセアン開発会社」構想の検討等、日・アセアン間の投資促進を目指し、自ら努力しておられることは特に歓迎されます。このような建設的なイニシアティヴが多くの分野でとられることになれば、両国関係のみならず日本とアセアンの関係はより堅固な基盤をもつようになり、八〇年代は更に一層の飛躍が約束されるものと思われます。

 日比両国は、自由主義経済を信奉し、民主主義を共通の基盤として国の発展をはかり、他の諸国との友好的関係を維持し、アジアひいては世界の平和と繁栄のために貢献したいという共通の意欲を有しております。私は、マルコス大統領閣下が正常化への着実な努力を払いつつ、国民の総力を動員して国造りを前進させておられる貴国の姿を目のあたりにして、今後共かかる共通の基盤の上に両国の関係を一層強化発展させたいとの決意を新たにするものであります。

 この決意を胸に、私は、御列席の皆様とともに杯を挙げて、マルコス大統領閣下並びに令夫人の御健康と御幸福を祈念し、フィリピン国民の一層の繁栄と発展のために乾杯致したいと思います。

 乾杯!

 マブハイ!