データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日米安保条約および歯舞・色丹返還の条件に関するソ連覚書(新安保条約および歯舞,色丹返還の条件に関するソヴィエト政府覚書)

[場所] モスクワ
[年月日] 1960年1月27日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),992−994頁.外務省情報文化局「外務省公表集」,昭和35年上半期,205−9頁.
[備考] 仮訳
[全文]

 本年一月十九日いわゆる“相互協力および安全に関する条約”が日本とアメリカ合衆国の間に調印された。本条約の内容は,極東と太平洋地域における情勢ならびにこれによりこの広範な地域にある多数の諸国,もちろん,第一にソ連邦および中華人民共和国のごとき直接の隣国の利害に重大な影響を及ぼすものである。

 この条約によれば日本国政府の自発的同意により長期間日本国領域に外国軍隊が駐留し軍事基地を置くことが再度確定されている。同条約第六条に従えばアメリカ合衆国に対し「その陸軍,空軍,海軍をして,日本における設備および地域を使用させることが許されている。」同条約中のその実施についての協議に関する諸条項は,日本国民の意思にかかわりなく日本国が軍事紛争に巻き込まれうるという事実をかくすことはできない。

 同条約による日本国の事実的占領の永久化,同国の領域を外国支配下に置くこと,日本国よりの沖縄および小笠原の分離,同条約の諸規定より不可避的に起つてくる日本国の軍事的,経済的,政治的依存,これはすべて,同条約の発効後は日本の主権は一体実際にどれだけ残るのであろうかという当然の疑問を惹起するものである。日本国に今後も外国軍隊が駐兵するという事実は,同国はその行為において制限を受けていることをすでに意味している。かくて実質的には,新軍事条約を締結することにより,日本国はみずからの手によつて主権国としての自国の権利の著しい部分を外国に譲渡し,自国の国家的独立を失なうという事態に立ち至つている。

 条約中に確定されている自己の軍事潜在力を増大すべき旨の日本の義務も,これと直接的な関連がある。

 この条約を強化せしめるために必要とされる日本の再武装計画の中において日本の軍隊を,同国領内に配置されている外国軍と同様,ロケット,核兵器によつて装備することが特に重点を占めることは,何人によつても秘密ではない。

 このこと自体によつて日本は,平和愛好に関する同国政府の何回もの声明に反し,戦争および軍事力使用の脅威からの日本の永久拒否を宣言した自国憲法に反して,広範な再軍国化の道に公然と踏み入つたものである。

 日本政府は,思うに十三年前に採択した憲法の本文中に述べられている『永久』はすでに過ぎ去つたものとしているようである。 一九四七年には戦争が日本国家の基本法の中で,厳粛に非難されていたのにかかわらず,一九六○年には日本の対外政策は軍国化および極東の平和維持に反対する軍事諸同盟への直接的参加の方向にますます明確な傾斜を示しつつある。

 ソ連政府は,新たなる戦争発生の脅威を増大する国際政治上のステップが今やいかなるものでもいかに危険を伴なうにつき一再ならず日本政府の注意を喚起した。現在においては周知のとおりこの種の警告のためには特に重大な根拠がある次第である。

 日本による新たな戦争条約の締結は今後日本の安全保障へ向うものではない。むしろそれは日本を新たな戦争に引きいれる結果となることによつて不可避的にもたらされるであろう破滅の危険を深めるものである。現代のロケット核兵器戦争の条件下において全日本がその狭小かつ人口稠密にし{前1文字ママとルビ},しかも外国の軍事基地の散在する領土をもちながら最初の瞬間に広島,長崎の悲劇的運命を見る惧れのあることは現在だれかこれを知らないものがあろうか。

 現代においては国家の真の強大,その国際的威信,そしてまた,その為政者達の賢明さはその国の軍隊を補充する新らしい師団の数とか,すでに存在している外国基地に加えてさらにいかばかりかの基地がその領域内に設置されるかによつて量られるものではない。国家の権威その国際的事業における役割は今日ではまず第一に平和強化の事業のいかに寄与するかその指導者が国際緊張の緩和に対し,軍備撤廃に対し,すべての軍事的機械の取り壊しに対し外国軍事基地すなわち「冷戦」の残滓がいづれの国にも存在しないようにいかに断固として斗争をおこなつているかに存するのである。

 日本政府が条約に調印することが外国の占領と日本領土を外国軍事基地と化するために国の門戸をさらに広く開けることになるものと認めてよいであろうか?回答がそれ自身明瞭となるためにはこのような質問を出せば十分である。

 ソ連政府首脳エヌ・エス・フルシチヨフが国連で提供した全般的完全軍縮に関するソ連邦の提案が全世界でどんな反響を呼んだかは一般のよく知るところである。諸国民は本提案の実現の中に人類を戦争と軍備の重荷から救う道を公正に見ている。国連総会が全般的完全軍縮の構想を盛つた決議を満場一致採択し,この決議には日本代表も賛成投票をしたことは日本政府も承知である。十ヵ国からなる特別に設けられた軍縮委員会は近き将来本提案の検討に着手しなければならないのであるが,日本政府は委員会の活動の結果を待たないばかりか,委員会の仕事の開始さえも待たずに,軍縮目的に正反対の目的を追う新軍事条約を締結しているのである。

 ソ連政府は日本の平和的独立的発展を目指す日本の方策には全幅の支持を与える用意が常にある。ソ連邦は従来どおり諸他強国と共同して日本の中立に必要な保障を与える用意がある。ソ連政府は周知のごとくソ連邦,中華人民共和国および日本間に平和,友好条約を,米国およびその他の太平洋諸国の本条約参加に同意して締結することを主張した。ソ連政府はソ連邦が日本とソ連邦国民のために日本とソ連邦との間の接近を助成するような日本と真の善隣関係を調整し,互恵の通商,文化その他の連繋を拡大することを希求していることを一再ならず強調してきた。

 しかしソ連邦は極東における平和機構を害し,ソ日関係の発展に対して支障をつくり出す新らしい軍事条約が日本によつて締結せられるようなステップを黙過することはもちろんできない。この条約が事実上日本の独立を奪い取り,日本の降服の結果日本に駐屯している外国軍隊が日本領土に駐屯を続けることに関連して,歯舞,および色丹諸島を日本に譲り渡すというソ連政府の約束の実現を不可能とする新らしい情勢がつくり出されている。

 平和条約調印後日本に対し右諸島を譲渡することを承諾したのは,ソ連政府が日本の希望に応じ,ソ日交渉当時日本政府によつて表明せられた日本国の国民的利益と平和愛好の意図を考慮したがためである。

 しかしソ連邦は,日本政府によつて調印せられた新条約がソ連邦と中華人民共和国に向けられたものであることを考慮し,これらの諸島を日本に譲り渡すことによつて外国軍隊によつて使用せられる領土が拡大せられるがごときを促進することはできない。

 よつてソ連政府は日本領土から全外国軍隊の撤退およびソ日間平和条約の調印を条件としてのみ歯舞および色丹が一九五六年十月十九日付ソ日共同宣言によつて規定されたとおり,日本に引き渡されるだろうということを声明することを必要と考える。

 以上によつて明らかなとおり,日本政府には極東における平和保障の利益に反する軍事条約の署名に関連して生ずる一切の結果に対して重い責任がある。

 モスクワ 一九六○年一月二十七日