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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日米安保条約についてのソ連覚書に対する日本側回答

[場所] 
[年月日] 1960年7月1日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),1037−1041頁.外務省情報文化局「外務省公表集」,昭和35年下半期,49−55頁.
[備考] 
[全文]

日米安保条約改定問題に関するソ連覚書および声明に対する回答について

                         外務省情報文化局発表

 ソ連邦政府は,去る六月十五日モスクワにおいて,在ソ連邦門脇大使に手交した声明において日米両国の安全保障条約の改定問題に関連したソ連邦政府の本年四月二十二日付および五月二十日付覚書に対する日本政府の回答が行なわれていない点を指摘しこれを非難する態度を表明した。右に関連し七月一日藤山外務大臣は在本邦フェドレンコ・ソ連邦大使を外務省に招致してこれに回答する覚書を手交し,ソ連邦政府の覚書および声明が従来のソ連側の一方的かつ独断的見解を繰り返すに止まつている事実を指摘するとともに,本件に関し累次にわたって日本国政府の行なつた説明に対しソ連政府が耳をふさぐ態度を持していることを遺憾とすることを述べるとともに,ソ連側見解に対して重ねて次のとおり日本側の立場を明らかにした。

     記

一,日本国政府の対外政策の基本は今まで繰り返し宣明したとおり,平和主義の政策であり,日本国は,国連憲章の目的を忠実に遵守し,すべての国との平和友好関係を維持発展し,あくまでも侵略に反対して世界平和の増進に寄与せんとするものである。今次の日米安全保障条約の改定もこのような目的に寄与せんとする基本的立場より行なわれたものであり,日本国政府が国連憲章に違反した侵略行為を容認し,またはこれに加坦しているとするソ連邦政府の主張は,全く根拠のない中傷といわざるをえない。四月二十二日付ソ連邦覚書は安保条約が軍国主義的,侵略的なものであるとする理由として種々の点をあげているが,これらの理由が曲解にすぎないことは,次に述べるとおりである。

(イ) ソ連邦覚書は,安保条約と同時に調印された「施設および区域ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(地位協定)に言及して,この協定によつて,日本国は従来のものに追加して新たなる施設および区域を駐留米軍に提供することとしたとしている。

 ソ連邦覚書にいう「追加的施設および区域」云々は地位協定第二条第二項をさすものと思われるが,本条項は一九五二年二月二十八日に調印せられた行政協定第二条第二項と同文であつて,新たに設けられたものではない。また,ソ連邦覚書は,「追加」にのみ言及しているが,同項は「返還」についても規定しているのであつて,要するに,同項は,合衆国軍隊の使用している施設および区域の現状を再検討するための規定である。そして,この条項の適用によつて,合衆国軍隊の施設,区域は,旧安保条約発効当時のそれと比べて,現在約四分の一に減少しているのである。この事実だけからしても,ソ連邦覚書の陳述が根拠のないものであることは明らかである。

(ロ) ソ連邦覚書は,あたかも日本国が合衆国軍隊に核兵器を日本国内へ持ち込む権利を与えているかのごとく断じている。

 日本国における合衆国軍隊の地位は,新安保条約第六条によつて,前記地位協定および他の合意される取極めによつて規律されることとなつているが,これらの条約・協定調印に際して交換された条約第六条の実施に関する交換公文において,核兵器の日本国内への持込みのごとき合衆国軍隊の装備における重要な変更は,両国政府間の事前協議の対象とすることになつた。

 そして日本国政府が核兵器の持込みを許可しない方針をとつていることは,従来繰り返し明らかにしたところであり,ソ連邦覚書の言うところは,改定の趣旨とは全く逆であり為にする一方的言いがかりと言うほかはない。

(ハ) ソ連邦覚書には,「日本国側は,今や軍事力を増強し,外国軍隊と協力して彼らの在日基地を反撃から共同して防衛する義務を負つている」とある。

 およそ独立国である以上,自国の防衛のため,必要な措置を講ずべきは当然のことである。新条約第三条は,武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させることを規定しているが,右は日本国が自国の「憲法上の規定に従うことを条件として」すなわち自国の国土防衛のため,必要最少限度において自国の防衛力を維持し,発展せしめることを意味するのであつて,このことについてソ連邦が異議をとなえる理由は存しない。

 ソ連邦覚書は,また,日本国が在日米軍基地を「反撃」から共同して防衛する義務を負つているとしている。

 新条約第五条は,日本国の施政の下にある領域において武力攻撃が発生した場合に,日米両国が共通の危険に対処するよう行動すべき旨を定めている。この場合に日本国が武力攻撃を排除するため必要な行動をとる自衛権を有することは何人もこれを否定しないであろう。ソ連邦覚書のいう「反撃」が在日米軍が先ず第三国に対して侵略行為を行うことを前提としているものとすれば,このことこそ本件安保条約の基本的性格を故意に曲解し,かかる曲解を宣伝するための想定以外の何ものでもない。日米安保条約は,その第一条および第七条に明記してあるとおり,当事国の侵略行為をいかなる意味においても承認しまたは正当化するものではない。

(ニ) ソ連邦覚書はさらに「日本国政府は,日本国の防衛とは,なんらの関係のない目的のために,日本国の領域からする外国軍隊の作戦行動の実施について事前に同意を表明している」と述べているが,これも歪曲のはなはだしきものといわざるをえない。

 条約第六条の実施に関する前記交換公文は,合衆国が,日本国自身に対する武力攻撃の場合以外に,その自衛権の行使として,あるいは国際連合の行動として,軍事行動を執るに当り,日本国内の施設および区域を戦闘作戦行動の基地として使用しようとするときは,特に日本国政府と事前に協議すべきことを定めている。このような事前協議制度を設けたことは米側戦闘作戦行動が日本側の意向に反して行なわれないようにするためであり,この点は今回の条約改定における主要点の一つである。

 これに関連して一九六○年一月十九日に発表された日本国総理大臣と合衆国大統領との共同コミュニケにおいても「同条約のもとにおける事前協議にかかる事項については,合衆国政府は日本国政府の意思に反して行動する意図がない」と述べられていることを指摘したい。

 日本国政府としては,国連憲章に違反する侵略行為が起りかつそれが日本国の安全に緊密な関係のあるような場合のほかは,合衆国が日本から戦闘行動を執ることに同意しない方針であることは,日本国国会における審議の道程において十分明らかにされている。

(ホ) ソ連邦覚書は,「条約の適用範囲は故意に日本国の諸島に局限されず,ソ連邦および中華人民共和国の領域を含む日本国領域のはるかかなたにある地域に及んでいる」としている。

 前述のとおり新安保条約第五条は「日本国の施政のもとにある領域」に対する攻撃の場合に限られるのであり,したがつて,いわゆる「条約区域」は現存するこの種条約のいずれよりもせまく定めている。

 新条約は,「適用範囲」なるものを,どこにも定めていない。

 因みにこの条約において「極東における国際の平和と安全」として日米両国の共通の関心が示されている区域は,旧安保条約にも謳われている観念である。この区域は,日本国の領域以外の地域が武力攻撃によつて侵略された場合,実際問題として在日米軍が日本国の施設および区域を使用してその侵略を排除する防衛努力に寄与しうる区域を意味し,ソ連邦および中国大陸はこれに含まれていない。しかも,合衆国軍隊が日本国の基地を使用して戦闘行動をとる場合には日本国政府との事前協議が必要であり,日本国政府としては日本国自体の安全に緊密な関係のある場合にのみ同意を与える方針であることは前述のとおりである。

 六月十五日付のソ連邦声明はこの問題について六月七日ハーター合衆国国務長官がなした声明を引用しているが,日本国政府および合衆国政府の見解はこの声明および翌六月八日付国務省声明で明らかなとおり全く一致している。

 日本国政府がソ連邦覚書が言及している日米安保条約の諸点に関し,以上のように詳細な説明をなす所以のものは,この条約に関し,ソ連邦政府の見解が誤解に基づくものならばこれを正し,誤解に基づいて平和増進に逆行するがごとき事態の生ずることなきを願うためである。また,右は,日本国政府が,地球上のいずれの地域においても,平和と安全は,中傷や脅迫の政策によつてではなく,関係諸国による相互理解のための誠意ある努力によつてのみ保障されることを信ずるがためである。

二,ソ連邦政府は,五月二十日付覚書および六月十五日付声明において五月一日に起つたソ連邦における合衆国飛行機の撃墜事件に関連して,日米安保条約は正にこのような合衆国の不法な諜報活動を可能にする基礎を与えるものであると言つているが,右は全く根拠のない独断である。

 すべての国家が相互に主権と領土とを尊重し合うことは,およそ国際社会の基本原則であり,日米安保条約が,日本国を第三国に対する不法な活動の基地にすることを認めているものでないことは言うまでもない。日本国政府はいかなる国に対しても日本国を第三国に対する不法な活動の基地に使用することは許すつもりはない。

 前記ソ連邦覚書は,合衆国政府が日本国の基地から飛行している合衆国の飛行機が今までもまた今後においても合法的な目的のみに使用される旨を日本国政府に通報した事実に言及して現在全世界は,これらの保証がどれほど価値があるものか疑問に思つていると述べている。日本国政府は,合衆国政府から与えられた保証については自から判断するのが当然と考えており,またこの保証が,ソ連邦政府の言うごとく価値のないものと考えてはいないことを明らかにしたい。

 日本国政府は,ソ連邦政府が従来から繰り返して来た日本国の基本的外交政策に対する根拠なき非難に日本国と関係のない今回の撃墜事件を利用していることを遺憾とするものであり,このような態度は国際の平和増進に逆行するものであることを指摘せんとするものである。

三,ソ連邦政府は,日本国政府に対し,外国軍事基地を撤廃し,いわゆる中立政策をとることを繰り返し勧奨しているが,ソ連邦が一方において,共産圏外の国に,中立政策を勧奨しながら,他方において自己陣営に属する国が独自の中立政策をとらんとした場合これを強く非難し,あるいは弾圧によつてその企図を放棄せしめたことは吾人の記憶に新たなところである。

 四月二十二日付ソ連邦覚書はソ・中・日・米等を当事国とする日本国の中立保障に関する条約の問題に言及しているが,ソ連邦のいうこの種中立保障条約は,その前提として先ず駐留合衆国軍隊が日本国より撤退することを要求するものである。すなわち,その狙いとするところは,日本国の現実の防衛力を中立化かつ無力化せんとするものである。しかしながら日本国政府は,第二次大戦終了後におこつた朝鮮事変を始めとする冷厳なる極東の諸事態を考慮するとき自国の安全を確保し,ひいては世界平和に貢献するため,安保条約に基づく米軍の駐留を必要なりと考えていることを繰り返し明らかにするものである。

 日本国政府は,また,一九五六年十月十九日モスクワで日ソ共同宣言が調印された時,旧日米安保条約はすでに存在し共同宣言はこの事実を前提として締結せられたことについてソ連邦政府の注意を喚起したい。

 またソ連邦政府が言及している極東および全太平洋地域に非核武装地帯を設置する問題については,日本国政府は,一九五九年五月十五日付日本国政府口上書に詳しくその見解を述べている。日本国政府は,全世界的規模における核兵器全廃の実現を請い願うものであり,日本国に関する限り,このような大量殺りく兵器を所有しないことは勿論のこと,その国内持込みをも許さない方針であることを繰り返し宣明している。日本国政府は,また,核兵器全廃の問題に最大かつ直接の責任を有するのは,このような兵器を現に所有する国であることを指摘するものである。

四,日本国政府は,曲解と偏見に基づく非難を繰り返すことにより日米安保条約改定問題に関する日本国の国論の動向に不当な影響を及ぼそうと試みているソ連邦政府の態度は,日本国の内政に対する不当の干渉というのほかなく日ソ共同宣言における「日本国およびソヴィエト社会主義共和国連邦は経済的,政治的または思想的のいかなる理由であるとを問わず,直接間接に一方の国が他方の国の国内事項に干渉しないことを相互に約束する」との規定の趣旨に違反することを重ねて指摘するとともに,ソ連邦政府のこのような態度を深く遺憾とするものである。

 日本国政府は,平和外交をその対外政策の基本とし,いかなる国とも友好関係を増進させることを念願しているものであるが,そのためには相互の立場の尊重と内政不干渉の原則が遵守され,特に国際約束が忠実に履行されることが不可欠の前提であるべきことを確信しており,日ソ両国間の友好善隣関係の増進も,この前提の上に立つてはじめて実現されるであろうことを強調するものである。