データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日米安保条約の問題点について

[場所] 
[年月日] 1966年4月16日
[出典] 外交青書11号,26−29頁.
[備考] 
[全文]

一 米国の核抑止力について

 安保条約第五条は,日本が武力攻撃をうけた場合は,日米両国が共通の危険に対処するよう行動することを定めている。ここにいう「武力攻撃」は,核攻撃を含むあらゆる種類の武力攻撃を意味する。このことは,佐藤・ジョンソン共同声明が,米国が外部からの「いかなる武力攻撃」に対しても日本を防衛するという,安保条約に基づく誓約を遵守する決意であると,述べていることによっても確認されている。

 安保条約の下において,米国の核戦力が,日本に対する核攻撃を未然に防止するための主たる抑止力をなしている。しかしこの事と,日本に核兵器を持ち込みあるいは日本が核戦略に参画するという事とは自ら別箇の問題である。米国の核抑止力は,大陸間弾道弾(ICBM),ポラリス潜水艦,核装備した戦略爆撃機によって構成されている。核兵器の日本への持込みは,安保条約によって事前協議の対象とされており,政府は核兵器の持ち込みを認める意志のないことを明らかにしている。米国の核抑止力の主体をなす以上の様な核兵器は日本を基地とするものではなく,その必要性も存在しない。またこれらの核抑止力をいかに配備管理するかについて,日本がこれに参画し,または協議に加わることを,米国から求められたことはないし,また日本が米国に対しこのような意味での核戦略に対する参画ないし協議を求めたこともない。

二 米軍の基地使用によって日本が戦争にまきこまれる危険について

 安保条約第六条は,米軍が日本の安全と極東における平和と安全の維持に寄与する目的のために,日本にある基地を使用することを認めている。もし米軍が日本の基地を使用していることを理由にして,ある国がわが国にある米軍基地を攻撃したとすれば,それは安保条約第五条にいう,日本に対する武力攻撃を意味するものにほかならない。従ってこのような武力攻撃を行なおうとする国は,安保条約第五条によって日本防衛に当る米国との間の,武力衝突を覚悟しなければならない。対米戦争の危険を冒して,対日武力攻撃を行なうことは,実際問題としてほとんど考えられないことであるから,米軍の基地使用により,日本が戦争にまきこまれると考えることは,非現実的であるといわざるをえない。そのような実際にはほとんど起こりえない危険性の面のみをとらえて,日本に対する侵略を未然に防止する抑止力としての安保条約本来の役割を無視することは安保条約を公正に評価するものとはいい難い。

 全面完全軍縮の目的が達成されず,国際連合も世界平和維持機構としての機能を十分に果しえない現在の世界情勢の下において,いかなる国にとっても,絶対的にその国が安全で危険は全くないというような安全保障の道は存在しえない。そうであるとするならば,相対的意味での安全保障,すなわち,できる限り安全性が高く,危険性ができる限り低い安全保障の道を選ぶほかはない。米軍の基地使用によって戦争にまきこまれるという様な,実際にはほとんど起こりえない危険を排除するために,日米安保条約を廃棄し,さらに沖繩の軍事基地をも撤去して,日本を全くの無防備中立の状態に置いたと仮定した場合,米軍の基地使用という問題は起こらない。しかし同時に,日本に対する外部からの侵略を未然に防止するための抑止力も,全く失われてしまうことを見逃すことはできない。従って日本を非武装中立化することはかえって日本の安全に対する危険を増すことにならざるを得ない。

 もし日本が安保条約を廃棄して,しかも侵略に対する十分な抑止力をもとうとすれば,現在米国が日本に対する侵略を抑止するために保有しているのと同程度の軍事力を,日本自らが保有する以外に道はない。このことは,日本にとって莫大な経済的負担を意味するにとどまらず,実際問題としてほとんど不可能に近いことといわざるを得ない。特に核攻撃の脅威に対処するためには,わが国自らの核武装をも考慮せざるをえないことととなる。

 以上のことを考えると,現在の世界情勢の下において,日本の安全を保障するための方法,すなわち,日米安保体制,非武装中立,武装中立のそれぞれを比較した場合,現在の日米安保体制を維持することが,他の二つの方法に比べて,最も現実的であり,かつ,安全度が最も高く危険度の最も少ない方法であると考えざるをえない。

三 米軍の「有事駐留」について

 わが国は憲法上,他国の防衛のために日本自らの武力を行使すること(自衛隊の海外派兵)は許されていない。従ってわが国としては,他の集団安全保障体制のように,他国と完全な意味の相互防衛関係を結ぶことはできない。しかし,外部からの侵略に対して,米国がわが国とともにその防衛の責を負うことを求める以上,わが国としてもそれに相応して,憲法の許す範囲においてなんらかの義務を果す用意がなければ,集団安全保障という国際通念に反することとなる。この意味において,米軍の基地使用特に事前協議を必要としない補給や訓練のための基地使用を許すことは,日本として最少限の義務を果していることに外ならない。もし米軍の有事駐留ということが「平時は邪魔になるから一切の米軍の駐留や基地の使用は認めない。しかし日本が侵略をうけた場合,米軍は日本の求めに応じて助けにこなければならない。」という意味であるならば,これは集団安全保障の国際通念に反するもので,いわば保険料の支払いを拒みながら,保険金の支払いは要求するというにひとしいこととなる。

 もともと米軍が駐留し一定の基地を使用することが,侵略に対する有力な抑止力をなすものであるから,一切の米軍の駐留と基地の使用を認めないということは,それだけ戦争抑止力としての安保条約の効果を減殺することとなり,これは安保条約の建前と目的に反することとなる。

 しかし日本に駐留する米軍や基地の規模は,わが国の防衛力の増強に応じて,逐次縮少の傾向を示している。陸軍については,現在戦闘部隊すべて撤退し,一定の補給部隊が駐留しているにすぎない。海軍については第七艦隊の艦艇が補給修理等の目的で日本の港に出入する以外に,戦闘部隊と称される艦隊が常時日本に配備されているわけではない。空軍部隊の規模も数年前に比し相当程度縮少されている。

 わが国としては核攻撃の脅威に対しては米国の核抑止力に依存せざるを得ないとしても,その他の分野においては,自国防衛のための主たる責任は,高度に発達した経済力と工業力をもつ独立国としての日本自らが負うべきことは当然であり,このことは,安保条約第三条が「締約国が武力攻撃に抵抗する能力を,憲法上の規定に従うことを条件とし,維持し発展させる」と規定しているところでもある。

四 安保条約の期限について

 一九七0年が安保条約の期限切れであるとか,あるいは安保条約の再改訂期であるとかいわれることがあり,往々にして一九七0年に安保条約が失効してしまうか,あるいはなんらかの改訂を必要とするという意味に解されがちであるが,これは正しくない。安保条約第十条は,十年の期間経過後は,いずれか一方の締約国が条約を終了する意向を相手に通告すれば,一年後に条約が失効することを定めているにすぎない。従って一九七0年以後は,日米いずれかが条約終了の意向を表明しない限り,条約は無期限に効力を存続することとなる。

 一九七0年においても国際情勢に基本的な変化がない限り,現在の日米安保体制が維持されることが望ましいと考えられる。そして日米安保体制を維持する以上,それができる限り安定した基礎に立つことが望ましいことはいうまでもない。しかし,そのために具体的にいかなる措置をとることが最も適切であるかについては,今後十分に検討すべき問題であって,今直ちに結論を下す必要のある問題ではない。