[文書名] 東郷文彦外務省アメリカ局長稿「日米間の諸問題について」
一
昨年(一九六七年)九月の日米閣僚会議と十一月の総理,大統領会談は,日米双方ともこれに期待するところがあり,従って二つの会談はともに有意義なものであった。わが方の関心は専ら沖縄,小笠原問題についての前進ということにあったが,これについては「沖縄の地位についての継続的検討」と「小笠原返還」という予想しうる最大限の前進をみることができた。これに対して米側の強い関心事は国際平和維持のための責任分担ということであったと思われる。米国内には,ヴィエトナム戦争,ドル防衛,その他米国内外の情勢にかんがみ,米国が平和維持のための責任を過剰に負担しているという状態が是正されなければ,やがて米国民が自由諸国に対する協力や援助に関心を失うこととなるべしという空気がある。この米国世論を背にして国務長官はわが方閣僚に対して,相携えて平和をオーガナイズして行くことを強く訴え,また大統領は総理に対して,ドル防衛への協力と東南アジアに対する日本の経済協力を強く要望したのである。重要なことは,難問を抱えている米国政府首脳が,とかく米国に対して冷淡な西欧諸国に比し,アジアの盟邦たる日本は米国の立場も理解し,日本が自らの判断でアジアの平和のため非軍事的分野でその役割を果たすであろうという期待を新たにしたということである。大統領が総理との第二回目の会見の後,新聞記者に対して総理に対する異例ともいえる賛辞を述べたことも,大統領がここにわが友ありという感情を抱いたからであったに違いないのである。
二
かくして昨年を通ずる日米間の諸問題は,十一月の総理,大統領会談によって友好親善の裡に締めくくりがつけられたのであった。しかるに,その後の発展は,以下述べるように,少なくとも米側から見れば右の空気を反映していない。
(一)大統領は総理に対して,(イ)ドル防衛に関して五億ドル,(ロ)インドネシア援助について日米それぞれ三分の一負担,(ハ)アジア開銀特別基金に一億ドル追加供与,の三点を強く要望した。総理はそのいずれについてもわが方が直ちに引受けえない事情を説き,無論なんら言質を残したことはないのであるが,特に(ロ)についてのその後のわが方の態度は,大統領以下米政府首脳の心証と期待とから懸け離れたものであり,日本政府が日頃唱えている東南アジア経済協力もどこまで実質があるのか分からないという感じを植えつけた結果になっているとみざるをえない。
(二)沖縄問題について,「両三年内に返還の時期の目途をつける」とか,「返還の目的の下に沖縄の地位を継続的に検討する」という日本側の主張については,米側からみればその背後に沖縄の軍事的役割を認識し,これと両立する返還方式について日本側になんらかの考えがあるに違いないと期待したかも知れない。しかるに,十一月の共同声明後の日本側のこの問題に対する考え方は依然として米側には不明であり,折角の共同声明も単に一時的の日本の国内世論向けの作業であったのかと映ずるならば,右の期待は裏切られたことになる。
(三)米国の輸入制限問題に関し,三月の民間使節派遣に続き,米側より種々の事情表明ありしに拘わらず,同月末自民党より同じ趣旨の使節を押して派遣した。米側にしてみれば,ドル防衛問題についてはすでに日本側においても充分の理解ありと考えているところへ,このような相次ぐ使節団派遣は当時少なからず困惑したところであったとみられる。
(四)本年一月の韓国大統領暗殺未遂事件に引続いてプエブロ号拿捕事件があり,応急に日本海に赴いた米海軍艦艇が日本漁業の利益を尊重するようにとの日本政府の注意喚起は,米国政府からみればアジアの友邦からの申入れとは受取り難かったであろう。
(五)空母エンタープライズの本邦寄港は米海軍が久しく期待していたところであり,昨年十一月の日本政府の決定は米側も多としていたところである。一月の同艦寄港に当たっての日本内{前3文字ママとルビ}の反応は,ある程度予想しえた反対運動の度を越したものであった。
(六)二月上旬のB五二沖縄配置に対する本土における反応も同様であり,極東の平和と安全のため沖縄の果たしている軍事的役割を認めるという日本政府の態度とは懸け離れたものであった。
(七)三月頃からの王子陸軍病院反対運動は,既往の経過に照らし,米側からみれば唐突であったと思われる。たとえば東京都知事が在日米軍司令官に対し,病院移転が日米友好関係のため貢献すると申入れるだけでは,米国側からすれば,自己に都合のよいたての一面のみをみる話としか映らないであろう。
(八)三月三十一日の米大統領北爆部分停止の決定は,日本国内においては,これを米国の軍事的失敗の証左とみるものから,米国は自分だけの都合でいかような政策をとるか分からない国であると論ずるもの等,いろいろあり,さらにこれを契機として日本の対中共政策を再検討すべしとの議論が各方面から唱えられた。米側からみれば,大統領の前記決定が何故に米国の政策に関してこの種論議を招来するのかその論理を理解し難いであろう。
(九)四月フリーマン農務長官来京の際,わが方一閣僚は,日米間の経済問題に関する議論の際,「ヴィエトナム戦争はなにも日本がアメリカにやってくれと頼んだものではない」という発言をしていると伝えられるが,これは一片の洒落としても通用せず,日本の閣僚の発言としては深刻な響きを持ったであろう。
(十)五月六日佐世保港に原潜停泊中放射能の異常計量があった。これに対する日本のジャーナリズム及びいわゆる科学者の関心は,放射能の原因究明や危険防止よりも異常計量の原因が原潜にありと断ずることに集中した観あり,日本側の調査に協力するため派遣された米国内において最も権威ある科学者に対する日本の新聞記者の無礼な振舞などは,いわゆる「核アレルギー」現象の域を超えたものであった。
三
以上のような一連の事象は,日本側からみればそれぞれ理由もあり,米側に対するいい分もあることであるが,これを長期短期の日米関係という見地から考えてわれわれはおよそ二つの問題を回避することはできないと思われる。一は日本の論理は果たして万人を承服せしめるものであるかということであり,他の一は安保体制の将来いかんということである。
戦後二十余年,日米関係はきわめて友好的である。日米友好関係は固よりそれ自身が目的であるのではなく,個人の尊重と自由民主主義を国是としてその安全と繁栄を図る立場から,日米間の友好関係を最も有利かつ必要とするが故にこれをわが外交の一つの基本政策としているのである。日本側からは米国に対してしばしば日米友好関係をテイク・フォア・グランテッドしてはならないといってきている。しかし,日米友好関係がわが国の利益に合致するものであるならば,わが方もまたこれをテイク・フォア・グランテッドしてよいものではない。占領時代の惰性ということもあってか,過去において日本人の眼に米国が日米関係をテイク・フォア・グランテッドしているように映ったこともあったであろう。しかし内外の難問を抱えていわば苦境にある米国と,久しく米国の軍事的プレゼンスの反射的利益の裡に経済成長を誇ってきた日本との現在の関係において,日米友好関係をわが国の利益なりと認める立場に立つ限り,今日テイク・フォア・グランテッドしているのは公平にみて日本側であろう。日本の中には,日本政府は米国に遠慮するのあまりいうべきことも満足にいいえないと論ずる者があるが,このような議論は,当該個人の考えをそのまま政府が米国にいわないが故に日本政府が卑屈であると錯覚するものが多く,むしろ米国側こそ諸般の考慮からいいたいこともいわないこともあるという事実に思いをいたすべきであろう。
四
日米友好関係を有利かつ必要とする所以のものは,経済関係もさることながら,基本的には安全保障問題である。一般に日本の安全保障という場合,日本の安全に対していかなる脅威ありや,しかしてこの脅威にいかに対処すべきやということが問題となるが,その前に,まず日本はいかなる国是に立ち,今日の世界にいかに国として活きて行くかという問題があるのである。さればこそ,自由民主主義を国是とする立場に立つ安全保障の考え方と,反体制的立場からする安全保障論とが互いに相容れないのは当然であって,単に中共に日本侵攻の意図がないから日本の防衛は必要ないとか,米国のアジアにおける軍事的プレゼンスが極東緊張の原因であるから米国がアジアから手を引けば日本が憲法の文字どおり活きて行ける環境ができるとかの議論は,安全保障問題の前提である基本問題を明らかにしない限り,意味のない議論である。
日本の安全保障についての議論は,また兎角四囲の国際環境から遊離した,いわば抽象的な日本の安全という形で論ぜられる傾向がある。戦後の国際環境を顧みるならば,極東もまた世界の権力政治の一つの場であって,一方が退いて力の空白をもたらせば,即時に他方が進出してこれを埋めるという事例が幾つか挙げられるであろう。いずれの国といえどもこの世界の権力政治の埒外に立っているものではなく,その一環として自己に最も有利な安全保障の方途を求めざるをえないのである。米国のアジアにおけるプレゼンスは,往々にして「米国の核戦略」とか,「米帝国主義の侵略」と称せられる。それならば,もし米国がアジアからそのプレゼンスを消した場合を想定するならば,朝鮮半島は北朝鮮政権が統一するところとなり,台湾は中共の一州となるであろうし,爾余の中共周辺諸国においても,いわゆる民族解放戦争は思いのままに遂行されるであろう。そのような状態になれば,たとえばヴィエトコンが民族主義者であるか共産主義者であるかというよな議論はほとんど無意味であるということがはっきりするであろう。重要なことは,わが国にとって右いずれの状態をより有利とするかということである。
安保体制の功罪は,わが国の利益を図る立場から,わが国の国是と国際環境という以上二つの観点を検討して判断されなければならない。これが基本問題であって,米国の核抑止力とか,極東の安全のための米軍の在日基地使用というような問題は,すべて方法論にすぎない。重ねていうならば,安保体制をとるかとらないかは,基本的には,自由民主主義に立脚する国是の下にわが国の繁栄を図るか,あるいは日米友好関係のきずなを断って太平洋戦争前のごとくわが国の生存を他の連帯関係に求めるかの選択の問題であって,その間に自己に有利な要素のみを抽出して政策に具現しようとしてもそれは机上の空論の域を出でないのである。よって若し前者をわが国の利益に合致すると認めるならば,それに従って国の政策を指導して行くことが必要であり,方法論上派生する問題の故に事の基本を損うことがあってはならない。また若し後者がわが国の利益であるというならば,単に安保体制の一方的批判に止まらず,わが国がいかなる国是に立ち,いかなる姿でその安全と繁栄を図ることができるかがすべての国民の前に明らかにされなければならない。
五
安保体制を前提とする方法論上の問題として米国の核の抑止力という問題がある。わが国では核抑止力というと往々にして核戦争に対する抑止力であると解されがちである。しかし,核兵器の抑止力という観念は,相手方が攻撃を仕かけようとしても核攻撃の可能性を計算に入れなければならないということから攻撃を思いとどまらせる力ということであって,相手方の考える攻撃は核攻撃には限らないのである。核兵器は今日の時代において確かに抑止力をその機能とし,現実にこれを行使するという可能性はほとんどないということができようが,問題は,核兵器保有国にとっては,核・非核両兵器が併せて一体としての兵器体系をなしているところにあると思われる。少なくとも米国の立場からすれば,関係諸国に対する極東の安全についての条約上の約束を果たすためには,いかなる攻撃に対しても必要ならば核兵器を使用して対抗しうる状態にあるということが抑止力たるに必要である,ということは認識してかからなければならない。
次に,米軍が日本の安全のためのみならず,極東の平和と安全のために日本にある基地を使用するという問題がある。わが国では,米軍が日本の安全のために基地を使用するのは差支えないが,日本と関係のない極東の安全のために日本の基地を使用し,特に戦闘行動のため発進することは,日本を戦争に捲き込むことになるから許すべきでないという議論がある。この考え方は,米国が一方的に日本を防衛する義務を負うことが当然であるという前提に立っていること,また日本の安全が極東情勢から遊離して観念されていること,の二つの点において合理的ではない。安保条約は一方において米国は日本防衛の義務を負い,他方において米国が極東の平和と安全のために日本の基地を使用することを認めるということで成り立っているものである。もし後者を拒否するなら,対等な二国間の条約として前者のみを存続させるということはできない相談である。
外国軍隊の駐留ということも方法論上の問題である。二十余年外国軍隊の駐留が続き,また今後も続くであろうという現在の態勢がそのままでよいかどうかも等閑に付されてよいことではない。もし外国軍隊の駐留を好ましからずとするならば,その引揚げを可能ならしめるよう,わが自衛隊を充実して有事に際して必要な軍事施設はすべてその手で平時から確保するような準備が必要である。
これらの問題は沖縄返還に関しては最もはっきり現われてくるところである。沖縄返還はこの意味においては米国が決めるところではなく,日本が決めるべき問題である。
六
戦後二十余年われわれは久しく安保体制に馴らされてきた。安保体制がわが国の利益に合致しているかどうかは不断に考えられるべき問題であるが,そのためには,いたずらに安保体制の批判を試み,あるいは感傷的な国民感情のままに流されて済ませるものではない。国家は本来自己中心的であり,利己的である。しかし自己の利益の存在とそれを実現する方法とは別の問題であり,責任ある政府としては,自国の利益が確保されるような施策を進めて行かなければならない。このような見地からすれば,さきに述べた過去半歳における一連の事象は,方法論上派生する問題の故に事の基本を崩壊させる方向を示しているもののごとく,すなわち,民主主義的指導力を発揮することが期待される所以である。
如上の見地から,当面日米間の諸問題に関して考慮すべき若干の点を挙げれば次のとおりである。
(一)所謂一九七◯年問題に関し,政府は安保体制を堅持するとなしつつも,具体的方途については検討中であるとしている。しかしながら,一九七◯年に現行条約の期限条項ないしは他の条項の改訂を試みることは,いずれの観点よりするも十分の理由ありとは考えられず,すでに六八年の半ばに達しようとしているこの際,七◯年に処する方途を明らかにしてしかるべしと考えられる。
(二)沖縄内政の情勢は,今秋の主席選挙の結末いかんを問わず,逐次米国の施政に対する摩擦の度を加えて行く趨勢にある。基地の地位に関する国内世論の動向もさることながら,所謂「本土並み」一本槍で解決し得るものにあらず,安保条約第六条の事前協議に関し,戦闘作戦行動のための基地使用及び非常事態における核持込みに関して慎重決意の上,沖縄返還に関する「継続的検討」の実質に{前3文字ママとルビ}着手すべきであろう。
(三)東南アジアの安定のためわが国が政治的に貢献し得る方途を探求すべきである。たとえばヴィエトナム和平に関してわが国として和平のフォーミュラ作成に寄与せんとするよりは,むしろ平和維持機構に自衛隊を派遣しうるよう自衛隊法改正を取り上げる方がさきではあるまいか。
(四)中共政策については,日米間に俗にいわれるような政策の喰違いは存在するとは思われない。しかりとすれば,ややもすれば,中共指導者のわが国内政への干渉を招来するがごとき現在の態度をあらため,中共問題に関する日米両国間の利害の一致を説くべきである。
(五)東南アジアの経済協力については言行一致が肝要である。そのためには経済協力の理念を国内に徹底するよう引続き努力されなければならない。
(六)日米間の貿易経済問題については,相互に国内産業保護の合理的限界を認識し,わが方としても相手に求むべきを求むる自らの立場を確立する努力が必要であろう。
(七)科学,医学等の分野における交流については,国内に存する雑音に耳を傾けることなく,進め得るものは着々進めるよう心がけるべきである。
(八)日米閣僚間の意思疎通は極めて重要であって,わが国と爾余の諸国との閣僚定期協議等と同列に考えるべきではない。特に外務大臣としてはなるべく多くの機会を捉えて,米側閣僚との直接接触を図るべきである。
編注
本文書は,東郷文彦外務省アメリカ局長(当時)が,個人的に作成した文書で,同氏の著書『日米外交三十年』の中に収載されている。なお著者は,同書140頁で本文書の性格について次のように説明している。
1967年「の佐藤・ジョンソン会談で沖縄返還問題も折角大きく動き出したのに,歳が明けてからは物事が返還交渉をむずかしくむずかしくするように動いていた。そうした中で私は重苦しい気分の持って行き所もなく,これを『日米間の諸問題について』と云う作文に托した。これは前に掲げたアメリカ局長就任前の作文と同じく役所の公文書と云うものではなく,又沖縄返還交渉には直接関係はない……。」