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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 沖縄百万同胞に贈ることば(佐藤内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1969年11月21日
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集(1),286ー288頁.
[備考] 
[全文]

沖縄百万同胞の皆様

 私とニクソン大統領との会談の結果,沖縄県民の皆様をはじめとするわが国全国民の年来の念願でありました沖縄の祖国復帰が,一九七二年中に「核抜き,本土並み」という国民の総意にそつた形で実現することになりました。復帰のための努力を続けてこられた沖縄県民各位の強い御支援の賜物であります。

 沖縄の祖国復帰は申すまでもなく,第二次大戦後四半世紀にわたつて本土,沖縄の一億国民がいだき続けてきた民族的悲願でありました。かつて私が沖縄を訪問した際「沖縄の祖国復帰が実現しない限り,わが国にとつて戦後は終らない。」と申しましたように,沖縄の施政権返還問題は,政治の最高責任者としての私にとっても最大の課題であつたのであります。私は日米首脳会談を終つた今,ただ感慨無量であります。

 今回の沖縄返還についての日米両国の合意は,過去四半世紀にわたる日米両国の友好と信頼,理解と協力があつてはじめて達成された成果であり,同時に,これは将来にわたつて日米両国の協力関係が不動のものであることを実証してあますところがないと思うのであります。

 さて,一九七二年に沖縄を日本に返還するという合意ができた以上,今後は本土,沖縄双方が相協力し,全力をあげて復帰準備に万全を期することが大切であります。

 まず沖縄の施政権を日本がゆずりうけるためには,沖縄の返還協定をはじめ,今後日米間で話合わねばならない数多くの問題がありますが,これらは日米の外交ルート,沖縄に関する日米協議委員会及び今後沖縄に新設することとしている高等弁務官及び日本政府代表よりなる機関を通じて解決して行くこととなることは申すまでもありません。大切なことは,沖縄内政上の問題であります。なんといつても二十五年間米国施政権下におかれてきた沖縄は,本土の県,市町村と比較して制度面で大きな相違があるのみならず,内容においてその行政及び住民福祉の水準に大きな格差があります。これを近々二,三年のうちに立派な沖縄県の県造りをし,行政及び住民福祉の水準を本土並みにして迎え入れることは容易な事業ではありません。しかし,私は,沖縄同胞の皆さんと協力して,明年度以降沖縄援助費を大幅に拡充強化し,本土沖縄一体化の施策を強力に推進し,この難事業の達成を期する決意であることを申し上げたいのであります。

 また,沖縄の本土復帰に伴い,沖縄経済界には復帰後の沖縄経済について不安が高まつていると聞いています。沖縄は長い間独自の経済単位を形成し,繁栄してきたのでありますが,本土復帰後は日本経済の中に統合され,その一環としての役割りを担なうこととなるのでありますから,私は当面の措置として,本土復帰に際し沖縄経済が急激な変動をきたさないよう,沖縄の特殊性を考慮した特別措置ないし過渡的経過措置について検討を加える一方,長期的には日本経済の一環としての沖縄経済の新たな役割りを探求し,沖縄の長期開発構想を樹立して,沖縄経済の振興に努力するつもりであります。また,以上の沖縄の復帰準備施策を総合的,計画的,かつ,強力に遂行するため,明年度において必要な行政機構を新設整備して,これに当らせる決意であります。

 最後に,沖縄の祖国復帰対策を樹立するに当り,沖縄住民の意志を国会に反映させることの重要性を私は痛感しております。沖縄の本土復帰のメドが確定した現在,できうる限り早い機会に国会において沖縄住民の国政参加が決定されるものと強く期待するものであります。

 私はこの機会に,琉球政府及び沖縄住民の方々が沖縄の本土復帰にそなえて,一致協力して創意と工夫をこらし,明日の沖縄県を築くため英知を結集されることをお願いするとともに,沖縄の祖国復帰という世紀の大事業が,本土と沖縄の官民一致の協力によつて立派になしとげられることを信じて疑いません。

 沖縄の施政権返還について日米両国の合意が行なわれたこの記念すべき秋に当り,私ははるかに沖縄百万同胞の皆さんに思いをはせ,謹んで御挨拶を申し上げる次第であります。