[文書名] 米国財界人との懇談会における佐藤内閣総理大臣のあいさつ
デービッド・ロックフェラー会長ならびにご列席の各位,旧知の方々もおおぜい見受けられるこの席で,所信の一端を披瀝する機会を得たことは私の欣快とするところであります。この機会に一九七○年代の日米関係について私の考え方を申し述べ,ご理解を得たいと思います。
昨年,ニクソン大統領と私との会談で,沖縄返還についての原則的合意が成立したことは日米関係に画期的な意義を与えるものでありました。戦争で失つた領土を平和的な話し合いで返還するということは古来稀なことであり,日米の友好信頼関係なしにはとうていこの沖縄返還についての合意はあり得なかつたと考えます。そして,この交渉の過程で米国民が示した伝統的な公正な物の考え方と,これを背景としたニクソン大統領の高いステーツマンシップに,われわれ日本人は大きな感銘を覚えました。沖縄の施政権返還は,長期にわたる日米友好関係に測り知れない好影響を与えるものであります。私は,米国朝野の見識に敬意を表すると同時に,わが国の立場についてのご理解に対し,哀心より謝意を表するものであります。
さて,私はこれまで機会あるごとに,日米関係の重要性を強調してまいりましたが,それは単に日米両国おのおのにとつての重要性にとどまるものではないということを,この際とくに申し上げたいと思います。世界第一位と第三位の経済力を有する日米両国の国際社会に対する影響力と責任,両国が共通して保持している政治的理念,両国が高度先進社会として直面しつつある共通の諸問題等に照らして見ても,両国間の協力関係は,相互の単純な国益だけから律し切れない広範な意義を有するものであります。日米間にはきわめて幅の広い協力の素地があり,両国が相たずさえて事に当たれば,両国の利益のみならず,広くアジアならびに世界の安定と繁栄に大きく貢献できるのであります。
また,日米関係の推移は,日米両国の枠を越えて広く世界全体の秩序に大きな影響を及ぼすことは明らかであります。もし万一,日米協力関係が大きく変化するようなことがあつた場合,既存の国際秩序の政治的,経済的基盤を大きくゆるがす結果ともなりましよう。
開発途上国の経済的,社会的発展を確保することは,七〇年代においてもいぜん世界の大きな議題であり,日米協力の重要なテーマであります。わが国は,一九七五年までにわが国の開発途上国に対する援助額が,国民総生産の一%に達するよう努力するという方針を内外に明らかにしております。一九七五年のわが国の国民総生産は約四千億ドルに達すると見込まれるので,その一%の援助額はほほ最近の米国の援助規模に近づくことになります。このようなわが国の援助の大きな部分はアジアに向けられるべきことはいうまでもありません。わが国は援助の内容や条件についても着々とその改善に努力しており,明年に予定される特恵関税の供与はじめ,開発途上国の貿易拡大のための諸措置にも積極的な協力を行なつております。
開発途上国に対する援助の問題のほかにも,環境改善のための協力,軍縮の推進等々の分野における日米両国の協力関係の実績には,見るべきものが少なくありません。しかしなんといつても,当面日米両国にとつて最も大きな関心のある問題は,経済問題,とくに両国間の質易をめぐる諸問題でありましよう。
戦後二十五年間における国際経済の拡大発展はめざましいものがあります。そしてこのことは人類の生活水準の向上と,平和の確保に大きく貢献してまいりました。この国際経済の発展は米国の指導のもとに築かれ,そして推進されてきた自由貿易体制のもとでの世界貿易の拡大に負うところ大であります。わが国が経済の復興と高度成長を成就し得たのもまさしく,自由貿易体制によつて多大の恩恵を受けたからにほかなりません。
したがつて,今日,世界の一部に保護貿易主義の気運がうかがわれることは,日本国民の深く憂慮するところであります。
わが国経済は,今日世界第三位の規模に達したとはいえ,一人当たりの所得はなお低く,加えて社会資本,公共投資が不足しております。また,復興の過程においては経済政策の重点が成長におかれてきたわけでありますが,現在では経済成長と並んで国民生活の質的改善が主要な政策目標となつております。
このように日本経済は,多くの課題に当面していますが,同時に世界経済もまた多くの困難な問題に直面しており,これらの困難を克服するために,わが国の積極的な協力が必要となつていることも日本国民は十分認識しております。
わが国は,目下ケネディ・ラウンドに基づく関税引下げを実施していますが,各国が明後年に行なう予定のケネディ・ラウンドの最後の引下げを明年に繰り上げる予定であります。また,昨年には百二十を数えた残存輸入制限品目についてもその自由化のための計画を数次にわたり繰り上げるなど積極的に自由化に努力中であり,その数は現在すでに九十品目となつていますが,明年九月末には四十品目以下に縮小することを決定しました。
わが国と外国との間の資本の交流についての制限も急速に緩和しております。たとえば,直接投資につきましては去る九月に第三次自由化が実施され,さらに明年の春には自動車産業の自由化,明年秋には残りの大部分の産業の自由化が実施されることになつています。
外国から見ればあるいは日本の自由化のテンポはなお不十分との批判もあるかもしれませんが,日本の自由化は持続的なものでありますし,しかも後もどりがないという点を強調したいと思います。
自由貿易体制の維持は各国共通の責務でありますが,とくに日米両国のように強大な経済力を有する国の責任は大きいといえます。日米両国間の貿易は,昨年往復八十四億ドルに達し,さらに今年は往復百億ドルという高水準に達しようとしています。この巨大な商品の交流に伴い若干の摩擦が起こることはある意味ではやむをえないことかもしれません。しかしながら,このような摩擦の早期解消に努めることは,日米友好信頼関係の維持のみならず世界の自由貿易体制の健全な発展のためにもきわめて重要であります。
経済面で起こる日米両国間の摩擦を解消させるためには,これまで両国が多くの困難な問題を克服する時にそうしてきたように,相互に相手国の国内事情にも十分配慮しつつ,主張すべきは主張しながらも譲るべきは譲るという柔軟な態度をとることに努力すれば,さして困難なことではないと信じます。
なお,日米貿易のバランスが近年米国の赤字となつていることが米国の一部で憂慮されていると承知しています。しかし,ともに自由経済をもつ日米両国の貿易は市場の需給関係により変動しており,現に一九六四年まではほとんど例外なくわが国の赤字となつておりました。いずれにしましても加工品の対米輸入は急速に伸び,農産物の対米輸入も十億ドルを越えており,この結果本年の貿易アンバランスは著しく改善される見込みであります。
日米両国が,日米間の円滑な経済交流を維持するとともに相携えて世界の当面する重要な経済社会問題の解決に協力して行くことは日米友好のみならず,世界の平和と繁栄のためにも死活的重要性をもつものであります。私は,必ずやこのような日米協力関係が維持されるものと確信いたします。
明治維新以来百年,第二次大戦後二十五年を経過して,日本は目下大きな転機にさしかかつております。物質的な進歩発展の追求のみならず,その文化的遺産と独自の伝統に立脚して国民一人一人の精神面における充実をはかり,世界の評価にたえ,かつ,後世に誇るに足るような文化的価値の創造を目ざすという時期に達しているということであります。
わが国は,相対的に低い軍事力しか持たない経済大国として,また精神面,文化面においても人類に貢献することを目ざしつつ,史上類例を見ない独自の道をたどる決意を固めております。そしてわが国の歴史的実験が,はたして成功するか否かの鍵は,日本の決意と努力に対する米国の協力いかんにあるといつて過言ではないと思います。私は,話し合いによる沖縄返還という史上前例を見ない壮挙の実現を可能ならしめた日米間の相互信頼と協力の関係が,今後さらに大きく実を結び,世界史における日米協力の輝かしい一ページとなることを心から希望し,かつ,その可能性を確信していると申し上げて,本日の私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。