データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 対米自動車輸出自主規制に関する田中六助通産相声明

[場所] 
[年月日] 1981年5月1日
[出典] 日米関係資料集 1945−97,1001−1002頁.日刊自動車新聞,1981年5月9日.
[備考] 
[全文]

 一,日本国政府は,米国自動車産業が直面している困難に対処するため,米国政府においては自動車産業再建策を策定し,規制緩和等の対策を実行に移しつつあり,また米国産業界・労働界においては先般来の各種ステートメントにあるように,自動車産業再建のために真剣な努力を払おうとしていることを十分認識している。日本国政府は米国においてこのような努力等が実行されることを前提として自由貿易体制の維持・日米経済関係の一層の発展という大局的見地に立って,対米乗用車輸出に関し臨時異例の措置として下記に掲げる措置を執ることとした。

 一,日米の自動車問題については,わが国としては自動車部品に係る関税の原則的撤廃,対米投資の促進等を内容とする昨年五月のいわゆる自動車パッケージにより,対米協力を行なってきたところであり,これらは着々と進ちょくを見つつある。また,従来からわが国自動車企業と米国ビッグスリーとの間においては,資本提携関係をはじめとする各種の協力が行なわれてきたところであるが,三菱自工のクライスラーに対する新たな協力措置の合意,トヨタとフォードの間の生産協力交渉等協力関係の一段の進ちょくが見られているところである。さらに対米自動車輸出自体についても昨年秋以来,米自動車産業の苦境を理解し,慎重な対米輸出姿勢を基礎とした対米乗用車輸出見通しを公表する等の措置を講じてきたところである。今般の措置はこれらに続いて,上記の趣旨に基づきわが国のとろうとする措置と第三国からの米国への輸入との衡平性が失われることはないとの理解の下に新たに講じられるものである。

 一,米国における自動車産業再建の鍵は,当初の三年間にあるとの認識の下に,一九八四年三月までの三年間を限度として以下の措置を講ずる。

 <1>一九八四年三月末までの三年間,外国為替及び外国貿易管理法に基づいて各社から乗用車(日本自動車工業会統計の分類による。以下同じ)の対米輸出(米国五十州及びコロンビア特別区向け輸出をいう。以下同じ)に係る報告を毎月徴収することとし,乗用車の対米輸出に関し新たな監視制度を採用する。

 <2>第一年目(一九八一年四月 − 一九八一年三月)においては通産省が行政措置として各社に対し個別の指示を行うことにより,乗用車の対米輸出を規制することとし,その枠は百六十八万台とする。

 <3>第二年目(一九八二年四月 − 一九八三年三月)においては同様の措置を行うことにより,乗用車の対米輸出を規制する。この場合の枠は,第二年目における市場の拡大量に一六・五%を乗じて得た量と第一年目の枠との合計量とする。

 <4>前記の措置を担保するため今後万一必要が生じた場合には速やかに乗用車の対米輸出を外国為替及び外国貿易管理法に基づく輸出承認制度の対象とするものとする。

 <5>第三年目(一九八三年四月 − 一九八四年三月)においては上記の措置に基づき乗用車の対米輸出の動向を監視するとともに,第二年目の終期において,米国乗用車市場の動向等を勘案しつつ,第三年目における数量規制の継続の可否につき検討するものとする。

 <6>以上の諸措置はいかなる場合においても一九八四年三月を限度として終了とするものとする。

 なお,プエルトリコに対する乗用車の輸出および米国およびプエルトリコに対するバン(自工会統計の分類では商業車に分類されるが,米国においては乗用車に分類されるもの)の輸出についても別途の措置を講ずることとする。

 一,日本政府としては,米国の関係者が本措置を評価し,国内における保護主義的な動きに関して節度ある行動をとることを期待する。また本措置は,米独禁法上全く問題がないと米国独禁法当局の見解が確立されているものと理解している。

 わが国としては,米国自身の努力により,米国自動車産業が再建されるとともに,活力ある米国経済が再生されることを心から期待するものである。

{<1>は原文ではマル1}