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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] レーガン大統領主催晩餐会における鈴木内閣総理大臣の挨拶

[場所] ワシントン
[年月日] 1981年5月7日
[出典] 鈴木演説集,196−198頁.
[備考] 
[全文]

 大統領閣下,令夫人,並びに御列席の皆様

 私はまず最初に大統領閣下が私共のために催して下さったこの盛大な晩餐会に対し,また閣下の私共及び日本国民に対する心暖まる御挨拶に対して,妻とともに厚く御礼申し上げます。

 大統領閣下。今夜のこの集まりはたいへんに心のなごむものであります。閣下とお会いするのは今日が初めてでありますが,私には何故かこれが閣下との最初の出会いであるようには感じられません。

 大統領閣下。私は北日本の太平洋岸の海辺に生まれ,東から寄せてくる波に親しんで育ちました。閣下が長く住まわれていたカリフォルニアはこの太平洋をさしはさんで私の郷里と向かい合っております。私は自分の青春時代を遥か海のかなたの自由の国,米国を思いつつ過ごしたのであります。また,私は閣下と同世代の人間として今日まで閣下と似たような時代体験をへてきているかとも思います。更に,日米両国が真の友としてこれまでお互いに助け合ってきたという歴史があります。私の心の底に深く根ざしているこれらの事柄が相重なって閣下を旧くからの友人のように感じさせるのではないのでしょうか。

 大統領閣下。私は,最近米国で起こった二つの出来事について深い感動を覚えました。私はこのことに触れつつ若干の感慨をここで申し述べたいと思います。

 その第一は,先般大統領閣下が遭遇された不幸な事故に関してであります。私を始めここに列席している私の同僚,そして日本の国民は皆,閣下の身に起こった災禍に心を傷めました。しかし,この時,私共が深く感動いたしましたのは,大統領閣下の令夫人が毅然とした態度で献身的に閣下に尽くされたこと,並びに閣下自らが冷静に,時にはユーモアも交えつつ,この事態に対処されたことであります。また,その間,米国の国政は,寸分も揺るぎなく運営され続け,われわれ同盟国にいささかの不安も与えない力強さをみせてくれました。それによって,わが国の米国に対する信頼は,さらに高まったのであります。

 第二は,スペース・シャトル「コロンビア号」の快挙であります。その着陸成功の瞬間は日本では深夜の三時過ぎであったにも拘らず,三百万人余りもの日本国民が,同時中継されているテレビの画像に心を奪われたのでありました。

 米国民の開拓の精神は日本国民に対して,常に勇気と感動を与えてくれます。また,それは,日本国民が伝統的にもちあわせている進取の気性にも合致するものであります。

 御列席の皆様。本日,私と大統領閣下は,人類の未来の繁栄のためには,日米両国の連帯と協調が如何に重要であるかにつき,改めて確認し合いました。そして,いまや日米のパートナーシップが,アジア・太平洋地域に止まらず,国際社会全体の平和と安定にとっても欠かせないものへと成長したことも確認し合ったのであります。

 変動の激しい昨今の国際情勢の中にあって,今更ながら,私は,日米両国をはじめとする民主主義社会が守り続けてきた自由というものの価値の計り知れない重みを痛感しております。われわれは,その中で一層平和で活力のある社会を築き上げるため,英知を結集し,協力し合わなければなりません。

 私は日本の指導者として,二十一世紀に生きる次の世代のために,閣下と手を携えて出来る限りの努力を行う決意であります。

 スペース・シャトルの成功は,人類が未知の未来へ挑戦すべきことを示しています。より良い未来へ向けてのたゆまぬ努力は,国境を越えた,人類共通の課題であります。私は御列席の皆様と改めてこの挑戦の精神を分かちあいたいと思います。

 御列席の皆様。私が大統領閣下を旧くからの友人としか思えない理由について,もう一つ,つけ加えたいことがございます。それは,二人とも生まれた年が同じであり,共に七十歳の若さをほこっていることであります。しかし私は,閣下の御健康とバイタリティーが,私以上であることを認めざるをえません。なぜなら,閣下は,私よりも二十六日遅くこの世に生まれ,したがって,それだけ年若くいらっしゃるからであります。

 それでは最後に,レーガン大統領閣下と令夫人の御健康とアメリカ合衆国国民の繁栄を祈って,皆様とともに乾杯いたしたいと存じます。