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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ブッシュ・アメリカ合衆国副大統領歓迎晩餐会における鈴木内閣総理大臣の挨拶

[場所] 東京,首相官邸
[年月日] 1982年4月24日
[出典] 鈴木演説集,272−275頁.
[備考] 
[全文]

 ブッシュ副大統領閣下,令夫人,御列席の皆様

 今宵,ここに米国第四十三代の副大統領ブッシュ閣下御夫妻をお招きし,晩餐をともにいたしますことは,私と私の妻にとって大きな喜びであります。

 閣下とは,昨年五月にも,ワシントンにおいて楽しい晩餐の一時を過ごしましたが,私はあの晩,閣下が鏡割りをなさった樽酒を閣下と酌み交わしました。

 古来,我が国において一つの樽の酒を酌み交わすことは,隔意のない友情の証しとされておりますが,あの晩の鏡割りは,新たな日米関係の出発を祝福するものでもありました。

 以来,私は閣下にひとかたならぬ友情と敬意を抱いておりましたが,今回の閣下の御訪日によりその友情が一層確かなものになったような気がいたします。

 副大統領閣下

 今日の日米関係は,その他のいかなる二国間関係にも例をみぬほど成熟したものとなっております。これは両国国民の不断の努力の賜物であり,また,本夕御列席の皆様を始めとして,日頃日米関係の増進に携わってこられた関係各位の御熱意と英知の結晶であります。

 レーガン大統領閣下は,先般ワシントンを訪れた櫻内外務大臣に対して,このような日米両国の関係とたとえて夫婦生活のようなものであると申されたということであります。

 私も全く同感であります。

 夫婦生活の常として多少の口論もございますが,現在の日米関係は,良好な夫婦生活がそうであるように,少しばかりの困難に遭遇しても,その基盤が揺るぐことのない成熟した関係であります。

 このような両国のパートナーシップの上に成り立った日米関係は,今日の国際社会でのひとつのモデル・ケースであると申せましょう。

 本日私は,副大統領閣下と忌憚のない意見交換を行い,国際社会の平和と繁栄のために我々は何をなすべきかにつき真剣に話し合いました。会談はきわめて実り多いものであり,私は,その成果に満足しております。

 副大統領閣下

 顧みますと日米両国の国交が開かれて以来,我が国は多くのものを貴国から学んでまいりました。それは政治や経済,科学技術などの面のみには限りません。映画や音楽,スポーツや風俗など国民生活のあらゆる分野に,貴国から移植されたものをみることができます。米国の映画や音楽は,またたく間に日本に紹介されます。

 野球は,百年前我が国に移入され,いまや我が国において最もファンの多いスポーツとなっているばかりか,貴国からは,今夕本席に御参加いただいた南海ホークスのブレーザー監督はじめ多くの著名なプレーヤーが,我が国のプロ野球界で活躍しております。

 他方,残念ながら我が国から太平洋を渡ってアメリカ大陸で活躍するプロ野球選手は未だ極めて少ないようであります。

 私はこの点に関しては,日米の間に大変なインバランスが存在することを閣下に訴えたいと思います。

 近年においては,また私自身もふくめゴルフ人口も急増しております。

 先日もマスターズゴルフの際は,衛星中継が行われましたが,時差の関係で日本における放映は夜明けどきとなり,多くの日本人が睡眠時間を短縮したのであります。

 副大統領閣下

 日米両国は,自由と民主主義という価値観を共有しております。未来においては,両国はより一層大きな利害を分かち合うことになるでありましょう。確かに日米両国の間には言語や伝統の上での差異があります。また,太平洋という大海が両国の間に横たわっております。

 しかし,これらは両国関係を結びつけるために障害になるとは思われません。伝統や文化の差異は,両国民の生活をより豊かにするでありましょう。太平洋は両国のより自由で大いなる繁栄と交流の通路と化することでありましょう。

 要は,私達がそうなるように努力するか否かにかかっております。そして私は,両国関係の発展は,歴史の必然であると信じます。

 時にさざ波の立つことはあっても,黒潮の大きな流れは,日本の沿岸から米国に向かい,瞬時も止まることなくとうとうと流れております。この流れは,地球の自転が止まることがないように,永遠に止まることはないのであります。

 副大統領閣下

 閣下はエール大学御出身とうかがっておりますが,エール大学には古くから学生の間で広く愛唱されている「イーライ・エール」という歌があるということを,私の友人から聞きました。この席をお借りいたしまして,私よりその歌詞の大体の内容を御列席の皆様に御紹介させていただきたいと存じます。

 「エール大学に入学したが,一年生のときは試験,試験で青くなった。

 二年生のときは,野外劇など勉強以外の事にも精を出した。」

 閣下は,レーガン政権の中核的存在として,発足当初の困難な時期を立派に乗り切られました。また,二年目に入り今日に至るまで,閣下は,過去長きにわたって培ってこられたリーダーシップを遺憾なく発揮しておられます。その昔,エール大学野球部キャプテンの頃,閣下の中にめばえた指導力が,今日正にホワイト・ハウスでのレーガン・チームのキャプテンとして開花したのであります。

 この歌は三年生,四年生と続くわけですが,私が特に御紹介したい部分は,その続きであります。

 「我々は,この四年間に多くの友を得,なにかを学んだ。」

 日米関係に関して申しますなら,閣下は,二年目にしてすでに十分な友達を得られました。そうして閣下が,今後三年生,四年生に進まれる時,この我々の間の友情は,日米関係の更なる発展への礎となることを確信いたします。

 副大統領閣下

 閣下は本日,米国第十八代大統領グラント閣下が百三年前訪問されたゆかりの地,芝増上寺において記念植樹を行われました。

 我々日本国民は,閣下のお植えになったコウヤマキの木を,日米友好親善の象徴と受けとめ,今後立派に育つよう見守ってまいりたいと存じます。将来このコウヤマキが育ち,やがて大木になる頃,我々の次の世代が国際の平和と繁栄の中で,この木を仰ぎみることができることを願ってやみません。

 御列席の皆様

 それでは,ここにブッシュ副大統領閣下及び令夫人の御健康と,日米関係の一層の発展を祈って,皆様とともに乾杯いたしたいと存じます。