[文書名] サン・フランシスコにおける海部内閣総理大臣挨拶
本日、北カリフォルニア日本協会及び北カリフォルニア日本商工会議所のお招きにより、皆様の前でお話できますことは、私の大変光栄とするところであります。
北カリフォルニア日本協会は、1905年に創設された伝統ある団体であり、戦前、戦中の困難な時期を含め、一貫して両国の親善のため活動されてきたと伺っております。また、北カリフォルニア日本商工会議所は、会員数300を超える有力な団体として、現地企業や州政府とも定期的に会合をもちつつ、活発な活動をされていると承知しています。今後とも、貴協会及び貴会議所の活動は、日米間の知的、文化的、経済的な交流の促進、ひいては、日米間の相互理解の増進に大いに貢献するものと期待しております。
私は、総理としての初めての外国訪問を、個人的にも思い出深いこのサン・フランシスコから始めることができて大変うれしく思っております。
私が初めてサン・フランシスコを訪れたのは、今から27年前の激しい嵐の翌日でした。29歳で衆議院議員になって2年目に、国務省の招待で初めて米国を訪問した私は、若者に特有の旺盛な好奇心をもって各地を訪れ、ロスアンジェルスから空路サン・フランシスコに向かう予定を変更し、国務省の同行者と2人で車を借り、国道1号線を北上してきたのです。それはアメリカ車を自分で運転しアメリカの道を走ってみたいとの私の願望でした。しかし、私たちは途中で激しい嵐に見舞われ、海鳥の鳴く断崖の道で大自然の激しさに遭遇し、ビッグ・サーという場所にある山小屋で一夜を明かし、ようやくサン・フランシスコに辿り着いたのです。その山小屋は、ヘミングウェイがよく利用している宿だと知らされ、自分の体験と「老人と海」が不思議な二重写しとなったのを記憶しています。
最後にサン・フランシスコを訪れたのは、本年5月のことです。私は、カーメルで開かれた日米議員会議に出席し、日米関係全般にわたり連邦議会の代表と3日間の率直且つ有益な議論を行いました。そのとき私は、もちろん、数かカ月後に総理大臣として再びこの美しい街を訪れることになるとは、夢にも思っていませんでした。
カリフォルニアに代表される米国の西海岸は、これまで多くの新しいものを生み出し、常に世界に対して、先駆者としての役割を果たしてきました。西海岸の新しい文化は、我が国を始めとする世界の多くの若者を引きつけ、一つの憧れの地としての像を定着させています。また、電子情報産業に代表される先端技術は、この西海岸から世界に普及し、新たな産業革命を引き起こしました。
私は、本日、日米関係の将来についてお話ししたいと思います。それは、私の今回の訪米がまさのそのためのものであるからであり、また同時に、そのような話題が未来を志向したこの地に最も相応しいと考えるからであります。
日本は、米国との緊密な協力の下に国の生存と発展を図るという道を選択いたしました。サン・フランシスコは、日本が連合国との間で、「両者の関係が、今後、共通の福祉を増進し且つ国際の平和及び安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力する国家の間の関係でなければならないことを決意して」平和条約を結んだ地であると同時に、米国との間で安全保障条約を結んだ歴史的意義を有する地であります。まさにサン・フランシスコは、日本の戦後の歴史の基本的方向を決定した場所であり、われわれはここで行った選択は正しかったと信じております。
戦後44年の期間を経て、日米関係も数々の試練を克服し、緊密な相互依存の関係は益々深まってきております。にもかかわらず、あるいはそれ故にこそと言うべきかも知れませんが、日米間には種々の摩擦が生じ、お互いを非難しあう声も大きくなりつつあるような印象を受けます。率直に言って、それは望ましいことではありませんが、ある意味では自然なことと言えるかも知れません。しかし、それが日米関係の根幹を揺るがすようなものになることは何としても避けなければなりません。日米友好関係を健全に、かつ円滑に維持・発展させていくこと、それは我々両国民に課された世界に対する責任、歴史に対する責任であるからであります。そこで私は、ここで少なくとも次の3つのことを皆様とともに確認しておきたいと存じます。
第1に、日米関係がかつての保護者と被保護者、先生と生徒の関係から、特に経済分野を中心として対等の立場に立つ協力者、時には競争者の側面を持った関係に移行してきたという事実であります。これは、好むと好まざるとにかかわらず生じてきた事実であり、これに伴い、米国では力とコミットメントとの乖離を調整すべきであるという有力な議論がなされておりますし、日本ではその国力にふさわしい国際的貢献を行うべしとの正論が力を得つつあります。今我々に要請されていることは、日米両国が双方の政策理念の正当性に対する確信に基づいて、今申し上げたような日米関係の相対的変化を適切かつ柔軟に反映させながら、今や世界的な広がりを有するに至っている日米関係を一層円滑に運営していくことでありましょう。米国の自由世界の指導国としての地位と役割は、いかなる国も代替することができません。米国が自信をもって様々な問題に対処していかれることを期待すると同時に、我が国としても、この米国のリーダーシップを支援するためにできるだけの協力を続けていく所存であることを申し添えます。
第2に、種々の摩擦や対立があるにもかかわらず、日米関係は全体として見れば、極めて良好であります。今日の日米関係は、安全保障、政治、経済、技術、文化その他の分野で密接な相互依存の関係にあり、このような関係はこれから益々深まっていくでありましょうし、またそれが両国の基本的利益に合致することは疑いありません。
人は、人それぞれの眼鏡で人間社会において生起する現象を見ております。近くのものを見るための眼鏡で遠くを見れば、全体がぼやけて見えることは我々のよく経験するところです。木を見て森を見ない過ちをおかすなかれとの戒めもあります。近年両国で大きく取り上げられている貿易摩擦や投資摩擦の問題につきましても、それらにのみ焦点をあわせた眼鏡見ていますと、良好な日米関係の包括的構図を見失う恐れがあります。
我々はまた、歴史的展望の中で日米関係を見ていく必要があります。日米両国民は常に進歩を求め、力強く行動する国民であります。戦後の日米両国の発展と変化は、過去のいかなる時代にも、いかなる国にもみられない程の速度と規模で行われてきました。このような歴史の流れを軽視し、一定の基準をあてはめて、「日本は変わらない、米国とあ違うルールで動く国である」とする議論は、正当なものとは思えません。米国は現状に満足し、自己革新の努力を怠っているという議論もまた然りであります。日米両国は、時の流れとともに生起する諸問題と真正面から取り組み、常に未来を切り開くという前向きの努力を継続してきたからこそ、飛躍的発展を遂げてきたのであります。このことを充分に認識せずに、性急な結論、例えば日米間では管理貿易を実施すべしというような結論を下すことは受け入れ難いところであります。我々は、日米両国の力強い躍動の息をとめるような愚をおかしてはなりません。
第3に、日米両国は、人類が直面する多くの課題に共同して取り組まなければならない時期に至っているということであります。それは、世界の平和と安全の確保、世界経済の運営のみならず環境問題も含めた多岐にわたる分野に及ぶものであります。強靭な政治・経済システムと大きな国力を有する日米両国は、過去に見られた強国間の覇権争いを行うのではなく、力をあわせてこれらの課題の解決を図っていくべきであります。我々が尊敬するマンスフィールド前駐日大使は、「日米関係は世界で最も重要なニ国間関係である」と繰り返し述べてこられましたが、このことは今申し上げた文脈においても妥当する真理であります。
日米両国の前途には、無限の可能性を秘めた水平線が広がっているのであり、日米両国が先頭に立って力を合わせつつ前進することを世界の人々は熱い期待をもって見守っております。日本は、「世界に貢献する日本」という大きな目標をもって21世紀に向けて進んで行こうとしております。この関連においても、日米両国の連帯は不可欠の重要性を持っているのであります。
日米両国は太平洋という共通の海に面しております。太平洋は、文字通り「平和の海」であり、我々はこの大海原を永遠に続く平和の海にしなければなりません。悲惨な戦争や種々の紛争に苦しんできた我々は、平和という言葉に限りない憧れを感じて参りましたが、平和という言葉自体は戦争や紛争が無い状態を意味するに過ぎないのかもしれません。我々は、太平洋にもっと積極的な意味を持たせるように、即ち、多数の国に接するこの広大な海を、創造、建設、協力、協調の場にすべく、英知を絞って努力したいと思います。アジア・太平洋協力という極めて魅力的なアイデアはその一例であり、私もその推進に努めたいと存じます。ただし、それが排他的なもの、他の地域に対して対決的なものになってはならず、あくまでも世界全体の福祉と安定という視野の下で建設的な協力の可能性が探求されるべきであります。
米国は太平洋と大西洋という2つの大海に面する独自な地位を湿る大国でありますが、このサン・フランシスコがある西海岸は米国でも最も活力に満ちた地域であります。そして隣人の立場にある日本国民は、西海岸、そして米国の人々とこれからも変わることのない友情を持ち続けたいと思います。
ここに私はあらためて日本国民を代表し、日米両国が益々友好を深め、世界のため、アジア・太平洋のため、日米両国のために緊密に協力する中から輝かしい未来への展望が開けていくことを訴えて、私の挨拶を終えたいと存じます。
ありがとうございました。