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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第百二十一回臨時国会終了に当たっての海部内閣総理大臣の記者会見

[場所] 東京(総理官邸)
[年月日] 1991年10月5日
[出典] 海部内閣総理大臣演説集,686−702頁.
[備考] 
[全文]

問 長い間、ご苦労様でした。内閣記者会との会見を始めますが、まず、総理の方から何かお話があればお伺いして、その後、私の方で内閣記者会を代表いたしまして、幹事として質問いたします。私の質問終了後、クラブ員から自由に質問していただくということにいたします。

総理 顧りみますと、二年前の八月に、当時、自由民主党が結党以来の危機だと言われ、海部内閣はどん底からスタートいたしました。政治改革ということを成し遂げて、国民の皆さんの信頼を取り戻さなければならないというのが、大きな課題でありました。

 私は、この二年間、精一杯、一生懸命、力一杯頑張ってきたつもりでございます。

 途中、内外の情勢にもいろいろな変化があり、東西の対決が終わって冷戦時代の終結を迎えました。また、日本として初めて、鉄のカーテンの向こう側であった東欧諸国に対しても、いろいろ協力支援の手を差し伸べるというようなことにも着手をいたしました。

 また、二度のサミットでは、アジア・太平洋の立場を精一杯主張をして、カンボディア和平の東京会議に踏み切ったり、日韓関係を過去に振り返っての日韓関係ではなく、歴史の正しい認識に立って、未来思考の中での日韓関係に五原則の下で切り替えていくことにも成功しましたし、日韓の国交正常化交渉も始まっておるところであります。

 そのような状況の中で、国内では五十七か月に及ぶいざなぎ景気と匹敵する景気を続いてまいりました。物価とか失業率とか、ご家庭のご主人やお母さまにとっても一番大切な問題の数字も、日本はお陰様で五パーセント台という、両方合せて、諸外国の中では優等生のような地位を占めてくることもできました。

 けれども、その陰の面と言いますか、金融政策でそれを行ったがために、土地や株の現象があのような結果を生み出したこともご承知のとおりでしたが、これについても公正な社会という面から最後まで努力を続け、この国会で証券取引法が成立をいたしました。

 国際社会に対する問題では、積極的な貢献をしなければならないと。新しい世界の枠組みづくりにできうる限りの役割分担をしようということで、PKO法案なんかも提出をいたしました。

 そんなことを振り返りますと、精一杯、力一杯できましたが、極めて最後に心に残ることは、政治改革法案が廃案となったことであります。

 これは、自由民主党の総務会の決定を受ける時にも、国会に提出をして、闊達な論議をして国民の皆さんに広く理解を求めるということでありましたけれども、本会議では全くこのようなものとしては、異例の三日間、連続して趣旨説明の質疑にお答えをしました。委員会は、また、三日間連続で、確か二十五人の質問、その内十三人は自由民主党の議員。あらゆる立場のあらゆる議論が出ましたが、私はこれこそ闊達な議論であって、これを全てここのやり取りを通じて一層のご理解を深めていただきたい。そう思って誠心誠意取り組んでまいりましたが、結果はご承知のとおりであります。

 私は、この政治改革というものに不退転の決意で取り組み、それがこういう結末を得ましたので、この問題の火は消してはいけないと言うよりもむしろ、燃やし続けていかなければならないという強い願いを持って、廃案の後、どうしてもこれは炎を燃やし続けなければならない。幸い議長のお呼び掛けで、政治改革協議会も出来ました。私は、政治改革の原点に立ち返って、自由民主党が政治改革大綱を決定した時のあの党の危機感、党の原点というものをしっかり踏まえて、この改革は必ず成し遂げなければならない。新しいリーダーには、それをキチッと実現してもらうということを強い願いとして託していきたいと、こう思います。

 以上が今、二年間を振り返っての率直な印象であります。

問 総理は、昨日、河本派の会長に、総裁選不出馬の意向をお伝えになったということですけども、現に総理に対する支持率というものは非常に高いわけですが、今回不出馬された理由というのは、何なんでしょうか。

総理 一つは、先程ちょっと申し述べ過ぎたかも知れませんが、やはり政治改革というものをこの三年間にわたって、自由民主党が政治改革大綱を作って、ずっと三百回以上も議論を重ねて作り、私はその課題を受け止めて、もう内閣の最重要課題、不退転の決意で取り組み、提出をして申し上げてようにさんざん闊達な議論も受けて話してまいりましたが、結果はご承知のとおり廃案ということです。

 これでは、このままほっといては政治改革というものがうたかたのように消えてしまうかも知れない。私はそのことには深刻な危機感を持ちましたので、この炎が、政治改革の炎がどうしても燃え続けていかなければならない。それを成し遂げて、そして、いろいろなことがある時には、新しい指導者に新しい決意で、具体的な成果を挙げるようにしてもらいたいという強い願いを込めて、責任を明らかにする一つの節目というものを明らかにするということも政治改革の一つであると、私自身、そう決心をしてこの任期、あと僅かでありますけども、内外の諸課題に誠実に取り組むことによって責任を終えたいと、こういう気持になったわけです。

問 分かりました。中には、政治改革の火をともし続けるには、総理が続けて政権を担当された方がよいのではないかという意見もあるわけですけれども。

総理 いろいろなご意見はありましょうけれども、これは私自身の決心でございます。

 なお、先程、支持率のことにもお触れになりましたので、この機会に率直に申し上げさせていただきたいと思いますが、ど〜んな辛い時でも厳しい時でも、私が励むことができた心の支えが、励ましの声が、国民の皆さんの、ご支持であった。「一生懸命やっておれ。我々は認めてやるぞ。」といってくださるそのことでございました。

 改めて、心からご理解いただいた皆さんにお礼を申し上げたいと思います。

問 総理のご努力等もありまして、一応、与野党の協議機関というものが設置されたわけですけれども、これに対する評価とですが、今後の見通し、これについては総理はどういうふうにご覧になっていらっしゃいますか。

総理 正にその一点に私は、最後まで党四役と共に話し合い、努力をし、また、議院運営委員会の各党の皆さんや各党の書記長・幹事長にもお願いして、どうしても廃案ということだけで終わるのは、国民の皆さんの期待にも反するし、今日まで二年間鋭意ご審議願った各界の学識経験者の代表である選挙制度審議会の皆さんにもご期待に沿わないことになる。また、これに取り組んでいろいろ働いてくれた事務局皆さん方の努力というものも政治改革をさせたい、させようということで頑張ってくださった。で、政治改革は法案が通らなかったら、もう止めていいのかという、そういう問題じゃありません。これはやらねばならぬことで、政治資金の問題にしても、政治倫理の確立の問題にしても、必要以上にお金の掛からない選挙制度を組み立てていくということにしても、全部これはやらなくてはならん問題です。

 したがいまして、議長のお呼び掛けでできた各党協議会というものが、適切にこれらの問題についての話を別の角度から、別の次元で組み立てて、そして、もう一回、具体的なものとして共通の土俵に上げて実現させてもらいたい。また、そうしなければ、時代の要請に応えることができない、これは厳しい問題だと受け止めております。

問 その廃案、そして与野党協議機関の設置というこの経緯の中で、総理の「重大な決意」という発言が出てまいりました。これが党内にいろんな波紋を呼んだわけです。この「重大な決意」の発言の真意というものをお伺いしたいんですが。

総理 「重大な決意」というのは、重大な決意でした。そのようにお受け取りください。

問 「重大な決意」と申しますと、解散・総選挙、若しくは内閣総辞職というふうに受け取られるわけですけれども、それを含んだと言いますか、そのものだったのか。その辺は如何なんでしょうか。

総理 重大な決意です。

問 総理、この重大な決意に基づいて、衆議院の解散を決意されたと。これは閣僚の何人かの方たちが証言しているわけですが、この決断に至る経緯について、どなたかに相談したことあったんでしょうか。

 また、実際に決断したのか、その辺の事実関係を伺いたいんですが。

総理 いろいろなことがありましたけれども、今はもう、私の胸の中に収め込んでしまったことでありますから、もうここで申し上げることは何もございません。

問 その決断された事実というのは、お認めなられるわけでしょうか。それも含めて・・・。

総理 あの重大な決意は重大な決意で。申し訳けありませんが、もう、ご覧のとおりの状況、経緯等があり、私の胸の中に収め込んでしまいましたから、ここで申し上げることはありません。

問 その最終決断に当たって、党内の何らかの方に相談されたということも、やはり胸の中にしまわれておくということでしょうか。

総理 物事の本質として、これは、私が重大な決意をしたというこでありまして、それに至るいろいろなことは、もう全部、私の胸の中へしまい込みましたから、ここで今、申し上げることはありません。

問 それではですね、この重大な決意について、党内の主だった方の中から、この決意がぐらぐらしたと。これは、その指導者として適格性に欠けるという批判が出ましたけれども、総理自身のお気持の中で、この重大な決意というものがぐらついたということはあったんでしょうか。

総理 総裁に最初に任命された時に、これは与えられた時代の使命だと受け付けてずっとそのことを掲げて歩み続けてまいりました。そして、これが国会に提案された時から、先程来申し上げたように、異例の三日間の本会議、十七人の議員の質問を受けておる時から、これはなんとかしなきゃならん。強〜い決意で臨んできました。重大な決意をしたその瞬間から揺らいだことは一度もありません。

問 分かりました。では一貫してそのお気持は変わっていなかったということですね。

総理 はい。

問 それでは、今日、宮沢さん、三塚さん、渡辺さん、このお三方が、次期総裁選への出馬表明をされたわけですけれども、どなたがなるにせよ、次の内閣に引き継いでもらいたいこと。また、言い残したいこと。例えば、内閣機能の強化とか、そういう機構面も含めて、お伝えしたいということは、ございますか。

総理 当面は先程申し上げましたように、自由民主党が、結党以来、危機の中から作り上げて、政治改革の大綱を作った原点に立ち返って、それを忘れないで、私もやってきましたし。また、それを新しいリーダーは受け継いで、これは必ず成し遂げてもらわなければならない。国民の信頼を取り戻すためにも、政治倫理の確立、政治資金の改革、選挙制度の改革、こういった一連の政治改革というものを必ず成し遂げる内閣になっていただきたい。これが第一点。もう一つは、やはり公正で心豊かな社会ということを、今日程、目指されてることはありません。証券取引法の改正を作ったのも、やはり、公正な社会というものをキチッとさせるためでした。心豊かな社会を作るためには、いろいろな面の改革が必要ですけれども、例えば、今日五十七か月に及ぶいざなぎ景気と同じような好況が続いて、国民生活が諸外国と比べて、優等生の状況で物価の数や雇用の数が出ておると申しました。

 これを是非、持続して欲しいんですけども、将来に向かっては、もう目の前に、雇用労働力の問題も出てきております。労働力の問題のみならず、もっと中・長期のメモリで見れば、出生率減少という問題もある。バブル経済が崩壊したということは、いい面も一つありますけれども、それによって持たらせる他の社会の経済に与える影響等もございます。社会経済、国民生活の安定、それを十分配慮して行かなければならない。これも引き続いてもらいたい願いであります。

 更に、大きくまとめれば、冷戦時代の発想が終わってから、世界は今、平和な新らしい秩序作りを模索しておる。まだ、進行形現在だと思います。

 そして、アメリカのこの間の一方的な核に対するイニシアチブでも、ソ連が直ちに受けて、他の核保有国に及んで行くということは、世界の平和と安定のために役立つ、すばらしいことだと思います。日本は日本で、この積極的な、国際社会に対する枠組み作りに協力して行くというならば、一つ、今日までのように、片隅で、こじんまりと、自分は、人に対しては迷惑を掛けないようにしましょう。自分の国のことは自分がしっかり、守りますし、汗もかいて働きます。それだけではなくて、世界の中の一員ですから、世界と共に生きる日本として、国際社会にどういうことをするのか、私は昔、よく貢献するという言葉を使いましたが、やっぱり、今頃、国際社会やサミットなんかで議論しておる中で肌で感じますことは、これは、どうも、貢献するという言い方では、何か、ちょっと距離があるような印象を相手は持つのではないだろうか。

 そこで、役割りの分担をする、それが世界と共に生きる日本。というものを実際に行動に表わす時には、必要なんではないかなあ。ということをつくづく感じましたが、積極的に中に入って行って、出来ることと、出来ないことが、ありますけども、出来ることは、積極的に役割りを分担すると。こういう国際国家に、是非、日本は進んで行かなくてはならんわけでありますから、きりはありませんが大きく分けてその三つぐらいは是非渡したい。

問 例えば、湾岸危機なんかの時に、危機管理の問題ですけれども、これについては、行革審の方からも答申が出てるわけですけれども、危機に対応する内閣機能の強化と言いますか、こういう面についてはどういうふうに。

総理 素直に申し上げて、事前の情報の的確な集中、そして、それを分析しどうなるかという見通しを含めて、能力の強化。これは是非してもらいたいと思います。

 また、していかなければなりません。同時に、平和協力問題を通じて、内閣の調査機能や外政室などが各省庁との連絡を更に強化するように、いろいろ組織強化もしてはおりますけれども、どうしても、もう少し絶対量が足りないという気も致しますので、人的な面での量の確保も必要ではないかと思います。

問 行革審等からタテ割り行政の弊害というようなことを指摘されてますけれども、ちょっと言いにくいかもしれませんけれども、総理ご自身はどういう印象を持たれましたか。

総理 タテ割り行政というのは、やはり相互依存関係が国際社会でも増えてきたように、あまりタテ割りでキチッとおろさないで、人物の交流と同時に、時にはプロジェクトチームみたいな様相の時には、大きく、網をかぶせて、情報の交換や仕事の交流がそろそろなければなりません。だから、それは、素直に申し上げるとそういった事をもう一回考え直して、それぞれ国際社会に関するテーマは、いろいろな省に関係することも出て参りますから、それぞれの省で、そういったことを考えると共に、やっぱり内閣がその問題については、常に、最初申し上げたように的確な情報を素早く、多く集めて誤りのない分析が常に出来ておるようにして行かなければいかんと思います。

問 次の質問ですが、総理からご覧になって次の首相に必要な資質、資格と言いますか、どんなもんでしょうか。例えば、今、国民の間にそのリクルート問題に対するアレルギーというのは強いわけです。しかし、偶然が重なったのか、どうか、今日立候補を表明されたお三方は、何れも、リクルート関連議員ということだった訳ですけども、この辺についてはどのようにお考えになりますか。

総理 国民の皆さんが望んでいらっしゃるのが政治倫理の確立ということで、これは政治とお金の関係の不祥事件から、今、正に、最初、申し上げた政治改革を成し遂げようということでありますから、これについては、私は素直にご批判は受けなければならんと思うし、それから、政治家に求められるいろいろな資質はありますが、今、具体にご質問になったリクルートとの関係はどうかということになれば、これは、個々の議員としては、先の衆議院の選挙において当選をされたということは、その地域の有権者の皆さんとの間において、選挙の洗礼を受けられたと。こういうことになると思いますが、忘れてはいけないことは、政治改革の原点でありますから、党としては政治改革の実現が、けじめになると、私は今日までも申し上げて参りました。

 したがって、政治改革を確実に、具体的に成し遂げるということが、これが党としてのけじめであると思います。

問 それでは、二年二か月余り、総理でいらっしゃった訳ですが、まだ三十日まで、あるわけですけれども、その総理にとっては、総理の道というのはどういうものだったんでしょうか。座り心地のいいもんだったのか、極めて悪いもんだったのか。

総理 素直に言って、いいとか、悪いとか、そんなことを考えておるような暇はあまりありませんでした。

 内外共に、大変な問題が山積をしておりましたし、また、精一杯、力一杯取り組んでおるわけですし、いいとか、悪いとか、楽しんでいる暇はやはり無かったと申し上げるのが実感です。

問 次の総理、総裁を目指す方の資質の問題のお話をなさいましたけども、この二年二か月の内閣担当、政権担当の経緯、それぞれの課程で、総理のリーダーシップについて、いろいろ問題にされ、総理ご自身も内心、じくじたるものがあったかも分かりませんけれども、政治家にとって、リーダーシップというものをどういうふうにお考えですか。

総理 私は、私なりに考えて、いろいろ貫いてきたという気持ちを持っております。ただ、その人々によって、やり方とか、批判の角度は違うかもしれません。しかし、どんな議論の中でも、例えば、絶えず、私は、日本の国して出来ること、出来ないことの判断をキチッと付けながら、同時にまた、行うべき時には積極的に前に出なけりゃならんということも言いました。

 それから、例えば、私は一番印象に残っておることは、昨年の二月の衆議院選挙が終わって、まだ、数日の内に、ブッシュ大統領から直接、電話があって、一週間先に西海岸へ行くから、その時、西海岸で会うと言われたんです。その瞬間、私は手帳を思い出して判断して、施政演説と野党の質問の間ならば、一泊三日のとんぼ返りなら出来るなぁと、とっさに判断したので、よし、お受けします。やりましょうと答えて、それから、当時の外務省の人は、大変驚かれたろうし、心配もされたと思うけれども、ああいった時は、やっぱり、直接話したら、これを受けて真正面に行ってやってこようというような決断をするとか。

 また、イラクがクウェート侵攻しました時は、あれは、国際主義からいって、許すべきではないという強い決断持ちましたから、経済制裁の問題は、国連決議の前日に、国連のそういう情勢等も察知したから、日本は、それをしようと。もうちょっと待てという人もあったが、やろうと。閣僚全部集めて行ったとか。その時々の情勢を判断しながら、自分自身の考えで、決めて言ってきたこともあります。また、そういったようなことを常に、行っていかなければならないと。政治家としてはそういったことは大切なことだと考えますね。

問 総理。元へ戻って恐縮ですが、最終的に、新しい次のリーダーの方に席を譲ろうと、決断されたのは、何時の時点で何がきっかけだったんでしょうか。

総理 私は、前から任期一杯は内外の重要諸問題に精一杯取り組んでいきます。その先のことは全く考えておりませんと。廊下で私にお聴きなった方には、そういったことを正直にお答えし続けてきました。それは、任期一杯で、やらなけりゃならんと提案したこと。しかも、私が初めの時からもう決まってしまって。私は、受け継いで担いできた政治改革を軌道に乗せて、政治改革の端緒を作って行かなければならないということが、大きな責任でありましたから。だから、それを不退転の決意で取り上げるとか、皆さんからも何回もお尋ねをいただいたが、その最重要課題として取り組んでいく気持には、変わらないということを常々言い続けてきました。したがって、それがあのような結末を見たということについては、これは厳しい、活字も出ておりますように、当然、責任を取るべきであると。責任を感ずるということも、政治改革の中の大事な一つの問題であると思いました。

問 先月の三十日に、事実上廃案が確定したという時には、既に、ご決断をされていたのですか。

総理 はい。けれども廃案になったと決断をしました。それでさよならでは、うたかたのように消えてしまってはいけないので、この炎の燃え続けていくように。政治改革の、この道筋、枠組みだけは、キチッと作りたい。作らなければならん。これを申し上げ続けて、その道筋、枠組みを作るためには、政治改革の火を消してしまわないためには、私は重大な決心をして取り組んできたんです。幸い、政治改革、協議会が議長のお呼び掛けで出来て、それが続いていくということになりましたが、これは、燃え続けてもらわなけりゃならんし、更に、確実に、成し遂げてもらわなければなりません。そのためには、いろいろなことを総合的に判断すれば、私は新しい指導者がそれを必ずやってくれるということを強く求めて、バトンタッチしながら、全力挙げて、政治改革が出来上るということが、何よりも大切なことだと。自由民主党の活力を呼び戻すためには、そのようにした方がいいと、これは私の判断です。

問 先程来、総理もお触れになりましたようにね、国民の支持は高いと。つまりその中には、政治改革やるべきだということも当然含まれていたと思うんですが、それならば国民に信を問うということには、お考えはおよばなかったんですか。

総理 先程、お答えしたようにいろいろなことは具体なことは、もう私の胸にしまい込みましたから、もうこれ以上ここで申し上げることは致しませんけれども、それは、審議機関が出来て、火が燃え続ける各党協議の場も出来たということ。同時に、そのことを具体に必ず言わなきゃならん人々。平成元年の五月に政治改革大綱が出来た時に、それぞれの重要な党の立場で、内閣の立場でその危機感を一身に受けて、政治改革大綱を作ることに立場にあった人達に、その原点を思い出していただいて、必ず、これは、政治改革は実現をしてもらいたいと。いうことを強く希望して行くわけですから。政治改革実現のための私の決心です。

問 総理。その政治改革関連法案ですが、廃案になったのは勿論野党側のですね。抵抗もあったと思いますが、同時に、自民党内でもやはり、根強いその関連法案に対する反対勢力があったということも一因ではなかったかと思うんです。

 新しい指導者に必ず成し遂げてほしいとおっしゃいましたけれども、現在、そういう政治改革に対する党内の根強い反対がある状況、これをどのようにお考えですか。

総理 私も当初は政治改革推進本部の役員の一人でした。行動隊長として全国を歩いておりました。

 あの政治改革大綱というのは党議決定をして、まとめ上げたものです。そして五月にも基本要網を作る時に、いろいろ議論はありましたが、党内の手続をきちっと終えて作ってきたものです。最後に、議員立法でいくか政府提案でいくかが、未だ決まっていなかった時はそうでしたが、今度は政府提案にして、政府が法律を作るということを決めた時は、法案要網骨子というものをこれもご議論の末、党で決定をしてもらいました。

 この二年間に党内で三百回を超える議論が行われ、私も地方へ対話集会にも行く、また、各界の代表者の皆さんとのご議論も踏まえて、世界の選挙制度の視察にも党内の議員の皆さん、一緒に行って視察をしてもらい、一体その選挙制度というものはどういうものか、どうしたらいいか、何がいけないか、いろいろ議論をしていただき、最終的には国民の皆さんが批判されるのは政治とお金の不明朗な関係である。

 お金の価値がいやお金のかかり方が多過ぎる。もっと必要以上にお金のかからない、そしてお金が必要ならばそれは個人が集めて来るっていうんじゃなくって、政党中心に集めて、あるいは公費の助成もして、政治が公の仕事であるなれば、公の資金の流れもきちっとしていく。そうすると、必要以上にお金のかかる状況もなくなるでしょう。

 まず、第一議会制民主主義は政党政治でありながら、同じ政党の政策の全く同じ複数の議員が同じ選挙区で争うということは、ややもすると、大切な時に政策が論争の場面から姿を消して、個人的なつながりや個人の後援会みたいなものが出てくるところにお金がかかるんだと、いうような議論はもう何百回と党内でもしてきたわけです。

 私は、そういった議論を踏まえて、更に闊達な議論ということで、国会の中でも随分、自民党の中の率直に言って、いろんな角度の議論も聴きました。

 本来ならば、これはもう党で解決済みの問題だと言いたかったんですが、それではいけませんから誠意を込めて長時間お答えをし続けてきたわけです。

 ですから、この火を燃やし続けて、あらゆる議論があるならば、議論し尽くしてやはり、最終的には党議決定に従って政治改革は行っていってもらうように、これは新しい指導者がそのことに全力を挙げて、取り組んでいただくことだと私はそう考えてます。

問 総理。海部政権については、一貫してその竹下派支配というのと、随分、重ね合わせて論じられてきたと思うんですけれども。まあ、竹下派が操る政権であるとかですね。今回のその事態についてもですね。竹下派がその続投を支持しないということがですね。背景にあるというふうな解説もあります。

 この竹下派支配と言われ続けてきたことに対して、総理自身はどういうふうにお考えですか、今回の事態も含めて。

総理 いろいろな見方があるなあということです。決して、特定の支配を受けたと思いません。同時に、また、それ以外のいろいろな全党的な立場で、いろいろな立場の人々が協力をしてくださったと思っております。

 但し、私どもとしては、国会の中では現実に、やはり、民主政治というのは数の政治で多数決の原理というものがあって、その多数の賛成を得、多数の声というものが政治を動かしていくということになりますと、数の多数を占めているところから国会運営の要所要所に、例えば、幹事長もそういえばそうです。国対委員長もそうでした。そういった人々に協力を求め、そういった人々に、また、動いてもらわなきゃならん分が現実の面としてはあるわけです。

 従って、そういうことを通じていろいろのご批判が出ることは、これは私としては止むを得ないことだと思います。

問 次に、外交について伺います。

 総理は、今、政治改革に正に命運を賭けておられるので、農業問題を中心とするウルグァイ・ラウンドは、手一杯。ちょっと手は回らないんだというような説明を時折アメリカ側になさってきたわけですけれども。

 次のリーダーにバトンタッチされる時に、こうした難しい外交案件、ブッシュ大統領の訪日を前にしておりますけれども、どこまでこなしてバトンタッチをされるのか伺いたいと思います。

総理 お言葉を返すようで申し訳ありませんが、私は政治改革に手一杯で、忙しいからそういった問題には手が回らんということを言ったことは一度もご座いません。もし、そのようにお考えになっとるなら、この場を借りてご訂正いただくようにお願いします。

 それは、日米首脳会談の時でも、また、G7の時でも、私が言いましたことは、日本の今日の立場は世界の多角的な自由貿易体制というものの枠組み、仕組みの中で成長してきたものであり、その恩恵をある意味では一番受けておるわけですから、ガット・ウルグァイ・ラウンドの成功というものに対しては、日本はこれは協力をし、成功させなければならんという基本的な立場であるということは、これは繰り返し申してきました。

 此の間のブッシュ大統領のケネバンクポートの別荘で会談した後の記者会見でも、確か皆さんの居らっしゃるところで、私はそのとおりのことを申し上げたつもりであります。

 但、私がアメリカ側に伝えました事は、世界の農業というものは輸出国もあれば、輸入国もあるではないか。日本は世界で最大の輸入国で例えば百八億ドルのアメリカの農産物の輸入しております。世界からは二百四十億ドルも、日本は農産物を輸入しております。一番アメリカの農産物を買っておる最大の輸入国でありますと。買っておらないわけじゃないです。最大の輸入国です。同時にコメというのは日本の基礎的食糧であります。基礎的食糧に対するいろいろな配慮というものも、また、是非必要だと思う。

 同時に、おコメは日本では世界的に珍しく、決して輸出を考えないで国内の生産制限ということで、もう三割もコメの生産は制限をしてきておるんです。そのために農民にも辛い思いをさせてきたこともあるわけです。

 従って、アメリカやECが持っておる輸出補助金の問題とか、あるいはウェーバー条項の問題とか、農業を巡る難しい問題が一杯あるでしょうから、それを共通の土俵に乗せて、そこで、みんなが難しい問題を話し合う中で、おコメの問題についても、どうしたら共通の認識が得られるかということを議論したいと。

 直ちに、完全自由化とか、直ちに関税化と言われても、それは日本としては受け入れるわけにはいかないという日本の食糧輸入国としての立場と、食糧の何と言うんでしょう、安全保障という言葉、使われておりますから、それを使わしてもらいますが、食糧安保の立場からの配慮も含んだ枠組みが必要だと。

 で、このことは私はサミットでも、そういったことを主張してサミットの宣言にも、そのことを配慮した枠組みの中でウルグァイ・ラウンドは成功させていこうと、こう書いてあるわけですから。そのことについては、つい最近も、農林水産大臣が私とそういう基本的打合せの上で、ウルグァイ・ラウンドの成功に向けて、どのような枠組みの中で理解と納得をお互いにすることが出来るかと、この線で努力をしておるところです。

 どうぞそこん所はご理解下さい。

問 総理。同じ外交案件なんですがね。残る任期の中で、日ソのですね。まあ、中山訪ソ、絡んだ日ソ関係、非常に重要な転換点に来ておって、総理在任中にですね。非常に大きく進展したと思うんですが。

 この残りの中山訪ソを中心とした日ソの外交関係について、どんな所が問題なのか、あるいは、どういう目でですね。日ソ関係の在り方を考えたらいいのか、その辺について、お伺いしたいんですが。

総理 日ソ関係というのは私が最も力を注いだ印象に残る出来事の一つで、去る四月ゴルバチョフ大統領との首脳会談も延々、六回にわたって約十四時間、ゴルバチョフ大統領が、後から、これはギネス・ブックに残してもいいような首脳会談だなあと言いました。

 しかし、精力的に、そこまでお互いにやっても結果は四島名を併記することは出来ましたし、この問題が片付けるべき領土問題の対象だと。四つを明記出来たことはこれは私は評価出来ると思いますが。

 しかし、いつ、どうして、どのようにということについては並行線でありましたから、更に努力を続けていかなければならんと、こう思っとりました時に、八月のゴルバチョフ大統領に反対するクーデター失敗。

 一連の出来事の中で、私は、そのロシア共和国というのが、ロシア共和国が領土問題については権限を持つんだというような発言等もちらちら出てくる。騒動の真最中にエリツィン・ロシア共和国大統領と話が出来たら是非電話をつないでほしいと言ったら、モスクワの大使館が努力をして、確か二十一日だったと思いますが、お話が出来ました。で、そんな時にもやっぱり、これからは共和国の力というものが、強くなるんだということを言われたし、また、此の間、ハズブラートフ・ロシア共和国の議長代行が私に親書を持って、エリツィン大統領の親書を持って来てくれました。

 あの親書の中にも、あの電話の時に話したように、ロシア共和国と日本との話合い関係も持とうと進めていきたいし、同時に、戦勝国と戦敗国というような関係じゃなくて、法と正義に基づいた対等の立場でいろいろ話していこうということも書いてあります。

 私は、確かに少しずつではありますけれども、変わってきておるなぁ。七月のサミットの時には、ゴルバチョフ大統領が私に事前に会いたいと言われて、共同声明以来、ソ連の方は氷が動きつつある。日本の方も氷は動きつつあるかというようなことですから。これは、やはり領土問題解決して、平和条約を結ぶ作業を第一義的に促進しようというのが、共同声明の精神だから、それは是非やると言っときました。

 私は、今度、中山外務大臣に親書を持って行ってもらい、その中で、やはり、ロシアに対しても、ソ連邦に対しても、これは両方に対して、ある意味ではものを言っていかなくてはならん。けれども、ゴルバチョフ大統領が来日の時には、ロシア共和国の外務大臣が同行して来ておるわけでありますから。そこのところは、今度の連邦条約で、共和国の権限がどうなるかという問題とも絡みますけども、両方と話をしていかなくてはならん。

 特に、日本としてはロシア共和国の極東地域が、日本としては、隣接の関心の深い所ですし、地域の、この冬の、いろいろな危機的な状況について、食糧の緊急援助とか、医療品等の緊急援助等に必要な物は何かということを調査させました。

 ご承知のとおり、極東地域というのは国境地帯ということもあって、軍需産業には力を入れたが、日常のそういう必需品という物、あるいは基礎的食糧というものは、中央から常に送っておったという、ほとんど主体を関係にあって、非常に特に厳しいようです。で、反対に極東地域に、そういう医薬品とか食糧品というものの緊急援助がいけば、中央からはそれだけ送ってこなくてもいいわけになるわけですから。間接的に全ロシアに対する支援にもなると。

 そういうようなことで出来る限り、拡大均衡の約束がしてありますから、そういった許される範囲で出来るだけ、これは対ソ支援やっていこう。今度G7に橋本大蔵大臣出しますけれども、その場で、これらのことについては、国際的な枠組みの中でやっていこうという話も行われましょう。それと同時に、日本は、今言ったように、二国間では調査団を出したんですから、特に極東中心に緊急物資の援助なんかもしょう{前3文字ママ}。

 そういったことで、日ソ関係が一歩一歩前進していくような新しい雰囲気を醸し出していきたい。最近、ソ連の当局者の中にも領土問題について、我々にとっては極めて、こう希望を持たせるような発言が出ております。

 私は、そういったことが平和条約交渉の中に、正確に反映されてくるように強く希望、期待しながら、日本の国としては努力をしていかなくてはならんと思います。中山外務大臣にはご苦労ですが、最後の仕事を頑張って努力してほしい、最後まで最善を尽くして来てほしいと、こう言っております。