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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] モンデール駐日米国大使との会談後の共同記者会見(橋本龍太郎)

[場所] 
[年月日] 1996年4月12日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),568−577頁.
[備考] 
[全文]

一、総理から

 皆さん、どうもありがとう。

 今日、モンデール大使にご同席をいただきまして、会見を急にお願いをいたしましたのは、沖縄の米軍基地問題について、日米共同作業の一つの重要な成果を発表させていただくためです。同時に、この作業に直接、携わった私自身がいかに日米同盟関係を大切に考えているか、併せてお話をしたかったからです。本日、六時半からの会談の中でモンデール大使と私の間で次の合意を得ることになりました。

 普天間飛行場は、今後、五年ないし七年ぐらいに、これから申し上げるような措置が取られた後に、全面返還されることになります。すなわち、普天間飛行場が現に果たしている非常に重要なその能力と機能を維持していかなければならない。そのためには、沖縄に現在、既に存在している米軍基地の中に新たにヘリポートを建設する。同時に、嘉手納飛行場に追加的な施設を整備し、現在の普天間飛行場の一部の機能を移し替え、統合する。また、普天間飛行場に配備されている空中空輸機、十数機あるそうですけれども、これを岩国飛行場に移し替える。同時に、岩国飛行場からは、ほぼ同数のハリアーという戦闘機、垂直離着陸の戦闘機です。騒音で非常に問題が多いと言われています。このハリアー戦闘機をアメリカ本国に移す。同時に、危機が起こりました時、米軍による施設の緊急使用について、日米両国は、共同で研究を行うことにする。

 この合意は、ペリー国防長官が訪日をされて、十五日にSACO(日米特別行動委員会)の中間報告として沖縄全体のパッケージが発表される中で、新たにきちんと確認をされることになっています。同時に、なお、作業の細部については、秋に向けて詳細に詰めていくことになると思います。

 今日、こうした発表が出来るまでに、モンデール大使、また、マイヤーズ司令官には大変な協力をいただきまして、そして、サンタ・モニカでクリントン大統領に対して、沖縄の人々が普天間飛行場の返還を大変強く希望しておられることを率直にお伝えをしたわけです。

 その後、直ちに、この課題についてSACOの場でも、日米の関係者による非常に積極的な討議が始まりました。そして、その間、改めてモンデール大使のご協力にお礼を申し上げます。

 そして、本日、クリントン大統領、ペリー国防長官の決断の下に、この会談が合意され、今、ご報告をしたような合意が成立をいたしました。

 私は、この合意の中から現在の国際情勢の下で、沖縄の皆さんの強い要望に可能な限り応えるものであるということと同時に、日米両国がアジア太平洋地域の安定と繁栄のために、日米安全保障体制を積極的に生かしていこうという意思を明らかにしているものと受け止めていただきたいと思います。

 この合意に至るまでの検討作業というものは、日米双方にとって、決して容易なものではありませんでした。そして、私は、両国政府が日米両国にとって、日米安全保障条約が最良の選択であると同時に、アジア太平洋地域の安定と繁栄のために、これを積極的に生かしていかなければならないという強い意思があったから、初めて可能になったと思います。同時に、この決断は、沖縄県及び沖縄の方々の強い要望を背景としてなされたものであります。今、五年ないし七年の間にという時限を切った合意が成立をしました。これを実現させるためには、今後、県を始め関係者による最大限の努力が必要であることを改めて強調したいと思います。

 そして、この機会に、総理大臣として、沖縄及びその他の地域で基地を受け入れてくださっている多くの方々に対して、日本全体の安全のために負担を担っていただいていることに、改めて心から感謝の意を表したいと思います。

 先刻、大使とともに、大田沖縄県知事に電話で私達の決断を伝えました。知事も大変、これを喜んでいただきました。そして、今後、この実現に向けて努力をしていくプロセスの中で、沖縄県の最善の協力がいただけることをお約束いただき、本当にホッとしています。

 そして、最後に、数日中にクリントン大統領を我々は国賓としてお迎えをするわけです。共に、二十一世紀に向けた新しい時代の日米同盟関係を語り得ることを楽しみにしております。共通の価値と強い信頼関係に基づく日米関係の将来を、より明るいものにしていきたいと考えておりますし、また、明るくなると本当に信じております。

 この機会に、モンデール大使からも一言ご発言をお願いしたいと思います。

二、モンデール大使から

 総理、どうもありがとうございました。総理から、ただ今、お話がありましたように、総理と私は、たった今、普天間の非常に重要な機能が他の米国施設に移設されるのを待って、普天間飛行場を今後、五ないし七年以内に返還することに同意いたしました。今から、この実現に向けての努力が開始されます。

 沖縄基地問題の解決に、総理ご自身が強い関心を持ってくださったことに対し、深く感謝を表明したいと思います。また、池田外務大臣と臼井防衛庁長官にも、このプロセスを通じて緊密にご協力をしていただいたことに謝意を表明します。ペリー長官、米国の司令官たち、特に今晩同席しているディック・マイヤーズ在日米軍司令官の大きな尽力に感謝すべきところもたくさんあります。SACOの委員会のメンバー全員にも称賛を送りたいと思います。みんなで協力して、この過去数か月で過去二十年間に行われた以上に、沖縄県民の当然の関心にこたえるために、真剣な作業をしました。

 沖縄では、アメリカ軍は隣人として住み、良い隣人でありたいと思っています。長年にわたって、沖縄県民の方々が示してくだっさった{ママ}、ご親切と友情をありがたく思っています。

 作業を開始するや、現在、普天間にある重要な能力を他の施設に移設することが中心課題だということがはっきりしてきました。総理を始め、日本政府の指導者の方々が、機能を移設するために手段を取るように、強く勧めてくださいました。サンタ・モニカでも、この話が出ました。そして、そのための作業を日本の関係者とすることに同意したのです。

 数日中に、ペリー長官の訪日の際に、両国政府は、沖縄の関心に更にこたえるための他の非常に意味のあるたくさんの手段について発表いたします。これらの措置の多くは、近い将来実施されます。

 普天間の返還と、その時に発表された大きな措置で、沖縄の米軍のプレゼンスのイライラの元と負担を大きく減らすことが出来ると思っています。それと同時に、我々の安全保障上の義務を満たすために、我々に要求されている兵力と即応力を十分維持することも出来ます。

 これらの手段を取るに当たって、三つの基本的な仮定に立って進めました。まず、第一に、日米同盟関係は、両国にとって今までにも増して重要だということです。東アジアの平和と繁栄は、この同盟の健全性に依存しています。そして、我々は、この日米同盟を強化する決意で臨みました。第二に、沖縄の関心にこたえるための、これらの行動を取るに当たって、米軍の能力や、即応力を減らさない形ですることにコミットしました。この目標を完全に満足させました。第三に、沖縄県民の方々の真の関心を満たすために、我々の力の及ぶ限り、あらゆることをすることにコミットしました。

 総理の方から、今、お話がありましたように、このプロセスは易しいものではありませんでした。これからのたくさんの措置を完了するために、精力的に協力が必要でしたし、これからも、必要とされています。

 今日のこの決定と、クリントン大統領、ペリー国防長官の訪日が、次の世紀に向けて、我々が永続的な同盟を構築するのに成功することを示す一助となることを希望する次第です。

三、質疑

 −今日の決定は沖縄県が強く求めていたものなんですけれども、これで沖縄県の要望していた目に見える形での基地の縮小が実現出来たと評価しているのか、また、基地問題について沖縄県民の不満が解消され、理解が得られると思っておられるんでしょうか。

○総理 まず、第一に、今日私たちが達成した合意は、これからそれを実現する責任が私たちの上に課せられたということです。そして、五年ないし七年という期間内に完了することが出来るか。あるいは、もっと早めることが出来るかは、これからの我々自身の作業に掛かっています。

 私は、総理に就任した直後から、沖縄の皆さんに、是非普天間の少なくとも将来の目標だけは示して欲しい、と言われておりました。その約束にはおこたえができたと思います。それは、あくまでも第一歩です。

 これから普天間基地が全面返還の日を迎えるまでには、私たちは、より住民に負担の掛からない場所を探しながら、既設の基地の中にヘリポートを造っていくことを始め、我々自身が解決しなければならない課題を、この約束によって背負うことになります。

 また、普天間基地が全面返還をされる、それに向けて、その跡地の利用計画も県と協力をしながら作っていかなければなりません。そのためにもさまざまな作業がいると思います。そして、この基地に多くの地主の方々も関係しておられるわけですから、これからこの合意が現実のものになるためには、国も必死で努力をしなければなりませんけれども、県にも共同で作業に加わっていただかなければなりません。まだどういう体制で臨めばいいのか、そこまで私も決断をし切れていませんが、今、当面、私なりに考え、先程お願いをしましたのは、古川副長官の下に関係各省庁、更に沖縄県からも責任のある方が加わっていただくタスクフォースを編成して、一体、全面返還のその日までに、どういう手順で、どんな作業を必要とするか。そして、返還された時点で、我々は次のステップに、すなわち普天間の開発というものに、跡地利用にどう取り組んでいくかの、言わば青写真を作るところから始めることになります。

 ですから、私は、沖縄の皆さんがこれを喜んでくださると信じています。それが現実のものになるためには、我々は、これから一層大きな責任と努力を必要とするし、それは、県と国が一体になって努力をしていかなければ解決できないことだということです。

 −モンデール大使にお伺いします。今回の日米間の交渉の過程で、我々はやっぱり、かなり普天間基地の返還については困難だというふうに仄聞しておりましたが、米側として、返還方針に踏み切られた最大の理由は何か。それと、東アジアの兵力維持に関しては維持出来るとおっしゃいましたけれども、返還に伴って将来的な兵力の削減低下というのは全く想定していないのか。その二点をお伺いします。

○モンデール大使 今回発表いたしました計画ですけれども、これで兵力の水準を減らすというようなことは全然仮定しておりませんし、それから、私たちが条約の下で果たさなければいけない米国側が担っている能力だとか、それから、即応力というものを劣化したり、軽減したりするものでもありません。

 私たちが今回どういうことをしたかというならば、沖縄で私たちが使っている空間だとか、それから沖縄の人たちに対するイライラの元というものに対して、一体何が出来るのかということをまず第一に考えました。それと同時に、私たちとしては、沖縄で非常に良い隣人としてありたいので、沖縄の方々の関心事にもこたえたいと思ったわけです。

 沖縄の方々が持っていらっしゃる関心というのは、当然の関心だというふうに思いましたので、それに私たちとしてはこたえたいと思ったわけです。その次に、私たちが考えましたのは、私たちのしなければならない義務を果たすために、能力を減らすことなく、また、兵力の水準を減らすことなく、沖縄の人たちの希望にどういうふうにしてこたえることが出来るのか。どういうふうにしてこたえるためのコミットメントが出来るのかということを考えました。そして、今晩、発表したような計画にたどり着いたわけです。

 マイヤー司令官などのご意見も伺いまして、こういうような形でするならば、私たちは最も効率高く、最も効果的な形で私たちがやらなくちゃいけないことを果たし、また、沖縄の方々の問題にこたえることが出来ると考えたからです。

 どうして普天間をこういうふうにしたのかというご質問に対してのお答えなんですけども、それは、沖縄問題に関する特別行動委員会におきまして、もしも私たちが沖縄の人たちの声に耳を傾けるならば、私たちとしてはこの普天間の問題を避けては通れないというふうに思ったわけです。

 沖縄に行って沖縄の人たちの声を聞きました。それから、沖縄に行って普天間の飛行場を見てみました。そして、普天間の施設が大きな沖縄の地域社会の中に存在しているということも見てまいりました。そして、普天間を避けて沖縄問題に効率よくこたえることは出来ないということが分かったわけです。

 また、サンタ・モニカにおきまして、総理の方からも沖縄のことをよろしくというふうに要請をされました。それで、SACOの委員会の者たちは、一体どういうふうにして総理から要請されたことを実現出来るのかという作業に取り掛かったわけです。

 そして今晩お話したような形でおこたえ出来るということになったわけです。

 先程、総理の方からお話がありましたように、総理が大田知事と電話でお話をなさった後で、私も大田知事と電話で話をさせていただきました。そして、数日中に大田知事が持っていらっしゃるかも知れないいろいろな疑問にこたえるためにオニール総領事とローリング沖縄司令官を知事のところに伺わせて、そして、今回の発表しましたスケジュールその他内容などを大田知事にお知らせしたいというふうに思っています。

 −橋本総理大臣にお伺いしたいんですけれども、沖縄のさまざまな基地の機能を国内の別の基地に移すことについては、移転先の地元からさまざまな反発の声なんかも出ているんですが、こうした国内での調整に、これからどのように取り組んでいくお考えでしょうか。

○総理 確かに、今、既にさまざまな声が私のところにも届いています。そして、新たな負担をお願いすることになる皆さんには、我々は、これから全力を挙げて、その理解を得るための努力をしていくという以外に、今日の時点で答えはありません。ただ、私は、じゃあ普天間の基地はそのまま残しておくべきだったのか、我々にとってアジア太平洋地域の安定は、是非保ちたいし、日本の安全を確保する上で米軍の助力を得たいと。その結果生じる負担は、このまま沖縄の皆さんに背負っていただき続けるというのが、国民の声だとは私は思いたくありません。

 そして、今回、普天間について、今、発表しましたけれども、この後、SACOの作業の中で、中間報告全部がパッケージとして十五日には公表されるわけです。我々は、そこでした約束には、非常に大きな責任をこれから持っていかなくてはなりません。当然のことながら、新たな負担をしていただかなければならない地域の皆さんに対し、どうすればその負担に応じていただけるのかをご相談し、お願いをし、解決をしていくのは、すべてこれからです。

 しかし、私は、少なくとも、今まで長い期間、沖縄の皆様に背負っていただいた荷物の一つを、少なくとも我々が全力を尽くすことによって、解決してあげることが出来るという道が開けただけでも、今、本当にホッとしています。そして、関係の方々も、それぞれの地域の方々も、同じような気持ちでこれを受け止めていただきたいと心から願っています。

 −総理、来週には、日米首脳会談を控えています。この普天間の返還は、クリントン大統領の決断によるところも大きいと思いますが、逆に、首脳会談では、橋本総理大臣の、経済問題での決断を求められるんじゃないかいうことも予想されるんですが、その点はどうお考えになられますか。

○総理 どうして、そういう危険な話題を出すの。このしばらくの間、この普天間を始めとした沖縄県の基地の問題と並行して、モンデール大使は、アメリカの問題点と思われることを率直に私に提起をしてこられました。私も、今、誠意を持って、一生懸命にそれにこたえる努力をしてきました。しかし、お互いに国内の経済問題を語り合うときには、双方に妥協が必要です。しかし、少なくとも、昨年の自動車のような緊迫した状況にないことだけは、二人の顔を見ていただければ、お分かりだと思います。

 −モンデール大使に伺いたいんですが、今回の交渉のプロセスにおける、橋本総理のリーダーシップについては、どのように評価しておられますか。出来れば、具体的に伺いたいんですが。

○モンデール大使 この問題につきましては、総理と、それから大統領の間でも、長い間作業をしてこなければいけなかった。すなわち、私たちは、この問題について、長いこと作業をして来なければいけなかったという状態にあるわけです。それで、先程お話ししたようなことを両サイドで、非常にタフな、難しい決断ではありましたけれども、また、深くいろいろ考えなければいけないことではありましたけれども、両サイドにおきまして、そのような決定をすることになったわけです。総理は、非常に精力的に、この過程に参画してくださいました。

 また、沖縄問題についての特別合同委員会も、非常に迅速に行動を取ってくれました。この問題の初めから、この努力の先に立っていろいろと作業をしてくださいました。

○総理 さあもういいでしょう。どうもありがとう。

 −総理、最後に、一つお願いします。五年から七年という期限は、どういう視点で出て来たんですか。ご説明をお願いします。

○総理 例えば、普天間基地を、その都度、ヘリポートをどこか基地、他の沖縄の基地の中に作るという条件があります。その、まず、適地を探すこと、そしてその地域の環境アセスメントを行うこと、そして所要の工事をしていくこと。そうした対応と並行して、当然ながら、今度、普天間基地が全面返還をされる時点に備えて、跡地利用の計画を県と国が一緒に作っていかなければなりません。そうした作業のプロセスを短ければ五年以内に出来るかも知れない。

 しかし、その作業で、例えば、環境アセスメントで最初の候補地が問題があるとなって、別の候補地を探すといったような事態が起こるかも知れない。そういうことを考えると、多少のアロワンスが必要ではなかろうかという気持ちがありました。しかし、同時に、先程申し上げたように、我々が、これは、むしろ我々というのは、政府と県が一体になって努力をしていくことによって、その五年が縮められれば、それに越したことはない。すべては、むしろこれから我々が払っていく努力が、どれだけのスピードで最終地点に到達できる用意を整えていけるかです。

 どうもありがとう。