[文書名] 令和6年能登半島地震及び9月20日からの大雨による被災状況視察のための石川県訪問等についての会見
(能登半島地震と9月の豪雨災害の二重被害に苦しんでいる被災者がいます。激甚災害、速やかにという発言があったが、支援をどのように進めるのか、不公平感の無い被災者支援についてどのように考えているのか、冬に向けての財政支援について、能登半島地震をめぐっては被災地の高齢化を踏まえ、集約化の声も根強くあり、過疎地復興の在り方についてどのように考えているか、最後に「体育館での雑魚寝は、先進国では日本だけ」という避難所の在り方について、今日の視察を受けてどのように変革するのか)
お正月の地震。その後、私は自民党の水産総合調査会長をしておりましたので、同僚議員と共に、中谷議員あるいは谷議員と共に、この一帯、特に漁港を中心に視察をしてまいりました。最後は馳(はせ)知事から県庁で、いろんな御要望も承ったところであります。そのときも、漁港であり、あるいは中山間地域であり、そういうような、いわゆる人口の減少、高齢化の急速な進展、そして財政力が弱い、そういうところが被災をするということが、いかに困難なことであるか。また、いろんなアクセスが十分ではないところにおいて被災をするということが、いかに大変なことであったかということを痛感いたしました。そのときから、漁村を中心にではございますが、なるだけ早く、政府の支援も相まって、旧に復するような、そういうことをやってきたつもりであります。そこに加えて、今回の豪雨災害ということでありまして、そこにお住まいの方々の、何で自分たちだけこんな目に遭わねばならんのだろうと、そういうような悲痛な叫びというものに、これはきちんと応えることが、政治の責任であるということを改めて痛感いたした次第でございます。
今日も、珠洲(すず)あるいは能登両市長さんから、あるいは議会の方から、知事さんから、つぶさにお話を承りました。今、不公平がないようにということでございましたが、公平ということを考えるあまりに、支援が遅れるということがあってはならないと思っております。公平を期すがあまりに、支援が遅れてしまいました、ということがあってはならないので、できるところからやると、迅速にやると、1人でも多くの方があぁ良かったなと思ってもらうことが大事なので、平素の公平性という行政の価値観というものは、この際、劣後することがあり得べしだというふうに、私は思っているところでございます。
今回視察をいたしまして、もう今から十数年前のことになりますが、東日本大震災の大津波のときに、私は宮城県の女川(おながわ)というところの、原発のあるところですね、あそこの避難所に無理をお願いして一晩泊めていただいたことがあります。泊まらないとわからないので。そのときに比べて、かなり、避難所の状況は改善をみていると思いました。ですので、コンテナ型のトイレカーのようなものが来ている、ダンボールベッドもある、テントというものもある、ということであります。かなり進歩はあるけれども、今なお、多くの先進国で見られるような、数時間のうちに、トイレ、コンテナトイレがやってくる、キッチンカーがやってくる、テントがやってくるというような体制にはまだ遠いのだというふうに思っております。そうしますと、これから全国に備蓄の体制というものも整えていかねばなりません。そしてマンパワーの確保というものを考えたときに、もちろんボランティアの方、NGO(非政府組織)の方々にお願いするのですけれども、どこで災害が起こったらこの団体、どこで災害が起こったらこの市町村と、つまり被災をした地域の行政職員の方、そういう方々自らも被災し、家屋も倒壊し、そういうような状況の中で、なおかつ復旧に当たるというのは、それはお話としては美しいのかもしれないけれども、そのようなことがあるべきだと、私は思っておりませんので、いかにしてそういう方々の負担を減らして、全国どこで何があろうとも、支援の体制ができるということを築くのは、相当に、労力のいることでございます。
私は、所信表明演説で申し上げましたように、まず当面は、内閣府防災担当の予算・人員を飛躍的に向上する。そして内閣府の外局である防災庁というものの創設を図るということで、赤澤大臣を担当大臣に任命いたしております。防災担当の坂井大臣とよく連絡を取りながら、本当に困っている人々が、北海道から九州・沖縄まで、どこで何が起きても同じ支援が受けられるということの実現を1日も早くできるように、これから先、内閣として、尽力してまいりたいと、かように考えておる次第でございます。
(初めての地方視察に能登地方を選んだ理由と、視察を踏まえた政策への反映及び「防災庁」を具体的にどのように設置するのか、重ねて、今後も地方視察を重点的に行っていくのか)
まず、なぜここを選んだかということでございます。日本国中、困っている人はたくさんいます。たくさんいますが、お正月家族団らん、コロナの間、里帰りもできませんでした。やっと何年ぶりかで、家族再会、本当に家族団らんのときに地震がきて、それが一瞬にして失われました。絶望の淵(ふち)に叩き(たたき)落とされました。ようやく希望の光が見えてきたところに、今度の豪雨災害ということで、多くの日本国民の中で、最も悲しい思い、苦しい思い、かつまた、政府の支援というものを求めておられる方々はここだろうというふうに私自身判断いたしました。また、旧知の馳知事からも御要請をいただきました。先ほど申し上げましたように、私自身が2月の末か3月初めだったと思いますが、ここの視察をいたしました。その方々が今どうしてるだろうという思いもあって、この場所に、最初にお邪魔をした次第であります。一番困っている人に、政治が行動を起こすということが一番大事だと思ったからこそ、ここを選んだというところであります。
今後もこういうことを続けるかということでございますが、これから先、政治日程として、先般、所信表明が終わりました。これから代表質問を受け、あるいは党首討論というものがあるということでございます。国会においてもそういう御質問も出るかもしれませんが、これから先、先ほども少し申し上げましたが、当面、来年度予算においてですね、そういう内閣府防災担当の予算・人員の飛躍的な拡充、その後は内閣府の外局としての防災庁、その後、防災省、名前はともかくといたしましてですね、そういうものの設立に向けては、かなり濃密な議論をしていかねばならないと思っておりますけれども、そういう各部門を、その機能を最もよく発現するように、合わせた形での防災省というのは少し時間はかかりますが、そこはきちんと時間的な感覚を持って進めてまいりたいと思っております。
かねてから申し上げておりますように、日本国中、どこで災害が起こっても、財政力の弱いところ、あるいは地理的に不利なところ、そこは支援が遅れるということは国家としてあっていいことだと思っておりません。イタリアであり、あるいは台湾であり、先進国というのはそういう体制を既に整備しているものでありますが、我が国は101年前の関東大震災のときと基本変わらないということは、それは政治として恥ずべきことだというふうに思っております。急いで対応いたしてまいります。
(衆議院解散が4日後に迫り、各党、選挙に向けて準備や訴えを加速しているが、総理はどのように選挙に臨まれるのか)
それは我が党として、いわゆる「政治と金」というものに対する国民の方々の御批判が強い中で、今度の選挙を戦います。やはり、自由民主党として、岸田(前)総理が責任を取る形でお辞めになった。その後、自民党の改革を訴えて総裁選挙が行われたということを踏まえて、本当に自民党というのは、そういう国民の不信、不満、怒り、憤り、これにきちんと対応しているということをまずお示しをしなければならないと思っております。
その上で、我が党として、政権を長くお預かりをいたしてまいりました。今回の震災もそうです。豪雨もそうです。あるいは、厳しい安全保障環境に対する対処もそうです。いろんな困難な問題に対処し得るのは、我が自由民主党であるという訴えを全国各地でしてまいりたいと思っております。
それに加えて、私どもは、いろんな地域にいろんな組織を持っております。その組織をフルに稼働させることによって、本当に地域のいろんな課題、いろんな悩み、そういうものに対処し得るのは、我が党であるということを訴え、かつまた、連立を組みます公明党の皆様方の御協力もいただきながら、この選挙で勝利をしてまいりたいと、全身全霊を尽くしてまいる所存であります。