データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 通󠄁商取締ニ關スル合衆國及支那國間ノ條約(通商取締に関する合衆国及支那国間の条約)

[場所] 
[年月日] 1858年11月8日
[出典] 英・米・佛・露ノ各國及支那國間ノ條約,外務省條約局編,996-997頁.
[備考] 
[全文] 

通󠄁商取締ニ關スル合衆國及支那國間ノ條約


   千八百五十八年十一月八日上海ニ於テ調󠄁印

   千八百五十九年八月十五日北京ニ於テ批准交換

西曆千八百五十八年六月十八日卽咸豐八年五月八日大淸帝國及亞米利加合衆國間ニ平和、修好及通󠄁商條約カ天津ニ於テ締結セラレ且「ハイ・カン」寺( The Temple of Hai-Kwang)ニ於テ調󠄁印セラレ該條約ハ翌󠄁年三月支那國皇帝之ヲ正式ニ批准シ且今ヤ合衆國上院ノ勸吿及承諾ヲ得テ大統領ノ批准ニ付セラレタルカ故ニ、及就中該條約ニ於テ支那國ヨリ輸出若ハ輸入ノ貨物ニ對シ合衆國人民ノ支拂フヘキ關稅率󠄁ハ望厦(Wang-hie)條約ニ於テ協定セラレタルモノト同一ニシテ他國トノ條約ニ依リ修正セラルル場合ハ此限リニ在ラサルモ合衆國人民ハ最惠國民ノ支拂フモノヨリ多額ノ關稅ヲ支拂ハサルヘキモノト明白ニ協定セラレタリト規定セラレタルカ故ニ、及該條約ノ調󠄁印以後該關稅率󠄁及其ノ他該條約關係ノ諸事項ノ修正カ支那國、大不列顚國及佛蘭西淸國全權委員ノ右目的ノ爲ニ任命シタル委員相互ノ商議ニ依リテ爲サレ該修正ニ對シテ亞米利加合衆國ノ承諾ヲ求メ今ヤ右承諾ハ快ク與ヘラレタルカ故ニ右承諾及協定ヲ基本條約中ニ挿入セラレタルト同一ノ拘束力及效力ヲ有スル樣追󠄁加條約ノ形式ヲ以テ錄スルコトニ決定セリ

   第一條

關稅率竝通󠄁商及通󠄁過󠄁取締規則ハ改訂セラルル迄效力ヲ有スルモノトス

本條約附屬ノ關稅率󠄁竝通󠄁商及通󠄁過󠄁取締規則ハ合衆國及大淸帝󠄁各全權委員ノ調󠄁印スルトコロニシテ爾後條約ノ規定ヲ以テ正式ニ改訂セラルル迄通󠄁商ノ爲開カレタル港及地點ニ於テ效力ヲ有スルモノトス右證據トシテ亞米利加合衆國及大淸帝國各全權委員卽特命全權公使「ウイリアム、ビー、リード」ハ合衆國ヲ、東閣大學士正白旗滿洲都統刑部事務柱良及經筵講󠄁官吏部尙書鐉藍旗漢軍部統花沙納ノ兩名ノ全權委員ハ大淸帝國ヲ代表シ本條約締結ノ爲任命セラレタル帝國特派委員タル太子少保兵部尙書都察院右都御史江南江西總督何、二品頂戴武備院卿明、五品卿銜軍機處行走刑部員外郎段ト共ニ本條約及附屬書ニ署名調󠄁印セリ

西曆千八百五十八年亞米利加合衆國獨立第八十三年十一月八日及咸豐八年十月三日上海ニ於テ作成ス


   ウイリアム、ビー、リード 印

   柱良 印

   花沙納󠄁 印

   河 印 

   明 印

   段 印

(以下省略、關稅率󠄁竝通󠄁商及通󠄁過󠄁取締規則)