データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 戰爭抛棄に關する條約(パリ不戦条約,ケロッグ=ブリアン条約)

[場所] パリ
[年月日] 1928年8月27日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,120-121頁.
[備考] 
[全文]

一九二八年八月二七日巴里ニ於テ署名

一九二九年六月二七日批准

一九二九年七月二四日批准書寄託

一九二九年七月二五日公布

獨逸國大統領、亞米利加合衆國大統領、白耳義國皇帝陛下、佛蘭西共和國大統領、「グレート、ブリテン」「アイルランド」及「グレート、ブリテン」海外領土皇帝印度皇帝陛下、伊太利國皇帝陛下、日本國皇帝陛下、波蘭共和國大統領、「チェッコスロヴアキア」共和國大統領ハ

人類ノ福祉ヲ増進スヘキ其ノ嚴肅ナル責務ヲ深ク感銘シ

其ノ人民間ニ現存スル平和及友好ノ關係ヲ永久ナラシメンカ爲國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ卒直ニ抛棄スヘキ時機ノ到來セルコトヲ確信シ

其ノ相互關係ニ於ケル一切ノ變更ハ平和的手段ニ依リテノミ之ヲ求ムヘク又平和的ニシテ秩序アル手續ノ結果タルヘキコト及今後戰爭ニ訴ヘテ國家ノ利益ヲ増進セントスル署名國ハ本條約ノ供與スル利益ヲ拒否セラルヘキモノナルコトヲ確信シ

其ノ範例ニ促サレ世界ノ他ノ一切ノ國カ此ノ人道的努力ニ參加シ且本條約ノ實施後速ニ之ニ加入スルコトニ依リテ其ノ人民ヲシテ本條約ノ規定スル恩澤ニ浴セシメ以テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ノ共同抛棄ニ世界ノ文明諸國ヲ結合センコトヲ希望シ

茲ニ條約ヲ締結スルコトニ決シ之カ爲左ノ如ク其ノ全權委員ヲ任命セリ

(全權委員名略)

因テ各全權委員ハ互ニ其ノ全權委任状ヲ示シ之カ良好妥當ナルヲ認メタル後左ノ諸條ヲ協定セリ

第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス

第二條 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス

第三條 本條約ハ前文ニ掲ケラルル締約國ニ依リ其ノ各自ノ憲法上ノ要件ニ從ヒ批准セラルヘク且各國ノ批准書カ總テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル後直ニ締約國間ニ實施セラルヘシ

本條約ハ前項ニ定ムル所ニ依リ實施セラレタルトキハ世界ノ他ノ一切ノ國ノ加入ノ爲必要ナル間開キ置カルヘシ一國ノ加入ヲ證スル各文書ハ「ワシントン」ニ於テ寄託セラルヘク本條約ハ右寄託ノ時ヨリ直ニ該加入國ト本條約ノ他ノ當事國トノ間ニ實施セラルヘシ

亞米利加合衆國政府ハ前文ニ掲ケラルル各國政府及爾後本條約ニ加入スル各國政府ニ對シ本條約及一切ノ批准書又ハ加入書ノ認證謄本ヲ交付スルノ義務ヲ有ス亞米利加合衆國政府ハ各批准書又ハ加入書カ同國政府ニ寄託アリタルトキハ直ニ右諸國政府ニ電報ヲ以テ通告スルノ義務ヲ有ス

右證據トシテ各全權委員ハ佛蘭西語及英吉利語ヲ以テ作成セラレ兩本文共ニ同等ノ效力ヲ有スル本條約ニ署名調印セリ

千九百二十八年八月二十七日巴里ニ於テ作成ス

(全權委員署名略)

政府宣言書 (昭和四年六月二十七日)

帝國政府ハ千九百二十八年八月二十七日巴里ニ於テ署名セラレタル戰爭抛棄ニ關スル條約第一條中ノ「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」ナル字句ハ帝國憲法ノ條章ヨリ觀テ日本國ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス