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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 吉田・ダレス会談(第2回),十二月十八日総理、井口次官及びダレス、シーボルド両大使会談記録(吉田茂総理大臣、ジョン・フォスター・ダレス米国務長官顧問 会談(1951年12月・第2回))

[場所] 
[年月日] 1951年12月18日
[出典] 日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発行,外務省編纂,外務省発行,外務省,平成21年1月30日発行,353-355頁.
[備考] 昭和26年12月18日,極秘
[全文] 

吉田・ダレス会談(第2回)

極秘

十二月十八日総理、井口次官及びダレス、シーボルド両大使会談記録

 十二月十八日午後二時半ダレス、シーボルド両大使、外相官邸に総理を来訪、会談約一時間、井口次官同席した。

 総理から、本日宮中において御陪食前、陛下に拝謁、貴大使の平和条約調印に至るまでの努力及び今回来日後の活動につきお話申し上げておいた旨話したところ、ダレス大使から、御陪食の光栄を感謝するとともに、陛下より、なかなかよい御質問があり、また、おくつろぎになつて、いろいろお話をいただき、恐縮に存じておる旨挨拶があつた。

 引き続き、ダレス大使から、「本日お伺いしたのは、一昨日(ママ)の国府との親善修交問題についてである。御承知のように、先般日本の臨時国会において、平和条約及び安保条約審議の際、いかんながら、支那問題につき米国民に日本側の真意を誤解せしめるような討論が行われた。のみならず、上院議員のうちには、たとえば、マッキャラン、マロン、ジェナー、ケイン等、従来平和条約に反対している議員もあり、また、国府支持論者は、過去における米国の対国府政策の失敗を埋め合わせする意味において、是非とも、なんらかの形において国府を平和条約に加入せしめ、その地位を強化すべきであるとの議論をとなえておつた経緯もあつて、条約批准に対する上院の空気は、必ずしも楽観を許さないものがある。そこで、これを緩和し、条約批准を促進する見地から、先般来の貴総理との話合及び十三の日本案を基礎として、本使あて貴総理の書簡案をものして見た。幸いに、総理の御同意をうれば、この書簡をしかるべき機会に公表して国府問題に関する日米協調の実を米国民に知らしめ、批准促進に資したいと考えている。その書簡案中には、あるいは多少日本側に好ましからざる節もあるかとも思うが、条約批准の対局的見地から、貴総理の好意的御考慮をえたい。もし万一条約批准に故障が入れば、折角お互いに調印まで持つてきた過去の成果もむだになり、また、今後行政協定、信託統治問題、経済協力問題等について、折角日本側の要望をできるだけ達成せんとする自分の努力も至難のものとなることを心配している。右書簡の発送は、米国側が日本に対しプレッシャーを加えたるにあらずやとの世間の誤解を避けるためにも、むしろ、本使の帰米後にすることといたしたい。本件については、来月二、三日頃来華のはずであるチャーチル、イーデンともよく話し合い、その上で国府側にも当つてみるつもりである。從つて、書簡の公表は、上院の情勢ともにらみ合わせ大体一月中旬頃になると思われる。

 英国側の態度については、自分はあまり心配していない。というのは、サー・オリバー・リトルトン(植民地相)の過般の言明にもあるように、中国問題に対するイギリス側の態度が漸次変つて行く可能性が見られるからである。

いずれにしても、英国及び国府側との話合は、米国側で引き受ける。また、書簡案中には、中共との貿易の点は、なんら触れていないが、これは、オープンにして国際連合の決議に従うだけで、それ以上制限せんとする趣旨でないことを明らかにしておいた。」と述べた。

 これに対し、総理から、「一読したところ、別に異議はないと思うが、字句の点については、研究の上御連絡することがあるかも知れない。なお、書簡を公表する日時については、よ論指導その他国会に対する関係もあり、なるべく前広に打合せすることにいたしたい。特に、台湾方面から書簡の存在がもれないように御注意願いたい。」と述べ、ダレス大使は、これを了承した。